2022年01月17日

コロナの死亡者数

オミクロン株による重篤化が少ないこともあり、昨今の報道では、死亡者数が少ないように見える。

毎日テレビでは、ご丁寧に死亡者数を報道しているが、果たしてインフルエンザの時にそんなことはしていたのだろうか。

また、厚労省は、以前から陽性死亡者をコロナ死としてカウントしているので、重症化がゼロにもかかわらず、死亡者数がカウントされてしまうというおかしなデーターになる。

つまり、別の病気で死亡しても、PCR検査で陽性になれば、コロナの死亡者としてカウントされるのである。

交通事故死でも陽性ならばコロナ死となるようである。

私は、いい加減、毎日の感染者数(正しくは陽性者数)や死亡者数を発表し続ける報道は止めて欲しい、と思う。

毎日テレビを見続けている人は、恐怖心が募り、「ワクチン接種だ〜」、と殺到するのだろう。

ワクチン接種を希望する人は、受けていい。
だが、それを強要したり、他の人に圧力を掛ける様は、もはや自由主義の国ではない。

もしかしたら、ワクチンを接種させるために、恐怖心を煽っているのかと疑ってしまう。

「ワクチンを打った」という安心感で、精神的にも安定し、免疫力が上がるということもあるだろう。

だが、感染状況を見ていると、「ほとんど効いていない」という面もある。
それを「ブレークスルー感染」と呼んだり、「接種後の免疫効果が落ちた」などと言ったりしているが、要は、流行の株が違うインフルエンザの予防接種を打ったようなものではなかろうか。

ただし、どれだけの副作用が出るかは、これからの人体実験ということになる。

何度も言っているが、いたずらに国民に恐怖心を与え、日常生活をますます遠のかせ、人と人との関わりをも薄くする姿勢は、国の存亡に関わることだ。

デンマークでは国民へのコロナ規制がなくなるのだそうだ。
「自分で判断し生活する」ことの方が、管理される全体主義より遥かに自由だ。
もちろん、そこには自己責任も生じる。

新型コロナウイルスの開発と世界中にまき散らした中国への責任追及とは別にするとして、現状のウイルスとの共存には、人類の叡智に加え、人間は本来か弱い存在ではないことを大いに自覚すべきではないだろうか。

2022年01月16日

ユーチューブ

年末から鉄道系ユーチューブをよく見るようになった。

最初は、どうしてこれほどまでにチャンネル登録者数がいるのだろうと思ったが、いつしか私自身も取り込まれてしまった感がある。

私は鉄道マニアというわけではないが、この世界にはそれなりに興味はある。
併せて、旅行に関しても、今はコロナ禍で巣ごもり状態だが、こうした旅行動画を見ていると、さながら疑似旅行を体験したような錯角になり、なんとも言えない満足感に浸ることができるのだ。

「これがユーチューブの魔術か」、と実感した。

以前は、「そんなに動画を見て、彼等を設けさせてどうするんだ!」と生徒に訴えっていたが、今は、私が彼等を稼がせている。

政治的な発言や、運営会社の考えに合わない動画は、すぐに削除されてしまうのだが、こうした分野は大丈夫なのだろう。

「こっちはOKだが、これは駄目」と、まさに混迷の時代になった。

それでも、やはり背後に利益追求のために暗躍している影が見え隠れするようでもある。

「へー、なるほど…」と思うことも仕切り。
自分では体験できないことを、彼等は難なくこなす。

動画を撮影し、編集して、仕上げ、アップするのは、なかなか大変なのだろう。
だが、自分の得意分野を、多くの人に知ってもらうという自己実現は、難なく果たしているように見える。

農業系、政治系、物販系など、私はこれ以外にも様々な動画を見るが、それなりには勉強になっている。

生徒達は、ゲーム系やアイドル系などにはまっているようではあるが、あまり人のことは言えなくなってしまった。

雑情報の中から、果たして光る部分はあるのだろうか。

結局は、時間の無駄遣いなのだろうか…。

2022年01月15日

嫌われ者

どちらかと言えば、私は生徒から「煙たがられる存在」なのだろう。
還暦に近づいてきた私の年齢は、彼等中高生とは離れすぎているし、私の「一言」は、結構重みを持つ。

彼等生徒たちは、その年齢差と偽りの威厳により、それなりに私には従うが、年々、彼等との距離は離れていくばかり…。

だが、それも年配の教師たちの仕事のひとつなのだろう。

若い頃は、「生徒から嫌われる」ことを極端に怖れたものだが、今となっては、「嫌われるくらいでちょうどいい」とすら思う。

こうした年寄りの教員の存在が、ある種の重みになって、学年や学校を形作っていることはよく分かる。

以前、若い先生たちに話す機会があったとき、「生徒から好かれようとしてはいけない。好かれようとすれば嫌われ、嫌われようとすれば、逆に好かれるものだ」、と語ったことがある。

今でもその考えは変わらない。

極端に生徒に迎合すれば、彼等からの信頼は失われるのだ。
教師たるもの、一本筋を通すことができてこそ、逆に信頼足る存在になる。

私もずるくなってきたので、生徒から「死ね」と言われれば、「君よりは先に死ぬから心配するな」とこたえる。

嫌われてもまだ、慕ってくる生徒の方が遥かに多いことを自覚しているからだ。

本当に生徒を愛おしく思っていれば、自ずと言動に表れる。
それは、決して生徒に近づきすぎるものではなく、また突き放しすぎるものでもない。

だから、「嫌われ者」で結構なのだ。

…私がそう思えるようになるのに、何十年もかかっていることだけは、銘記しておこう。

2022年01月14日

冬休み宿題テスト

各学年とも三学期最初の授業で「冬休み宿題テスト」を行った。

冬休みの課題冊子から、ピックアップし、一コマ分のテストとして再編集したものだ。

私としては、年末のうちにつくっておいたので、年明けの入試業務に圧倒されることなく、難なく実施できたのは嬉しい。

やっぱり、仕事は先に手を打っておいた方がいいのだろう。

怠け者の私は、ついつい先延ばしし、悲劇を招く。

冬休みの宿題に対して、「どれだけ真剣に取り組んだか」、「きっちり詰めて勉強したか」が判定される指標になる。

私の予想通り、結果は散々だったが、先に予告したとおり、今回は、この試験の成績順に授業の座席とした。

少々乱暴だが、たまには刺激になっていいだろう。

「やればできるようになる」のが学校の勉強だ。
学生時代に、『「因果の理法』を身をもって学んでおくことは必要なことではないだろうか。

本当は、どの問題も基本的な問題であるのだ。
今月末には、業者テストもあり、その対策にもなる。

「やってもやっても忘れてしまう」のが、学生の常だが、それでも諦めず、しつこく、彼等に畳みかけなくてはならないのが、教師の務めだ。

もちろん教室の前には成績上位者が座っている。

いつか自由席で授業の座席を決めてみようかと思うが、その座席順が成績順に極めて高い相関を示すに違いない…。

「まだまだ、教え方が甘いな…。」
と自問自答しながら、生徒達との格闘は続く。

もう、こんな生活を三十五年も続けている…。

2022年01月13日

唯物論者たちの恐ろしさ

香港から自由が消えた。

世界的な金融都市であったが、今や、中国共産党の傘下に置かれ、「民主」も風前の灯火である。

民主活動家たちは、軒並み逮捕され、その多くは拘束し続けられている。
中国本土並の、監視社会になり、密告、秘密警察により、「自由」はほとんど消え去った。

中国共産党は、自分たちの都合の良い法律を作り、また自分の国以外でもその法律を適用させようとさえしている。

領土拡大、派遣拡大を善とする中華思想が、悪い方に利用されているようにも見える。

「人は等しく神の子である」、という思想があれば、「人間をモノとして見て、命を絶つ事も憚らない」という所業は、抑えられるものだ。

かつて、ガンジーが無抵抗運動をした際、英国軍は丸腰の彼等を武器で攻撃することに躊躇した。彼等にはキリスト教思想があり、「人」は「モノ」ではないという思想があったのだ。

だが、唯物論思想では、無抵抗の人間であっても、躊躇なく殺害するだろう。
これが、中国の恐ろしさだ。

ウイグルやチベットでは、人体実験や臓器摘出も頻繁に行われている。

一方で、こうした批判を、世界の日本のマスコミはほとんどできずにいる。

それは、中国に人質がいるからだ。
中国批判の報道は、中国国内の支局や拠点の閉鎖につながり、在中国職員の拘束や逮捕に直結する。

日本の親中派の政治家たちも、そのほとんどが、ハニートラップに始まり、中国に弱みを握られているはずだ。

すぐ隣に、侵略国家があり、核ミサイルを日本の各都市に向けられている中で、なお、オリンピックに浮かれ、対中非難決議もできず、はたまた中国共産党の日本支部のような公明党が政権に参加している様は、国難以外の何ものでもない。

人を「モノ」としか見ない思想は、極めて危険で、いわゆる人の道に反する。
彼等には、「人道上」という言葉は通じないことになる。

極めて危険な世の中になっている…。

2022年01月12日

ブランコ

野球部で借りている外部のグランドがある。
私はほぼ毎日、ここで練習させている。

このグランドを使うようになってから、もうずいぶん時が経つ。

これまでの先輩たちの汗が染みこんだグランドだ。

そこは昭和四十年代に廃校になった学校跡地だ。

以前、ヒマラヤ杉の巨木の枝に、ロープを張り、ブランコを作った。
空(くう)を飛ぶブランコは、気分の良いもので、練習後や休憩時間に皆が遊んだ。

これを作ってくれたのが、卒業生のY君だ。
彼は、昨年春に高校を卒業し、今は浪人生活をしている。

長い脚立で木に登り、さらに枝を登り、地上5m付近にロープを結びつけたのだ。

楽しいブランコだったが、一つ問題があった。
それは、毎日手が届かないところに片付けなくてはならなかったことだ。

近くの子どものが遊び、怪我でもしたら、それこそ一大事なので、ブランコやロープを絶対に手の届かないところに上げなくてはならなかったのだ。

面倒だったが、でも楽しかった。

私は、久しぶりに木の上に片付けられたブランコを見た。
自分が上に上がるのもはばかれるので、もう何年もそのままになっていたのだ。

ふと、「懐かしい」と思った。
そして、アニメ宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長の最期の言葉を思い出した。

『地球か、何もかも、みな懐かしい。』

私もそんな心境になった。

今や卒業した私が関わった生徒たちは、今は元気にしているのだろうか。
あの頃は、私も必死だったようだが、とても懐かしく、楽しかった思い出だ。

「きっと、人生の終わりの時にも、こんな風におもいだすのだろうな…。」
私は、ひとりそうほくそ笑みながら、練習を続けている現役に部員たちを見る。

こうして歴史はつくられていくのだろう。

2022年01月11日

書き初め大会

世の多くの学校は、今日から学校が始まったらしいが、我が校では午後に恒例の『書き初め大会』が行われた。

体育館で中学生全員が、静寂の中で書き初めをする姿は壮観である。
今回は、「窓」がお題なのだそうで、中1が「窓辺の花」、中2が「車窓風景」、中3は「蛍光窓雪」だったが、どの学年も非常に上手だ。

書写の授業で、練習しているとは言え、この集中力は大したものだ。
時間内に二枚書く。
これに加え、立志式を控えた中2はさらに自ら決めた座右の銘を記す。

朝から雪の降る中、体育館はなかなか寒かったのだが、彼等の「書き初め」は熱かった。

この書き初め大会は、以前私が提案して、中1、中2で始めたが、数年前からは中学校全体で行っている。

中学全体の行事は、学年間で適度な緊張感が生まれ、教育効果が高いようだ。

一年の初めに心を落ちつかせつつ、一心に書に向かい合うのは良い。

私は相変わらずの写真撮影。

マスクをしているので、一人ひとりが書いているときの写真にはあまり満足がいかないが、一時マスクを外して、中学全校生徒で書き初めを掲げて撮った写真は、なかなか迫力あるものになった。

「はいチーズ」と撮ったのだが、じつは集合写真のときにカメラの解像度を引き上げるのを忘れていた。

仕方なく、もう一度撮影することにした。

「ごめん、失敗じゃないけど、完璧じゃなかったので…」、と再撮影をする。

なかなかいい写真になった。

全員での書き初めはなかなか良い。

2022年01月10日

入学願書

私が最初に務めた学校は私立学校の高校所属だった。

何年かして、PC操作の長けていた私は、出願書類の入力を任せられた。
今現在と同じ仕事である。

ふと、思い出したことがある。

「こんな願書があります。」
私は、鉛筆書きで、写りの悪いスナップ写真を貼り付けられた願書を上司に見せた。

彼は一言。
「これは不合格だな…。」

筆記テスト、面接試験の結果も合わせて、その受験生は不合格になった。

私は願書だけで不合格になるなんて知らなかった。
結果的には、総合判定による不合格なのだが、この願書の印象はあまりに大きかったのだ。

当時は倍率も高く、ちょっとした不備のある受験生は、いとも簡単に不合格にできたのだろう。

一方で、私立学校ということもあり、どのような生徒、どのような親と関わるかを、入試を通して、あるていど選抜することができたという点も否めない。

滅茶苦茶な願書は、受験生やその家庭の印象を著しく下げ、「常識知らず」というレッテルを貼られ、不合格にさせられるということなのだろう。

現在では、こうした乱暴なことはできない世の中になってきているのだろうが、私が教員に成り立ての頃、今から三十年以上前には、普通に起こっていたことのようである。

私の学校でも、今年鉛筆書きの願書や、写真をマスキングテープで止めている願書などがあったが、それによって合否に影響することはない。

今や、いかに多くの受験生を受け入れ、入学定員を満たすか、ということが最重要課題になっている。

時代は変わっているのだ…。

2022年01月09日

中国の闇

米軍基地のある県で、新型コロナウイルスの陽性者が増加しているとのことだ。

これ幸いと、共産党や左翼主義者たちが、「米軍基地があるから…」と騒ぎ始めている。
何も、米軍基地のあるのは3県ではあるまい。

米軍基地に対する反対運動を扇動し、陰で支えている輩にとってこの上ない好機だ。

だが、同時にそれを目論む存在も見える。

それは中国である。

中国の覇権主義はこのところ目に余る。

もはや人類の敵と言ってもよいだろう。

生物兵器としての新型コロナウイルスを世界にまき散らし、戦争状態にした。
もともとは、アメリカ発コロナウイルスにしたかったようだが、予期せぬ事態として武漢の研究所から漏れてしまった。
慌てて、証拠隠滅を図るも完全には拭い去れなかった。
新型コロナウイルスが、人工的に作られたということは、その構造にHIVウイルスが含まれていることからも明白である。
これを中国の特殊部隊が、中国にとって気に入らない国から広げていった。

昨今は、人流が厳しいので、今度は輸出物などとして各国に送った。また冷凍食品などに入れ、解凍されると拡がるようにしもした。

その上で、中国は新型コロナウイルスを国内では完全に封じ込めたことにしているが、昨今、北京を中心とする都市部でも感染が拡がったので、「カナダからの郵便物に付着していた」などと、自らの手の内を明かすような振る舞いをしている。

どこ国も、「おそらく中国の仕業だろう」とは分かっているが、決定的な証拠が挙がらない。また、たとえ証拠が上がったとしても、この先、この戦争にどう反撃するかも決められない。

核戦争では勝ち目のない中国は、自らの軍事力アップの時間を稼ぐためにも、新型コロナウイルスを全世界に撒いたのだ。

残念ながら、この世には悪は存在する。

2022年01月08日

三学期始業式

三学期の始業式が始まった。
本来ならば、皆が元気に登校しているかを楽しみに見て、声を掛けて回るのだが、今日はそれどころではなかった。

入試準備に追われたのである。
一昨日、教頭より連絡があり、今年は日程的に厳しいので、願書入力を急いで欲しいとのことだった。

従来の怠け者が、冬休みにすっかり怠け心が増大してしまった私にとって、ずっと先延ばしにしてしまっていたツケを、今日、払わなくなってしまったのだ。

7時前に出勤して、途中、始業式と掃除指導で抜けたが、それ以外はずっとコンピューターへの入力作業を行っていた。

概ね入力が終わったは午後1時頃であっただろうか。

このリストを、別の先生に何度かチェックしてもらい、正しい受験者リストを完成させる。
願書情報がすべて記載されたマル秘の表である。

入学試験後は、これをもとに審議資料をつくるのだが、その前段階。
入試に向けて生徒情報のリストをつくることが私の仕事だ。

入力中、「今日は部活できるかな…」、と思いつつも何とか終えることができた。

連休中に入力しようと思ったが、それでは遅いので、ちょっと頑張ったのだ。

おかげで、始業式にもかかわらず、ほとんど生徒と話をせずに終わった。

入試は来週末。
作業量は多いが、決して心をバタバタさせず、きちんと資料をつくらねばならないだろう。

この仕事を担当してもう十年以上になる。

決してミスの許されない仕事。
平静な心で、余裕を感じつつ務める必要がありそうだ。

2022年の出勤初日はちょっと忙しかった…。
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