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2021年03月22日

58歳の誕生日

とうとう58回目の生誕記念。
昨日も書いたが、2014年12月24日に打ちどころが悪く死んでいたら享年51歳だったのか。
それは今の世では若すぎる死だろう。
ただ受傷後の入院中に思っていたのは、今までの自分は死んだのだという思い。両手両足が満足に動かせず、オムツをしている。希望なんて持っていない。食事も人から口に入れてもらって食べる。
それが生命力・生きようとする人間本来が持っているチカラなのかもしれない。絶望を思うより生きようとするチカラが勝っていた。

昨日の寝る前に昨年の誕生日あたりのブログを見た。
リボトリールを止めたのは誕生日だったのか。昨年の3月上旬だと思っていた。
あの断薬は辛かった。悪夢の連続も今では懐かしい。
それと書いているのが、左肩の筋肉が付かないこと。ジムの筋トレマシンが変わってキツイとも書いている。

今の状況。
昨年の自分が見たら驚くだろう。総じて進歩している。
左肩・腕の筋肉は右と変わらないくらいまで付いている。その右側もその時よりも筋肉は付いている。
確か杖を止めたのが昨年の2月か。もう必要ない。
手の痺れは変わらないか。両肩の疼痛が最近は気になっていない。どうだろうと思って意識して疼痛がまだあると感じる。イメージで言うと、筋肉の鎧の中で痛みが小さくなった感覚。

右足の甲の痺れは強い。
これは鍼治療の時に言わなかったからだろう。いつも鍼後は違った感覚の痺れがある。その痺れが徐々に取れて行って動きが良くなる。だからこんなもんだと思っていた。
正座が出来ないのだ。足の甲に体重をかけるとくすぐったいような痛いような。
右脚下腿に深く打ってもらうようになって、甲の痺れが強くなっていたのだ。それを放置していたからだろうか。何かいい影響を及ぼせば悪い影響を及ぼすこともある。
でも前々回から右足甲の痺れの強さを訴えると、それに対応いただいている。これが不思議なのだ。それほどこれまでと打っている箇所は変わらないのだが、足の甲に効いている感覚がある。

歩行は良くなったのだろう。
もう電車でも不安はない。ただ、迅速に足を運ぶということが弱いようだ。体重が左に傾いた時に素早く左脚で支えることが出来ない時がある。
手術の時の医者のコトバを思い出す。「何度倒れてもいいように首を拡げるのです」と。
それを思い返す度に絶対倒れないぞと誓うのだが。

この1年は劇的に変化した。
来年までの1年はどうだろう。受傷後に何年も経って良くなる。これは症状が変わっている訳ではないかもしれないが、確実に生活の質は上がっている。
自分をたまには誉めてやろう。よく頑張ってます。
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posted by shigenon at 08:25| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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