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2014年10月06日

ベトナムの旅30

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ホーチミンのファングラーオ通りは夜も賑やかで楽しい。治安も悪くなく、屋台やカフェの食べ物も日本人好みである。ファングラーオ通りから5分ほど歩いた所に、大きいレストランがあり繁盛していた。値段も安く、蟹など魚介類もメニューにある。ファングラーオ通り近くのバーに入った時に、日本語が少し出来る店員に教えてもらい、早速行ってみた。出てきた料理は、日本だと1万円はするだろうと思うほどの豪華さ!これで、2千円ほどだと1人あたり700円くらいだ。おまけにビアホイ付き。最高の贅沢な蟹料理、炒飯、牛肉の炒め物、海老のガーリック炒め、玉子スープ、ビアホイだ。どれも量が多いし最高の食事であった。食べ終わった後にバーに戻り、店員にお礼を言って宿に帰ろうとした時に、店員が女の子と話して飲みたいか?と聞いてきた。その話に、自分と西森さんは酔った勢いでキャバクラだと思い、行こう!とシクロに乗った。てっちゃんは宿に戻って手紙を書くと言って宿に戻った。シクロのオジさんは自転車を走らせ、自分達はホーチミンの夜の風が気持ちよく店へと向かった。20分経っても着かなくて苛立ってきた。しかも、街外れに来たので運転手に文句を言ったら、着いたと言う。そこは、ちょっとしたネオン街であったが、運転手は、この店がいいと言うので勧められるままに入ってみた。店に入ると女性店員が10人ほどいて客はいない。奥の部屋に通されると、女性店員が一斉にビールを1ケース、氷を大量に持ってきて、氷にビールを入れ始めた。その瞬間、ここはボッタクリの店と脳裏をよぎったので、西森さんに店を出ようと促した。2人店を出ると女性が騒いでいるので、シクロの運転手に違う店にするか、ファングラーオに帰せと言って、うるさい女性に100円ほど(ビール1本代金)を投げて帰ってきた。シクロの運転手も、知っていたのか自分達が怒っていたので、シクロの料金も100円で言いと言った。当たり前の話だ!バーに入り、店員に酷い所を紹介したな!もう、ここにも来ないと告げると、あっさりと分かりました。と言う。まぁ、グルでやっているような臭いがしたので、二度とバーには行かなかった。


ベトナムの旅29

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ホーチミンシティをブラブラとしてみたが、ハノイのノンビリ感はなくて、都会でありエネルギッシュに感じる。高層ビルも多くて、ホーチミンの方が海外の投資も進んでいるように見える。社会主義なのに、どこか資本主義に見えるところが面白い。ホーチミンは市場が中心となっており、その市場も凄く大きい。これもハノイと比較しても全然規模が違う。市場の中に入ってみたが、自分には不要だが、ホーチミンに住んでいたら、ここで必要な物は、すべて揃うだろう。市場の北東には一流ホテルやオフィス街のビル群が建っている。主要なところを周るのにも1日では足りないので、3日に分けて歩く事にした。最初にやっておくべき事は、カンボジア大使館に行ってビザの申請をする事だったので、その足で大使館へと向かった。綺麗な戸建な大使館で、インターホンを鳴らして、中へと入れてもらう。ビザの申請に、なんと5日間も掛かると言うので驚き!と言うか、5日間も何をしようかと言う感じになった。仕方ないので、5日間はノンビリ過ごすしかなかった。


2014年10月05日

ベトナムの旅28

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ダラットからバスでホーチミンに着いた。途中、キムカフェのバスと出会う時があったが、シンカフェのバスは大型車、キムカフェのバスはワゴンとハノイからホーチミンまでのチケットは、ほとんど同額だがバスには差があった。シンカフェにして良かったと思ったのは、大型バスで動くシンカフェだと空きがすぐに見つけられて椅子を確保出来た。急いでいる時に便利だが、ワゴンのキムカフェだと人数が限られて来るので不便があったと、ホーチミンで出会った日本人旅行者から聞いた。ホーチミンではバックパッカーの聖地、ファングラーオ通りで降ろされた。
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ここでは、夜中になろうと宿に困る事はなし。安宿、カフェと沢山あるからだ。タイのカオサン通りに似ているからだ。カオサンの小さくした感じだが、宿はすぐに見つかった。昼間に到着したのもあるが、客引きが凄かった。バスから降りたら、東南アジア特有の高温多湿の40℃くらいあった。客引きの中で、エアコン完備で安い宿を聞いて決めた。1人3ドルほどの部屋で快適であった。早速、昼ご飯を食べるためにファングラーオ通りに出てみたら、屋台が出ていた。それも、ステーキの屋台!1ドルでステーキとパンが付いている。早速、注文して食べてみたが、かなり美味しい。ベトナムも南下して来るとハノイと違い、値段交渉もなくなってきた。食べ物に関しては値段表示されているので、やはり民主主義に近い教育を受けている所は買い物が楽になる。


ベトナムの旅27

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ダラットの朝は更に肌寒かった。ベトナムとは思えないほど寒い。ホーチミンは近いのに、この寒さは防寒着が必要な寒さなので、バックパックの一番下から引っ張り出して外に出た。街の中心の大きい市場の中を見たり、市場の前には車道が一周出来るようになっており、大きな階段が幅広くあるので階段に座りながら街と車の往来を眺めるには最高だった。バックパッカーが避暑地に来てもする事はなくて、美味しい屋台や土産屋をブラブラするくらいだった。ハノイとサパに長いしてしまったせいか、急いで南下して来た所もあるが、南に行くにつれてベトナムが面白くなくなってきたのも事実。ハノイ、サパ、ホイアンの3箇所がベスト3だったかな。と振り返った。あと残すはホーチミン。これでベトナムは終わってしまうが、自分なりにはダラットまでの道のりで充分だった。ホーチミンにはカンボジアに入る為にビザを取得しないといけないので、それだけの街にすぎなかったが、ダラットに長いしても意味がないので2泊したあとにダラットを後にした。


2014年10月04日

ベトナムの旅26

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不味い炒飯の話で盛り上がりながら、バスはダラットの中心地まで来た。大きい市場がメインになっており、市場を取り巻く形で街が形成されている。バスは市場近くではなくて、提携しているであろう安宿の前に止まった。ダラットの地図を見ながら、市場付近まで歩いてきた。市場の裏にも安宿街があったので、3人部屋を探してみた。何箇所か部屋を見せてもらい、ようやく決めた部屋は3つのシングルベッドとシャワー、トイレ、テレビ付き。今では泊まった宿の中で1番広かった。綺麗な部屋でもあったので決めた理由でもあった。バスを降りた時に感じたが、ダラットは肌寒かった。ニャチャンからダラットへ向かっている時に、標高は高くなってきているのは感じていたが悪い寒さではない。久しぶりに暑くないのも嬉しかった。部屋に入るとバックパックの下から長袖を出して、3人で食事に出掛けた。宿の前にフォーの屋台があったのでフォーを食べた。そうしたら、西森さんがフォビロン(鳥が産まれる前の卵を茹でた物)を見つけて注文した。てっちゃんも経験だからと言って注文した。中身を見せてもらうと、頭や足がはっきり分かる。2人は美味しい!と食べていたが、自分には無理だった。でも、フォビロンは初心者が食べても美味しいと必ず言う。この先にフォビロンを見る機会が増えるかもしれない不安が脳裏をよぎった。


2014年10月03日

ベトナムの旅25

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旅をしている時に1番欲しくなるのが脱水機である。洗濯するのは問題ないのだが、脱水に困るので桶が置いてある宿では、洗濯物を桶に入れて足で踏むと有効的になるが、桶がないとヒネってしまい、Tシャツは伸びてしまう。洗濯ヒモは絶対の必需品で、宿の中には必ず釘や引っ掛ける所があるのでピンと張る。宿に入ったら1番最初に洗濯ヒモを張るのが自分の習慣になってしまった。意外と早い者勝ちのルールもあったり、使ってなかったら勝手に干される。ニャチャンの大雨も終わり、次の日は快晴
ニャチャンの海は一日で飽きたのでフラフラと街中を歩いてみたが、特に見る所もなく屋台でビアホイで乾杯するくらいしかなかった。このままニャチャンにいても面白い事はなさそうなので、カフェでダラット行きのバスを手配した。これに付いてきたのが大親友の西森さんANDてっちゃんだった。あとの2人はホーチミンを目指すとの事だった。ダラットはベトナムの避暑地。日本で言う軽井沢と言う感じだろうか。ニャチャンには次の日の朝に別れを告げてダラットへと向かった。ダラットに向かうバスの中で日本人旅行者2人と友達になった。バスのトイレと食事休憩の時は必ず欧米人が好みそうな作りのレストランで止まる。そこで食事をして手数料をバス会社が貰っている事を知っていたから、なぜかレストランでは食べなかった。バスで友達になった日本人と途中止まった所の裏に中華レストランがあった。作りはボロいが、炒飯を5つ頼んだ。ちょっとしてから、店員がライターを貸して欲しいと言う。なんか怪しい雰囲気になってきたな。と西森さんが言った。飯を出す所で火がないって危なくないか?と笑いながら炒飯を待った。出てきた炒飯の見た目は美味しそうで、匂いも炒飯。やはり炒飯にハズレはない!と確信を持っていたが、その確信は失われる事になる。この炒飯、ストレートに不味い!どういう風に作ったら、こんな不味く作れるんだ?と、みんなで言った。テーブルにある胡椒、塩、醤油で味を整えても、まだ不味いが何とか食べれる味になった。生涯忘れられない炒飯の味となった。今では笑い話になるが、あの時はヒドイ思いで食べきった。南に行くに連れてフランスパン売りもいなくなってきたので、ちょっと寂しくなった。


ベトナムの旅24

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ニャチャンの朝を迎えた。空は青く気温も暑すぎず気持ちいい。早速と海へ向かってみた。
確かに海は綺麗で澄んでいるが、浜辺の幅が細くて、道を通る地元のバイクや車の音が聞こえてきて、バカンスと言う気分にはなれなかった。でも、海が綺麗なので良しとしよう。海でノンビリしていると、外人相手に売っているオバちゃんが自分達の所にきて。なんか面倒臭そうだが、目の前に座られてしまっては無視する訳にもいかないので、バスケットの中を除いてみた。茹でたエビやら貝を入れて売っている。値段を聞いても、日本並に高くて「いらない」と一蹴りしたが、しつこく売ってくる。最後は、10分1の値段になった。最初から、その値段で売っているなら買ってあげたのだが、ボッタクリにもほどがあった。さすがに買わないと分かったのか、オバちゃんはどこかへと消えていった。ニャチャンのビーチで昼ごろまでいたが、お腹が空いてきた。宿の方へ戻る時に、屋台が出ていた。なんと、ビアホイとツマミを出している屋台であった。値段の交渉もうまくいき、昼間から乾杯して昼食にした。いい感じで酔っ払ってきたと思ったら、いきなりのスコール。慌てて、お金を払い宿へと戻った。屋上のプレハブでは、強烈な雨も音が屋根に響く。部屋の中ではする事もないので、本を読んだり、寝たりして過ごした。雨は中々収まらずに「これって、スコールじゃなくて台風?」と言う者まで出てきた。確かに、スコールだとすぐに収まるのだが、異常に長い。テレビもないので、1階のレストランへと行ってみた。宿に泊まっている人もする事がないので、レストランは大繁盛。椅子に座り、とりあえずビールを注文。レストランで見たテレビでは、雨雲が停滞しているように見えるが、ベトナム語は分からない。今日は、ゆっくりと洗濯でもして過ごすしかなかった。


2014年10月02日

ベトナムの旅23

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ニャチャンはベトナムではリゾート地である。アメリカのハワイ、日本の沖縄みたいな所である。ホイアンからニャチャンまでは、そんなに苦ではなかった。あっという間に着いてが夕方だったので、急いで宿を探した。バスターミナルの近くに『おしん』と言う名前の安宿があった。日本のおしんを見て感動して名前を付けたらしいが満室だった。ちょっと高めのホテルに行って見たら値段が高いが、フロントの人が屋上なら安いですよ!と言ってくれた。屋上は5人部屋のプレハブ小屋だった。ホイアンで原チャリの日本人と、その友達もいて、ちょうど5人になる。1人あたり2ドルで泊まれる。シャワー、トイレはプレハブから出ないといけないが修学旅行みたいでプレハブなのに綺麗だった☆居心地も良くて、とりあえず寝床は確保。お腹が空いたので、ホテルの1階にあるレストランへ行ってみたが値段は安い。ビールとプレートを頼んで、5人で食事をした。人数が多いと楽しいもんだけど、シャワーの取り合いになってしまう。何せシャワーは1ブースしかなかった。明日はビーチリゾートのニャチャンを満喫するぞ!と意気込んで、その夜はふけていった。


ベトナムの旅22

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ホイアンの朝一に出掛けてみた。新鮮な魚がいるのだが、ハエが集っていて美味しそうに見えない。雑貨などは面白い物が売っていたが、旅の移動で壊れたりして邪魔になるので見ているだけにした。朝一の近くのレストランで食事をしたのだが、お粥を出している所で味が凄く美味しかった。ベトナムで美味しいお粥があるなら、もっと早く知りたかったくらいだ。明日の朝にバスでニャチャンへと移動するのを決めていたので、すごく残念な思いをした。ニセピザを食べている場合ではなかった。ホイアンの見どころもなくなったので、昼間から荷造り。自分は基本的に、下着やバスタオルなどを1番上に入れるのでバッグの底の防寒着などを出す事はない。荷造りは簡単に終わってしまう。あとは近所の仲良くなった人達とのお別れを言いに周った。先にホイアンに着いていた日本人の彼は途中から日本人の友達が出来たみたいで会わなくなってしまった。小さい街は、ゆっくり出来て楽しい。大都市は地理が分からないと迷子になってばかりで大変と言うのがある。ホイアンの魅力を充分に堪能してニャチャンへと向かうバスへ乗り込んだ。


2014年10月01日

ベトナムの旅21

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ホイアンの朝が来た。昨夜にシャワーを浴びてなかったので、朝シャン(笑)
今日は3人で原チャリを借りて、ホイアン郊外にある遺跡を見る事にしてみた。自分は原チャリを乗るのは、ほとんど素人。宿の隣でレンタルバイクがあったので1日借りてみた。最初はノロノロ運転で走っていたが、10分もするとハイスピードて走行。風が気持ちいい☆しかし、西森さんからヘルメットなしで飛ばすと危険だから、ゆっくり行こうと言われ、気持ちよくツーリング!遺跡までは片道45分ほど。遺跡自体はたいした事はないが、原チャリに乗るのが楽しかった。遺跡近くになると、未舗装道路に変わってくる。遺跡の見学が終わった帰りに未舗装道路で後ろタイヤに違和感が。。。パンクしていた。遺跡近くの小さい村でパンクを直してもらったが、釘が刺さっていた。恐らく外人がバイクで来るのが主流の遺跡なので、そこら辺に釘をばら撒いているのだろう。そのトラップに引っかかってしまった!日本円で500円もした。釘も見せてくれたが、ここで生きていく人達の収入源として割り切るしかない。いい人もいれば悪い人もいる。原チャリのレンタル代よりも高いが仕方なく払い、ぶっ飛ばしてレンタルバイク屋に帰った。風を切ってバイクに乗るのは楽しかった。夜は、異次元のピザを売っているカフェに行って食事をした。


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