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2021年11月10日

野球部の目標

最近、キャプテンMが決めた、当面の野球部の目標が次の五つである。

 何ごとにも全力で取り組む
 向上心をもって練習する
 凡事徹底
 けんかをしない
 失敗しても笑わない

なんだか、今の実情をよく表しているようで、Mはなかなか鋭い…。

「何ごとにも全力で取り組む」、「向上心を持って練習する」、「凡事徹底」はなかなか難しいことだ。

「何ごと」というのは、すべてのことだよ。野球の練習だけじゃない。
「凡事徹底」だって、日常生活すべてだ。
俺もなかなか完璧にはできないが、普段から意識しておくことで、少しずつでも変わっていける。
部活は、学校生活のプラスアルファのようなものだ。学校生活や勉強あっての上での野球だ。

キャプテンのMが熱く語っている。

それにしても、「けんかをしない」って、何だよ。まるで幼稚園生の目標みたいじゃないか。

私はそう思ったが、部員の中には、発達の偏りのある生徒もいて、その辺りで頻繁にトラブルが起こる。

私は、そうした事件が起きたら部活動停止にしてしまうので、彼等なりの防御策なのだろう。

当の本人も、意識して気をつけているようだ。

彼等は毎日練習後に、これらを振り返っている。

その効果が出てくるのは、しばらく先であろうが、なかなかいい傾向であろう…。

私は、じっと見守っている。

2021年11月09日

夕暮れの天体ショー

あとから知ったのだが、昨日は日中、「金星食」があったそうである。
三日月ほどの細い月によって、金星が隠される。
昼間なので、肉眼で見ることは難しい。

こんな時は、赤道儀の天体望遠鏡を使い、太陽との離角を調べ、ファインダーなどで見つけ、さらに拡大して見るのだ。そのためには、昼間ながらも、だいたいの極軸を合わせなくてはならず、天文ファンでなければ、なかなかできる芸当ではない。

だが、夕方、とても美しい天体ショーを楽しめた。

三日月のすぐそばに金星が見え、何とも天の宝石のように見えたのだ。

私はちょうど野球部の練習の最中。

ボールを捕りながら、「月、きれい…」と、生徒が思わず声を上げた。

この月と金星を見て、美しいと思えない人は誰もいないだろう。

私は外出時はいつもカメラを持っているので、私はひたすらシャッターを切る。

薄明の空に見える三日月は美しい。
しかもそのすぐそば、ほんの数度離れて-4.6等の金星が輝く。

今日になって、理科のK先生が、「丹澤先生の写真、期末試験に使わせてください」、と言う。大したことではないのだが、何となく自分の写真が役に立つのは嬉しいものだ。

普段は金星など気づきもしない多くの人が、三日月の下に明るく輝く姿を見て、その存在に気づき、「綺麗だな…」、と感じたことだろう。

「あ、UFO」としばしば間違えられる、金星だが、時に存在感を示す。

これを望遠鏡で拡大すると、月のように欠けて見えることを知っている人は、どのくらいいるだろうか。

…いいものを見た。

2021年11月08日

461個のお弁当

『461個のお弁当』という映画を見た。

渡辺俊美によるエッセイ『461個の弁当は、親父と息子の男の約束』を原作とした、井ノ原快彦、道枝駿佑が父子役を演じた映画だ。

父子家庭となり、父親が息子のために弁当を作り続けるという映画だ。
一浪して高校入学した息子に、
「必ず毎日弁当を作る。だから虹輝(息子の名前)も、一日も休まず学校に行け。」
と言う。

一日だけ学校をさぼってしまったり、お弁当に手をつけずに捨ててしまうこともあるが、父親が掛ける言葉はいつもポジティブだ。

「何をしようが構わないが、食べ物を粗末にする人間だけにはなるなよ。」
「大丈夫、何でも上手くいく…。」

何気ない会話の中の言葉が、身に染みる…。

美味しそうにお弁当を食べるシーンもジーンとくる。

何でもないストーリーなのだが、これは『愛』の映画だ。

子どもを思う父親が、自分がしてやれることを考えた実行し続ける中に、息子は思春期を乗り越え成長していく。

弁当を作ることだって『愛』なんだ。
見返りを求めない『愛』なんだ。
息子のために、美味しいお弁当を作って、少しでも幸せな気持ちになってもらおうという、純粋な『愛』なんだ。

世の中にはいろいろな子育てがあるが、これもその一つの方法であり、ある意味、模範解答なのかも知れない。

この映画を見ながら、いつの間にか、涙が止めどもなく流れてきた。

父親の愛を感じた息子は、461個のお弁当に感謝の気持ちを持つ。
その気持ちの中で食べた最後のお弁当は、何ものにも代えがたい味だったに違いない。

感謝しても感謝しきれないほどの『愛』を感じた息子は、愛の人として成長していくのだろう…。

2021年11月07日

小春日和

穏やかな秋の日になった。

この時期、山は紅葉で赤く染まる。
そこに朝日が当たると、さらに美しい。

穏やかな日差しのなか、畑にニンニクとタマネギを定植した。
途中、腰が痛くなったので、ギックリ腰を怖れながらの作業になったが、先日、生徒が耕し、マルチまで張ってくれていたので、そう時間はかからなかったで助かった。

室内や庭は荒れ放題だが、時々こんな風に畑仕事をする。

やはり、自然の中で過ごすのは好きなのだろう。

裏庭のもみじも紅葉の最盛期を迎え、インスタ映えしている。
サザンカも青空を仰ぎ輝いている。

みつばちには、相変わらずオオスズメバチがやってくるが、お約束通り粘着テープに引っかかってくれる。

そろそろ作業を終えようと思った頃、宅配で「そら豆の種」が届いた。
これもポットに植え付けた。

いろいろ野菜を植えて、上手くいく場合もあり、失敗する場合もありだが、こうした経験値が、何となく農作業指数を高めているようにも思える。

「お山も穏やかなのだろうな…。」
遠くに見える山々には雲一つかかっていなかった。

「温泉で汗を流してもいいけど、一人では淋しいな…。」
温泉からは絶景の山並みが見えるのだ。

コロナ禍になり、久しく出掛けていない。
そろそろ出掛けようと思っていた矢先、校長が、「脱衣所は危ない」、と制したので、二の足を踏んでいる。

何でもない一日。

それでも一抹の淋しさを感じるのは、ほとんど生徒と関わらない一日だったからだろう。

こんな日が、年に何回かある…。

2021年11月06日

アンガーコントロール

S君の課題はアンガーコントロールである。

定期的にカウンセリングを重ね、「怒り」の制御を行っている。

学校生活で起こるさまざまな出来事で、この訓練を行っているのだが、今でも時々爆発する。

時に、野球のバットを振り回し「殺してやる〜」と言いながら、他の人を追いかけ回したり、公共物を破損したりする。

入学当初から、本来普通学級に入る状況ではなかったのだが、「何とかする」として受け入れた生徒である。

こうした生徒は、他の生徒の学びにはなる。
先生たちも、その対処方法や、扱い方に長けてくる。

本人も、自分の性質を自覚して、日々格闘している。

その意味では、入学受け入れは失敗ではないのだろう。

ただし、時にいろいろな事件を引き起こすものだから、皆がヒヤヒヤしているのだ。

「Sとつき合うには、他の人の10倍くらい優しくしないとだめなんだ。それに、ミスしたとしても責めてはいけない。皆ではやし立ててはいけない。一人だけを悪者にしてはいけない。たとえ、挑発されたとしても応じてはいけない。逆に絶対に挑発してはいけない。とにかく励まして、プラスの声を掛け続けなくてはいけない。」

キャプテンの生徒が部員たちに、そんな風に語っているのを聞いた。

彼等なりにも、一生懸命なのだ。

平均から大きく離れている場合、人はそのグループから排除しようとする。

そんな中で、そうした特徴ある人を受け入れ、なんとかグループの中で生きる道を見つけ、励まし続ける人もいる。

学校では、後者の学びを求め、合わせて、本人のさらなる成長を見守っているのだろう…。

人は『怒り』を抑えることは可能だ。

誰しも試してみるといい…。

2021年11月05日

心の平静

若手の女性のY先生から、「丹澤先生は、心が揺れずにいて、いつも波動がいいですね…」、と言われた。

以前から、心の平静については、自分でも気をつけて過ごしてはいるが、面と向かって褒められた(?)のは、これが初めてのことだ。

そうは言われたものの、自分ではまだまだだと思っている。

今でも、ある女性の先生からは、口も聞いてもらえない状態が続いているのだ。
おそらくは、私のことを「穢れている」と思っているのだろう。

私自身も努力して、彼女の良さを見つけようとしているが、時々「鼻につく」思いが湧いているので、まだまだ和解は難しいようだ。

人の思いは、語らずとも伝わってしまう。
その波動が、勝手に仕事をしてしまうのだ。

そんな風だから、私の心はまだまだ未熟だと、自分では思っている…。

心があまり揺れないのは、学年主任でも担任でもないので、ある種のプレッシャーや保護者からの言葉に揺らされていることがないのだ。

心が揺れないというのは、ある種の幸福感でもある。

もしかしたら、現代人の数多くが、この事実に気づいていないのかも知れないが、「心の平静を保つ」ということは、幸福への道でもあるということだ。

しかし、これには努力を要する。

多少のことでは、心を揺らすことなく、過ごすには、そうした訓練も必要なのだろう。

怒り狂っている人は心が大きく波立っている。
泣き崩れている人も、心が揺れている。
悩み苦しんでいる人は、たいてい自分のことしか考えられず、同じことを繰り返して、心が乱れている。

今回のY先生の言葉を、これまでの私自身の努力への励ましと受けとめよう。

心を揺らさず、平静さを保ち続けることは、平安な生活を送るための秘訣でもある。

まだまだ努力を続けねばなるまい…。




2021年11月04日

秋の午後

「力仕事してくれや…。」
と、昨日は中3のS君とK君を隠れ家に連れて行った。

到着するなり、軒下のみつばちの巣箱に数匹のオオスズメバチが集っているのを見つけ、早速、駆除。

十数匹のみつばちがあっという間に倒れてしまったので、こちらも応戦したのだ。
ひとたび、巣の場所を覚えてしまうと、彼等は仲間を引き連れて襲ってくる。

天気の良い日中は、格好の標的だ。

そんな格闘を終えたのち、彼等に畑仕事をしてもらった。

収穫を終えた部分を耕し、籾殻や鶏糞を撒き、再び畝を作る。
ニンニクとタマネギを植えようと思っているのだ。

一ヶ月前、一人で作業してぎっくり腰になったので、今回は、安全のため、彼等に力仕事を頼んだわけだ。

畝の作り方やマルチの貼り方も教えた。

彼等にとっては、初めてのことだっただろう。

「農家の人って、大変な作業をしているんですね…。」
S君が呟く。

中学生の彼らにとっても、そうそう楽な作業ではないのだ。

しかし、このように丹精を込めてこそ、美味しい野菜が作られるのだ。

その後、彼等は柿を採ったり、犬と遊んだり、ハチミツを瓶詰めして過ごした。

「かわいいですね…。大分慣れましたよ…。」
犬と遊んでいる彼等も、十分かわいく見えた。

動物たちも、人の心を読むようである。

爽やかな秋の午後、彼等と楽しく過ごすことができた。

ささやかな幸せだ。




2021年11月03日

地元の祭り

午前中は暖かな日差しになった。
そんな中での部活動。

秋空はどこまでも澄んで美しい…。

そんな折、お囃子が聞こえてきた。
聞き慣れたそのお囃子は、地元のお祭りのものだ。

本来ならば、今日がお祭りの日。
二台の山車が、出会い、互いのお囃子が最高潮を迎える。

「お祭りですか?」
中1の野球部員が尋ねる。

お祭りを知っているのは、もはや中3だけになってしまった。

「ご神事なのに…。」
私はその気持ちが拭い去れない。

コロナは、人と人との結びつきを希薄にし、伝統行事をも破壊しようとしている。
国家を侵略するには、都合のよい状態だ。

グランド脇の知人が庭先でサトイモの皮を剥いていた。
「今日がお祭りですよね…。」
「いや、俺らにとっては、ない方が仕事がなくて助かる…。」

そんなつれない言葉が返ってきた。
江戸時代から続く地元の祭り。

私はこの伝統を守ろうという気持ちが強くはたらき、地元で生活している。

それなりの苦労もあろうが、この祭りはこの先も護り継いでゆかねばなるまい…。
しかし、気になるのがコロナだ。

生徒たちに出しを引くチャンスは、来年以降、巡ってくるのだろうか。

祭りすらなくなってしまえば、ただの限界集落になる。

今日は、神社の灯籠だけが灯っていた…。




2021年11月02日

脱炭素の罠

いつの間にか世界では脱酸素が騒がしい。

原理主義のグレタ女史など、なぜマスコミは大きく取り上げるのだろうか。

二酸化炭素が悪であるという科学的事実は根拠が乏しい。
それには一切触れず、自分たちの都合のいいデーターだけをもとに、持論を広げ、世界中を混乱に陥れる様は、まさに戦争状態とも言える。

コロナワクチンが大して効果をもたらさないのに、強制接種させようとする様とも似ている。

「化石燃料はだめ。原子力もだめ」、と言われて困らない国は、どこにもないはずだ。

ただでも資源に乏しい日本は、途端に電力不足に陥ることになる。
製造業は困窮を極め、電気料金は高騰し、さらに国力は低下してしまうだろう。

それを目論んでのことと考えれば、前述の戦争状態であることは、さほど外れた話ではあるまい。

アメリカのトランプ大統領が、不正選挙で落選させられ、バイデン政権になると、世界は、さらに混乱状態になった。
それと同時に、脱炭素運動も活発になる。

世の中の常識など、時の指導者の流れでいくらでも変わってしまうものだ。

「ガソリン車を全廃する」などと発言をした政治家もいるが、まさに国体破壊である。
日本の国力をさらに引き下げることが目的のようにも思える。

そうなったとき喜ぶのはどこの国かを考えれば、相当数の工作が、日本内部に浸透しているということが予想できる。

日本の豊かな山を破壊して、太陽熱パネルを設置することが、非現実的で、またエネルギー政策的にも、安全保障上も危険であることを理解できないのだろうか。

そうしたことを推進しようと報道するマスコミも同罪だろう。

世の動きは、よくよく分析しなくてはいけない。
何でも疑うことは避けたいが、さまざまな出来事の裏に、中国の陰が見えるのは、やはり警戒しなくてはならないことだろう。

こんな中で、来年の日中国交正常化50年の大々的なお祝いをするのだろうか…。

2021年11月01日

欲望のコントロール

人間の三大欲求は、「食欲・性欲・睡眠欲」であるという。
このうち、夜間、「きちんと睡眠を取る」という意味では、睡眠欲は必要不可欠であろう。生存するためには、睡眠が必要とされる。
もちろん、学校の授業中や、仕事中の睡眠は、慎まなくてはいけないことではある。

一方、「食欲」も、人間は食べなければ死んでしまうので、これを排除することはできない。
何でも欲しがったり、ここぞとばかりガツガツしてしまうのは、分を超えた欲望でもあり、見ていて醜いし、なんだか飢えた動物のようでもある。

学校でも家庭でも、『どの程度の「性欲」ならば許されるのか』については、ほとんど教えてくれない。

友だち同士で話題にすることはあるだろうが、その基準も分からない。
ネット情報も、いろいろ氾濫しており、本当に正しいかどうかも怪しい。

本当ならば、大人が、きちんと子どもたちに教えてあげる必要があるのだろう。
上手く教えられないのであれば、「これを読め」、と信頼ある正しい知識をもとに作られた本を渡してもよい。

私は、何も教えないで、「自然に任せるだけでは、多くの子どもが道を踏み外しやすい」、と思っている。

性に関する知識は、学校でも多少扱うが、それはどちらかというと肉体機能に偏っている。
昨今は、多少「心」の部分も扱うようにはなったが、まだまだ薄いように思う。

欲望が高まり、衝動的になった場合は、どう考えればいいのか。
どうコントロールするのか。
どのような心の状態を維持すべきなのか。

こんな対処方法は、誰も教えてくれないのだ。

人間が動物ではなく、人間である限り、この部分は避けては通れない。
これをなおざりにするということは、人間の動物化を意味する。

たとえ「性」に関することでも、子どもと向き合って、真剣に話せる大人は、どのくらいいるのだろうか…。

本来家庭教育なのだとは思うが、家庭で難しい状態になっているのならば、何かしらの手を打つ必要があろう。

ジェンダーだのLGBTなどばかりがクローズアップされているが、「本来なすべきこと」が忘れ去られているのではないか。

子どもたちが大きく道を踏み外さないように、性欲のコントロールを含めた『性』に関する正しい知識と対処方法は、大人が教えるべきであろうと思う。
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