蓮如上人という方は、
明日に紅顔ありて夕べに白骨となれる身なり。
と白骨の章にいわれている。
私たちの人生というのは、朝元気のいいすもものような顔をしていても、夕べには白骨となれる身。
朝元気よくとも夕方にはどうなるか分からない。
されば誰の人も早く後生の一大事を心にかけて
だからこの後生の一大事を心にかけて仏法を聞け。
このようにおっしゃっていますね。
すべての人が、関係のある問題ですから。
しかも急がなければならない問題ですから。
この後生の一大事を心に掛けなさい。
そして仏法を真剣に聞き求めなさいと教えられるのが蓮如上人の白骨の御文章。
あなた知っていますか。
御文章の五帖目の十六通です。
浄土真宗の葬式で読まれるので
浄土真宗以外の人にもよく知られている
有名な白骨の御文章。
人間の儚きことは、老少不定のさかいなれば。
老少不定と言いますのは、
後生と言うこと、死ぬことについては、年老いた人も若い人も定まっていません。
どんな順番でいつ誰が死ぬか全く分からない。
夏山で慶応の山岳部のキャプテンが崖から転げ落ちて逆さまになって
渓流に頭からつっこんで亡くなったそうです。
10メートル転落して頭から落ちたから亡くなってしまった。
慶応の四年生。
山岳部のキャプテン。
この間はアルプスのトンネルの中で同じく慶応の三年生
四年生の女の子が亡くなっていた。
法学部の女の子は四月から就職も決まっていた。
中学生もいた。
全く老少不定です。
死というのはついさっきまでごく普通の日常だったのに突然やってくる。
いよいよくるぞくるぞと来るのではない。
無常の虎は突然後ろから噛みついてくる。
私たちが覚悟ができているかなんて待ってくれない。
『ちょっと待ってくれまだ覚悟ができていない』
『ちょっと待ってくれオレはまだ若い』
『オレはまだやり残したことがある』
どんな泣き言も言い訳も通用しない。
そんな一大事と隣り合わせて生きているのにどうしてのんびり構えておれるのか。
どうしてまだまだ先の老後のことは口から泡飛ばしているのに、
今晩しぬかも知れない後生はちっとも考えないのだろう。
どうしてあるやらないやらわからん、家を買ったら火災保険にはいる。
車を買ったら自動車保険にはいる。
もちろん火事や事故も怖ろしい、
万が一火事が起きたら事故が起きたら困るから保険にはいる。
万が一に備えてはいるでしょ。
死はどうでしょう。
万が一ではない。
万が万、100%、1000人居れば必ず1000人死んでいくのに、誰も備えようとしない。
不思議でしょ。
その根本的な迷い。
全人類の最も大きな迷い、心の闇をぶち破るのが仏法という教えなんですね。
だからこそ全ての人は仏法聞かなければならない。
後生の一大事と関係ない人は誰もないのだから、
誰の人も必ず、後生の一大事を心に掛けて仏法を聞いて貰いたい。
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