親鸞聖人の教えにおける方便といいますのは、
真実の世界に送り込む為に必ず必要なものですので、とても大切なものです。
真実と方便を比べたら、方便のほうが劣るように思う人あると思います。
しかし真実が大切ならば方便も同じくらい大切。
方便が大したことないと思っているのはそれだけ真実が分かってないんです。
また、方便というのは誰でもかれでも使えるものではありません。
ちょうど夢からさめた時に初めて夢と現実が分かるように、
真実の世界に出て初めて方便というのがどのようなものか分かるのです。
ですから、気安く安直に何でも「方便」といっていたら、
危険なことだということが分かります。
「あなた、仏教を聞きに行くってご家族に何て言ってきた?」
「日本シリーズ見にいくって言ってきました(笑)」
「えっ!?嘘ついたの?」
「いやいや方便ですよ(笑)」
こういう時に「方便」を使う人、あるかもしれません。
そう言いたい場合は「配慮」したというのが適当です。
方便が使えるのは仏様か善知識です。
仏様が説かれる方便は「善巧方便」
善知識が説かれる方便は「権仮方便」といわれます。
ですので、何でもかんでも「方便」と使うのはどうかと思われます。
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