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2021年10月11日

養蜂の師匠

夕方暗くなってから、犬の散歩のために、隠れ家に行くと、巣箱が整備されていた。

ご近所のMさんが、日中来てくださって、屋根とスズメバチ対策のネズミ捕りをおいてくださったのだ。

この巣箱は、先日オオスズメバチに巣門を破られ、侵入され、ミツバチたちが逃去してしまったものだ。

だが、日中には、蜂たちがしきりに巣箱に入って行くので、「戻ってきたんだべ…」、とTさんが言っていたものだ。

だが、実際は、巣箱に残った蜜を求めて来ているだけのようだ。
群全体が戻ってきているのではない。

どこかで営巣しているのか、女王を失ったはぐれ蜂が、餌を求めてきているのか。

そこに、時折来るのがオオスズメバチだが、ひところのような猛攻撃はなくなってきた。

新たに設置したネズミ捕りにもあまりかからず、ほとんどトンボだらけになってしまった。

一度かかると逃げられないので、トンボたちには申し訳ない。

先日、捨てた巣のそばにおいてあったネズミ捕りで、不思議な光景を見た。

ネズミ捕りにかかった仲間を、一生懸命引っ張りだそうという一匹の大オオスズメバチがいたのだ。

半分くらい粘着テープ領域からはずれていたようで、仲間が必死で引っ張っている。

しばらくしてから見に行ったらいなくなっていたので、おそらく救出劇は成功したのだろう。

あまり殺生はしたくないが、オオスズメバチに襲撃されると、人間の命さえ危険になるので、仕方あるまい…。

Mさんは、私の養蜂の師匠でもある。

困ったときにはすぐに来てくださる。

今回も、「じゃあ、見に行くべ」、と早速、来てくださって、いろいろアドバイスをしてくださった。

私が仕事で、早朝と夕方しか見ることができないときでも、ちゃんと気にかけて下さる。

愛犬たちも、ほとんど吠えなくなったくらいだから、相当通ってくださっているのだろう。

田舎暮らしの人間関係ならのことだろうが、本当にありがたい…。




2021年10月10日

ピアノレッスン

少し時間ができたので、かねてから頼まれていたT君のピアノレッスンをした。

せっかくの大会前の休日だったのだが、英検で午前も午後も練習できなくなってしまったのだ。

天気が良かったので、柿を収穫したり、焚火をしたり、ミツバチの世話をしたりと、午前中を過ごし、午後T君を誘ったのである。

コロナ禍で、閉鎖された空間である音楽練習室が使えないので、私の隠れ家に呼び、電子ピアノながらもレッスンをした。

T君は学年合唱の時、『大地讃頌』の伴奏をする。
本格的にピアノを習ったことがないT君には、少しばかりの背伸びになるが、練習を始めて、もう何か月も練習しているので、何とかなるのだろう。

私はまずは聞いてみようと、庭木の手入れをしながらT君の演奏を聞いた。
メトロノームを120にセットしているが、テンポが遅れることはなかった。

一所懸命テンポが外れないように弾いているのだろう。
実際は、指揮者に合わせ、また、時にテンポも変わる…。

唯一弾けない部分がトレモロの部分だという。
さすがにオクターブのトレモロが弾けなければ、和音のトレモロはさらに難しいのだろう。

私は、打鍵の強弱、音楽性との関係などをアドバイスした。

今月末に、一度お披露目があるようなので、間に合うか分からないが、一応は「弾ける」状態なので、音楽の先生もあまり心配していないのだろう。

小一時間、レッスンをして終えた。

翌日、音楽の先生から、開口一番、「昨日T君のレッスンしたんだって!」と来た。

別に内緒にしようと思っていたわけではないが、バレるのが早すぎる…。

T君が、また教えてもらいたいと思うのかどうか、分からないが、とりあえずは、彼の要望どおり、レッスンをしたことにはなった。

少し難しいけど、頑張れよT君!




2021年10月09日

K君の人徳

「つくづく、人徳というものはすごいな」、と思う。
中1のK君。

クラス内でも努力家で人望も厚い。
恐らく、「K君を悪く言う人はいないのではないか」、と思えるほど、皆に信頼されている。

そんな風だから、彼の一言には思いがある。

K君は、野球部員である。

中3が高校野球に移り、中2も数名抜け、野球部は試合出場できるかどうか、というくらいの人数不足の危機に陥った。

私自身、何度出場を辞退しようか、と考えあぐねたくらいだ。

そんな中、K君は、次から次へと助っ人を誘った。
もちろん、中2のキャプテンも動いてはくれたのだろうが、とにかくK君の誘いに断る人は、滅多にいない。

と言うわけで、あっという間にたくさんも助っ人が集まった。
お陰で大会にも出場できそうだ。

確かに参加するだけの状況かも知れないが、それでも、貴重な試合経験になる。

K君の人徳には脱帽である。

以前は、私が一人ひとり声をかけ、お願いしていたが、K君がいる限り、大丈夫だ。

「人徳がないと、いくら誘っても、来てくれないんだよな…。」
かつて、そんなことをある生徒に言ったことがある。

誘えば誘うほど、逃げていく人もいた。

なんだろう。

なぜだか、幸せになりそうな波動が、K君からにじみ出ているのかも知れない。

K君ありがとう!




2021年10月08日

前を向いて…

「夢地図」の続報になるが、もうひとりK君の言葉も素晴らしい。

『下を向いて泣いていないで、前を向いて笑おう』

入学時には泣き虫で、思い通りにならないときには、すぐに涙が流れていたK君。
最近はずいぶんたくましくなった。

相変わらず、体重三十キロ台の小さな生徒だが、根性はある。
努力家だし、向上心もある。

そんなK君が、「自分自身を鼓舞し、自らの力で変わっていこうと思い、この言葉を選んだのだろう」、と思うと、感動する。

「エラーしてもエラーしても下を向くな。前を向いて、なにくそ!と思って、大声出して、もう一度、もう一度!と、果敢に立ち向かおう! 泣いている暇などない! 相手に向かっていくだけだ! 『下を向いて泣いていないで、前を向いて笑う』んだ」

私は、試験後の最初の練習で、こうやって彼らを鼓舞した。

寄せ集め下手くそ集団だが、「あきらめずに立ち向かう姿」は見せて欲しい。

皆が怠けて遊んでいる中でも、練習を繰り返してきたという自負も持って欲しい。

私自身だって、いろいろなショックなことが起こる。
そんな時、やはりこの言葉を思い出したい。

下を向いていても何も始まらない。
転んだら立ち上がるだけだ。
失敗したら、再度チャレンジするだけだ。
誤解されたとしても、信念を貫き、邁進するだけだ。

言い訳をして弁解して、いつまでも落ち込んで、ウジウジしている暇などない。

人生は、「前に前に…」と、前進していく中にこそ、新たな道が開けていくのだ。

落ち込んでいる暇などない。

K君のように、前進してゆこう!




2021年10月07日

母親の呪縛

長らく中学生を教えていると、昨今、「子離れできない母親」があまりに多くなっていることに気づく。

特に男子。
母親にとっては、離れがたき存在である。
だから、いざ息子に一大事があると、一番心を痛めるのが母親でもある。

学校では、お子様をお預かりしている。
親たちは、自らの手元を離れることに寂しさを感じながらも、学校へ送り出す。

全寮制ならば、なおさらだ。
断腸の思いで、手放しているのだろう。

中1くらいだと、男子でも、まだまだ母親に甘えたい年頃。
家では、母親の膝の上に座るような子どももいる。

勉強だって、母親が面倒を見ていることもある。
そのために、母親は、必死になって勉強するのだ。
だから、学校の試験の成績が悪いと、「教え方の悪い先生のせい」になる。

あまりに教員が手を掛けすぎると、母親に嫉妬される。
歯をむき出しにして怒り狂う母親は怖い。

たとえは悪いが、以前、母猿が死んだ子猿をいつまでも抱きかかえる映像を見たことがある。
動かなくなって冷たくなった子猿を手放すことができずにいる、母親の姿だった。

思春期になると、男子は母離れを始める。
あれほど「お母さん」と慕っていたにもかかわらず、「うるせぇ、くそババァ」に変わる。

母親の子離れが早いか、子どもの親離れが早いか、これがほぼ同時に行われるとスムーズなのだが、時期が大きくずれると、お互いが不幸になる。

世の母親たちは、子どもの反乱に戸惑い、打ちひしがれるが、たいていの場合、成長するにつれ、子どもは再び母親を慕うようになる。

学校では、時に、「子どもを人質に取られている」と、親に思われることがある。

これも嫉妬心に近い。

嫉妬される側にも徳がないことも事実だろう。

教員たちは、その程度の差こそあれ、母親の呪縛と戦っている。




2021年10月06日

可能性は1%

中1の教室の後には、「夢地図」が貼ってある。
クラスの一人ひとりの目標シートでもある。

S君が「夢地図」に書いた一言が、心に突き刺さった。

『可能性は1%で十分だ』

これはすごい。
勇気の言葉だ。

「絶対無理だろうな…」、と思うときは、たいてい30%未満くらいの時だろう。

人は簡単に諦める。
本来の自分自身の力を信じ切れない上に、外的な原因を過大視する。

だから、「冷静に考えても、無理だろう」、と判断し、それを自分自身にすり込むことになる。

結果、予想していた通りになって、「やっぱりな…」と納得するのだ。
いわゆる負け犬根性タイプだ。

私はどちらかというと、ネガティブな指導をしてしまう。

だが、高校野球の監督は、常にポジティブだ。

「そんなこと絶対にあり得ないだろう…」
ということでも、平気で自信たっぷりに言ってのける。

そういう言葉の繰り返しは、自然に選手たちにやる気を与え、通常ならざる力をも引き出してしまうのだ。

これは見習うべきことだろう。

「やる気を出せ! やる気は自分で出すものだ! 下を向いていないで、立ち上がれ!」

こんな指導だけじゃ、現代っ子は動かない。

ポジティブになれないのは、自分自身の中にある「逃げ」なのかも知れない…。




2021年10月05日

襲撃

日本ミツバチの巣箱がオオスズメバチに襲撃された。

久しぶりの気温上昇に、巣落ち(みつばちの巣が暑さで一部崩壊し、落下すること)し、蜜が流れ出し、それが巣箱から溢れ、その匂いに誘われたオオスズメバチが、押しかけたのだ。

今は、常時、三、四匹のオオスズメバチが、みつばちを捕まえては殺し…、という作業を繰り返している。

本来、日本ミツバチの群が強ければ、やられ放題という訳でもないのだが、巣落ちしてしまった場合は、状況が変わる。

一匹だけであれば、巣の周りからオオスズメバチの匂いを消し、防御策に出るのだが、巣の周りに蜜が垂れてしまえば、その匂いを消すことは、もはや不可能。

おまけに何匹ものオオスズメバチが襲ってくるので、防御のしようがない。

幸い、巣の内部には侵入されていないが、もし、巣門(みつばちの巣箱の入り口)を破り、内部に侵入した場合は、その群は、ほぼ全滅する。

自然界では、頻繁に行われていることだが、養蜂しているときには、人間がその防御を手助けしてやるのだ。

オオスズメバチは、一匹別の群の巣箱の周りをうろつき、一匹ずつ捕まえ、肉団子にして持ちかえっていたので、そちらに金網を張った。

その金網では、オオスズメバチがすり抜けてしまうのだが、そちらの群にはオオスズメバチは来ていなかった。

キイロスズメバチは以前から来ていたが、こちらは、集団で襲うことはないようなので、放っておいたが、オオスズメバチは状況が違う。

集団でみつばちを攻撃する。

セイヨウミツバチなら、あっという間に全滅してしまうところだが、何とか、しのいで欲しいと思う。

オオスズメバチの攻撃に耐えたとしても、巣落ちした巣箱から逃去しても、この時期からあらたな巣を作り、蜜を集めても冬越しするのが難しいかも知れない。

みつばち用の防護服で、スズメバチと戦うのは危険なのだが、結局何匹も退治してしまった。

うーん、困ったなぁ…。




2021年10月04日

机の中の石ころ

職員室の私の机の中に、四個の小石が入っている。
この小石は、会津の鶴ヶ城内の小石であろう。

今から、三年前の中2の遠足で出掛けた際、Kがバスの中で訴えた。
「誰かに、これ入れられたんです。」
パーカーのフードの部分に、イタズラで入れられたものであった。

イタズラしたのは、Hらを中心とするメンバーであることは分かっていた。
だが、彼等は最後までシラを切った。

私はK君を励ましただけで、結局そのままになった。

当時の私は、すでに病んでいたのだ。
何だか分からぬが、焦りのような気持ちばかりが大きくなり、学年主任兼担任としての責務を、十分に果たせずにいたのだ。

私はその石ころを、机の中に入れた。

机の引き出しを開けるたびに、その石ころは自己主張をする。

「そんな指導でよかったのか?」、と…。

反抗期を過ぎたと思われるKたちは、今は高2である。

私はHの母親にも徹底的に責め続けられたので、何となくわだかまりが取れない。
高校を卒業し、私の記憶から忘れ去らなければ、気持ちを昇華させることができないようだ。

あれから3年。
今でも、「彼等の卒業式には出たくない」、とすら思う。

Kはその後、物静かながらもリーダーと活躍し、芯の強い男になっている。
そして、そのリーダーの仕事もいよいよ今週で終わる。

本格的な大学受験に向けて舵を切るのだ。

こうやって時が流れていく。

私は、ただただ、彼等が成長するのを横目で見ながら、小舟で懸命に竹竿を使いながら、川を行く。

転覆しないようにあがき続ける…。





2021年10月03日

ぎっくり腰

ぎっくり腰になった。

「一度、ぎっくり腰になると癖になるんですよね」、と生徒が慰める。
確かに、症状がない時でも、無理な動きをせず、気をつけていなければ、あっという間に「ぎっくり腰」状態に陥る。

今回は、何か重いものを持ったのではない。
もっとも、重いものを持たなく状態でも、「いけない」腰の角度によっては、症状が出てしまうこともある。
以前、冷蔵庫の野菜室に、ぬか漬けを入れようとしてぎっくり腰になったことがある。

今回は、「重たい」ものではなかった。

考査前で、部活動がない日曜日、天気がよかったので、「もうそろそろ、白菜とキャベツを植えねばなるまい…」と、畑仕事をした。

伸び放題の草を抜き、土を耕し、籾殻と肥料を入れ、畝を作り、マルチを敷く。
そして、苗の定植である。

普段は一時間ほどの農作業が、今回は二時間あまりになり、その間に、体が悲鳴を上げたようである。

デスクワーク中心の私は、畑仕事を一時間もするとへとへとになる。

今回は、無理をした、ということだ。

最後の方では、しゃがむことも、前屈みすることもできず、苗も傷めてしまった。

その後、横になって体を休めたが、いつもの「ぎっくり腰」になっていた。

もはや、寝返りを打つことも、座ってのち、すぐに立ち上がることもできない…。

「やってしまった…。」

こうなると、何もかもやる気が失せる。

やっぱり体が動くこと、健康が何より大切なことなのだと、改めて実感する。


何ヶ月か前、同僚のM先生がぎっくり腰になり、スーツケースを杖代わりに出勤した。

私も、杖か何か欲しいのだが…。




2021年10月02日

育ちが悪い

明治天皇の玄孫のT氏が言う。
「ポケットに手を入れる奴は、育ちが悪いんです。」

もともとはKK氏の態度を見て、そのように発言されたのだが、これには私も、ある程度同意できる。

昨今は、簡単にポケットに手を入れる。
寒いからというよりも、そういう人は、ある意味、癖になっているだ。

中には、先生と話をするときにも、ポケットに手を入れながら、なんていう姿も見かける。

ドラマの影響だろうか。
かつて和服の懐手だろうか。

「洋服のポケットは、本来手を入れるためのものではないのです。」
T氏はそう力説する。その上で、

「皇室をはじめ、諸外国でも立場のある人が、ポケットに手を入れるなどということは絶対にありません。」

「人と話をするとき、ポケットに手を入れてしまうのは、とても失礼なことだし、みっともない。品のかけらもない。」

そう、力説された。
「子どもには、家庭で三歳までに教育すべき内容です。そのように育てられた子どもは、非礼であることを知っている大人になりますが、それを知らないということは、まさに育ちが悪いとしか言いようがないのです。」

『育ちが悪い』と言われると困る保護者も多いのだろうが、大人でもこの「常識」を知らない人がいることを思えば、言葉はきついが、その趣旨は理解できる。

そんな話を生徒に話してみた。

効果てきめんであった。
ポケットに手を入れる生徒が激減したのだ。

「『知る』ということは、行動をも変えるものだ」、と改めて感じた。

しばらくは、ポケットに手を入れている大人たちを偏見の目で見てしまいそうだが…。




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