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2022年01月16日

ユーチューブ

年末から鉄道系ユーチューブをよく見るようになった。

最初は、どうしてこれほどまでにチャンネル登録者数がいるのだろうと思ったが、いつしか私自身も取り込まれてしまった感がある。

私は鉄道マニアというわけではないが、この世界にはそれなりに興味はある。
併せて、旅行に関しても、今はコロナ禍で巣ごもり状態だが、こうした旅行動画を見ていると、さながら疑似旅行を体験したような錯角になり、なんとも言えない満足感に浸ることができるのだ。

「これがユーチューブの魔術か」、と実感した。

以前は、「そんなに動画を見て、彼等を設けさせてどうするんだ!」と生徒に訴えっていたが、今は、私が彼等を稼がせている。

政治的な発言や、運営会社の考えに合わない動画は、すぐに削除されてしまうのだが、こうした分野は大丈夫なのだろう。

「こっちはOKだが、これは駄目」と、まさに混迷の時代になった。

それでも、やはり背後に利益追求のために暗躍している影が見え隠れするようでもある。

「へー、なるほど…」と思うことも仕切り。
自分では体験できないことを、彼等は難なくこなす。

動画を撮影し、編集して、仕上げ、アップするのは、なかなか大変なのだろう。
だが、自分の得意分野を、多くの人に知ってもらうという自己実現は、難なく果たしているように見える。

農業系、政治系、物販系など、私はこれ以外にも様々な動画を見るが、それなりには勉強になっている。

生徒達は、ゲーム系やアイドル系などにはまっているようではあるが、あまり人のことは言えなくなってしまった。

雑情報の中から、果たして光る部分はあるのだろうか。

結局は、時間の無駄遣いなのだろうか…。

2021年11月25日

スマホの闇

どこの学校でもスマホの扱いには苦慮しているに違いない。
今や、スマホが「一億総白痴化計画」を担う道具になっているようにも見える。

私自身、どこにいても、捕まえられてしまうスマホの存在はあまり嬉しくない。
たいてい連絡があるのは、仕事上の急用なのだろうが、その急用も嫌だが、その時表示される管理職らの表示を見るのも嫌だ。

LINEなどを登録しようものなら、頻繁に通知が来る。
生徒達が、この通知を気にしながら勉強しているようでは、学習内容の定着はますます定価するだろう。

既読マークがないと不安になる。
グループに入らないと疎外感が大きくなる。
YouTubeで時間を潰し、知的生活から逃れていく。
ゲームにはまり、スマホを手放さない。

ある意味中毒である。
聞けば、スマホを手放す生活は考えられず、彼等は「命より大切」と思っているふしがある。

電話機能に絞ったキッズ携帯もあるが、コンピューター昨日としてのスマホは、メーカーの戦略としか思えない。

3G帯を開放するために、ガラケーを廃し、さまざまな機能を付加したスマホを国民に売りつけ、中毒化させているようだ。

いっそのこと、スマホ所持に年齢制限を設けてはどうだろう。

私見だが、子どもにスマホは必要ない。

ここまで広まったスマホの制限は、現実問題としては難しいだろうが、「人間としてもっとも大切なもの」を捨て去ろうとしているような現実は、変えていかなくてはいけないだろう。

子どもたちには、ネットの闇もそのまま入ってくる。

あらゆる欲望をそそり、自制心を失わせ、刹那的な知識で知的好奇心を破壊する。

私の学校でも、中学生には来年度から大幅な制限を掛ける予定だが、なかなか一筋縄ではいかないだろう。

2021年11月01日

欲望のコントロール

人間の三大欲求は、「食欲・性欲・睡眠欲」であるという。
このうち、夜間、「きちんと睡眠を取る」という意味では、睡眠欲は必要不可欠であろう。生存するためには、睡眠が必要とされる。
もちろん、学校の授業中や、仕事中の睡眠は、慎まなくてはいけないことではある。

一方、「食欲」も、人間は食べなければ死んでしまうので、これを排除することはできない。
何でも欲しがったり、ここぞとばかりガツガツしてしまうのは、分を超えた欲望でもあり、見ていて醜いし、なんだか飢えた動物のようでもある。

学校でも家庭でも、『どの程度の「性欲」ならば許されるのか』については、ほとんど教えてくれない。

友だち同士で話題にすることはあるだろうが、その基準も分からない。
ネット情報も、いろいろ氾濫しており、本当に正しいかどうかも怪しい。

本当ならば、大人が、きちんと子どもたちに教えてあげる必要があるのだろう。
上手く教えられないのであれば、「これを読め」、と信頼ある正しい知識をもとに作られた本を渡してもよい。

私は、何も教えないで、「自然に任せるだけでは、多くの子どもが道を踏み外しやすい」、と思っている。

性に関する知識は、学校でも多少扱うが、それはどちらかというと肉体機能に偏っている。
昨今は、多少「心」の部分も扱うようにはなったが、まだまだ薄いように思う。

欲望が高まり、衝動的になった場合は、どう考えればいいのか。
どうコントロールするのか。
どのような心の状態を維持すべきなのか。

こんな対処方法は、誰も教えてくれないのだ。

人間が動物ではなく、人間である限り、この部分は避けては通れない。
これをなおざりにするということは、人間の動物化を意味する。

たとえ「性」に関することでも、子どもと向き合って、真剣に話せる大人は、どのくらいいるのだろうか…。

本来家庭教育なのだとは思うが、家庭で難しい状態になっているのならば、何かしらの手を打つ必要があろう。

ジェンダーだのLGBTなどばかりがクローズアップされているが、「本来なすべきこと」が忘れ去られているのではないか。

子どもたちが大きく道を踏み外さないように、性欲のコントロールを含めた『性』に関する正しい知識と対処方法は、大人が教えるべきであろうと思う。

2021年10月26日

皇室の危機

眞子内親王殿下がご結婚された。これにより、眞子様は、皇籍を離脱するのだと言う。

この問題は、何年も前からワイドショーネタになり、皇室の品位を著しく下げた。
そして、本日、二人の記者会見が行われた。

申し訳ないが、私はその話を聞いても、「幼いな…」と言う気持ちが大きく湧く。
彼等は三十歳で、大人なのだが、彼等を取り巻く大人は、「もっと何とかならなかったのだろうか」、と思う。

政治評論家のT氏は、「記者会見そのものを行う必要はなかった」と述べたが、私もその通りだと思う。

一切の皇室行事を行わず、天皇陛下にも私的にお会いするにとどまり、秋篠宮様は、小室氏を邸内に入れることも拒んだ。

秋篠宮家にとっては、一種の勘当状態であり、世間的には駆け落ち婚のようにも見える。

想像するに、結果的に、宮家でのお子様の教育がうまくいかなかったのだろうし、お付きの方も、宮家独特の考えにより、かつての伝統的な行いができなかったのだろう。

「お幸せになってください」、とは思う。
だが、この騒動の皇室へのダメージは計り知れない。

女系推進者はもとより、皇室廃止論者たちの、格好の餌食になる可能性だってある。

私は、「皇室に生まれた」という峻厳なる事実を、もっと厳粛に受けとめ、与えられた役割を全うすべきであったと思う。

世間の『常識』とは相容れない、独特の「伝統」があるが、それが二千年来、天皇家を護り続けられる事ができた理由でもあるはずだ。

最も長く続いている王室として、その品位と振る舞いと徳が、日本や諸外国から尊敬され続けてきた皇室は、これからも護られて欲しいと思う。

そのために必要なのは、お子様たちの教育である。
そして、皇室の伝統である宗教性を磨くことである。
宮家を復活させることも必要ではないか。

皇室が宗教性によって磨かれる『徳』を捨てたら崩壊する。

生まれながらの素養もあろうが、そのほとんどは後の教育によっても養われる。

公人たるお子様たちには、そんな教育も必要だ。

2021年10月07日

母親の呪縛

長らく中学生を教えていると、昨今、「子離れできない母親」があまりに多くなっていることに気づく。

特に男子。
母親にとっては、離れがたき存在である。
だから、いざ息子に一大事があると、一番心を痛めるのが母親でもある。

学校では、お子様をお預かりしている。
親たちは、自らの手元を離れることに寂しさを感じながらも、学校へ送り出す。

全寮制ならば、なおさらだ。
断腸の思いで、手放しているのだろう。

中1くらいだと、男子でも、まだまだ母親に甘えたい年頃。
家では、母親の膝の上に座るような子どももいる。

勉強だって、母親が面倒を見ていることもある。
そのために、母親は、必死になって勉強するのだ。
だから、学校の試験の成績が悪いと、「教え方の悪い先生のせい」になる。

あまりに教員が手を掛けすぎると、母親に嫉妬される。
歯をむき出しにして怒り狂う母親は怖い。

たとえは悪いが、以前、母猿が死んだ子猿をいつまでも抱きかかえる映像を見たことがある。
動かなくなって冷たくなった子猿を手放すことができずにいる、母親の姿だった。

思春期になると、男子は母離れを始める。
あれほど「お母さん」と慕っていたにもかかわらず、「うるせぇ、くそババァ」に変わる。

母親の子離れが早いか、子どもの親離れが早いか、これがほぼ同時に行われるとスムーズなのだが、時期が大きくずれると、お互いが不幸になる。

世の母親たちは、子どもの反乱に戸惑い、打ちひしがれるが、たいていの場合、成長するにつれ、子どもは再び母親を慕うようになる。

学校では、時に、「子どもを人質に取られている」と、親に思われることがある。

これも嫉妬心に近い。

嫉妬される側にも徳がないことも事実だろう。

教員たちは、その程度の差こそあれ、母親の呪縛と戦っている。




2021年09月01日

人と人とのつながり

前髪を伸ばして目を隠し、マスクをして、パーカーを頭からかぶる。
典型的な引きこもり君のスタイルである。
自分の表情を人に知られないように、また、本当ならば隠れたい状態だが、仕方なく人前に出なくてはならないから、いろいろな所を隠している姿だ。

コロナ禍になり、皆がマスクをするようになった。
マスクをすると、顔のほとんどが隠れてしまうので、表情が見えない。
表情が見えないと、考えていることが分かりにくい。
微妙な目の動きや、首の角度、そんなことぐらいしか、見た目では分からない。

心を読んで、判断することもできるが、誰もができることではない。

会話も減り、活動も減っただろうから、ますます他との関わりが薄くなっている。

人間は、集団で生きている生きものだ。
学校は、成長期にお互い刺激し合いながら、人間関係を構築する貴重な機会だ。

今、コロナによりそれが失われつつある。

彼等が大人になったとき、コミュニケーション能力が不足することも大いに考えられ、個人主義で、自分のことを中心に考える人が増えてしまうことも懸念される。

ある意味、文明実験が行われているのだ。

ワクチンだって、接種者は治験者でもあるので、これも大きな文明実験だ。

学校現場は、他の人と接することのできる貴重な機会だ。

何かしらの工夫をして、人と人とのつながりを深くするアイデアが必要だろう。

このことは、教職員同士でも同じだ。

先生たちが上辺だけではない少し深い人間関係を構築することも、「いざ」というときに助けになるに違いない。

人は助け合って生きている。
ある意味、一人では生きることはできないのだ。

「だれだけ、人と人との関わりを持ち、さらに深い関係を築くことができるか。」

コロナ禍であるからこそ、その点を考察したい。




2021年08月07日

家族愛

Tの部屋には大きく引き延ばされた写真が飾ってある。

Tが野球のユニフォーム姿。
おそらくは、高3最後の大会終了後に撮ったものだろう。
そこには、満面の笑みを浮かべたTに加え、母親、祖母、そして妹が写っている。
一番の野球好きの祖父の姿がないので、恐らくは祖父が撮ったものだろう。

家族愛。

私はその写真を見て、まずはそう思った。

Tの家族には、あと一人、兄のYがいる。
今年は浪人生で、毎日勉強しているはずである。

写真には彼の姿はない。
もし、この写真にYが写っていたら、Yは一生懸命作り笑顔をしたに違いない。

この家族に父親はいない。

「母親が好きなのは、Tなんですよ。」

以前、Yが淋しげにそう呟いたことがある。
確かにそうなのだろう。

すべての野球の試合に顔を出し、何かあれば、一番の心配をし、何があってもTを信じ続ける…。

その姿を見れば、Yがそう言ったこともうなずける。
学校宛てに送ってくるメールを見ても、母親はYよりもTの方がかわいいのかな、とも思うことがたびたびあった。

別に嫉妬したり、拗ねてしまうような年齢ではなかろうが、ちょっとした寂しさをYは感じていたのだろう。

下の子は上をおうらやましく思い、上の子は下をうっとうしく思うのは、いつの時代も変わらないのだろう。

私だったら、家族の写真など、恥ずかしくて部屋に飾ることはできない。
これまでも、そういう写真を部屋に置いたこともない。

家族愛。

うらやましくもあり、複雑な気持ちにもなり…。




2021年06月25日

理想の学校

私立学校では、それぞれ建学の精神があり、独自教育システムを構築している。

生徒や保護者のニーズにこたえるべく、いろいろ工夫をし、生き残りをかけているのである。
中には、東大合格人数に特化している学校だってある。
東大合格率が、「売り」であり、その人数の多さで、良い学校としての価値基準になっているようだl

先日、教頭が視察した学校もそうした学校であった。
帰校するなり、「参考になるところはあまりありません」、と一声。

どうやら私たちの考える常識とは異なる価値観の学校のようである。

驚いたのは、高3の授業を担当する先生は、すべて東大の卒業生で固めていることである。
学校現場に東大卒を招くことは、そう簡単なことではないので、おそらくは、金銭的な優遇をして、教師を集めているのだろう。聞くところによると、人によっては数千万単位の報酬をもらっているらしい…。

学歴至上主義の学校は、教員にも序列があり、いわゆる下々の者には、成績優秀生徒の指導は当たらせないのだ。

教員も授業に特化し、印刷物も自分で行うこともない。
すべて業者および事務員が行う。
部活の会計処理をはじめとする、一切の授業にかかわらない仕事は、教員自身では行わない。

校舎内の清掃も業者。
生徒が掃除をすることもない。

話を聞いていると、何となく予備校や塾に近いように思う。
こうなってくると、「学校というのは、東大にいれるための一過程なのだろうか」、と思ってしまう。

「生徒たちの情操教育はどうなっているのだろうか」、とも思う。
学校だから、それなりにはやっているのだろうが、「先生は授業を教えればいい…」、という発想は、生徒には歪んだ思想を植えつけているようにも思う。

学校運営者たちは、これこそ理想の学校と思って、学校経営をしているのだろう。

私立学校だから、いろいろなスタイルがあっていいと思う。
そうしたニーズもあるのだろう。

だが、「足りない何か」、は将来必ず禍根を残す。

学校は、学力を上げるためのものでもあるが、同時に人間教育の場でもあるからだ。

「他を蹴落としてでも、自分が上がっていけばいい…」という人間を量産してはいけない…。




2021年06月11日

続・担任の仕事

前回、「担任の仕事」というタイトルをつけたが、内容にまったく触れていなかったので、もう一度、語ってみたいと思う。

要は、「担任をすることに、生きがいを感じられないならば、担任の仕事はできない」ということである。

だから、「無理矢理担任にさせられた」、とか、「いやいや担任をやっている」というのでは、仕事にならない。それに、先生も生徒も、お互い不幸である。

担任は、クラス全員を統括する立場にある。
先生風を吹かせて、大人の不条理な論理で、強制的に従わせることもできるが、生徒たちが、管理されていることを感じないような、上手なアプローチの仕方もある。

いずれにせよ、「真の担任」とは、常にクラスの生徒のことを考えている立場にいる教員のことである。

たとえ生徒が家庭に戻ったとしても、担任はその生徒のことを気にかけ、善導したいと思い、次なるアプローチを探るべく、考え続ける…。

そうした毎日の連続を過ごしているのが、担任である。

そうした思いは、必ずや生徒たちに届き、いつしか信頼される担任になっていく。
その信頼感が親たちをも納得させ、「この担任なら安心」、という思いを抱かせる。

たとえ厳しい指導をすることがあっても、「〇〇先生が担任の先生で良かった…」、と思われるようでないと、ホンモノではない。

確かに生徒たちには担任は選べないが、「うちの担任、なかなかやるじゃん」、と思わせる、スパイスが必要なのだ。

「このクラスで良かった」、と思う生徒は、「この担任の先生でよかった」という思いときわめて近い。

もちろん、生徒全員に好かれる担任はめったにいないだろう。
だが、筋を通し、生徒を愛している姿は、誰もが安心感を持ち、納得する…。

「〇〇先生と会いたい」、と週初めに生徒が思うような、そんな喜びを、担任は意識して欲しいと思う。

若い先生たち、頑張れよ! 今なら、何でもチャレンジできるぞ。

2021年04月05日

二宮尊徳像

以前は、どこの学校にもあった二宮尊徳(金次郎)像だが、昨今は修繕費も計上されないまま、老朽化という言い訳で、撤去されているものが多いようだ。

そんな中、我が校に二宮金次郎像がやってきた。

自助努力の精神と積小為大の考え方は、現代社会にもっとも必要な考え方であると言える。

コロナ禍の中で、人々は二宮尊徳精神をすっかり忘れてしまっている。
本当に困っている人を救済することは必要だが、自助努力の精神をも失わせる政策は、国の社会主義化であり、国に頼る国民を量産し、国力を衰退させる。

その意味では、政府や自治体が、コロナ感染拡大を防ぐという名目で、さまざまな国民活動や経済活動を制限し、罰則既定まで制定するというのは、まさに国家社会主義化だろう。

中国のように、自分でウイルスを作りばらまきながら、いざ国民が感染すると、完全封鎖し、感染者を隔離処分。公には何もなかったことにして、自分たちは感染をコントロールできているなどと公言している様を、本当は世界中が信用していないのだが、世の指導者たちは、それを指摘することも非難することもできないでいる。

唯一、吠えていたのはトランプ前大統領だけだった。
彼も、中国の罠にはまり、マスコミにでっち上げられたフェイクニュースで落選させられた。

こんな危機の時代であるからこそ、自助努力と積小為大の考え方は、きわめて大切だろう。

不可抗力の環境、言い訳はいくらでもできる。
だが、自助努力の精神があれば、必ず道は拓けていくに違いない。

だからこその、二宮尊徳像なのだ。

その精神を体現した生徒が育っていけば、世の中は変わっていく、と信じて、思いを伝え続けようと思う。

できない言い訳はいくらでもできる。どうやったらできるか、どう工夫し、何とかこの危機を乗り越えるか、を考え続け、行動し続ける、そういう生徒を育てたい。そして、自分自身もそのような人生でありたいものだ。
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