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2021年09月30日

小柴昌俊
【1926年生まれ-9/30原稿改定】

「小柴昌俊」の原稿を投稿します。原稿文字数は1028文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1926年9月19日生まれ ~ 2020年11月12日没】



小柴昌俊は物理学の新しい分野を切り開いた先人でした。


2020/11/12の夜に老衰の為、東京都内の病院で


お亡くなりになりました。大きな仕事を


成し遂げた後での享年94歳の大往生です。


小柴昌俊は物質の基本元素を構成する素粒子の


1つであるニュートリノを観測にかける事に成功しました。


その結果をもとに今ではニュートリノ天文学


という新しい分野を確立しています。


ニュートリーノは星の進化過程で発生する基本粒子です。


驚いたことに、ニュートリーノを観測にかけたのは、小柴昌俊が東京大学を定年退官する一月前の観測でした。強運を指摘された小柴氏は「運はだれにでも等しく降り注ぐが、捕まえる準備をしているのか、していないのかで差がつく」(のですよ)、と反論しました。強運の一言で片づけられないほど沢山の実験をして、議論をして、下準備をしてきたから、
このように語れたのでしょう。
その前に沢山の知恵を巡らしてみたのでしょう。


東京大学宇宙線研究所に所属している梶田隆章は小柴昌俊の弟子にあたりますが、ニュートリーノに質量がある事を示しノーベル賞を受けています。また、戸塚洋二も小柴昌俊の弟子にあたります。小柴昌俊は朝永振一郎から可愛がられた若かりし時代を経て梶田隆章教授、戸塚洋二教授を育てたのです。


小柴昌俊は岐阜県飛驒市にある鉱山地下、1000メートルに3000トンの水を使った、巨大装置である通称「カミオカンデ」を建設し、天体からのニュートリノを観測することに世界で初めて成功しました。その装置ではニュートリーノが飛来する方向、観測した時刻、エネルギー分布を明確に検出します。その装置を使い小柴昌俊は実際に観測をしました。カミオカンデの主目的はニュートリーノではありませんでしたが、ニュートリーノも観測したい、という2段作戦で成功を得たのです。小柴昌俊はそうした結果を使いニュートリーノ物理学を進めたのです。何より彼は大変な努力家でした。そして情熱家でした。科学に対する限りない愛を感じます。そんな男が大きな仕事を成し遂げた後、静かな眠りに落ちたのですね。大きなお悔やみを申し上げます。合掌。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
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2020/11/12_初稿投稿
2021/09/30_改定投稿


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マリ・キュリー
【1867年生れ-9/30原稿改定】

「キューリ夫人」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は8486文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1867年11月7日生れ ~ 1934年7月4日没】


 



マリア・スクウォドフスカ=キュリー


:Maria Salomea Skłodowska-Curieですが


フランス語でマリ・キューリと呼ばれる事が多いです。


彼女は物理学と化学で2度ノーベル賞を受けています。マリ・キューリの父は研究者でしたが貴族階級の出身だった為に、帝政ロシアの支配下の元で教壇に立つことを禁じられていました。マリ・キューリは10歳をなる前に大変苦労します。父の非合法の講義が発覚して職・住を失い、母の結核による他界があり、更には投機での失敗もあり、


マリーは親戚等の世話になります。


 

そんな苦しい時期にマリ・キューリにも


恋をした時間がありました。


当時、マリ・キューリは家庭教師を生業としていましたが、


カジュミェシュ・ゾラフスキという青年と恋仲に落ちます。


共に避暑旅行に出かけたりして幸せな時間を過ごしますが、


最終的には破局を迎えました。この事がマリ・キューリの


パリ行きに繋がった様です。


 

パリでもマリ・キューリは苦労します。


屋根裏部屋に住んで寒い時には


持っている全ての服を着ながら勉学に励みます。


そんなパリ生活は大学の学部を卒業する迄、続きました。


 

そんなマリ・キューリに


光明がさします。知り合いを通じて


ピエール・キューリと出会ったのです。


 

そのピエール・キューリは国外で


評価を受けていて1893年には英国の


ケルヴィン卿が訪ねてくる程でした。


ところが、ピエール・キューリは


勲章を辞退してしまうような性格で


ひたすら研究に励んでいました。


 

そんな二人が惹かれ合い、認め合い、


マリの帰国後もピエールは恋文を


贈り続け、遂にはマリの心が動き、


2人は簡素な結婚式をあげます。


幸せな結婚だったと思います。


祝いの宴もなく、結婚指輪も無い、


つつましい形式でしたが


祝い金で買った自転車に乗り、


フランスの片田舎へと新婚旅行に旅立ちます。


ピエールが自転車をこぎ、


その後ろにマリが乗り、長閑な道を


語りながら進んでいった事でしょう。


料理を頑張り、長女に恵まれながら学問を続け、


ベクレルの見出した放射線に対して


二人は研究していきました。


そこで。光や温度といったパラメターではなくウラン含有量の「量」が放射現象には本質的であるとの結論を得ます。その後、マリとピエールの夫妻は元素の精製に心血を注ぎます。純度をあげる事で
同位体の存在に近づいていったのです。関心のある精製にキューリー夫妻は全てを注ぎ込みます。結果として、夫ピエールは度重なる発作に苦しみ、妻マリは神経衰弱から睡眠時遊行症に陥ります。そんな中で


第2子を流産してしましました。


そうした犠牲を払い、



新しい概念の提唱に至ります。


即ち、


「特定元素は別の元素へ変化する」


という事実です。


そして、その過程で放射線を放出して一見エネルギー保存の法則に相反する変化を起こしますが、それを追ってラザフォードらが研究成果を次々に発表します。原子核の崩壊過程では素粒子の結合に関わる様々なエネルギーが関与します。現在では簡素にダイヤグラムで理解する手法が確立されていますが、当時は手探りの状況理解でした。そして夫ピエールが放射線に医学的効果を期待出来ると発見をしていくのです。ラジウムの効果でした。微量のラジウムならば古くから「ラジウム温泉」の効果は広く知られていました(ただし、明確に「ラジウム」という言葉は使われていませんでした)。また、現在では分かっているのですが過度のラジウムは身体に悪影響を与えます。放射線の影響を直接・装置で患者に対して考慮し始めたのです。ピエールの発見は大きな人類の知見へと繋がっていきます。


当初は、妻マリーの博士学位習得が放射線研究の目的であったのですが最終的にはマリー・ピエール・ベクレルの3人に対してノーベル賞が贈られます。苦労してきた二人にとって、まさに栄誉の極みでした。


所が、その後突然の不幸が訪れました。夫ピエールが46歳の若さにして交通事故で命を落とすのです。妻マリーは悲痛にくれます。当然でした。その後、傷が癒えるまでに多くの言葉と時間が必要でしたが、最終的に妻マリーは夫ピエールの大学での職位と実験室の後任を引き継ぎます。研究者として活動を始めたのです。



ケルビン卿との議論


マリー・キューリ―はケルヴィン卿と対峙します。夫を認めてくれていた恩人でもあるのですがケルビン卿はラジウムを元素ではなく化合物であると考えていたのです。マリーは実験事実で論破してケルビン卿の誤りを正しました。そしてカメリーオネスと低温状態のラジウム放射線を研究していこうと話を進めます。第一回ソルベー会議で論文を発表していた若き日のアインシュタインを評価して、チューリッヒ大学教職への推薦状を書いています。そうした当時の綺羅星の物理学者が彼女と交流を持ちました。反面、ゴシップ騒動に追われていた部分も有、マリーはマスコミを嫌います。二度目のノーベル賞を受ける際にはスウェーデン側からも授与を見合せる打診がありましたがマリーは毅然と対応して、ゴシップネタとされた関係を
「成果をあげた関係」であると語りました。
旦那様の教え子、ランジュバンとの成果でした。


そして、、、語らなければなりません。何より悲しかったのは放射線のもたらした弊害です。研究の過程で放射線被曝が重なりマリーは頭痛・耳鳴り・怪我がなかなか治らないといった障害に悩まされ続けます。そして終には死に至りますが、当時はまだその関連性が明確ではなかったようです。


波乱に満ちたマリー・キューリの人生は幕を閉じましたがその後人々は彼女の残した物を高く評価しています。1995年、夫妻の墓はパリのパンテオンに移されました。フランス史の偉人の一人として今でも祭られています。そして、物理の世界の偉人として世界中で語り継がれています。







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2020/10/14_初稿投稿
2021/09/30_改定投稿


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(2021年9月時点での対応英訳)


Maria Salomea Skłodowska-Curie
She is often called Mari Cucumber in French.


She has received two Nobel Prizes in physics and chemistry. Mari Cucumber's father was a researcher, but because he was from the aristocratic class, he was forbidden to teach under the rule of imperial Russia. Mari Cucumber has a hard time before she turns 10. Marie takes care of her relatives and others as her father's illegal lectures are discovered and she loses her job and residence, her mother died of tuberculosis, and her speculative failure. Become.


I had a time when I fell in love with Mari Cucumber during such a difficult time. At the time, Mari Cucumber was a tutor, but she fell in love with a young man named Kajumjesh Zorafski. She spends a happy time together on a summer trip, but in the end it was catastrophic. This seems to have led to Mari Cucumber going to Paris.


Mari Cucumber has a hard time even in Paris. She lives in the attic and works hard at her studies while wearing all her clothes she has when it's cold. Her life in Paris continued until she graduated from college.


Her light shines on such Mari Cucumber. I met Pierre Cucumber through her acquaintance. The Pierre Cucumber was well received abroad, and in 1893, Sir Kelvin of England visited him. However, Pierre Cucumber was devoted to his research with a personality that would decline his medal.


The two were attracted to each other and acknowledged each other, and even after her return to Japan, Pierre continued to give her a love story, and finally Mali's heart moved, and the two had a simple wedding ceremony. I think it was a happy marriage. There was no celebration party, no wedding ring, and although it was a humble format, I rode a bicycle I bought for the celebration and set out on my honeymoon to a remote country in France. Pierre would ride a bicycle, and Mali would ride behind him, talking about a quiet road. They worked hard on cooking, continued their studies while being blessed with her eldest daughter, and studied the radiation found by Becquerel.


Therefore. We conclude that the "amount" of uranium content, rather than parameters such as light and temperature, is essential for radiation phenomena. After that, Mari and Pierre devoted themselves to the purification of the elements. By increasing the purity, we approached the existence of isotopes. The Curie and his wife put everything into the refinement of interest. As a result, her husband Pierre suffers from repeated seizures and his wife Mari suffers from sleepwalking due to memory weakness. Meanwhile, I had a miscarriage of my second child. At that cost, we come up with a new concept. That is, "a specific element changes to another element"
The fact is.


Then, in the process, it emits radiation and causes changes that seemingly contradict the law of conservation of energy, but Rutherford et al. Will announce their research results one after another. Various energies involved in the bonding of elementary particles are involved in the decay process of atomic nuclei. Nowadays, a simple method of understanding with a diagram has been established, but at that time it was a fumbling understanding of the situation. And her husband Pierre discovers that radiation can be expected to have a medical effect. It was the effect of radium. The effect of "radium hot springs" has long been widely known for trace amounts of radium (although the word "radium" was not explicitly used). Also, as we now know, excessive radium has a negative effect on the body. We began to consider the effects of radiation on patients directly and with equipment. The discovery of Pierre will lead to great human knowledge.


Initially, the purpose of radiation research was to obtain a doctoral degree from his wife Marie, but in the end, the Nobel Prize will be given to three people, Marie Pierre Becquerel. It was a great honor for the two who had a hard time.


However, sudden misfortune came after that. Her husband, Pierre, died in a car accident at the young age of 46. Her wife Marie is in pain. It was natural. After that, it took a lot of words and time for her wounds to heal, but eventually her wife Marie took over her husband Pierre's college position and laboratory successor. She started her career as a researcher.


Discussion with Sir Kelvin


Marie Cucumber confronts Sir Kelvin. Sir Kelvin, who was also her benefactor who acknowledged her husband, considered radium to be a compound rather than an element. Marie argued with her experimental facts and corrected Sir Kelvin's mistakes. She then goes on to study Cameriones and cold radium radiation. She wrote a letter of recommendation for the University of Zurich teaching profession in recognition of her youthful Einstein, who had published her treatise at the first Solvay Conferences. The physicist of Kirasei at that time had an exchange with her. On the other hand, she has been chased by the gossip turmoil, and Marie hates the media. When she received her second Nobel Prize, the Swedish side also asked her to forgo her award, but Marie responded resolutely and described her relationship as her gossip story as "successful." "It's a relationship," she said.
It was an achievement with her husband's student, Langevin.


And ... I have to talk. The most sad thing was the harmful effects of radiation. In the process of her research, radiation exposure overlaps and Marie continues to suffer from disabilities such as her headaches, tinnitus and injuries that are difficult to heal. She and she eventually died, but it seems that the relevance was not yet clear at the time.


Her turbulent life with Marie Cucumber ended, but people have since appreciated her leftovers. In 1995, the tombs of the couple were moved to the Pantheon in Paris. She is still celebrated as one of the great men of French history. And she has been handed down all over the world as she is a great man in the physical world.

2021年09月29日

長岡半太郎
【1865年生まれ-9/29原稿改定】

「長岡半太郎」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は4279文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1865年8月19日生まれ ~ 1950年12月11日没】


 



長岡半太郎の豊かな人脈


 

この長岡半太郎も湯川秀樹同様に大村藩の流れ


に生まれます。学生時代は東大で山川 健次郎


田中舘愛橘に学び、助教授としてドイツ留学していた


時期にボルツマンに学びます。それだから実証主義


の考え方も、留学以後は踏まえながら議論をしていった


のでしょうか。どこまで核心に迫っていったか


論じる際には当時の日本における量子論での


現象把握を考えると良いでしょう。そんな事を考えながら、


科学史の観点から論文を読んでみたくなりました。


別の面から調べてみたら話は進む時があると


思えるからです。そして長岡半太郎の子供時代は


学業成績は芳しくなかったようです。


この点は同時期の本多光太郎を思い出します。因みに、この二人に加わえて鈴木梅太郎の三人は理化学研究所の三太郎と呼ばれて居たそうです。携帯電話のコマーシャルで似たような人達居ましたね。



長岡半太郎の研究業績


長岡半太郎は田中舘愛橘と地震の論文を纏めたり、


本多光太郎と磁気の論文を纏めたりしていますが、


長岡半太郎の研究業績として大きいのは、


なんと言っても原子モデルでしょうボルツマン仕込みで


ミクロへの探求を進めていたのです。トムソン


ブドウパンの中のブドウのような形で


中心からの距離や軌跡と無関係に


電子の存在を仮定していたのに対し、


長岡半太郎は原子の周りを電子が回転する


土星のようなモデルを提唱しました。


この話は、不確定性関係と合わせて論じてみたいと思います。後に確立された不確定性関係では対象粒子の位置と運動量の関係が論じられます。この二要素が関連して論じられる訳です。その考え方の枠組みでは運動量が確定している電子に対して位置は不確定であって当然です。具体的には個体原子の位置は止まっていると見なせそうですが、動き回る電子の位置の確定が難しいのです。「運動量」の観測精度を高めている電子に対して位置情報はどんどんぼやけてきてしまいます。


時代を戻して長岡半太郎の時代に電子を観測


することを考えてみて、電子の挙動をとらえる


帯電物質を想定してみても帯電体の中を


動き回る電子の動きを止める事は出来ません。


電子とは何時も動いている物体だからです。


それだから、初めの時点での


モデル化の難しさが出てくるのです。


今日の物理学、特に量子力学的な知見では不完全なモデルとも言えますが、長岡半太郎のモデルは当時の原子モデルを大きく変えた点で高く評価出来ると思えます。全く知見の無かった原子という存在をに対して初期的なイメージを作る事が出来たのです。そのモデルをもとに帯電物質である電子の挙動が議論できたのです。
素晴らしいパラダイムシフトでした。



〆最後に〆





以上、間違いやご意見があれば
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問題点に関しては適時、
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nowkouji226@gmail.com


2020/09/13_初回投稿
2021/09/21_改訂投稿


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(2021年9月時点での対応英訳)



Hantaro Nagaoka's rich personal connections


This Hantaro Nagaoka was born in the flow of the Omura domain as well as Hideki Yukawa. He studied with Kenjiro Yamakawa and Aikitsu Tanaka at the University of Tokyo when he was a student, and with Boltzmann when he was studying abroad in Germany as an assistant professor. So did he discuss the idea of ​​positivism based on his study abroad? When discussing how close he was to the core, it would be good to consider the phenomenon grasp in quantum theory in Japan at that time. With that in mind, I wanted to read the treatise from the perspective of the history of science. If you look at it from another side, it seems that there are times when the story goes on. And it seems that his academic performance was not good when he was a child of Hantaro Nagaoka.


This point reminds me of Kotaro Honda at the same time. By the way, in addition to these two people, Umetaro Suzuki was called Santaro of RIKEN. There were similar people in mobile phone commercials.



Research achievements of Hantaro Nagaoka


Hantaro Nagaoka has compiled papers on earthquakes with Tanakadate Aikitsu and papers on magnetism with Kotaro Honda, but the major research achievement of Hantaro Nagaoka is probably the atomic model. I was pursuing a quest for the micro. Whereas Thomson assumed the existence of electrons in the shape of grapes in grape bread regardless of the distance or trajectory from the center, Hantaro Nagaoka created a Saturn-like model in which electrons rotate around an atom. Advocated.


I would like to discuss this story together with the uncertainty relation. The uncertainty relation established later discusses the relationship between the position of the target particle and the momentum. These two factors are discussed in relation to each other. In the framework of that idea, it is natural that the position is uncertain with respect to the electron whose momentum is fixed. Specifically, it seems that the position of a solid atom is stopped, but it is difficult to determine the position of moving electrons. The position information becomes more and more blurred for the electrons that improve the observation accuracy of "momentum".



Considering going back in time


and observing electrons in the time of Hantaro Nagaoka, even if we imagine a charged substance that captures the behavior of electrons, we cannot stop the movement of electrons moving around in the charged body. Because an electron is an object that is always moving. That's why it's difficult to model at the beginning.


Although it can be said that it is an incomplete model in today's physics, especially in quantum mechanics, Hantaro Nagaoka's model can be highly evaluated because it changed the atomic model at that time. I was able to create an initial image of the existence of an atom that I had no knowledge of. Based on that model, we were able to discuss the behavior of electrons, which are charged substances.
It was a wonderful paradigm shift.

江崎玲於奈
【1925年生まれ-9/29改定】

「江崎玲於奈」の原稿を投稿します。原稿文字数は994文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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【1925年3月12日生まれ ~ 【ご存命中】 】



 

概説


江崎玲於奈は先の世界大戦時代の物理学者です。電子デバイスを発明してスゥエーデンのグスタフ国王からノーベル賞を受けています。量子力学を深く理解して、その原理を応用したトンネル効果を応用したデバイスを作り出しています。因みに、このグスタフ国王って面白い人で、結婚式の披露宴にABBAを呼んだら新曲のダンシング・クィーンを披露してくれて、それが世界的な大ヒットになったという逸話なんかがあります。その国王が26歳で初めてノーベル賞を手渡した一人が江崎玲於奈だったのです。別の一人はブライアン・ジョゼフソンとでした。1973年、江崎玲於奈48歳の時でした。そこで彼は国王に『自然科学の成果を称える式典では「人種や差別無く」違った国から人々が集まってくるのだ』、と喜びを伝えました。



江崎玲於奈の業績


デバイス工学においてミクロの性格を応用することはとても重要です。対象としているデバイスの中で量子的な性格が顕著に表れる部分を応用すると従来の考えでは予測できなかったような機能が使えるようになったのです。具体的にはゲルマニウムを対象として考えた時に、そのPN接合幅に注目します。そこにおける伝導電子の波動的側面が伝導率に関わり、接合幅を薄くしていった時に量子効果が表れたのです。ポテンシャルを考えた時に通過できない筈の場所を電子が通過するイメージです。実空間で想像して、「ポテンシャルの壁」を何故か通過してしまう系を考えてみて下さい。まさに量子的な効果なのです。



晩年の江崎玲於奈


江崎玲於奈は学者という立場で活躍した後、筑波大学等で教育者として活躍しています。第2の人生をしっかり歩んでいて、とても尊敬出来ます。更に語りたい部分はありますが、江崎玲於奈氏はご存命中なのでここまでと致します。書き足したい気持ちはありますが、半面で今は少しでも静かに長生きして頂きたいと思っています。



〆最後に〆





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2021年09月28日

中嶋 貞雄
【1923年生まれ9/28原稿改定】

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【1923年6月4日生まれ ~ 2008年12月14日没】



映画監督で似た名前の方が居ますが
あちらは貞夫と書きます。
こちらは貞雄と書きます。
中嶋貞雄は私が昔使っていた量子力学での
教科書の著者でした。(発行元は岩波書店)
東京大学を卒業後に名古屋大で教授を務め、
東大物性研の所長を務めています。
超伝導現象の理論化に先鞭
をつけた方です。


超電導の議論史の中で有名な
エピソードがありますのでご紹介します。


中嶋貞雄は低温物理の物性に関わる
研究をしていきました。そんな中で
名古屋で会議が開かれ、くりこみ理論を
応用した低温電子物性の議論をします。
その話にアメリカのバーディーンが着目し、
講演内容のコピーを中嶋に求めました。
その時点ではカメリー・オネスの発見した
超伝導現象は実験的に示されていま
したが理論的な説明はなされてません。
バーディーンはそれを作ろうとしていたのです。


中嶋はきっと研究の方向性に確信を
持った事でしょう。後に名古屋駅で
バーディンにコピーを渡します。
バーディンは帰国後に英訳し、
共同研究者であるクーパー・シュリーファーと共に
考察を進め、クーパー対のアイディアを盛り込み、
BCS理論を完成させます。日本で無く
アメリカで生まれた事が残念ですが、
そうした議論の端緒は日本でも芽生えて
いたのです。


私は科学技術は人類が共有する財産
だと思っています。それだから、
コピーを届けた中嶋貞雄の行為は正しかった
と感じています。これからの若い研究者達も
知を共有して育んで欲しいと思います。
そうした行為が、ひいては日本の発展に
繋がっていくと信じています。
そして、世界人類の発展に
繋がっていくと信じています。


最後は信念とか、
宗教っぽい話になりましたが
感動・情熱から繋がる話
ではないでしょうか。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては適時、
返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/12/19_初版投稿
2021/09/28_改定投稿


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ピーター・ゼーマン
【1865年生まれ-9/28原稿改定】

「ピーター・ゼーマン」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は3103文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1865年5月25日生まれ ~ 1943年10月9日没】




その名の綴りはPieter Zeeman


ゼーマンはオランダの小さな町、


ゾンネメレに生まれます。


ゼーマンはローレンツと同じ時代の理論家で


ローレンツと同時にノーベル賞を受賞してます。


当然、アインシュタインとも交流をもちます。


ゼーマンにとって幸運だったのは


ローレンツとカメリー・オンネスに師事した事


です。稀代の理論家と実験家の指導のもと、


ゼーマンは素晴らしい環境で育ちます。


そんなゼーマン等が出した結果がゼーマン効果です。


具体的には磁場中に置かれたナトリウム原子のスペクトル


を観察した時に、それが分裂していたのです。


ローレンツとゼーマンによってなされた説明は


ナトリウム原子の内部構造についてのものでした。


細かくは原子内部の電子が電荷を持ち、


磁場中では今で言う縮退状態からの開放される


ので(スピンの性質から)放射特性が変化するのです。


更には、その電荷の物理量が別に理論を進めていたJ.J.トムソンのそれと近しい値をとった事でローレンツとゼーマンの理論は説得力をもちました。結果、ノーベル賞が贈られます。



また、ノーベル賞受賞後


ゼーマンはアムステルダムで
研究所を運営し、そこで電磁光学
の研究を進めています。特に、
移動する媒質の中での光の伝播
に関しても研究していますが、
それは相対論の形成に有益
ローレンツアインシュタイン
も評価していたと言われています。
因みにこの3人を考えると年齢順で
ローレンツ(1853年生まれ)
ゼーマン(1865年生まれ)
アインシュタイン(1879年生まれ)
の順番です。実験事実が確立していき、
相対性理論が熟成されていくのです。


ローレンツとゼーマンの素晴らしい
点はナトリウム原子の構造を
解明した手法にあったと思います。
実験結果の積み重ね、仮設の設定、
そして全てを使った理論構築の
モデルはその後に多くの学者が活用可能で
再現可能な手法だったかと思えます。
その後に他の原子も次々と性格が
明らかにされていきます。







以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
適時、返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


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(2021年9月時点での対応英訳)



The name is spelled Pieter Zeeman.


Seeman was born in the small Dutch town of Zonnemaire. Zeeman is a theorist of the same age as Lorenz and has won the Nobel Prize at the same time as Lorenz. Naturally, he also interacts with Einstein.


Fortunately for Zeeman, he studied under Lorenz and Kamerlingh Onness. Under the guidance of rare theorists and experimenters, Zeeman grows up in a wonderful environment. The result of such Zeeman is the Zeeman effect. Specifically, when I observed the spectrum of the sodium atom placed in the magnetic field, it was split.


The explanation given by Lorenz and Zeeman was about the internal structure of the sodium atom. In detail, the electrons inside the atom have an electric charge, and in a magnetic field, they are released from the degenerate state as they are now called, so the radiation characteristics change (due to the nature of spin).



Furthermore, Lorenz and Zeeman's


theory was convincing because the physical quantity of the electric charge took a value close to that of J.J. Thomson, who was advancing the theory separately. As a result, the Nobel Prize will be awarded.


After receiving the Nobel Prize, Zeeman runs a laboratory in Amsterdam, where he pursues research in electromagnetic optics. He is particularly studying the propagation of light in moving media, which is said to have been useful in the formation of relativity and was also appreciated by Lorenz and Einstein. By the way, considering these three people, in order of age
Lorenz (born 1853)
Zeeman (born 1865)
Einstein (born 1879)
It is the order of. Experimental facts will be established and the theory of relativity will be matured.


I think the great thing about Lorenz and Zeeman was the method of elucidating the structure of the sodium atom. It seems that the accumulation of experimental results, the setting of temporary settings, and the model of theory construction using all of them were methods that many scholars could utilize and reproduce after that. After that, the characteristics of other atoms will be revealed one after another.



 

2021年09月27日

P・W・アンダーソン
【1923年生まれ-9/27原稿改定】

「アンダーソン」の原稿を投稿します。原稿文字数は1105文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1923年12月13日生まれ ~ 2020年3月29日没】



その名の綴りは”Philip Warren Anderson”。


物性研究で有名なアンダーソン博士をご紹介します。


所属研究機関としてはハーバード大で学び


ベル研・ケンブリッジ大・プリンストン大学


で勤務しました。米国や英国の綺羅星が並んでます。


素晴らしい研究人生です。


アンダーソンの研究で先ず思いつくものは
アンダーソン局在です。


無秩序系における電子の基本的な性格で、
物性論の一つの基礎原理になっています。
その理論では電子が実空間上で局在した状態は
非局在の状態と明らかに異なり
エネルギー的に区別されます。


当たり前ですが、超電導の話で出てくる位相空間での局在と明確に区別する必要があります。アンダーソン局在では電子が空間的に局在するので、電気伝導について考えた時に「固体中の電子が殿堂に寄与しなくなる」という事実が大事です。導体が不導体に近いづいていくのです。


更にアンダーソンは、長さ・時間のスケールを
変換する理論をスケーリング理論として展開して
理論を発展させたのです。


また、磁性を紐解く解釈も行っています。
こういった業績を評価され、アンダーソンは
ノーベル物理学賞を受賞しています。


とある研究によると、論文引用の頻度から評価して
アンダーソンは世界で「最も創造的な物理学者」
だという位置づけを得ています。


そしてアンダーソンは 東京大学から名誉博士号
を贈られています。その記念として
物性研で記念植樹されていたようですが、
赤坂・防衛省の近くでしょうか。柏でしょうか。
何時か見に行きたいと思います。


最後に、アンダーソンの
残した言葉を一つご紹介します。


”More is different”


アンダーソンは多様性の中から秩序を拾い出していました。皆さんも多様性に怯まないで下さい。寧ろ、多様性の中で逍遥する心持で複雑怪奇の中で物事の本質を探って下さい。数学的な手法に拘って、何度も検算を繰り返してみても良いと思えます。数学はあくまで現実のモデル化なのですが、本質に近いことが多いです。また、別解を探してみると面白いかもしれません。
少しでも多くの手法で考え続けて下さい。私も励みます。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/11/03_初稿投稿
2021/09/27_改定投稿


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W・C・ヴィーン
【1864年生まれ-9/27原稿改定】

「ヴィーン」の原稿を投稿します。原稿文字数は1298文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1864年1月13日生まれ ~ 1928年8月30日没】



その名を正確に記すとヴィルヘルム・カール・ヴェルナー・オットー・フリッツ・フランツ・ヴィーン:Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien。熱力学における黒体放射の研究で有名です。ヴィーンは東プロイセンで農夫の子として生まれ、ベルリン大学でヘルツの元で学位を取ります。そこでの学位論文は光の回析特性に関する論文でした。その後ヴィーンはレントゲンの後任としてヴュルツブルク大学で教鞭をとっています。またヴィーンはドイツ物理学会で会長を努めていて、前任はゾンマーフェルトでした。

さて、今日までヴィーンの業績・人となりを
調べていて断片的な印象を持ってしまいました。
それだから、ヴィーンの「人柄」が伝えられないのです。
実際の性格もあるのでしょうが、考えてみてたら、
当時の時代背景も大きいと思えてきました。
ヴィーンはドイツで生まれドイツで亡くなっています。
その時代のヨーロッパでは大戦がありました。
特にドイツはユダヤ人を迫害し、
何人ものユダヤ人物理学者が
反ドイツの体制で活動していました。
ヴィーンが生きたのは、そんな時代なのです。


そんな時代にヴィーンはソルベーユ会議に出ていて
国を代表して物理学会に関わっていたでしょうが、
政治絡みの考えは他のメンバーと独自のものとなって
いたと考えられます。時節柄、修業を兼ねて他国へ
留学したり協同研究をしたりする環境とは
大きく異なっていたのでしょう。ドイツ帝国の人ですから。
ヴィーンは現代とは異なった環境に生きていたのです。


業績の点について考えてみると、
ヴィーンの法則はプランクの法則の極限
として考える事が出来ます。この法則は
反応を起こす物質の温度と放出される
電磁波の波長を関連付けますが、
対象物質の内部構造迄、踏み込んだ議論
を垣間見る事は出来ません。現象の
不完全な定式化であって独自の理論です。


考えを進めさせて頂くと、
マッハとボルツマンの考え方の
対立も思い起こされます。

ソルベー会議に出席する中で
ヴィーンもまた従来の考え方を守る立場で、
伝統的な枠組みの中で葛藤していたのでしょうか。
はっきりと確定して言える内容に悩み、
使っている推論の妥当性に対して悩みます。
ミクロの現象に対するモデルが大きく変更される
時代に当事者達は大胆かつ慎重に
判断せねばならなかった筈です。
いつかまた考えてみたいと思っています。


それにつけても、
ヴィーンの法則は我々に新しい知見を
もたらしていて、物質内部での反応に対し
変化を定量的議論の枠組みに乗せて
次なる議論の礎を作っています。
確かな一歩でした。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
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(2021年9月時点での対応英訳)



The exact name is Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien.


He is famous for his work on blackbody radiation in thermodynamics. Wien was born in East Prussia as a child of a farmer and holds a degree from Hertz at the University of Berlin. His bachelor's thesis there was a treatise on the diffractive properties of light. Wien has since taught at the University of Würzburg as a successor to Roentgen. Wien was also chairman of the German Physical Society, and his predecessor was Sommerfeld.


By the way, until today, I have been investigating Veen's achievements and personality, and I have a fragmentary impression. That is why Veen's "personality" cannot be conveyed. He may have an actual personality, but when I think about it, I think he has a big historical background at that time. Vein was born in Germany and died in Germany. There was a great war in Europe at that time. Germany, in particular, persecuted Jews, with a number of Jewish physicists operating in an anti-German regime. It was at that time that Veen lived.


At that time, Veen would have been involved in the Physical Society of Japan on behalf of the country at the Solbeille Conference, but it is probable that his political ideas were unique to the other members. Perhaps it was very different from the environment in which students study abroad or collaborate in research in other countries for the purpose of training. He is from the German Empire. Veen lived in a different environment than it is today.



Considering Wien's achievements


 

, Wien's law can be thought of as the limit of Planck's law. This law associates the temperature of the substance that causes the reaction with the wavelength of the emitted electromagnetic wave, but we cannot get a glimpse of the in-depth discussion of the internal structure of the target substance. It is an incomplete formulation of the phenomenon and is an original theory.


As I move forward, I also recall the conflict between Mach and Boltzmann's ideas. Was Veen also struggling within the traditional framework in attending the Solvay Conferences, in a position to uphold his traditional thinking? He is worried about what he can say clearly and definitely, and about the validity of the reasoning he is using. The parties would have had to make bold and careful decisions in an era when the model for microscopic phenomena changed drastically. I would like to think about it again someday.


Even so, Wien's law brings us new insights, laying the foundation for the next debate by putting changes in the reaction within matter within the framework of a quantitative debate. It was a solid step.




2021年09月26日

南部 陽一郎
【1921年生まれ9/26原稿改定】

「南部」の原稿を投稿します。原稿文字数は1019文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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【1921年1月18日生まれ ~ 2015年7月5日没】




南部 陽一郎は第二次世界戦時に研究を志しました。


所が、時は戦時中。彼の頭脳は武器製造に貢献


できると判断されて、陸軍のレーダー研に配属されました。


戦時下ではどんな研究をしていたんでしょうね。


そして、どんな気持ちだったのでしょうね。


戦争の前後で東京帝国大学で研究を進めます。


戦後、南部 陽一郎は


朝永 振一郎のグループで研究を続けます。


そして物質を構成する原子を考えていき、


今に続く素粒子論を完成させていきます。


南部陽一郎の新規性は真空概念の考え直しでしょう。


「特定の対称性をもった物理系がエネルギー


で色々な状態を考えた時に的に、より


安定な真空状態に自発的に落ち着く」のです。


BCS理論でのクーパ対生成はこの考え方


に従っています。電子対生成が安定なのです。


中間子をひもとき、素粒子間の総合作用を考え、その形成に関して実験事実と、つじつまの合う理論を展開していきます。そうした研究を重ね南部陽一郎は「自発的対称性の破れ」でノーベル賞を受賞しています。南部陽一郎の話の組み立てとしては、強磁性体の自発磁化状態(外部からの磁場無しで内部磁気モーメントを揃えている状態)が温度上昇に伴い磁化を失う状態を考え、ラグラジアンを巧みに使い素粒子に適用しているのです。また彼は量子色力学や紐理論でも成果を上げています。


そういえば、南部洋一郎は私が学生時代に使っていた教科書の著者でした。その時点で米国の国籍を得ていた記憶
があり、研究者に対しての日本での待遇に疑問を抱いたものです。私は理論物理学の研究室に所属して居ましたが、卒業後も研究を続けて研究者として身を立てている仲間は今では数えるほどしかいません。多くは私のように、民間の会社に所属して物理学とは全く関係のない業務に従事しています。


少子化という流れもありますが名誉職としての教授に対して日本社会の扱いは低いとも感じていました。狭き門である事に加えて扱いが低いのです。


それだから


南部 陽一郎がアメリカに帰化した気持ちは


少しは理解出来る気がするのです。



以上、間違い・ご意見は
以下アドレス迄お願いします。
適時、返信改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/09/10_初版投稿
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ピエール・キューリ
【1859年生まれ-9/26原稿改定】

「P・キューリ」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は3615文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。

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【1859年5月15日生まれ 〜 1906年4月19日没】

ピエール・キューリって有名

なマダム・キューリの旦那様ですが、

調べていけばいくほど良い男です。

ピエールはフランスのパリに生まれましたが、

学校に行きたがらず、お医者だった

お父様や家庭教師等に勉強を

教えてもらって自宅で勉強していました。

特に数学で優秀さを発揮して、

とりわけ幾何学で光る所を見せる

ようになっていき、

16歳でパリ大学に入学します。

そしてなんとピエールは18歳で

学士号を得てしまいます。

今の日本では現役学生が入学試験を受ける年齢ですね。

びっくりです。ご家庭の事情で博士号習得はあきらめて

物理研究室の助手として働きます。

原子に対して知見が集まりつつあった未開の時代に

数々の業績を残しています。




同じくパリ大学鉱物学助手

をしていた兄ジャックと協同で研究を

進めます。水晶等の結晶に圧力差が

生じた時に電位差が発生する現象を定理化して

「圧電効果」または「ピエゾ効果」と呼ばれる

法則を明確にして、公表しました。

更に、彼等はもう一つの現象も示します。

水晶に電界を加えた時に形が変わるという

現象を発表しましています。

現在の工業製品ではこの応用である

水晶振動子がデジタル回路で使われています。

固有周波数を持つので時計やコンピュータの回路で

時間(クロック)の基準となっているのです。




ピエールは磁性に関して

研究を進めています。その中で自差係数

を計測するための精密なねじりばかり

を使っていますが、その装置は後に精密計測で

世界中の研究者に広く使われています。

ピエール・キュリーは博士論文のテーマとして

強磁性、常磁性、反磁性について研究をおこないました。

特に常磁性への温度特性を「キュリーの法則」として

定式化しています。。その式に出てくる物質固有の定数は

「キュリー定数」と呼ばれています。更に

強磁性体の磁性損失も明らかにしています。

「キュリー点」です。キュリー天秤も作りました。

沢山の業績を残していますね。




そんな沢山の成果をあげていましたが、

ピエールは薄給に甘んじ出世に興味をもたず

教育功労勲章も断っていました。そんなピエールを

外国では高く評価していて、1893年には

英国のケルヴィン卿が訪問してきています。

その後ピエールはポーランド人のマリア・スクウォドフスカ

(後のキューリ夫人)と出逢い結婚しています。

何度もピエールは恋文を送っていたようです。

簡素な下宿で温かい時間を過ごしていました。

その後は夫婦共同で放射性物質の研究をしていて、

ポロニウムとラジウムを発見、放射能という

用語の提案を行っています。そして遂に

ピエールは学生と共に核エネルギーを発見します。

原子核の遷移は熱を生んでいたのです。

学生との発見は続き、アルファ線、ベータ線、

ガンマ線を見付けています。それぞれの

放射線の帯電特性に気付いた訳です。




こうした成果をピエールがあげていく中で、

過度の研究の中でピエールの心身のダメージは

徐々に蓄積していきました。リウマチの症状で毎晩

ピエールは激痛に襲われて悲鳴をあげていたそうです。

妻マリアとベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞

した際には体調不良で授賞式に出られませんでした。




そして運命の日が来ます。1906年4月19日木曜日です。

当時パリ大学教授になったばかりのピエールは昼

食後2時半頃に目的地に徒歩で移動していました。

パリの狭い道を多くの馬車が混走していました。

道を渡り損ねた彼は馬車にひかれてしまい、

頭蓋骨にひどいダメージを負って即死してしまうのです。

一瞬の悲劇でした。フランスは宝を失います。




彼の死後に妻マリアは2度目のノーベル賞を得ています。

また娘のイレーヌ・ジョリオ=キュリーとその夫で

研究所の助手だったフレデリック・ジョリオ=キュリーも

放射性元素の研究でノーベル賞を受賞しています。

もう1人の娘エーヴは、母の伝記を書き残しました。

孫の ヘレン ランジュバン ジョリオ は

パリ大学の核物理学教授で、同じく

孫の ピエール ジョリオ は生化学者です。




そして今ピエールとマリの魂はパリのパンテオンの

地下聖堂に眠ってます。他のフランスの産んだ

偉人達と共に。フランスの名誉と共に。

夫婦で深い安らかな眠りを続けています。






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(2021年9月時点での対応英訳)

Pierre Cucumber is the famous Madame Cucumber husband

, but the more you look up, the better he is.

Pierre was born in Paris, France, but he didn't want to go to school and was studying at home with his father, a doctor, and a tutor. He entered the University of Paris at the age of 16, especially as he demonstrated his excellence in mathematics, especially in geometry.

And Pierre gets his bachelor's degree at the age of 18. In Japan today, it's the age at which active students take entrance exams. That's surprising. Due to family circumstances, I give up my PhD and work as an assistant in the physics laboratory. He has made many achievements in the undeveloped era when knowledge about atoms was gathering.

He works with his brother Jack, who was also an assistant in mineralogy at the University of Paris. The phenomenon that a potential difference occurs when a pressure difference occurs in a crystal such as quartz is theoremized, and the law called "piezoelectric effect" or "piezo effect" is clarified and published. In addition, they show another phenomenon. We are announcing the phenomenon that the shape changes when an electric field is applied to the crystal. In current industrial products, this application, the crystal unit, is used in digital circuits. Since it has a unique frequency, it is the standard for time (clock) in clock and computer circuits.

Pierre is researching magnetism




. Among them, he uses only precision torsion to measure the deviation coefficient, but the device was later widely used by researchers all over the world for precision measurement.

Pierre Curie studied ferromagnetism, paramagnetism, and diamagnetism as the theme of his dissertation. He especially formulates the temperature characteristics for paramagnetism as "Curie's law". .. The substance-specific constants that appear in the formula are called the "Curie's constant". Furthermore, the magnetic loss of the ferromagnet is also clarified. It is a "Curie point". He also made a Curie balance. You have a lot of achievements.

Although he had achieved many such achievements, Pierre was content with a low salary and was not interested in his career and refused the Order of Educational Achievement. Such Pierre is highly evaluated in foreign countries, and in 1893, Sir Kelvin of England visited. Pierre then met and married the Polish Maria Squadovska (later Mrs. Curie).

Pierre seems to have sent a love letter many times. He had a warm time in a simple boarding house. After that, my husband and wife were jointly researching radioactive materials.

He discovered polonium and radium and proposed the term radioactivity. And finally Pierre discovers nuclear energy with his students. Nuclear transitions were producing heat. His discoveries with his students continued, finding alpha, beta, and gamma rays. I noticed the charging characteristics of each radiation.

As Pierre achieved these achievements, Pierre's physical and psychological damage gradually accumulated through his excessive research. Pierre was screaming every night because of the symptoms of rheumatism. When he won the Nobel Prize in Physics with his wives Maria and Becquerel, he was ill and could not attend the award ceremony.

And the day of his destiny will come.

It is Thursday, April 19, 1906. Pierre, who had just become a professor at the University of Paris at the time, was walking to his destination around 2:30 after lunch. He was crowded with many carriages on the narrow streets of Paris. He fails to cross the road and is run over by a carriage, causing terrible damage to his skull and dying instantly. It was a momentary tragedy. France loses treasure.

His wife Maria has won the Nobel Prize for the second time after his death. Her daughter, Irene Joliot-Curie, and her husband, an assistant at the institute, Frederick Jorio-Curie, have also won the Nobel Prize for her work on radioactive elements. Another daughter, Ave, wrote down her mother's biography. Her grandson her Helen her Langevin her Jorio is a professor of nuclear physics at the University of Paris, and her grandson her Pierre her Jorio is a biochemist.

And now the souls of Pierre and Mali are sleeping in the crypt of the Panthéon in Paris. With other great men from France. With the honor of France. The couple continues to sleep deeply and peacefully.

2021年09月25日

久保 亮五
【1920年生まれ-9/25原稿改定】

「久保亮五」の原稿を投稿します。原稿文字数は924文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1920年2月15日生まれ ~ 1995年3月31没】



久保亮五と同名(漢字違い)の


別人が居ますが、以下記載は


物理学者に関する文章で、


ここでの久保亮五は統計力学で


私が使った教科書の著者です。


私の指導教官は講義を受けた


そうです。そんな時代の


物理学者についての記載です。


久保亮五は学者肌の家で育ち、


お父様の仕事で子供時代には


台湾で生活しています。


高校まで台湾で過ごし、


帰国後に旧制高校へ入学、


東大へ入学、その後に助手、


助教授、教授をつとめました。


久保亮五の仕事で何より特筆


すべきは物性論での成果です。


ゴムの弾性に関する研究と、


線形応答理論を使った


フーリエ変換NMRへの


応用研究があげられます。


久保亮五の考えたNMRの


概説を一般の人向けに記し


てみたいと思います。先ず


フーリエ変換理論は端的には


「時系列の波形を周波数を


基準に考えた波形に変換し


て解析する技術」です。


そうした「数学的に確立


されているフーリエ変換」


を理論的基礎として


電子回路で応用しています。


離散化された電気信号に


対して回路上で実質的に


マトリクス変換を加えます。


診察で実際にNMRを使った経験のある人はその中で測定を受けている時を思い出してみてください。頭の中を調べる時などに、強磁場を人間の頭部に二次元的に与えます。その時に大きな音がしますが、その時系列でインパルス的な情報を機械的に処理して周波数応答に関する情報を得ます。結果的に吸収スペクトルを測定することで各スピンの情報を集め、そこから最終的には断面の画像を処理します。最終的な写真で見える画像は、これらの処理の結果です。


そして今、久保亮五は


この世に居ませんが、


その仕事を応用したNMRは


世界中の病院で患者達の


情報を集めています。


きっと今、この瞬間も


集めています。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


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マックス・プランク
【1858年生まれ-9/25原稿改定】

「プランク」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は3783文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。

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【1858年4月23日生まれ ~ 1947年10月4日没】

その名は正確には


マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク
(Max Karl Ernst Ludwig Planck)

【現在の国で言えば】ドイツ生まれのプランクは

前期量子論の主要メンバーの一人です。

ベルリン大学でヘルムホルツと共に教授職を務めた際には、当時の重鎮だったヘルムホルツと同列に話が出来る事に対してプランクは大変な名誉を感じていたそうです。ヘルムホルツから評価を受けた時などはとても嬉しかったとこぼしていたと言われています。因みに、この時のプランクの教授就任はキルヒホッフの死去に伴うもので、就任前に大学側はボルツマンとヘルツに打診をしていたそうです。そしてプランクは黒体放射の研究からエネルギーと輻射波の関係を導き、プランクの法則として理論化します。

学問的方法論の観点から語れば、

エルンスト・マッハの実証主義に対しプランクは実在論

を展開しています。プランクは微視的な物理公式を

特徴づける定数である「プランク定数」を提唱

しています。即ち微視的な知見において、

不連続な物理量を上手に理論に取り入れて

微細な定数を導入して体系化しているのです。

プランクの提唱した一連の考え方はとても大事な概念で、

量子力学の根幹をなしています。現代の我々が

後付けで考えてみると、取り得る状態が不連続だから

行列力学で使えます。そして状態の時間発展が

量子力学体系の中で記述出来て、微視的な

状態間の遷移が「定量的に」表せるのです。

こうした様々な新概念が提唱された

プランクらの時代における改革には、まさに
「パラダイムシフト」という言葉が使えます。
思想体系において大きな変換が起きました。
まず、考え方のハードルをクリア出来た事は
物理学にとって大きな一歩であったと言えます。

そしてプランクは戦争の時代を生きたので幾多の悲劇

を味わいました。人道的見地から、アインシュタイン等

へのユダヤ人迫害に対して当時の独裁者である

ヒットラーに直接意見を述べています。そして、

プランクの長男は第一次世界大戦で戦死しています。

プランクの二男はヒットラーを暗殺に加担したので

処刑されてしまいました。加えてプランク自身も

国賊の親として批難を受けていました。更には、、

他にプランクには二人の娘さんが居ましたが、

共に孫娘を産んだ後に亡くなっています。

こうして色々とあったプランクの人生ですが、

プランクの残した業績は決して消えていません。

プランクの名前を残しているプランク定数は今でも

世界中で議論の中で使われていて、彼の名を冠した研究所

は21世紀になっても最先端の研究を続けています。







以上、間違いやご意見があれば
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては適時、
改定・訂正を致します。

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(2021年9月時点での対応英訳)

To be exact, its name is
Max Karl Ernst Ludwig Planck.

[Speaking in the current country] German-born Planck is one of the main members of the early quantum theory.

When he was a professor with Helmholtz at the University of Berlin, Planck was very honored to be able to talk with Helmholtz, who was a major figure at the time. He is said to have complained that he was very happy when he was evaluated by Helmholtz. By the way, Planck's appointment as a professor at this time was due to Kirchhoff's death, and it seems that the university side had consulted with Boltzmann and Hertz before his appointment. Planck then derives the relationship between energy and radiant waves from the study of blackbody radiation and theorizes it as Planck's law.

From an academic methodology perspective

, Planck develops realism against Ernst Mach's positivism. Planck advocates the "Planck's constant," which is a constant that characterizes microscopic physical formulas. That is, in microscopic knowledge, he skillfully incorporates discontinuous physical quantities into theory and introduces minute constants to systematize them.

The series of ideas proposed by Planck is a very important concept and forms the basis of quantum mechanics. When we think about it later, it can be used in matrix mechanics because the possible states are discontinuous. And the time evolution of states can be described in the quantum mechanical system, and the transition between microscopic states can be expressed "quantitatively".

You can use the term paradigm shift. A major transformation has occurred in the ideological system. First of all, it can be said that clearing the hurdle of thinking was a big step for physics.

And since Planck lived in the era of war




, he experienced many tragedy. From his humanitarian point of view, he speaks directly to Hitler, the dictator of the time, about the persecution of Jews against Einstein and others. And Planck's eldest son was killed in action in World War I. Planck's second son helped Hitler assassinate and he was executed. In addition, Planck himself was criticized as a parent of national bandits. In addition, Planck had two other daughters, both of whom died after giving birth to a granddaughter.

In this way, Planck's life has changed, but his achievements have never disappeared. Planck's constant, which retains Planck's name, is still used in discussions around the world, and his institute continues to do cutting-edge research into the 21st century.

2021年09月24日

アイザック・アシモフ
【1920年生まれ-9/24原稿改定】

「アシモフ」の原稿を投稿します。原稿文字数は792文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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【1920年1月2日 ~ 1992年4月6日】




アシモフの人物像


今回、少し物理から離れます。アシモフは


「ロボット3原則」で有名なSF作家です。


実際のアシモフの研究分野としては


生化学なのですが、作家としての顔


の方が有名ですね。調べてみるとアシモフ


はロシア生まれでした。リニアモーターカー


が走る今日の世界を見せてあげたいと、


個人的には考えてしまいます。また、


もはやロボットも日常的ですよね。そんな未来を


アシモフは20世紀のうちに予見していました。


20世紀の知見で機械化が進む未来を描き、


進んだらどうなるだろうと考えますが、


好ましい方向性を指摘して大衆に問いかける。


つまり、科学の夢を投げかけていたのです。



アシモフの作家デビュー


アシモフは1938年に初めてのSF作品を雑誌に


持ちかけて認められ、1939年から作家デビュー


しています。才能を認めるアメリカっぽいですね。


この年にコロンビア大学を卒業して


大学院に進みます。


所謂、ロボット三原則などを提唱していますが、


時代は第二次大戦に向かう時代で


アシモフは学校を休学したりしています。


科学が知識を集めるスピードの速さに


アシモフは驚愕していて、社会が叡智を集結


する事を求めていました。相変わらず分断


している世界をどう見るのでしょうか。



意外な結末


そして、意外な最後なのですが、アシモフは


1992年にHIV感染が元でこの世を去ってます。


心臓バイパス手術の時に使用された


輸血血液が感染源のようです。


本当に色々と経験してきた人生だったと思います。






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ハインリヒ・R・ヘルツ
【1857年生まれ-9/24原稿改定】

「ヘルツ」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は3618文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。

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【1857年2月22日生まれ ~ 1894年1月1日没】

独逸のヘルツ

ハインリヒ・R・ヘルツのRは
ルドルフ(Rudolf )のRです。

もともと、ヘルツは気象学に関心を持っていました。

1878年ミュンヘン工科大学では指導教官が気象学者のベゾル

でしたが、そこではさしたる業績を残していないようです。

後の師ヘルムホルツのもとで

液体の蒸発の論文や新型の温度計に関する

論文をまとめた程度だと言われてす。

エーテルに対する理解の変遷

所で、19世紀終わり頃迄は電磁波の

伝達物質としてエーテルという物質

を想定していました。確かに

波を伝える伝達物質、別の言葉を使うと

媒質といった物があり波は伝わります。

水という媒質があり表面で波紋が伝わり、

空気という媒質があって音が伝わる訳です。

1881年にマイケルソンが実験でエーテル

を否定したタイミングでヘルツは

マクスウェルの方程式を再度考え直します。

電磁波の存在を煎じ詰めて

実用的なアンテナを考案しました。

現代の整理された考え方によると、
電磁波は真空中であっても伝わります。
例えば太陽光は大気圏に届く前に
真空中を伝わってくるのです。
そこにはエーテルは存在しません。
エーテルの仮定は観測にかからないばかりか、
地球の自転運動・公転運動に対して
説明がつかないのです。

ヘルツのその他の業績 

別途、ヘルツは電磁波発信の
装置を開発して電磁波の送受信
の実験を繰り返しました。
マクスウェルの理論を現実の生活の中の仕組みと関連させることを考えてみると、電波を発信する仕組みと受信する仕組みが必要です。例えば、磁場中で帯電体が振動運動をした時に電場と磁場が生成されて、光速度に近い伝番をする筈です。それを観測にかけるには「出来るだけ簡単で解析しやすい送信部と受信部」を設計してシステムの構築をしなければいけません。ヘルツはそうしたシステムを構築したと言えるのです。その過程では例えば、
送受信間にガラスを置くと
電磁波が通じ難くなると確認しました。即ち、
電磁波というものがあって、それを使うと離れた空間の間を送受信出来て、電磁波が透過しやすいものとし難いものがあると示したのです。大きな一歩でした。

そして、実験で人々にガウス・マクスウェル

の理論を現実の世界とより近づけました。

ヘルツは周波数の単位に名を残しています。








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(2021年9月時点での対応英訳)

Hertz of Germany

Heinrich R. Hertz's R is Rudolf's R.

Originally, Hertz was interested in meteorology. At the Technische Universität München in 1878, the instructor was the meteorologist Bezor, but he does not seem to have made much of a mark there. It is said that he only compiled a treatise on liquid evaporation and a new thermometer under his teacher Helmholtz after him.

At the transition of understanding of ether

Until the end of the 19th century,People had assumed The Existance,Ether  as a transmitter of electromagnetic waves. surely

There is a transmitter that transmits waves, or in other words, a medium, and waves are transmitted. There is a medium called water, and ripples are transmitted on the surface, and there is a medium called air, and sound is transmitted.

Hertz reconsiders Maxwell's equations when Michaelson denies ether in an experiment in 1881. He devised a practical antenna by decocting the existence of electromagnetic waves.

According to modern organized thinking, electromagnetic waves are transmitted even in a vacuum. For example, sunlight travels through a vacuum before it reaches the atmosphere. There is no ether there. Not only is the assumption of ether unobservable, but it cannot explain the rotation and revolution of the earth.

Other achievements of Hertz

Separately, Hertz developed a device for transmitting electromagnetic waves and repeated experiments to send and receive electromagnetic waves.
Considering the relationship between Maxwell's theory and the mechanism in real life, we need a mechanism to transmit and a mechanism to receive radio waves. For example, when a charged body vibrates in a magnetic field, an electric field and a magnetic field are generated, and the number should be close to the light velocity. In order to observe it, it is necessary to design a "transmitter and receiver that are as simple and easy to analyze as possible" and build a system.

It can be said that Hertz built such a system. In the process, for example, I confirmed that placing glass between transmission and reception makes it difficult for electromagnetic waves to pass through. In other words, he showed that there are electromagnetic waves that can be used to send and receive between distant spaces, making it easy for electromagnetic waves to pass through and difficult for them to pass through. It was a big step.

And in his experiments he brought Gauss Maxwell's theory closer to the real world. Hertz has left its name in the unit of frequency.

2021年09月23日

R・P・ファインマン
【1918年生まれ-9/23原稿改定】

「ファインマン」の原稿を投稿します原稿文字数は949文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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【1918年5月11日 〜1988年2月15日】



アメリカのファインマン


有名な教科書の著者で、私が学生時代から


その本は日本で利用出来ました。


世界中でその教科書は使われています。


量子電磁気学の業績で


朝永 振一郎と共にノーベル


を受賞しています。。


さて、ファインマンの名を聞いて真っ先に


思い出すのは経路積分です。


数学的な定式化が驚異的なのです。
【参考_Wikipedeiaの記載:経路積分



経路積分の考えを纏めると


二つの経路を初めに考えて、其々からの寄与を考えていく時に拡張が出来て二つ、三つ、四つ、、、無限大の経路。と経路を無限大に広げていくのです。もう少し具体的にファインマンの考えを紹介しますと、ダブルスリットの実験を拡張した場合に何も無い空間を考える事になっていくという考え方なのです。この経路に関するファインマンの考え方には数学的な難点も指摘されているようですが物理の世界では非常に面白い考えであり、考え進めていきたい視点です。また、素粒子の反応を模式化したファインマンダイアグラムは視覚的に、直感的に秀逸です。本当に天才の技に見えました。


業績の話が先行しましたが、最後に生い立ち,人つながりの話を致します。ファインマンはユダヤ人故に苦労を強いられています。ユダヤ人枠で大学に入れなかったりした時代もありましたがMITやプリンストン大学で研究を進めます。電気力学の量子論についてのゼミをプリンストン大学で行うことになった時には、ゼミの話を聞きつけてユージン・ウィグナー、ヘンリー・ノリス・ラッセル、フォン・ノイマン、E・パウリアインシュタインが参加していたそうです。そして、ファインマンはアインシュタインと共に原爆開発の計画であるマンハッタン計画に参画しています。その中で、率直に意見を述べたメモが
没後の2018年にサザビースで落札されています。






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J・J・トムソン
【1856年生まれ-9/23原稿改定】

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【1856年12月18日生まれ~1940年8月30日没】

その名はジョゼフ・ジョン・トムソン

【Sir Joseph John Thomson】。

イギリスのJ・J・トムソンは同位体の発見者です。

指導者としてはラザフォード、

オッペンハイマー、ボルンの師であり

物理学の発展に大きく貢献しました。

ケンブリッジ大学を卒業し、4年後に

キャヴェンディッシュ研究所の所長を務めます。

また、電子の実在を形にしていった

一人でもあります。電子を発見したか

については異論があるかも知れませんが

いくつかの洗練された実験で、

トムソンは電子の単位量を決めて

特定原子の同位体を示しました。

トムソンによる電子の追及

トムソンと電子の歴史は密接に関係しています。ニュートン力学が確立され、それをもとに色々な議論が進んでいた時代に、原子核などの束縛を受けていない所謂「自由電子」の振る舞いを明らかにしていきました。初期は陰極線と電子線という言葉さえうまく使い分けられていなかったようです。

電子が沢山放出されるような現象を作り上げて、飛んでくる電子を観測していくイメージです。電子線と呼んだ方が細いイメージです。

原子核の周りをまわっているような「束縛された電子」は当時も今でも観測の対象とすることはとても難しいのです。また、JJトムソンの子供も後に、電子の波動性を証明してノーベル賞を受けています。

そして今、いくつもの偉業を遂げ

J・J・トムソンの亡骸は

ニュートンの墓のすぐ近くに眠っています。

英国の生んだ偉人として。








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時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
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(2021年9月時点での対応英訳)
Its name is Joseph John Thomson

[Sir Joseph John Thomson].

This JJ Thomson of England is a discoverer of isotopes. As a leader, he was a teacher of Rutherford, Oppenheimer, and Born, and contributed greatly to the development of physics.

JJ Thomson graduated from Cambridge University and will be the director of the Cavendish Laboratory four years later. And , He is also one of the people who shaped The Reality of Electrons. There may be some disagreement about the discovery of the electron, but in some sophisticated experiments, Thomson determined the unit amount of the electron and showed the isotope of a specific atom.

Thomson's pursuit of electrons

The history of Thomson and electronics is closely related. In an era when Newtonian mechanics was established and various discussions were proceeding based on it, we clarified the behavior of so-called "free electrons" that are not bound by atomic nuclei. At the beginning, it seems that even the terms cathode ray and electron beam were not used properly.

It is an image of observing flying electrons by creating a phenomenon in which a lot of electrons are emitted. It is a thinner image to call it an electron beam. It is very difficult to observe "bound electrons" that seem to orbit around the nucleus even now. The child of JJ Thomson also later received the Nobel Prize for proving the wave nature of electrons.

And now, the corpse of JJ Thomson, who has achieved several feats, is sleeping in the immediate vicinity of Newton's tomb. He was a great man born in England.

2021年09月22日

D・J・ボーム
_【1917年生まれ-9/22原稿改定】

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【1917年12月20日 ~ 1992年10月27日】



正確にはその名は、


デヴィッド・ジョーゼフ・ボーム_


David Joseph Bohm、ヘブライ語表記


ではדייוויד ג'וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם。


偶然でしょうがボームはロシア革命の


年に生まれてます。そんな時代背景も


ボームの人生に影響を残しているのでは


ないでしょうか。ハンガリー系‎‎ユダヤ人の父と


リトアニア系ユダヤ人の母の間に


ペンシルベニア州で生まれ、


UCB(カリフォルニア州立大学バークレー校)


オッペンハイマーの教えを受けます。


そんな時期に学生時代に当時の知人の影響で思想的


に影響を受け、異なった社会モデルを持つ


急進的な主義の考えをボームは抱きます。


後にはその為にFBIにマークされたりします。


 

第2次世界対戦の時にはボームは師である


オッペンハイマーに従いマンハッタン計画


に参加します。その計画は陽子と重陽子の


衝突研究を進め、濃縮ウランを作り原爆を


製造する計画で実行に移されました。


戦後、ボームはプリンストン大学で


アインシュタインと共に働いていましたが、


いわゆるマッカーシズムにあい、


プリンストン大学を追われます。


社会主義者としての過去の活動を当局に


問題視されたのです。アインシュタイン


ボームに彼の助手として大学に残る事を勧めました。


ところが、その願いは叶わずにボームは


ブラジルのサンパウロ大学に移りました。


研究者としてボームは幾多の


成果を残しています。先ず


量子力学の解釈の面でボーム解釈。


EPRパラドックスの提唱。


そして、電磁気学でのAB効果です。


それぞれ問題の本質をとらえようと


考え続けていたように思えます。


こうした業績で、その分野の考えに


今でも残る影響を与えています。






間違い・ご意見は
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たなかだてあいきつ(田中館愛橘)
【1856年生まれ9/22原稿改定】

「田中館愛橘」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は5518文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


 

【1856年10月16日生まれ~1952年5月21日 没】




物理学創設期の田中館愛橘


その名は田中館・愛橘と書いて


たなかだて・あいきつ、と読ませます。


生まれた年は旧暦の時代で安政3年9月18日です。


【新暦で1856年10月16日です】


没年は新暦での昭和27年です。


先祖に南部藩の赤穂浪士


と呼ばれた方が居たそうですから、


そうしたイメージから語り出したいと思います。


時代の変革期に若き日を過ごしました。


 

田中館愛橘の生い立ち


ご紹介する田中館愛橘の父方は


兵法師範の家系であり、


愛橘は藩校である作人館に学びます。


作人館での同窓生には原敬がいて後輩には


新渡戸稲造がいました。存じませんでしたが


立派な学校ですね。東京に出て慶應義塾に通い


ますが学費が高額なので東京開成高校に進みます。


今で言えば東大教養学部のイメージでしょうか。


そこで愛橘は山川健次郎から物理学を学びます。


政治にも関心を持っていたようですが、山川から諭され、日本での理学の遅れを挽回せんと愛橘は物理学を志しました。1879年に東大で外国人教師であるメンデンホールと一緒にユーイングがエジソンの発明したフォノグラフを日本に紹介しましたが、田中館愛橘は早速試作を行いました。その音響や振動の解析を行っています。音を音質と音量に分けて考えたり、フィルター処理をする作業が日本で始まったのです。1880年にはメンデンホールによる重力観測に参加し、東京と富士山で観測作業を行いました。当時の世界1の高精度方位計である
電磁方位計を愛橘は制作しました。


突然、福岡に帰っていた父・稲蔵が割腹自殺したとの知らせを受けて田中館愛橘は明治16年12月に帰郷します。そしてその年に東京大学助教授となりました。
詳細は追って調べます。この時期気になる動きです。



田中館愛橘とケルビン卿


その後、田中館愛橘はイギリスでケルビン卿に師事し、


大きな影響を受け、生涯を通じてケルビンを敬愛しました。


その後1890年にヘルムホルツのいたベルリン大学へ転学、


電気学などを修めます。


この時代の電気に対する理解は、後ほど


項を改めてマクスウェルらと関連して語ります。


電磁気学は力学と異なり色々な人々の多様な知見が


次々重なり形成されていった歴史があるのです。


力学のように第一法則、第二法則、


として電磁気学では出来ていません。


愛橘は東京帝大理科大学教授となり後にに理学博士の学位を受けます。更にデンマークのコペンハーゲンで開かれた万国測地学協会 第14回総会で地磁気脈動や磁気嵐の発表をします。



田中館愛橘の業績


時代柄もあって、田中館愛橘は陸軍や海軍に対して貢献します。地磁気測量では指導の中心的な役割を果たしています。旅順での戦闘の際には敵情視察用の繋留気球の制作を依頼されています。それが愛橘と航空研究のきっかけ
となりました。田中館愛橘は中野の陸軍電信隊内での気球班で気球研究を始め、制作および運用法を指導しています。試行錯誤の末に気球を完成させ、旅順戦で戦闘に使用しています。


そして田中館愛橘が60歳になり、教授在職25周年のパーティで愛橘は辞職する旨を伝えました。後の東大での定年退職制度に繫がっていきます。また、田中館愛橘は数多くの人材を育てました。教え子としては長岡半太郎、中村清二、本多光太郎、木村栄、田丸卓郎、寺田寅彦などが居ます。それ故、愛橘は「種まき翁」、「花咲かの翁」と呼ばれたそうです。95歳7か月の天寿を全うしました。





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(2021年9月時点での対応英訳)



Tanakadate Aikitsu,


whose name is Aikitsu, is written as Aikitsu.


Born on September 18, Ansei 3 in the lunar calendar. [October 16, 1856 in the new calendar] The year of death is 1952 in the new calendar. It seems that his ancestor was called Ako Ronin of the Southern Clan, so I would like to start with that image. He spent his youth in a period of change.


By the way, Tanakadate Aikitsu's father is a family of military art masters, and Aikitsu learns from the clan school, Sakujinkan. The alumni at the Sakujinkan was Takashi Hara, and his junior was Inazo Nitobe. I didn't know about it, but it's suary a good school. He went to Tokyo and go to Keio University, but the tuition fee is high, so he went to Tokyo Kaisei High School. Is it the image of the Faculty of Liberal Arts at the University of Tokyo now? There, Aitachibana learns physics from Kenjiro Yamakawa.



Yonger days of Tanakadate


In his younger days,Aikitsu have been interested in politics, but Yamakawa advised him to make up for the delay in Japanese science, and Aitachiya decided to pursue physics. He introduced Edison's invented phonograph to Japan in 1879 with Mendenhall, a foreign teacher at the University of Tokyo, but Tanakadate Aikitsu made a prototype immediately. He is analyzing the sound and vibration. He started working in Japan to divide sound into sound quality and volume, and to filter it. In 1880, he participated in gravity observation at Menden Hall and carried out observation work in Tokyo and Mt. Fuji. Aitachi made an electromagnetic directional meter, which was said to be the world's number one high-precision directional meter at that time.


Tanakadate Aikitsu returns home after being informed that his father, Inazo, who had returned to Fukuoka in December 1884, committed suicide by seppuku. And that year he became an assistant professor at the University of Tokyo. Details will be investigated later. Because it is a movement that is worrisome at this time.



Tanakadate and Baron Kelvin


After that, Tanakadate Aikitsu studied under Sir Kelvin in England and was greatly admired Kelvin throughout his life. After that, he transferred to the University of Berlin, where Helmholtz was, in 1890 and studied electrical engineering. His understanding of electricity in this era will be discussed later in the context of Maxwell et al.


Unlike mechanics, electromagnetism has a history of  accumulating diverse knowledge of various people one after another made electromagnetism. It has not made as the first law or the second law of mechanics.


Aitkitsu became a professor at the University of Tokyo Science University and later received a doctorate in science. He will also present geomagnetic pulsations and geomagnetic storms at the 14th General Assembly of the International Association of Geodesy Sciences in Copenhagen, Denmark.



Job of Tanakadate


Also, due to his time, Tanakadate Aikitsu contributes to the Army and Navy. He plays a central role in his guidance in geomagnetic surveying. During the battle in Lushun, he made a mooring balloon for hostility inspection. That was the catalyst for Aikitsu and his aviation research. Tanakadate Aikitsu started balloon research in the balloon team within Nakano's Army Telegraph Corps, and is instructing production and operation methods. After a lot of trial and error, the balloon was completed and used in battle in Lushunkou.


When Tanakadate Aikitsu turned age 60, he announced that he would resign at the party of his 25th anniversary as a professor. He will be involved in the retirement age system at the University of Tokyo later. In addition, Tanakadate Aikitsu has nurtured a large number of human resources. His students include Hantaro Nagaoka, Seiji Nakamura, Kotaro Honda, Hisashi Kimura, Takuro Tamaru, and Torahiko Terada. Therefore, They called Aitkitsu"Seeding old man" and "Hanasakika old man". He completed his life of 95 years and 7 months.

2021年09月21日

矢野 健太郎
【1912年生まれ-9/21原稿改定】

「矢野 健太郎」の原稿を投稿します。原稿文字数は955文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1912年3月1日生まれ ~ 1993年12月25日没】



矢野健太郎は私が使っていた教科書の著者でした。


同名の方で漫画家の「矢野健太郎」と


サッカー選手の「矢野健太郎」が居ますが、


本稿は数学者の矢野健太郎に関する原稿です。


因みに、名前の「矢野」に関するエピソード


として有名なものがあります。外人との雑談


をする中で「矢野」って英語でいえばどんな表現?


と聞かれた際に矢野さんは当意即妙で


「矢」=「Vector」、「野(野原)」=「Field」


だから「矢野」って「ベクトル場」ですね。


と答えたそうです。当然、外人は大喜び。


専門は幾何学関係か解析学関係だったかと。


彫刻家の子として生まれ東京帝大で学びます。


 

矢野健太郎はは小学生時代にアインシュタインが来日し


刺激を受けました。また、帝大の山内恭彦先生から


物理学の理解には代数幾何学が必要だと教えを受けました。


物理現象のモデル化の有用性を感じたのかと思えます。


その後、矢野はカルタン先生の下で学ぶべく


パリ大学留学します。そこで


纏めた博士論文は射影接続空間に


関する論文でした。この頃から


統一場理論にも関心を持ちます。


 

戦後にはプリンストン高等研究所で微分幾何学の


研究をしていき、同時期に在席していたアインシュタイン


交流を持ちます。奥様と一緒にアインシュタイン


写った写真は大事にしていて、家宝としたそうです。


 

矢野健太郎の著者は多岐に渡り、


受験参考書の定番だった


解法のテクニック」は矢野健太郎の著作です。


また、アイザックアシモフポアンカレ


アインシュタイン書物を日本に


紹介する際に監修をしたりしました。


私や皆さんが知った情報も


矢野健太郎の仕事かも知れませんね。そんな、


矢野健太郎はバイオリンが好きな静かな人でした。


安らかな印象を持ち続けたいと思います。






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ニコラ・テスラ
【1856年生まれ-9/21原稿改定】

「テスラ」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は2209文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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【1856年7月10日生まれ ~ 1943年1月7日没】




 発明家テスラ


テスラはオーストリア帝国に生まれ工夫を重ね、


誘導モーターを発明します。


そのモーターを広める為に


アメリカに渡って、かのエジソン


のもとで働いていましたが独立して


高電圧の変換をして発表をしたり


回転界磁型の電動システムを実用化して


供電社会の礎を築いたりしました。



テスラとエジソン


エジソンとは次第に対立関係が生まれますが、2陣営の対立は送電方式の考え方の違いが大きかったようです。エジソンが直流による電力事業を考えていたのに対してテスラは交流による電力事業に利点があると考えていました。実際に交流が主流になるのです。


幸運な事にテスラは多才、で例えば、


テスラはプレゼンテーションが上手でした。


学会での発表を聞いていた


ジョージ・ウェスティングハウス


が感銘を受け資金供給を受け始めます。


最終的にはナイアガラの滝を使った


発電システムの実現に繋がり、


テスラは成功を収めました。


数々の事業を成功へ導いたテスラですが、


色々な別れがあり晩年は


寂しい老後を送っていた様です。


テスラは生涯独身でした。


そしてテスラの名は今、


磁場の単位として使われている他に、


会社の名前として名を残しています。


数トンの重さがあったと言われる


彼の発明品や設計図はFBIが写しをとった


後に母語へと返されています。






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(2021年9月時点での対応英訳)



Inventor Tesla


Tesla was born in the Austrian Empire and invented an induction motor. After that, he traveled to the United States to spread the motor in addition, worked under Edison, but independently converted high voltage and made presentations and put into practical use a rotating field type electric system. It laid the foundation for a power supply society.



Tesla and Edison


A confrontational relationship with Edison gradually arises, but it seems that the confrontation between the two camps was largely due to the difference in the way of thinking about the power transmission method. While Edison was thinking of a DC power business, at that time, Tesla thought that an AC power business would have an advantage. In fact, exchange becomes mainstream.


Fortunately, for example Tesla was good at presenting.


George Westinghouse, who was listening to the conference presentation, was impressed and began to receive funding.


Ultimately, Tesla was successful in realizing a power generation system using Niagara Falls.


He is Tesla, who has led many businesses to success, but he seems to have had a lonely old age in his later years due to various farewells. Tesla was single all his life.


And in addition to being used as a unit of magnetic field, Tesla's name is now left as the name of the company.


Tesla's inventions and blueprints, which are said to have weighed several tons, have been returned to their native language after being copied by the FBI.



2021年09月20日

坂田 昌一
【1911年生まれ-9/20原稿改定】

「坂田 昌一」の原稿を投稿します。原稿文字数は659文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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【1911年1月18日生まれ ~ 1970年10月16日没】


【↑_Credit:Wikipedia】



坂田昌一は素粒子を研究した物理学者です。


湯川秀樹朝永一郎らと同じ時代を生き、


議論を交わし、物理学会を切り開きました。


京都帝国大学を卒業していて


名古屋帝国大学で教えています。


また坂田昌一の奥様の信子さんは


SF作家・星新一の従兄弟にあたります。


坂田昌一の理論物理学での業績は


電磁場の量子化に関するものが


あげられます。当時は場を量子化する


時に電子の質量が発散する事が


問題でした。その問題に対して坂田昌一は


中間子の概念を使って問題解決に挑みます。


最終的に、この量子電磁力学での問題は


朝永振一郎がくりこみ理論使い説明します。


また坂田昌一は湯川秀樹の中間子に


関する論文で協同執筆者を務めています。


また坂田昌一の業績としては、


陽子・中性子・ラムダ粒子を基本粒子


と考え、その構成に対する「坂田モデル」


を提唱した点が、特筆すべきでしょう。


その坂田モデルは大貫 義郎益川敏英、小林誠


ら次の理論的な土台となり議論が進んだのです。


それぞれ次世代の議論へと繋がった、


確かな成果です。






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山川 健次郎
【1854年9月9日生まれ-9/20原稿改定】

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山川健次郎の人生

山川 健次郎は日本初の物理学者です。その家は会津藩の家老家で戊辰戦争では健次郎は白虎隊に所属していました。自刀していった仲間もいた中で、山川健次郎は落ち延びました。その後に米国へ国費留学を果たし、イェール大学で物理学を修めます。日本に戻り、最終的には東大総長・京大総長を務めます。



山川健次郎と辰野金吾

私の家祖が会津藩・彰義隊でしたので個人的に彼になんとなく親近感を持っていました。山川健次郎は国費留学生として イェール大学で学位を修めます。また、東京駅の設計に携わった建築家・辰野金吾とは奥様を通じて親戚関係となっています。



山川健次郎のお人柄と研究成果

山川健次郎のお人柄を表すエピソードとして日露戦争に関するものがあります。当時、彼は東大で総長を務めていましたが、愛国心に満ちた健次郎は陸軍に詰め寄り、一兵卒として従軍させろ、と担当を困らせたそうです。個人・家族・所属国家と意識が繋がっていたのですね。その時にはもはや、賊軍だった頃の意識は無いのでしょう。


山川健次郎の時期の物理学会は諸外国との交流を感じさせません。特にコペンハーゲン学派が中心となって次々と新しい知見をもたらしていた時代に日本の物理学は黎明期にありました。後の時代に原子核内の相互作用を解き明かしていく若者達を育てていく時代だったのです。山川健次郎と同年代のカメリー・オネスローレンツは師に恵まれ論敵に恵まれて、マッハボルツマンの構築した知見の中で考えを進めていたのです。大きく異なる環境から日本の物理学はスタートしています。


山川健次郎自身の研究成果は伝えられていません。研究内容をまとめた論文も広く知られていません。あるのでしょうか。それよりも寧ろ、後輩達を育てながら次の時代への為の土壌を育んでいたと考えるべきでしょう。また、この時代に千里眼を巡る話題が世間を騒がせていましたがそれに対して山川健次郎は批判的で冷静な立場をとっていたと伝えられています。今も昔も千里眼という不可思議な現象は「議論して解明できる内容ではない」と考える方が良いようです。





〆最後に〆

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(2021年9月時点での対応英訳)



Yamakawa Kenjiro's life


Kenjiro Yamakawa is Japan's first physicist. The house was the old family of the Aizu clan, and Kenjiro belonged to Byakkotai during the Boshin War. Kenjiro Yamakawa fell asleep while he had his own sword. He then went on to study abroad in the United States and studied physics at Yale University. He will return to Japan and eventually serve as President of the University of Tokyo and President of Kyoto University.



Kenjiro Yamakawa and Kingo Tatsuno


My ancestor was the Aizu clan Shogitai, so I personally had a sense of familiarity with him. Kenjiro Yamakawa is a government-sponsored international student and he completes his degree at Yale University. He also has a relative relationship with the architect Tatsuno Kingo, who was involved in the design of Tokyo Station, through his wife.



Yamakawa Kenjiro's personality
and research results


There is an episode about the Russo-Japanese War as an episode that shows the personality of Kenjiro Yamakawa. At that time, he was the president of the University of Tokyo, but the patriotic Kenjiro rushed to the Army and asked him to serve as a soldier. Your consciousness was connected to your individual, your family, and your nation. At that time, I wouldn't be aware of what I was when I was a thief.


The Physical Society of Japan during Kenjiro Yamakawa's time does not make us feel any interaction with other countries. In particular, Japanese physics was in its infancy at a time when the Copenhagen school was playing a central role in bringing in new knowledge one after another. It was an era of nurturing young people who would unravel the interactions within the nucleus in later times. Kamerlingh Ones and Lorenz, who were of the same age as Kenjiro Yamakawa, were blessed with teachers and controversial opponents, and were advancing their thoughts based on the knowledge built by Mach and Boltzmann. Japanese physics starts from a very different environment.


Kenjiro Yamakawa's own research results have not been reported. A paper summarizing his research is also not widely known. Is there? Rather, it should be considered that he was raising his juniors and nurturing the soil for the next era. In addition, it is said that Kenjiro Yamakawa took a critical and calm position against the topic of clairvoyance that was making a noise in this era. Even now and in the past, it seems better to think that the mysterious phenomenon of clairvoyance is "not something that can be discussed and clarified."


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年09月19日

ニコライ・N・ボゴリューボフ
_【1909年生まれ-9/19原稿改定】

「ボゴリューコフ」の原稿を投稿します。原稿文字数は705文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。

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【1909年8月21日 ~ 1992年2月13日】

名前から分かるかとおもいますが、

ボゴリューボフはロシアの物理学者です。

本稿を記載するにあたり改めてボゴリューボフ

の「人となり」を調べてみましたが

伝わっていません。その名で検索をかけると

私のブログが上位に出てきてしまう有様です。

ボゴリューコフは20世紀初頭の生まれなので

革命前後のソビエト連邦で青年期を迎え、

閉鎖的な学会環境で研究を進めていたと

考えるべきなのでしょう。因みに、

プランクメダルを受けていますので

ドイツ関係の画像を使っています。

何よりも、数学的に

ボゴリューボフ変換と呼ばれる考えを打ち出し

行列形式で表される状態遷移を対角化する事で

表現していると言えるでしょう。

別言すれば、観測にかかる定常状態を
数学手法を使って作りだしています。
つまり、数学的にいう固有値問題に帰着させて
定常的な状態を表現しているのです。

数学的な作業をしてみた結果が
どういった現象に対応しているか
物理的に説明する事が出来るのです。 

この定常状態を使い、ボゴリューボフは
現実にヘリウムの超流動状態を表しました。
ボーズ粒子の超流動をボゴリューボフ変換で示し
フェルミ粒子の超電導をボゴリューボフ変換で
示す訳です。役にたちますね。








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2020/10/08_初稿投稿
2021/09/19_改定投稿

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アンリ・ポアンカレ
【1854年生れ-9/19原稿改定】

「ポアンカレ」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は2405文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1854年4月29日生れ ~ 1912年7月17日没】




 ポアンカレ予測


その名を書下すと、ジュール=アンリ・ポアンカレ


(Jules-Henri Poincaré)。多様体における考察である


ポアンカレ予想で、よく知られています。また、


小さなトリビアなのですが、J・ポアンカレは


フランス大統領の従兄弟でもありました。


 

 ポアンカレの業績と評価


ポアンカレは数学、物理学、天文学において


名を残しています。残した業績は大きいのです。しかし、


その数学的立場には賛否両論があります。


一般の見方ならば分からない程度の賛否両論のでしょうね。

ポアンカレは第一回ソルベーユ会議にも出席していて、


マリ・キューリとの写真は色々な所で紹介されています。


どんな話をしていたのか興味深いですね。


時間が出来たら議事録探して分析したいです。


ポアンカレの思考方法で独自性を見出せるでしょう。


他、ポアンカレの業績としては


位相幾何学の分野でのトポロジーの


概念形成などもあります。ヒルベルト形式主義よりも


直感に重きを置くスタイルは、いかにも数学者らしい、


とも思えますが、特定の人からみたら


意味不明に思えたりするのでしょう。また、


とある数学的な発見時に、思考過程を詳細に残し、


思考プロセスでの心理学的側面の研究に


影響を残したとも言われています。


 

また、以下の著作は何時か時間が出来たら


読んでみたいと考えているポアンカレの著作です。


個人的な課題ですね。


・事実の選択・偶然_寺田寅彦訳_岩波書店


・科学と仮説_湯川秀樹・井上健編_中央公論


・科学の価値_田辺元 訳_一穂社







以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/10/31_初版投稿
2021/09/19_改定投稿


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(2021年9月時点での対応英訳)



Poincare Prediction


The name is Jules-Henri Poincaré. Consideration in manifolds


Poincare conjecture, well known. Also, although it is a small trivia, J. Poincaré was also a cousin of the President of France.



Poincare's achievements and evaluation


Poincare has made a name for himself in mathematics, physics and astronomy. The achievements he left behind are great. However, there are pros and cons to his mathematical position. Pros and cons may not be understood by the general public.


Poincaré also attended the first Solbeille conference, and his photographs with Mari Cucumber are featured in various places. It's interesting what he was talking about. When I have time, I would like to find and analyze the minutes. You will find uniqueness in Poincare's way of thinking.


Other achievements of Poincare include the formation of the concept of topology in the field of topology. His style, which emphasizes intuition over Hilbert formalism, seems to be a mathematician, but he may seem irrelevant to a particular person. It is also said that at the time of his mathematical discovery, he left behind his thought process in detail and influenced the study of psychological aspects of the thought process.


In addition, the following works are Poincare's works that I would like to read when I have some time. It's a personal issue.


 Selection of facts ・ By chance _ Translated by Torahiko Terada _ Iwanami Shoten


 Science and Hypothesis_Hideki Yukawa / Ken Inoue _Chuo Koron


Value of science_Translated by Hajime Tanabe_Ichihosha


2021年09月18日

ジョン・バーディーン
【1908年生まれ-9/18原稿改定】

「バーディン」の原稿を投稿します。原稿文字数は1309文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。【1908年5月23日 ~ 1991年1月30日】

本稿は何度も追記したいです。

それは私にとって、関心のある

低温電子物性の話だからです。

今回は極低温での現象理解を進めた

バーディンについてご紹介致します。

バーディンは二回のノーベル賞を受けています。

一回目はベル研での仲間とのトランジスタの発明、

二回目は以下に記載するBCS理論です。

前述したカメリー・オネスの超電導現象の発見以後、

その現象を説明する為に色々な理論が試みられ

たでしょうが、イリノイ大学のバーディンを中心

とした3人がBCS理論を確立します。バーディン、

レオン・クーパー、ロバート・シュリーファー  

3人の名前の頭文字を並べてBCS理論と呼ばれます。

このコンビの始まりはバーディンがクーパーを招聘する事から始まります。そこにバーディン研究室の大学院生、シュリーファー が加わり研究が進みます。

BCS理論の内容はフォノン(音子)を介した電子が対になった結果(クーパ対の考え方)、そのコンビがスピンを打ち消し合って結合するという理論でした。相転移温度をその理論で説明し、今日、超伝導を考えるうえで理論の基礎となっています。
このBCS理論の妙はフェルミオンである電子が凝縮状態をとるところにあります。本来、同じ状態をとる事が出来ない電子が対になってボゾン化することで巨視的な現象にとして観察される超伝導現象が実現するのです。

そもそも、金属中を移動する電子を単純な質点のモデルで考えると正の荷電をもった原子核の間を負の電荷が自由自在に無抵抗で動き回る事は到底出来ません。何らかの相互作用が起きて抵抗に繋がります。ところが、電子の波動関数を考え、波動的側面が顕著に現れる状態を作っていくのが超伝導現象だと言えます。その条件として大事な尺度の一つが温度だったのです。現時点での関心は遷移を起こす温度のメカニズムを解明する事です。現在での転移温度は高温超電導と言ってもマイナス百℃以下ですので転移温度に至るまでは液体ヘリウムや液体窒素を使って冷却しなければいけません。実用化しているリニアモーターカーや量子コンピューター等の応用技術も冷却した上で超電導現象を実現しているので、コストと安定性が課題となっています。転移温度が変わっていって、より常温に近い温度で現象を起こすことが出来ればメリットは非常に大きいです。温度に関わるメカニズムとして中嶋貞雄がバーディンに与えたヒントが繰り込み理論の応用でした。そのヒントは手法だったともいえますが、電気伝導に関わる要素(素粒子)が「どういった条件で」、「どういった役割を果たすか」が重要です。その手掛かりの一つが「ゆらぎ」に関するメカニズムではないかと考えている人が居ます。今後の大きな課題です。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

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2020/09/15_初稿投稿
2021/09/18_改定投稿



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カメリー・オネス
【1853年生まれ-9/18原稿改定】

「ローレンツ」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は2692文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】




 ライデン大学のカメリー・オネス


その名はより正確にはヘイケ・カマリン・オンネス


(Heike Kamerlingh Onnes)今日、 日本では


カーメルリング・オンネス、カマリン・オンネスや、


カマリン・オネスなど数パターンでカタカナ表記さ


れていますが、本稿ではカメリー・オネスとします。


 

ライデン大学実験物理学教授」この称号が


カメリー・オネスの人生をよく表しています。


彼は生涯オランダのライデン大学で教鞭をとり、


実験によって新しい世界を切り開きました。


また、ライデン大学には同じ年に生まれた理論家の


ローレンツ_が居ます。理論・実験で


ライデン大学は時代を切り開いたのです。


そして、ボルツマンの弟子のエーレンフェスト


アインシュタインがライデン大学に集います。


カメリー・オネスはドイツのハイデルベルク大学
に留学してキルヒホッフ等の師事を受けたと
言われていますが、特に帰国後にライデン大学
「ファン・デル・ワールスと出会い、彼との
議論を通じ、低温における物理現象に
興味を抱くようになった」【Wikipedia】
と言われていて、ライデン大学での繋がりが
低温物理学に興味を抱く大きなきっかけ
だったようです。



低温電子物性の幕開け


特に温度を下げていく過程で電子の振る舞いが
どうなるか。それに対しての回答として
カメリー・オネスは超電導現象を示しました。
実験的に再現性のある現象として示す事で
さらなる理論の土台を築いたのです。


格子間を運動する電子が電気的性質、磁気的特性を
温度変化に応じてどう変えていくか考えが異なりました。
異なる考えがあった時にカメリー・オネスは
事実を実験によって明確に示したのです。
絶対零度では抵抗はゼロになりました。
一つの予想を実験結果で証明したのです。







以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時問題点に対して適時、
返信・改定をします。


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2020/09/05_初回投稿
2021/09/18_改定投稿


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(2021年9月時点での対応英訳)


To be more precise, the name is Heike Kamerlingh Onnes. Today, in Japan, it is written in katakana in several patterns such as Carmelling Onnes, Kamerlingh Onnes, and Kamerlingh Onnes, but in this article, Kamerlingh Onnes is written in katakana. will do.


"Professor of Experimental Physics, University of Leiden" This title is a good representation of Kamerlingh Ones' life. He taught at Leiden University in the Netherlands throughout his life and opened up a new world through his experiments.


Leiden University also has a theorist, Lorenz, who was born in the same year. Leiden University opened the era with theory and experimentation.
Then, Boltzmann's disciples Ehrenfest and Einstein gather at Leiden University.


Kamerlingh Ones is said to have studied at Heidelberg University in Germany and studied under Kirchhof and others. Especially after returning to Japan, he said, "I met Van der Waals and through discussions with him, physical phenomena at low temperatures. "I became interested in Cryogenics" [Wikipedia], and it seems that the connection at Leiden University was a big reason for my interest in cryogenic physics.



behavior of electrons


What happens to the behavior of electrons, especially in the process of lowering the temperature? In response, Kamerlingh Ones showed the superconducting phenomenon.
He laid the foundation for further theory by showing it as an experimentally reproducible phenomenon.


They had a different idea of ​​how electrons moving between lattices change their electrical and magnetic properties in response to changes in temperature.
Kamerlingh Ones made the facts clear through his experiments when he had different ideas.
At absolute zero, the resistance is zero.
He proved one conjecture with experimental results.


2021年09月17日

H・A・ローレンツ
【1853年生まれ-9/17原稿改定】

「ローレンツ」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は4456文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1853年7月18日生まれ ~ 1928年2月4日没】

↑ Credit ; Wikipedea ↑

ライデン大学のローレンツ

その名は正確にはHendrik Antoon Lorentz。

です。オランダに物理学で有名なライデン大学

がありますが、ローレンツは其処の出身者です。

後にエーレンフェストがコロキウムを開いていきますが、

そんな大学を理論の面で育んでいった一人が

今回ご紹介するローレンツです。




この大学では他に、

エンリコ・フェルミ、
西周(日本の哲学者)、
ヘイケ・カメリー・オネス_
アルベルト・アインシュタイン、
クリスティアーン・ホイヘンス 、
フィリップ・シーボルト(博物学者)、
ポール・エーレンフェスト

が学んだり、教えたり、議論をしたりしていました。

他、オランダで個人的に関心があるのは

デルフト工科大学です。そこは現在、

低温物理学で有名な拠点ですので別途、

機会があれば取りあげたいと思います。

ローレンツの主な業績

さて話戻ってローレンツですが、

電気・磁気・光の関係を解きほぐしました。

手法としては座標系の変換を効果的に使います。

特にアインシュタインが特殊相対性理論

を論じる際に起点の一つとして使った、

「光速度不変の定理」はローレンツが導いた

変換に関する考察があって成立しています。

無論、アインシュタインは、

その人柄と業績を高く評価していて、

ローレンツを「人生で出会った最重要な人物」

であったと語っています。

ローレンツの人脈

ローレンツとアインシュタインはエーレンフェストの家でよく語り合っていたと言われています。時間が出来たら寄合って、その時々の関心のある議題について語り合っていたのでしょう。有益な夜の時間が過ごせたはずです。このブログで今ご紹介している写真はそんな中での風景です。

ローレンツの業績は、電磁気学、電子論、

光学、相対性理論と多岐にわたります。

弟子のゼーマンが電子に起因するスペクトル線

が磁場中で分裂する事実を示した時には

理論的論拠を与えノーベル賞を受けています。

荷電粒子を考えた時には

@静電場からの力が働き
A静磁場からの力が働き
B電場中で速度vで働くとき力が働き、

その総和としてローレンツ力が表現されます。

また、ローレンツ変換は相対論を語る時の

基礎になっています。更に、双極子の性質を表

すローレンツ・ローレンツの式などでローレンツは

名前を残しています。その中で

特に印象深いのはやはり変換に関する物でしょう。

ローレンツの独自性

ローレンツは座標系の変換の中で局所時間
と移動体の長さの収縮を議論していきます。そこから、
「ローレンツ収縮」といった言葉も生まれてます。
理論への要請として、
マイケルソン・モーレの実験を理論から
説明するには光速度普遍の枠組みで
事実を組み立てなければなりません。
これが可能な理論的土台として
ローレンツ変換は秀逸だったのです。

最後に、そのご臨終の話を語りたいと思います。

ローレンツの葬儀当日は追悼の意を込め、

オランダ中の電話が3分間電話が止められました。

英国王立協会会長だったアーネスト・ラザフォードが

お別れの言葉を述べる中で多くの人が

ローレンツを惜しみました。


 






以上、間違い・ご意見は
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2020/10/24_初版投稿
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(2021年9月時点での対応英訳)

Lorenz of Leiden University

Its name is Hendrik Antoon Lorentz to be exact. Leiden University is famous for physics in the Netherlands, and Lorenz is from there. Ehrenfest will open the colloquium later, but one of the people who nurtured such a university in terms of theory is Lorenz. Besides at this university

Enrico Fermi,
Nishi Amane (Japanese philosopher),
Heike Kamerlingh Ones_
Albert Einstein,
Christiaan Huygens,
Philipp Siebold (naturalist),
Paul Ehrenfest

Was learning, teaching, and discussing. Another personal interest in the Netherlands is the Delft University of Technology. It is currently a well-known base for cryogenic physics, so I would like to take up it if there is another opportunity.

Lorenz's main achievements

Now back to Lorenz, I unraveled the relationship between electricity, magnetism, and light. His technique is to effectively use coordinate system transformations.

In particular, the "light velocity invariant theorem" that Einstein used as one of the starting points when discussing special relativity was established with consideration of the transformation derived by Lorenz. Of course, Einstein praised his personality and achievements and described Lorenz as "the most important person he met in his life."

Lorenz connections

Lorenz and Einstein are said to have often talked at Ehrenfest's house. When I had time, I would have come together and talked about the agenda of interest at that time. You should have had a good night time. The photos I'm introducing in this blog are the scenery in such a situation.

Lorenz's achievements range from electromagnetism, electron theory, optics, and theory of relativity. When his disciple Zeeman showed the fact that electron-induced spectral lines split in a magnetic field, he gave a theoretical rationale and received the Nobel Prize. When he thought of charged particles

@ Force from electrostatic field works
A Force from static magnetic field works
B When working at speed v in an electric field, force works,

Lorentz force is expressed as the sum. Lorentz transformations are also the basis for talking about relativity. In addition, Lorentz has left its name in the Lorentz-Lorenz formula, which expresses the properties of dipoles. The most impressive of these is probably the one related to conversion.

Lorenz's uniqueness

Lorenz discusses the contraction of local time and mobile length in the transformation of the coordinate system. From there, the word "Lorentz contraction" is also born. As a request to his theory, to explain Michaelson Moret's experiment from theory, we must construct the facts in the framework of universal light velocity. The Lorentz transformations were excellent as the theoretical basis for this.

Finally, I would like to tell you the story of the end.

On the day of Lorenz's funeral, telephone calls throughout the Netherlands were suspended for three minutes in memory. Many missed Lorenz as Ernest Rutherford, president of the Royal Society, said goodbye.

2021年09月16日

エドワード・テラー【1908年生まれ9/16原稿改定】

「テラー」の原稿を投稿します。原稿文字数は894文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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【1908年1月15日生まれ ~ 2003年9月9日没】



エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、


晩年のオッペンハイマーと対立します。


エドワード・テラーはハンガリーのブタペスト


で弁護士の父と4か国語を使う母から生まれ


ました。ユダヤ系であったエドワード・テラー


の父は職を追われ、ハンガリー・ドイツ・アメリカ


と移住を重ねました。ただ、学問の世界では良い出会い


に恵まれています。ハイゼンベルクの下で博士論文


を書き、ボーアの居たコペンハーゲンで有益な


時間を過ごします。そうした中で原子核物理学


分子物物理で多くの業績を残しました。


ヤーン・テラー効果やBETの吸着等温式


はエドワード・テラーの業績です。


アインシュタインと共にエドワード・テラーは


原爆の研究をアメリカ政府に働きかけ、実際に


その計画は進んでいきます。政治的な思想では


ドイツ時代に資本主義の崩壊を目の当たりにした


テラーは共産主義に対して当初は関心を抱いて


いたようです。ところが、友人のランダウ


ソ連政府に逮捕された時期に反共思想を強め


ます。反共思想と新兵器の開発にかける熱意


が結びついていくのです。そしてまた、


その時期以降にエドワード・テラーとオッペンハイマーとの確執の始まります。特に兵器としての原爆の利用に関しては
エドワード・テラーとオッペンハイマーは


対極の立場をとります。
エドワード・テラーは原爆開発の推進派で、
オッペンハイマーは否定派でした。


実際に、
エドワード・テラーは原爆・水爆と


兵器の開発の中心に居ました。水爆を


「My・Baby」と呼んでいた


と言われています。その立場は変わらず、


生涯その事を悔いることはなかったと言われています。
エドワード・テラーはそんな研究人生を歩みました。






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A・A・マイケルソン
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【1852年12月19日 ~ 1931年5月9日】




稀代の実験家マイケルソン


その名を全て書き下すとAlbert Abraham Michelson。


ユダヤ系の血を引くアメリカ人です。


マイケルソンは物理学の中でも特に光学に対して


関心を示し、干渉計を発明しました。。その後、


有名な干渉実験を実現します。マイケルソンはその後も


様々な研究者と実験をしていきますが、光の干渉を原理


として使っていて光路が長い程、精度が高くなります。


そこで、マイケルソン達の装置は大がかりな物に


なっていきますが、結果として様々な外乱に晒され、


誤差との戦いが続きました。装置を据え付ける地盤、


微振動、感光装置、その他に様々な


配慮を払わねはならなかったのです。



実験の時代背景 


こうした実験が行われた背景としてはそもそも、


マイケルソンの時代にエーテルという光の伝播媒質


が論じられていました。光が波であれば当然、


考えていく物です。ローレンツの理論での変換は


干渉のずれを収縮が打ち消す、


といった結果をもたらします。エーテルを想定した


マイケルソンの実験結果は様々な議論に繋がり


媒質としてのエーテルは現在、否定されています。


この有名な実験が広く認められ、マイケルソンは


アメリカ人として初のノーベル物理学賞を受けます。


近年、マイケルソンの実験手法は
別の成果をもたらしました。
2015年9月、2基のマイケルソン
干渉計を使い、直接的に重力波を
観測にかけたのです。
稀代の実験家の拘りが数十年後に
結実したと言えるでしょう。






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(2020年9月時点での対応英訳)



Exprimentist Michelson


Albert Abraham Michelson if you write down all the names. He is an American of Jewish descent.


Michelson was particularly interested in optics in physics and invented the interferometer. .. After that, he realizes the famous interference experiment. Michaelson will continue to experiment with various researchers, but he uses the principle of light interference, and the longer the optical path, the higher the accuracy. There, Michaelson's equipment became a large-scale one, but as a result, it was exposed to various disturbances, and the fight against error continued. We had to pay attention to the ground on which the device was installed, micro-vibration, photosensitive devices, and so on.



Backglound of the Experiment


n the first place, the light propagation medium called ether was discussed in Michaelson's time as the background to these experiments. Of course, if the light is a wave, it is something to think about. The transformation in Lorenz's theory results in the contraction canceling out the deviation of the interference. Michelson's experimental results assuming ether have led to various discussions, and ether as a medium is currently denied. This famous experiment was widely recognized and Michaelson received the first American Nobel Prize in Physics.


In recent years, Michelson's experimental methods have yielded other results. In September 2015, Michelson used two Michelson interferometers to directly observe gravitational waves. It can be said that the insistence of a rare experimenter came to fruition decades later.

2021年09月15日

湯川秀樹
【1907年生まれ-9/15原稿改定】

「湯川秀樹」の原稿を投稿します。原稿文字数は3615文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1907年1月23日生まれ ~ 1981年9月8日没】


【↑_Credit:Wikipedia】



冒頭に紹介している本「旅人」は湯川秀樹の


自伝です。その湯川秀樹は朝永振一郎と同じ時代


を生きています。


互いに刺激しあう関係を築き、共に


時代のテーマに取り組んでいます。


伝記を読んでいくと湯川秀樹が情熱を持って


物理学に取り組んでいた様子が分かります。


色々な所で引用されているのですが


「アイデアの秘訣は、執念である。」


と湯川秀樹は明言しています。一見、


不可解な現象を紐解き、単純明快な原理を抽出


する仕事をしてきたのです。そもそも、


湯川秀樹の関心は物質の相互作用であって、


その世界は全く目に見えません。彼は


情熱で綿密に話を組み立てます。


重力・電磁力以外の微細粒子間の


相互作用を引き起こす「強い力」


に着目して議論を進めました。


湯川秀樹の時代には場の考えが発展


していく過程で原子の中での相互作用を


湯川秀樹は中間子という概念で紐解いたのです。


湯川秀樹のアイディアは「場を担う粒子」


という考え方です。そもそも、重力(万有引力)


を考えると二つの質点が存在した時に


その質点同士が互いを引き合い現象が説明


されます。この明快なモデルに反して、


「電子の数百倍の質量をもつ中間子の仮定」


は当時の観測とは別に設定されていて、


ボーアハイゼンベルクは内容の吟味


を求めていたと言われます。


最終的には1947年の英国物理学者セシル・パウエルによる「中間子観測」が契機となり、湯川秀樹はノーベル賞を受けます。「物理での概念確立の危うさ」を感じてしまう歴史です。理論的な要請と言えなくはないですが、辻褄合わせの為の概念は色々な角度から真剣に議論されなければいけません。別の言い方をすれば、その概念を磨き上げて納得のいく説明をすることが出来た時に「大きな仕事をした」と言えるのではないでしょうか。


湯川秀樹はボゾンの一つとして中間子を仮定して強い力を説明してみせたのです。


湯川秀樹の業績は京都大学の原子力研究を初めとして日本の物理学者たちに引き継がれています。
個人的なご縁としては私が幼少時代を過ごした東京板橋にあった理化学研究所の分室で教鞭をとっていたようです。少し時代がずれますが、私の故郷で彼が活動していたと思うと不思議な気持ちです。ノーベル賞受賞者の朝永振一郎もそこに居ました。最近までは、理化学研究所は本駒込にも拠点があり、今でもホンダ朝霞の近くに拠点があります。何故か、と調べを続けていったら埼玉県にある平林寺に創始者の一人である大河内氏の墓所があります。そんな、理化学研の霊的な側面を知って、私は何となく納得してしまいました。


また、湯川秀樹はラッセル=アインシュタイン宣言にも参加しています。以前のブログでもこの関連の話は盛り込んでいますが私は研究者が異議を唱えても社会が破滅的な兵器を作る現実を大変、問題だと思っています。アインシュタインであれ湯川秀樹であれアシモフであれ社会が叡智を集結して対応することを私は夢見ています。






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2020/09/07_初稿投稿
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ジョン・A・フレミング
【1849年生まれ-9/15原稿改定】

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【1849年11月29日 ~ 1945年4月18日】




マクスウェル仕込みのフレミング


まず、イギリスに生まれたフレミングはケンブリッジで


マクスウェルの師事を受けました。フレミング曰く、


マクスウェルの講義は


「逆説的で暗示的な言い方」(Wikipediaより引用)な表現


を含んでいて非常に分かり辛くて不明瞭であったそうです。


当然、そんな講義は学生に不人気で時には


講義を聴いていたのはフレミング一人の時もあったそうです。


物理屋さんにありがちなとぼけた類のエピソードですね。


酷いと言えば酷い話です。


 

フレミングの業績


フレミングは左手の法則で有名です。簡単に言えば


「左手で直交3軸を作った時に、長い指から・
電(でん)・磁(じ)・力(りょく)です。


より、細かく説明すると磁場中に電気が流れていると


その電気導線に対して力が生じます。


電(でん)・磁(じ)・力(りょく)をそれぞれ
q(でん)・B(じ)・F(りょく)で考えて


荷電粒子の速度をvとすると、


外積:×を使ってF=q(v×B) です。


高校レベルの天下り的な覚え方ですが、


現象として実験事実に即していると考えると


非常に洗練された結果であるとも言えますね。


また、真空管の発明者としても有名です。今日の電子工学の始まりだとも言われています。工学の世界で色々な発明を重ねました。そんなフレミングは子供にこそ恵まれませんでしたが2度の結婚をして、アメリカテレビジョン学会の初代会長を務めたりしながら余生を過ごしました。


 





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(2021年9月時点での対応英訳)



Fleming prepared by Maxwell


First, born in England, Fleming studied at Maxwell in Cambridge. According to Fleming, Maxwell's lecture was very confusing and unclear, including "paradoxical and suggestive language" (quoted from Wikipedia). Naturally, such lectures were unpopular with students, and it seems that Fleming was the only one who sometimes listened to the lectures. It's a kind of blurry episode that is common in physicists. It is a surely terrible story.



Fleming's achievements


Fleming is famous for his left-hand rule. Simply put, "When you make three orthogonal axes with your left hand, it is from a long finger, electricity, magnetism, and force. To explain it in more detail, electricity flows in the magnetic field. If so, a force will be generated on the electric conductor.


Considering electricity, magnetism, and force in q (electrivity), B (magnetism), and F (force), respectively, and letting the velocity of the charged particle be v, the outer product: F = q (v × B) using ×. It's an AMAKUDARI way of remembering at the high school level, but it can be said that it is a very sophisticated result considering that it is in line with the experimental facts as a phenomenon.


Fleming is also famous as the inventor of vacuum tubes. He is also said to be the beginning of today's electronics. He made various inventions in the engineering world. Fleming wasn't blessed with children, but he got married twice and spent the rest of his life as the first president of the American Television Society.

2021年09月14日

H・アルプレヒト・ベーテ
【1906年生まれ-9/14原稿改定】

「ハンス・ベーテ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1113文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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【1906年7月2日生まれ~2005年3月6日没】



ベーテはユダヤ系なのでナチス政権下で


苦労します。国を追われイギリスに逃れ、


マンチェスター大学で職を得ます。


第二次大戦の間はオッペンハイマー


招きでUCB(カリフォルニア大バークレー校)


の特別会議に参加します。そこでは核兵器の


開発が始められ、ロスアラモス研究所が


出来るとベーテは理論部門の監督を務めます。


戦後はトルーマン大統領が水素爆弾の開発


を断行した流れでベーテは引き続き開発


において重要な役割を果たします。


その他、ベーテの業績としては大きく二点があげられると思います。一つは恒星の内部で核融合反応が起きうると指摘をして、重力と釣り合う内側からの力を考えたことです。星の進化を考える時に超高圧下で起こりうる現象を予見したのです。現在考えられている進化過程でベーテの考え方は不可欠です。大まかに星の進化を考えていくと「@万有引力でガスや、チリが集まっていき、段々に中心方向に向かって『まとまり』が出来てきてAまとまりの質量がどんどん増えていくのですが、この時にB星の内部で内部で核融合反応が起きて外側方向に広がる力が働き、C万有引力で集まる力と内部から核反応で外側へ広がっていく力がつりあう」と考えられています。そして、重量が増えていき星の進化が進むと恒星として光を発するようになり、白色矮星、ブラックホールの段階を踏むだろうと考えます。地球や木星などの光っていない星は現在内部からの核融合の膨張と、内部への引力でが釣り合っている状態です。また星の話とは別に、加速器で実現される様々な現象を説明していく内に超高圧下・超高温下で起こり得る原子核の崩壊状態をベーテは理論立てて説明して新たな知見としました。


また、ベーテのもう一つの業績は
量子電磁気学に繋がっていくラムシフト
を非相対論的に厳密に突き詰めていって
極めて正確な計算をしていったのです。
この面でファインマンは弟子にあたります。


ベーテは大変な時代を生きた偉大な理論家でした。


「原子核反応理論への貢献、特に星の内部


におけるエネルギー生成に関する発見」で


ノーベル賞を受けています。






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トーマス・A・エジソン
_1847年生まれ-9/14原稿改定

「エジソン」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は3602文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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【1847年2月11日 ~ 1931年10月18日】




アメリカ育ちのエジソン


エジソンはアメリカの発明家です。彼の逸話を聞くと、


閃きの喜びとか達成時の感動が沸き起こります。


エジソンの発明品は蓄音器、電灯、活動写真と


多岐にわたります。研究所はニュージャージの


メンロパークにありました。個人的な話になり恐縮ですが、


初めて私が買ったCDがボンジョビの「New Jersey」でした。


何となく私が想像してた同州の楽しそうで何かを生み出す


活気のある雰囲気はエジソンが研究所を構え、


活動する中で生まれた部分もあるのですね。きっと。


そんなエジソンは幼少時代から苦労を重ねています。


彼が残した有名の言葉を改めて書き下します。


「天才は99%の汗と1%の才能(で出来ている)」


睡眠時間を削り、時に発想に浸り現実を忘れ


次から次へと発明を繰り返しました。図書館に籠り


独学で色々なことを学び正規の教育を受けずに


試行錯誤を繰り返します。例えば、算数で「1+1=2」


と教わっても「二つの粘土を混ぜた時に一つになるのに


何故この場合は1ではなく2なのか??」という視点


を持ち反論しています。こんな話が語りつかれている


自体がいかにもアメリカ的なのかな?と思いますが、


思考の柔軟性を保ち続ける為には


必要な吟味であるとも言えます。


 

発明家エジソン


その後、投票記録の機械、株式相場表示機、電話、蓄音機、白熱電球と発明を続けます。蓄音機を世間に広めた時は「機械の中に人が居るわけがない!」と驚きの反論を受けたほどです。晩年は会社経営から身を引き、霊界との交信が出来るかといった関心を持ち試行錯誤していました。多くを残して84歳で亡くなっています。まさに語り継がれ続けている偉人です。






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(2021年9月時点での対応英訳)



Edison raised in the United States


Edison is an American inventor. Listening to his anecdotes gives rise to the joy of inspiration and the excitement of achieving it. Edison's inventions range from gramophones, lamps, and activity photographs. His laboratory was in Menlo Park, New Jersey. Personally, I'm sorry to say that the first CD I bought was Bon Jovi's "New Jersey." Somehow, the lively atmosphere that I imagined in the state that seems to be fun and creates something was born while Edison set up a research institute and was active. surely. Edison has been struggling since he was a child. He rewrites his famous words he left behind.


"Genius is 99% sweat and 1% talent (made of)"


He cut down on his sleep, sometimes immersing himself in ideas, forgetting reality, and repeating his inventions one after another. He stays in the library, learns various things by himself, and repeats trial and error without receiving formal education. For example, even if I was taught "1 + 1 = 2" in mathematics, I argue with the perspective of "Why is it 2 instead of 1 in this case when two clays are mixed and become one?" Is it really American that such a story is told? However, it can be said that it is a necessary examination to maintain the flexibility of thinking.


Inventor Edison
He then continues his invention with voting machines, stock quotes, telephones, gramophones, incandescent light bulbs. When he spread the gramophone to the world, he was surprised to hear that "there is no one in the machine!" In his later years, he withdrew from company management and was interested in communicating with the spirit world through trial and error. He died at the age of 84, leaving much behind. He is a great man who has been handed down.

2021年09月13日

朝永 振一郎
【1906年生まれ-9/13原稿改定】

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【1906年3月31日生まれ ~ 1979年7月8日没】


【↑_Credit:Wikipedia】



 


朝永振一郎は私が使っていた教科書


【Diracの「量子力学」】の訳者でした。


そのご先祖様は大村藩


(現在の長崎県内にありました)の流れをくみます。


そして、そんな朝永振一郎の父は


京都大学哲学科教授でした。


そんな生い立ちをもった、


朝永振一郎は現在の筑波大学の前身


となった大学、東京教育大学で教鞭をとり、


最終的には学長を務めます。


東京に生まれ京都で育ち、


世界で議論しました。


 

朝永振一郎の研究業績で私が最も偉大


であると思えるのは繰り込み理論です。


ファインマン・ダイアグラムと呼ばれる


不可思議な模式図でも表現される


素粒子の反応がありますが、


そこでの過程における


数学的矛盾を見事に説明しています。


ファインマンの経路積分にも数学的な


美点を感じますが朝永振一郎の理論の方が


直感に訴える説得力を持っています。


好みといえば好みの問題ですが、


発散・∞という大問題に対して


ラムシフトを正しく吟味して相対論的に


計算が出来た時に一瞬にして話が繋がり


感覚的に「正しかったんだ」と思えるのです。


朝永振一郎の理解で量子電磁気学の整理が進み、


素粒子物理学が大きく進歩したのです。


朝永振一郎はまた晩年、大学入学以前の


若者に対し科学的な啓蒙を進めていました


最後に、朝永振一郎は湯川秀樹


京都大学で同期でした。それぞれの形で


当時の物理学で完成形を作り上げたのです。






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W・C・レントゲン
【1845年生まれ-9/13原稿改定】

「レントゲン」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は4273文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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【1845年3月27日生まれ~1923年2月10日没】




レントゲンの発明者レントゲン


レントゲンと言えば、その人の名より


その名の装置が思い浮かぶでしょう。


以下ではレントゲンは人の名前として


使っていきます。


 

レントゲンの時代にはハインリヒ・R・ヘルツ


によって真空放電や陰極線の議論が


なされていました。今風に考えたら


対象は単なる粒子とか波ではなく、


2面性をもった波動関数で記述される


電子であると言えますが。


レントゲンの時代には不明確でした。


数キロボルトの電圧を加えた真空管において


蛍光現象が見受けられるのが陰極線です。


一般の電流の知識からは+方向からー方向


(プラス方向からマイナス方向)へ電流が流れますが


陰極線は―方向から+方向に現象が


確認出来るのです。+−間に遮蔽物


を置くと遮蔽物から+方向で現象が見られません。


つまり電子はマイナス方向から出ていたのです。



レントゲンの業績


そして、レントゲンは遮蔽物の画像を研究します。


まずレントゲンは実験結果を重視してます。


X線が人体を透過した後の写真を


大衆に見せました。ネーチャやサイエンスといった


有名雑誌に投稿し、議論して


事実を明らかにしていきました。


その方法は先ず磁場に作用する


陰極線の実験を積み重ねます。


陰極、陽極、検出対象として


色々な物資を試し、


鉛は通さずガラスは透過する


といった事実を明確にします。


説明が細かくなり恐縮ですが、


陰極線の陰極・陽極間に検出対象があり、


検出対象から放射されるのがX線です。


検出対象に蛍光物資を使った所が


レントゲンのオリジナリティですね。


また波長に着目すると波長が1pm - 10nm程度の


電磁波であるという事実も重要です。


そうした仕組みで磁場から力を受けない


X線を発見して、突き詰めていったのです。


 

レントゲンの人となり


その後の成果で原子が崩壊・融合する過程で


放射線が出てくる知見が集約されてくる訳ですが、


後の素粒子での議論につながる種が、


レントゲンによって沢山まかれていた訳です。


また、レントゲンを偲ばせるエピソード
をいくつかの紹介します。
まず、レントゲンは自らの独自技術に
対して特許を申請しなかったと言われ
ています。科学の成果は万人が享受すべき
だというレントゲン独特の考えです。


また、レントゲンは第一回目の
ノーベル賞を受けていますが、
賞金に手を付けず、
全て大学に寄付しています。


そして愛妻家だったと思われます。
レントゲン自身はガンで亡くなりますが
年上だった奥様に先立たれてから
数年後の事でした。今でもよく
紹介されている写真は奥様の手を
X線が透過した姿でした。
皮膚を透過したX線が骨の形を
リアルに映し出し、その薬指には
はっきりと結婚指輪が見えます。








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X-ray inventor,Roentgen


Speaking of Roentgen in Japan, the device of that name comes to mind rather than the person's name. In the following, Roentgen will be used as a person's name.


In the Roentgen era, vacuum discharge and cathode rays were discussed by Heinrich R. Hertz and others. If you think about it in a modern way, it can be said that the object is not just a particle or a wave, but an electron described by a wave function with two sides. It was unclear in the X-ray era. It is the cathode ray that shows the fluorescence phenomenon in a vacuum tube to which a voltage of several kilovolts is applied. From general current knowledge, from + direction to-direction


The current flows in the (plus direction to minus direction), but the phenomenon can be confirmed in the cathode ray from the-direction to the + direction. If a shield is placed between + and-, the phenomenon will not be seen in the + direction from the shield. In other words, the electrons were coming out from the minus direction.



Roentgen’s achievements


And X-rays study images of obstructions. First of all, Roentgen attaches great importance to his experimental results. He showed the public a picture of what X-rays had passed through the human body. He posted to well-known magazines such as Nature and Science, discussed and revealed the facts. The method first accumulates experiments on cathode rays that act on a magnetic field.


He experimented with various materials such as cathodes, anodes, and objects to detect, clarifying the fact that lead does not pass and glass does.


Excuse me for the detailed explanation, but there is a detection target between the cathode and anode of the cathode ray, and X-rays are emitted from the detection target. The place where fluorescent materials are used as the detection target is the originality of X-rays.


Focusing on the wavelength, the fact that the wavelength is an electromagnetic wave of about 1pm-10nm is also important. With such a mechanism, I discovered X-rays that do not receive force from the magnetic field and pursued them.



Roentgen's portrait


Subsequent results will bring together the knowledge that radiation is emitted in the process of atom decay and fusion, but many species that will lead to discussions on elementary particles later were sown by Roentgen.


We will also introduce some episodes that are reminiscent of X-rays. First, Roentgen is said to have not applied for a patent on his proprietary technology. It is an X-ray peculiar idea that the results of science should be enjoyed by everyone.


Roentgen has also received his first Nobel Prize, but he hasn't touched the prize money and donated everything to the university.


And he seems to have been a beloved wife. Roentgen himself died of cancer, a few years after his older wife. The photo that is still often introduced is the X-ray transmission of his wife's hand. X-rays that penetrate his skin realistically reflect the shape of the bone, and his ring finger clearly shows the wedding ring.

2021年09月12日

J・R・オッペンハイマー
【1904年生まれ-9/12原稿改定】

「ローレンツ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1704文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面


ありますが、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)


では学生からオッピーという愛称で呼ばれていた


側面もありました。オッペンハイマーの人生は


喜怒哀楽に満ちています。


オッペンハイマーの人生を考えるにあたり、


第一の着眼点としては彼もユダヤ系の血を


引いているという点です。ヒットラーが民族としての


ユダヤ人達に焦点を当て迫害し、敵視していた現実は


動かしがたい事実です。強制収容所に連行


されるような世相の中でユダヤ人達は非常な


危機感を感じていたはずです。その危機感の中で


20世紀初頭の歴史は、天才達が育ち・団結して


新しい物を生み出していたのではないでしょうか。


そんな時代に兵器製造の行為は肯定される話


ではないのですが、当時の論客もユダヤ人迫害


から話を初めて、マンハッタン計画に進む流れ


を紹介していき、大衆に納得し易い話を組み立て


られたでしょう。


それ以降100年近くがたとうとしていますが、この考えは幾多の人が繰り広げてきたのではないかと思えますが、再度、私も強調します。具体的な物理の世界での登場人物はアインシュタイン 、シュテルンマックス・ボルンD・J・ボーム 、E・パウリ 、ランダウファインマン


そして今回ご紹介するオッペンハイマーです。(今は此処迄しか思い浮かびませんが後日、思い付くたびに補記します。)
そうしたメンバーがもたらした今世紀初頭の物理学の進展は急速でした。その進展は物理学に留まらず、工学、産業、果ては政治体制に繋がっていきました。1917年ロシア革命に始まった社会体制の変化とも同期していた、と言えるのでは無いでしょうか。今世紀初頭の閉塞感は、それを打ち破る様々な努力によって大きく様変わりしていたと思えます。そして、昨今コロナで不満が高まり、米中関係が緊張していく世相は、やもすれば危ない世界に近づいてるようにも思えます。各人で理性的な判断・発言をしましょう。今、方向付けが重要です。


さて実際、オッパンハイマーは最終的に


6つの言葉を操ります。少年時代には


鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示し


ハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学


します。そこから理論物理学のゲッティンゲン大学


に進みボルンと出会います。オッペンハイマーは


ボルンの指導の下で研究を進め共同で


ボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。


その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学や


UCBで教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴い、


オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の


初代所長に任命されます。そこで原爆を開発したのです。


この仕事は、世界のパワー・バランスを変え、


後の世界を大きく変えました。


晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、後悔の言葉さえ残しています。戦争時代の原爆開発・使用は国としてのアメリカの中で必要と判断されていましたが、それ以後の時代では原爆を使わなくても各国が持つだけで攻撃対象とされたりしますし、外交で原爆が脅迫の道具として使われていたりします。


そういったことにつながった発明を


オッペンハイマーは「罪」として捉えていて、


水爆の開発には反対していたりもしました。


オッペンハイマーには別の罪(?)もあります。


オッペンハイマーの時代はは冷戦時代なので


学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、


最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。


常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)


の監視下にあったのです。1965年、


がんの為にニュージャージーの自宅で


静かに生涯を終えました。合掌。






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L・E・ボルツマン
【1844年生まれ-9/12原稿改定】

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ボルツマンの生い立ち


その名はLudwig Eduard Boltzmann。


ボルツマンはオーストリア・ウィーン出身の


物理学者にして哲学者です。


カノニカルな(統計的な)議論の他に


電磁気学や熱力学、それらを扱う


数学の研究で業績を残しました。


ウィーン生まれ。


子供時代にはピアニストである


A・ブルックナーからピアノを学んでいます。


 

指導者としてのボルツマンの業績としては


エーレンフェストが博士論文を書く時の


指導が挙げられます。


エーレンフェストの定理にはボルツマンの


信念が込められていると言えるでしょう。また、


科学史から見てもボルツマンの原子認識の流れ


は大きな一歩だったと言えます。ここでの一歩が無ければ


素粒子やブラウン運動のイメージは


湧かなかったでしょう。


 

ボルツマンの研究業績


そんなボルツマンの墓には


S=k LogWと書かれています。


そこでいうSとはエントロピーというパラメターで


対象系の乱雑さを表します。


k(またはkBと記載します)という


パラメターを定めて


ボルツマンが定量化した概念です。


クラウジウスが使ったエントロピーを


ボルツマンが再定義した、とも言えます


「乱雑さ」は統計力学において


温度T、容積V、圧力P等と関連して


ボルツマンの関係式として定式化されました。


 

ボルツマンの研究業績の中で特に


私が関心をもつのは


原子論に関しての現象把握です。


観測に直接かからない


原子は色々な見方をされていました。


そんな原子に対して


ボルツマンは「乱雑さ」または


「無秩序」の度合いという


新しい物理量である「エントロピー」を使い


原子の実在に近づいていったのです。


結果として


対立する考えが物理学会で生じていて


原子モデルを使うボルツマンと、


実証主義で理論を進める


エルンスト・マッハの間で論争が続きます。


原子論モデルを大きく進めるプランクの登場まで


その後、何年間も必要なのです。


そして、残念なことに、、


ボルツマンは晩年に精神障害に悩み


自ら命を絶つという悲しい最期を遂げています。


ここで、暫し物理学は大きな


壁に突き当たってしまったように思えます。


沢山の天才達が問題の大きさに畏怖したのでしょう。


 

ボルツマンはピアノが好きでした。


花を手向ける場所がありますよね。



〆最後に〆





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(2021年9月時点での対応英訳)



Boltzmann's upbringing


Its name is Ludwig Eduard Boltzmann.


Boltzmann is a physicist and philosopher from Vienna, Austria. In addition to canonical (statistical) discussions, he has made significant contributions to the study of electromagnetism, thermodynamics, and the mathematics that deals with them. He was born in Vienna. As a child, he learned the piano from pianist A. Bruckner.


Boltzmann's achievements as a mentor include teaching Ehrenfest when writing his dissertation. It can be said that Ehrenfest's theorem contains Boltzmann's belief. Also, from the history of science, it can be said that Boltzmann's flow of atomic recognition was a big step. Without one step here, the image of elementary particles and Brownian motion would not have come out.



Boltzmann's research achievements


S = k Log W is written on Boltzmann's tomb.


S here is a parameter called entropy, which represents the disorder of the target system. It is a concept quantified by Boltzmann by defining a parameter called k (or described as kB).


It can be said that Boltzmann redefined the entropy used by Clausius. "Randomness" was formulated as Boltzmann's relational expression in relation to temperature T, volume V, pressure P, etc. in statistical mechanics.


Among Boltzmann's research achievements, I am particularly interested in understanding phenomena related to atomism. Atoms that are not directly observed have been viewed in various ways.


For such an atom, Boltzmann approached the existence of the atom by using "entropy", which is a new physical quantity of "randomness" or "disorder".


As a result, conflicting ideas have arisen at the Physical Society of Japan, and controversy continues between Boltzmann, who uses atomic models, and Ernst Mach, who pursues positivist theory. It will take many years after the advent of Planck, which greatly advances the atomist model.


And, unfortunately, Boltzmann had a sad end in his later years, suffering from a mental illness and dying himself.


Here, for a while, physics seems to have hit a big wall. Many geniuses would have been afraid of the magnitude of the problem.


Boltzmann liked the piano. He has a place to turn flowers.

2021年09月11日

セシル パウエル
【1903年生まれ-9/11原稿改定】

「セシルパウエル」の原稿を投稿します。原稿文字数は4456文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。【1903年12月5日生まれ ~ 1969年8月9日没】


単なる偶然の産物といえば偶然ですが、
今回ご紹介するセシル パウエルと
ハイゼンベルクとゾンマーフェルトは
同じ誕生日でした。また同様に
西川 正治も同じ誕生日でした。


さて、
今回の紹介は英国のセシル パウエルです。

素粒子の軌跡を記録する方法
を改良しました。


つまり、


Photographic Emulsionsの中での粒子軌跡を


直接記録する方法を採用したのです。


当時は未知なる粒子が次々と発見され


様々に予想されていたのですが、


観測手段も試行錯誤が成されていました。


例えば、


霧箱で飛んでくる粒子の軌跡を捉えたり、


高い山の上で観測して飛来宇宙線の大気減衰を


克服したり写真技術を活用したりしました。


パウエルの手法は写真のイメージから考える


のでしょうか。機会があれば更に確認します。


 

またパウエルは湯川秀樹が予想した
パイ中間子の観測・発見の為に
研究スタッフを派遣しています。生成後の
寿命が短く地表に到達できないパイ中間子
観測の為にボリビアにあるアンデス山脈の
標高5000mの山から上記乾板を使って発見
しています。ダイナミックな観測だった
と言えるでしょう。加えて、気球を使い
高度を確保したりもしています。
観測の為に様々な工夫をこらして
結果を得ています。






以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
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適時返信のうえ改定を致しします。


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レイリー男爵 ; J・W・ストラット
【1842年生まれ-9/11原稿改定】

「レイリー卿」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は3336文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】




 レイリー卿について


この原稿ではURLに爵位である


”Baron Rayleigh”を使っています。


その名を改めて書下すと、第3代レイリー男爵


ジョン・ウィリアム・ストラット


John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh


 

分かり易い業績で紹介していくと、レイリー卿は


晴れた日の空の青さを説明しました。


子供が、「空はなぜ青いの?」って聞いた時に、


どうこたえるか考えてみて下さい。。



その業績


専門的に言えば散乱光の研究をしていた訳です。


そんなレイリー卿は入射波と反射側の散乱波を考え、


それらの波長と空気中の分子の性質を考えたのです。


結果、昼間の空は青く、夕方は赤いのです。


レイリー散乱と呼ばれる考え方です。


別途、ご紹介している


クィーンのブライアンの研究とも関連しています。


またその他のレイリー卿の業績は、


地震の表面波の解析(レイリー波)、


ラムゼーと研究したアルゴンの発見、


初期段階の熱放射理論である


レイリー・ジーンズの法則等があります。


 

その人柄


別の一面としてレイリー卿は量子論や相対論に厳しい立場をとっていたと言われています。実際の所レイリー卿は長い事、エーテルを考え続けていた様です。当時の考えでは否定する事は出来ない物だったとも言えるでしょう。実際にその何年後も実験的にエーテルを実証しようとしています。私はレイリー卿の肩を持ってしまいますが、実験事実の蓄積が無い状態で軽はずみに決断を求めるのは危険です。精査した考えを納得のいく説明で語っていかなければいけません。それだから、考えを育む時間も大切なのです。


またレイリー卿の素晴らしい栄誉を連ねていくと


コプリメダル受賞、ノーベル賞受賞、


第2代キャンデビッシュ研究所所長、


標準局(イギリス国立物理学研究所)の運営理事会議長


と続きます。何より


人材を育てた業績は大きくてジョセフ・ジョン・トムソン


ジャガディッシュ、チャンドラ、ボースを育てました。


爵位としてのレイリーは彼の長男で物理学者だったロバート・ジョン・ストラが受け継いでいます。物理学者が受け継いでいる事実が好印象でした。きっと息子さんと御弟子さんが議論したりもしたんでしょうね。そう考えたいです。






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[2021年9月時点での対応英訳]



About Sir Rayleigh


In this manuscript, the URL "Baron Rayleigh" is used.


To rewrite the name, John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh.


Introducing his easy-to-understand achievements,


This Sir Rayleigh explained the blueness of the sky on a sunny day.


Think about how your child will respond when asked, "Why is the sky blue?" ..



 


Achievements made by Sir Rayleigh's 


Technically speaking, he  had studyed scattered light." Sir Rayleigh" considered the incident waves and the scattered waves on the reflecting side, their wavelengths, and the properties of the molecules in the air. As a result, the daytime sky is blue and the evening is red. This is a concept called Rayleigh scattering. It is also related to Queen's Brian's research, which is introduced separately.


Other achievements of Sir Rayleigh include analysis of surface waves of earthquakes (Rayleigh wave), discovery of argon studied with Ramsey, and Rayleigh-Jeans' law, which is an early stage thermal radiation theory.



 Personality of Sir Rayleigh


It is said that Sir Rayleigh took a strict position on quantum theory and relativity. Everybody knows Sir Rayleigh  had been thinking about ether for a long time. It can be said that he was an undeniable thing at that time. He is actually trying to experimentally demonstrate ether years later. He will carry Sir Rayleigh's shoulders, but it is dangerous to lightly seek a decision without the accumulation of his experimental facts. He must explain his scrutinized ideas with a convincing explanation. That's why time to nurture his ideas is also important.


In addition, "Sir Rayleigh's wonderful honors will be followed by the Copley Medal, the Nobel Prize, the 2nd Director of the Candevis Institute, and the Chairman of the Steering Board of the Standards Bureau (National Institute of Physics, England)". He has cultivated talent above all, and his achievements have been great, and he has cultivated Joseph John Thomson and Jagdish Chandra Bose. And Rayleigh's title is inherited by his eldest son and physicist Robert John Stra. I was impressed by the fact that physicists have inherited it. I'm sure his son and his disciples had a discussion. I want to think so.


 

2021年09月10日

E・ウィグナー
_【1902年生まれ-9/10原稿改定】

「E・ウィグナー」の原稿を投稿します。原稿文字数は1164文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1902年11月17日 ~ 1995年1月1日】


 


その名を書き下すと


ユージン・ポール・ウィグナー


(Eugene Paul Wigner)。


ハンガリー生まれのユダヤ人です。


ポール・ディラックの義理のお兄さんで、


BCS理論の作成者3人組の中心、


バーディーンの指導教官です。


物凄い人脈を持っている人ですね。また、


「原子核と素粒子の理論における対称性の発見」


に対して1963年の


ノーベル物理学賞を受賞しています。


対称性に着目した素粒子の整理は有効で


その分類方法が無ければ


進まなかった話が沢山あります。


 

ユージン・ウィグナーは現在のベルリン工科大学


を卒業後そこで勤務していましたが


ナチスドイツのユダヤ人迫害に対して


研究継続の困難を感じアメリカに亡命をします。


米国に亡命後はウィスコンシン大学で


物理学の教授を務め、その後に


プリンストン大学で数学の教授を務めました。


そんなウィグナーはレオ・シラード


エドワード・テラーらと、ナチスドイツが


原子爆弾を開発した時の危険性を


アメリカ政府に対して訴えていきました。


実際にベルリンを追われた過去を持つ


ウィグナーは現実に当時の状況を分析


していたのだろうと思います。つまり、


当時のドイツの科学の水準を分かっていて


ナチスが有していた兵器を理解していたから、


ナチスによる原爆開発の危険を強く感じて


いたのだと思えます。ただ、


実際の歴史を知っている


今の我々にとって見たら取り越し苦労です。


ノルマンディー上陸作戦以降の連合軍の


通常兵器での反攻を思えば、優秀とはいえ、


一国のドイツがヨーロッパ大陸を長期間占領し続ける


事は出来なかったでしょう。


現在で考えると強大化する中国に対して欧米諸国


がどういった対応をするか


気になる所でありますよね。いずれにせよ、


英米が原爆を所有するきっかけを


ウィグナー達は作ったのです。


 

ウィグナーはアメリカの原爆開発のきっかけ


となったアインシュタイン名による大統領宛書簡


の起草対してシラードやテラーと連名で加わり


ました。加えて、原爆を開発するマンハッタン計画


にはメンバーとして加わりました。


晩年にウィグナーは哲学的な傾向を深め、講演録


「自然科学における数学の理不尽な有効性」を残しています。


著名なこの著作は多分野に影響を与えています。また、


ウィグナーの妹は食事の席にディラックを招いた縁で、


彼の奥さんになっています。とても意外な取り合わせですね。






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ウィラード・ギブズ
_【1839年生まれ-9/10原稿改定】

「ギブス」の原稿を投稿します。私が好きな物理学者のお話で古き良き時代のアメリカの味があり、ギブスが素朴な生活を送る中での暖かい味がある話だと思います。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英訳を加えたほかに大きな加筆はありません。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は3835文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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【1839年2月11日生れ ~ 1903年4月28日没】




その名は


ジョサイア・ウィラード・ギブズ


Josiah Willard Gibbsです。


米国コネチカット州に生まれて


イェール大学で博士号をとります。


その博士号はアメリカ大学での


最初の工学博士だったそうです。ギブズは


米国における物理学の先駆者だったのですね。


そして理学博士でなくて工学博士って所が


アメリカっぽいなと思いました。そして、


物理学者ギブスの父は同名で


宗教文学(Wikipediaへ)


の教授です。古き時代のアメリカですね。


その後、


ギブスは修行時代として、


パリ、ベルリン、ハイデルベルクで


一年ずつ滞在します。


今の感覚ではピンとこないのですが、


彼の人生で地元を離れたのは


この三年間だけだったそうです。



ギブズの業績


ギブスの業績として大きいものは物理学への


「統計手法」の導入でしょう。


個々の粒子固有の性質は別に考え、


粒子集団が持つ性質を統計的に


まとめあげていく事でその性質が


熱力学的な特性につながっていくのです。


その考えをまとめた論文を読んだ


マクスウェルは大変感動をして、


自身の思いを伝えるために石膏模型


を作ったと言われています。そして、


その抽象的な模型をギブスへ送ったのですが、


模型は今でもイェール大学で


大切に保管されているそうです。


 

ギブスのスタンス


数理的手法を物理学に取り入れたギブスですが、


その立場(スタンス)を表現している言葉をご紹介します。


A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.


【(私の訳)


数学者は望むがままに物事を言えますが、


物理学者は何とかして、しゃっきりと


物事を伝えなくてはいけないですよ。】


数学者と物理学者は社会から


求められている物が違うので


視点を変えていかねばいけないと駄目です。



ギブズの暮らし 


最後に、戸田先生の教科書
【岩波書店から出ていた熱・統計力学の本】
でギブスの人柄を伝えるエピソード
が載っていたので
ご紹介します。
(小さな物語の始まりです)


ギブスは結婚をしないで父の残した家に
妹夫婦と共に住んでいました。
その家は彼の研究室から近い場所、
道を渡ったところにあって、
ギブスは午前の講義を終えた後に、
食事の為に家に戻っていました。


お昼を食べた後にギブスは
研究室に帰ってそこで過ごし、
夕方五時頃に散歩をしながら帰宅
するという、静かな暮らし
を送っていました。何年も。何年も。


そして、
ギブスは妹の家事を手伝い、
一緒に料理もしました。
特に、不均一系の研究をしていたギブスは
サラダを混ぜる仕事がとても得意だったそうです。


うまく作業できた時には大層、
ご機嫌になれたでしょう。
そんな静かで温かい生活を重ねていました。







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His name d Gibbs


Its name is Josiah Willard Gibbs. Born in Connecticut, USA, he holds his PhD from Yale University.


His PhD was the first PhD in engineering at an American university. Gibbs was a pioneer in physics in the United States.


And he thought that the doctor of engineering,


not the doctor of science, was American.


And the father of physicist Gibbs is a professor of


religious literature (to Wikipedia)


with the same name. He's an old American, isn't he?


After that, Gibbs will stay in Paris, Berlin and Heidelberg


for one year each as his training period.


It doesn't seem like it's right now, but he's been away from home


for the last three years in his life.



Gibbs achievements


One of Gibbs' major achievements is the introduction of "statistical methods" into physics. Apart from the unique properties of individual particles, by statistically summarizing the properties of the particle population, those properties lead to thermodynamic properties.


It is said that Maxwell, who read the treatise summarizing his thoughts, was very impressed and made a plaster model to convey his thoughts. He sent the abstract model to Gibbs, who is still kept at Yale University.



Gibbs's stance


He is a Gibbs who has incorporated mathematical methods into physics,
Here are some words that express that position (stance).
A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.


[(My translation)
Mathematicians can say things as they wish,
The physicist manages to be crisp
He has to tell things. ]


Mathematicians and physicists have


different perspectives because


the things that society demands are different.



Gibbs life


Lastly, I would like to introduce an episode that conveys Gibbs' personality in Professor Toda's textbook [Book of Thermal and Statistical Mechanics from Iwanami Shoten].
(Beginning of a small story)


Gibbs lived with his sister and his wife in the house left by his father without getting married.
The house was near his lab, across the road,
After Gibbs finished his morning lecture, he returned home for a meal.
After having lunch, Gibbs lived a quiet life, returning to his lab and spending time there, taking a walk around 5 pm and returning home. For years. For years.


Gibbs then helped his sister with the housework and cooked with her.
In particular, Gibbs, who was studying heterogeneous systems, was very good at mixing salads.


He would have been in a good mood when he was able to work well.
He lived such a quiet and warm life.



2021年09月09日

ポール・ディラック
【1902年生まれ-9/9原稿改定】

「ディラック」の原稿を投稿します。原稿文字数は2098文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1902年8月8日生まれ ~ 1984年10月】



イギリスのディラックは


とても謙虚で無口な人でした。


ノーベル賞が決まった際には、


有名になる事を恐れて受賞の辞退を


考えていた様です。そんな人なのですが、


20世紀初頭の天才達がひしめく中で


ファインマンハイゼンベルクシュレディンガーなど


と量子力学を確立します。特にシュレディンガーとは


同じタイミングでノーベル賞を受賞します。


ディラックの人柄を考えるにあたり少し、


その家族について言及します。


ディラックが10代後半の時期にスイスから


家族は国籍を移しています。そしてディラックの


性格形成を語っていく上で家庭環境は大きな要素


だったようです。まず1924年にディラックの


兄が自ら命を断っています。


色々考えた末だったのでしょうか。


ディラック自身も、その父と会話し辛い


場面が多々あったようです。そして、


極端に無口な人になっていったようです。


しかしディラックは、闇に沈まずに数学を駆使して輝かしい成果を残しています。特にデルタ関数やブラケット記法は素晴らしいのです。そんな足跡を沢山残しました。


デルタ関数は超関数の仲間で
積分を使って定義されます。
多分野で有用である関数ですが、
物理の分野では観測に伴い、
波束が収束する様子が表現出来るのです。
数学上ではヘビサイド関数を表現出来ます。
現象は捉え方次第で色々な観測が出来て
周波数軸の観点で物事を考える時と
実座標軸(長さの観点)で考える時と
数式上の表現が異なります。
工学的にこの視点を応用した解析も
実用上で非常に便利に利用されていて
市販品のアナライザーで簡単に
業務解析をする事が出来ます。


ブラケット記法とは日本語で「括弧」
の記号を使った表記です。その定式化では
カギカッコ<>の形の 「<」 の部分
だけを「ブラベクトル」と呼び
カギカッコ<>の形の 「>」 の部分
だけを「ケットベクトル」と呼びます。
非常に分り易い表現でブラの部分がベクトル量
に相当してケットの部分が、それと作用するベクトル量に相当する定式化です。作用する前のケットが固有値を持つ場合に固有状態を持つと表現されます。ここでのベクトルがヒルベルトベクトル(無限次元に対応)であることが学部時代の私にとって感動的でした。一瞬にして物理量に対応する状態が記述された気がしました。一次元が線で、二次元が平面で、三次元が立体空間だというくらいしか想像がつかなかった高校時代から想像は大きく膨らみ、いきなり無限次元に話が拡張したのです。一つのベクトルが多くの情報を担います。他方でデルタ関数は観測が一瞬にして波束の収縮を引き起こす様子を表現していると思います。こうした定式化をディラックは進め、理論から提唱される物質を考え出しています。具体的に反物質と呼ぶ存在がいくつも提唱され、見つかっています。反物質は寿命が通常の物質より若干短かったりしますので日常的ではありませんが、粒子の生成消滅を論じたりする際に大事な要素です。陽子には反陽子があり中性子には反中性子があります。


そして、何よりディラックは無口な人です。多くの成果を出していく中で各国の物理学会で招待する動きがあって日本にも来ていたようです。ただ性格が性格でですので余り逸話が残っていません。「仁科さんとお茶飲んだ時に・・・」みたいな話が残っていないのです。無論、歳下の朝永さんとか湯川さんは尚更の事、話しづらかったと思えます。話しかけても無言だったのでしょう。多分オランダでも日常会話はほとんどなかったと思われます。ケンブリッジでは「1Dirac」という単位を使われていました。仲間内での意味としては
「1Word/1Hours」が「1Dirac」に相当して
一時間あたりに単語二つを使ったら「2Dirac」消費されたとして換算されました。ディラックは一時間に数Dirac程度しか言葉を残さなかったそうです。


しかし、そんなディラックは真面目な性格、人を騙さない性格もあって周囲から大事にされていた様子が伺われます。このブログのTOP画面で使っている集合写真でも真ん中の列の中央に居ます。若き天才ディラックをアインシュタインやキューリ夫人が尊重して「君の研究は素晴らしい。これからも頑張って下さいよ!」といった気持で尊重しているような気がするのです。そして、
ディラックはイギリスの伝統を受け継いだ人でもあります。
ケンブリッジではルーカス教授職を務めました。この名誉は初代・アイザック・バローから始まり二代目・アイザック・ニュートンと続き、最近では宇宙論で名を成したS・W・ホーキング博士が受け継いでいます。





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以下アドレスまでお願いします。
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適時、返信・改定をします。


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2020/08/17_初稿投稿
2021/09/09_改定投稿


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E・マッハ
【1838年生まれ-9/9原稿改定】

「マッハ」の原稿を投稿します。原稿文字数は4205文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】【1838年2月18日 ~ 1916年2月19日】



マッハの人生


以前ご紹介した石原さんはアインシュタイン直後の時代の一人、今回はご紹介するエルンスト・マッハはアインシュタインに影響を与えた一人です。その存在と考え方は当時の物理学会と思想に大きな影響を与え、後の認識論に影響を与えました。ボルツマンプランクがマッハの議論の土台を参照して独自の論理を展開していきます。マッハは最終的には国の政治に参加していたようです。そんな議論を進めたマッハの業績はとても大きいと思います。また、マッハは最初の科学史家だと言われています。昔から正しいと言われてきた科学に関わる方法論を一つ一つ再定義・確認して議論していったのです。



マッハの業績と独自性


エルンスト・マッハはオーストリアに生まれた


物理学者です。その研究範囲は


数学・物理学・感覚分析・心理分析に及びます。


マッハの残した業績はまさにパラダイム
シフトと呼べます。それは時間と空間の
概念に対しての挑戦でした。そもそも、
ニュートン以降の時代に、空間の概念は
絶対空間・絶対時間しかありませんでした。
背景として神様の概念に端を発する世界観
があったのです。宇宙も自然も神の作り
たもうた産物だと万人が考えていました。


所がマッハの考え方は徹底的に相対的です。
マッハの考え方によると空間は全て相対的で絶対空間という概念は設けません。論理的に考えて絶対空間の意義を感じない所が凄いのです。時間に関しても同様で絶対空間で流れる時間に意義を感じていません。後に議論される双子のパラドックスを知ると、複数の系を考える時にもっと我々には設定が必要な筈なのですが、そこまで議論を進めるべきなのです。


アインシュタインはそこを考え抜き相対論
に至ります。新しい考えを哲学的思考
方法で打ち出し、明確なメッセージ
を伝えたマッハの業績は素晴らしかったです。
晩年のマッハをアインシュタイン
表敬訪問しています。


 

マッハの進めた認識改革


またマッハは物理学に於ける認識の変革


にも大きく関わりました。ボルツマン


プランクらの実在論に対してマッハは


実証主義を展開し、自然に対する測定を


通じた認識の問題を議論しました。


観測者の感覚を重視した認識に対して


独特の立場をとっています。事物を認識


するのは認識者であって「個人個人の


感覚を通じて認識する過程」を含めて


マッハは議論を進めていったのです。


音速をこえる時の画像は万人に説得力を持ちます。
Photography of bow shock waves around a brass bullet, 1888


 ↑ cf;Wikipedia  パブリック・ドメイン ↑


我々は未だに音速を表現する際に「マッハ」


という単位で彼の名前を使い続けています。


それは後世・我々が出来た小さな評価、


とも言えるのでは無いいか、と私は思っています


論敵も多かったマッハでしたが、しっかりと


今に残る確かな足跡を残しています。



〆最後に〆


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2020/08/13_初稿投稿
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【英訳】



Mach life


Mr. Ishihara, who I introduced earlier, was one of the people immediately after Einstein, and Ernst Mach, who I will introduce this time, was one of the people who influenced Einstein. Its existence and way of thinking had a great influence on the Physical Society of Japan and ideas at that time, and influenced later epistemology. Boltzmann and Planck develop their own logic by referring to the foundation of Mach's argument. It seems that Mach eventually participated in national politics. I think Mach's achievements in promoting such discussions are very large. Mach is also said to be the first historian of science. He redefined, confirmed, and discussed science-related methodologies that have long been said to be correct.



Mach achievements and uniqueness


Ernst Mach is an Austrian-born physicist. His research interests cover mathematics, physics, sensory analysis, and psychological analysis.


The achievements left by Mach are just a paradigm
You can call it a shift. It's time and space
It was a challenge to the concept. in the first place,
In the post-Newton era, the concept of space was
There was only absolute space and time.
A world view that originates from the concept of God as a background
There was. The universe and nature are made by God
Everyone thought it was a product of humanity.


However, Mach's way of thinking is completely relative.
According to Mach's idea, all spaces are relative and do not have the concept of absolute space. It is amazing that I think logically and do not feel the significance of absolute space. The same is true for time, and I don't feel the significance of time flowing in absolute space. Knowing the twin paradox that will be discussed later, we should have more settings when considering multiple systems, but we should proceed to that point.


Einstein thinks about it and comes to the theory of relativity. Mach's achievements in delivering his new ideas in a philosophical way and delivering a clear message were wonderful. Einstein pays a courtesy visit to Mach in his later years.



Mach's cognitive reform


Mach was also heavily involved in the transformation of cognition in physics. Mach developed positivism against the realism of Boltzmann, Planck and others, and discussed the problem of cognition through measurement of nature.


He takes a unique position on the observer's sense-oriented perception. It is the recognizer who recognizes things, and Mach proceeded with the discussion, including the process of recognizing things through individual senses. Images when the speed of sound is exceeded are persuasive to everyone.


We still continue to use his name in the unit "Mach" when expressing the speed of sound. I think it can be said that it is a small evaluation that we have made in posterity.


He was Mach, who had a lot of controversy, but he has a solid footstep that remains.


2021年09月08日

ハイゼンベルク
【1901年生まれ9/8原稿改定】

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【1901年12月5日生まれ ~ 1976年2月1日没】


 



ハイゼンベルクは行列形式


の導入や、不確定性関係等


の適用で、量子論を形作った


一人です。バイエルン王国


に生まれミュンヘン大学


ゾンマーフェルトに学び


マックス・ボルンの下で


助手を務め、コペンハーゲン


ニールス・ボーアの下で


修業します。そうした一線級の


議論の中で理論の形式を整えます。


量子論の本質的な概念である


不確定性原理はボルンやヨルダン、


ハイゼンベルクによって確立されました。


可視化で想像できる世界がどこまで細かく


考えていけるかという命題に対しての一つの


回答が不確定性関係を含む量子力学の体系です。


そして加えて、ハイゼンベルクはシュレディンガーポール・ディラックと同じ時代に生き、積極的に行動すればアインシュタインボースとも議論が出来ました。。そうした天才達がミクロの原理を一つ一つ解きほぐしたのです。まだ見えない原子レベルの大きさの事象を推察する手法が色々と試みられて、その結果を説明する理論が発展したのです。不確定性関係の発表が1927年なのですが、同時期には数多くの革新的な発表がされて量子力学の対象の理論と応用技術が飛躍的に発展した時代でした。


同時に大変な時代背景、第二次世界大戦があり
ハイゼンベルクはアインシュタインが作った
相対論を駆使したりユダヤ人物理学者を養護
していたので、ナチス党員の物理学者から
「白いユダヤ人」と呼ばれ苦労しています。
プランクからの指摘もあり
戦後の体制を見据えてハイゼンベルクはドイツ
に残りました。しかし戦時下ですので物理の知識を
ナチスの為に使う事になり、色々考えたようです。
実際にハイゼンベルクのシンクロトロンが火災を起こし
世界でニュースとなったと聞き、アメリカに亡命していた
アインシュタインは大変驚きます。
実際にその事件が彼に原爆開発を決意させたとも言われています。そして、大戦が深まる中でナチス側も原子力爆弾の実用化を模索していた中で当時のドイツ内でのハイゼンベルグの立場は極めて苦しくなります。実際にハイゼンベルグが積極的な態度をとったとしたら恐ろしい事です。歴史には「たら・れば」はよく語られていて、、仮にナチスが原爆を持っていたら、
連合国との原爆の応酬で
とても恐ろしい状況になっていた筈です。


量子力学の計算を進めていて感じたのですが、オブザーバブルに対する状態の時間発展を表す表式は数学的な厳密さを持つ半面で、状態を表している物理表現として洗練されてます。ハイゼンベルク等の提唱した行列形式はそこにつながっていきます。又、いくつかの思考実験で裏打ちされた不確定性関係は量子力学の現象理解の中では本質的です。


またハイゼンベルクはピアノの名手
だったと言われていています。
聞いてみたかったですね。


 





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E・W・モーリー
【1838年生まれ-9/8原稿改定】

「モーレー」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は2115文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
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【1838年1月29日 ~ 1923年2月24日】


 

稀代の実験家E・W・モーレー


その名を書き下すとエドワード・ウィリアムズ・モーリー


(モーレーとも書き下します)、Edward Williams Morley、


アメリカニュージャージー生まれの物理学者です。


ニュージャージと言えば晩年のオッペンハイマーとか


エジソンと同郷ですね。個人的印象としては


米国4台研究拠点の一つです。他は


カリフォルニア・シカゴ・コネチカット州だと思えます。


其々で議論が繰り広げられてきたはずです。


何より、モーリーはマイケルソン・モーレの実験で有名です。


別項でも記述しましたが、この実験ではエーテルの


存在に起因する「光速度の変化」は見てとれませんでした。


その事が結果として「光速度普遍の原理」に


繋がっていったのが歴史的な事実です。




モーレの歴史的な位置付け


更に話を掘り下げていくと、等速運動をする


慣性系においてローレンツやアインシュタインが


考えていたような系の間の関係式が導き出せれて、


それが更に考える為の材料となって


相対論の理論体系が構築出来ています。


理論の起点と確認点はあくまで実験で


確かめられた自然界の事実なのです。


こういった理論と実験の両輪を考えていく


ダイナミックさが物理学の醍醐味です。


その議論の中で

モーレの仕事は大きな役割を果たしました。

 

その他。モーレーは、熱拡散に関する研究を行い、


磁場中の光速に関する研究を行い、実績を残しています。






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2021/01/25_初稿投稿
2021/09/01_改定投稿


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【2021年9月時点での対応英訳】


If you write down the name, Edward Williams Morley,

A physicist born in New Jersey, USA. Speaking of New Jersey, it's the same hometown as Oppenheimer and Edison in his later years. As a personal impression

It is one of the four research bases in the United States. The other seems to be California, Chicago, Connecticut. There must have been discussions in each case. Above all, Morley is famous for Michaelson Moret's experiments.

As described in another section, the "change in speed of light" due to the presence of ether could not be seen in this experiment. It is a historical fact that this led to the "universal principle of the speed of light" as a result.

Further digging into the story, we can derive the relational expression between the systems that Lorenz and Einstein thought in the inertial system that moves at a constant velocity, which becomes the material for further consideration and the theory of relativity. The system has been built.

The starting point and the confirmation point of the theory are the facts of the natural world confirmed by experiments. The dynamic of thinking about these two wheels of theory and experiment is the real thrill of physics.

others. Morley has a track record of conducting research on thermal diffusion and research on the speed of light in a magnetic field.




 

2021年09月07日

エンリコ・フェルミ
【1901年9月生まれ-9/7原稿改定】

以下原稿改定します。ご覧下さい。


【以下原稿とします】


【1901年9月29日 ~ 1954年11月28日没】



フェルミはイタリアのローマに生まれアメリカで没してます。


アメリカではフェルミの名前を冠した研究所が今でも


シカゴ大学内にあって、そこで議論が交わされています。


その業績は社会的側面が大きいものもある一方で


純理論を突き詰めた後世の多くの物理学者が使う


原理・概念もあります。まさにパラダイムシフトを起こした


立役者です。ミクロの世界を切り開きました。


 

そもそも、フェルミは学生時代から抜きん出た優秀さ


を備えています。一歩一歩、フェルミは議論を展開して


ノーベル賞を受け、その授賞式の際にイタリアから


アメリカに亡命しました。時節柄、奥様がユダヤ人


だつた為迫害されていたのです。アメリカ移住後に


フェルミは有名なマンハッタン計画に参画し、


原子力発電所の創設に携わり社会を大きく変えていきます。


そもそも、計画への参加はオットー・ハーンが


ドイツで核分裂実験に成功した事情が大きいです。


フェルミを初めとした物理学者達が時代に


危惧感を抱いたのです。アメリカを中心とする


資本主義圏が自由を謳歌した点でフェルミの業績は


計り知れないです。反面でスリーマイル島の事故や


福島での原発事故を思い起こすと、


気楽に賞賛ばかりはしていられません。


このブログの中で私が何回か主張しているように


識者が知恵を集結して問いかけなければいけません。


かってのラッセルーアインシュタイン宣言を


思い起こしたいです。一方で我々、大衆も


皆で分かる範囲の言葉を使い意見を交わさねばなりません


可能な範囲で意見を交わして民衆の英知を集結させるべきです。個人個人が平和に対して語る時に少しでもしっかりした考えをもって話さないといけないのです。色々な人と語る時に話が繋がっていく様な議論の土壌を、少しずつ育んでいかないといけないのです。会話をする個人それぞれが、より平和と現実に対してしっかりした考えを持ってほしいです。そんな人が話しやすい雰囲気を出していけるような人になって下さい。自分が話を広げるだけではなくて、相手の意見や気分を理解する力も大きいです。
考えを作るうえで政治家には頼れない昨今です。
各人、しっかりした考えを育んで下さい。


さてフェルミに話を戻します。
フェルミは純理論の中で
スピン角運動量に関して議論を進めました。
別のご紹介でボゾン・アインシュタイン
の系を紹介しましたが、フェルミと
ディラック
は別の粒子群に着目します。

後世の理解ではスピン角運動量が
半整数(1/2とか3/2とかいった数)
の粒子はフェルミ粒子(フェルミオン)
と呼ばれボゾンとは別の振る舞いを示します。
具体的なフェルミオンとしてはク
ォークや電子、ミュー粒子、ニュートリノ、
陽子、中性子もフェルミ粒子の仲間です。

こうした概念は電気伝導率の物性を
議論するときには欠かせません。


フェルミの排他律に従う電子の集団を統計的に扱い、
フェルミ統計を確立したのです。例えばこの理論で
金属他の熱伝導が非常によく説明されます。。


こうして沢山の業績を世に残し、


フェルミは天に召されました。


彼は病床で点滴が落ちるのを眺めて、


その流速を出していたと言われています。


フェルミこそ、生粋の物理学者でした。


謹んでご冥福をお祈り致します。






以上、間違いやご意見があれば
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J・C・マクスウェル
【1831年生まれ-9/7原稿改定】

「マクスウェル」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は3244文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
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【1831年6月13日 ~ 1879年11月5日】




マクスウェルの人物概要


その名を細かく記載すると、J・C・マクスウェル


:James Clerk Maxwell_。


マクスウェルは電磁気学を確立しました。


そこでは場の理論の基礎を作りあげ、


電場と磁場の関係をマクスゥエル方程式


で関連付けてまとめ上げ、


定式化をしたのです。更には、


直行する電場と磁場からなる「電磁波」


の関係を数式として確かにして、


その進行相度が


光速度となる事を理論的に導きました。



天才肌のマクスウェル


大英帝国のエディンバラで生まれたマクスウェルは


文理の面で、それぞれ早熟な才能を示ました。


14歳の時に書いた詩が地元の新聞に掲載されています。


言語学・修辞学の高度な習得を感じさせますね。


また同時期に、焦点を用いて「卵形線」を定義して、


「ピンと糸」を使った工夫で描き出す手法を提案していて、


論文に纏めています。マクスウェルに限らず当時の


物理学者は今よりも多面的に現象を論じ、


考えてていてた傾向はあるようです。


時代を差し引いても天才肌ですね。


マクスウェルも光学・熱力学で業績を残します。


電磁波が光学的に縦波・横波で議論されています。


現代では高校レベルの知識ですが


当時、説明するのは大変だったと思います。



マクスウェルの残した業績


マクスウェルの業績で個人的にもっとも


評価したいのは何よりも「場の考え」の確立です。


静的な意味での場と時系列で変化する


動的な意味での場は大きく違うと思えます。


マクスゥエルは後者の意味での「場」を


定式化して後の理論家達に


進むべき道を示したパイオニアでした。


実際に後のアインシュタインニュートンよりも


マクスウェルを近しく感じています。共に「場」を


考えていった系譜の人々なのではないでしょうか。


「ニュートンよ許したまえ」という言葉を使い、


アインシュタインは絶対時間を否定して


相対性理論を構築していくのです。


そして偶然ですが、マクスウェルの没年に


アインシュタインが生まれています。


マクスウェルが亡くなったのは40代なので


もう少し活躍して欲しかったと思います。 



〆最後に〆


 



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2020/09/04_初稿投稿
2021/08/31_改定投稿


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【2021年9月時点での対応英訳】



Maxwell's personal profile


To elaborate on its name, James Clerk Maxwell.


Maxwell established electromagnetics.


There, he laid the foundation for field theory, and formulated the relationship between electric and magnetic fields by associating them with the Maxuel equation. Furthermore, he confirmed the relationship between the orthogonal electric field and the "electromagnetic wave" consisting of the magnetic field as a mathematical formula, and theoretically derived that the progressive phase is the speed of light.



Genius skin Maxwell


Born in Edinburgh, the British Empire, Maxwell showed precocious talent both in literature and in science. A poem he wrote when he was 14 was published in a local newspaper. He makes us feel the advanced acquisition of linguistics and rhetoric.


At the same time, he proposed a method of defining an "oval line" using focus and drawing it with a device using "pins and threads", and summarized it in a treatise. It seems that physicists at that time, not just Maxwell, tended to discuss and think about phenomena from a more multifaceted perspective than they do now. It's a genius skin even if the times are subtracted.


Maxwell also makes a mark in optics and thermodynamics. Electromagnetic waves are optically discussed as longitudinal waves and transverse waves. Today, it's high school level knowledge, but I think it was difficult to explain at that time.



Achievements left by Maxwell


What I personally want to evaluate most about Maxwell's achievements is the establishment of the "electromagnetic field idea". It seems that the electromagnetic field in the static sense and the electromagnetic field in the dynamic sense that change over time are very different.


Maxuel was a pioneer who formulated the "electromagnetic field" in the latter sense and showed the way to later theorists.


In fact, later Einstein feels closer to Maxwell than Newton. I think they are people of genealogy who both thought about "electromagnetic field". Using the phrase "Forgive me, Newton," Einstein denies absolute time and builds the theory of relativity.


And by chance, Einstein was born in the year of Maxwell's death.


Maxwell died in his 40s, so I hope he's a little more active. Twice


2021年09月06日

E・O・ローレンス
_【1901年生まれ-9/6原稿改定】

「ローレンス」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は2181文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1901年8月8日 ~ 1958年8月27日】




 優れた実験家ローレンス


その名はErnest Orlando Lawrence。


ローレンスは優れた実験家で今でも頻繁に


応用されているサイクロトロンを発明した事


で広く知られています。


 

ノルウェー系の両親に生まれ少年時代はMerle Tuveと


共に簡易無線装置を作成したりしていました。


その後、


サウスダコタ大学時代は医学を志望してましたが、


化学の学士号、物理学の修士号を習得


します。Tuveと共にスワン先生の下で学びます


ローレンスがイェール大学で博士号をとった時


には光電効果に関する研究をしていたようです。


その後、恩師だったスワン先生がイェール大学


を去るタイミングでカリフォルニア大


に移ります。ローレンスは実験家として大変、


有望視されていました。



ローレンスの業績 


サイクロトロンを使った実験で、
ローレンスがその装置を活用
した応用例が人工放射性元素でした。
ローレンスと彼の率いる
バークレー国立研究所は
自然界に存在する元素だけでなく、
不安定な元素を作り出したのです。


強い磁場を使い帯電しているイオンを


ビーム状に出す事が出来るので


ローレンスの作ったサイクロトロンは


イオンが反応する状態を作れるのです。


日本、イギリスが同様な措置を計画していきます。


サイクロトロンを使えば特定金属にイオンビームを


当て続ける事が出来たりする訳です。


こうした装置の開発を通じて
ローレンスは人類に新しい知見を
もたらしたのです。







以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


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2020/10/31_初回原稿
2021/09/06_改定投稿


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(2021年9月時点での対応英訳)



Excellent experimenter Lawrence


Its name is Ernest Orlando Lawrence. Lawrence is a well-known experimenter and widely known for inventing the cyclotron, which is still frequently applied.


Born to Norwegian parents, he worked with Merle Tuve as a boy to create simple radios.


Later, Lawrence aspired to medicine when he was at the University of South Dakota, but he earned a bachelor's degree in chemistry and a master's degree in physics. He studies with Tuve under Dr. Swan. When Lawrence got his PhD at Yale University, he seems to have been studying the photoelectric effect.


After that, his teacher, Swan, will move to the University of California when he leaves Yale University. Lawrence was very promising as an experimenter.



Lawrence's achievements


In his cyclotron experiments, Lawrence's application of using the device was an artificial radioactive element. Lawrence and his Berkeley National Laboratory created unstable elements as well as those that exist in nature.


Since it is possible to emit charged ions in the form of a beam using a strong magnetic field, the cyclotron made by Lawrence can create a state in which the ions react. Japan and the United Kingdom will plan similar measures.


If you use a cyclotron, you can keep shining an ion beam on a specific metal.


Through the development of such equipment
Lawrence gives humanity new insights
I brought it.



 

ウィリアム・トムソン
【1824年生まれ-9/6原稿改定】

「トムソン卿」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は3197文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1824年6月26日 ~ 1907年12月17日】




多くの業績を残したトムソン


始めに、本稿のURLは”Baron Kelvin”を使っています。


名前としてはトムソンなんですが、ケルビン男爵


としての別名も持っていたからです。


その名を詳細に記すと、


初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソン


William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE


 

トムソンは熱力学や電磁力学で


沢山の研究成果を残してます。


彼は僅か10歳でグラスゴー大学へ入学しました。


トムソンの父がグラスゴー大で教鞭を


とっていた事実はある様ですが、


それを別にしても早熟ぶりに驚かされます。


その後、トムソンはケンブリッジで勉学を進め、


22歳でグラスゴー大学の教授になり、


イギリスの大学で初めての物理学研究室


を立ち上げました。


 

トムソンの広めた諸概念


1845年の論文では、ファラデーの理論を


数学的に整え回路近辺の空間を考えてます。


この発表は後のマクスウェルに示唆を
与えたと言われています。後の電磁場
の考え方に原型を与えたのでしょう。


また、トムソンは数学的表現である「ベクトル」
を「使い始めた」人であると言われています。


ハミルトンが別途ベクトルの概念を使っている


ようですが、ハミルトンは四次元空間の定式化


の中で使っています。これに対してトムソン卿は


ベクトルの概念を使って実際に起きている現象を


数学上で(ベクトル表現で)


より現実的に対応させているのです。


また、

物理学者としては別にJ・J ・トムソンが居ます。


更に、電磁気学から量子力学への移行する中での業績としては磁性に関するものがあります。ファラデーが見つけた常磁性という概念を説明する為にトムソン卿は感受性・透磁率といった概念を固有の物質で考えていきました。後に「スピン」等の概念を考える土台をトムソンが作っていったと言えないでしょうか。



多くを残したトムソン


そして、トムソン卿は沢山の物理学者と議論しました。
例えば、無名だったピエール・キューリを見出し、
交流し真価を認めました。また、別項でご紹介して
いますが、日本初期の物理学者である田中舘愛橘を育て、
彼がトムソンを敬愛していた事でも広く知られています。






以上、間違い・ご意見は
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最近全て返事が出来ていませんが
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2020/10/13_初稿投稿
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Thomsom did many  advanced work


First, the URL for this article uses "Baron Kelvin". He's named Thomson, but he also had an alias as Baron Kelvin.


To elaborate on its name, William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE


Thomson has left a lot of research results in thermodynamics and electrodynamics. He entered the University of Glasgow at the age of only 10.


It seems that Thomson's father was teaching at the University of Glasgow, but apart from that, he is amazed at his precociousness. After that, Thomson studied in Cambridge, became a professor at the University of Glasgow at the age of 22, and set up the first physics laboratory at a university in the United Kingdom.


In his 1845 treatise, he mathematically arranged Faraday's theory and considered the space near the circuit.


This announcement suggests to Maxwell later
It is said to have given. Later electromagnetic field
Probably gave a prototype to the idea of.


Also, Thomson is a mathematical expression "vector".
Is said to be the person who "started using".



Works of Thomson 


It seems that Hamilton uses the concept of vector separately, but Hamilton uses it in the formulation of four-dimensional space. Sir Thomson, on the other hand, uses the concept of vectors to mathematically (in vector representation) the phenomena that are actually occurring.


In addition, there is another physicist, JJ Thomson.


In addition, one of the achievements in the transition from electromagnetism to quantum mechanics is related to magnetism. To explain the concept of paramagnetism that Faraday found, Sir Thomson considered the concepts of sensitivity and permeability with unique substances. It can be said that Thomson laid the foundation for thinking about concepts such as "spin" later.


And Sir Thomson discussed with many physicists.
For example, he found the unknown Pierre Cucumber,
He interacted and acknowledged its true value. Also, I will introduce it in another section.
However, it is also widely known that Tanakadate Aikitsu, a physicist in the early days of Japan, was brought up and Tanakadate admired Thomson.


2021年09月05日

W・E・パウリ
【1900年生まれ-9/5原稿改定】

「パウリ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1838文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。【1900年4月25日生まれ ~ 1958年12月15日没】


その名はWolfgang Ernst Pauli。オーストリア生まれの


スイスの物理学者。パウリの排他率律で有名です。


排他律を排他率と書いてしまいがちですが


排他律です。その「パウリの排他律」は


「パウリの原理」とも呼ばれています。


1945年にアインシュタインの推薦で


ノーベル物理学賞を受けています。


ミドルネールのエルンストはパウリの名付け親で、
パウリが尊敬するマッハに由来します。
父方はユダヤ系で有名な出版社を
経営していたようです。


さて、


排他律の具体的な内容に関してですが、


ナトリウムの分光実験から話が始まります。


再現性の高い事実として磁場付加時の分光は


電子の自転に由来するという仮説をパウリは立て、


後にそれをスピンと名付けます。


新しい量子的自由度です。


後に行列力学を基盤とした定式化


を行い数学的に表現します。


個人的に興味を引くのはミュンヘン大学でパウリがゾンマーフェルト_の指導を受けている点です。私が講義を受けた先生がゾンマーフェルト_を研究していて、マッハの名前も、その先生から教えてもらいました。そして、マッハ・ゾンマーフェルト・パウリとつながったのです。そしてもう一つ個人的な話を続けます。今使っているドメインへの投稿です。何故か半歳程、投稿漏れに気づかずにいたのですが、ある日「パウリ」について気になって上記ゾンマーフェルトとの関係を思い出したのです。そして急ぎ作業を続けていて驚いたのは、その日がパウリの誕生日だったのです。パウリが生まれてから220年が終わった瞬間でした。後述するユング達が極めた深層心理の世界では意識下と無意識下の間に「潜在意識」を想定しますが、そんなことも少し考えてしまいました。よもや潜在意識下で決めた投稿日だったのでしょうか。とか考えてしまいました。
まぁ、普通に考えたら単なる偶然ですね。


私の頭の中での奇妙な三角関係はさておき、


パウリは人間的にも面白い人だと思えます。


独自に培った知性で各界の著名人を魅了しているのです。


例えば、博士号を習得した直後、パウリは


ゾンマーフェルトに独逸語での百科事典の記事執筆


を依頼されます。内容は相対性理論に関する記事


でしたが、2か月ほどをつかって完成させました。


その結果はアインシュタイン本人の査読にかなう


見事なもので、今日においても読み応えのある


ものとなっているそうです。アインシュタインは


パウリのミドルネームに気付いていたのでしょうか。


マッハとの関係を知っていたのでしょうか。


機会があれば調べてみたいと思います。


マッハ・アインシュタイン・パウリの三角関係です。


更に妙な繋がりは心理学者C・G・ユングとの関連です。パウリは離婚後に精神を病んでいた時期がありました。今や、夢分析の世界で有名なユングに完璧主義者のパウリが出合ったのです。先生と生徒という関係を築き、生徒としてユングにパウリは科学的な批評を加えます。互いに有益な関係だったのでしょう。因みにユング関連での兄弟弟子フロイトもユダヤ系です。アインシュタインもユダヤ系です。この切り口で考えていっても特有の思考的な共有点が見いだせると思います。思考の方法を考えるうえで、少し興味深い対象です。


そして、


パウリは最後まで愛した物理学を愛し続けました。


戦争での苦難の時代の後に帰国して、


病床でも完璧主義者として見舞客と議論を続けました。


その中で語り継がれている話があります。


微細定数と呼ばれる無次元量があって、


それはプランク定数に関わる相互作用を


特徴付ける量です。パウリはその値に最後まで、


こだわり抜きました。


もし、パウリが神に謁見したら、
神に微細定数 1/137.036...の
理論的根拠を尋ねたとしたら、
神様は物凄い速度で計算式を
書き連ねるだろう。その後、
きっとパウリは「違う!」
と唱えて、話し続けるであろう。


よもや、神様さえも「あ!」
と唱えるのではないか、
と不遜にも想像してしまいました。


 





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p style="text-align: center;">ヘルムホルツ
【1821年生まれ-9/5原稿改定

「ヘルムホルツ」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は3277文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】【1821年8月31日生まれ - 1894年9月8日没】

ヘルムホルツの名を全て書き下すと、


Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz。


神経科医にして物理学者です。


学位を修めた際には無脊椎動物の神経繊維と


神経細胞に関して研究していました。


その後、軍医さんとしてポツダム連隊に配属されます。


その後にベルリン大学で教えるという


キャリアを重ねています。


そんな中で沢山の弟子を育てています


その中の一人ヘルツはヘルムホルツのもとで


電気力学ついて考察を進め、電磁波の存在を示します。


ヘルムホルツのの活動は多岐にわたるのです。


そもそも神経活動の伝搬物質は微細電流で、


神経活動の研究には電圧測定は不可欠です。


ヘルムホルツの研究で別の側面をご紹介すると、


熱と仕事の関係があげられます。


ジュール等による熱の仕事当量に対してのデータから、


今で言う熱力学第1法則を導出しています。


学会で論文・力の保存についてを発表しています。


マイヤージュールケルビン卿も別途、研究を進めていたエネルギー保存則に関する成果です。また、ヘルムホルツは化学反応の方向性についても仕事をしています。2つの物資を考えると、熱は必ず接触面で温かい物質から冷たい物質に伝わります。不可逆的な現象です。その不可逆性を考えてヘルムホルツは熱力学に関する知見を化学にあてはめ、自由エネルギー、温度、エントロピーを使って全エネルギーを定義して議論しました。化学反応が起こるには方向性があるのです。別途、研究を進めていたギブズの成果でもありますのでギブズ-ヘルムホルツの式として呼ばれています。また。ヤングの光の三原色に加えて残像の効果を考え、色盲さんの説明が出来る様になりました。音については、人の感じる音色が周波数と、ゲイン(幅)から決まると説明しました。更には、母音に含まれる振動数が基本で、声道の形によって更に個性が出てきて共鳴音の効果が異なるのだと指摘しました。また、田中舘愛橘がベルリン大学へ留学していた時に電磁気を教えていたことでも知られています。





以上、間違い・ご意見は
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If you write down all the names of Helmholtz,
Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz.


I am a neurologist and a physicist. When he completed his degree, he was studying nerve fibers and cells in invertebrates.


After that, he will be assigned to the Potsdam Regiment as a surgeon. He has since continued his career teaching at the University of Berlin. Meanwhile, he is raising a lot of disciples. One of them, Hertz, goes on to consider electromechanics under Helmholtz and shows the existence of electromagnetic waves.


Helmholtz's activities are diverse. In the first place, the propagating substance of neural activity is a minute current, and voltage measurement is indispensable for studying neural activity. Another aspect of Helmholtz's research is the relationship between heat and work.


Helmholtz derives the first law of thermodynamics, which is now called, from the data on the work equivalent of heat by Joule and others. And he is presenting his treatise and preservation of power at an academic conference.


Meyer, Jules, and Sir Kelvin are also the results of the energy conservation law that they were studying separately. Helmholtz also works on the direction of chemical reactions. Considering two materials, heat is always transferred from a warm substance to a cold substance on the contact surface. It is an irreversible phenomenon. Given its irreversibility, Helmholtz applied his findings on thermodynamics to chemistry, using free energy, temperature, and entropy to define and discuss total energy. There is a direction for a chemical reaction to occur. It is also called the Gibbs-Helmholtz formula because it is the result of Gibbs, who was conducting research separately. Also. Considering the effect of afterimages in addition to the three primary colors of Young's light, I can now explain Mr. Colorblind. Regarding sound, I explained that the timbre that people feel is determined by the frequency and gain (width). Furthermore, he pointed out that the frequency contained in the vowel is the basis, and the effect of the resonance sound is different depending on the shape of the vocal tract. It is also known that Tanakadate Aikitsu taught electromagnetics when he was studying abroad at the University of Berlin.


2021年09月04日

S・ナート・ボース
【1894年生まれ-9/4原稿改定】

「ボーズ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1193文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


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【1894年1月1日生まれ ~ 1974年2月4日没】




BOSEの読み方


ボーズ(BOSE)は珍しいインド人物理学者です。


フルネームで名前を書き下すと、


 サティエンドラ・ナートボース


:Satyendra Nath Bose となります。


以下、ボーズの名前に濁音がついていますがご了承下さい。


名前の最後の「ズ」の所です。


BEC(ボーズアインシュタイン凝縮)、


ボゾンといった用語で学生時代に議論して、


その感覚がどうしても消えません。


そもそも実際の綴りはBOSEでしすし、
正式にはボースと発音するようで、
Wikipediaの記載もボースです。しかし、そもそも、
ここに拘っている人は少ない印象です故、
特に訂正しません。



BOSEの業績


さて、インドは独自の数学体系を持ち
計算(暗算)方式も独自の形式を持ちます。
そんな学問体系で素粒子の世界に
挑んだボーズは
統計力学で今世紀初頭にEinsteinと共に
今でいうBOSE粒子群(BOSON)の
振る舞いを定式化するのです。


1924年にアインシュタインへ


論文を送った時点が始まりです。


その論題は「プランクの放射法則と光量子仮説」


でした。アインシュタインはその仕事を


高く評価して後にそれを発展させますが、


学会で討議する以上の交流は未だ私には


調べきれていません。インド独自の学問体系の中で


ボーズ粒子は育っていったと考えています。


後に英国の王立協会からフェローに


任命されていますので


最後のリンクにイギリスは含めました。



BOSNとFERMION


前段の知識として後世の理解で整理すると
素粒子はスピン角運動量の数でBOSONとFERMIONの
二種類に分かれます。いわゆる凝縮系の世界でも
BOSONは特異な振る舞いを示します。
具体的にBOSONとは光子、音子、ウィークボソン、
グルーオン、π中間子やK中間子、D中間子、
B中間子、ρ中間子、等で
スピンの奇遇性からボゾンに分類されて、
BOSE−EINSTEIN統計に従います。



BOSEの人物像


ただ残念な事に西洋の学者と異なり、


インド系のボーズは「人となり」が


伝わっていません。


何よりボーズの業績である、


BOSONで名を残しています。


私がインドに行って調べたいくらいですが
あいにく機会ができません。
いつか調べてみたいと思っています。
その時は関係者と話す時に「ボース」と心がけながら話そうと思います。人の名前は間違えると違和感を与えますからね。いや、ひょっとしたら関係者も「ボーズ」を多用するかもしれません。その確認も小さな楽しみです。






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A・H・ルイ・フィゾー
【1819年生まれ-9/4原稿改定】

「フィゾー」の原稿を投稿します。時代順にリライトをしていますが、このフィゾーの段階で光速が測定されて、ぐっと現代に近づいてきたきがしますね。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は2626文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
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【1819年9月23日生まれ 〜 1896年9月18日没】


 

 



フランス生まれのフィゾー


その名は正確には、


アルマン・イッポリート・ルイ・フィゾー


(Armand Hippolyte Louis Fizeau,
1819年9月23日 - 1896年9月18日)


地上での光速度を始めて測定した人で、


フランス人です。


 

フィゾーの実験として有名な物は1849年に


回転歯車を使った公開実験です。


明快に原理を示して光速度を数値化しました。


フィゾーの示した数値が重要なのは、


後に明らかになっていきますが


光が電気と関係してるからです。


マクスウェル_が電磁気学をまとめる中で、


自分の理論での計算結果とフィゾーの示した値が


とても近い事実に気付きます。それはきっと、


現代風に言えば、電磁波の伝播速度が


光速度に近い、という事実なのでしょう。


媒質が真空であれば一致する筈です。


 

 フィゾーの業績


また、フィゾーはドップラー効果も予見してます。こ


の「ドップラー効果」という言葉はスマホ入力で


一発変換されています。


そんな当たり前の言葉なのですが、


もともとはフィゾー達が


確かにしていった概念なのです。


 

今の我々は簡単に考える作業も、時代が変われば


大変な困難に直面したはずです。特に


新規の概念を手探りで考えていく中での実験は


大変だったであろうと思えます。


フィゾーが実験を繰り返す困難は測り知れません。


当時は未だ


「指向性の強い(光が拡散せず、広がらない)」


レーザー光線も無かったでしょうし、


当然デジタルのカウンターなども無いので、


計測系のイメージだけでも大変だったでしょう。


私が何より興味深いのはフィゾーの


頭の中にある理論的な考察が


閃きによって実験に昇華するプロセスです。


フィゾーは理論的な原理を優れた実験で


わかり易く示したのです。







以上、間違い・ご意見は
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Fizeau born in France


The name is exactly
Armand Ippolito Louis Fizeau
(September 23, 1819-September 18, 1896)


Fizeau is the first person to measure the speed of light on the ground and is a Frenchman.


A famous Fizeau experiment was a public experiment using rotary gears in 1849. The principle was clearly shown and the speed of light was quantified.


Fizeau's numbers are important because, as we will see later, light is related to electricity.



Job of Fizeau


Later, as Maxwell summarizes electromagnetism, he finds that the results of his theory and the values ​​Fizeau show are very close. Perhaps it is the fact that the propagation speed of electromagnetic waves is close to the speed of light in modern terms. If the medium is a vacuum, it should match.


Fizeau also foresaw the Doppler effect. The word "Doppler effect" is converted in one shot by smartphone input. It's such a natural word, but it was originally a concept that Fizeau and his colleagues had made sure.


Even the tasks that we think easily now must have faced great difficulties in different times. In particular, I think it would have been difficult to experiment while groping for new concepts.


The difficulty for Fizeau to repeat his experiment is immeasurable. At that time, there would not have been a laser beam with "strong directivity (light does not diffuse and does not spread)", and of course there was no digital counter, so it would have been difficult just to imagine the measurement system.


What is most interesting to me is the process by which the theoretical considerations in Fizeau's mind are sublimated into experiments by inspiration.


I think Fizeau demonstrated his theoretical principles in a good experiment.




 

2021年09月03日

レオン・フーコー
【1819年生まれ-9/3原稿改定】

「フーコー」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は3602文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1819年9月18日生まれ ~ 1868年2月11日没】


 



フーコーの有名な実験


フーコーは「フーコーの振り子」という装置で有名です。


振り子の運動に地球の運動を反映させるのです。


色々な国の科学博物館で見る事が出来ます。


中国でも韓国でもアメリカでも見る事が出来ます。


日本でも国立科学博物館を初めとして、


全国の数十か所で見る事が出来ます。


振り子の運動は地球の時点とは独自に


繰り返される慣性に縛られた運動であるので


地球の運動が進むにつれて、東西南北とずれるのです。


そのずれは24時間後に元の位置に戻ります。


地球の自転方向と逆に少しずつずれていって


24時間後に元の位置に戻るのです。


対象とする振り子を北極か南極に設置すると


一番分かり易いです。赤道上では分かりにくいです。


そういった誰にでもわかる優れた実験を駆使して


地球の自転を実験的に明らかにしました。


1851年のパンテオンでの公開実験で


最終的に仮説を実証してみせます。


 

フーコーの実験構築


フーコーはフランスのパリに印刷業を営んでいた父


のもとに生まれます。幼い頃から科学工作が好きでした。


子供時代は病弱で医学を志していましたが血液恐怖症


だったりした為、お医者様になるのは断念したそうです。


10代になり、写真技術の改良をしていたフーコーは


物理学者アルマン・フィゾーと知り合いになり交流を深めます。


フィゾーとは良い関係を持ち続け


初めの時期は協同研究をしていました。


 

1847年頃からフィゾーとフーコーはそれぞれ独自に


研究を進めます。歯車を使いフィゾーが光速度を求め、


回転している鏡を使いフーコーは


媒質中の光速度の差異を求めました。


私が何より興味深いのはフーコーやフィゾーの


頭の中にある理論的な考察が


閃きによって実験に昇華するプロセスです。


大抵の考えは実験で確認するまで分からないことが


沢山出てきます。特定の理論はあくまでモデルの


一つなので、より厳密に考えていったら、


その時に知られてるモデルが適用できない場合もありうる


のです。必要に応じて適用モデルの修正が必要です。


フーコーは理論的な原理を優れた実験で


わかり易く示したと言えます。


それはとても秀逸な実験でした。




 




以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
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2020/08/29_初版投稿
2021/8/27_改定投稿


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【2021年8月時点での対応英訳】



Foucault's famous experiment


Foucault is famous for its device called "Foucault Pendulum". The movement of the pendulum reflects the movement of the earth. You can see it at science museums in various countries. You can see it in China, South Korea, and the United States.


You can see it in dozens of places nationwide, including the National Museum of Nature and Science in Japan. Because the movement of the pendulum is a movement bound by inertia that repeats independently from the time of the earth.


As the movement of the earth progresses, it shifts from north, south, east, and west. The deviation will return to its original position after 24 hours. Gradually deviate from the direction of rotation of the earth


It will return to its original position after 24 hours. It is easiest to understand if the target pendulum is installed in the North Pole or the South Pole. It is difficult to understand on the equator. We have experimentally clarified the rotation of the earth by making full use of such excellent experiments that anyone can understand. We will finally prove the hypothesis in a public experiment at Pantheon in 1851.



Foucault's experimental construction


Foucault was born to his father, who was in the printing business in Paris, France. He has been fond of scientific crafts since he was a child. He was sick and aspired to medicine when he was a kid, but he gave up on becoming a doctor because he had blood phobia.


As a teenager, Foucault, who was improving his photographic skills, became acquainted with physicist Hippolyte Fizeau and deepened his interaction. He continued to have a good relationship with Fizeau and was doing collaborative research in the early days.


From around 1847, Fizeau and Foucault will carry out their own research. Using gears, Fizeau calculated the speed of light, and using a rotating mirror, Foucault calculated the difference in the speed of light in the medium.


What is most interesting to me is the process by which the theoretical considerations in Foucault and Fizeau's mind are sublimated into experiments by inspiration.


There are many things that most ideas cannot be understood until they are confirmed by experiments. A specific theory is just one of the models, so if you think more strictly,


It is possible that the model known at that time is not applicable. The application model needs to be modified if necessary. Foucault can be said to have demonstrated his theoretical principles in an easy-to-understand manner through excellent experiments. It was a very good experiment.



アーサー・コンプトン
【1892年生まれ-9/3原稿改定】

「コンプトン」の原稿を投稿します。原稿文字数は1344文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


アメリカのコンプトンは波動の粒子性を示した実績と


マンハッタン計画で指導的役割を果たしたこと


知られています。コンプトンは1919年に英国の


キャンデビッシュ研究所に留学し、


そこでガンマ線の散乱・吸収を研究します。


そこで「波動のコンプトン効果」


を発見するのです。この考えは今では量子力学の


基幹をなしていますが、大まかには以下の理解を


していれば良いと思います。つまり、


「微視的に物事を考え始めた時に粒子性と


波動性が同時に具現化する」


ということです。


その考えで話を進めると自由電子により散乱された


X線量子がより長い波長となるという事実に対して


「波長が長くなる状態」つまり


「光線のエネルギーが落ちる状態」で


子性に着目して弾性散乱の視点で考えていくのです。


具体的に量子力学では不確定関係という枠組みで物事を考えますので2つの値が同時に確定しなかったりします。例えば位置と運動量を同時に確定しません。また、時間とエネルギーを同時に確定しません。但し、時間×エネルギーや位置×運動量といった値を物理量として確定出来るのです。これは作用と呼ばれる次元の物理量です。時間という物理量やエネルギーという物理量と関連していますが異なります。


以上は量子力学を理解した人々には納得出来ても一般の人々には中々説明がし辛い部分です。誤解無く伝わっているかいつも不安になります。そんな意識改革をコンプトンが進めていたのですね。波動として考えていたガンマ線やX線に粒子性を見出したのです。


また、コンプトンはマンハッタン計画を進めた


主要メンバーでもあります。そもそも原子爆弾は


原子炉の製造から計画しなければいけません。


そこでウランをプルトニウムに変換して、プルトニウムと


ウランの混合物からプルトニウムを分離するプロセス


が必要です。コンプトンはこのプロセスをSEとして


設計してプロジェクトが進んでいく現場で働きました。


また、原子爆弾を兵器として使用するには


敵国で使用時に、出来るだけ早くに最大限の攻撃力を


発揮しなといけませんが、そうした損傷兵器


の仕組みをを設計する方法についても


コンプトンは計画をしていきました。


なお同計画はオッペンハイマーの設計もあり、


フェルミローレンスとの議論も経ています。


全米の知能を集め計画を進めていたのです。


 

そしてコンプトンの業績はノーベル賞を初めとする


々たる栄誉で称えられています。


それと同時に、


マンハッタン計画の主導者として


計画自体の是非を論じる際に


何度もその名があがります。


もともとは、


コンプトンはもともと星の好きな少年でした。


そんな所からガンマ線の究明に話が進みましたが、


彼の名はガンマ線検出の為の


NASAの衛星に残されています。






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2020/11/07_初稿投稿
2021/09/03_改定投稿


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2021年09月02日

ルイ・ド・ブロイ
【1892年生まれ-9/2原稿改定】

「ドブロイ」の原稿を投稿します。原稿文字数は2882文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。
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【1892年8月15日生れ~1987年3月19日没】



ルイ・ド・ブロイはフランス貴族、公爵の血を引いてます。


その血筋は由緒正しいのです。そもそも、


フランス国王ルイ14世により授爵頂いていた


名門貴族・ブロイ家の血筋であって、ルイ・ド・ブロイは


直系子孫です。兄の没後は兄に子供が居なかった


事情もあって、正式に侯爵家の当主を務めています。


ルイ・ド・ブロイはフランスの首相を二期務めた第4代の


当主であるアルベール・ド・ブロイの孫です。それだから、


ルイの生誕時に、その父は当時公子でした。


こんな逸話が沢山あるのですね。


そんなルイ・ド・ブロイは独自に優れた仮説を進め、


ド・ブロイ波(物質波)の考えにたどり着くのです。


そのルイ・ド・ブロイの考えは初め、


中々理解されませんでした。


関連して超有名なエピソードがあります。


ルイ・ドブロイの博士論文の審査過程で教授達が


ド・ブロイの考えを理解出来ず、


有名なアインシュタインに意見を求めたたのです。


すると、「ド・ブロイの考えは博士論文よりも


ノーベル賞に値する」とアインシュタインから評価され、


絶賛され、更に物質波の考えを進めていく事が出来たのです。


その考えはパラダイムシフトでした。粒子の二面性の考えは


現在の量子力学の根幹をなしていて、とても大事な考えです。


ドブロイを含めた学者達が議論を重ね、


当時の物理学の常識を変えていったのです。


 

波が粒子性を持つのと同時に、粒子である


と考えられていた電子も、実際には波動性を持つだろう


という考えがドブロイ波の本質です。


現代の量子力学の理解ではこの二面性は当たり前ですが、


波動性を持つ故に特定元素の周りを周期的に運動する


と考えた時に電子は特定波長の整数倍のみ許された


軌道を描いていると考えられるのです。


実際に我々は原子の周りを運動する電子を


直接の観測にかける事は出来ません。しかし、


水素、ヘリウム、リチウム、、と色々な原子を考えて


いった時に、それらを構成する陽子と中性子の


結合条件を詳細に吟味した結果として電子の軌道半径


は規則があり、ド・ブロイ波の理論が理に叶うのです。


逆に考えれば特定波長の整数倍の運動しか、


その電子には許されないのです。


特定原子核の周りを回る電子は


特徴的な波長の整数倍を定常状態として周期運動を続け、


定常状態間の遷移が起きる際に放射線が生じる事実は、


ドブロイを初めとする考えがあってこそ


成立する概念なのです。それこそが電子の存在なのです。


 

実際に数年後にルイ・ド・ブロイはノーベル賞


を受賞します。いつの時代も中々、


新しい考えは理解出来されないものですね。







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J・P・ジュール
【1818年生まれ‐9/2原稿改定】

「ジュール」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は4919文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
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その名を書き下すと
ジェームズ・プレスコット・ジュール_
: James Prescott Joule。


イギリスに生まれたジュールは生涯、実験家として


実験を続け、科学史に残る多くの実験成果を残しました。


一生を通じて大学等で研究職に従事する事はなく、


家業としての醸造業を営むかたわらで


研究をしていました。そんな生活の中で


ジュールの法則、熱の仕事当量の数値化


等の業績を残したのです。


 

分かり易いジュールの業績@


ここで一般の人でも更に少しでも分かり易い


表現をしてみたいと思います。


ニュートンが考え始めた力学の考えは


物体の運動を表す手段としてとても便利でした。


リンゴみたいな球状の運動は質点の運動


と等価だと考得る事が出来て、


空気抵抗や摩擦といった


外乱の概念も取り入れやすかったのです。


また、マクスウェルらが確立していった


電気の学問体系でもその仕事を議論して


数値化出来ました。一方で温度計で測る


熱というパラメターは運動の世界とは別に


話されていく現象でした。熱に応じて物質が


変質していったりする話は


運動の話をしている話とは繋がり難かったのです。


ジュールは電気や運動の話で出てくる


「仕事」という概念と「熱」という概念を結びつけました。

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そうした作業でジュールは熱力学の発展に大きく貢献しました。今でも熱量の単位にはジュールを使っていて、その名は色々な人が耳にします。ジュールは病弱だったので正規の学校教育は全く受けていません。自宅で家庭教師をつけて学習を行っていました。その1人には、原子論で有名なジョン・ドルトンがいて、3年間にわたり科学や数学の初歩を教えていたと言われています。



分かり易いジュールの業績A


ジュールの確立した概念である熱量は高校生でも分かる物理量とつながります。具体的に熱量Qは、流した電流Iの自乗と、導体の電気抵抗Rに比例していて





 Q=RI^2 。


これは現在ジュールの法則と呼ばれています。またジュールは、おもりの力によって水中でコイルを回転させる実験細管からの水の圧出による発熱を測定する実験を行い熱の仕事当量の測定を行って、熱自体が仕事に転化すると示したのです。最終的には羽根車による熱の仕事当量測定装置を使います。







Credit:Wikipedia

ジュールの業績


そうした活動の中で、ジュールはトムソン、ジョージ・ストークス、マイケル・ファラデーと意見交換をするようになり自宅で実験を続けた結果、確かに膨張させると温度が下がることが定量的に確認出来たのです。今ではジュール=トムソン効果と呼んでいる現象でした。




実験の行き過ぎでご近所さんから苦情を受けたり、奥様が亡くなったり、電車の事故を目の当たりにしたりしてジュールの気分は沈み、引きこもり生活を送っていた時期もあったようです。そんなこともあり、マンチェスターに大学が出来ても教授職にはつきませんでした。


晩年ジュールは公的な年金や補助金を財源にして実験をしていました。裕福だったジュール家は実験に私財を捧げてしまった、とも言われています。ジュール自身はセールにて70歳で亡くなっています。そして、その墓石には仕事当量の値が刻まれています。






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2021/04/04_初稿投稿
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【2021年9月時点での対応英訳】



If you write down the name:
James Prescott Joule.


Born in England, Jules continued to experiment as an experimenter throughout his life, leaving behind many experimental results in the history of science.


Jules did not engage in research at universities throughout his life and was doing his research while running the brewing industry as a family business. In his life, he left behind achievements such as Joule's law and the quantification of the work equivalent of heat.
Here, he would like to make the expression even a little easier for the general public.


The idea of ​​mechanics that Newton began to think of was very convenient as a means of expressing the motion of an object. You can replace spherical motion like an apple   by mass motion, and it was easy to incorporate the concept of disturbance such as air resistance and friction.


People in such time also discussed and quantified in the electrical academic system as Maxwell et al had established. On the other hand, the parameter of heat measured by a thermometer was a phenomenon that people talked about separately from the world of exercise. The story of substances changing in response to heat


It was hard to connect with the story of exercising. Jules combined the concept of "work" with the concept of "heat" that comes up in the story of electricity and exercise.



Works of Jule


In such work, Jules contributed greatly to the development of thermodynamics. Joule is still used as the unit of heat, and many people hear the name. Jules was ill, so he has no formal school education. He was studying at home with a tutor. One of them is said to be John Dalton, who is famous for atomism, who taught the basics of science and mathematics for three years.


The amount of heat, which is Joule's established concept, is connected to the physical quantity that even high school students can understand. Specifically, the amount of heat Q is proportional to the square of the flowing current I and the electrical resistance R of the conductor.


Q = RI ^ 2


This is now called Joule's law. Joule also conducted an experiment to measure the heat generated by the extrusion of water from an experimental capillary tube that rotates a coil in water by the force of a weight, measured the work equivalent of heat, and showed that the heat itself is converted to work. is. Eventually he uses a mechanical equivalent of heat measurer with an impeller.



In such activities, Jules began exchanging opinions with Thomson, George Stokes, and Michael Faraday, and as a result of continuing experiments at his home, it was confirmed quantitatively that the temperature would drop when inflated. It was. It was a phenomenon had known the Joule-Thomson effect.


Later life of Jule


There was a time when Jules' enviroment depressed his mood and he was living a withdrawn life because he received complaints from his neighbors due to the excessive experimentation, his wife died, and he witnessed a train accident. For that reason, even if a university was established in Manchester, Jules couldn't get a professorship.


In his later years Jules was experimenting with public pensions and subsidies. Some people said that the wealthy Jules family has dedicated their fortune to his experiments. Jules himself died on sale at the age of 70. And his tombstone had shown with the value of his work equivalent.


J・R・マイヤー
【1814年生まれ-9/1原稿改定】

「マイヤー」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は3478文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾ関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
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【1814年11月25日生まれ ~ 1878年3月20日没】




エネルギーの概念の提唱者マイヤー

その名を書き下すとユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー_
Julius Robert von Mayer,

ドイツの物理学者で。熱と仕事が互いに変換することが

可能だと考え、エネルギー保存の法則、および

比熱に関するマイヤーの関係式でよく知られています。

先ず、マイヤーはチュービンゲン大学で医学を学びました。実験が好きだったマイヤーは大学で医学の他に化学の講義も受けていました。同時に学生組合を組織して当局と対立したりもしていたようです。結果としてマイヤーには停学処分が下されてしまいます。ところが、マイヤーは負げずに停学期間を利用して、有益な時間を過ごしていたようです。しぶとい男ですね。

熱とエネルギーを考えたマイヤー

その後、見聞を広めるべくマイヤーはオランダの植民地で軍医となります。東インド諸島での航海中にマイヤーはある点に気付きます。瀉血になった船員の静脈血は、寒い地域のそれより鮮やかな赤い色をしていたのです。マイヤーが設けた仮説は

@血中酸素が多いと血液は赤い

A熱帯では酸素は余り
必要ないのではないか

B熱帯では体温維持に
必要な酸素が少なくて良い。

それだから熱と運動の関係性についてさらに推論を進めると、酸素の消費は「体温の維持」にも関係するし、「人間の運動の結果」にも関係するのであろう。だから熱と運動とは何らかのかかわりがあるのではないかと思われたのです。独自の視点ですね。その後も独自に実験を繰り広げます。

マイヤーはニュートン力学での力や熱、電気に由来する力を広く捉えて、後に仕事量で示されるような概念を想定します。それまで別に議論されてきた物理量のあいだでやり取りがなされ、後のエネルギー保存則を確立していきます。

ヘルマン・フォン・ヘルムホルツやリービッヒもマイヤーの業績を評価していき、その結果として、マイヤーは、より広く知られるようになりました。王立協会よりコプリ・メダルも送られています。そして、メダルを受けた7年後の1878年3月20日に、64歳で亡くなりました。エルンスト・マッハは「マイヤーは自然の探求において、比類なく重要かつ広汎な見識をもっていた」と評価しています。とくに、その評価はエネルギーの概念の確立に貢献した点が大きく、エネルギーの概念の提唱者として評価する人も居ました。








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2021/04/03_初稿投稿
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【2021年9月時点での対応英訳】

If you write down the name,
Julius Robert von Mayer,

A German physicist. He believes that heat and work can be converted to each other, and is well known for the law of conservation of energy and Mayer's relations for specific heat.

First, Meyer studied medicine at the University of Tubingen. He liked experiments, and Meyer also took chemistry lectures in addition to medicine at university. He also seems to have organized a student union and confronted the authorities at the same time. As a result, Meyer will be suspended.

Mayer and Energy

However, Meyer seemed to have had a good time taking advantage of his suspension period without losing. He is a reluctant man. Later, Meyer became a surgeon in the Dutch colony to spread his knowledge. During his voyage in the East Indies, Meyer notices something. The venous blood of the phlebotomized sailors had a brighter red color than that of cold regions. Meyer's hypothesis is

@ Blood is red when there is a lot of oxygen in the blood

A There is too much oxygen in the tropics
Isn't it necessary?

B To maintain body temperature in the tropics
It requires less oxygen.

Therefore, further inference about the relationship between heat and exercise suggests that oxygen consumption is related to "maintenance of body temperature" and "results of human exercise". That's why I suspected that heat and exercise had something to do with each other. It's his unique perspective. After that, we will continue to experiment independently.

Meyer broadly captures forces in Newtonian mechanics, heat, and forces derived from electricity, and envisions concepts that will be shown later in terms of workload. He interacts between the physical quantities that have been discussed separately, and later establishes the law of conservation of energy.

Hermann von Helmholtz and Liebig also evaluated Meyer's achievements, and as a result, Meyer became more widely known. He has also been sent a Copley Medal by the Royal Society. He died at the age of 64 on March 20, 1878, seven years after receiving his medal. "Meyer had an unparalleled importance and widespread insight in the quest for nature," Ernst Mach said. In particular, the evaluation contributed greatly to the establishment of the concept of energy, and some people evaluated it as an advocate of the concept of energy.

2021年09月01日

J・チャドウィック
【1891年生まれ-9/1原稿改定】

「チャドウィック」の原稿を投稿します。原稿文字数は1205文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。
作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1891年10月20日 ~ 1974年7月24日】

ジェームズ・チャドウィックは研究環境で恵まれていました。

マンチェスター大学の時代からラザフォードの指導を受け、

海外修業時代にはガイガーの下で放射線計測の知見を

積み上げました。開発されたばかりのガイガーカウンター

を使い放射線特性での実績をあげます。第一次大戦終了後は

ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で再び

ラザフォードの下で研究を続けます。ドクター修了後も

10年以上、ラザフォードの助手を務めていました。

キャンデビッシュ研究所での討論や助言は多分に

有益だったであろうと思われます。チャドウィック以外

にも有能な研究者達が集まっていました。その中で

議論を交わしたのです。そんな中でチャドウィックは

中性子を発見していきます。ベリリウムにアルファ粒子を衝突

させたボーテ【Walther Bothe(独)】の

1950年代の実験でチャドウィックは知見を得て

電荷をもたない理論的な粒子である「中性子」

を予感し考察を進め、キューリ夫妻の息子である

イレーヌ・ジョリオ=キュリーによるポロニウムとベリリウム

の行った1932年の実験検証を進めます。実験装置を工夫し、

理論を完成させます。原子核の理解にとって大きな前進

です。中性子が説明されたのです。ハイゼンベルク が

中性子とは陽子と電子の組ではなく新たな核子であると

考察していましたが質量は未確定でした。

その時点では実態の完全把握が未完でした。そうした

中性に対してチャドウィックは明確に質量を示し、

重陽子の光壊変によって中性子質量を確定します。

その発見で原子構造をまた一つ明らかにしたのです。

更にチャドウィックは

中性子がガン治療に有益であろうと考えます。

ただ残念な事に、チャドウィックの時代は

世界大戦の時代と重なります。マンハッタン計画では

イギリスチームのリーダーとして計画を進めていました。

トリニティー実験も目の当たりにしたようです。

自身が心血を注いで作り上げた概念が政治的に

利用されていく有り様をチャドウィックは、

どう感じていたのでしょうか。不満だった筈です。

その他、パウリとの議論の発展、

サイクルトロンの導入、ノーベル賞の賞金の

使い道について追って、きちんと整理して再投稿したいです。

本稿はひとまず筆を納めます。

チャドウィックはキーズ・カレッジの学寮長

として晩年を過ごしています。そして、リヴァプール大学

には彼の名を冠した研究所が残っています。








以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/29_初回投稿
2021/09/01改定投稿

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