仏教を聞き誤った人はどうなるかというと
信心を頂くと聞く気がなくなります。
これもよくあります。
「私もう助かったからいいです」
本当に助かった人は、聞く気がなくなるのでしょうか?
29才の時に救われて、
もう聞かなくてもいいなんて去って行かれたかな?
それから法然上人のお弟子になられたのよ。
35才で流刑にあってお別れになるまで、ずっと聞き続けておられた。
そして、分かれるときのあの悲しみ方。
また聞かせていただけるとなったときの喜び方。
仏法は聞けば聞くほど喜びが増すもの。
彼女から来たラブレターを、一回読んで捨てたりしないだろ。
で、なんかあると、そのたびに取り出して読んで、感動する。
見れば見るほどうれしくなってくる。
一度読めば内容は判っているだろ?でも、見る度に、喜びがわき上がってくる。
「いつも来るいつもの人がいつもする、いつもの話いつも尊い」
という味わいがこみ上げてくる。
聞かなくてもいつ死んでも極楽参り間違いなしの
往生一定はハッキリしているが、聞かずにおれなくなる。
何度聞いても、ありがたく、尊い。
「私はもう助かったからいい」
こう言うことを言う人は、全然仏法を尊ぶ気持ちがないんです。
秘密ですから、彼らは。
仏教を聞き誤った人には、
そういう特徴があるということを知っておいて下さい。
本当の信心は、ハッキリする一念がある、すべての人が同じく救われるものです。
人前で説法できないコツなんて、偽物に決まっています。浄土真宗ではありません。
そんなものは、1回聞けば聞く気がなくなるんですよ。
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