2021年08月02日

発達の偏り

昨今、発達の偏りのある生徒が増えてきたように思う。
確かにADHD系は、障害ではなく、ある意味、個性なのだろうが、集団生活に極端になじめない生徒は、少なからずいる。

私の見立てでは、「少し発達の偏りがあるかな…」、という生徒をも含めると、ざっとクラスの三分の一くらいにはなるのではないだろうか。

だからと言って、何かしら日常生活に不便をきたすわけではない。
要は、ごく普通にそうした生徒がいる、ということなのだ。

長く教員をしているが、以前はこんな風には思えなかった。
確かに、偏りの強い生徒は、登校し来ず、またすぐに不登校になり、学校から去っていったように思う。

学校生活でも何も話すことができず、友達と一言も会話ができない生徒は確かにいた。
そうした生徒の親も、入学はしたものの、半ばあきらめて、「続かないかも…」、と思いながら、ハラハラした気持ちで学校に送り出しに違いない。

私の学校にも、発達の偏りの大きい生徒がいる。
実は、私の部活にもいるのだ。

「日常生活がきちんとできなくて、野球などできるわけないだろう!」
私は、そう彼等と接してきたが、自分の都合をチームの中に強く押し込まれても困る。

活動中に、「今はこれをやるべき時」、というときに、一人だけ違った方向を見ていてはチームとして戦えない。

こうした生徒を受け入れるためには、先輩や同級生の理解が必要になる。
「彼はそういう奴だから、こういうアプローチで接すれば、機嫌良くやってもらえる」、という所までできれば、機嫌良くできるのだが、なかなか生徒同士でそこまでできることは少ない。

今年の中一にも、各クラスに数名、そうした生徒がいる。
確かに、一学期を終えて、クラスの生徒達は、そうした生徒を受け入れ、理解できるようになっていた。

だが、クラスをまたぐと、まだまだそうはいかない。
慣れるまで時間がかかるのだ。

私の学校では、こうした生徒も積極的に受け入れているが、長い期間、手がかかることは間違いない。

だが、そうした生徒達も、自分の弱点や苦手部分を一つずつ克服していくことによって、誇らしげに卒業していく。

その姿を見ると、改めて、「切り捨てなくて良かったな。切り捨てられなくてよかったな」、と思う。

いろいろな生徒がいるから、その中で切磋琢磨できる。

同じ方向を向きながらも、個性を尊重するというのは、こういうことを言うのだろうか…。
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