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2014年10月30日

タイの旅8

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海での移動は、この旅では初めてだったので新鮮だった。パンガン島に向かう船は20代の欧米人ばかりだった。こんな若い同年代の人達が1つの島に集まると言うことは喧嘩があっても当たり前だと感じた。特に血の気が多い白人が多いからだ。船は乗って3時間ほどでパンガン島に着いた。島に着いた所から、吹いている風はジャンキー島と感じた。港にはトュクトュクやバイタクが待っていて、自分達はトュクトュクで島の中心地へと向かった。所々にバンガローや安宿があって、主に白人が泊まっているみたいでレンタルバイクを宿の前に置いてある。20分ほどで島の中心街にきた。大きい町ではないが欧米系のカフェばかりしかない。まずは宿探しで、バンガローに泊まろうとなった。こんな島でも客引きは多いので助かる。バンガローと告げると歩いて5分の所に一泊300円であると言うので行ってみて部屋を見せてもらった。トイレ、シャワーは共同だがバンガー自体は悪くなくウッドデッキにはハンモック。そこから海が見える最高のロケーションだった。すぐにチェックインをして宿のレストランへと2人で向かった。ちなみにバンガローは1人1部屋を与えてくれた。これが、のちに自分が助かるとは思わなかった。
レストランは床が竹で出来ていて寝っころがる事も出来る日本人にはありがたい所だった。メニューを見ると色々あるがオムレツがやたらと多い。ここの名物なのかな?と思っていたら、他の日本人が横になっていて、ムクッと起き上がって言った。メニューにはハッキリと書いてないが、マジックマッシュルームが入ってるのと入ってないのがあるからオムレツのメニューが多いんだよ。俺はさっき入ってるのを食べてぶっ飛んでる所だけど楽しいよ!とビックリしたが、さすがジャンキー島だ。2人でマジックマッシュルーム入りのを頼んで食べてみたが、ボーッとするくらいでたいして気分がいいとは思わなかった。それから1時間後、急に身体が軽くなってきた。


タイの旅7

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バンコクを離れて、久しぶりに1人となりパンガン島へとバスで向かった。
バスの中は快適だが話す人がいなく、どこか寂しい所もあった。夜になってもハードリンに着かない。
自分では、その日にパンガン島に着くのかと思っていたが、ハードリンの港に着いたのは、日が変わって
夜中の4時であった。港には休憩場所があって、そこで船を待つ事となった。バスで一緒だった日本人がいて、バスでは席が決められていたので話せなかったが、日本人は自分ともう1人の男性がいた。年は自分と同じ年で、パンガン島に着いたら一緒に宿探しをしよう。など色々と気が合う人と友達になれた。夜が明けて、船も到着してパンガン島へと向かった。空は真っ青で海は透き通るようなマリンブルー、気分は最高点に達していた。


2014年10月29日

タイの旅6

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バンコクの夜な夜な遊びにも満喫した所で、どこかに移動したくなった。他の2人は、まだ遊び足りないみたいで自分はバックパッカーの島と言われているパンガン島に行く事に決めた。サムイ島など有名な所は嫌だったので、ディープな場所に行きたかった。
パンガン島は、日本人と欧米人が多くいて、ハーフムーン及びフルムーンパーティーが毎夜のように行われているらしいと聞いたので行きたくなった。早速、カオサン通りでチケットを買ってミャンマーのビザを受け取ったら行く予定にした。このまま南下してシンガポール、マレーシアのコースでもよかったのだが、その先がないのでパンガン島に行ったら、またバンコクに戻ってくると2人に告げた。日中35℃近くあるのに、カンボジアからそうだったのだが、シャワーが水しか出て来ない所ばかりに泊まっていて、最初の水を浴びるのはヒヤッとして身体が一瞬凍る思いをする。ほんの一瞬なのだが、それだけが嫌だった。でも汗をかいてシャワーを浴びないと気持ち悪いので仕方なかった。カオサン周辺を毎日歩いていると店や屋台によっては顔見知りになってきて、昼から焼鳥の屋台が出て1本30円だが大きいので、3本も食べるとお腹いっぱいになるので昼になるのが楽しみだった。それと、シンビールを買って宿で食べるのが最高の贅沢であった。宿にいたバックパッカーもチェンマイ、カンボジア、ミャンマー、帰国といなくなっては新顔が入ってくるので情報が新鮮で特に日本から来たばかりの人の情報は面白かった。後進国にいると日本の情報は入りにくい。楽しい時も終わりに近づきミャンマーのビザが発給されて、次の日の早朝にパンガン島へと向かう為にバスへと乗り込んだ。


タイの旅5

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中国から陸路でベトナム、カンボジア、タイと来たが、タイが唯一の休憩場所となった。
他の国と違い自由が多く、ここで旅を終わらせても満足のいく国でもあった。
カオサンに着いてから1週間動く事はなかった。朝起きて、粥を食べに行き、昼には紀伊国屋に行って冷房の効いた所で日本の本を立ち読み。そして、バンコク市内をブラブラして、夜になるとチャオプラヤーやパッポンに行き、アルコールを飲みながら女の子と遊ぶ。日本なら何十万も飛ぶような遊び方をしても、数千円で済んでしまう。毎夜が楽しく、ムエタイの試合を見に行ったりと自由を満喫していた。そろそろ、次の国のミャンマーのビザを取りに行こうと3人でミャンマー大使館へと向かった。ミャンマーのビザを取りに来ているのは、どう見てもバックパッカーばかり。。。中には、欧米人で上半身裸でビザを取りに来ている者までいたが、案の定、セキュリティーに止められて友達が申請を済ませたら、Tシャツを借りて入館して行った。ミャンマーのビザ取得までは3日掛かった。


2014年10月28日

タイの旅4

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カオサン通りの夜は昼とは違う顔を持っていた。夜はなんと言うか活気があり、エネルギーが放出されている感じだった。バンコク都市部全体が活気があるのだが、カオサンの活気は好きだった。カオサン通りはどちらかと言うと欧米向けのカフェが多いが一本裏の通りは日本人向け料理の店が多い。西森さんはカオサン通りに昔旅をした時に通った店があると言い、その店に行ってみた。確かに日本人バックパッカーが多くて女の子も多い。店のメニューは日本語もあるので分かりやすく、西森さんに任せてオーダーしてもらった。炒飯、肉と野菜の炒め物、トムヤムクンなど色々と出てきた。どれも日本人向けの味になっており美味しかった。3人でシェアして食べてるので、1人当たりの料金が200円ほどと安い。それにしてもカオサン通りの裏通りでも賑やかでネオンが多くて、カフェからの音楽が混じり合ってうるさいが、それがタイなのだ。夜ご飯を食べた後にカオサン通りでTシャツを買いに行き値切って3枚買ったが、もちろん旅の最中に着るのである。旅に出るとTシャツは、すぐに真っ黒になる。洗っても落ちない土砂の汚れで途中捨てるしかない。ここまで旅をしていると値切るのが当たり前になり慣れてくる。しかし、夜になっても暑さは変わらず、出店のカットされたパイナップルを買ってウィンドウショッピングを楽しんだ。タトューの店も多くあったり、偽の学生身分証も作れる。旅の思い出に1枚作ってみた。紙に生年月日、国籍、名前、在籍の学校名を記入して写真を撮る。ただそれだけで偽インターナショナルスチューデントカードの出来上がり☆学割のあるような所で使えるが、1回も使わずに終わった。日本人バックパッカーが多く見られるが、まだ旅を始めたばかりの人、かなり旅慣れている人、見た目で分かるようになっていた。


2014年10月27日

タイの旅3

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電車は日中のうちに、ホワランポーン駅に着いた。しかし、カンボジアに比べると湿度が更に高くて暑い。バンコクの暑さは凄かったが車の数や人口の多さから見ると、空気汚染されている感じもした。ホワランポーン駅前は中華街で中国人経営の安宿は多い。電車を使っての移動には便利な所だが、バックパッカーの聖地のカオサン通りを目指しバスに乗り込んだ。通りがかりの人に聞いたが、カオサン通りの近くはどこで降りていいのか分からなくバスも混んでいる。しかし、バンコクの渋滞は昔と変わらないし、東京の渋滞が可愛くみえる。エアコンの付いてないバスは、まさに地獄であり、動き出すと熱風が外から入ってきて、まだマシだが止まってしまうと汗が止まらない。バンコクの地図を見ながら、カオサン通りを指さして隣のタイ人に聞いてみたら、同じ所で降りるみたいなので助かった。駅から1時間以上かけてカオサン通りに着いた。西森さんは、カオサン通りの宿を知っているみたいで、通りまで行けば安宿はすぐに探せると言う。そこは、カオサン通りを抜けた所にあり、部屋は汚いが個室になった分、プライベートな時が過ごせる。チェックインを済ませて、カオサン通りに出た。もう、陽は暮れて夜になっていた。


2014年10月26日

タイの旅2

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アランヤプラテートの国境で1日を過ごした後に、朝早く電車がある事を知ったのでバンコク行きチケットを買い、木製の椅子でバンコクに向かった。カンボジアの未舗装道路と違い、木の椅子でも心地よく凸凹なく進んでくれる。バンコクまでは遠くないので昼には着く、そしてカンボジアより治安が安定しているので夜中に着こうが安心感がある。自分にとって、タイは2回目の訪問になるので特別な感情もなかったので観光地に行こうとは思わなかった。自分の年相当に合う時間の使い方に専念しようと思っていた。と言う事はバンコクは知っているので島に行くしかなかった。ビザ無料のタイでは有効的に一カ月を過ごすのに徹底する事にした。電車から見える外の風景は、どこか懐かしいベトナムの田舎に見えた。もう戻る事のない、ベトナムは今思えば楽しかった。人間は昔を美化するとは聞いたが、確かに直近の過去でも美化するのかと自分に驚いた。


タイの旅1

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カンボジアのポイペトから、タイのアランヤプラテートに入国したら車の車線が左に変わり、カラフルで派手なトュクトュク(バイクの後ろに横並びで3人乗れるタクシー)が沢山待っていた。ドライバーにバス停か駅が近くにないか聞いてみたが歩くには距離があるから、トュクトュクに乗らないか?と言って来たので、ここで乗せてボッタくるつもりか?と思い、歩いて行くといい、バス停の方に向かった。ドライバーは、慌ててトュクトュクを走らせ自分達に近づき、本当に遠いから乗せてあげると言う。半信半疑で乗ってみたが、舗装道路を走るのは気持ちいいし15分も掛かってバスターミナルに着いた。本当に遠かった。ついでに今日中にバンコクに行けるバスがあるか通訳してもらったが、明日の早朝しかないとの事。確かにバス停は大きいターミナルになっているが、バス一台ない。仕方ないのでドライバーに安宿が近くにないか聞いたら宿に連れて行ってくれた。着いた所は、ちょっと高そうなホテルであったが、ドライバーにお金を払わない訳もいかないので、50バーツ(150円)を支払った。ドライバーは国境へと消えて行き、ちょっとした町だから安宿もあるだろう。と町中を歩いていたら、セブンイレブンを発見!懐かしい看板が、まるで入りなさいといわんばかりに光っている☆中に入ると冷房が効いていて涼しく、懐かしのスムージーが売っているではないか。スムージーを買って、外のベンチに座り、休憩していたら斜め前に安宿らしき所を発見。飯店と書いてあるので中国人が経営しているのが伺えるが、中に入ってみたら思った通りに安宿で値段も安く、部屋にはベッドが3つのシャワー、トイレ付き。シャワー、トイレの間仕切りの天井部分がなくて変な作りだが安いのでチェックインをして、またセブンイレブンへと戻った。そうしたら、シェムリアップから一緒だった大学生2人組もセブンイレブンに来て、あれ?どこに泊まるの?と聞いたら、さっきの綺麗なホテルだった。学生は金を持っていると良く聞くが、本当にその通りだ。自分達はセブンイレブンで冷えたビールを飲みながら、その辺の屋台で売っている食べ物を買ったりして宴会を始めてしまい、それがタイの初日となった。治安もよくて夜中は外出禁止ではないので変な縛りから開放されたのかビールが美味しかった。解放された気分から飲み過ぎてしまった自分は、早々に宿へと戻りベッドへと入って行った。


2014年10月24日

カンボジアの旅19

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ノンビリとシェムリァップで過ごして、ほぼ2週間となった。そろそろ、タイへ入国する日が近づいてきた。宿でチケットを売っているので簡単に国境の町のポイペトへは行ける。チケットは、荷台が3ドル、室内が7ドル。ピックアップトラックなので、中か外かの違いだ。料金は安い方がいいので、当然のように荷台を選んだ。出発の朝に宿と別れを告げてピックアップトラックに乗り込んだ。大学生2人組が中へと入った。シェムリアップの街が見えなくなり、田舎に入り出した途端に未舗装の道路に入った。しまった!値段で決めてしまったがカンボジアの悪路を忘れていた!トラックは速度をどんどん上げて行くので、体が宙に浮いたりする。走行中に巻き上げる土砂が目に入る。最悪の移動となってしまった。てっちゃんはグッタリしてきて、自分も体力が取られて行く。中からは、大学生が心配そうに自分達を見ている。そして、太陽が直接当たるので暑くて、風も熱風で何時間耐えなければいけないのか分からないが過酷な移動となった。朝早く出発して、ポイペトにはお昼に着いた。ようやく国境だ、タイ側の町はアランヤプラテート。国境付近は物流が多く活気に満ちていた。ポイペトは未舗装道路だが、橋の向こうのタイは舗装されているのが見える。カンボジアとサヨナラするのは寂しいが、タイに入国出来る方が嬉しく感じた。出国手続きをしてタイに入国したら、タイは日本と同じ左側通行なので、いきなり車線が逆になり不思議な感じがしたが、タイに入った!これで、4カ国目となった!サヨナラ、カンボジア☆かなりディープな国だった。


カンボジアの旅18

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アンコールワットに魅了されて、ちょっと離れた所にバンテアイスレイと言う遺跡がある。そこの遺跡はピンク色をしており、アンコールワットとはちょっと違う魅力的な所と書いてあったのでバイタクの兄ちゃんと交渉して見たがバイクの往復だけなのに、かなり高かった。理由は簡単だった。そこにはポルポト派の残党がいてタイミングが悪く出会ってしまうと殺される可能性が高いとの事だった。遺跡を見るだけなのに命掛けて見る事をするような事ではないので、あっさりと止めた。カンボジアではプノンペンとシェムリァップしか用事がなかったので、余ったビザの残りはシェムリァップで過ごすしかなかった。次はタイに入るが、ビザ代がないので余計な資金が出ていく心配もない。アンコールワットも満喫して、あとはノンビリとロビーで喋ったり、市場に行ったり、街を散歩したりと時間だけはあった。特に飽きもこなく毎日が妙に楽しかった。


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