アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2021年07月15日

無声援応援

高校野球の応援に出掛けた。
「スタンドでは声を出してはいけない」、と言う。
何とも奇妙な光景だ。

オリンピックは反対している朝日新聞が、「甲子園はやる」、という政治的不統一感も気に入らない。

昨年夏の甲子園が出来なかったので、高野連も必死なのだろう。
私は、別に甲子園に反対していわけではない。
例年通りやればいい。
声を出しての応援だって構わない。

人の心を抑えこんで、人と人とのつながりを希薄にして、薄い人間関係になってはいけないのだ。

それが人間力を弱めていく。
そして人を孤立化することを意味する。
ある意味、社会の崩壊への道である。

「なんだこの応援は…。」
野球は声を出すことで応援になるのである。
ベンチからの声までも制限できないのが、その証左である。

奇妙な無声援の応援は、違和感を超えて、嫌悪感すら感じた。
こんなことがコロナ対策になるとは思えない。
炎天下でマスクをして座っている応援者の熱中症リスクも、各段に高まる。
大きな組織は、何かしらの事件や被害者、犠牲者が出なければ、なかなか変わらない。
今回も、その傾向は大いにあると思われる。

唯一の発見と言えば、相手ベンチの声が良く聞こえることだ。

オリンピックの無観客も、責任を取りたくないという政治家の逃げだろう。
そもそもこんな戦時下とも言える有事の際に、オリンピックを行うこと自体、空気を読めていないと思うのだが、あと1週間で開幕なのだという。

スポーツは人々に感動を与える。
勝敗はもとより、その姿そのものが、見る人の人生観をも揺るがす。
そういう貴重な人生への潤いを、無声援などという責任逃れで奪ってしまうのか。

諸外国では、イベントの人数制限もなくなり、マスクすらしていないと聞く。
それが正しいのかどうかは分からない。

ウイルスは市中に溢れているはずだ。
だが、感染リスクが最も高まるのは、人の免疫力の低下である。

さまざまな対策もあろうが、一年以上経って、「人を減らし、マスクをする」ことしか考え及ばない識者も情けない。

どうか、人と人とのつながりを希薄にし、人を孤立させ、免疫力を低下させるような、コロナ対策は、やめていただきたい。

試合結果だが、選手たちの夏は、今少し続く…。
ファン
検索
<< 2021年07月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新記事
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
丹澤三郎さんの画像
丹澤三郎
プロフィール
リンク集
おすすめ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。