2019年02月06日
偽りの責務と使命感
いつしか毎朝仏前でお経を唱えるようになった自分がいる
いつしか毎朝遺影の前で手を合わせている自分がいる
いつしか毎週(週2〜3)のようにお墓に通う自分がいる
そのどれもが何かに駆られて始まっている
その何かはハッキリしない
なんとなくわかるようでわからない
理解不能
しかしその自分の行動の奥底にあるのは罪悪感であったり
後悔心や後ろめたさであったり・・・が作用しているのだと感じる
病中、病前・・・生前の全てにおいて
両親にしてあげられたことは何だったのだろうか
何もしてあげられなかった、何かが足りなかった、
色々な感情がざわめきたつ中
やっとたどり着いたのが
きっと冒頭で述べた習慣なのだと感じる
それはいつしか使命感のような責務
責務のような使命感なのだと思う
それを続けることで自分を落ち着かせている
自分自身を慰めているかのように・・・
例えるなら
教会へ通い続ける信者のように
毎日毎日懺悔の気持ちを抱えながら祈る日々
両親の供養の為だと自分自身に言い聞かせながら
後ろめたい自分の心が少しでも楽になるように・・・と
そんな気持ちが心の奥底にあるのかと思うと
悲しくてやるせない
それでもそれを続けることを止めない
止める理由も見当たらない
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いつしか毎朝遺影の前で手を合わせている自分がいる
いつしか毎週(週2〜3)のようにお墓に通う自分がいる
そのどれもが何かに駆られて始まっている
その何かはハッキリしない
なんとなくわかるようでわからない
理解不能
しかしその自分の行動の奥底にあるのは罪悪感であったり
後悔心や後ろめたさであったり・・・が作用しているのだと感じる
病中、病前・・・生前の全てにおいて
両親にしてあげられたことは何だったのだろうか
何もしてあげられなかった、何かが足りなかった、
色々な感情がざわめきたつ中
やっとたどり着いたのが
きっと冒頭で述べた習慣なのだと感じる
それはいつしか使命感のような責務
責務のような使命感なのだと思う
それを続けることで自分を落ち着かせている
自分自身を慰めているかのように・・・
例えるなら
教会へ通い続ける信者のように
毎日毎日懺悔の気持ちを抱えながら祈る日々
両親の供養の為だと自分自身に言い聞かせながら
後ろめたい自分の心が少しでも楽になるように・・・と
そんな気持ちが心の奥底にあるのかと思うと
悲しくてやるせない
それでもそれを続けることを止めない
止める理由も見当たらない
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