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2011年03月26日
津波一過の陸前高田市街地_2011/3/21
ここで、海から6キロぐらい離れているだろうか
2011年03月20日
明日、大船渡に戻ります
ガソリンは、戻るだけ準備できました。
職場の人は、家を流され、すべての財産を失いました。
亡くなった方もたくさんいます。
着の身着のまま、着替えもない職場の人のために、この休みで、下着、靴下、服を準備しました。
明日、届けます。
国道45号は、寸断されているために、通れないので、山側をぐるっと回るので、およそ100キロあります。
ガソリンが最低限しかないので、少しでも近道をと思っています。
昨夜、27年ぶりに、埼玉の先輩の声を、電話で聞きました。
電話が通じないから、みんな、わたしが死んだと言っていたようです。
いま、生かされていると感じています。
2011年03月19日
被災地の岩手県大船渡です。
現在、単身赴任先の大船渡から、自宅の藤沢町に戻ってきております。
大船渡は、病院は、電気も水道も通っておりますが、検査試薬はあと2000件ぶんぐらいしかなく、通常の体制では、1週間ともたないために、緊急検査のみとしております。
病院は電話は通じず、当然、ネットも繋がりません。病院の電話は、衛星電話一本で、外部と連絡しておりました。
日曜の夜に、携帯でauが病院の敷地一部の場所で繋がるようになりました。
一方、市街地は停電と断水がまだ続いております。
地震は、いままで経験したことのない揺れで、かなり長く揺れて、ほどなく津波が押し寄せ、検査室の目の前はるか遠くに見える盛川があふれだし、大型船が津波のために川を上って行くのが、検査室の窓から見えました。
そのときの動画をYouTubeにアップロードしました。画面左が上流で、本来、水は右の方向に流れているのです。
この津波のために、家も車も流され、市街地は、爆撃を受けたような悲惨な惨状となっております。
3日目の市街地の様子もYouTubeにアップロードしました。ここは、海からは5キロも離れた場所です。海の近くには、当然規制がかかって近寄れません。
また大船渡に戻りますが、とにかくガソリンが乏しく、いまは動けない状況です。