2021年08月21日

夏期講習

後期の夏期講習が始まった。
私にとっては約二週間ぶりの授業。

講習なので、積もる話もいろいろあるのだが、淡々と中1の授業を進める。

この学年もなかなか反応の少ないクラス。
私が冗談を言っても、にやりとする程度。
当然、授業中の発言も少ないし、こちらからのアクションに対してもリアクションが少ない。

「授業は真剣に静かに聞くもの」、と思っているのだろうか。
それはそれで良いことなのだが、一方通行の授業では、なかなか成果が出ないものだ。

成績中下位の生徒たちに、一次方程式の解き方を教えたのだが、今ひとつ反応が鈍い。
指名して当てれば、応えられるのだが、いざ演習すると、手が止まっている生徒もいる。

「数学で何も分からないでじっとしているのは、拷問なんだよな…。」
と、思いながらも、さらに熱弁を振るって空回り…。

「俺って、こんなに授業は下手くそだったっけ?」
と、驚きとも落胆とも思える感情を抱きながら、終業のチャイムが鳴る。

やっぱり、まず「聞かせる」姿勢を作ってから説明しないと、だめかな…。

ただ静かに座っているだけで、うつろな目で、別のことを考えながら前を向いているだけでは、授業を理解することなどほど遠い。

授業は人間関係が構築できていてこそ、上手くいくことも多い。
学校の授業などは、たいてい人間関係が肝だ。

「この先生の授業は面白い。楽しい。理解できる。わかりやすい。」
と思われたなら、そうした生徒たちの多いクラスはどんどん成績が向上する。

こうした授業の失敗を、これまで何度積み重ねてきたことだろう。
逆に言えば、満足いく授業だったことなど、私の教員人生の中で、ほんの数えるほどしかないのかも知れない。

ちょっとした後悔と落胆、それでいで、「このままで終わるか」という奮起。そうした気持ちが複雑に絡み合っている。




2021年08月20日

3度目の緊急事態宣言

3度目の緊急事態宣言が始まった。

相変わらず飲食店いじめが行われる一方、緊急事態宣言によって、さまざまな施設の利用が制限されている。

人流制限の一環ではあろうが、主たる理由は、自分の施設利用者で陰性者が出た場合の、管理責任を問われることを怖れてのことだろう。

もはや、国や自治体レベルでは抑えきれない状況にありつつある。

国や県、市町村が、個人の自由を著しく制限したところで、結局、はっきりとした感染理由が分かっていない中、どれだけ抑止効果があるかも分からない。

と言って、何もしないことも許されないのだろう。
だが、要は、「何が感染防止に効果的か。どうすると感染しにくくなるのか」、ということが、まったく分かっていないから、皆が右往左往しているのだ。

政府もワクチンを打つことばかりに執着しているだけで、さまざまなデーターを公開することもなく、自分たちの政策に都合のいい方向へと誘導しているに過ぎない。

ワクチン接種の弊害については一切触れず、「ワクチンさえ打てば安心」、という流れを作り、自分たちの実績にしようとしているのだろう。

だが、ワクチンは接種したところで、感染を防げるものではないことも、諸外国のデーターで明らかになりつつある。

逆に、ワクチンを打つことでその副反応による死亡者も増え続けている。

緊急事態宣言下、多くの広場や公園が閉鎖される。
そんな中、SNSで、ボランティア募集記事が流れた。

近隣の企業が、自分の土地を整備し、サッカー練習場として開放する、というものだ。
緊急事態宣言下、多くの施設が使えなくなり、体を動かしたり、練習する場所がなくなるので、あらたに広場を作るが、もう少し人手が必要なので、ボランティアをお願いしたい、というのだ。

私は、なかなか洒落たことをするな、と思った一方、閉鎖するだけで良いわけではなかろう、という思いも強く湧いてきた。

体を動かし、鍛え、免疫力や抵抗力を上げることで、コロナから護られる体にもなるだろう。

精神的なストレスも免疫力を下げる。

コロナとの共存、その中で自分のできうる最大限のことをやっていくしか、もはや方法はないのだろう。

サバイバルの時代に突入だ。

2021年08月19日

グランドの草刈り

市から借りているグランドが草だらけだ。
毎年のことなのだが、このところの雨続きで、一気に草が伸びた。

以前は、内野部分は草が生えないよう、死守していたのだが、今年は早々に諦めた。
すでに30cmほどの草もたくさんある。

当然ボールは草でイレギュラーし、楽しいボール捕球になる。

イレギュラーに対応する練習にもなるが、たいていの生徒たちは、グランドの草を言い訳にする。

本来、根っこから一つひとつ抜かねばならないのだが、三角フォーで行うにもあまりに時間がかかりすぎるので、手抜きをして草刈り機を使うことにした。

ナイロンカッターを準備して、いざスタート。
生徒達には、「30分走ね」、と言いながら、私は草刈りをスタートした。

だが、初めて五、六分でナイロンが無くなった。
補充燃料は持ってきていたが、予備ナイロンは持ってきていなかったのである。

内野くらいはきれいにしてあげよう、という私の計画は、あっという間に頓挫した。

除草剤を撒けばいい、という話もあるが、撒いたあと雨が降ったら、その効果が著しく低下する。

今の時期、雨を予想するのが難しく、なかなか実行に移せない。

「除草剤なら、学校で準備できますよ。」
と、事務方は言ってくれるが、その手間と、健康への影響を考えると、なかなか重い腰が上がらない。

早々に草刈りを断念した私は、ただただ彼等の走りを見ている。

何だ歩いているのは中2ではないか。

夏休みで、体力が一段と低下したようである。

しばらくは走らせねばなるまいか…。

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2021年08月18日

部活開始

10日ほど練習を休みにして、今日18日より練習を再開した。
そうは言っても、今日の練習は三人。

「これでは、野球の神さまから応援は期待できないな…。」

せっかく雨続きが終わり、再び夏の太陽が姿を現す始めたというのに、この人数では練習にならぬ。

10日程前、助っ人として期待しているA君の親から、「野球はやめさせて欲しい」、という連絡があった。

「成績不振で、勉強させなくてはいけないのに、テニス部もあるのに、その上野球部だ、なんてとんでもない」、という訳だ。

これでまた一人減った。

このままでは、秋の大会は出場が難しくなった。
緊急事態宣言も延長になるかも知れないし、コロナ禍で大会の有無もまだ分からぬが、危機的状態であることは事実だ。

もっとも、主力メンバーですら、「家族で出掛ける」という理由で、夏休みの練習に参加しなかったくらいだから、たとえ大会に参加できなくても、仕方あるまい。

オリンピックが強行され、オリンピックに反対していた朝日新聞主催の甲子園も行われている。今から思えば、昨年こそ実施できたのだろうが、今年はどちらも、強行すべきではなかっただろう。甲子園のクラウドファンディングは、まだその一割しか集まっていない。
一方で、パラリンピックも強行される見込みで、そこに東京都の学校は観戦させるのだという。

世の中あまりに矛盾だらけだ。

文科省は、「一斉休校はしない。各自治体毎に判断を」、と逃げている。
安倍政権時の反省なのだろうが、責任を逃れたようだ。

昨日、全中のホームページを見たが、「県外特別移動許可」のよううなものがあって、参加者は、県をまたぐ移動をしていいらしい…。


…という訳で、少人数で野球らしきことを、久しぶりに始めてみた。

皆、体力が落ちている。

病院ですら、感染してしまう昨今、一般人が感染防止策を努めても、あまり効果はないのだろう。

「コロナに打ち勝つには、まずは体力です。」

誰かそんな風に広めてくれないだろうか。




2021年08月15日

私の中学生時代 その6

私が気象に興味を持ったのも中学時代だ。
当時、授業で天気図の授業があった。
NHKの気象通報をもとに天気図を作るという、今では高度過ぎて授業では扱えないようだが、当時は全員が実習した。

そのあたりで、私は「気象知識普及会」なる団体を知る。そこでは、天気図の添削指導や予報技術を教えてくれる団体で、私はすぐに入会した。

そこでまじめに天気図の勉強をしたら、あっという間に天気図作成技術や、予報技術を習得した。
高校生になると、全国の天気図講習会に、模範演技者として連れ回されることになるのだが、中学時代は下積み時代だった。

諸先輩がたの指導も受け、私の天気図作成技術はめきめき上達する。

今、天気図の添削指導をしてくれるような団体はないが、当時の会長は、もと気象庁の予報官。本屋の店長だった。
団体と言っても、結局会長一人で切り盛りしており、それでも会員数は数百名。

天気図を学ぶということは、自分で天気予報をする技術を学ぶことでもあるので、山に登る人を中心にニーズはあったのだろう。

私は、その後気象に目覚め、高校では気象観測に明け暮れることになる。

昨今は、気象庁の天気予報の精度が良いので、普段の生活で、自分で天気図を書いて予報する機会はほとんどない。

山小屋などでは今でもニーズがあるだろうが、地域気象についても経験上の知識が必要になる。

私がこのような中学生時代を送り、また高校になってもなお、気象関係の研究を続け、天気図を書き続けたことは、今の職場でも知る先生はほんのごく僅かである。

天気図を見れば、この先の天気が予想できることは、今でも変わらないが、人生の一時期「お天気」に傾倒したことは間違いない。

人生、どこで、どんなことに興味を持つかは分からないものだ。

だからこそ、生徒たちに刺激を与える必要がある。

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2021年08月14日

ペルセウス座流星群

天文ファンにとって流星群の花形といえば、なんと言っても、「ペルセウス座流星群」である。スイフト・タットル彗星を母天体とする、ペルセウス座流星群は、最盛期には、一時間に60個近く流星が飛ぶ。
およそ1分に一回、流星が飛ぶ、という訳だ。

私は、小学生の頃から何度もこの流星群を観測した。
東京の空で、3等星が見えるのがやっとの空で、何人かで寝転びながら全天をカバーし、さらに記録係をつけた。

8月のこの時期、ペルセウス座が上ってくるのは、深夜なのだが、それでも流星群は飛ぶ。
月明かりなどあれば、更に数は減る。

さて、今年のペルセウス座流星群は、最高のコンディション、になる予定だった。
直前にも晴天は続き、月明かりもない。
「これは、素晴らしい天体ショーが見られるぞ。」
と思っていたら、急に天候不順になり、秋雨のようになった。

今住んでいる地域は、晴れれば天の川が見えるくらいの星空なので、さぞかし見応えのあるだろうと思っていたら、結局、ちょうど極大の時期は、天気が悪くなってしまった。

ペルセウス座流星群の極大はおよそ13日の明け方。

今年は虚しく雨であった。

流れ星は神秘的だ。
ほんの小さな塵が、大気圏に突入して発光したものだが、たいていは燃え尽きる。

その一週のはかなさが、何とも言えない思いを抱かせる。

かつて流れ星を「すわわわわ…」と形容した友人がいた。

確かに、ゆっくりめの流れ星は、「すわわわわ…」である。
その光輝いた痕に、雲のようなものが残る時もあり、いっそう儚さをかき立てる。

たまに飛ぶから趣がある。

かつての流星雨のよう飛び方なら、天変地異のように思うのだろう。

しばし星空を見て、思いを馳せようという私のもくろみは、脆くも崩れ去った…。

2021年08月13日

私の中学生時代 その5

白模造紙にラインを引いて、下書きをして、マジックで清書する。
そんなふうに、展示物を作っていたら、地学部の顧問の先生が、「字は半行明けて書くと、読みやすいし、見栄えも良くなるんだよ…」、と教えてくれた。

以来、私の関連する展示物はそのように作った。

中学校で教わったことは多いのだろうが、このコツは後々役に立った。

昨今は、マス目の模造紙があって、生徒たちは、当たり前のようにマス目に字を書き込んでいるが、この方法で言えば、このマス目でも、半行ずつ空けて書くことになる。

地学部の展示では理科室の暗幕を使わせてもらって、スライドショーを行った。
ちょうど、理科教材で様々な天体のスライドがあったので、それを構成して解説したのだ。

当時は、スライドプロジェクターがあり、そこにスライドを入れ、順次映し出す。
その内容を解説する、というスタイルだ。

もちろん、自分で撮影した星の写真や、購入したスライドも入れ混んだ。

本当はプラネタリウムにしたかったのだが、なかなかハードルが高く、スライドショーで妥協したのだ。

当時の私は、すでにプラネタリウムで解説できるくらいの天文の知識があったので、ほとんど原稿なしに、スライドショーを行った。

皆に感心され、美しい宇宙のスライドに感動してもらったことを思い出す。

卒業後も、文化祭で私が解説したときもあったくらいだから、自分でも自信を持っていたのだろう。

ごくごく狭い世界の話ではあるが、私の中学生時代の黄金期でもあった。

私たちが卒業後、数年して地学は廃部になった。
入部希望者がいなかったのだろう。

学校とはそんな風に趨勢が起こる。

公立中学だから、先生たちも何年かするとほとんど入れ替わる。

卒業生が訪ねてきても、知っている先生はどんどん減っていくという訳だ。

これはやはり淋しい…。

個人的に連絡を取り合っていないと、その頃の恩師とは、確実に音信不通になる。

私も、中学時代の恩師で今でも連絡が取れる先生は、誰も居ない。

思い出のまま記憶にとどめよ、ということなのだろう…。

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2021年08月12日

私の中学生時代 その4

すでに大昔のことなので、中学生のときの教室での出来事など、もはや思い出せない。
遠足でどこへ行ったのかも、記憶が定かではない。

修学旅行は京都、奈良に行った。
おそらく班別行動をしていたと思われるが、こちらも記憶が蘇らない。
当時は、大部屋で生活する時代だったが、こちらも平和だったことくらいしか、記憶がない。

どうやら学校行事系は、教員生活の方が長くなって、記憶が混濁してしまうようだ。
もはや、生徒時代よりも教員時代の方が長いのだ。

私は、テレビドラマ「3年B組金八先生」と一番最初のシリーズと同年代だった。
最終回の感動シーンを、中3という立場で見たのだが、こんな感動的な中学時代ではなかったように思う。

私は3年A組の1番だったので、卒業式では校長先生から代表生徒として全文、卒業証書を読み上げられ、皆の分も一緒に受け取って、舞台から下りる、という役割があった。

これには緊張した。
何度も、足を踏み外して、証書をぶちまける夢を見た。
3年生のクラス替えの初日に、すでに卒業式が不安になった。

当日は、何事もなく終え、泣きそうになりながら、最後の校歌を歌った。

その後、私が中学校を訪れた機会はほとんどない。

教員として考える中学校生活の、ほんの一部分しか私は経験していないように思う。
運動部系の生徒との交流はほとんどなかったし、いろいろな行事の記憶もほとんどない。

中学校時代というのは、そういうものなのだろうか。

私がしゃかりきになって、充実した中学生活を送らせようと、あの手この手を使っているのも、もしかしたら、すべては消え去ってしまうものなのだろうか…。

教員としては、たとえそれでも、「自分の信じる、なすべきことをなす」、以外方法はない。

誰が、どこで、何に、琴線が触れるか、それは本人ですら分からないことなのだろうから…。




2021年08月11日

私の中学生時代 その3

私の中学時代にもバレンタインデーはあった。
まったく女っ気のなかった私は、その日は、特別な日ではなく、毎日の連続のなかの一日だった。

その日、担任のT先生が、ある女子生徒をいじっていた。
「お前、誰かにチョコレートを渡すのか?」
「別に好きな人いるわけじゃないです。」
「チョコレートはあるんだろう?」
「あります。」
教室は大爆笑になった。

その女子生徒の隣に座っていたのが私だった。
T先生は私に、「丹澤、絶対そいつからチョコレートをもらうなよ」、と振ってきた。
要は、ただの義理チョコなんて、意味のないことだ、と言いたかったようだ。

私は、チョコレートなどもらうことはほとんどなかったので、別にどうでもよいと思っていたのだが、結局、彼女は私にチョコレートを渡した。

私は、別に断る理由もないと思って受け取った。
なんだかんだ言って、もらえるものは嬉しい。

たまたまT先生の目の届かないところだったので、もらったことは私が黙っていれば、先生に知られることもないだろう、と思ったのだ。

もしかしたら、これが私が初めてチョコをもらったバレンタインデーだったかも知れない。

恋愛感情など、まだ湧かない年齢だったから、ただの友達くらいにしか思っていなかったが、私はもらったチョコを家に帰ってから食べた。

普通の味だった。

T先生は、当時30後半か40代くらいの先生だった。
結構髪の毛がいっていて、前頭部ははげていた。

その後、一切の交流がないので、今、ご存命なのかすらも分からない。

だが、私の中学生時代に、確実に影響を与えたことは間違いない。

彼は、少なくとも中1と中3の担任だった…。




2021年08月10日

私の中学生時代 その2

私は、中学では天文と音楽に傾倒した。

星好きの人が集まったということで、理科のS先生が新たに地学部を作ってくれた。
この地学部のお陰で、私たち部員は、天体観測のために学校の屋上で天体観測をすることもできた。

8月のペルセウス座、12月の双子座流流星群のときには、朝まで学校の屋上で過ごしたことを思い出す。

当時、顧問になったS先生は、基本的に自主性に任せて活動させてくれた。
観測中も、ほとんど顔を見せることもなく、徹底的に陰でサポートしてくれたのだ。

東京の学校だったから、大して星は見えないのだが、地学部の存在は本当にありがたかった。
私の「夢は天文関係の仕事に就く」、ことだった。

小学生の頃から、皆で集まって星を観測していた仲間たちが、皆、地学部にやってきて、学校でいちばん活発な文化部になった。

その中で、私は合唱部の助っ人もやっていた。
NHKの音楽コンクールにも出場したことを思い出す。

課内クラブでも音楽だったので、演奏発表時にはピアノを弾くこともあった。

スポーツには疎かったが、文化系では結構活躍していたのだ。

あるとき、音楽の先生が資料室に私を呼んでくれた。
「ほら…」、と言って見せてくれたのはコントラバスだった。

生まれて初めて見たコントラバスを、その時、初めて触った。
チューニングはされていなかったが、弦をはじくと、体の中に染みこむような音がした。

中学生時代は、教員から見ると何でもないことが、生徒には記憶に残っていることが多い。

そんな風だから、教員としての今、私は生徒たちに様々な刺激を与えている。

その刺激的な経験の中で、何か、心に残り、記憶に残り、将来もよい思い出として残るものがあれば、それで私は、彼等に対して少し仕事ができた、と思う。
どこで彼等が引っかかるかは分からないが、そんな経験をさせたいと、日々、格闘している…。




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