そもそも脳疾患によるリハビリと中枢神経障害によるリハビリは、ある時期までは同じような内容でも、それ以降は変わるのでは?という思いを持つようになった。
それは、回復が遅いことに対する自分へのいら立ちだったかもしれないが。
“この病院ではたして回復できるのだろうか? 効果的なリハビリなのだろうか?”
一生懸命診て下さっている看護師さんやOTさんやPTさんには申し訳ないが、病院の体質そのものにも何か違和感を感じていた。
大企業ではよくある“大企業病”“セクショナリズム”“上司の顔色伺い”
僕自身がこれまで所属した企業で経験し、嫌いな部分を感じることが度々あった。
CSR・・顧客満足度を患者が病院に求めてはいけないのかとも思うが、けっこう放置されていると感じることが多かった。
リハビリ病棟での風呂は週2回と言われた。1階下の風呂場で30分の入浴、看護師さんの見守り付きで。
頭と身体を自分で洗うのは入院以来初。右手はまあまあ使えるのだが、左手は肩まで回らなかった。
頭を洗うにも、左手は役に立たなかった。
その後、交渉を繰り返して週3回にしてもらった。これは3月にはいってからだったっけ。
ドライヤーで髪を乾かすのだが、左手はもちろん持てない。右手は持てても、髪が乾くまでドライヤーが重くて持つことが維持できなかった。
初めて箸を使えるようになったのが2月中旬。OTさんに一から箸の使い方のトレーニングを受けた結果、今までの癖のある持ち方でなく箸の使い方の見本のようにたどたどしく出来た。
しかし、これも最初だけ。リハビリで動くことが多くなると腹が減るので、時間のかかる箸よりもスプーンでがっついてしまう。最初の病院よりもリハビリ病院の方が食事が美味しかったこともある。
そのうち、箸の持ち方は本来の自分の癖のある持ち方になった。これも回復の一歩。
左手は相変わらずうまく動かなかった。
完全に杖なしでも歩けるものの、平らな病院内の廊下だけだった。身体の痺れや動きの悪い箇所はあちこちにあり、特に手の痺れは回復の兆しがなかった。
身体が少し動くようになり、リハビリの合間には自主トレに励んだ。階段は手すりを持ちながらだが、3階から1階まで2往復。20mほどの廊下を4往復などこなした。筋肉を付けることが回復の一歩と信じていた。
この病棟では看護師さんの時間がある時にリハビリに付き合ってくれることになっていた。(今から思えば、ほんとの最初だけだったが)
3月から産休を取るという看護師さんが階段のリハビリに付き合ってくれた。最初は登り降りのスピードは彼女の範囲内だったが、そのうち「もう少しゆっくりお願いします」までのスピードになった。
妊婦さんに階段を付き合わすわけにはいかないので、その後はこっそり独りで階段トレーニングをした。
嬉しいことがあった。
いつものように階段でトレーニングをしていると、急性期に入院した病院の看護助手さんたちが階段から降りてきた。看護助手さんたちの会議があったようだ。
知っている方が2人いて、その内の1人が「○○さん(僕)が歩いている! 階段を上っている!」と大きな声で叫び、涙を流してくれた。瞬間、自分がクララになった。
急性期にほとんど寝たきりで、シモの世話をしてくれていた人達。手すりと杖でよたよた歩いていた僕しか知らないので、その回復ぶりは驚きだったようだ。僕も涙が出た。
最初の病院の担当看護師のAさんが来てくれたこともある。本当に嬉しかった。
母は2月21日まで東京にいてくれた。人工股関節の身で約3か月間毎日、僕の自宅から電車とバスを乗り継いで40分かけて通ってくれた。感謝。
身体は日々可動域が増え、少しずつだが良くなっているという実感はあった。
ただ同じような内容の繰り返しのリハビリにイラつくようにもなってきた。自分から「こう動くようなリハビリ」とか生意気を言うようにもなっていた。
そうすると担当のPTさんかキツイ一言があった「先生から治るといわれているんですか!」
このPTさんには色んな取り組みもしてもらった。恨むことなどなく、感謝しかないのだが、この一言は効いた。
そう、リハビリとは“現状機能の維持”であって、回復や治療ではないのだ。
この頃で、片足立ちは右で1分、左で30秒くらい。
OTさんから時間があるときにパソコンの入力の練習をしてみてはと言っていただいた。
リハビリ室のパソコンを借りて「天声人語」を打ち込んだ。
なんと30分もかかった。キーボードを押す力・指を移動させる力がなかった。
自分は果たして社会復帰できるのだろうか。
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