2017年04月07日
あの日、あの時の母
あの日
私が思い浮かべるあの日の母・・・とは・・・
約42年間の母の記憶すべてである。
が、しかし・・・今現在の私が思い浮かべる
あの日の母は、幾分限られている。
それは同時に、未だに母の他界の悲しみが
やや強めに残っているという証拠でもある・・・と感じる。
悲しい想い出よりも、楽しかった日の想い出の方が
母の供養という観点からみても良いと考える。
しかし、記憶は残酷なもので
新しい記憶や衝撃的な記憶と言うものは
想い出すことが容易だ。
母が倒れた日の記憶・・・
それは、その日に母と接した出勤前の母の思い出。
母が救急車で搬送される直前から一緒に付き添った思い出。
その日の病院での出来事。
それが自分の想い出として残っている。
その想い出には、後から知った情報が付け足されている。
母がその日の出勤途中で薬局によって処方箋を出したこと。
仕事帰りにその薬局で薬を受け取る予定だったこと。
仕事場では、発言がおかしかったこと。
意味不明な言動があったことや、
仕事の進み具合が明らかに遅かったこと、
いつも帰る時間になっても帰らず、
眠いからと言って寝続けていたこと。
デイサービスに通っていた父が帰宅した時、
母の代わりに私の妻と子供たちと
駆け付けた姉が迎えてくれたこと。
母が具合が悪いことを知らされた父が
号泣したこと。
母のいない部屋で入院準備してくれた姉が
終始泣いていたこと。
この記憶と想い出の中には笑顔が出る要素は一つもない。
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あの時
あの日も、あの時も同じだろうと言われそうだ・・・。
自分でもそう思う。
あの時・・・と考えると、
日にちは関係なく、ピンポイントの記憶が浮かぶ。
例えば、
ある時母が私の所へやってきて
深刻そうにこう言った。
「あたし、身体がおかしいよ」
そんなニュアンスだったと思う。
正直、この辺の記憶は日に日に薄くなっている。
でも、母が自分の身体の異変を感じ取っていて
改めて私に相談してきたのだろう、と解釈している。
だからこそ、あの時親身になって聞いてあげていれば良かった。
そうすれば母の病気の発覚が早まったという後悔も
もちろんの事なのだが、話を聴き流した事実を
消すことが出来ない。
母ぐらいの年になれば
身体の不調の一つや二つは皆抱えている。
そんな意味合いの言葉を母に投げかけて
丸く収めようとした自分が悲しい。
どこかが痛むのか?
苦しいのか?
どこかに違和感を感じているのか?
細かく聴いてあげることくらいできただろうに・・・
あの時、大して忙しくも無かっただけに・・・
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