維摩池の遊歩道を歩いていると
近所に住む幼馴染みのA、「アレ、イッシーじゃない?」
と、Aは維摩池の中央部を指差して言うのだが、イッシーは私とAが歩いているのを、さっきからずっと付いて来ている。
たまに私が振り向くと、イッシーは人差し指を立てながら「シー」。
「シー」の音に気付いたAが振り向いても、Aにはイッシーが見えない。
なぜなら、心が淀むAには、イッシーは見えないから。
私達の前を歩くのは、赤ちゃんを抱っこした若いお母さん。
お母さん、「どうしたの?誰に手を振ってるの?」
気になって私が振り返ると、イッシーは赤ちゃんに手を振っていた。
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