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2015年06月15日

インドの旅108

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次の日の朝、猛烈な暑さで目が覚めた。北インドに行くにつれて確実に暑くなってきている。カルカッタから南インドに移動した時は気温が下がったのだが、今度は逆だった。宿の屋上の部屋に泊まっているのでメヘラーンガル城が目の前に見えるのは絶景だった。朝食を食べようと1階に降りたら、店主が「朝食を食べていきなさい。」とパン、バナナとヨーグルトを出してくれた。この宿は食事付きではなかったのだが、誰も泊まってないので朝・夕と食べさせてくれるみたいで有難かった。朝食を済ませて、路地を入った所に小さい市場があって、そこにサモサを揚げているオジサンが汗ビッショリになって仕事をしていた。それを見た自分に、1個買わないか?と言ったきたので、揚げたてのサモサを買って食べてみた。今までのインドを旅してきた中で一番美味しいサモサだった。宿の近くに、ちょっとした店が他にもあったので、食べ物には全く困らない場所だなと思い嬉しかった。しかし、この暑さはブッタガヤに行った時の暑さに匹敵するほどだった。メヘラーンガル城を目指して歩き出したのだが、ちょっと進んではジュースを買ったりして効率が悪い。宿の場所の書いた名刺を持っていたので、特に迷子にならないだろうとメヘラーンガル城に近づいていったのだが、かなり険しい道もあり、すでにクタクタになってしまっていた。ここまで来たからには、メヘラーンガル城の中を見て帰らないと勿体ない!頑張って歩いていると家の前で女性が、ボディーペイントをしないか?と話掛けてきた。インドで女性から話し掛けられたのって、乞食からお金をせびられたくらいしかない。ボディーペイント?と思い、ボディーペイントの写真を載せた本を見せられて「なるほどねー。これか!」と思ったが気が進まない。こんなんで金を払っても仕方ないと思っていたが、そこにいる子供達が家の中に入って欲しいと言うので入ってしまった。女性は金額は自分で決めていいからと言うのだが、100ルピー以上は払えないと話すと、それでもいいと言うので左腕にペイントをお願いする事にしてベッドに横になり、泥をチューブにした物でペイントを始めた。女性に腕を触られるのも不思議な感じがしたが、泥がヒンヤリしていて気持ちが良い。20分ほど掛かっただろうか。腕を見て見ると、良くタトゥーである模様で、それが泥の色になっているだけだったがカッコいい!女性はチャイを御馳走してくれて、100ルピーを払って家を出た。メヘラーンガル城は、もうそこだ!一息ついたせいか疲れは取れていて、メヘラーンガル城を目指し歩きだした。


2015年06月12日

インドの旅107

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アーメダバードをあとにして、次なる街のジョードプルに移動する事となった。ガイドブックに載っていた城の写真を見て、行こうと思いついた簡単な理由だったのだが不思議と大きい期待があった。ジョードプルに向かうにつれて砂漠みたいな所が点在してきていて、パキスタンが近づいているのが地図を見て分かった。電車の中はシーク教徒の人も見え始めてきており、頭に布を巻き付けて、頭の倍以上はあるであろうかってほどの大きさでターバンを付けている。ここに来て初めてシーク教徒の人を見たが、ヒンズー教と何が違うのか宗教オンチの自分には全く分からなかった。ジョードプルには昼近くに着く予定だったが昼を過ぎても着かなかったが、突然あの写真で見た城が見えた。見た瞬間に、こんな凄い城を良く造れたな!と思った。それは、アンコールワットを見た時の感動と同じ気持ちになった。来て良かった!この先の将来に来る事は出来ないであろう、この土地に若いうちに訪れて良かったと心の中で思った。電車は駅に着き、街中へはオートリキシャで移動する事にして、オートリキシャの運転手に安宿を紹介してもらった。オートリキシャに乗ったのには無料で安宿まで行ってくれる。と運転手が言ったからだった。安宿に連れていけば、その宿からリベートが貰えるので移動費が無料になると言う仕組みだった。城(メヘラーンガル城砦)の周りは青くペイントされた建物で溢れ返ってして、ブルーシティーと呼ばれている。細い路地がクモの巣のように張り巡らされており、オートリキシャ1台がようやく通れる道が沢山ある。どこを走っているのか分からなかったが、宿の前で降ろされた。気に入らなければ違う宿を紹介してくれると言っていたが、屋上のダブルベッドの部屋に通され、意外と綺麗だったので、そこに決めた。気になった点は、他に旅行者が泊まっていなかったのと、店主がターバンを巻いたシーク教徒だった事だ。頭からシーク教徒が怖いとは言えないが、変な事件に巻き込まれないか心配だった。チェックインをするなり店主の家族を紹介してくれて食事まで出してくれて、優しい人達で心配は一気に抜けた。外では店主とオートリキシャの値段の折り合いがついていないみたいで口論になっていたが自分には関係のない話だったので、奥の家族が住んでいるリビングでナンのサンドイッチみたいな物を食べていた。ようやく店主が戻ってきて「あの運転手はお金に汚い。」と話していた。もうすぐ夕方になるので、食事が終わったあとに迷子にならない程度の近い場所を歩く事にした。意外と外人が少ないみたいで、子供達なんかは声を掛けてきてくれる。それは、今までインドを旅した時に話掛けられた子供からのお金をせびってくるのとは違って、純粋に外人が珍しいので話を掛けてくる感じだった。裏路地でサッカーをしていた子供達で、自分もサッカーしないか?と言われたので一緒に遊ぶ事にしたが、狭いから歩いて5分位の所に移動しようとなり、ちょっとした広場でサッカーをする事になった。久しぶりに動いたせいか体力が子供達に追いつかないが楽しく遊ばせてもらった。街灯も点灯してきたので帰ろうとなったのだが、自分の宿が分からなくなってしまっていた。5分程度しか離れてないはずなのに、宿の場所も変わらず困っていた所に子供のお父さんが現れた。子供が事情をお父さんに説明してくれて、お父さんが子供に元の道まで案内してあげなさいと話しているみたいで、その子は自分が子供達と出会った場所まで案内してくれた。ここまで来れば、宿は分かったのだが子供は宿までついてきてくれた。さすがに悪いと思った自分は、10ルピーを子供に手渡したが、子供はそれを拒否した。何ともすたれてない子供なのか!と感心し、また明日も遊ぼうと約束をして別れた。その夜は、満月で空の光がメヘラーンガル城砦を綺麗に照らしていた。


2015年06月11日

インドの旅106

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次の朝、デニスの実家に行こうと思って住所の書いた紙を持って外に出掛けたが、デニスが居ないのに知らない日本人がお邪魔していいものなのか?と自分の中で葛藤していた。昨日歩いた道をトボトボと歩いていたが、やはり厚かましい事は出来ないと思い、街の中心街で行くのを止める事にした。デニスには悪いと思ったが、やはり行きにくい。中心街の中華レストランに入って炒飯を頼んでみたが、久々の中華レストランでの食事だったので炒飯がやたら美味しく感じる。付いてきた玉子スープも中々の味で、やっとカレーから離れられた感じだった。アーメダバードでデニスの家に行く事を断念した以上は、ここに居ても意味がないのでアーメダバードを離れる事にした。やっと土地勘が出てきたのに、さっさと出て行くのも何だったが特にする事もなかったので、一旦宿に戻って、次の街を探していたら「ジョードプル」と言う所が目に入った。山を削って出来たような城があり、遺跡に近いような感じだ。ジャイプルも寄って行こうかな。と思ったが、このジョードプルに何故か魅力を感じたので、早速駅に行ってジョードプル行きのチケットを購入する事にした。あっさりと明日出発のチケットが買えたので、宿に戻るなりフロントで明日チェックアウトする旨を伝えて、最後のアーメダバードを楽しむ事にしたが、特別する事もなかったので近くを散歩して終わった。デニスには本当に申し訳なかったが、また再会出来る事を祈ってアーメダバードを去る事となった。


2015年06月10日

インドの旅105

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歩けど歩けど暑くなってきており、道行く人に駅を聞いてもなぜかバラバラの答えをするインド人。駅が、その辺に沢山あるのか?と思うほどであったが、リキシャに聞けば「乗れば教えてやる。」と、頭にくる事ばかりで、こっちも意地になって乗り物など乗るか!と歩き続けた。大通りを歩いていると道が渋滞しだし、歩行者の道は狭くなっていった。バテバテになっていた時に、後ろから「ガツッ!」とオートリキシャのミラーに右腕が当たった!イタッ!と大声を出してしまったが、運転手は何食わない顔をしているので「ふざけんじゃねー。」と英語で一番汚い言葉を発してしまったが、運転手は謝ろうともしない。引きずり降ろしてやろうか!と乗り込んでやったら、運転手も怯んだ様子で「近くまでなら乗せてあげるから許してくれ。」と言いだした。この辺で観光スポットがないか、そこまで乗せてくれ!と言ったら、近くにあるから乗せて行ってくれると言うので、これはラッキーだと思い、手に当たった時は痛く感じたけど、その瞬間だけだったので無料で乗せてくれるなら毎日当ててくれ!って感じだった。着いた所は、住宅街の中で「本当に観光スポットがあるのか?」と言う所だった。近所の子供達が遊んでいて、この周辺はどう見ても治安の良さそうな所ではなかった。何でも「ダーダハリ階段井戸」と言うらしく、結構アーメダバードでは有名みたいでリキシャから降りて見学する事にした。地下へと続く階段を降りて行くと欧米人観光客が数名いたので、本当に観光名所なんだなー。と思った。結構、奥深くまで掘ってあって何時造ったのか分からないが、遺跡のようにも見えた。夕方になってきていたので、段々と暗くなってきたので地下にいるのは危険だと感じて入口まで戻ってきた。入口には、さきほどのオートリキシャの運転手が待っていて、ホテルに帰るなら乗っていきな!と、また無料で乗せてもらえる事になった。さすがにそれは悪いと思ったので駅まで50ルピーは払うと説明したが、外人に交通事故をさせてしまって警察に言われたら何されるか分からないと思っていたのだろうか。見た事のある駅に着いたので、運転手に「ここで降ろしてくれ。」と告げて、無料で帰ってきてしまった。こんな日もあるんだなー。と思いながら、宿の近くのレストランでタンドリーチキンカレーを食べたが、さすがにカレーには飽きてしまい、このアーメダバードがカレーを食べるのが最後となった。


2015年06月09日

インドの旅104

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早朝にアーメダバードに到着したが、どこか似たような光景な街であった。それは、カルカッタを小さくしたような感じで「これこそがインド!」って感じだった。街中はリキシャ・車・オートバイでごった返している。はっきり言うと汚い街だった。早速、安宿を探す事にしたのだが情報がないので駅前で安宿を探す事となった。宿は何軒か回ってみて部屋も見せてもらったが、安いだけあって小奇麗な部屋は見つからなかったので、その中で一番よさそうな所に決めた。結構、電車の中で寝たせいか疲れはなかったので、早速中心街へ行く事にしたが、どこが中心街なのか分からなかったので、フロントで聞いてみて迷子になった時に使う為に宿の名刺をもらって出掛けた。外に出るなり、リキシャのオヤジ達が客引きをしてくる。久々にインドらしい所に来たなー。って感じだった。客引きや物乞いなどのインド人を無視して歩き出す事、30分ほどで中心地らしき所に出てきた。クモの巣状になっている道が、入りくんでいて間違いなく迷子になるだろうと感じるほど複雑な街の構造だった。暑さもムンバイより暑くて湿度も高く喉がやたらと渇く。さすがに、この暑さではマドラスで脱水症状になった時を思い出すので水分補給は所々でするしかなかった。果物が置いてある店先で、冷たい100%ジュースを飲んだ時は生き返るほどの美味しかった。結構、奥深くまで入り込んだのだが大きい橋が見えてきたので、そこから引き返す事にしたが、その時には迷子になっていた。


2015年06月08日

インドの旅103

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翌朝、4人で朝食を食べて、いつも通りにデニスを送った後に部屋に戻った。バックを片づけながら、部屋が一緒のフランス人と時間まで話ていた。この宿には1週間近くお世話になり、ほとんど日本語を話す機会がなかったが凄く満足と充実した街であった。デニスの故郷の住所が書いた紙をパスポートに挟んで準備は整った。昼前に部屋をチェックアウトして、フランス人に別れを告げてタージマハールホテルに向かった。フロントにはデニスの姿が見え、デニスも自分を見ていた。手で「さようなら。」と告げ、デニスも顔でうなずくような仕草をしていた。ホテルを出てあと駅まで歩いて行く事にしたが、とても寂しくて足取りは重かった。駅ではミネラルウォーターとバナナを買って電車を待っていた。次に行く「アーメダバード」と言う街の情報がガイドブックでは余りなかったので、とりあえず行けば何とかなるさ!と思い、自分の電車が来たので乗車した。電車はムンバイからの出発だったので定刻通りに走り出した。この駅に着いた時は土砂降りの雨だったが、出る時は晴々していた。また、1人になってしまったが、これが自分の旅だと思い、電車は田舎道を走りアーメダバードへと向かっていた。


2015年06月05日

インドの旅102

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数日、ムンバイで同じような日が過ぎて行き、特にやる事もなくなったので次を目指す事にした。このまま一気にデリーに向かっても良かったのだが、デニスが是非「アーメダバード」に寄って親に会って欲しいと言うので、駅でアーメダバード行きのチケットを購入した。デニスにもチケットを見せて、明日の夕方にムンバイを出る旨を伝えた。デニスとの別れは、この旅の中でもかなり辛かったが遅かれ早かれ、この日はいつか来るので仕方ない。デニスには、日本で買った腕時計を綺麗に拭いてあげる事にした。同じ時を刻んで生きている事の証として持っていて欲しいと告げた。日本に帰ったら、また買えるのでデニスにあげた方が時計も喜ぶだろうと思ったからだ。デニスは日本製の時計は高価すぎるから自分で持っていなよと言っていたが、自分の気持ちが収まらないので、受け取らないなら捨てて帰国する。と言って、半ば強制的にあげた形となったが、デニスが腕時計を付けてみたら大事そうに、そして嬉しそうに時計を眺めていた。その姿を見て自分も嬉しくなった。デニスは大事にして、トレーニングしていたハンドグリップをあげると言いだした。さすがに毎日トレーニングしている大事な物をもらう訳にはいかなかったが、友情の印だと言われてしまったので、ありがたく貰う事にした。インドにいる間も日本に帰ってからも大事にする事にした。その夜、いつものレストランではなく、ちょっと高そうなレストランに入って最後の晩餐となった。明日の朝食を食べたら、バックを片づけてタージマハールホテルのフロントで話す事が出来ないが通って無言の挨拶をして終わりだ。この別れは、ミャンマーまで一緒だった、てっちゃんと西森さんの別れほど辛かった。デニスありがとう!


2015年06月04日

インドの旅101

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宿に戻ると、かなり歩いたせいか疲れがドッと出てきた。欧米人は出掛けているようで、デニスが一人部屋にいた。相変わらずトレーニングをして筋肉を鍛えていた。どこに行って来たのか聞かれて、良く分からないが迷ってスラム街の入口まで行ってしまった。と話したら、無事に帰って来れたから良かったけど一歩間違えたら命が危ないと警告されてしまった。インド人の彼が言うくらいだから相当危ないんだろうと、その時危険な事をしたな。と実感した。お腹も空いた事だし、食事に行こうと誘ってくれたので、昨夜行ったレストランに行く事にした。メニューを見るとフライドライスがあったので、炒飯美味しいかな?と半信半疑で注文してみた。デニスはカレーを注文。デニスにカレーって飽きない?と聞いてみたが、カレーばかり食べているから飽きないと返答された。ネパールでも宿の人にカレーと餃子ばかり毎日食べて飽きないか?と聞いたが全く同じ返答だったのを思い出した。出てきた炒飯は、中華の炒飯とは異なる物だったが、カレー味の炒飯だった。一口食べて見たが、ハマってしまうほど美味しくて、このレストランは何を頼んでもハズレがない事が分かった。帰りにタージマハールホテルを通って帰ろうと、ちょっと大回りして宿へと帰った。帰ったらフランス人が戻っていて、きっと自分達が行っているレストランは口に合うよ!と教えてあげて簡単な地図を書いて渡してあげたら、早速彼らも夕食を食べに行ってしまった。


2015年06月03日

インドの旅100

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スラム街の入口から抜け出し、あの女性達も見えなくなったので、どこか適当な場所で昼食を取る事にした。あとで知った事なのだが、女性が子供を抱いてお金をせびるのは子供を商品として借りてくる事が多いらしく母子を見て可哀想に思った人がお金をあげてしまうとの話を聞いた。子供をレンタルしてくるなんて良く考えた事だが、そこまでしないと食べていけない人達がいると言う現実を突き付けられた出来事でもあった。15分ほど歩いた所に、ちょっと小奇麗なレストランがあったので入ってみたらクーラーがガンガン効いていて涼しい。客らしき人は見かけられなかったが、メニューを見てカレーを注文してみた。店は暇らしく店の人が日本人か?と聞いてきたので話をする事になった。先ほどのスラム街の話をしたら、あそこのスラム街は夜になると危険だから近づかないほうがいいと教えてくれたが、今自分がどこにいるのか全く分からないので二度と行く事はないだろう。と返答した。店の人は、日本に行った事があるらしく上手いとは言えない日本語と英語を混ぜて話をした。カレーが運ばれてきて食べ始めたのだが、味は結構美味しくてナンをカレーに浸けて食べていたが、店の人のトークは終わらなく、こっちは食べているのもお構いなしに話を続けてきた。日本には観光で行ったらしく、親戚が東京に住んでいて、そこに泊まっていたらしく、また日本に行きたいと話をしていた。彼は相当に日本が好きになったらしくて、将来は日本人と結婚したいような話までしてきた。自分は食事も終わったので、将来に日本のどこかで会えたらいいね!と言って代金を支払った。帰りの道を聞いて、歩いて帰る事にした。帰り際にマリンドライブと言う名所が近かったので寄ってみた。


2015年06月02日

インドの旅99

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次の日、朝食を4人で食べに行った。昨夜、4人で話が盛り上がった事で仲良くなっていた。デニスは朝食を取ると仕事へと向かった。目の前のホテルだが、みんなで見送って3人で部屋へと戻った。欧米人の2人は、また寝ると睡眠不足だったらしくベッドへ行ってしまった。さて、自分は何をしようかと考えたが、する事もないので市場でも行ってみようと出掛ける事にした。デニスのホテルの中を通って、彼が気付いた所で何も言わずにロビーを出て行く。昨日と同じ光景だった。地図を見た限りでは市場は、こっちかな?と迷いながら歩く事にした。どうせ迷っても帰りはタクシーやリキシャで帰ってくればいいんだと思い、自分の勘を頼りにして歩いていた。近代的なビルが遠くに見えたりして、このムンバイは歩くには広すぎると思ったが、いい運動にもなった。昼前に市場に着いたのだが、この市場は香辛料がメインの市場で、物を売っている所ではなかった。口に入れる物ばかりだったが、意外と見ていて楽しい。臭いがキツイ所もあり、結局は臭いに負けて市場を出る事になった。フラフラと歩いて、地図を見なくなった頃には自分はどこにいるのか分からなくなったが、誰でも知っているインド門を聞けば、おおよその場所は分かるので心配はなかった。そろそろお腹も空いてきたのでレストランでも探すかと歩いていたら、ヤシの実を売っている所を発見!ちょうど喉も渇いていたので、ヤシの実を割ってもらいストローを刺して飲んでみた。アジアを旅してヤシの実を見かける事は多かったが、実際には初めて飲んだのだった。味は薄くて美味しくなかったが、喉が乾いていたので喉は潤った。路上販売していたヤシの実売りのオジサンが、あと10個を買わないといけないかもね。と話してきた。良く分からないが後ろを振り返ったら、女性が5人いて、みんな小さい子供を1人づつ抱えている。手を出してきて金をくれ!と言っているようだ。身なりは汚くて、カーストの一番下だろうか。周りを見ると自分はスラムの入口にいたのだった。飲み終わったヤシの実を1人の女性にあげて、自分はその場を後にした。


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15年前のアジア放浪記をまとめております。 世界は広いです。一歩踏み出せば、そこは日本では通じない モラルが待っています。
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