これはブッダの過去世の求道物語として、
本生譚に説いておられる事ですが、
過去私は雪山童子といわれヒマラヤの奥地で悟りを求め修行していた、
求めても求めても悟りが得られない、
修行に疲れて一体どうしたら悟りが開けるのかと思い悩んでいたその時、
どこからともなく貴い声が聞こえてきた。
「諸行無常是生滅法」
と言う言葉だった。
漢字にすればわずか八文字の言葉が耳に載ってきた。
これを聞いて雪山童子
「何という貴い言葉か、私の求めてきた真実の言葉だ。
しかしこれでは悟りの半分しかあらわしていない。
後の半分、どうしても聞きたい」
残り半分を聞きたい、それでこそ完全な悟りが開けると
雪山童子は思った、だがあたりをみわたしても誰もそんな人はいない。
鳥や獣はいるが人間の言葉を発するような人影は見あたらない。
人っ子一人見えない山奥。
しかし聞こえたからには誰かが行ったに違いないと思い
雪山童子は辺りをさがしまわった。
ところがゆけども言葉を発する者はいない。
空耳か、いやそんなはずがないと探したがいない。
出会えなかった。
後の半偈を教えてくれる人がいないかとあきらめかけたとき
フッと見上げると断崖の上に一人の羅刹が立っていた。
羅刹とは鬼です。
鬼の形相をした者が仁王立ちにたってジッと修行者を見下ろしていた。
この人がひょっとしたらこの言葉を発したのか、しかし鬼である。
こんな鬼が悟りを開いているとは考えられない。
→鬼の姿になって悪果を受けている
→すべては因果応報であるから、そのような悪いたねまきをした。
→さとりを開いているとは思えない。
しかしものを言うものはこの羅刹しかいない。
この人か。
こう思った雪山童子
「先ほど貴いさとりの半偈が聞こえてきましたが
その言葉を仰有ったのはあなた様でしょうか」
羅刹は「ばかをいえ、見てのとおりわしは鬼だ、
こんな悪報を受けている私がそのような貴い悟りの言葉をしるはずがない」
といったが、しかしこの人以外にはいない。
「しかしあなた様以外にあのような悟りの言葉を語れる方はありません。
もしや何か先ほどいわれたのでは」
「お前もしつこいな、俺がそんな悟りをひらいているはずがなかろう、
俺はそれより腹が減ってもう一言もものを言う気力がない、
しかし先ほどうわごとのように何かつぶやいたかも知れないな」
それを聞いてやっぱりこの羅刹か、
今でこそ恐ろしい報いを受けているが、
きっと貴い方でかすかな記憶で言葉が出たのだと思い
「菩薩よ、きっとあなた様がこのお言葉をおっしゃってくれたに違いありません、
しかしこれは悟りの半偈、半分しかあらわしていません。
どうか私のために残りの半偈お聞かせいただきたい」
羅刹は
「お前は自分のことしか考えない奴だ。おれは腹が減ってもう何も言えない、
これ以上無理なことは言うな。これ以上しゃべる気力はない」
しかし、この羅刹以外に悟りの道を教えてくれる方はないと思い
「これは大変ご無礼致しました、では菩薩よ、
あなたは何を召し上がられるのか、私が用意しましょう、
それを用意した上で悟りの半偈を教えていただきたい」
「ワシが何を食べるか、そんなことを言わせても無駄だ、
お前には用意できないものだ」
冷たく言う羅刹に
「私は命をかけ悟りを得ようとする修行者、何なりと仰せください」
「それ程まで言うなら教えよう、俺はな、木の根っこや草は食べない、
俺の食べるのは肉だ、それも死んだ動物の肉はくわん、
生き血したたる人間の生肉しかくわない、
どうだ、ただ一回の殺生もできないお前によういできるわけなかろう、
だから帰れと言うのだ」
氷のように冷たい羅刹の言葉、しかし雪山童子は喜んだ
「わかりました、用意いたしましょう」
「バカなことを」
「いえいえ、菩薩よ、私の肉でも宜しいでしょうか」
「おまえは何と言うことをいうのか、わしはそれでもかまわんが」
「しかし私の肉を食べていただいた後では悟りを開くことはできません、
必ずお約束いたしますからどうかまず残りの半偈を聞かせていただけないでしょうか」
「そんなこといって悟りを開いてから逃げるのでないか」
「いえいえ、嘘はもうしません、必ず私の身体差し上げますのでどうか
教えていただきたい」
手をついて何度もたのむ。
「では言おう」
初めて残りの半偈を言った。
「生滅滅已寂滅為楽」
残りの半偈を口から発した、
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽
いろは歌は、これを和訳したといわれます。
それを聞いた童子が
「まさに悟りの言葉だ、完全な悟りを開くことができた。
われの出世本懐は成就せり」
と飛び上がって大変な満足を得た。
その様子をみて羅刹は
「喜ぶのは結構だが約束は忘れてないな」
「勿論です。この悟りのため命をかけていたのですから
肉体はいつでも差し上げましょう。
しかしせっかくの悟りの偈文を後々の人にお伝えしたいので
どうぞ今しばらく時間をお与え下さい」
と雪山童子はあちらこちらの木に刻んだ。
そして自らも悟りを開き、後のひとに教えを残し
「では大士よ私の肉体をさしあげます」
高いところから大きな口をあけて待ちかまえる羅刹めがけて身を投げた。
そのまま口の中に飛び込み食べられるかと思ったその時
がっしりと羅刹が雪山童子を受け止めた。
何が起きたかと目を開けると鬼の形相をしていた羅刹は
その瞬間に帝釈天と変わり、
雪山童子に向かって
「善いかな善いかな、そなたのその覚悟があればこそ悟りをひらけたのだ」
と褒め称えた。
実は羅刹は仮の姿で、本当は帝釈天が
この雪山童子の求道心を試すために鬼の形相をして
彼の覚悟を問うたのです。
その帝釈天の試練に見事雪山童子は合格したというとが説かれています。
雪山童子はこの悟りの半偈、
この言葉を聞くために自分のみを投げ出し命を捨てた、
命がけになって開けぬ悟りはない、
その命がけの覚悟が完全なる悟りを開かせることができた。
「仏法は身をすててもとめよ、身を捨てて求むる心より信は得られる」
蓮如上人も言われるように、
雪山童子が悟りの半偈に命かけたように私達は
弥陀の呼び声一つに命をかけねばならない、
ということを教えてくれる話です。
何れも命がけの求道、聞法、法を聞きたいと言う気持ちが大切なことを
教えられています。
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