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2016年04月17日

マラソン野口みずき選手、引退



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女子マラソンのアテネ五輪金メダリスト野口みずき(37=シスメックス)が、涙で引退を表明しました。15日、神戸市内で会見し、トップレベルで走れなくなったことを理由に挙げました。
今後は陸上の魅力を広く伝える仕事を志向しています。
世界歴代5位の日本記録2時間19分12秒を持つ不世出のランナーは「生まれ変わってもやっぱり走りたい」と、マラソンへの愛を口にして、現役生活に別れを告げました。

[iモード]目を赤くして引退理由を口に[iモード]
「トップレベルの走りができなくなった」。08年北京五輪を欠場した左足のけがが尾を引いて、最近は走りのバランスが崩れた。全盛期の動きは取り戻せなかった。
高校3年の時に「足が壊れるまで走りたい」と言った少女は20年たって「思う存分に走り切れた。すがすがしい気持ち。思いが達成できてよかった。(自分に)納得するまで走り切れてよかったね。お疲れさまと声をかけたい」と涙を浮かべて笑いました。

[iモード]2年前から左足の力が抜ける症状[iモード]
1年前には20年間コンビを組んだ広瀬総監督に「16年は引退をかけた年になると思うのでよろしくお願いします」と伝えたといいます。
昨夏は合宿先の米国の高地についた直後に走れなくなりました。1キロ4分(マラソンで2時間48分台)で入れず、400メートル走(日本記録51秒75)で80秒もかかる。それでも「中途半端で終わりたくなかった」と3月の名古屋ウィメンズに出場。
レース直前に最後を予感した広瀬総監督が「もうだめや」と涙した姿が目に焼きついたという。23位も完走を花道にして、決断しました。

[iモード]すべてがいい思い出[iモード]
08年北京の欠場は痛恨の出来事だが「神様が『1度つまずいたほうがいい』と言ってくれたと思った。その後もあきらめずにやって成長できた」。会心のレースには07年東京国際を挙げた。「実はアテネ五輪も風邪をひいて、のどを痛めていた。(日本記録の)ベルリンも足を痛めていた」。けがや不調に見舞われてもずっと走り続けてきた野口選手。

[iモード]もうマラソンから離れられない[iモード]
「生まれ変わってもやっぱり走りたい。走っていると思う」と笑った。シスメックスを退社する予定はなく、今後は指導者よりも陸上の魅力を広く伝える仕事に興味を持っています。
会見の最後には「またこれから違った形でちょこちょこ出るかも。応援してください」と一礼して会見場を後にしました。
野口選手、お疲れ様でした。

1日5分の時短エクササイズ【コアビーンズ】

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