初心が大事でありますが、ついつい、初心を忘れてしまうものです。
稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第1講 初心
「私だって、聖人君子みたいなことはできやしないんです。できやしないけれども、若い頃からずっと、そうありたい、こうあるべきだという思いを持ち続けてきたから、大きく道を踏み外さないでやってこれた。正道を踏みたい、と思う心があればこそ、大きく逸脱しないんです。復元力があるんです。少し行き過ぎても、しばらくすると原点に戻ってくるんです。そうありたいと思い続ける初心。これは、非常に重要なことだと思います」
(「日経ビジネス」2005年10月3日号78頁)
改めて、「そうありたい」との気持ちの大切さを思い起こしました。
できるか、できないか、ではなく、まずは、「そうありたい」と思う心で、行動していきたいものです。
日々の生活の中では惰性に流されていきやすいものですが、流されっぱなしではなく、時には、「初心」を思い出し、軌道修正しなければなりません。
特別な存在になる必要はなく、自分自身が持っている力を十全に発揮しうるようにすればよいですね。
「そうありたい」とは、聖人君子と同じになるということではなく、聖人君子の思想、行動に学びながら、自身の可能性を開くことと捉えたいですね。
そのためにも、読書をしながら、また、その読書で得た知見を生活、人生に活かしていきながら、「そうありたい」という通りの自分自身でありたいですね。