「近代以前の日本で、学才によって大臣にまで出世したのは、吉備真備と菅原道真の二人だけである」(加藤徹『漢文の素養』光文社新書 147頁)
菅原道真が学問の神様として、現在においても尊敬を受けているのは、血筋や家柄と関係なく自らの才覚によって責任ある大臣の位に登ったことによるのですね。
歴史的にこのような人は2人しかいないというのですから、特別な存在であることも頷けます。
現在の日本においても、血筋、家柄のある人々の力が強いようです。
影響力のある人を調べていくと、血筋、家柄につながっていることが分かります。
ある人が影響力を持ちはじめたときに、その人を排斥するキャンペーンが繰り広げられることがあります。
観察してみると、その人は血筋、家柄のない人であり、血筋、家柄のある人々の勢力範囲に入り込み始めている時であったりします。
表向きは民主主義であり主権在民ですが、実質は、特定の血筋、家柄の人々のネットワークにより大きな影響力を受けているのですね。
ただ、その特定の血筋、家柄の人々も意識的にネットワークを築いているというのではなく、無意識に、自然に、無理なく、当たり前のようにつながっているようです。
よって、強力なのでしょう。
ただ、古代、中世、近世と違って、近代以後の現代においては、血筋、家柄がなくても、自らの才覚により、力を持ち得ることができる範囲は広がっています。
『漢文の素養』の著者である加藤徹氏によると、漢文の素養を磨いていくことが重要ということです。
さて、漢文といっても、何を読めばよいのでしょうか。加藤周一『読書術』では、漢文素材として、『論語』をあげていました。
また、経典としては、「般若経」や「法華経」をあげていました。
現代日本においても影響力を持ち得ている『論語』のような書籍でもって、漢文の素養を身に付けることはおもしろそうですね。
どこでも、いつでも通用するでしょう。
世代間の溝を気にする必要もないでしょう。
現在、漢文に触れる機会は少ないですが、昔の新聞には、漢詩欄があったのですね。
「明治から大正の前半までは、新聞には和歌や俳句と並んで漢詩欄が設けられ、一般読者の投稿による漢詩や、プロの漢詩人の新作を掲載していた」(加藤徹『漢文の素養』光文社新書 219頁)