冥福・慰霊などの話。
人が死んだ時に、冥福を祈ったり、慰霊祭をせずにおれない感情。
特に肉親を無くした人。
なぜかその人の幸せを念ぜずにおれない。
共産主義でもそう。
ホーチミン大統領が死んだ時。
共産主義なのに冥福を祈る。
死んだ後、どこにいるのかと思う。
「思う」というのは主観。
ようするに、「そう思うにすぎない」
しかしまた、「思う」ということは、そう思わせる何かがあるということについて客観的。
今日の彼は何か違う。
知識の面ではいつもと変らない。
しかし、何か違うと感じた。
そう思わせる何ものかが彼にあったと言う点では客観的。
いじめにあった日の教室。
誰かが見ている。
聞き耳を立てているようなきがする。
人間の「情」は、気のせいというときもあるが、なにか思わせる何ものかがある。
知識だけで片付けていいのだろうか、という疑問を起こしなさい。
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