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2019年11月06日

「下げる言葉」ばっかり放っているかも Σ(・ω・;|||

気分の上がる言葉、下がる言葉ってありますよね〜。

ワクワクしたとき、やる気になったとき、
追い風になってくれるようなものを見るとテンションが上がりますね!


でも、直接的でも間接的でも
あるいは、たまたま見かけた何かでも
気分の下がるものってありますね〜。
「そんなこと言われたからなんか迷ってしまった……」とか
落ち込むとか やる気失せるとか……。


完全に否定系の言葉もあれば
一見否定じゃないけどなんか気持ちを削がれる言葉も。



……最近、
「自分の考えって誰かに悪影響を与えるものかな?」って
気になっています。


否定ばかりしていると可能性が狭まるので
これでも否定系は控えているつもりですが

言わなくても、思っていることって
雰囲気として出てしまいますよね〜。


無意識に、「下げる言葉」ばかり放っているかも……。
気を付けたいです(ー_ー;)


でも言いたいことはある程度言わないと気が済まないし、
言われて 上がる言葉・下がる言葉は人それぞれで、
自分にとって必要な言葉・必要ない言葉ってのもそれぞれですね……。
多分……。


反省はしつつ、しばらくこのまま様子見です……(^ー^;)



今ちょっと、「エナジーバンパイア」でウェブ検索してきたのですが
耳が痛いというかドキッとするというか
「うわー……(ノД`;)」って感じです。


べ、勉強してきます(汗







posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年11月05日

「名は体を表す」「袖振り合うも多生の縁」

朝、テレビ番組のエンドロールを見ながら
「映画やゲームのエンドロールに名前が載ったら嬉しいだろうなー」
とちょっと想像しました(*´ω`*)

考えてみれば「名前」って文字の組み合わせですが
そこに、名前を付けた人や
名前を受け取った人の思いがこもったりして
意味とか「人生」が入ってくるんだから不思議ですね。


有名な方の名前とか……。
誰かの「名前」を目にしただけで、
「ああ、あの人ね」と思い浮かぶものがありますね。

エンドロールで並んでいる名前とか
学校の卒業アルバムに並んでいる名前とか
自分が属した団体で渡された名簿とか

すべての「名前」の意味は知れないけれど
その人たちみんな、一人一人名前というドラマを持った
「人間」なんですよねー。


よく知らないまますれ違って別れて……。

自分にとってあまり関わりのない方って
背景と共に記憶から抜けていく感じですが、
一瞬一緒にいただけの人とも、何かを交わしていそうですね。







posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年11月04日

「積ん読」を繰り返してしまう理由が分かったかも?

以前のブログで、
「積ん読」を繰り返してしまう話を書きました。
気になるあれこれ、今日もいっちょ積ん読?

今回はその話の続き(?)です。


最近買いたい漫画を見つけたのですが
もう本棚がいっぱいなので、整理することにしました。
どれを残すか悩んだけれど、いくつか読み終わった漫画を手放して
まだ完結していない漫画も読み続けるのをやめて売ることにしました。

何巻くらいまで続くかは、ド素人の私には分からないのですが、
読む作品を増やすということは
漫画を揃えられるスペースを空けておかなくては
いけないということなんですね……。
あんまり、気になった漫画を何でもかんでも買っちゃダメですね。


もっと本を増やすスペースがあれば、
全部手元に置いておけるのになぁ……
そんなことを思いつつ整理をしていたとき、
「積ん読」が目に入って
「これ読んでいないけどどうしよう……」と困りました。

読んでいない本を売っちゃダメな気がしますが、
かつて読もうと思って買った本を読めずに
売ってしまったことがあります。


なぜ私はこんな効率の悪い行動を繰り返してしまうんでしょう……。
本は売ることができるといったって、買うときの方が高いんだから
本気で読みたいわけでもない本を
何度も売ったり買ったりしない方が良いですよね……。

最初は本当に読みたくて買ったけれど、
読んでいる途中で合わないと感じた場合は別ですが。


なぜ積ん読を繰り返してしまうのか
考えてみると、本屋さんで本を読んでいる時と
家に持ち帰って読んでいるときでは
本から受け取るイメージが変わることに気づきました。

家で本を読むと、本の内容のみに集中するため
あんまり「思い出」にはなっていないのですが、
外出先の本屋さん(特に遠くてあまり行かない場所)で読むと
なんだかそれが思い出になっているんです。

流れてくるBGM……。並ぶ本たち……。行き交う人々……。
書店の「空気感」があるわけですね。
そしてそこに向かうまでの道のりでの出来事とか
気分(外出したときのワクワク感とか)もプラスされます。


今まで、読書ってのは本の内容を見ているのだから
どこで読もうと一緒だと思っていたのですが、
思い返してみるとその場の「空気」も重要ですね。
もしかしたら私は、本屋さんにいる本好きの熱意に釣られて
つい本を手にとってしまうのかもしれません(笑)


本以外の物もそうですよね〜。
お祭りやイベント、テーマパークでは何か買いたくなります。
同じものを近所のコンビニで売っていても手を出さないかもしれませんが
外出したのに何も買わずに帰るとなんだか寂しいです。
お土産が欲しくなるんですね。


ということで自分が「積ん読」してしまうのは
雰囲気に飲まれて(?)本を持って帰るからだと分かりました。
買う前に一旦、家でその本を読んでいる自分をイメージしてみると
良いかもしれませんね。

本を置けるスペースは(うちでは)限られているのだし、
つい何でも買ってしまうのはやめて、
本当に心に残る本を丁寧に選んでいこうと思いました。


しかしこの結論には、
「気になるあれこれ、今日もいっちょ積ん読?」
でも既にたどり着いていたような……。



posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年10月31日

12星座占いを知ってから(・ω・*)

星座占いって身近なものですよね〜。
テレビとか雑誌の占いコーナーで見かけます。
(雑誌は購読していませんが、病院の待合室とかで見たような……。)


自分はファンタジー系のものが好きなのですが
意外なことに(?)身近である星占いに
わりと最近までほとんど興味を示しませんでした。

なので、星座ごとの性格・特徴とか
ほぼ初耳で新鮮です(*´ω`*)

火・地・風・水の属性があるとか
星の動きで人生を見るなどの
発想(いや、文化……?)が素敵ですよね(*^o^*)


今まで星占いについてはほとんど足を突っ込まず
オカルト・スピリチュアルなどの分野を
浅く狭く、フラフラと見て回っていました。

アセンション、引き寄せの法則、宇宙の法則、
エンパスさんやスターピープルの話、
幽霊・UMA・妖怪・モンスター、
別次元や波動、宇宙人・UFO関連、イルカさんの話などなど。

よくは分かりませんがロマンがありますよね〜。


ってなわけでスピリチュアルを経由して
星占いの世界も覗き見たのですが

なんか共通点ありそうというか、
「これってあのことか!?」と連想してしまうポイントが出てきたり
ドキドキワクワクすることがいっぱいです(>∀<*)


歌の歌詞を見るときでも
「この言い回し、◯◯座さんっぽいなぁ」と
想像して遊ぶようになりました。

哲学的だったり心理学っぽかったり
物理学っぽかったり宇宙的だったり
情緒的だったり詩的だったりと
いろんな表現がありますね!


人が持っている情熱、感覚、知性、感情など……
面白そうなテーマが盛り沢山です(*´▽`*)

エンパシーやテレパシーなどの能力やスターピープルさん、
アセンションのこととも何か関係ありそうです。

ネットにも星占い関連の情報は多いので、
読み物としてサイコーですね(≧∇≦*)


情報量が多くて尽きることなく楽しめるし
人ごとに違った解釈があるし

プラネタリウムや星座占い、
ギリシャ神話、星座グッズなど見るたびに嬉しくなりそうだし

星占いを知って良かったです!













posted by 四月一日 at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年10月30日

本気か思い込みか?

恋の話でこんなの時々聞きますね。


「あなたは彼に恋しているんじゃなく、恋に恋しているんだよ」



それって恋愛だけじゃなく、
「好きなもの」「好きなこと」でもありそうですよね〜。


「こんなことしている私、優しいでしょ?」って言うための行動。
「こんな物持てる俺ってすごいでしょ?」と言うための持ち物。



私のはそれかもな、って……。



最近「好きなこと」に自信がないです。
「本当に、本気で好きなのか?」って。



好きなことに対しても、
集中力が続かないんですよね〜。


好きなことのはずなのに、
それについて深く知ろうとすると
「めんどくさいな」って思ったり。


「本気でそれを好きな人」の熱意を知って、
「自分のは本物じゃないな」と気づいたり。


ブログにこうして好きなことを、
「こんなことあった」
「こういう風に思った」って書いている時


「私の言動って、誰かに見せたいがための飾りなんじゃないか」
と、薄々思っています。



……なんかこんな話ばっかりしているような。



誰に何を言われても、誰にも理解されなくても、
あるいは急に自分の好きなものがブームになったり、
また静まったりしても


変わらず「これが好き」と
言える人って素敵ですね。



「好き」って何なのか、本当にそうなのか迷うし
何か別のことと取り違えているんじゃないかとも思いますが
一度「好き」を見失ってしまうと大変です……。


「好きかもしれないこと」は
たくさんキープしておくのも、良いかもしれませんね。



本気で熱意を向けたい物は、あれなのかこれなのか
色々含めて「全部」なのか。


浅く広くか、深く狭くか。



……なんだか発掘作業みたいです。







posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年10月29日

存在意義がなきゃダメですか?

前からこのブログで何度か書いていますが、
私は「世のため人のために生きなさい」系の言葉が苦手です。
なんで世のため人のために生きなきゃいけないんだろう、
生きたいから生きているじゃダメなんだろうかと思います。

大体何が世のため人のためになるかって
定義もよく分かりません。
今じゃ文化として認められている漫画やアニメも、
「価値がない」とバカにされていた時代があったそうですし。


役に立つ、立たないで計るのなら
絵画や音楽や映画はどうなんですかね。
私は漫画や映画や音楽が好きですが、
役に立つとか立たないとか考えたことないです……。
好きだから、気になるから、楽しいから見る。
それだけです。


意味を付けようと思えば何にだって付けられますね。
最近お菓子のパッケージの裏によくメッセージが書いてあります。
「頑張るあなたがこのお菓子と共に安らぎの一時を過ごせますように」
みたいな。
誰かが心を込めて作ってくださっているのはありがたいことです。

お菓子や音楽や映画は、人に元気を与えます。
楽しみがあるから、明日からまた頑張ろうと思えます。
だから見た後や食べた後に何かが残らなくても
「幸せ」を味わえるのであって、意味は十分にあるんです。
世のため人のためになっていますね。


……と
言っていけば、すべてのものに意味があり、
すべてが世のため人のためであると言えそうです。

でも物に込めた「思い」を購入者が受け取るかどうか、
そして提供する側が自信と誇りを持って
提供するものの存在意義を認めているかどうかは
人それぞれですよね。


以前私は、自分としては一生懸命心を込めてやっていることを
「そんなもの」みたいに言われて傷ついたことがあります。

誰かのためにと思って一生懸命やったことでも、
それを受け取ってもらえるとは限りませんよね。
色々考えて人にプレゼントをしたって、
相手の人はそれを別の人にあげるかも。


まいた種が必ず花開くとは限りません。
結局は受け取る側の自由です。

私も、何か作品を鑑賞するときに
創作物にどれほどの思いがこもっていようと
また「こういうメッセージを伝えたい」という意図があろうと、
勝手に別の解釈をしたり
「あー面白かった」で済ませているところがあります。


つまり、思いをまっすぐ投げても斜めに飛んでいったり
受け止めてもらえなかったりするし、
まっすぐ受け止めてほしいと望むから
受け止めてもらえなかった時に怒りやストレスに
なったりすると思うんです。

じゃあ、最初から「人のためになりますように」なんて
望まなければ良いような。

人の役に立ちますようにと願って作ったものが、悪用されて
自分の意図とは違うことに使われることだってあるかもしれません。
悪用とかじゃなくても、予想外の展開を生むかも。


環境汚染や環境破壊だって、悪い人がやったんじゃなく
ただ、人の役に立ちますようにと願って
みんなで進んでいったことの結果かもしれません。

そう、「人のために」……。


結局、なぜ人の役に立ちなさいと言われるかというと
それがお金に繋がるからですよね。
人が喜び、お金を出したいと思える物やサービスを提供すれば
生きていけるというシステムですから。

自分じゃ素晴らしい行いだと思うことをしたって、
それが人のためにならなければ、
自分以外の人間から価値を認められなければお金にはなりません。


でも逆に、役に立つかどうかと言われれば微妙な物でも、
人から求められればお金が入りますね。
流行りのよく分からないアイテムとか、不思議な絵やオブジェとか。

役に立つ立たないというより、需要と供給。
戦略とかいうものもあるのでしょう。
あまり好きな言葉じゃないですが。

「世の中お金だけじゃない」って思いたいところですが
「世の中お金だけじゃない、だけじゃない」ですよね。
お金じゃないと言ったってじゃあどうする? です。


それにしても、
止まらぬ環境汚染に環境破壊、地球温暖化の話とか聞いているのに
人間の真面目な話の中で
生き物たちの気持ちや立場に沿った話なんてあまり聞きませんね。
話すとしても、生態系がどうとか、
あるいは生き物を資源と見た話が多かったりして。

あとは「人の役に立つため」の話ばっかりです。
人、人、人、人……。
人間の話をしていることを忘れるくらい、人間の話しかありません。
他に生物なんか存在しないかのように。


人の役に立つって結局誰のために何をすれば良いんでしょう?
何をしたら一番人の役に立つんでしょう?
資源を掘り尽くし、生き物たちを隅へ追いやり、
人間のテリトリーを広げ開発して、
人類にとって住みやすい地球を目指し、子どもをどんどん増やして
子どもたちに小さいうちからしっかりお勉強をさせて
豊かな経済とやらを実現すれば良いんでしょうか。


そしてその手助けをする、
あるいは一時の憩いのために娯楽を差し出すことが
有意義で「世のため人のため」になることでしょうか。


私は正直正解が分かりません。
進む先も。
だから、「人の役に立つことをするべき」という話を聞くと
役に立つってそんなに大事なことなんだろうかと思ってしまいます。


「人の」役に立つかどうかで見ているから
地球環境や生き物たちのことが後回しにされて

「人の」ためになるかどうかで見ているから
益虫は殺さず利用して、
害虫は「人の」ためにならないから殺されて

命が「ためになる」とか「ならない」とか
一体何なんだろうと思います。
ただ生きたいだけなのに。


「人」とか「みんな」とか「世の中」って誰のことでしょうか。

人に喜びをあげようとしたって
その人の本当の喜びは分からないから
私が確実に幸せにできるのは私だけです。
だからみんな自分のためで良いんじゃないでしょうか。

別に人のためになりそうもない、欲しがる人なんて誰もいない。
そう思われる物にも需要があってほしい。
どうでもいいことがどうでもいいことじゃなくなってほしい。
役に立つとか立たないとか、そんな概念がなくなってほしい。
全部認められてほしい。

なんとなくそんな気分です。



posted by 四月一日 at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年10月28日

気になるあれこれ、今日もいっちょ積ん読?

積ん読=つんどく
という言葉があるそうです。

本を買うだけ買って読まずに「積んどく」ことだとか……(ノ∀`*)


……私、それやっています(ー_ー;)


お花屋さんで見る花が輝いているように、
ケーキ屋さんやパン屋さんで並んでいる商品が美味しそうなように。

本屋さんで見る本は、いつにも増して魅力的!


タイトルとか、少し開いてみた感じで
「面白そう!」と即買いしてしまいます。


ところがなぜか……


読めないんです(;゚д゚)


文字を認識・解釈し、
一連の文章から想像を広げ
また次の言葉の意味を読み取るという作業(?)の繰り返し、
それを可能にするものが読解力……

しかし、何者かが脳内で
文章を読み進めることを阻むのです(;¬_¬)


要するに集中力が続かない(oДo;)


以前はこんなじゃなかったんです……
分厚い本を次々に読むくらい読書好きだったんです……
趣味の欄にはいつも「読書」って書いていたんです……
二宮金次郎さんみたいに本読みながら歩いていたくらいなんです……
(※歩き読書は危険です)

それがいつからこんな事に……(ノД`;)


一回活字離れになってから、感覚が戻りません。

今は色々な方のブログを巡らせていただき、
楽しい話や素敵な話など見せていただいて
だいぶ「読む」ことができるようになったんですが
かつての「読む」ワクワク感が、薄れている気がします(°ー°;)


けど多分、読み方が変わったというのもありますね……。


以前は正直、何を見るにしても
「自分には関係ない」という気持ちが心のどこかにあったから
常にお気楽だったものですが

最近は「関係ないこと、軽く見て良いことなど一つもない」
と薄々気づきだしたので、
何を見るにもちょっと真剣レベルが上がっています。

一文一文から受け取る重みが増えたということです。


お気楽に楽しめていた頃が懐かしいですが……
何をするにしても、本気で向き合おうとしたら
印象も変わってくるものかもしれませんね〜。

というか今までが不真面目すぎたせいで
ツケが回ってきただけですね(ノ∀`*)


本気で向き合ったときに
「好き」や「楽しい」の気持ちが強くなったもの、
手が止まらなかったものこそ本当に好きなもので

気持ちが遠ざかってしまうようでは
本物の情熱ではなかった、ってことですかね〜……。


それでも本屋さんの空気を味わい、本を眺め、手に取り、
どれにするか悩んで買ったりする時間が好きで
ついつい積ん読ばかり増やしてしまうのでした。





posted by 四月一日 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年10月27日

お悩み相談(?)を受けたとき……

たま〜に、

「……これって相談?」
と思うような
話題がくることがありますね。


ただのグチかもしれないし、
「うんうん……」と聞いてほしいだけかもしれないのですが
「これ、グチ? 本気の相談?」と悩みます。


私は、どこからどう見ても
頼れる人間・良識ある人間ではないので
基本的に相談はされない(多分)んですけどねー……。


たまに深刻なお話聞くと、迷います。


これ、「そうなんだ、大変だね〜」などと
終わらせていい話じゃないな、って(o□o;)


だからといって踏み込むのもなんか違う気がするし……。


そういうのってどうしたら良いのか
ホント分からないです(>_<;)


最近は相談を受けていないし、
この先相談されることも無いかもしれませんが
今から、「どう答えよう?」って迷っています。


相談される内容、起こる出来事は
その時になってみないと分からないのに
今から考えるなんておかしいですね。


でもなんか、
「共通して言えること」がありそうな気がするんです。



ところで、話は変わりますが
皆さんは何か問題に直面したとき


「なんかループしてるな……」

って感じたことありますか(*'ー')?


デジャブというか。


似たようなこと、同じこと、
何度も起きているんじゃないかとか。


「◯◯と関わると、いつもロクなことがない」
となってくると、それが「苦手」になるわけですが。。


私は、実感としてはあまり無いですが
「もしかしたらループしているのかも」
と考えてはいます。

毎度同じようなことでつまづき、
また同じようなことがくるんじゃないかと。


で、何か根本的なところをどうにかしないと
表面的に解決したように見えても
またいつか似たようなことと向き合う羽目になるんじゃないかと。

何度でも。


何言ってんだろって感じですが……。


「何か」を知らせるために色々な出来事が起こっていて、
その根本的な「何か」をどうにかしない限り、
トラブルは起こってくる気がします。


で、完全にトラブルを消すことはできなくても、
どうにかすればだいぶ減らせる、
これから起こるトラブルを止められる、
あるいは起こることに
「納得できるようになる」んじゃないかと考えています。


話が抽象的だし、
現時点ではただの浮ついた思想なんですが(>∀<;)



以前、肌がアトピー(?)で荒れたことがあって
放っておいたらそれが全身に広がって、
手の皮膚もボロボロになって

たまらずお医者さんのところへ行ったら
すぐに、薬を出してくださった………
ってことがありました。

今でもお薬使っていますが、それで結構良くなって。。
感謝しているんですけど……。


結局、この症状は何なのか?
なぜ発生したのか?
は聞けていません。


聞かない、調べない自分が悪いんですけどね〜。


「問題が起こったら、対処法はこう。」
ってある程度決まっていること、あると思うんですが

「なぜそうなっているのか?」って
意外と知ろうとしないものですよね(自分が)。


家で発生するカビや害虫なんかも
なんとなく退治しますが

「なぜ人間にとって害がある生き物が存在するのか?」って
本当のところ、知りきれていないかもしれません。


すべてに意味があるなんて、
幻想かもしれませんけど……。

意味、あるかもしれません。



で、最初の話に戻ります。

お悩み相談されたとき、
どういう情報、どういう対応を求めているかって
人それぞれですよね〜。


「もしかしたら、現実的な対処法を探しているんじゃなくて
 もっと、全然違うことを知りたいんじゃない?」って


気になることはありますが


自分自身何も分かっていないので言えません。


真剣に困っておられるのに、
「人間って一体何だろうね?」みたいな話をして
余計に惑わしても大変ですし……。

惑わされることなんて求めていないでしょうしね。


思ったこと、言いたいこと言えば良いってもんじゃないし
タイミングもあるから 悩みって難しいですね〜……。





posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年10月26日

不謹慎な発言に反省……

この前、町中で人とお喋りしていて
私が言った冗談で二人で笑っていたのですが

後になり、「あの言葉不謹慎だったんじゃないのかな……」
とモヤモヤしています。


話していた相手には冗談の意味が通じていたのですが、
ちょっと別の意味にとれるような、
誤解を招く言葉を使ってしまいました。

まわりの人が不快に思ったのではないかと反省中です(ー_ー;)


そして数日前にもこんなことがあって……。

家の中で話していてちょっときわどい言葉を使ってしまったのですが、
結構大声だったので、お隣さんに聞こえたのではないかと、
そして傷つけてしまったんじゃなかろうかと心配です(°ー°;)


ちょっと……よく考えもせず衝動的に
ブラックジョーク(というかどぎつい言葉)
を放ってしまう癖があるので

「取り返しのつかない発言する前に直さないと」
と、恐怖を感じている今日この頃です(((( ;°Д°))))


「どぎつさ」と「面白さ」を混同したらダメですね orz




ネットで気になる言葉を検索している時、
心ない言葉が含まれる文章が
検索に引っかかってくることが時々あって
「こういうのどうにかならないのかな!?」とか
「見ず知らずの人を不快にさせるようなこと言い過ぎでは……」
とか思ったりしていたのですが


人様のこと言っている場合じゃありませんでした(oДo;)


まぁ、人それぞれ事情が違うので、色々

「不謹慎な意味にもとれる」とか言い出したら
キリがないですが……

あと、どこからキツくてどこまで面白いかとか
基準や感覚はみんな違うので難しいですが……


「優しくて面白い」言葉遣い(?)を目指したいものです(*´~`)あせあせ(飛び散る汗)


などと思いつつ、
今日もガサツで乱暴な物言いしております。。( ̄▽ ̄;)


真の優しさって内側からにじみ出るものだから、
表面的なことだけ取り繕おうとしたってボロが出ますね!





posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年10月25日

最近のちょっぴり怖かった話

ある日の夜、ブログを書いていたら
誰もいない奥の部屋から
カタカタ、カタカタと音がし始めました。
何かいるみたいです。

そういえば何日か前にゴキブリを見たところです。
ゴキブリはしばらく部屋の中を走り回っていたのですが、
見失ってしまったのでした。


あのゴキブリかな……
そう思いましたが、音はもう少し強い気がします。
虫というより小動物が、
何かを引っかくとか揺らすとかしているような。

するとネズミでしょうか……?
家の中でネズミを見たのは一回のみ、
それも何年も前なのですが……。


もし幽霊さんだったら怖いので、見に行きたくなかったのですが
もしかしたら小動物がどこかに入り込んで
出られなくなっているのかもしれないし
放っておいて死んでしまうのも怖いと思い、
勇気を出して見に行きました。
あちこちの電気をつけて明るくしながら


電気をつけたときにはまだ音がしていました。
どうもゴミ箱からのようです。

あれ、もしかしてやっぱりゴキブリかな……。
恐る恐るゴミ箱に近づいて……

パッと覗いてみました。


しかし何も入っていません。

あれっ?


部屋を見渡し、
他にも怪しそうなところを覗きましたが何もいません。
急に音は止み、静かになりました。

一体何だったのでしょう……。


と、話はそれで終わりです


……なんだか微妙な話ですみません。

しかしタイミング(?)って本当に大事ですね〜。
うっかりウェブ上で怪談を見てしまった後だったら、
冷静に見に行ったりできませんでした。

あと、夜中にトイレに入ろうとしたときに
電気が切れたら怖そうですねー

あれ、タイミングとはちょっと話が違うような……?


とにかく、怖い番組を見た後とかじゃなくて良かったです。
今回は微妙な話ですみませんでした!



posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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