2018年10月21日
辰巳琢郎 氏
俳優、タレント。
1958(昭和33)年生まれ。
大阪府出身。
京都大学卒業後、NHK朝の連続テレビ小説「ロマンス」で、ヒロインの相手役としてデビュー。
1991(平成3)年から3年間「辰巳琢郎のくいしん坊! 万才」(フジテレビ系)のリポーター。
「辰巳琢郎の葡萄酒浪漫(ワインロマン)」(BSテレ東)でホストを務める。
<辰巳琢郎氏へのインタビュー>
「義父は『一流のものを身に着けないといかん』とよく言っていました。
初めて手にした一流品です」
と見せてくれたのは、やや小ぶりのロレックスの手巻き式の腕時計。
約35年前、結婚が決まった頃に、妻の父親から譲り受けたものだ。
大学を卒業する直前にNHK朝の連続テレビ小説「ロマンス」への出演が決まり、約1年後、在学中に知り合った妻と結婚した。
腕時計をもらった時の状況はあまり覚えていないが、
「これ着けてみぃ」
と、気軽に手渡されたことを記憶している。
娘の婿となる男が安物の時計をしていたのを見かねたのかもしれない。
それまで高級品には興味も縁もなかったが、
「ああ、こういうものを持ってええんやと、パァーッと新しい世界が広がるような気がした」
と振り返る。
義父は外科医で、大阪の拠点病院の院長だった。
とにかくいつも忙しく、遅く帰宅して夕食を食べ終わるとすぐ病院に戻るような人だった。
仕事一筋の傍ら、常に良いものを身に着け、周囲を圧倒するオーラをまとっていた。
「自分のように一流の品が似合う人間になれと、私を叱咤激励するつもりだったのかもしれません」
高校生の時につかこうへんさんの舞台に感銘を受けて演劇を始め、大学在学中に、関西を拠点とする劇団そとばこまちの座長になった。
俳優として華々しいスタートを切ったが、その後は決して順風満帆ではなかった。
医学部に入り直して手に職を付けようかと考えたこともあった。
そんな行き詰った状況を打ち破ったのが、バラエティー番組への出演だった。
数々のクイズ番組で正答率の高さを誇り、知性派タレントとしてお茶の間に浸透。
全国各地の名物や郷土料理を食べ歩く料理番組のリポーターを務め、親しみのあるキャラクターが受け入れられるようになった。
名前が広く知られると、1994年にはTBSのサスペンスドラマ「浅見光彦シリーズ」の主役に抜てきされた。
「これで俳優としてやっていけるという感触がつかめた」。
デビューから10年、ようやく義父が腕時計に込めた思いを受け止められたように感じた。
立派な医師になってほしいと、義父からおもちゃの聴診器を与えられて育った辰巳琢郎の長女は、受験勉強の途中で医大から音大に進路を変え、自分と同じ芸能の世界を選んだ。
先月の2018年9月、ソプラノ歌手の辰巳真理恵としてデビューアルバムを出した。
その長女が最近になって
「小学生の時、七夕の短冊に『歌手になりたい』と書いた」
と話すのを聞き、自らも小学生の時に
「物書きになりたい」
という夢を抱いていたことを思い出した。
還暦を迎えた今年、身近な食材についてつづったエッセー集「やっぱり食いしん坊な歳時記」(集英社)を出版。
料理番組の影響で食通と思われることが多いが、
「これからも単なる流行やグルメ紹介だけではなく、地に足を着けて食というものにアプローチしていきたい」
と話す。
義父は7年前の2011(平成23)年に亡くなった。
そろそろ人生の話をいろいろ聞きたいと思っていたのに、かなわなかった。
だが、ゼンマイを巻けばいつも受け取った時と変わらず動き出すロレックスの腕時計を見るたびに、
「一流が似合う男になれたか」
と問いかけられているような気がしている。
1958(昭和33)年生まれ。
大阪府出身。
京都大学卒業後、NHK朝の連続テレビ小説「ロマンス」で、ヒロインの相手役としてデビュー。
1991(平成3)年から3年間「辰巳琢郎のくいしん坊! 万才」(フジテレビ系)のリポーター。
「辰巳琢郎の葡萄酒浪漫(ワインロマン)」(BSテレ東)でホストを務める。
<辰巳琢郎氏へのインタビュー>
「義父は『一流のものを身に着けないといかん』とよく言っていました。
初めて手にした一流品です」
と見せてくれたのは、やや小ぶりのロレックスの手巻き式の腕時計。
約35年前、結婚が決まった頃に、妻の父親から譲り受けたものだ。
大学を卒業する直前にNHK朝の連続テレビ小説「ロマンス」への出演が決まり、約1年後、在学中に知り合った妻と結婚した。
腕時計をもらった時の状況はあまり覚えていないが、
「これ着けてみぃ」
と、気軽に手渡されたことを記憶している。
娘の婿となる男が安物の時計をしていたのを見かねたのかもしれない。
それまで高級品には興味も縁もなかったが、
「ああ、こういうものを持ってええんやと、パァーッと新しい世界が広がるような気がした」
と振り返る。
義父は外科医で、大阪の拠点病院の院長だった。
とにかくいつも忙しく、遅く帰宅して夕食を食べ終わるとすぐ病院に戻るような人だった。
仕事一筋の傍ら、常に良いものを身に着け、周囲を圧倒するオーラをまとっていた。
「自分のように一流の品が似合う人間になれと、私を叱咤激励するつもりだったのかもしれません」
高校生の時につかこうへんさんの舞台に感銘を受けて演劇を始め、大学在学中に、関西を拠点とする劇団そとばこまちの座長になった。
俳優として華々しいスタートを切ったが、その後は決して順風満帆ではなかった。
医学部に入り直して手に職を付けようかと考えたこともあった。
そんな行き詰った状況を打ち破ったのが、バラエティー番組への出演だった。
数々のクイズ番組で正答率の高さを誇り、知性派タレントとしてお茶の間に浸透。
全国各地の名物や郷土料理を食べ歩く料理番組のリポーターを務め、親しみのあるキャラクターが受け入れられるようになった。
名前が広く知られると、1994年にはTBSのサスペンスドラマ「浅見光彦シリーズ」の主役に抜てきされた。
「これで俳優としてやっていけるという感触がつかめた」。
デビューから10年、ようやく義父が腕時計に込めた思いを受け止められたように感じた。
立派な医師になってほしいと、義父からおもちゃの聴診器を与えられて育った辰巳琢郎の長女は、受験勉強の途中で医大から音大に進路を変え、自分と同じ芸能の世界を選んだ。
先月の2018年9月、ソプラノ歌手の辰巳真理恵としてデビューアルバムを出した。
その長女が最近になって
「小学生の時、七夕の短冊に『歌手になりたい』と書いた」
と話すのを聞き、自らも小学生の時に
「物書きになりたい」
という夢を抱いていたことを思い出した。
還暦を迎えた今年、身近な食材についてつづったエッセー集「やっぱり食いしん坊な歳時記」(集英社)を出版。
料理番組の影響で食通と思われることが多いが、
「これからも単なる流行やグルメ紹介だけではなく、地に足を着けて食というものにアプローチしていきたい」
と話す。
義父は7年前の2011(平成23)年に亡くなった。
そろそろ人生の話をいろいろ聞きたいと思っていたのに、かなわなかった。
だが、ゼンマイを巻けばいつも受け取った時と変わらず動き出すロレックスの腕時計を見るたびに、
「一流が似合う男になれたか」
と問いかけられているような気がしている。
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posted by rolexwatch at 20:06| ロレックス ヒストリー