2019年12月22日
アートだと言い張ればそれはアート
どうせなら人生好きなことをするべきだ、って聞くけれど
「好きなこと」って、黄金色に輝いていて
見つけたとたん「これだーっ!!」って分かるようなものなんですかねー?
あるいは、それをやったとたん、幸せが心の内から溢れ出してくるとか?
だとすると私はまだ、好きなものを見つけていないです……。
自分の好きなことは、絵や文章をかくことですが
それをやっていると、余計な不安がいっぱい出てきます。
嬉しい、楽しい。でも不安。
揺れたり戸惑ったり疑心暗鬼になったり、ネガティブ全開です。
これ、本当に好きなことって言えるんですかね〜( ̄― ̄*)
自分で絵や文をかいて人に見てもらったとき
「……あ、あぁー……( ̄。 ̄;) (分かるような分からんような)」とか
「ちょっと気持ち悪い」とかいう反応をされたこともあり、
だいぶ傷つきました。
勝手に見せておいて傷つく、めんどくさい人です。
そして
新聞に載っていた綺麗な写真を見つけて
切り取って飾ったら、まわりの人から
「おおーっ! なにこれ、どうしたの?」と感動されたり
ドーナツを買って配ったら
「うわーっ、ありがとう!」と喜んでくれたりする……
そういう「いいこと」にさえ傷つきました。
他の人の作品の方が素晴らしいってことですね……。
なんていうか……
綺麗な写真を見つけたり、
ドーナツ買ってきたりするのは私じゃなくてもできますが
私の絵と文章は、私じゃなきゃかけないはず。
でも世界では私の表現なんかよりも、
生きるのに役立つものとか、必要なものとか、面白いものとか、
価値のあるものがたくさんある。
結局私がやって本当に喜ばれることは、
私じゃない誰かのものを受け渡す歯車になることなんじゃないかと。
自分なんて本当は必要ない。
「自分のやりたいこと」が認められるのは、才能のある人だけ。
「好きこそものの上手なれ」とか言いますが、
私より後に絵を描き始めた人が
メキメキと上達していくのを目の当たりにして、
「やっぱり自分なんてダメだ」って、
沈んだ気持ちになったこともあります。
けど……
こんなに不安で、自分のことしか見ていないようでは
まだ「好きこそものの上手なれ」が発動していないかもしれないですね。
人のやり方にばかり気を取られて、
自分の本当の作風を、極めていないのかもしれません。
年々不安が大きくなるけれど、
自分が小中学生のとき描いていたマンガの世界には、
どっぷり浸って、アイデアが沸いて、描かずにはいられませんでした。
人に見せてもこちらの「ツボ」は伝わらなかったけど。
もっと、人じゃなく自分を喜ばせることを
極めても良いのかもしれません。
自分にさえ、分かれば。自分だけ面白ければいい。
そんな自己満足に走っていて良いのか分かりませんが、
どうせどう考えたってどう納得したって、
自己満足でしかないかもしれません。
どうせなら少し視点を変えて、
好きなようにした方が良い気もします。
自分だって人だって、同じ人間という生き物です。
人間の性格や思考はいくつかのパターンに分かれていて、
自分と似た感性の人もたくさんいるかもしれません。
それなら、自分が面白いと思う世界を100%に近づけていけば
それを同じように面白く感じてくれる人が
意外と多くいるのではないでしょうか。
今では認められている偉大なアーティストも、
最初は「理解しがたい」とか「なにこのガラクタ」とか
言われたこともあったでしょう。
それでも続けずにはいられなかったんだと思います。
もちろんやり方は人それぞれなので、
人の意見を多く取り入れるタイプの人もいるでしょうが
何をどうやっても、絶対反対意見は出ると思います。
人生で一度も反対意見を言われたことがない人なんていないだろうし、
「これからはこのスタイルでいこう!」って決めたって
絶対何か言われるはず。
それでも続けてしまったことが、「好き」なのかも。
「こういう出来事があって、才能ないって分かったんだよね」
って話はよく聞くけれど、そんなとき諦めきれないことが
才能なのかもしれません。
どんなガラクタでも変でも凡人でも何でも
心を込めたものは「アート」に違いない。
そう信じて認められたとき、
「これはアートだ」って胸張って言えたとき、
すべてがアートになりますね。
「好きなこと」って、黄金色に輝いていて
見つけたとたん「これだーっ!!」って分かるようなものなんですかねー?
あるいは、それをやったとたん、幸せが心の内から溢れ出してくるとか?
だとすると私はまだ、好きなものを見つけていないです……。
自分の好きなことは、絵や文章をかくことですが
それをやっていると、余計な不安がいっぱい出てきます。
嬉しい、楽しい。でも不安。
揺れたり戸惑ったり疑心暗鬼になったり、ネガティブ全開です。
これ、本当に好きなことって言えるんですかね〜( ̄― ̄*)
自分で絵や文をかいて人に見てもらったとき
「……あ、あぁー……( ̄。 ̄;) (分かるような分からんような)」とか
「ちょっと気持ち悪い」とかいう反応をされたこともあり、
だいぶ傷つきました。
勝手に見せておいて傷つく、めんどくさい人です。
そして
新聞に載っていた綺麗な写真を見つけて
切り取って飾ったら、まわりの人から
「おおーっ! なにこれ、どうしたの?」と感動されたり
ドーナツを買って配ったら
「うわーっ、ありがとう!」と喜んでくれたりする……
そういう「いいこと」にさえ傷つきました。
他の人の作品の方が素晴らしいってことですね……。
なんていうか……
綺麗な写真を見つけたり、
ドーナツ買ってきたりするのは私じゃなくてもできますが
私の絵と文章は、私じゃなきゃかけないはず。
でも世界では私の表現なんかよりも、
生きるのに役立つものとか、必要なものとか、面白いものとか、
価値のあるものがたくさんある。
結局私がやって本当に喜ばれることは、
私じゃない誰かのものを受け渡す歯車になることなんじゃないかと。
自分なんて本当は必要ない。
「自分のやりたいこと」が認められるのは、才能のある人だけ。
「好きこそものの上手なれ」とか言いますが、
私より後に絵を描き始めた人が
メキメキと上達していくのを目の当たりにして、
「やっぱり自分なんてダメだ」って、
沈んだ気持ちになったこともあります。
けど……
こんなに不安で、自分のことしか見ていないようでは
まだ「好きこそものの上手なれ」が発動していないかもしれないですね。
人のやり方にばかり気を取られて、
自分の本当の作風を、極めていないのかもしれません。
年々不安が大きくなるけれど、
自分が小中学生のとき描いていたマンガの世界には、
どっぷり浸って、アイデアが沸いて、描かずにはいられませんでした。
人に見せてもこちらの「ツボ」は伝わらなかったけど。
もっと、人じゃなく自分を喜ばせることを
極めても良いのかもしれません。
自分にさえ、分かれば。自分だけ面白ければいい。
そんな自己満足に走っていて良いのか分かりませんが、
どうせどう考えたってどう納得したって、
自己満足でしかないかもしれません。
どうせなら少し視点を変えて、
好きなようにした方が良い気もします。
自分だって人だって、同じ人間という生き物です。
人間の性格や思考はいくつかのパターンに分かれていて、
自分と似た感性の人もたくさんいるかもしれません。
それなら、自分が面白いと思う世界を100%に近づけていけば
それを同じように面白く感じてくれる人が
意外と多くいるのではないでしょうか。
今では認められている偉大なアーティストも、
最初は「理解しがたい」とか「なにこのガラクタ」とか
言われたこともあったでしょう。
それでも続けずにはいられなかったんだと思います。
もちろんやり方は人それぞれなので、
人の意見を多く取り入れるタイプの人もいるでしょうが
何をどうやっても、絶対反対意見は出ると思います。
人生で一度も反対意見を言われたことがない人なんていないだろうし、
「これからはこのスタイルでいこう!」って決めたって
絶対何か言われるはず。
それでも続けてしまったことが、「好き」なのかも。
「こういう出来事があって、才能ないって分かったんだよね」
って話はよく聞くけれど、そんなとき諦めきれないことが
才能なのかもしれません。
どんなガラクタでも変でも凡人でも何でも
心を込めたものは「アート」に違いない。
そう信じて認められたとき、
「これはアートだ」って胸張って言えたとき、
すべてがアートになりますね。
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