2021年12月12日
菊池涼介選手はシーズン中に骨折していた!
【独占】広島の菊池涼介が今だから明かすコロナ後遺症と東京五輪の金メダル秘話〈dot.〉
12/12(日) 14:00
配信
AERA dot.
東京五輪で獲得した金メダルをかけた広島カープの菊池涼介(撮影・今西憲之)
9年連続ゴールデングラブ賞、侍ジャパンの一員として東京五輪で金メダルと縦横無尽の活躍だった広島カープの二塁手、菊池涼介選手(31)。一方で広島はセ・リーグ4位と優勝を逃し、自身も新型コロナウイルスに感染し、チーム離脱を余儀なくされた。終盤は骨折しながら試合に出続けた。波乱万丈の1年間をAERAdot.の独占インタビューで語り尽くした。
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――今年もコロナ禍のシーズンでした。その中で東京五輪が開催され、メンバーに選ばれ、金メダルを獲りました。
「これまで2017年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)や2019年の第2回WBSCプレミア12で日の丸のユニフォームで戦いました。しかし、五輪のユニフォーム、日の丸は比べ物にならないくらい重かった。すごい重圧でした。野球が五輪で復活できたのは、東京開催という部分も大きかったはず。他の競技とは違い、次は五輪種目に野球が選ばれるか、わかりません。地元開催で、絶対に金メダルしかないとチームのみんなの目の色がかわっていた」
――7月28日の初戦は福島県郡山市でのドミニカ共和国戦。9番セカンドでの先発出場でしたね。試合はサヨナラ勝ちでハラハラドキドキでした。
「予選の1試合目で相手はドミニカ。周囲からは『日本、楽勝だ』なんて声が聞こえてきた。選手はまったくそんな気持ちはないのですが、どこか隙があったのか、なかなか打てなくて、7回表に先制点をとられ、9回表で3対1と2点差で負けていた。坂本勇人先輩(巨人)の一打でサヨナラ勝ちでしたが、国際試合の怖さを思い知らされました。それでも勝てたので、チームも盛り上がり、一気に突っ走れた。ひとついえば、東京五輪の予選3試合は開始時間が昼12時でした。シーズンならデーゲームは午後2時くらい開始です。昼12時は二軍の試合開始時間で、ちょっと調整が難しいところがあったのは事実ですね」
――東京五輪で使用するボールや無観客などいつもと違う環境がありました。戸惑いはなかったですか?
「試合のボールは、変化球がよく曲がるなという感じはあった。ただ、プレミア12と同じもので経験があったので違和感はなかった。それもあって、最も自分に求められる安定的な守備でしっかり貢献できた。東京五輪は大勢のお客さんの前でプレーできると楽しみにしていたので、無観客は正直、やりづらかった。選手の声が筒抜けで、グランドにいるとすごく響くんですよ。これまでにない空気感で余計にプレッシャーが増幅されましたね。子供の頃から五輪は大観衆の前でやるもんだとばかり思っていましたからね」
◆ウイニングボールは坂本勇人に譲る
――ライバルのアメリカとは決勝リーグ初戦がサヨナラ勝ち、強豪・韓国とはベスト4で対戦し、勝利。決勝戦もアメリカに勝って見事、金メダルでした。
「国際大会だと、アメリカや韓国が日本のライバル国として注目されます。しかし、ドミニカ共和国やメキシコなどもメジャーリーグや日本で活躍する選手がいて、強いですよ。試合前には徹底的にビデオやスタッフの助言で研究して臨みますが、データは限られているので、初対戦で真っ白な状態で対決というのもシーズンとは違い、難しいところでした。そこをカバーしてくれたのが日本のまとまったチーム力です。4年間で稲葉篤紀監督、コーチが限られた練習、試合スケジュールの中、一体感あるチームに仕上げてくれたと感謝しています」
――決勝戦のアメリカ戦で2点リードの9回表2アウトランナー1塁。ホームランが出れば同点という緊張する場面。最後はセカンドゴロで金メダルとなりました。
「東京五輪で一番、印象に残っているのが最後、自分にとんできたセカンドゴロです。ウイニングボールを獲りたいと、自分のところに飛んできてほしいと願っていましたね。その念力が通じたのか、セカンドゴロ。そのまま、セカンドベースを踏みに行こうと思ったのですが、ショートの坂本先輩がニコニコして、入っている。そこは先輩ですから、残念ながらトスしました(笑)。その瞬間、やったと最高の気分でした」
――金メダルをかけてもらった時の気持ちは?
「最高ってああいうときのことを言うんですね。プレミア12でも金メダルをもらいましたが、ズシリとしたあの重さは比べものになりませんね。試合後、監督やコーチには金メダルがないことを知りました。すぐに、稲葉監督のところにいって、金メダルを渡し、かけてもらいました。金メダルはシーズンが終わったあとも、知り合いなどあちこちに持っていきかけてもらっています。うちの両親も僕の知らない間に、金メダルかけて写真を撮っていましたね。金メダルは噛まれないように、気を付けています。今のところ、大丈夫です(笑)」
――今シーズンを振り返ってもらうとチームは4位とBクラス。菊池さん自身はゴールデングラブ賞を獲得も、打率277という成績の感想は?
「前半戦は本当に調子よかったです。チームもいい感じで、今年はこのまま走れるんじゃないかと思いました」
――暗転したのが、5月17日の新型コロナウイルス陽性の診断でした。
「前日の16日は試合に出てそのまま自宅に戻りました。唯一、自覚症状として腰が痛いなと思ったくらいでした。翌朝起きると、めちゃくちゃ暑くて、汗びっしょり。まさかと思って体温を測ると39度を超えている。すぐに球団に電話して、近くの大きな病院で検査を受けました。その結果、医師から陽性と告げられ、信じられなかった。コロナ対策は球団で徹底され、外食もダメだし、外部との接触は遠征の移動の時ぐらいでしたからね。コロナ発症後、熱が下がらず、最高39・8度まであがりました。ずっと寒くて、体のあちこちが痛むというのが5日間ほど続き、これまで風邪をひいた時とは比べものならないほど、きつかった。コロナの怖さを思い知らされました。これ、ヤバいと思った瞬間もあった。それでも幸い、肺炎がなかった。他の選手、コーチもコロナ感染がわかり、試合は延期になり、本当に申し訳ない気持ちです」
――コロナを乗り越えて、6月2日の交流戦、日本ハム戦で復帰しました。その試合でいきなり2安打と活躍でした。
「コロナは1週間ほどで陰性になったので、すぐに家でバットスイングをはじめて、一日も早い復帰を目指しました。レギュラーの自分が離脱というのは、チームに大きな迷惑となってしまいます。ましてや、うちのチームは交流戦の成績が毎年、あまりよくないので余計に早く戻らねばという思いでいっぱいでした」
◆コロナの後遺症で息が続かない
――今年、最も印象に残っているプレーが6月2日にあったそうですね?
「8回裏、2対0でカープがリード。自分が2塁打を打って、3塁まで進んだ。バッターの西川龍馬はピッチャーゴロ。自分は三塁から一瞬、飛び出し、フェイクで止まったふりして、ホームへ突っ込んだ。相手ピッチャーはフェイクで判断を迷って、ホームへの送球が遅れ、ダメ押し点がとれた。自分のプレーで勝ったという場面はあまりないですが、あのプレーはまさに自分で1点を取ったんだぞ、と充実感ありましたね」
――しかし、その後、コロナの影響もあってか、チームも菊池さん自身の調子はなかなかあがらない状態が続きました。
「コロナの影響はありましたね。肺活量というのか、息が続かず、すぐにゼーゼーってなり、感覚がなかなか戻らなかった。コロナがグサリと突き刺さってしまったのが悔しいです。それともう一つは左足を骨折してしまったことです」
――後半戦はほとんどの試合、出場していましたが、骨折していたのですか?
「今だから言いますが、8月の京セラドームの阪神戦でした。自分で打った打球が左足を直撃。当たった瞬間、すごい冷や汗で、やってしまったかと思うほど、痛かった。しばらく腫れがひかず、毎日、痛くてどうにもならないほどでした。しかし、これ以上、チームを離脱するわけにはいかない。監督には『全力疾走できない時もありますが、バレないように走ります。ぶっ壊れても構わないので』とお願いして、プレーを続けました」
――大丈夫だったのですか?
「腫れは1か月してもひかず、1か月半でやっと回復してきた。その時、病院でレントゲン検査したら『今はひっついているようにみえるが、骨折していましたね。だから1か月以上も腫れていたんです』と診察で告げられました。やっぱりなと。自分でもよくそんな状態でプレーしていたなと思います、今は笑っていますが、本当に痛かった。もう骨折したところは完治、大丈夫です」
――後半戦は9月と10月は2度、6連勝があるなど調子に乗ってきた。来シーズンはチームの主砲、侍ジャパンの4番だった、鈴木誠也選手のメジャーリーグ移籍も報じられています。
「鈴木選手の挑戦は素晴らしい。メジャーリーグ移籍が叶えば、夢ですから頑張ってほしい。チームにとって主砲が抜けるのは大変ですが、そこが空くというのは、若手選手には大きなチャンスです。今年、後半戦は自分もチームも好調だったので、いい手ごたえ。その勢いでぜひ優勝を目指したい」
(聞き手 AERAdot.編集部 今西憲之)
菊池選手の今シーズンは、いろいろな事があった感じですね。
5月、悪夢の新型コロナウイルスの感染で高熱を出し、戦線離脱を余儀なくされてしまいました。この感染がなかったら、菊池選手の今季はかなり充実したものになっていたと思います。
東京オリンピックでの侍ジャパンの戦いの選手への重圧もかなりのものだったようです。それだけに、予選のドミニカ共和国戦で、逆転サヨナラ勝ちをおさめたのは、チームに勢いをもたらしてくれました。菊池選手もチームの雰囲気を盛り上げるのに、いろいろな事をしてきたようです。稲葉監督の誕生日に、阪神の青柳投手にバースデーソングを歌わせたのも、菊池選手が仕掛け人だったと聞いています。
オリンピックの決勝戦、ウイニングボールを菊池選手が捕球して、自らセカンドベースを踏みたいところをショートの読売の坂本選手にトスしたところや、菊池選手自身の金メダルを稲葉監督に掛けてあげたのも、菊池選手らしいなと感じました。
一番驚いたのは、8月の京セラドームでの阪神戦、オリンピックの中断明けの試合で、自打球が左足に当たり、骨折していた事です。それでも菊池選手は、これ以上チームに迷惑をかける訳にはいかないという事で、試合に出場し続けました。佐々岡監督に「全力疾走できない時もありますが、バレないように走ります。ぶっ壊れても構わないので」と、出場を志願したそうです。ドリヨシはこの事実を知って、菊池選手の忍耐強さと、野球への取り組み方について、改めて感心させられました。
来季は若手選手を引っ張る役割が求められます。一つ一つのプレーの中で、若手選手にアドバイスしていくと、あるテレビ番組の中で菊池選手は言っていました。一味違う菊池選手を見る事ができそうですね。
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