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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2019年04月13日

普段の5つの疑問に答えを出すカギ

普段私たちが疑問に思うことで、なかなか答えが出ないものがあります。

例えば以下のようなものです。

・なぜ自殺はいけないのか
・なぜ勉強しなければならないのか
働く意味とは何か
・臨終に後悔しないためにはどう生きればいいのか
・人はなぜ生きるのか

このようなものは、根底に、本当の生きる意味という深い問いがあります。
この答えが分からない限り、これらの疑問に答えは出ないということです。

人間なんのために生きるのかという生きる意味は、
ほとんどの人は答えを出せませんが、
唯一仏教にのみ答えが教えられています。

私たちの多くの疑問に答えを出すには、
それ一つ知ればいいのです。



2019年04月09日

仏教を伝えるときの表情とは?

昨日は花祭りでしたが、いかがお過ごしだったでしょうか。

 

仏教をご縁のある人に話をするときには、表情が大切です。
よく表情があるとか、ないとか言いますが
表情はドレスです。

 

つまらない時につまらない顔をしていると
表情の基本形がつまらなくなります。

 

つまらない時ほど、明るく爽やかに、
これを仏教では和顔悦色施といいます。


面接にもいいですし、ナンパにもいいです。

表情は何で決まるか、「
私の分析によると
まず「えくぼ」です。


あなたもえくぼを作ってみてください。

 

よく笑顔の多い人は

もう笑いのしわが顔の中に彫りこまれています。
そういう人になりましょう。

 

仏教講座が初めての人に、仏教のどこに惹かれたのか聞いてみると、
仏教講座に来ている人たちが、いつも笑顔だというところにという人があります。

 

逆に笑顔にけちな人は、貧しい、けちな心しか持っていません。
笑顔は元手いらない、顔の筋肉をちょっと動かすだけです。
また笑顔を作る努力をする。

 

藤原紀香とか、松嶋菜々子とか、本上まなみとか、優香、
こういう人たちはみんな毎日鏡の笑う練習をしています。
右斜め45°度からニコッ、左20°度からにこっと。
これはもう練習します。

 

眉毛、上げ下げしてみましょう。

この眉毛の上げ下げ幅の絶対値が人によって違います。

 

 

この絶対値が大きい方が表情が良くなります。
目を大きく空けて、驚く、目をつむる、空ける。

笑う時歯が見える、初めて会った人に心から笑えるか。
同じ目線の高さで笑えるかどうかです。

 

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践

2019年04月06日

現在の日本の僧侶は仏法者といえる?

ブッダ涅槃経というお経に、こう遺言されています。

にして、法を壊つ者あるを視ながら、これを黙視し、更に呵責駆遣せざる者は、

この僧は、これ仏法中の怨なり。

若し、よく駆遣呵責せば、これ我が真仏弟子なり。

 

僧侶にもかかわらず、仏教に反する者があるのを黙って見ているのは、

憎らしい奴だ、最も嫌いだといわれています。

無気力で、消極的で退嬰的な者である、ということです。

 

ちょうど現在の日本の僧侶のようなものです。

自分ので、葬式法事をしたらたくさんの人がやってきて
お金を置いていってくれる。
そして、「いい人ね、声がいい」と言われて、
「こりゃこりゃ」と。
そんなところで機嫌をよくしている。

 

当たり障りない、そんな調子で仏教は全然教えない。

そして人が寺に来ない、後継者ができないと言って泣いています。

 

経営が難しくなって駐車場や幼稚園の経営をやらなくてはいけない
と言って泣いています。

 

仏法者というのは
「苦しんでいるのは私のせいだ。苦しんでいる人がいるのは私の怠慢。
安逸にすごしていたらそれだけ人々を苦しめることになる」
と仏教を届けようとするものです。

 

仏教を知らない人、仏法を壊つ人がいるのを見て見ぬふりをしているものを
黙視しているもの、仏法中の怨』と言われて、

仏教を知らないもの壊つ者を徹底的に破らなければいけないということで

破邪しなければならないと教えられた。

 

これを自利利他といいます。

他の人に仏教を伝えて幸せを与えると同時に、

自分も幸せになります。

また、自分が幸せになったら、独り占めしては勿体ない、人に伝えずにおれなくなります。

自利のままが利他になる、利他のままが自利になる、

自利利他の菩薩の道が、真の仏法者の精神だということです。

 

これはブッダのご遺言ですから、仏法者たる者、

私たち一人一人が、自分ははたして、見て見ぬふりする人か、

法を届けんとする者か、反省して振り返らなければなりません。

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タグ:お経
posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践

2019年04月03日

仏法者は自利利他の道を行きましょう

ブッダの遺言は、
破邪顕正をせざるものというのは仏法者でないぞ
ということですが、破邪顕正というのは仏教を伝えるということです。
破邪顕正しないものが仏法者らしくないということです。

仏法者であるということは自利利他の道を行きます。
反対に仏法者でないものは我利我利亡者です。

自利利他と言うのは自分の周りを幸せにする。
自分の周りの人に喜んでもらう。
そままが自分の徳となり幸せとなります。
多少自分が嫌なこと、気ののらない嫌なことでも、
まず相手の立場に立って相手に幸せになってもらえるよう努める、
そうすると自分に幸せが返ってくる。


それが自利利他の大道であるにもかかわらず、保身に汲々として、
自分の身を護ること、自分が傷つかないこと、
自分がくたびれないこと失敗しないこと、自分が楽で暮らせること、
自分が人気が保てるよう、みんなからいい人だといわれたい。

自分の名誉とか体面とか、体裁とか自分は楽しておりたい、
周りの人が汗流してください。
周りの人が傷ついてください、私は骨折ったり苦労したりするのは嫌。
自分が火の粉がかかってきたり、自分が誰かから悪く思われたり。
そういうのは嫌。
自分が大事。

自分の幸せと苦しか考えていないものを仏法者じゃないもの破邪顕正しないもの。
自分だけが幸せになれればいいというのが相手も幸せにできず自分も幸せになれない。

最も仏法者らしくないものと言うことでブッダは仏法者にあらずといわれています。

そのブッダのお誕生日を花祭りといいますが、それは4月8日ですからもうすぐです。
自利利他の道を行けるようにいたしましょう。

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posted by 陽葵 at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践

2019年03月31日

仏教の悪口を言う人もいるし嘘もある

今までの時代とこれからの時代は大きく違います。
情報が氾濫しています。

その中には、やガセネタもたくさんあります。


確かなのは“自分で確かめたこと”です。
自分の目で耳で確かめたことを信じなければなりまりせん。

仏教を悪く言う人もあるかもしれないけど、
それはあなたが確かめることだ。
本当の生きる意味が大事な問題だと思ったら、自分で確かめないと」

「仏教を悪く言う人もある」
ということは、同時に、仏教が素晴らしくて目立っているから
ねたみからいろいろ悪く言われるということです。

 

私は大学時代、自主的に集まるゼミで、
仏教の内容を語りました。
いつも議論が白熱して面白かったです。
教授も興奮していました。
私の発表の時だけは授業終わっても議論が盛り上がってなかなか終わりませんでした。

教授も言われていました。
イイ人というのは10人中7人も誉めればイイ人になる。
どんなイイ人でも2〜3人は悪口言うものだ。

なのに1人や2人の情報を聞いて鵜呑みにするんじゃどうかな。
自分で確かめなくちゃ。
その判断力を養わないと。

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タグ:生きる意味
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2019年03月27日

すべての人にとっての人生最大の問題

仏教後生の一大事を知るところから始まり

後生の一大事の解決に終わります。

 

後生の一大事とは死んだらどうなるかの一大事です。

死なない人はありませんから、

すべての人が持っている大問題です。

 

しかも、死ぬほど苦しいことはありません。

人生最大の問題です。

 

すべての人にとって、人生最大の問題が、後生の一大事です。

 

そんな後生の一大事を抱えている私たちがです。
どんな忙しくっても、聞き求めなければならないんです。
そして、どうしても解決してしまわなくてはならないんですよ。

 

後生の一大事を知るところから始まりますので、

この後生の一大事を知らされてからが求道です。

 

この後生の一大事が心に入れば、辛いとか、苦しいとか、苦手だとか、
そんなの吹き飛んでしまいますよ。

 

性格が悪いなら、性格変えれば良いじゃないですか。

 

性格がさわりになったら変えればいいんです。
後生の一大事にはかえられませんよ。
臨終を考えてごらんなさい。
私はこんなことができないから。
こんなことが苦手だから。
そんなこと言っててごらんなさい、そのまんま無間のどん底ですよ。
私は、こんな理由があるから、解決できなかった。
どんな言い訳しても、言い訳にはならない。
それを、今に問い詰めて。

 

この後生の一大事が求道の原点ですよ。

そして、後生の一大事を解決すれば、

絶対かわらない絶対の幸福になれます。

それが本当の生きる意味です。

 

その後生の一大事をどんな人でも解決できる方法を教えられたのが親鸞聖人です。

 

後生の一大事ほどの大問題はありませんから、

親鸞聖人の教えを徹底したら

すべてが解決できて、生きる意味はこれ一つであったと知らされるのです。

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タグ:生きる意味

2019年03月24日

仏教を聞いていた大金持ち

富山県、福光町のある温泉を掘り当てて、そこに旅館を築いて、
一代で大変な財産を築いた方がおられのした。
一代で大変な財産、財閥を築かれた人。
何しろお金はうなるほどある方でした。

 

今はどう分かりませんが、その付近で

その方のうちはどこですかと聞くと、

知らない人がないほど有名でした。


その方が、仏縁があって、仏教講座に参詣されました。

恵まれすぎるほど恵まれていた方ですが、
何かポッカリと心に穴の空いたような虚しいものを感じておられたんでしょう。

 

続けて聞きたいと、仏教の先生をお招きして浄土真宗のご法話を開くようになりました。
大名屋敷のよう、広い部屋があって、床の間が一段高くなった、

殿様が座っているようなところがあります。
そこでご説法されました。

 

年に一回、ご家庭に仏教の講師を招待して、

説法をして頂いていました。

 

大変尊い方です。

やがて後生の一大事が知らされてこられて、

臨終に後悔のないように仏教を聞いておられたといわれています。

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タグ:浄土真宗

2019年03月21日

仏教を聞くのをやめたくなったとき

仏教を長年聞いていたある人が、家族が亡くなって、

ショックのために仏教を聞くのをやめようと思われました。

 

そこでいつも仏教講座でお世話になっていた先生に

最後の挨拶を言いに行きました。

 

かくかくしかじかで、家族が亡くなり、

とても仏教を聞く気持ちになれなくなりましたので、

今回限りで終了とさせて頂きます。

 

するとその仏教講座の先生は何と答えられたと思いますか?

 

あなたのお気持ちはよく分かりました。

しかし、仏教を聞くのをやめたら死ななくなりますか?

仏教を聞くのをやめたら、を造らなくなりますか?

仏教を聞くのをやめたら因果の道理をまげられますか?

 

因果の道理についても、愚痴の塊になっていたのでその人は、

蒔いた種はみんな自分に返ってくる、

そして、悪い結果は全部自分の蒔いた種であると言うことがみえなくなっていました。

 

因果の道理も因果応報もへったくれもありません。
そう言う人には見えません。

だけどこの様にさとされて、
蒔いた種は必ず目を出すという因果の道理は
仏法聞くのをやめたからといって、まげられますか?
と聞かれて、気がつきました。


そして、今の不幸はすべて自分の蒔いた種であったという事も知らされました。

そして、誰のためでもなかった。
私が仏法聞いてきたのはわが身の後生の一大事の解決の為であったと思い出されました。

 

この3つがどれか一つでもなければ後生の一大事は起きないのですが、

3つとも、仏教を聞こうが聞くまいが、曲げることのできない事実です。

後生の一大事は引きおこります。

引き寄せの法則です。

 

自分の求道の原点をその方は思い出して、

自分の失礼を泣きながらお詫びされました。
「私間違ってました、一番大事なことを忘れていました」

 

そしてまた元気に仏教を聞き始めたと言う事です。
短いご説法ですけど重みがあります。

 

仏教は後生の一大事を知るところから始まり、

後生の一大事の解決で終わるのです。

 

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2019年03月17日

なぜ仏教を聞き続けているのか

私はなぜ仏教を聞き続けているのでしょうか。

それは、罪悪を造るまま、煩悩即菩提の絶対の幸福になれるからです。

 

仏法聞くのやめたからって、あなた罪悪造らない身になれますか?

を造らずに生きてくことできますよ、そんな人ありますか?
人間って言うのは煩悩の塊です。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、煩悩具足と言われていますね。
煩悩具足というのは、煩悩に目鼻を付けたようなもの。
これが人間です。


だから人間は頭のてっぺんからつま先まで、煩悩でできている。
雪だるま、雪でできてると良く聞きます。
雪をとけるとなくなてしまいます。

 

煩悩取るとなくなってしまう、

それが煩悩具足です。

 

そんな者がすべての人だと仏教では教えられています。

それで煩悩で悪を造って苦しんでいるのです。

 

それは仏教を聞いているかどうかに関係ありません。

それを解決するのが仏教なのです。

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タグ:浄土真宗

2019年03月14日

必堕無間の一大事とは?

今日は、後生の一大事という事について、お話ししたいと思います。

 

後生というのは死後の世界のことです。
生まれたからには必ず死んでいかなければならない。

 

後生と言うのは、私たちが100%必ずぶちあたっていかなければならない未来です。
その死後の世界に取り返しのつかない一大事が待っている。
どんな一大事が待ち受けているのかといいますと、必堕無間です。

 

必堕とは、必ず、落ちていかねばならないのだと言われている。

それは無間という世界へ、です。

 

無間と言うのは、無間地獄のことです。
地獄と言うのは、苦しみの世界、中国の言葉で。
日本語で言うと、苦界。
苦しみが休む間もなくやってくる世界。
そこへ落ちていかねばならない。
それを、必堕無間の一大事といいます。

 

この必堕無間の一大事の解決が、仏教の目的です。

これによってのみ、変わらない幸せになれるのです。

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