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冬の紳士
定年前に会社を辞めて、仕事を探したり、面影を探したり、中途半端な老人です。 でも今が一番充実しているような気がします。日々の発見を上手に皆さんに提供できたら嬉しいなと考えています。
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2011年02月16日
物語に始まる1
古事記や日本書紀などという、「神話」は、嘘っぱちの作りものだ。こんなものを教えるから、日本は軍国主義に向かってしまったんだ。だからその様なものは教育の題材に加えてはならない。我々は「科学的精神」に基づいた真理しか信用しない。そこから民主主義は始まる。そういって戦後は始まった。

「神話」は歴史であり、物語である。

「その物語の一番基本の形は、嘘だったと思うんですよ。例えば何々という地名はどういういわれ因縁でできたか、といった程度の笑い話が、人間が最初に作って喜んだ話だったろうと思う。例えばヤマトタケルがこの港にきて魚を沢山食べて食べ飽きた。と言ったからこの土地を飽田(あきた)という、とかね。」「そういう調子で古代人は法螺話、嘘、冗談などいろいろな物語を作った。その物語の特徴は、はじめがあり半ばがあり、終わりがある、起承転結がある。そうやって人間は外界を「物語」という型によって見るようになったと思うんです。」(丸谷才一)

19世紀末から20世紀にかけて活躍したドイツの動物行動学の研究家ユクスキュルによれば、動物たちはそれぞれがそれぞれの「環世界」という物を持っているという。人間も例外ではない。(動物学者の日高敏高さんはこれをイリュージョン(幻影)と呼んだ)
例えばチョウの場合でも、モンシロチョウとアゲハ蝶でもその見ている世界は違う。もしわれわれが見ているものを現実とすれば、チョウの見ている世界はそれと違う物である。では人間の見ている・認識している世界は、はたして「客観的」と言えるものなのだろうか?それだってあやしい。なぜって我々には紫外線や赤外線が見えない。知覚の枠という物があるからだ。
このことは逆に人間に認識を可能にしている原因になっている。認識とは本来、他と区別することだから。

確かフランスの哲学者ガストン・バシュラールは、「人は自分の見たいものしか見ていない」といった意味のことを書いていたのを記憶している。そうだとしたら、「客観的世界」などという物は成り立つのだろうか?区別する者のない世界って、のっぺらな何も無いとおなじ「空」の世界なのではないか?認識の無い世界?そこまで判った上で、「般若心教」では、色即是空と言ったのだろうか。

(続く)

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Posted by:srinewgvll at 2015年11月22日(Sun) 20:56



 
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