東条英機は戦争中は、陸軍大臣参謀総長総理大臣です。
数々の勲章を貰って軍服にたくさん付けていたそうです。
彼は神国日本絶対に負けるはずはないと米英に戦いを挑んだのでしょう。
ところが東条がここだけは絶対に譲れないという絶対国防圏と言っていたサイパンが陥落した。
その時に首相を辞任している。
だから戦争に負けたときは日本の首相ではなかった。
とはいえ連合軍にとっては一番の仇。
マッカーサーの指令によって東条英機の家にMP、憲兵がやってきた。
9月の始めだったと記憶していますが、東条は、いよいよ来たかと。
彼は、戦場に赴く日本の兵士に戦陣訓と言うものを造って与えていた。
日本の兵士にこういうものを作ってこれは東条が作っていた。
その中に『虜囚の辱めを受けるべからず』という一文がある。
捕虜になって辱めを受けてはならない。
当時は白旗あげて武器を捨てれば投降と見なされて、捕虜となる。
捕虜となれば一応命は奪われない。
ところが戦陣訓に、絶対捕虜になるなと書いてあったから、絶対に投降できなかった。
それで、アッツ島、硫黄島、沖縄、絶対日本軍は、降参しなかったんです。
最後の一人になっても闘った。
戦争が終わってから横井庄一さんとか、三十年近くたって見つかったけど、横井さんはグアム島で。
オレは一人になったけど絶対負けてはならんと、それだけ厳しく徹底されていた。
だから日本の兵士はみんな最後に自ら、死んでいった。
絶体絶命という崖っぷちならそこから飛び下りた。
そう言う精神を作ったのが戦陣訓。
『そんな自分が、戦争負けたからと言っておめおめアメリカの憲兵に捕まっては生き恥をさらす』
そう思って彼は自殺しようとした。
かねてから、医者に自分の心臓の位置を確かめてそこに印を付けてここにピストルをあてて引き金を引けば間違いなく死ねる。
ところが、いよいよMPがやって来て自分が捕まりそうになったとき、
「暫く準備するから待ってくれ」と言って待たせて置いて
ピストルを出したが心臓に突きつけたピストルの引き金が怖くて引けなかった。
人には死ねと捕虜になるなと、こう言える男でも、いよいよ自分が引き金を引くとなるととても怖くて弾けない。
お釈迦さまが言われるように、
大命将に終わらんとして悔懼こもごも至る
です。
臨終に、それまでの人生に対する後悔と、
これから死んで行く死後の世界に対するおそれが
かわるがわる起きてくる。
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image