親鸞学徒は親鸞聖人、蓮如上人のいわれる事に従っていきます。
それは蓮如上人がそういう方だからなのです。
蓮如上人へある人申され候。開山の御時のこと申され候。
「是れはいかようの子細にて候」と申されければ、仰せられ候、
「我も知らぬことなり、何事も何事も知らぬことをも、開山のめされ候ように御沙汰候」
と仰せられ候。(御一代記聞書159)
あるとき、ある人が蓮如上人にお尋ねしました。
開山とは親鸞聖人のことです。
「親鸞聖人がこんなことをなされた、
こんなことをおっしゃったとお聞きしますが、
これはどうしてなのでしょうか?」
蓮如上人は、
「私も知らん。しかし親鸞聖人のなされたことは、
絶対に間違いのないことなのだから、私はそのようにする。
あなたもそうしなさい」
とお答えになられました。
蓮如上人はそういう方だったのです。
親鸞聖人の事を開山聖人、一宗一派を開かれたということです。
そして蓮如上人は、中興上人と言われています。
途中で起こされた、という意味です。
その当時、親鸞聖人は忘れ去られた人だったのです。
しかし、それを親鸞聖人のみ教えを手垢をつけずに
そのまま伝えられた方だったのです。
一器の水を一器に移すがごとくに伝えられています。
そして今日、浄土真宗は、日本の仏教の最大宗派となったのです。
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