2014年10月09日
カンボジアの旅4
夕刻に宿へ戻り、マーケットで買った物を部屋に置いてバイクタクシーに乗って70thストリートへと向かった。バイクタクシーには英語使いもいて大きい橋が右手に見えてきた。それは日本のODAで造られた橋であり、英語でジャパニーズブリッジと呼ばれていると話してくれた。その橋を渡らずに左に入ると置屋街へと入っていく。ピンクのネオンが広がっており、化粧をした女性が異常なほどいる。各店によって人数は異なるが、この異様な光景と女性の多さにはビックリさせられた。他の2人はどこかへ消えてしまい、自分も適当な店を選ぶが言葉が通じないのでバイタクの兄ちゃんにどこがいいのか聞いて入ってみた。店先で店主と交渉。とりあえず、初めての経験なので3ドルで店内に入る事にした。まずは女の子を選ぶと個室に入れられた。可愛いが、そういう気分にならないが女の子は服を脱ぎ始めた。裸体の細さに栄養失調なのだと分かりやすいが、どうも気が進まないので手話で話し始めてみた。その子も性行為がないと分かったのか、ベッドに横になり話し始めた。全部が理解出来たか分からないが、どうやらベトナムから連れて来られたらしい。まさに人身売買で来た感じを受けた。その時、置屋のドアとシャッターの閉まる音が聞こえた。もしかしたら、自分は閉じ込められたのかも!と部屋を飛び出したら、バイタクの兄ちゃんもバイクを店に入れて店内にいた。どうやら、軍隊が来たので店を閉めたとの事。軍人は無料とノートに書いてあったが、店側は抵抗出来ないから無料になる訳だ。小窓からストリートが見えたが、店を閉めるのが一瞬遅れた置屋が狙われて数名の軍人が入っていった。なんと非情な所なんだ。軍隊が引き揚げて行ったあとに、自分はバイタクの兄ちゃんと宿へと帰った。プノンペンに来て色んな意味で熱い所だとつくづく感じた。自分が帰ってきたあとに続いて他の2人も宿へ帰ってきた。
カンボジアの旅3
キャピトルホテルの1階で食事をしていると、旅行ノートが置いてあった。
日本人旅行者が好きな事や情報を書けるノートである。それを読んでいた西森さんが、70thストリートって
ところに置屋街があるみたいだよ!と興奮して言ってきた。置屋って知らなかったので聞いてみると、
ソープランドだよって教えてくれて、行こうよ!と誘ってきました。てっちゃんも行きたいみたいで、じゃあ夕方にでも行ってみようとなり、外国人料金3ドル・現地人1ドル・軍人無料とノートに書いてあった。
軍人無料?しかも、値切れば1〜2ドルにもなる。とノートに情報を書いた人は、相当通い詰めたんだろうと感じた。時間は、まだ朝なのでマーケットに行ってみようと、歩いて20分くらいの所なので散歩がてら行く事にした。
マーケットはドーム型になっており、中も意外と広く色んな雑貨から貴金属まで売っており、自分のTシャツがヨレヨレに
なってきたので半ズボンとTシャツを購入。カンボジアの人は、ぼったくるイメージが強かったのだが、
何故か激安価格で金額を提示してきたので、ちょっと値切ってみたところ、すぐにOKとの事。ほとんどタダに近い値段で買う事ができた。貴金属のショーケースを除くと店員さんが暇なのか、すぐに声を掛けてきて、
見ているだけと英語で伝えても分かってもらえないので、早々とマーケットから出て行く事にした。
マーケット周辺には冷たいドリンクや食事も出来る屋台が至る所にあり、100%ジュースを飲んで休憩。
カンボジアの最高気温は、35℃まで上がるのが普通で高温多湿の為、タオルを常時持参しないと汗ダラダラに
なる状況。昼食は、マーケット近くに見つけた中華レストランで取る事にして入ってみたら、メニューには中国語で書かれていて店員さんも全部中国語で話している。クメール語が話せないみたいで、簡単な中国語で注文したら、店員にビックリされ、炒飯と餃子を注文したが味は中々良かったので、何回か通う事になる。
マーケット周辺でブラブラしていると、いつの間にか夕方になっており、宿へ一回戻ろうと歩いていた時に、
現地の兄ちゃんから女の子は要らないか?と英語で言われ、建物の奥へ興味本位で入ってみると、50人近くの
女の子達が座っているではないか!3ドルでいいよ!と言われたが、ちょっと怖くなったので、また来ると言って、その場から逃げるように宿へ戻った。
カンボジアの旅2
プノンペンのメインストリートがモニボン通りと言う。
安宿は、この目貫通りにある有名な安宿の「キャピトル・ホテル」に泊まった。1泊2ドルと安く泊まれる事が出来た。ホーチミンとは全く違う世界であり、さらに貧困差が一目で分かる。未だ内戦の爪痕を感じさせるように、足がない人が多く見受けられた。おそらく、地雷や虐殺にあった人達であろう。地面を這いつくばって空き缶を持って、外人の集まる「キャピトル・ホテル」に来る。今日生きられるかどうかのような人達が多い。可哀そうになるが、1人にお金をあげてしまうと違う人もたかって来るので無視するしかない。交通ルールもあってないようなものであり、車が自転車・オートバイを引いたりぶつけても車両価格が高い方が勝ちとなる。日本とは全く逆の事である。ぶつけられたオートバイなんかは泣き寝入りするしかない。ちょっと道をショートカットしようとすると軍人が銃を持って監視している。その軍人がたかりの軍人なのか、守ってくれる軍人なのかは分からない。何回か遭遇したが、お金をたかって来る軍人でなかったのは幸いだった。
夜になるとモニボンの大きいストリートでさえ、誰もいなくなる。地元のギャングや、軍人、警察などが銃で撃ちあっているとの事であった。夜中に銃の乾いた音が町中に響きわたる。宿の方も安全の為に鉄格子で閉めてしまう。これが、当時のプノンペンの状況でもあった。朝は、氷をノコギリで切る音で目覚める。まだ、冷蔵庫が普及していないせいか、氷を入れて保存するのが主流であり、昔の日本みたいにタイムスリップした感じになる。食事は宿の1階にレストランがあり、そこがメインになるが、ちょっと足を伸ばせば中華料理もたくさんある。支払は1ドル以下の物に関しては、リエルだが1ドル以上になるとアメリカドルの支払いが多い。
これは、自国の通貨(リエル)の信用がないので仕方ない。旅に行く時には、1ドル札を沢山持っていくのが正解である。アメリカに住んでいた時のドル紙幣とカンボジアのドル紙幣は色が、ちょっと違った。それは、紙幣の色が茶色に変色していた。色んな人が使っているせいか色褪せたりして変色していたのだ。