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2015年10月07日
★イライラ、カリカリをつづけてみようかなぁ〜と思い直した
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◆【ドドドドドン!MEMO】――★さっき、こういう新型パソコンを見つけた。
【VAIO Pro 13 mk2】〈VJP1329SCN1S〉
OS=Windows10
画面サイズ=13.3 型ワイド (16:9)
解像度=Full HD 1920 x 1080
バッテリー駆動時間=10時間
価格=118,580
寸法等=322x17.9x216.5mm 1.03kg
発売日=2015年10月15日
★現在、ダウン一歩手前の【Let's Note S10】と【vista〈LaVie・LL550/L〉】を、イライラ、カリカリ、身もだえしながら使っている。
とにかく、インターネットのページが開くのに、すごく時間がかかる。
人生の半分以上が【待ち時間】!
僕もかなりのストレスだが、【Let's】も【LaVie】も命の瀬戸際、最終ラインの奮闘努力。
★新型パソコンの僕の条件――
@液晶サイズ=13.3インチ
AOS=Windows10
Bバッテリー駆動時間=15時間以上(ノマド&チョイ住みの僕としてはこれは譲れない)
だが、これが手ごろな価格ではなかなか出てこない。
で、昨夜は、遂に決断。
春夏モデル【東芝dynabook R63/PS PRB63PS-NDD-M】――Windows 7 Professional 32bit(Windows10無償アップグレード対象)\101,400――で手を打とう……決めたのだが、しかし、しかし、こういうの(【VAIO Pro 13 mk2】)が出てくるとなると、もう少し、【Let's Note S10】と【vista〈LaVie・LL550/L〉】とイライラ、カリカリをつづけてみようかなぁ〜と思い直した。
(バッテリー駆動時間が少しもの足りないかなぁ〜)
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2015年10月06日
★この男には特別な感慨がある。【激昂】して去る! その【激昂】を忘れない! これが人生だ
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◆【ドドドドドン!MEMO】――★《今季で3年契約が終了するロッテの伊東勤監督が4日、3位でのクライマックスシリーズ進出を決めた日本ハム戦の試合後に来季の続投要請を受け「ありがたい話。前向きに検討する」と話した。
今後、条件面を詰めて正式に契約する。》――www.sankei.com/sports/news/ 10.4 18:15
★画像=CS進出を決め、ファンにあいさつするロッテ・伊東監督=QVC――www.sankei.com/sports/news/ 10.4 18:15
★「よかったね!(^_^)v」
この男には特別な感慨がある。
2007年のことだ。
ライオンズは怪我人が相次いた。
交流戦では10連敗を喫す。
最終的には26年ぶりのBクラスに陥落、5位でシーズンを終えた。
伊東勤は責任を取り監督を辞任した。
実際は「解任」。
ライオンズの監督として最後の試合となったソフトバンク戦では球団から花束一つ用意されていなかったため、自分で花束を買い、ソフトバンクの王貞治監督(当時)に頼み込んで花束を渡してもらうセレモニーを自作自演したという(話がある……ホンマかどうかは僕はわからない)。
僕なら花束をやるといわれても断るが、伊東にはこういう「感情&思考回路」があるのかぁ〜とおかしくてしようがない。
ま、花束のことはどうでもいい。
このときの伊東の【激昂】の仕方に僕は猛烈にシンパする。
僕は10の職場を転々としたが、7回、【激昂】して退任している(ノ△・。)。
【激昂】して去る!
その【激昂】を忘れない。
これが僕の人生だ。
だから、今回は「伊東、ホンマ、よかったね!(^_^)v」――でも、伊東は、やがて【激昂】してロッテを去ることになると思うよ。
これが人生だ。
★〈参考資料として〉僕はライオンズファンである。
〈僕のライオンズの歴史〉
1949年 西鉄クリッパーズ発足
1951年 セントラルリーグの西日本パイレーツと合併し西鉄ライオンズとなる。
「野武士軍団」と呼ばれた。
1969年 黒い霧事件。
1973年 太平洋クラブライオンズ
1977年 クラウンライターライオンズ
1979年 西武ライオンズ
2008年 埼玉西武ライオンズ
勝率最低記録――1971年 稲尾和久監督 勝率 .311
勝率最高記録――1983年 広岡達朗監督 勝率 .683
僕は、西鉄ライオンズ、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズと、ずっとファンでありつづけた。
しかし、西武ライオンズ(1979年)になったとき、【激昂】してファンをやめた。
理由は、新球団が勝手に「西鉄・太平洋・ライター抹殺」方針を打ち出したからだ。
はじめは(僕は楽観主義人間なので)わからなかったのだか、優勝したとき、会社に「初優勝」とコメントされて、気がついた。
なんで初優勝やねん?
何回も優勝してるやんけ!
巨人に3連敗のあと4連勝して「神様、仏様、稲尾様」いうてみんなで喜んだやんけ!
アホか!
絶対に許せへんぞ!
(西鉄・太平洋・ライターを抹殺したい理由はわかる。)
でも、ファンである【僕】を否定してどないスンネン。
ただ、東尾修はじめ西鉄の選手たちが残っていた。
伊原春樹もいた。
結局、僕は、東尾修監督時代(1995年〜2001年)、伊原春樹監督時代(2002年〜2003年)まで熱心なライオンズファンでありつづけた。
伊原が去ると同時に、僕もライオンズを去った。
くりかえすが、「激怒」の10000倍【激昂】して去った。
しかし、2008年、僕は再びライオンズにもどる。
球団が「西鉄・太平洋・ライター抹殺」方針から「西鉄起点史観」に転換したからだ。
ま、勝手な話、姑息なやり口やけどね(ノ△・。)。
これについてはもう少し言いたいことがあるが、〈僕のライオンズの歴史〉は、ホンマ、しょうもない話なので、これでやめる。
なお、ライオンズのファンでなかった期間は、子どもの頃からライオンズの次に好きだった【近鉄バファローズ】の熱烈なファンをやっていた。
演じていたのかもしれない。
そうしたら、なんと、今度は、近鉄まで滅亡してしまった。
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2015年10月05日
★「女房は他界したくらいでへこたれない」……告別式での鎧塚氏のあいさつに感動!
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◆【ドドドドドン!MEMO】――★起きがけ――目を覚ましたものの、少し早すぎたので――ベッドに入ったまま、スマホでニュースチェックをしていて、次の記事を見つけた。
◇川島なお美さん葬儀・告別式(2015年10月2日 青山葬儀所)スポニチアネックス 10月3日(土)7時0分配信。
告別式での鎧塚氏のあいさつ文が、僕の心をとらえた。
――「女房は他界したくらいでへこたれない。どこかで話を聞いています。『私は次のステージを考えている。みんなも元気出して』と言っているような気がします。この会場を出たらさあ頑張ろう、と思っていただけたら」(あいさつ抜粋、以上)。
「川島なお美」がどんな女優だったのかもわからないくらいの僕が、こんなことをいうのは少しはずかしいのだが、正直にいうと、「女房は他界したくらいでへこたれない」に心底、感動した。
感動がカラダじゅうを駆け巡った。
あいさつ文から女優・川島なお美がvividに蘇ってきた。
彼女への思い・願いがこもった、すばらしいあいさつだ。(このあいさつ文を忘れてはいけないと思い、スマホ上でコピーし、メールに貼りつけ、DAKA古書店跡にある僕の、このパソコン宛に送信した(^_^)v。)
★夫婦歴(6、7年)が若いから、こういう「あいさつ」ができるのか?
「あいさつ」一読後、僕は、しばらく前に観た映画『今度は愛妻家』(行定勲監督・北見俊介=豊川悦司・北見さくら=薬師丸ひろ子・註@)を想起した。
北見夫妻の結婚歴が設定上、どのくらになっていたのかはわからないが、亡き妻に対する夫の感覚から、僕は夫婦歴の若さを感じた。
『今度は愛妻家』は、僕の生き方に結構、影響を与えた映画である。
だが、この夫婦歴が若いという印象は、そのことに対する強い感動とともに、若干、違和感を残した。
ただ、このブログ記事の主題は「夫婦歴が若いから、こういうあいさつができた」……では決してない。
「夫婦歴が30年でも40年でも、最後にこういうあいさつができる人生を!」だ。
念のために。
★話は大きく跳ぶが、僕の師・江藤淳(註A)は妻の死後、「家内の生命が尽きていない限りは、生命の尽きるそのときまで一緒にいる、決して家内を1人ぼっちにはしない、という明瞭な目標があったのに、家内が逝ってしまったいまとなっては、そんな目標などどこにもありはしない。ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、意味のない死に向って刻一刻と私を追い込んで行くのである(『妻と私』から)」と記述している。
そして、自身が自刃する2ヵ月前に高井有一氏に「夜はまだいい。周りが闇に閉ざされているから。昼は光が入って、家の隅々、庭まで見えてしまう。そこに、それまで居た人がいない。この空白感が耐え切れない」と語っている。
江藤淳の自刃を「後追い心中だ」(石原慎太郎)という人もあるが、僕は自刃と妻の死は切り離して考えている。
しかし、「家内は他界したくらいでへこたれない。家の隅々、庭のあちこちから僕を見ていますよ」と、もし言えたのであれば、その後の江藤には、また違った展開があり得たかもしれない。
◇註@=『今度は愛妻家』
行定勲監督により映画化され、2010年1月16日に公開。
〈キャスト〉
北見俊介 - 豊川悦司
北見さくら - 薬師丸ひろ子
吉沢蘭子 - 水川あさみ
古田誠 - 濱田岳
西田健人 - 城田優
CMに登場する夫 - 津田寛治
CMに登場する妻 - 奥貫薫
井川ゆり - 井川遥
原文太 - 石橋蓮司
(石橋蓮司の演技がすばらかった。)
◇註A=江藤淳
1932年12月25日〜1999年7月21日。文学評論家、文学博士。東京都出身。慶應義塾大学文学部卒業。
1957年5月、大学同級生だった三浦慶子と結婚。
1998年暮れ、慶子夫人が死去。
1999年7月21日、鎌倉市西御門の自宅で自刃、66歳没。
〈代表作〉
『成熟と喪失』河出書房新社
『落葉の掃き寄せ 一九四六年憲法−その拘束』文藝春秋
『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』文藝春秋
『全文芸時評 (上下)』 新潮社
★画像=パートナーの筆立て。
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2015年10月03日
★土橋川にかかる橋の真ん中に立ち、桜木町方面を眺める。土橋川には僕の過去と今と未来がある!
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◆【ドドドドドン!MEMO】――★僕のふるさとは大阪市だ。
大阪は水都だ。
僕の家も川と橋の近くにあった。
そのため水害には何度も痛い目にあっている。
3日間、水上生活を経験したこともある。
だから、大阪を離れてからも、住む場所を選択するときは、海抜とか、堤防の天端との高低差とかをチェックした。
これまで8回、引っ越した。
〈僕の海抜歴〉
70メートル→47メートル→20メートル→16メートル→72メートル→46メートル→70メートル→25メートル(現在)。
でも、ふと気がつくと――「やっぱり大阪の子やねぇ〜(^_^)v――鮭がふるさとの川に帰るように、水路に引き寄せられていく自分がある。
視界に水路があると、心が落ち着く。
★画像=散歩(=エクササイズ【一に足腰、二に文体、引き明けの街・八戸&大阪を走る!】)の途中――水路が眺めたくて、わざわざ土橋川までやってきた。
人生、立ち往生したときは、やっぱり【水路】だよ。
水路には未来がある。
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2015年10月02日
★八戸産野菜で焼きナス&焼きピーマン&焼きシシトウ! 「おいしい!」をぐっと飲み込んだら泣けてきた
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◆【ドドドドドン!MEMO】――★近所の人から「畑で採れたので」と(画像の)野菜をもらった。
フライパンで焼きナス&焼きピーマン&焼きシシトウ(註@)にして食べた。
八戸産、それも町内産となると、ありがたさも10000倍!
「おいしい! おいしい!」と言って食べた。
あまり「おいしい! おいしい!」というと「おいたわしい」と涙ぐまれるのではないかと思い、「おいしい!」をぐっと飲み込んだら、僕のほうが泣けてきたよ(ノ△・。)。
ブログの【Profile】でも紹介しているように、僕はノマド(&チョイ住み)民である。
八戸もだんだん気温が下がってきた。
まだ大丈夫だが、そろそろ移動の準備をしなくてはいけない。
◇註@=今回の焼きナス&焼きピーマン&焼きシシトウは、まず、ナスはヘタを切り、適当にスライス、ピーマンもヘタと種を取り、適当に分割、シシトウはそのまま。
フライパンに並べ、蓋をして蒸し焼きに。
火が通ったら、蓋を取り、焼き目をつける。
こんがり焦げてきたら、火を止め、ごま油で風味づけ。
あとは好みで、サンショウ粉、岩塩、カレー塩、ゆず塩、サンショウ塩、わさび塩、ソース、醤油……なんでもOK。
八戸産野菜は香ばしい!
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