2019年10月05日
「偽善者」という言葉をよく見るのですが……
ネットの書き込みを見ていると、
ちょっと深いことを書いた方がよく
「偽善者!」と言われているように感じました。
動物の命、虫の命に対する議論を見ていると
「偽善者」といった発言が飛び交う雰囲気に
なっていることが多い気がします。
結局、
「すべての命が大切って言うなら、魚も肉も食べるな!
『植物』なら食べて良いというのもおかしい、何も食べるな!」
みたいな話に落ち着く(?)ようですが
そのような場面でよく見られる「偽善者」って言葉、
ちょっと不思議ですね。
「そんなやりとり見たことないけど……」という方、ごめんなさい。
完全に偏った世界観でお送りしています。
このような話が苦手でしたらスルーでお願いします m(_ _*)m
「偽善者」という言葉にも色々ニュアンス(?)があるので
一概には言えないだろうし、
中には納得できる使い方もあるでしょうが……
よっぽどの悪人か善人でなければ、
人はみんな偽善者じゃないんですかね(°ー°*)?
……などと言うと怒られそうですが(oДo;)
命をいただくことが悪で、それを変に隠したり、
自分と相手の行いに大差はないのに
相手のやり方や考え方を批判するようなことを言ったり
「自分だけは違う」と正義感を持ち出すことが偽善ならば
ほとんどの人間は偽善者になってしまいますよね(―△―*)
多くの人は、殺生をしながらも
「良いこと・悪いこと」について、主観で語るはずです。
(もちろん投稿者もです。)
ならば、意見を述べること・価値観を語ること、
全部偽善と言い換えられてしまうと思います。
(「誰をも否定・批判しない主張」って無理っぽいですよね。
筋の通ったことを言えば、遠まわしに
筋の通っていない人を否定することになりますし。)
歩くたびに草や虫や微生物を踏むし、
日々命をいただいていて
みんな同じ立場だから、多分ある意味生物的に平等ですね。
人間だけでなく、生き物たちもみんな。
植物は、直接的に捕食する種は多くないようですが
死がいや生物のふんなどから栄養を吸収しているなら
「誰かの死を待っている」とも言えそうです。
「他の生物から栄養を得なくては生きられない」ということは
多かれ少なかれ、皆似たようなものですよね〜。
人間は、意見を述べている人物が
「立派な人か」「言うことが正しいか、重みがあるか」
を判断するのに肩書きを見たりするようですが
生物について、自分らも一匹の生き物の立場として話すのであれば
すべての見方に価値があり、肩書きで優劣は付かないということに
なる気がしますね。
知識がないとか、勘違い・思い込み・偏見がある人間だとしても
それも含めて人間の自然な生態からくる自然な意見と言えそうです(*^ー^)
現時点での「知識」は、最新のものであっても
間違っている可能性もありそうですしね……。
知識があるかどうかで、意見の質は決められないと思います。
さて、毎日他者の命をいただいていても、
「私は日々これだけの罪を犯しているのだから、
誰に何を言う資格もない」
と捉えると、今度は卑屈になっているように思えますし、
あまりそのようには考えない気がします。
ハンターな生物たちだって、堂々として見えるし
自分たちのやっていることを罪だと捉えて
恥じたりはしていないように見えます。
自分は命をいただくという「悪」をなすけれど、
誰かのやったことについて「許せない」と憤ったり、
「これが正しい」「こうすべき」と善を語ったりする。
それを押し付けるのではなくても、多少なり、
「良い人だと思われるように振る舞う」
「ルール・常識を守る」
「人に迷惑をかけないよう心がける(ある種の正義感)」
などの感覚を持つ。
ってこと、あると思うんですけど……
それって普通ですよね(°ー°*)
人の性質は悪なのに、
生き物を食べるのは可哀想だとか
害虫を処分するのは可哀想とか
正義面して語るな! ということであれば
持論を展開するのも、誰かに対して不満を持つのも
そこに少しでも「こうするべきでしょ」という正義感が入っているなら
すべて、「偽善」ってことになりますね〜。
「命をいただいているという点で皆同じなのに、
貴方が人として正しいことを述べているという根拠や、
誰かの行いを正すほどの権利はあるの?」って。
「正しい人間」「善人」ぶるようなことをしている。
それほどの人間でもないくせに。
……という風に見えるのでしょうから。
で、その「偽善者」という言葉を使っている側は
自分たちのことを何だと思っているのでしょうか。
ある程度人間らしく生きている人なら誰でも、
その人たちに言わせれば「偽善」に入るんじゃないでしょうか。
みんなルールを守って、良い人ぶって。
本性は、自分の手を汚さない、都合の悪いことは隠すか正当化する、
陰なる捕食者なのに、って。
いや、もしかして最初から本気でそう思っているんですかね。
じゃあ偽善者じゃない人間がいるとすると……
そして、誰かに対し「偽善者」という言葉を使う人は、
自分が「偽善者」ではないのだとすると……
「良い人」だと思われようとしない。
「善人」として振る舞わない。
いつでも思ったことを言う。
そんな人物なのでしょうね。偽善者論を持ち出す人は。
そして、「良い人」と見られようとすることこそ悪だからと、
優しさ故に葛藤している人、善人になりたい人、
命について真剣に考える人、綺麗事を言っている人に
突き刺すような一言をお見舞いするのですね。
……まわりの人を傷つけて、不快にさせることより
綺麗事を言う偽善者の方が罪深いってことでしょうか?
私は綺麗事見た方が幸せだし、
「自分は偽善者じゃない。本音しか言わない」って人の方が
変に歪んだ正義感を振りかざした、偽善者に見えますけどね〜。
というか、
「偽善者」と言うなら全員偽善者。
「悪」というなら全員悪。
「害虫」というなら人間も害獣。
ではないですかね。
誰かの言うこと指摘するのは
悪魔が悪魔に、「悪魔だ!」と言うようなもので。
善悪論にとらわれたら、もう抜け道無いですよね〜。
だから結局、
「良いじゃん偽善でも」って言いたかったのですが……
偽善批判する方も自由。となりますよね。
まぁ、何を言っても言われても気楽が一番ですかね〜。
ちょっと深いことを書いた方がよく
「偽善者!」と言われているように感じました。
動物の命、虫の命に対する議論を見ていると
「偽善者」といった発言が飛び交う雰囲気に
なっていることが多い気がします。
結局、
「すべての命が大切って言うなら、魚も肉も食べるな!
『植物』なら食べて良いというのもおかしい、何も食べるな!」
みたいな話に落ち着く(?)ようですが
そのような場面でよく見られる「偽善者」って言葉、
ちょっと不思議ですね。
「そんなやりとり見たことないけど……」という方、ごめんなさい。
完全に偏った世界観でお送りしています。
このような話が苦手でしたらスルーでお願いします m(_ _*)m
「偽善者」という言葉にも色々ニュアンス(?)があるので
一概には言えないだろうし、
中には納得できる使い方もあるでしょうが……
よっぽどの悪人か善人でなければ、
人はみんな偽善者じゃないんですかね(°ー°*)?
……などと言うと怒られそうですが(oДo;)
命をいただくことが悪で、それを変に隠したり、
自分と相手の行いに大差はないのに
相手のやり方や考え方を批判するようなことを言ったり
「自分だけは違う」と正義感を持ち出すことが偽善ならば
ほとんどの人間は偽善者になってしまいますよね(―△―*)
多くの人は、殺生をしながらも
「良いこと・悪いこと」について、主観で語るはずです。
(もちろん投稿者もです。)
ならば、意見を述べること・価値観を語ること、
全部偽善と言い換えられてしまうと思います。
(「誰をも否定・批判しない主張」って無理っぽいですよね。
筋の通ったことを言えば、遠まわしに
筋の通っていない人を否定することになりますし。)
歩くたびに草や虫や微生物を踏むし、
日々命をいただいていて
みんな同じ立場だから、多分ある意味生物的に平等ですね。
人間だけでなく、生き物たちもみんな。
植物は、直接的に捕食する種は多くないようですが
死がいや生物のふんなどから栄養を吸収しているなら
「誰かの死を待っている」とも言えそうです。
「他の生物から栄養を得なくては生きられない」ということは
多かれ少なかれ、皆似たようなものですよね〜。
人間は、意見を述べている人物が
「立派な人か」「言うことが正しいか、重みがあるか」
を判断するのに肩書きを見たりするようですが
生物について、自分らも一匹の生き物の立場として話すのであれば
すべての見方に価値があり、肩書きで優劣は付かないということに
なる気がしますね。
知識がないとか、勘違い・思い込み・偏見がある人間だとしても
それも含めて人間の自然な生態からくる自然な意見と言えそうです(*^ー^)
現時点での「知識」は、最新のものであっても
間違っている可能性もありそうですしね……。
知識があるかどうかで、意見の質は決められないと思います。
さて、毎日他者の命をいただいていても、
「私は日々これだけの罪を犯しているのだから、
誰に何を言う資格もない」
と捉えると、今度は卑屈になっているように思えますし、
あまりそのようには考えない気がします。
ハンターな生物たちだって、堂々として見えるし
自分たちのやっていることを罪だと捉えて
恥じたりはしていないように見えます。
自分は命をいただくという「悪」をなすけれど、
誰かのやったことについて「許せない」と憤ったり、
「これが正しい」「こうすべき」と善を語ったりする。
それを押し付けるのではなくても、多少なり、
「良い人だと思われるように振る舞う」
「ルール・常識を守る」
「人に迷惑をかけないよう心がける(ある種の正義感)」
などの感覚を持つ。
ってこと、あると思うんですけど……
それって普通ですよね(°ー°*)
人の性質は悪なのに、
生き物を食べるのは可哀想だとか
害虫を処分するのは可哀想とか
正義面して語るな! ということであれば
持論を展開するのも、誰かに対して不満を持つのも
そこに少しでも「こうするべきでしょ」という正義感が入っているなら
すべて、「偽善」ってことになりますね〜。
「命をいただいているという点で皆同じなのに、
貴方が人として正しいことを述べているという根拠や、
誰かの行いを正すほどの権利はあるの?」って。
「正しい人間」「善人」ぶるようなことをしている。
それほどの人間でもないくせに。
……という風に見えるのでしょうから。
で、その「偽善者」という言葉を使っている側は
自分たちのことを何だと思っているのでしょうか。
ある程度人間らしく生きている人なら誰でも、
その人たちに言わせれば「偽善」に入るんじゃないでしょうか。
みんなルールを守って、良い人ぶって。
本性は、自分の手を汚さない、都合の悪いことは隠すか正当化する、
陰なる捕食者なのに、って。
いや、もしかして最初から本気でそう思っているんですかね。
じゃあ偽善者じゃない人間がいるとすると……
そして、誰かに対し「偽善者」という言葉を使う人は、
自分が「偽善者」ではないのだとすると……
「良い人」だと思われようとしない。
「善人」として振る舞わない。
いつでも思ったことを言う。
そんな人物なのでしょうね。偽善者論を持ち出す人は。
そして、「良い人」と見られようとすることこそ悪だからと、
優しさ故に葛藤している人、善人になりたい人、
命について真剣に考える人、綺麗事を言っている人に
突き刺すような一言をお見舞いするのですね。
……まわりの人を傷つけて、不快にさせることより
綺麗事を言う偽善者の方が罪深いってことでしょうか?
私は綺麗事見た方が幸せだし、
「自分は偽善者じゃない。本音しか言わない」って人の方が
変に歪んだ正義感を振りかざした、偽善者に見えますけどね〜。
というか、
「偽善者」と言うなら全員偽善者。
「悪」というなら全員悪。
「害虫」というなら人間も害獣。
ではないですかね。
誰かの言うこと指摘するのは
悪魔が悪魔に、「悪魔だ!」と言うようなもので。
善悪論にとらわれたら、もう抜け道無いですよね〜。
だから結局、
「良いじゃん偽善でも」って言いたかったのですが……
偽善批判する方も自由。となりますよね。
まぁ、何を言っても言われても気楽が一番ですかね〜。
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