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2017年08月29日

何で学校に行かなきゃいけないの?

こんな事、子どもに聞かれたことはありませんか?
少なくとも私は、両親に聞いたことが何度もあります。
それくらい、子どもにとっては意味を見出せない存在なのだと思います。
勉強に関しても、テストでいい点数を取ることに何の意味があるのだろうかと疑問に感じることが何度もありました。
皆さんは、子どもにこのような質問をされたらどう答えますか?

『学び合い』の本では、このような質問に対して明確な答えを持っています。

「学校は、子どもを大人にするところ」

大人って何と疑問を持つかもしれませんが、大人というのは一般的にイメージする、いわゆる「働く大人」です。
社会でしっかり働くために必要な力をつけるのが学校の存在意義で、子どもたちは卒業するまでにその力を身につけなければいけません。

では、「必要な力」とは何でしょう?
『学び合い』の本を読んでいる限りでは、「他の人と折り合いをつけながら、自分の課題を達成する力」だと読み取れます。
社会に出ると、一人一人自分の課題を持って仕事を行います。
そのほとんどは、一人では進められなかったり、進められたとしても非常に効率の悪いものになってしまうものです。
だからこそ、他の人との繋がりは大切にしなければいけません。
中には気の合わない人もいるでしょうが、自分の課題を達成するためには、好き嫌いなんて言えません。
関わらなくてはいけないのです。
そのようなシチュエーションになっても強く生き抜くことができる力をつけるのが学校だと思っています。
「将来に困らないようにするため」とか、「将来の選択肢を増やすため」という曖昧な表現ではなく、このように具体的な姿をイメージできる説明ができたら、子どもたちの捉え方も変わってくるのかなと思います。

大切なのは「繋がる」ということ。
難しい数式を解くことよりも、複雑な英文を読めることよりも、私は人と繋がれる術を持っている人が将来活躍できる人だと思っています。
だからこそ、普段の授業でも1番大切にしたいなと思っていることが、人と繋がる取り組みです。
考えれば考えるほど、『学び合い』はそこに合致するなと感動します。
もっともっとたくさんの本を読んで、もっとしっかり語れるようになりたいと思います。



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2017年08月28日

習熟度別授業

小学校における習熟度別授業。算数科における習熟度別授業。

ある意味、必要悪なのかなと感じる部分がある。

私たち教師は、極力子どもを能力で区別することを避ける。なぜなら、それがイジメのきっかけに繋がるかもしれないと感じるからだ。習熟度でクラスを分けるということは、子どもを(一部の限られた能力において)差をつけることである。できる・できないで差をつけることを公のもとに認めているのだ。冷静に考えると恐ろしいものである。

しかし、本音では授業をする上で、至極必要なことだと感じることも多い。全員がわかる授業を目指せば目指すほど、苦手な子の理解の遅さに頭を悩まされる。

習熟度別授業は、いわば現場の先生にとっての必要悪だとさえ感じてしまう。どうすればいいのだろうか…。



西川先生は、習熟度別授業に対する見解も答えている。単純に言えば、反対派。効率が悪いそうだ。習熟度別にすると、いろんな課題を作らなければいけない。その労力を考えると、そこまでして…というのも頷ける。

西川先生は『学び合い』で、様々な人と折り合いをつけながら、自分の課題を達成することを目指している。これは、将来子どもたちが大人になったとき、必ず必要になってくる能力だからだ。そのための訓練を、日々の授業の中で繰り返し繰り返し行っていっている。社会では、様々なタイプの人がいて、その人たちと協力して働かなければいけない。好き嫌いなんて言えないのである。その視点に立つと、能力でクラスを分割し、多様性を失うような集団を作ることは、子どもたちにとってマイナスにしか働かない。算数が得意な子、苦手な子。話の理解が早い子、時間がかかる子。いろんなタイプの子がいてるから、課題をすぐに会えた子たちも、あの手この手で対応していこうとする。そこに大きな学びがあると、私は信じている。本気で全員を救うというのなら、子どもの層を分けたり、人数をへらしたりするべきではないと思う。



子どもは大人が思っている以上に優秀である。その子どもを誰一人見捨てず、必ず全員が必要なことを学んで卒業していってほしいと本気で考えている。

『学び合い』にどっぷり浸かっているからなのか、やっぱり西川さんの話は説得力があってすごいなぁ…。



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迷ったり悩んだり

もうすぐ2学期。

授業の準備を進めていると、いろんなことが情報として入ってくる。

もちろんそれは大切なことで、自分にとっても勉強になること。

必要ならば取り入れればいいし、必要なければ捨ててしまえばいい。

その取捨選択も大切な作業だと思う。

しかし、一定の地位を築いている人からの言葉はなかなか重く、それ故に悩まされる…。



今日も、ひょんな事から授業の進め方についての話になった。

私は『学び合い』を進めたいから、基本的に私から課題を与え、子どもはそれを全員が達成できるように真剣に取り組む。

1学期にその流れが出来てきたから、2学期以降もそのようにしていきたい。

しかし今日の話では、課題はやはり子どもの中から出てきたものでなくてはならないと断言された。

それが主体的な学びになり、対話を伴う学びにつながり、結果として深い学びに行き着くのだと。

確かにその通りかもしれない。

いや、きっとそうなのだろう。

みんなから絶大な信頼を得ている人の言葉なのだから。



!!

自己解決してしまった!

ブログを書いている途中に閃いた。

『学び合い』でも同じことをしているのだと。

子どもたちの様子を見取っていると、私から出される課題はあくまでも入り口でしかない。

1時間の授業の中で、課題を取り組む中で、子どもたちの頭の中に様々な疑問が湧き出てきて、友だちと共に解決している。

それを黒板を使って目に見える形で表しているのか、個人の作業の中でまとめているかの違いなだけである。

『学び合い』の形をとると、授業内で様々な友だちと対話する時間が確保される。

自分の解決した疑問が別の人にとっての疑問でもあった場合、その子は即座に応えることができる。

結局それって、全体にシェアしているのと同じことである。

違うのは、「必要な子にのみピンポイントで伝えていく」のか、「どう思っていようと全体に伝えていく」のかの点だけである。

あ…やっぱり『学び合い』って素晴らしい。

信者と呼ばれたっていい。

続けていきたい。



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