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2023年03月01日
卒業式
卒業式が終わった。
私の中では、なんともあっさりとした卒業式になった。
私自身トラウマのある学年。
本当なら参列したくはなかったのだが、私にはいつものようにカメラマンとして、卒業式の様子を撮影しなくてはいけない仕事が与えられた。
だから、逃れるわけにはいかなかったのだ。
例年は涙、涙卒業式で、流れる涙をファインダーを覗きながら誤魔化したものだが、今年は涙が流れることはなかった。
恐らく私は、枯れてしまったのだろう。
もう何年もなるのだが、私が彼等を担任した時代、どうやら私は病んでいて、彼等と正面から向き合うことができなかったようだ。
その罪悪感、逃避により、私は彼等の学年に顔向けができないでここまできた。
そして卒業式を迎える…。
彼等が気分良く卒業式を迎え、幸せに卒業していくのならば、それでいい…。
だが、その姿を少し離れて、やや冷めた気持ちで見ている自分が、何ともやるせなく、許せないようにも思える。
生徒とのトラブルというよりも、保護者とのかかわりの中で、私は彼等の学年を見捨てる形で去ることになった。その傷は、未だに癒えていない。
式後の謝恩会にも招待され、参加こそしたものの、一時間あまりのその集いは、私にとってあまり居心地がよいものではなかった。
式後、二人の生徒から声をかけられ、感謝の言葉を述べられた。
私は何ごともなかったのように、笑顔で彼等を送り出す。
高校生にとって、中学時代の先生はかなた昔の遠い存在なのだろう。
しかし一方で、私は未だに、彼等の姿を見るたびに、罪の意識にさいなまれる。
恐らくは彼等が卒業したのちも、私の心は癒えることはないのだろう。
現実逃避として、彼等の姿を見ることがなくなることだけが、これまでと変わることだが、まだ、私の心のわだかまりが消えることは、しばらくない…。
私の中では、なんともあっさりとした卒業式になった。
私自身トラウマのある学年。
本当なら参列したくはなかったのだが、私にはいつものようにカメラマンとして、卒業式の様子を撮影しなくてはいけない仕事が与えられた。
だから、逃れるわけにはいかなかったのだ。
例年は涙、涙卒業式で、流れる涙をファインダーを覗きながら誤魔化したものだが、今年は涙が流れることはなかった。
恐らく私は、枯れてしまったのだろう。
もう何年もなるのだが、私が彼等を担任した時代、どうやら私は病んでいて、彼等と正面から向き合うことができなかったようだ。
その罪悪感、逃避により、私は彼等の学年に顔向けができないでここまできた。
そして卒業式を迎える…。
彼等が気分良く卒業式を迎え、幸せに卒業していくのならば、それでいい…。
だが、その姿を少し離れて、やや冷めた気持ちで見ている自分が、何ともやるせなく、許せないようにも思える。
生徒とのトラブルというよりも、保護者とのかかわりの中で、私は彼等の学年を見捨てる形で去ることになった。その傷は、未だに癒えていない。
式後の謝恩会にも招待され、参加こそしたものの、一時間あまりのその集いは、私にとってあまり居心地がよいものではなかった。
式後、二人の生徒から声をかけられ、感謝の言葉を述べられた。
私は何ごともなかったのように、笑顔で彼等を送り出す。
高校生にとって、中学時代の先生はかなた昔の遠い存在なのだろう。
しかし一方で、私は未だに、彼等の姿を見るたびに、罪の意識にさいなまれる。
恐らくは彼等が卒業したのちも、私の心は癒えることはないのだろう。
現実逃避として、彼等の姿を見ることがなくなることだけが、これまでと変わることだが、まだ、私の心のわだかまりが消えることは、しばらくない…。