燠火・おきび

これは幕末から明治にかけて活躍した武士であり政治家山岡鉄舟の口癖だったそうだ。
剣の達人にして、貧乏旗本の典型のような貧窮を極めた生活に耐えて、草を食したり、来客があった時、内儀がふすまの端から顔をだして挨拶したという話は有名で、1枚しかない着物を洗っているので、乾くまで裸でいるからだそうだ。
NHKの歴史秘話で知ったことだが、時は戊辰戦争、倒幕軍は既に江戸直前の駿府に到着しており江戸城総攻撃は3月15日と決まってもいたその時、
その山岡が主君徳川慶喜の命で危険な道中を省みず、総大将西郷のもとに旅立つ際に妻に告げた言葉が「ちょっと出かけてくる」だったそうだ。

結果は命からがら、首尾よく西郷に面会かない、激烈な交渉の末、慶喜恭順の意の本当であることを認めさせ,江戸城総攻撃を避けるという勝海舟との面会の根回しに成功した。その後西郷と山岡は、維新後も親友として毀誉褒貶の世間と共に戦い続けたのだった。

さてこの「ちょっと出かけてくる」についてだが、この旅は危険で命を落とす可能性が高く、またいつ戻れるかもしれない死出の旅だったにも拘わらず、このような言葉を平然と吐く心はどのようなものだったのだろうか。現代の常識では計り知れない当時の物の見方が隠されているのではないか。

主君の為に命を捨てるのは、武士の誉れとはよく聞く言葉だが、この考え方についてもなぜその様に納得することができたのか、説明するには多くの紙面を要するので別の機会を持ちたいが、1つ言えることは聖徳太子の奈良から面々と続いてきた「日本流ニヒリズム」の伝統が流れているのではと考えている。そしてそれは「人間の最も奥深いところに流れているのは人の役に立ちたいと言う欲望」であるという、ルイス・トマスの言葉に集約される。

話を戻そう。長い旅、死出の旅となるかもしれないものを、「ちょっと」と表現するその心は「一日も千日も、生の躍動(=目的遂行)のためなら同じであるという、自然と一体である感覚から出ているもの」なのではないだろうか。

そこには時間から人生を組み立てていく現代人の感覚ではなく、生きることの結果を廻りから見ればそれぞれの行為に要した時間は違っていた、その比較すら考えない、むしろ時間は関係ない・生きることが問題という感覚が流れていたことによるのだろうと推測する。

つまり時間の奴隷では無かったということなのだ。

そういえばその西郷にして、明治政府のなかで古臭くなった「義」をかざして野に下り、彼の影響力を恐れて政府が喧嘩を吹っ掛けた西南戦争にも、言い訳せず三万もの「不満士族」を集めて、時代についていけない彼らの死に場所を提供し、国の夜明けを信じて
明治政府の「負」を一人でしょいこんで逝った。明治の「掃除人」だった。

最後の言葉、「もう(このくらいで)いいじゃろ。」はこのことを指していると、私は思っている。

かれも又、時間は・長さは(人生の)関係ない。生きて役に立つことが大事だと知っていたことだろう。

Posted by 冬の紳士 at 08:20 | この記事のURL | コメント(106)

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