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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2017年11月29日

浄土宗で往生できない理由

親鸞聖人が流刑にあわれてまで徹底され、守られてきた
仏教の結論、
一向専念無量寿仏
ですが、親鸞聖人の長男の善鸞、最も明らかにしなければならないのに、
権力者にいじめられた、このこっぱ役人が、
眉毛がびびびびっと震えて曲げてしまった。

 

村人が良いですかと尋ねに来た時に、

他の親鸞聖人のお弟子達が、絶対にダメだ、という中に、
善鸞だけ、「まぁいいんじゃないか。

世間でも神仏一体と言うし、お礼の気持ちでなら」

 

こうして絶対に曲げてはならないものを、段々段々、許してゆく。
しまりがないのです。

自分の都合によって、曲がってゆくのですね。
権力者にいじめられた。
村人に、近道を教えてくれ、と言われるとか。
権力者にこびを売る事を始めに、一向専念無量寿仏をゆるめた。
ここに大罪があります。

 

蓮如上人、一向専念無量寿仏をゆるめる事を、雑行をゆるす、
と言われている。
親鸞聖人は、雑行をゆるされなかった。

 

されば自余の浄土宗はもろもろの雑行を許す、
わが聖人は雑行をえらびたまう、

この故に真実報土の往生を遂ぐるなり。

この謂あるが故に別して真の字を入れたまうなり。御文章

 

一向専念無量寿仏を、命をかけて守られて、大変な弾圧にあって。
それを、大変に近い、善鸞が、いじめられた事で、これを許してしまう。
それて、関東の者が、動乱してしまう。
ここに、自分の都合とか、自分の欲とかによって、
教えを曲げる事の恐ろしさを学び取らなければならないですね。

 

人間の心は、盆の上の卵のように、ころころ変わるから、心、という。
関東の同行も、善鸞も、次第に変わってゆく。

あなたも、子供の時の気持ちと今の変わる。

 

お母さんやお父さん、あるいは友達がやってきて、
あんたがやっている事は、何よそれ。
こう言われる事は、ままあると思います。

考えてみると、人間、何も問題がなくて、お金もある、時間もある時に、
一つのお話として聞いている時は、簡単に聞けるけど。

 

簡単に聞けなくなる時に、お釈迦さまの教えられた教えに

従うかどうか、が肝心な事です。

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タグ:蓮如
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践

2017年11月28日

お寺の僧侶は仏教分かってる?

親鸞聖人はおやさしい方だったけど、

それだけだった?

 

浄土真宗を開かれた親鸞聖人の主著

教行信証』信巻別序。
末代の道俗・近世の宗師自性唯心に沈んで浄土の真証を貶し。

 

「末代の道俗」とは、聖道仏教の学者達の事です。
当時は聖道仏教が日本中を占めていた。

「自性唯心」とは、自分の心に阿弥陀如来極楽浄土がある、という考え方。


それは真実の救いをけなしていると

親鸞聖人おっしゃっています。

 

あるいは、『教行信証』後序にはこういわれています。
 

「聖道の諸教は行証久しく廃れ浄土の真宗は証道今盛なり」

「行証久しく廃れ」とは、行ずる者も、さとりを得る者も、まったくいないぞ。

「浄土の真宗は証道今盛なり」とは、

この親鸞、ハッキリ救われたぞ。

 

蓮如上人の御一代記聞書
「一宗の繁昌と申すは人の多く集り威の大いなる事にてはなく候、

一人なりとも人の信を取るが一宗の繁昌に候」
と同じ意味です。

 

浄土真宗の繁昌は、人が多く集まって勢いのいいことではない。

一人でも多くの人が救われることが浄土真宗の繁昌なのだ。

 

そして親鸞聖人は、後序のその直後に、
「然るに諸寺の釈門、教に昏くして、真仮の門戸を知らず」

といわれています。

 

「諸寺の釈門」とは、お寺に住んでいるお釈迦さまのお弟子ということで、

僧侶のこと。

「真仮」とは、仏教に教えられているのは

真仮しかありませんので、仏教のこと。

「門戸」とは、イロハ。


自性唯心を主張しているような日本中の坊主どもは、

仏教の教えにくらくてまったくイロハも分かっていない。
痛烈に批判されている、親鸞聖人のお言葉です。

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posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2017年11月27日

乞食の菩薩行

相手にお布施を勧めて仏縁を結ばせる仏教の行に
乞食行があります。托鉢です。

 

文句を言われても、
いろいろ言われても、毀誉褒貶はまかせた。
こちらの方から、出向いて行くのが乞食です。

 

ある時お釈迦さまが托鉢中、

こちらの方へ行けば、金持ちばかり、
こちらの方へ行けば、貧乏な人ばかり

そんな岐路にさしかかられたとき、

貧乏な村へ行こうとされました。

 

ある弟子が、
「お釈迦さま、こちらの方は、仏法の為に到底お金を使える人ではありません。
こちらの方なら、たくさん布施をされる方がおられるでしょう

道を間違えられたのではありませんか?」

 

お釈迦さまは、

「道は間違えていないぞ。
今、こちらの方の人が恵まれているのは、
過去に、利他の行をしてきたからだ。
我利我利亡者が堕ちてゆくのが、餓鬼界で、
そしてますます自己中心的で、自分の事しか考えていなければ、
救われないではないか。

 

出向いて行くほうから言えば、金持ちの村の方が楽です。

しかしお釈迦さまは、相手に仏縁を結ばせる為に乞食をされています。

その為になら、どんなに苦しくてもたねまきをされます。
菩薩の行といって、その一つが乞食の行です。

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2017年11月26日

嫉妬の心

自分が苦しい目になったとき隣の人に

「ざま〜みろ」
と言われたら嫌でないですか!

 

これは嫉妬の心です。


自分が幸せなとき周りの人にも祝福して欲しいものでものですが
実際には苦々しく思われているのです。

 

口では何を言っているか知れませんが、
心の中では何を考えているか分かりません。

 

自分の苦しみを喜んでいる人がいる、

自分の幸せを祝福してくれる人が誰もいない。
これだけでも苦しい人生です。

 

私達、真実の姿が分かりますと、

悶え、呪い、殺しあって苦しんでいる姿も分かります。

 

親鸞聖人は煩悩具足の凡夫、
心は蛇蠍のごとくなりと言われています。

本当の姿を正しく知りませんともう幸せにはなれませんので、
自分の姿を正しく見ないといけません。

煩悩のビデオはこちら
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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2017年11月25日

仏教講座なぜ生きるか・生きる意味

「なぜ生きる」ということについて

これは最も大事なことです。

なぜ生きるか分かれば、生きる意味も分かります。

 

なぜ生きるとは、何のために生きるのか。

生きる目的です。


歩くときも最も大切なことは目的です。
どんなに良い歩き方をしていても目的を知らないと悲劇です。

 

走るときも走っている人にとっても最も大事なのは

どこに向かって何のために走るのかが大事です。

それを知らずに走っても走り倒れあるのみです。

 

飛ぶと言っても目的が一番大事です。

目的地を知らずに飛ぶ飛行機は墜落の悲劇あるのみです。

ですから、飛行機にとって一番大事なのは、目的地です。

 

生きることも同じで生きる目的、

一体どこに向かって生きるのか、
これが一番大事です。

 

しかし歩くときや走るときは目的、
どこに向かっていくのかというのが大事ということはわかるのですが、
こと生きるということに関しては全く目的、
どこに向かって生きていくのか全然問題にされていません。

 

この生きる目的、生きる意味が、仏教に教えられています。

一緒に仏教講座に足を運びましょう。

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タグ:生きる意味

2017年11月24日

仏教を聞き誤った人の特徴

仏教を聞き誤った人はどうなるかというと

信心を頂くと聞く気がなくなります。


これもよくあります。

「私もう助かったからいいです」
本当に助かった人は、聞く気がなくなるのでしょうか?

 

浄土真宗を明らかにされた親鸞聖人は、

29才の時に救われて、

もう聞かなくてもいいなんて去って行かれたかな?

 

それから法然上人のお弟子になられたのよ。
35才で流刑にあってお別れになるまで、ずっと聞き続けておられた。
そして、分かれるときのあの悲しみ方。

また聞かせていただけるとなったときの喜び方。

 

仏法は聞けば聞くほど喜びが増すもの。

彼女から来たラブレターを、一回読んで捨てたりしないだろ。
で、なんかあると、そのたびに取り出して読んで、感動する。
見れば見るほどうれしくなってくる。
一度読めば内容は判っているだろ?でも、見る度に、喜びがわき上がってくる。
 

「いつも来るいつもの人がいつもする、いつもの話いつも尊い」
という味わいがこみ上げてくる。

 

聞かなくてもいつ死んでも極楽参り間違いなしの

往生一定はハッキリしているが、聞かずにおれなくなる。

何度聞いても、ありがたく、尊い。
「私はもう助かったからいい」

こう言うことを言う人は、全然仏法を尊ぶ気持ちがないんです。

秘密ですから、彼らは。

 

仏教を聞き誤った人には、

そういう特徴があるということを知っておいて下さい。

 

本当の信心は、ハッキリする一念がある、すべての人が同じく救われるものです。
人前で説法できないコツなんて、偽物に決まっています。浄土真宗ではありません。

そんなものは、1回聞けば聞く気がなくなるんですよ。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心

2017年11月23日

秘事法門の信心は人それぞれ

 

秘事法門の人は、

「信心は人それぞれ違う」

といます。

 

人それぞれ違うなんて、
お釈迦さまはどこにもおっしゃっていません。
本願成就文に、

信心歓喜乃至一念

とあります。


あらゆる人々が、その名号を聞いたときに、

信心歓喜とハッキリするということです。


「信心」とは心の闇が破れて明るい心になったということ。
本願では「信」です。

「歓喜」とは楽しい心になったということです。
本願では「楽」です。
そういう心になれますよと。

「一念」は、時剋の極促といわれ、何億分の一秒よりも短い時間のきわまりです。

ハッキリしないわけないでしょう。

 

どんな人でも、すぺての人が「その名号」を聞いた一念でハッキリするんだよと、

おっしゃっています。

 

どこに「後からだんだん」なんて書かれているか。
「乃至じわじわ」と説かれていますか?
ないでしょ。

 

人間の行いが一人一人違うから信心が違うと言ったら、それは自力の信心だ。
信心同異の諍論をもう一度開いてみましょう。

 

信心のかわると申すは自力の信にとりてのことなり、
すなわち智慧各別なるが故に信また各別なり。
他力の信心は善悪の凡夫ともに仏のかたよりたまわる信心なれば、

源空が信心も善信房の信心もさらにかわるべからず、ただ一なり。
我が賢くて信ずるにあらず。
信心のかわりおうておわしまさん人々はわが参らん浄土へはよも参りたまわじ、

よくよく心得らるべき事なり。
(御伝鈔)

 

浄土宗を開かれた法然上人の下された判決です。
各別というのは、各々別と言うことです。
が一人一人違うから、信心も違ってくる。
これが自力の信心。

「この法然と異なる信心の者は、極楽へは往けないぞ。
後生の一大事、よくよく心得よ」といわれています。

 

秘事法門の僧侶は、外見上は
お寺に住んで、葬式法事をやっている場合もあるけど、

「信心は人それぞれ違う」というだけでも

いかにいい加減な連中かと言うことが分かります。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心

2017年11月22日

新興宗教の発生源

 

苦しみや身の人生からの救出の叫びは充満しています。
薬物や秘儀、物理的、人工的に、てっとり早く助かろうとするあせりが、
新興宗教の発生源であることを、
昔のオウム事件は露出したと言えます。
親鸞聖人の徹底摧破されたことは無論です。


昔のオウムのような新興宗教の信者の人たちも苦しんでいるんですね。
麻薬とか、イニシエーションとか。
結局彼らも苦しくて、焦っているんです。

 

サリン撒いた人の中に、林郁夫という有名な医者がいたんだ。
医学の限界に絶望して、オウムに入った人。
オウムの幹部のメンバーって、ホーリーネームってあって、
彼のホーリーネームが、ボディーサットバクリシュナナンダ。

 

名前からして、「ボクハトッテモクルシミナンダ」
苦しんでそうですよね(笑)

 

手っ取り早く何かを信じて落ち着きたい、こういう人間が作った信心を、
人工信心と言います。思い込みです。
焦り、苦しみが生むんだね。
こういうのが新興宗教の発生源なんです。

 

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2017年11月21日

ビートルズのジョン・レノンのむなしさ

絶対の幸福を表した言葉の一つに
金剛不壊の真心という言葉があります。

 

かたくて、壊されることのないまことの心ということです。
変わらない心になるということを教えられたお言葉です。

 

みんな子供の頃からいろんな事を信じてきても、
裏切られた事って多かったでしょう。
家族。
才能。
友人。
いろいろあなたあると思います。

ただここで、金剛不壊の真心とは、死がきても壊れないということなんです。
死がきたら、私達が信じているものは皆壊れてしまう。
美白だって財産だってもっていけない。
K−1チャンプももっていけない。
死ぬときは、全部に裏切られる。
家族が一緒に死んでくれるとか、友人が一緒に死んでくれるとか、そんなことはないね。
そうすると、死がきたらみんな私達が信じていたものは崩れてしまう。
それを蓮如上人は、

まことに死せんときは予てたのみおきつる妻子も
財宝もわが身には一つも相添うことあるべからず、
されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば唯一人こそ行きなんずれ。

御文章

 

だから、みんな死にたくないんだね。

スポーツ。
健康。
音楽。
ビートルズのCDが出てるね。
21世紀に残したい
歌にも真っ先に上がるだろうね。
10年間活動したけど、解散するときの
言葉が印象的でね

「ビートルズを通して、のぞみうるだけの地位もお金も手に入れた。
でも、そこには何もなかった」

全部手に入れたけど何もなかった。
ジョンレノンはそういう虚しさが判っていたんだね。

死がきたらすべて崩れてしまう世の中で、
親鸞聖人は絶対壊れることのない信心があるんだよと、
変わらない心になれるんだよと教えて行かれたんです。

 

その金剛の真心を、

死ぬまでに獲得することが、

本当の生きる意味なのです。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2017年11月20日

本当の幸せになれる軌道にのせる教え

阿弥陀如来の19願は、
十方衆生を因果の道理で統合して、
本当の幸せになれる軌道にのせる教えです。

 

この意味は、この世の十方衆生はとんでもないものを信じています。
いろんな考え方をもっています。

色々な宗教を信じています。


そんな十方衆生でも、あなたの受ける結果運命というのは
すべてあなたの蒔いたタネなんですよ、という因果の道理はよく分かる。

 

善いタネを蒔くという時は、決心というのが必要です。
悪いことしないぞ!
善いことするぞ!というのは決意がいりますよね。
寝坊してしまう人、これは、奮発心がないんです。

 

ここで無理したら余計にみんなに迷惑かけるぅ、とか勝手に言い訳考えるんですけどね。
また布団っていうのはすごい誘惑してくるんですよね。
それに打ち勝って起きるのは強い意志が必要です。

楽したいっぱいの私達ですから、ちょっとでも楽がしたい。
その楽したい心に打ち勝たないと善いことはできません。
これが阿弥陀如来の19願に誓われている「発菩提心」です。

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タグ:阿弥陀如来