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2021年07月31日

J・R・オッペンハイマー
【1904年生まれ-2021/7/31原稿改定】

「オッペンハイマー」の原稿を投稿します。原稿文字数は1713文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/30(金)朝の時点でフォロワーは合計【12092】でした。定点記録を残すと、7/23と7/25と7/30でf/f数は、
コウジ改 SyvE.804/3599と826/3625と868/3655.
バンドリ sv2F.810/2666と824/2682と860/2720.
浩司   BLLp.578/2339と585/2340と609/2378.
kouji kouji.1971/3298と1992/3309と2018/3339.
作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1904年4月22日生まれ~1967年2月18日没】



オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面


ありますが、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)


では学生からオッピーという愛称で呼ばれていた


側面もありました。オッペンハイマーの人生は


喜怒哀楽に満ちています。


オッペンハイマーの人生を考えるにあたり、


第一の着眼点としては彼もユダヤ系の血を


引いているという点です。ヒットラーが民族としての


ユダヤ人達に焦点を当て迫害し、敵視していた現実は


動かしがたい事実です。強制収容所に連行


されるような世相の中でユダヤ人達は非常な


危機感を感じていたはずです。その危機感の中で


20世紀初頭の歴史は、天才達が育ち・団結して


新しい物を生み出していたのではないでしょうか。


そんな時代に兵器製造の行為は肯定される話


ではないのですが、当時の論客もユダヤ人迫害


から話を初めて、マンハッタン計画に進む流れ


を紹介していき、大衆に納得し易い話を組み立て


られたでしょう。


それ以降100年近くがたとうとしていますが、この考えは幾多の人が繰り広げてきたのではないかと思えますが、再度、私も強調します。具体的な登場人物はアインシュタイン 、シュテルンマックス・ボルンD・J・ボーム 、E・パウリ 、ランダウファインマン


そして今回ご紹介するオッペンハイマーです。(今は此処迄しか思い浮かびませんが後日、思い付くたびに追記します。)
そうしたメンバーがもたらした今世紀初頭の物理学の進展は急速でした。その進展は物理学に留まらず、工学、産業、果ては政治体制に繋がっていきました。1917年ロシア革命に始まった社会体制の変化とも同期していた、と言えるのでは無いでしょうか。今世紀初頭の閉塞感は、それを打ち破る様々な努力によって大きく様変わりしていたと思えます。そして、昨今コロナで不満が高まり、米中関係が緊張していく世相は、やもすれば危ない世界に近づいてるようにも思えます。各人で理性的な判断・発言をしましょう。今、方向付けが重要です。


さて実際、オッパンハイマーは最終的に


6つの言葉を操ります。少年時代には


鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示し


ハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学


します。そこから理論物理学のゲッティンゲン大学


に進みボルンと出会います。オッペンハイマーは


ボルンの指導の下で研究を進め共同で


ボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。


その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学や


UCBで教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴い、


オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の


初代所長に任命されます。そこで原爆を開発したのです。


この仕事は、世界のパワー・バランスを変え、


後の世界を大きく変えました。


晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、後悔の言葉さえ残しています。戦争時代の原爆開発・使用は国としてのアメリカの中で必要と判断されていましたが、それ以後の時代では原爆を使わなくても各国が持つだけで攻撃対象とされたりしますし、外交で原爆が脅迫の道具として使われていたりします。


そういったことにつながった発明を


オッペンハイマーは「罪」として捉えていて、


水爆の開発には反対していたりもしました。


オッペンハイマーには別の罪(?)もあります。


オッペンハイマーの時代はは冷戦時代なので


学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、


最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。


常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)


の監視下にあったのです。1965年、


がんの為にニュージャージーの自宅で


静かに生涯を終えました。合掌。






以上、間違い・ご意見は
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最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。


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2020/09/21_初稿投稿
2021/07/31_改定投稿


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ポール・ディラック
【1902年生まれ-2021/7/31原稿改定】

「ディラック」の原稿を投稿します。原稿文字数は1899文字です。また、読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。またオンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきます。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。定点記録を残すと、7/23と7/25でf/f数は、
コウジ改 SyvE.804/3599と826/3625.
バンドリ sv2F.810/2666と824/2682.
浩司   BLLp.578/2339と585/2340.
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作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1902年8月8日生まれ ~ 1984年10月】



イギリスのディラックは


とても謙虚で無口な人でした。


ノーベル賞が決まった際には、


有名になる事を恐れて受賞の辞退を


考えていた様です。そんな人なのですが、


20世紀初頭の天才達がひしめく中で


ファインマンハイゼンベルクシュレディンガーなど


と量子力学を確立します。特にシュレディンガーとは


同じタイミングでノーベル賞を受賞します。


ディラックの人柄を考えるにあたり少し、


その家族について言及します。


ディラックが10代後半の時期にスイスから


家族は国籍を移しています。そしてディラックの


性格形成を語っていく上で家庭環境は大きな要素


だったようです。まず1924年にディラックの


兄が自ら命を断っています。


色々考えた末だったのでしょうか。


ディラック自身も、その父と会話し辛い


場面が多々あったようです。そして、


極端に無口な人になっていったようです。


しかしディラックは、闇に沈まずに数学を駆使して輝かしい成果を残しています。特にデルタ関数やブラケット記法は素晴らしいのです。そんな足跡を沢山残しました。
ブラケット記法とは日本語で「括弧」
の記号を使った表記です。その定式化では
カギカッコ<>の形の 「<」 の部分
だけを「ブラベクトル」と呼び
カギカッコ<>の形の 「>」 の部分
だけを「ケットベクトル」と呼びます。
非常に分り易い表現でブラの部分がベクトル量
に相当してケットの部分が、それと作用するベクトル量に相当する定式化です。作用する前のケットが固有値を持つ場合に固有状態を持つと表現されます。ここでのベクトルがヒルベルトベクトル(無限次元に対応)であることが学部時代の私にとって感動的でした。一瞬にして物理量に対応する状態が記述された気がしました。一次元が線で、二次元が平面で、三次元が立体空間だというくらいしか想像がつかなかった高校時代から想像は大きく膨らみ、いきなり無限次元に話が拡張したのです。一つのベクトルが多くの情報を担います。他方でデルタ関数は観測が一瞬にして波束の収縮を引き起こす様子を表現していると思います。こうした定式化をディラックは進め、理論から提唱される物質を考え出しています。具体的に反物質と呼ぶ存在がいくつも提唱され、見つかっています。反物質は寿命が通常の物質より若干短かったりしますので日常的ではありませんが、粒子の生成消滅を論じたりする際に大事な要素です。陽子には反陽子があり中性子には反中性子があります。


そして、何よりディラックは無口な人です。多くの成果を出していく中で各国の物理学会で招待する動きがあって日本にも来ていたようです。ただ性格が性格でですので余り逸話が残っていません。「仁科さんとお茶飲んだ時に・・・」みたいな話が残っていないのです。無論、歳下の朝永さんとか湯川さんは尚更の事、話しづらかったと思えます。話しかけても無言だったのでしょう。多分オランダでも日常会話はほとんどなかったと思われます。ケンブリッジでは「1Dirac」という単位を使われていました。仲間内での意味としては
「1Word/1Hours」が「1Dirac」に相当して
一時間あたりに単語二つを使ったら「2Dirac」消費されたとして換算されました。ディラックは一時間に数Dirac程度しか言葉を残さなかったそうです。


しかし、そんなディラックは真面目な性格、人を騙さない性格もあって周囲から大事にされていた様子が伺われます。このブログのTOP画面で使っている集合写真でも真ん中の列の中央に居ます。若き天才ディラックをアインシュタインやキューリ夫人が尊重して「君の研究は素晴らしい。これからも頑張って下さいよ!」といった気持で尊重しているような気がするのです。そして、
ディラックはイギリスの伝統を受け継いだ人でもあります。
ケンブリッジではルーカス教授職を務めました。この名誉は初代・アイザック・バローから始まり二代目・アイザック・ニュートンと続き、最近では宇宙論で名を成したS・W・ホーキング博士が受け継いでいます。





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2020/08/17_初稿投稿
2021/07/31_改定投稿


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ジョン・A・フレミング
【1849年生まれ-2021/07/31-原稿改定】

「フレミング」の原稿を投稿します。原稿文字数は776文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】



まず、イギリスに生まれたフレミングはケンブリッジで


マクスウェルの師事を受けました。フレミング曰く、


マクスウェルの講義は


「逆説的で暗示的な言い方」(Wikipediaより引用)な表現


を含んでいて非常に分かり辛くて不明瞭であったそうです。


当然、そんな講義は学生に不人気で時には


講義を聴いていたのはフレミング一人の時もあったそうです。


物理屋さんにありがちなとぼけた類のエピソードですね。


酷いと言えば酷い話です。


 

フレミングは左手の法則で有名です。簡単に言えば


「左手で直交3軸を作った時に、長い指から・
電(でん)・磁(じ)・力(りょく)です。


より、細かく説明すると磁場中に電気が流れていると


その電気導線に対して力が生じます。


電(でん)・磁(じ)・力(りょく)をそれぞれ
q(でん)・B(じ)・F(りょく)で考えて


荷電粒子の速度をvとすると、


外積:×を使ってF=q(v×B) です。


高校レベルの天下り的な覚え方ですが、


現象として実験事実に即していると考えると


非常に洗練された結果であるとも言えますね。


また、真空管の発明者としても有名です。今日の電子工学の始まりだとも言われています。工学の世界で色々な発明を重ねました。そんなフレミングは子供にこそ恵まれませんでしたが2度の結婚をして、アメリカテレビジョン学会の初代会長を務めたりしながら余生を過ごしました。


 





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2020/09/23_初稿投稿
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アーネスト・ラザフォード【1871年生まれ‐2021/7/31原稿改定】

【1871年8月30日 ~ 1937年10月19日】


「ティコ・ブラーェ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1261文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】



その名は正確にはアーネスト・ラザフォード_
Ernest Rutherford, 1st Baron
Rutherford of Nelson, OM, FRS,
初代のネルソン卿_ラザフォード男爵です。


ラザフォードはニュージーランドに生まれ数学で


マスターの学位をとった後に、奨学金を得てイギリスの


ケンブリッジ大学に進みます。そこでラザフォード


JJトムソンの指導のもとで


気体の電気伝導の研究をします。


導体ではない酸素や窒素などの「気体」中にも高い電圧を加えた時に放電現象が生じ、電気が流れます。雷を思い起こしてください。そんな、電気伝導の研究を進めるうちにラザフォードはウランから2つの放射線、α線とβ線が出ている事を発見します。ラザフォードは後に透過性の非常に強い放射線が電磁波である事を突き止め、半減期の概念を提唱します。


ラザフォードが考えた半減期の分かり易い例として、岩石の年代測定があります。特定の岩石に含まれる物質から出てくる放射線量を計測すれば、半減期の概念を使って形成から今迄、どのくらい時間が経っているか推定出来るのです。


ラザフォードは更に研究を続けました。ガラス管にα線を集め、そのスペクトル分析からα線とはヘリウム原子核であると突き詰めています。そして、1911年にはガイガー・マースデンとα線の散乱実験を行いました。有名なラザフォードの原子模型が提唱されたのです。原子には中心に原子核がありその周りを電子が運動しているというもので、現代でも使えるモデルです。長岡半太郎が提唱していたような表現法ではなく、ラザフォードは実験結果をもとに理論を展開します。具体的にはこの時に金箔に対してβ線(電子線)を当てた時に断線散乱に相当する軌跡が観測されます。金箔を構成する内部物質と電子はそれぞれ剛体ではないのですが相互に働くクーロン力が同じ効果をもたらすのです。ビリヤードの玉みたいな剛体と微細な粒子間の運動が同じ弾性モデルで表せる事は、感動的ともいえる事実です。


またラザフォードはその人柄もあって、原子物理学の父と呼ばれています。キャンデビッシュ研究所では若い研究所員たちに「ボーイズ!」と呼びかけていたりするような人でした。また彼はイギリスに帰化した人ではありますが、紳士として夏の砂浜でもスーツのジャケットを脱がないスタイルも頑なに守っていたようです。そして、原子番号104の元素は今、彼を偲んでラザホージウムと呼ばれています。






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本多光太郎
【1870年生まれ‐2021/07/31原稿改定】

「本多光太郎」の原稿を投稿します。原稿文字数は1328文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1870年3月24日生まれ ~ 1954年2月12日没】


 



本多光太郎について


 

本多光太郎は日本の鉄鋼業界での研究土壌を作り上げ、


研究者として多くの人材を育て上げた先人です。


彼の逸話を聞けば聞くほど人間臭い所が感じられて、


本人に会ってみたくなります。古い着物を着て、


靴底が擦り切れるまで靴を履き、雑種の犬を引きながら


大学に出勤していたようです。そんな人です。


本多光太郎は子供時代は学校の成績も悪くて、大柄な割に何時も青ばなをたらしてて、「はなたらしの光さん」と呼ばれていた学校嫌いの子供でした。そんな本多光太郎が東大に進学して理学系の物理学科を卒業します。今は理物と物工(りぶつ、と、ぶっこう)があるのでしょうが、当時はどうだったのでしょうか。その後に本多光太郎はドイツとイギリスに留学します。帰国後、東北大学で教授を務め理化学研究所で研究を進める中で有名な「KS鋼」を発明します。本多光太郎は金属に対しての材料物性学の研究を世界に先駆けて始めていました。より性能の優れた材料を作り上げる為に所謂「冶金」の過程を研究していったのです。


KS鋼(新KS鋼)は発明時に世界最強の永久磁石でした。


現代での硬質磁性材料に繋がる研究の端緒をつけたのです。


それまで刀などの特定目的で鍛えられてきた日本の鉄が


工業生産に耐える性能を備えて差別化出来るように


なっていくのです。この発明がなされてから益々、


各種産業で多くの日本の鉄が使われていくのです。



本多光太郎と実験


 

なにより、本多光太郎は無類の実験好きでした。「今日は晴れているから実験しよう」と言いながら実験を始めたり、「今日は雨だから実験しよう」と言って実験を続けたりしていました。結婚式をあげた時に本多光太郎本人が居なかったので探しに行ったら実験室で実験をしていたという。とぼけたエピソードもあります。全般的に身の回りの細かい事は気にかけない大雑把な人でした。そんな本多光太郎は組織を育て人を育てたことで有名です。要職を務めたり創設に携わった研究機関を羅列すると、



東北帝国大学附属鉄鋼研究所、

東北帝国大学総長、

千葉工業大学設立、

}東京理科大学初代学長、

日本金属学会創設初代会長、

後の電磁研初代理事長


です。
指導している仲間に対しては毎日のように「どんな状況?」と実験の具合を尋ねていき、論文に対して細かく意見を加えていたそうです。


最後に本多光太郎の言葉を残します
「今が大切」「つとめてやむな」


私にはトーマス・マンの
「くよくよするな働け」という言葉と重なります。
各人の人生・やりがいと、つながる言葉です。
本多光太郎は仕事として、人生として「実験を
何時までも考えていた人」だったのでしょう。






〆最後に〆


 

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ロバート・ミリカン
【1868年生まれ‐2021/7/31原稿改定】

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ミリカンは非常に優れたアメリカの実験家でした。


コロンビア大学で物理学の博士号をとりますが、ミリカンが


同大学での初めての物理博士習得者だったそうです。


光に粒子性と波動性がある事を実証していく段階で


波動性を前面に出した理論を展開していきます。


ただ、実験事実として粒子性を前提に考えた実験が


非常につじつまの合う結果を出していたことに


ミリカン自身も自問自答を繰返したと思えます。


結果としてアインシュタインが論じた光電効果を


ミリカンも実験的に裏付けます。また、そうした


実験と光の波長からプランク定数を定めました。


加えて、電気素量を導き出した実験も見事です。


金属板の間の液体の運動を考え、ミリカンらは


重力の効果に対してクーロン力の兼ね合いを考えて厳密に


計測値が求まる油滴の重量から電気素量を導きます。


この油滴の実験の素晴らしい所は量子化する事で電子の


粒子性を示した点です。電流が計測されるイメージを考えて


みた時に、その担い手の電子が連続量なのか粒子のように


考えられるか、当時は不確かだったのです。


この2つの業績でミリカンはノーベル賞を受けました。


また、ミリカンは非常に優れた教育者として


多くの教科書を世に送り、その中で少し先んじた


概念を紹介しています。更にミリカンは


カリフォルニア工科大学の創設に大きく関わりました。


今でも同大学に彼の名を冠した建物があるそうです。


【そもそも米国の通例で、1号館と言う代わりに
ミリカン・ホールという名をつけたりします】





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L・E・ボルツマン【2021/7/31-原稿改定】

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ボルツマンの生い立ち


その名はLudwig Eduard Boltzmann。


ボルツマンはオーストリア・ウィーン出身の


物理学者にして哲学者です。カノニカルな(統計的な)


議論の他に電磁気学や熱力学、それらを扱う


数学の研究で業績を残しました。ウィーン生まれ。


子供時代にはピアニストであるA・ブルックナー


からピアノを学んでいます。


 

指導者としてのボルツマンの業績としては


エーレンフェストが博士論文を書く時の


指導が挙げられます。


エーレンフェストの定理にはボルツマンの


信念が込められていると言えるでしょう。また、


科学史から見てもボルツマンの原子認識の流れ


は大きな一歩だったと言えます。ここでの一歩が無ければ


素粒子やブラウン運動のイメージは湧かなかったでしょう。


 

ボルツマンの研究業績


そんなボルツマンの墓には


S=k LogWと書かれています。


そこでいうSとはエントロピーというパラメターで


対象系の乱雑さを表します。


k(またはkBと記載します)というパラメターを定めて


ボルツマンが定量化した概念です。


クラウジウスが使ったエントロピーを


ボルツマンが再定義した、とも言えます


「乱雑さ」は統計力学において


温度T、容積V、圧力P等と関連して


ボルツマンの関係式として定式化されました。


 

ボルツマンの研究業績の中で特に私が関心をもつのは


原子論に関しての現象把握です。観測に直接かからない


原子は色々な見方をされていました。そんな原子に対して


ボルツマンは「乱雑さ」または「無秩序」の度合いという


新しい物理量である「エントロピー」を使い


原子の実在に近づいていったのです。


結果として


対立する考えが物理学会で生じていて


原子モデルを使うボルツマンと、


実証主義で理論を進める


エルンスト・マッハの間で論争が続きます。


原子論モデルを大きく進めるプランクの登場まで


その後、何年間も必要なのです。


そして、残念なことに、、


ボルツマンは晩年に精神障害に悩み


自ら命を絶つという悲しい最期を遂げています。


ここで、暫し物理学は大きな


壁に突き当たってしまったように思えます。


沢山の天才達が問題の大きさに畏怖したのでしょう。


 

ボルツマンはピアノが好きでした。


花を手向ける場所がありますよね。



〆最後に〆





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ゾンマーフェルト
【2021/7/31原稿改定】

「ゾンマーフェルト」の原稿を投稿します。原稿文字数は1022文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1868年12月5日生まれ ~ 1951年4月26日没】



ドイツのゾンマーフェルトは


パウリハイゼンベルク の指導をして


育てあげた大きな実績があります。


この二人が抜けていたら


量子力学の発展は大きく遅れていたでしょう。


「とても意義深い仕事」をしてきた人達でした。


パウリもハイゼンベルグも


ゾンマーフェルトの研究室を離れた後に


対象の深い部分に対しての考察を進めています。


個人的には積分の経路に工夫を凝らして展開計算していった手法が印象的でした。そこがまさに電子軌道の自由度を考える事に繋がっていたかと思えました。。


ゾンマーフェルトの考えは


単純な円軌道で電子が運動しないで


楕円の軌跡を描く筈だと言う物です。


より詳細にはボーアの提唱した量子化条件を


進化させてより高次の拡張を展開していった


と言えるでしょう。同時期の


ウィルソンや石原純の理論も特筆すべきです。


【以下2原論文はWikipediaより引用しました】




  • Wilson, W. (1915). “The Quantum Theory of Radiation and Line Spectra”. Phil. Mag.. Series 6 29 (174): 795-802. doi:10.1080/14786440608635362.

  • Ishihara, J. (1915). “Die universelle Bedeutung dse Wirkungsquantums”. Tokyo Sugaku Buturigakkai Kizi. Ser. 2 8: 106–116. JOI:JST.Journalarchive/ptmps1907/8.106.


こういった話をしていて感じるのは
どうやっても見えない世界に何とか形を与える事は素晴らしい、と云うことですね。実際に形を与える事は文化的発展に繋がり世界を変えていくのです。ダイナミックな世界かと思います。日々の暮らしでは感じられない世界です。


 





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マリ・キュリー
【1867年生まれ‐2021/07/31原稿改定】

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【1867年11月7日生れ ~ 1934年7月4日没】


 


その名はマリア・スクウォドフスカ=キュリー


:Maria Salomea Skłodowska-Curieですが


フランス語でマリ・キューリと呼ばれる事が多いです。


彼女は物理学と化学で2度ノーベル賞を受けています。マリ・キューリの父は研究者でしたが貴族階級の出身だった為に、帝政ロシアの支配下の元で教壇に立つことを禁じられていました。マリ・キューリは10歳をなる前に大変苦労します。父の非合法の講義が発覚して職・住を失い、母の結核による他界があり、更には投機での失敗もあり、


マリーは親戚等の世話になります。





そんな苦しい時期にマリ・キューリにも


恋をした時間がありました。


当時、マリ・キューリは家庭教師を生業としていましたが、


カジュミェシュ・ゾラフスキという青年と恋仲に落ちます。


共に避暑旅行に出かけたりして幸せな時間を過ごしますが、


最終的には破局を迎えました。この事がマリ・キューリの


パリ行きに繋がった様です。


 

パリでもマリ・キューリは苦労します。


屋根裏部屋に住んで寒い時には


持っている全ての服を着ながら勉学に励みます。


そんなパリ生活は大学の学部を卒業する迄、続きました。


 

そんなマリ・キューリに


光明がさします。知り合いを通じて


ピエール・キューリと出会ったのです。


 

そのピエール・キューリは国外で


評価を受けていて1893年には英国の


ケルヴィン卿が訪ねてくる程でした。


ところが、ピエール・キューリは


勲章を辞退してしまうような性格で


ひたすら研究に励んでいました。


 

そんな二人が惹かれ合い、認め合い、


マリの帰国後もピエールは恋文を


贈り続け、遂にはマリの心が動き、


2人は簡素な結婚式をあげます。


幸せな結婚だったと思います。


祝いの宴もなく、結婚指輪も無い、


つつましい形式でしたが


祝い金で買った自転車に乗り、


フランスの片田舎へと新婚旅行に旅立ちます。


ピエールが自転車をこぎ、


その後ろにマリが乗り、長閑な道を


語りながら進んでいった事でしょう。


料理を頑張り、長女に恵まれながら学問を続け、


ベクレルの見出した放射線に対して


二人は研究していきました。


そこで。光や温度といったパラメターではなくウラン含有量の「量」が放射現象には本質的であるとの結論を得ます。その後、マリとピエールの夫妻は元素の精製に心血を注ぎます。純度をあげる事で
同位体の存在に近づいていったのです。関心のある精製にキューリー夫妻は全てを注ぎ込みます。結果として、夫ピエールは度重なる発作に苦しみ、妻マリは神経衰弱から睡眠時遊行症に陥ります。そんな中で


第2子を流産してしましました。


そうした犠牲を払い、新しい概念の提唱に至ります。


即ち、


「特定元素は別の元素へ変化する」


という事実です。


そして、その過程で放射線を放出して一見エネルギー保存の法則に相反する変化を起こしますが、それを追ってラザフォードらが研究成果を次々に発表します。原子核の崩壊過程では素粒子の結合に関わる様々なエネルギーが関与します。現在では簡素にダイヤグラムで理解する手法が確立されていますが、当時は手探りの状況理解でした。そして夫ピエールが放射線に医学的効果を期待出来ると発見をしていくのです。ラジウムの効果でした。微量のラジウムならば古くから「ラジウム温泉」の効果は広く知られていました(ただし、明確に「ラジウム」という言葉は使われていませんでした)。また、現在では分かっているのですが過度のラジウムは身体に悪影響を与えます。放射線の影響を直接・装置で患者に対して考慮し始めたのです。ピエールの発見は大きな人類の知見へと繋がっていきます。


当初は、妻マリーの博士学位習得が放射線研究の目的であったのですが最終的にはマリー・ピエール・ベクレルの3人に対してノーベル賞が贈られます。苦労してきた二人にとって、まさに栄誉の極みでした。


所が、その後突然の不幸が訪れました。夫ピエールが46歳の若さにして交通事故で命を落とすのです。妻マリーは悲痛にくれます。当然でした。その後、傷が癒えるまでに多くの言葉と時間が必要でしたが、最終的に妻マリーは夫ピエールの大学での職位と実験室の後任を引き継ぎます。研究者として活動を始めたのです。


マリー・キューリ―はケルヴィン卿と対峙します。夫を認めてくれていた恩人でもあるのですがケルビン卿はラジウムを元素ではなく化合物であると考えていたのです。マリーは実験事実で論破してケルビン卿の誤りを正しました。そしてカメリーオネスと低温状態のラジウム放射線を研究していこうと話を進めます。第一回ソルベー会議で論文を発表していた若き日のアインシュタインを評価して、チューリッヒ大学教職への推薦状を書いています。そうした当時の綺羅星の物理学者が彼女と交流を持ちました。反面、ゴシップ騒動に追われていた部分も有、マリーはマスコミを嫌います。二度目のノーベル賞を受ける際にはスウェーデン側からも授与を見合せる打診がありましたがマリーは毅然と対応して、ゴシップネタとされた関係を
「成果をあげた関係」であると語りました。
旦那様の教え子、ランジュバンとの成果でした。


そして、、、語らなければなりません。何より悲しかったのは放射線のもたらした弊害です。研究の過程で放射線被曝が重なりマリーは頭痛・耳鳴り・怪我がなかなか治らないといった障害に悩まされ続けます。そして終には死に至りますが、当時はまだその関連性が明確ではなかったようです。


波乱に満ちたマリー・キューリの人生は幕を閉じましたがその後人々は彼女の残した物を高く評価しています。1995年、夫妻の墓はパリのパンテオンに移されました。フランス史の偉人の一人として今でも祭られています。そして、物理の世界の偉人として世界中で語り継がれています。






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長岡半太郎
【1865年生まれ‐2021/7/31原稿改定】

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【1865年8月19日生まれ ~ 1950年12月11日没】



長岡半太郎の豊かな人脈


 

この長岡半太郎も湯川秀樹同様に大村藩の流れ


に生まれます。学生時代は東大で山川 健次郎


田中舘愛橘に学び、助教授としてドイツ留学していた


時期にボルツマンに学びます。それだから実証主義


の考え方も、留学以後は踏まえながら議論をしていった


のでしょうか。どこまで核心に迫っていったか


論じる際には当時の日本における量子論での


現象把握を考えると良いでしょう。そんな事を考えながら、


科学史の観点から論文を読んでみたくなりました。


別の面から調べてみたら話は進む時があると


思えるからです。そして長岡半太郎の子供時代は


学業成績は芳しくなかったようです。


この点は同時期の本多光太郎を思い出します。因みに、この二人に加わえて鈴木梅太郎の三人は理化学研究所の三太郎と呼ばれて居たそうです。携帯電話のコマーシャルで似たような人達居ましたね。



長岡半太郎の研究業績


長岡半太郎は田中舘愛橘と地震の論文を纏めたり、


本多光太郎と磁気の論文を纏めたりしていますが、


長岡半太郎の研究業績として大きいのは、


なんと言っても原子モデルでしょうボルツマン仕込みで


ミクロへの探求を進めていたのです。トムソン


ブドウパンの中のブドウのような形で


中心からの距離や軌跡と無関係に


電子の存在を仮定していたのに対し、


長岡半太郎は原子の周りを電子が回転する


土星のようなモデルを提唱しました。


この話は、不確定性関係と合わせて論じてみたいと思います。後に確立された不確定性関係では対象粒子の位置と運動量の関係が論じられます。この二要素が関連して論じられる訳です。その考え方の枠組みでは運動量が確定している電子に対して位置は不確定であって当然です。具体的には個体原子の位置は止まっていると見なせそうですが、動き回る電子の位置の確定が難しいのです。「運動量」の観測精度を高めている電子に対して位置情報はどんどんぼやけてきてしまいます。


時代を戻して長岡半太郎の時代に電子を観測


することを考えてみて、電子の挙動をとらえる


帯電物質を想定してみても帯電体の中を


動き回る電子の動きを止める事は出来ません。


電子とは何時も動いている物体だからです。


それだから、初めの時点での


モデル化の難しさが出てくるのです。


今日の物理学、特に量子力学的な知見では不完全なモデルとも言えますが、長岡半太郎のモデルは当時の原子モデルを大きく変えた点で高く評価出来ると思えます。全く知見の無かった原子という存在をに対して初期的なイメージを作る事が出来たのです。そのモデルをもとに帯電物質である電子の挙動が議論できたのです。
素晴らしいパラダイムシフトでした。



〆最後に〆





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ピーター・ゼーマン
【1865年生まれ‐2021/7/31原稿改定】

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【1865年5月25日生まれ ~ 1943年10月9日没】



その名の綴りはPieter Zeeman。ゼーマンは


オランダの小さな町ゾンネメレに生まれます。


ゼーマンはローレンツと同じ時代の理論家で


ローレンツと同時にノーベル賞を受賞してます。


当然、アインシュタインとも交流をもちます。


ゼーマンにとって幸運だったのは


ローレンツとカメリー・オンネスに師事した事


です。稀代の理論家と実験家の指導のもと、


ゼーマンは素晴らしい環境で育ちます。


そんなゼーマン等が出した結果がゼーマン効果です。


具体的には磁場中に置かれたナトリウム原子のスペクトル


を観察した時に、それが分裂していたのです。


ローレンツとゼーマンによってなされた説明は


ナトリウム原子の内部構造についてのものでした。


細かくは原子内部の電子が電荷を持ち、


磁場中では今で言う縮退状態からの開放される


ので(スピンの性質から)放射特性が変化するのです。


更には、その電荷の物理量が別に理論を進めていたJ.J.トムソンのそれと近しい値をとった事でローレンツとゼーマンの理論は説得力をもちました。結果、ノーベル賞が贈られます。


また、ノーベル賞受賞後に
ゼーマンはアムステルダムで
研究所を運営し、そこで電磁光学
の研究を進めています。特に、
移動する媒質の中での光の伝播
に関しても研究していますが、
それは相対論の形成に有益
ローレンツアインシュタイン
も評価していたと言われています。
因みにこの3人を考えると年齢順で
ローレンツ(1853年生まれ)
ゼーマン(1865年生まれ)
アインシュタイン(1879年生まれ)
の順番です。実験事実が確立していき、
相対性理論が熟成されていくのです。


ローレンツとゼーマンの素晴らしい
点はナトリウム原子の構造を
解明した手法にあったと思います。
実験結果の積み重ね、仮設の設定、
そして全てを使った理論構築の
モデルはその後に多くの学者が
活用可能な手法だったかと思えます。
その後に他の原子も次々と性格が
明らかにされていきます。






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ウィラード・ギブズ
【1839年2月11日 ~ 1903年4月28日-2021/7/31-原稿改定】

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【1839年2月11日生れ ~ 1903年4月28日没】



その名は正しくは


ジョサイア・ウィラード・ギブズ_


Josiah Willard Gibbsです。


米国コネチカット州に生まれて


イェール大学で博士号をとります。


その博士号はアメリカ大学での


最初の工学博士だったそうです。ギブズは


米国における物理学の先駆者だったのですね。





その後、


ギブスは修行時代として、


パリ、ベルリン、ハイデルベルクで


一年ずつ滞在します。


今の感覚ではピンとこないのですが、


彼の人生で地元を離れたのは


この三年間だけだったそうです。


ギブスの業績として大きいものは物理学への「統計手法」の導入でしょう。個々の粒子固有の性質は別として、粒子集団が持つ性質を統計的にまとめあげていく事でその性質が熱力学的な特性につながっていくのです。その考えをまとめた論文を読んだマクスウェルは大変感動をして、その思いを伝えるために石膏模型を作ったと言われています。そして、その抽象的な模型をギブスへ送ったのですが、模型は今でもイェール大学で大切に保管されているそうです。


数理的手法を物理学に取り入れたギブスですが、
その立場(スタンス)を表現している言葉をご紹介します。
A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.
【(私の訳)
数学者は望むがままに物事を言えますが、
物理学者は何とかして、しゃっきりと
物事を伝えなくてはいけないですよ。】
数学者と物理学者は社会から求められている物が違うので視点を変えていかねばいけないと駄目です。


最後に、戸田先生の教科書
【岩波書店から出ていた熱・統計力学の本】
でギブスの人柄を伝えるエピソード
が載っていたので
ご紹介します。
(小さな物語の始まりです)
ギブスは結婚をしないで父の残した家に
妹夫婦と共に住んでいました。
その家は彼の研究室から近い場所、
道を渡ったところにあって、
ギブスは午前の講義を終えた後に、
食事の為に家に戻っていました。
お昼を食べた後にギブスは
研究室に帰ってそこで過ごし、
夕方五時頃に散歩をしながら帰宅
するという静かな暮らし
を送っていました。何年も。何年も。
そして、
ギブスは妹の家事を手伝い、
一緒に料理もしました。
特に、不均一系の研究をしていたギブスは
サラダを混ぜる仕事がとても得意だったそうです。
うまく作業できた時には大層、
ご機嫌になれたでしょう。
そんな静かで温かい生活を重ねていました。






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本多光太郎
【1870年生まれ‐2021/7/31原稿改定】

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【1870年3月24日生まれ ~ 1954年2月12日没】


 



本多光太郎について


本多光太郎は日本の鉄鋼業界での研究土壌を作り上げ、


研究者として多くの人材を育て上げた偉人です。


彼の逸話を聞けば聞くほど人間臭い所が感じられて、


本人に会ってみたくなります。古い着物を着て、


靴底が擦り切れるまで靴を履き、雑種の犬を引きながら


大学に出勤していたようです。そんな人です。


本多光太郎は子供時代は学校の成績も悪くて、大柄な割に何時も青ばなをたらしてて、「はなたらしの光さん」と呼ばれていた学校嫌いの子供でした。そんな本多光太郎が東大に進学して理学系の物理学科を卒業します。今は理物と物工(りぶつ、と、ぶっこう)があるのでしょうが当時はどうだったのでしょうか。その後に本多光太郎はドイツとイギリスに留学します。帰国後、東北大学で教授を務め理化学研究所で研究を進める中で有名な「KS鋼」を発明します。本多光太郎は金属に対しての材料物性学の研究を世界に先駆けて始めていました。より性能の優れた材料を作り上げる為に所謂「冶金」の過程を研究していったのです。KS鋼(新KS鋼)は発明時に世界最強の永久磁石でした。現代での硬質磁性材料に繋がる研究の端緒をつけたのです。それまで刀などの特定目的で鍛えられてきた日本の鉄が工業生産に耐える性能を備えて差別化出来るようになっていくのです。各種産業で日本の鉄が沢山使われていくのです。



本多光太郎と実験


なにより、本多光太郎は無類の実験好きでした。「今日は晴れているから実験しよう」と言いながら実験を始めたり、「今日は雨だから実験しよう」と言って実験を続けたりしていました。結婚式をあげた時に本多光太郎本人が居なかったので探しに行ったら実験室で実験をしていたという。とぼけたエピソードもあります。全般的に身の回りの細かい事は気にかけない大雑把な人でした。そんな本多光太郎は組織を育て人を育てたことで有名です。要職を務めたり創設に携わった研究機関を羅列すると、
東北帝国大学附属鉄鋼研究所、
東北帝国大学総長、
千葉工業大学設立、
東京理科大学初代学長、
日本金属学会創設初代会長、
後の電磁研初代理事長
です。
指導している仲間に対しては毎日のように「どんな状況?」と実験の具合を尋ねていき、論文に対して細かく意見を加えていたそうです。


最後に本多光太郎の言葉を残します
「今が大切」「つとめてやむな」


私にはトーマス・マンの
「くよくよするな働け」という言葉と重なります。
本多光太郎は仕事として実験を
何時までも考えていた人だったのでしょう。






〆最後に〆


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W・C・ヴィーン
【1864年生まれ-2021/7/31原稿改定】

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【1864年1月13日生まれ ~ 1928年8月30日没】



その名を正確に記すとヴィルヘルム・カール・ヴェルナー・オットー・フリッツ・フランツ・ヴィーン:Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien。熱力学における黒体放射の研究で有名です。ヴィーンは東プロイセンで農夫の子として生まれ、ベルリン大学でヘルツの元で学位を取ります。そこでの学位論文は光の回析特性に関する論文でした。その後ヴィーンはレントゲンの後任としてヴュルツブルク大学で教鞭をとっています。またヴィーンはドイツ物理学会で会長を努めていて、前任はゾンマーフェルトでした。

さて、今日までヴィーンの業績・人となりを
調べていて断片的な印象を持ってしまいました。
それだから、ヴィーンの「人柄」が伝えられないのです。
実際の性格もあるのでしょうが、考えてみてたら、
当時の時代背景も大きいと思えてきました。
ヴィーンはドイツで生まれドイツで亡くなっています。
その時代のヨーロッパでは大戦がありました。
特にドイツはユダヤ人を迫害し、
何人ものユダヤ人物理学者が
反ドイツの体制で活動していました。
ヴィーンが生きたのは、そんな時代なのです。


そんな時代にヴィーンはソルベーユ会議に出ていて
国を代表して物理学会に関わっていたでしょうが、
政治絡みの考えは他のメンバーと独自のものとなって
いたと考えられます。時節柄、修業を兼ねて他国へ
留学したり協同研究をしたりする環境とは
大きく異なっていたのでしょう。ドイツ帝国の人ですから。
ヴィーンは現代とは異なった環境に生きていたのです。


業績の点について考えてみると、
ヴィーンの法則はプランクの法則の極限
として考える事が出来ます。この法則は
反応を起こす物質の温度と放出される
電磁波の波長を関連付けますが、
対象物質の内部構造迄、踏み込んだ議論
を垣間見る事は出来ません。現象の
不完全な定式化であって独自の理論です。


考えを進めさせて頂くと、
マッハとボルツマンの考え方の対立も思い起こされます。
ソルベー会議に出席する中で
ヴィーンもまた従来の考え方を守る立場で、
伝統的な枠組みの中で葛藤していたのでしょうか。
はっきりと確定して言える内容に悩み、
使っている推論の妥当性に対して悩みます。
ミクロの現象に対するモデルが大きく変更される
時代に当事者達は大胆かつ慎重に
判断せねばならなかった筈です。
いつかまた考えてみたいと思っています。


それにつけても、
ヴィーンの法則は我々に新しい知見を
もたらしていて、物質内部での反応に対し
変化を定量的議論の枠組みに乗せて
次なる議論の礎を作っています。
確かな一歩でした。






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この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
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ピエール・キューリ
【1859年生まれ‐2021/7/31原稿改定】

「pキューリ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1977文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1859年5月15日生まれ 〜 1906年4月19日没】



ピエール・キューリって有名なマダム・キューリの旦那様


ですが、調べていけばいくほど良い男です。


ピエールはフランスのパリに生まれましたが、


学校に行きたがらず、お医者だったお父様や家庭教師等に


勉強を教えてもらって自宅で勉強していました。


特に数学で優秀さを発揮して、とりわけ幾何学で光る所


を見せるようになっていき、16歳でパリ大学に入学します。


そしてなんとピエールは18歳で学士号を得てしまいます。


今の日本では現役学生が入学試験を受ける年齢ですね。


びっくりです。ご家庭の事情で博士号習得はあきらめて


物理研究室の助手として働きます。


原子に対して知見が集まりつつあった未開の時代に


数々の業績を残しています。


 

同じくパリ大学鉱物学助手をしていた兄ジャックと協同で


研究を進めます。水晶等の結晶に圧力差が


生じた時に電位差が発生する現象を定理化して


「圧電効果」または「ピエゾ効果」と呼ばれる


法則を明確にして、公表しました。


更に、彼等はもう一つの現象も示します。


水晶に電界を加えた時に形が変わるという


現象を発表しましています。


現在の工業製品ではこの応用である


水晶振動子がデジタル回路で使われています。


固有周波数を持つので時計やコンピュータの回路で


時間(クロック)の基準となっているのです。


 

ピエールは磁性に関して研究を進めています。


その中で自差係数を計測するための精密な


ねじりばかりを使っていますが、


その装置はその後に精密計測で世界中の


研究者に広く使われています。


ピエール・キュリーは博士論文のテーマとして


強磁性、常磁性、反磁性について研究をおこないました。


特に常磁性への温度特性を「キュリーの法則」として


定式化しています。。その式に出てくる物質固有の定数は


「キュリー定数」と呼ばれています。更に


強磁性体の磁性損失も明らかにしています。


「キュリー点」です。キュリー天秤も作りました。


沢山の業績を残していますね。


 

そんな沢山の成果をあげていましたが、


ピエールは薄給に甘んじ出世に興味をもたず


教育功労勲章も断っていました。そんなピエールを


外国では高く評価していて、1893年には


英国のケルヴィン卿が訪問してきています。


その後ピエールはポーランド人のマリア・スクウォドフスカ


(後のキューリ夫人)と出逢い結婚しています。


何度もピエールは恋文を送っていたようです。


簡素な下宿で温かい時間を過ごしていました。


その後は夫婦共同で放射性物質の研究をしていて、


ポロニウムとラジウムを発見、放射能という


用語の提案を行っています。そして遂に


ピエールは学生と共に核エネルギーを発見します。


原子核の遷移は熱を生んでいたのです。


学生との発見は続き、アルファ線、ベータ線、ガンマ線


を見付けています。それぞれの放射線の


帯電特性に気付いた訳です。


 

こうした成果をピエールがあげていく中で、


過度の研究の中でピエールの心身のダメージは


徐々に蓄積していきました。リウマチの症状で毎晩


ピエールは激痛に襲われて悲鳴をあげていたそうです。


妻マリアとベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞


した際には体調不良で授賞式に出られませんでした。


 

そして運命の日が来ます。1906年4月19日木曜日です。


当時パリ大学教授になったばかりのピエールは昼


食後2時半頃に目的地に徒歩で移動していました。


パリの狭い道を多くの馬車が混走していました。


道を渡り損ねた彼は馬車にひかれてしまい、


頭蓋骨にひどいダメージを負って即死してしまうのです。


一瞬の悲劇でした。フランスは宝を失います。


 

彼の死後に妻マリアは2度目のノーベル賞を得ています。


また娘のイレーヌ・ジョリオ=キュリーとその夫で


研究所の助手だったフレデリック・ジョリオ=キュリーも


放射性元素の研究でノーベル賞を受賞しています。


もう1人の娘エーヴは、母の伝記を書き残しました。


孫の ヘレン ランジュバン ジョリオ は


パリ大学の核物理学教授で、同じく


孫の ピエール ジョリオ は生化学者です。


 

そして今ピエールとマリの魂はパリのパンテオンの


地下聖堂に眠ってます。他のフランスの産んだ


偉人達と共に。フランスの名誉と共に。


夫婦で深い安らかな眠りを続けています。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。


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2021/01/21_初稿投稿
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E・W・モーリー
【1838年1月29日 ~ 1923年2月24日-2021/7/31-原稿改定】

「モーレー」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。原稿文字数は3307文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1838年1月29日生れ ~ 1923年2月24日没】




その名を書き下すとエドワード・ウィリアムズ・モーリー


(モーレーとも書き下します)、Edward Williams Morley、


アメリカニュージャージー生まれの物理学者です。


ニュージャージと言えば晩年のオッペンハイマーとか


エジソンと同郷ですね。個人的印象としては


米国4台研究拠点の一つです。他は


カリフォルニア・シカゴ・コネチカット州だと思えます。


其々で議論が繰り広げられてきたはずです。


何より、モーリーはマイケルソン・モーレの実験で有名です。


別項でも記述しましたが、この実験ではエーテルの


存在に起因する「光速度の変化」は見てとれませんでした。


その事が結果として「光速度普遍の原理」に


繋がっていったのが歴史的な事実です。


 

更に話を掘り下げていくと、等速運動をする


慣性系においてローレンツやアインシュタインが


考えていたような系の間の関係式が導き出せれて、


それが更に考える為の材料となって


相対論の理論体系が構築出来ています。


理論の起点と確認点はあくまで実験で


確かめられた自然界の事実なのです。


こういった理論と実験の両輪を考えていく


ダイナミックさが物理学の醍醐味です。


 

その他。モーレーは、熱拡散に関する研究を行い、


磁場中の光速に関する研究を行い、実績を残しています。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
頂いたメールは全て見ています。
必要箇所は適時、改定をします。


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2021/01/25_初稿投稿
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マックス・プランク
【1858年生まれ-2021/7/31原稿改定】

「プランク」の原稿を投稿します原稿文字数は1046文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1858年4月23日生まれ ~ 1947年10月4日没】



その名は正確には、
マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク
(Max Karl Ernst Ludwig Planck)


【現在の国で言えば】ドイツ生まれのプランクは


前期量子論の主要メンバーの一人です。


学問的方法論の観点から語れば、


エルンスト・マッハの実証主義に対しプランクは実在論


を展開しています。プランクは微視的な物理公式を


特徴づける本質的な定数であるプランク定数を提唱


しています。即ち微視的な知見において、


不連続な物理定数を上手に理論に取り入れて


体系化しているのです。


プランクの提唱した一連の考え方はとても大事な概念で、


量子力学の根幹をなしています。現代の我々が


後付けで考えてみると、取り得る状態が不連続だから


行列力学で使えます。そして状態の時間発展が


量子力学体系の中で記述出来て、微視的な状態の


遷移が「定量的に」表せるのです。


パラダイムシフトという言葉が使えます。
思想体系において大きな変換が起きました。
まず、考え方のハードルをクリア出来た事は
物理学にとって大きな一歩であったと言えます。


そしてプランクは戦争の時代を生きたので幾多の悲劇


を味わいました。人道的見地から、アインシュタイン


へのユダヤ人迫害に対して当時の独裁者である


ヒットラーに直接意見を述べています。そして、


プランクの長男は第一次世界大戦で戦死しています。


プランクの二男はヒットラーを暗殺に加担したので


処刑されてしまいました。加えてプランク自身も


国賊の親として批難を受けていました。更には、、


他にプランクには二人の娘さんが居ましたが、


共に孫娘を産んだ後に亡くなっています。



こうして色々とあったプランクの人生ですが、


プランクの残した業績は決して消えていません。


プランクの名前を残しているプランク定数は今でも


世界中で議論の中で使われていて、彼の名を冠した研究所


は21世紀になっても最先端の研究を続けています。






以上、間違いやご意見があれば
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては適時、
改定・訂正を致します。


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ハインリヒ・R・ヘルツ
【1857年生まれ‐2021/7/31原稿改定】

「ヘルツ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1120文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1857年2月22日生まれ ~ 1894年1月1日没】



ハインリヒ・R・ヘルツのRは
ルドルフ(Rudolf )のRです。


もともと、ヘルツは気象学に関心を持っていました。


1878年ミュンヘン工科大学では指導教官が気象学者のベゾル


でしたが、そこではさしたる業績を残していないようです。


後の師ヘルムホルツのもとで


液体の蒸発の論文や新型の温度計に関する


論文をまとめた程度だと言われてす。


 

所で、19世紀終わり頃迄は電磁波の


伝達物質としてエーテルという物質


が想定されていました。確かに


波を伝える伝達物質、別の言葉を使うと


媒質といった物があり波は伝わります。


水という媒質があり表面で波紋が伝わり、


空気という媒質があって音が伝わる訳です。


1881年にマイケルソンが実験でエーテル


を否定したタイミングでヘルツは


マクスウェルの方程式を再度考え直します。


電磁波の存在を煎じ詰めて


実用的なアンテナを考案しました。


現代の整理された考え方によると、
電磁波は真空中であっても伝わります。
例えば太陽光は大気圏に届く前に
真空中を伝わってくるのです。
そこにはエーテルは存在しません。
エーテルの仮定は観測にかからないばかりか、
地球の自転運動・公転運動に対して
説明がつかないのです。


別途、ヘルツは電磁波発信の
装置を開発して電磁波の送受信
の実験を繰り返しました。
マクスウェルの理論を現実の生活の中の仕組みと関連させることを考えてみると、電波を発信する仕組みと受信する仕組みが必要です。例えば、磁場中で帯電体が振動運動をした時に電場と磁場が生成されて、光速度に近い伝番をする筈です。それを観測にかけるには「出来るだけ簡単で解析しやすい送信部と受信部」を設計してシステムの構築をしなければいけません。ヘルツはそうしたシステムを構築したと言えるのです。その過程では例えば、
送受信間にガラスを置くと
電磁波が通じ難くなると確認しました。即ち、
電磁波というものがあって、それを使うと離れた空間の間を送受信出来て、電磁波が透過しやすいものとし難いものがあると示したのです。大きな一歩でした。


そして、実験で人々にガウスマクスウェル


の理論を現実の世界とより近づけました。


ヘルツは周波数の単位に名を残しています。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


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J・J・トムソン
【1856年生まれ- 2021/7/31】

「JJトムソン」の原稿を投稿します。原稿文字数は832文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1856年12月18日生まれ~1940年8月30日没】



その名は正確にはジョゼフ・ジョン・トムソン


【Sir Joseph John Thomson】。


イギリスのJ・J・トムソンは同位体の発見者です。


指導者としてはラザフォード


オッペンハイマーボルンの師であり


物理学の発展に大きく貢献しました。


ケンブリッジ大学を卒業し、4年後に


キャヴェンディッシュ研究所の所長を務めます。


また、電子の実在を形にしていった


一人でもあります。電子を発見したか


については異論があるかも知れませんが


いくつかの洗練された実験で、


トムソンは電子の単位量を決めて


特定原子の同位体を示しました。


トムソンと電子の歴史は密接に関係しています。ニュートン力学が確立され、それをもとに色々な議論が進んでいた時代に、原子核などの束縛を受けていない所謂「自由電子」の振る舞いを明らかにしていきました。初期は陰極線と電子線という言葉さえうまく使い分けられていなかったようです。電子が沢山放出されるような現象を作り上げて、飛んでくる電子を観測していくイメージです。電子線と呼んだ方が細いイメージです。原子核の周りをまわっているような「束縛された電子」は当時も今でも観測の対象とすることはとても難しいのです。また、JJトムソンの子供も後に、電子の波動性を証明してノーベル賞を受けています。


そして今、いくつもの偉業を遂げ


J・J・トムソンの亡骸は


ニュートンの墓のすぐ近くに眠っています。


英国の生んだ偉人として。






以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com


2020/09/14_初回投稿
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田中舘愛橘
【1856年10月16日生まれ ~ 1952年5月21日没】

「田中館愛橘」の原稿を投稿します。原稿文字数は1599文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1856年10月16日生まれ ~ 1952年5月21日没】



田中館愛橘、その名は愛橘と書いて


あいきつ、と読ませます。


生まれた年は旧暦の時代で安政3年9月18日です。


【新暦で1856年10月16日です】


没年は新暦での昭和27年です。


先祖に南部藩の赤穂浪士と呼ばれた方が居たそうですから、


そうしたイメージから語り出したいと思います。


時代の変革期に若き日を過ごしました。


 

さて、田中館愛橘の父方は兵法師範の家系であり、


愛橘は藩校である作人館に学びます。


作人館での同窓生には原敬がいて後輩には


新渡戸稲造がいました。存じませんでしたが


立派な学校ですね。東京に出て慶應義塾に通い


ますが学費が高額なので東京開成高校に進みます。


今で言えば東大教養学部のイメージでしょうか。


そこで愛橘は山川健次郎から物理学を学びます。


政治にも関心を持っていたようですが、山川から諭され、我が国の理学での遅れを挽回せんと愛橘は物理学を志しました。1879年に東大で外国人教師であるメンデンホールと一緒にユーイングがエジソンの発明したフォノグラフを日本に紹介しましたが、田中館愛橘は早速試作を行いました。その音響や振動の解析を行っています。音を音質と音量に分けて考えたり、フィルター処理をする作業が日本で始まったのです。1880年にはメンデンホールによる重力観測に参加し、東京と富士山で観測作業を行いました。当時の世界1の高精度方位計であると称えられた電磁方位計を愛橘は制作しました。


田中館愛橘は明治16年12月に福岡に帰っていた父・稲蔵が割腹自殺したとの知らせを受けて帰郷します。そしてその年に東京大学助教授となりました。詳細は追って調べます。この時期気になる動きです故。


その後、田中館愛橘はイギリスでケルビン卿に師事し、


大きな影響を受け、生涯を通じてケルビンを敬愛しました。


その後1890年にヘルムホルツのいたベルリン大学へ転学、


電気学などを学びます。


この時代の電気に対する理解は、後ほど


項を改めてマクスウェルらと関連して語ります。


電磁気学は力学と異なり色々な人々の多様な知見が


次々重なり形成されていった歴史があるのです。


力学の第一法則、第二法則、として確立されていません。


愛橘は東京帝大理科大学教授となり後にに理学博士の学位を受けます。更にデンマークのコペンハーゲンで開かれた万国測地学協会 第14回総会で地磁気脈動や磁気嵐の発表をします。


また時代柄もあって、田中館愛橘は陸軍や海軍に対して貢献します。地磁気測量では指導の中心的な役割を果たしています。旅順での戦闘の際には敵情視察用の繋留気球の制作を依頼されています。それが愛橘と航空研究のきっかけ
となりました。田中館愛橘は中野の陸軍電信隊内での気球班で気球研究を始め、制作および運用法を指導しています。試行錯誤の末に気球を完成させ、旅順戦で戦闘に使用されています。


そして田中館愛橘が60歳になり、教授在職25周年のパーティで愛橘は辞職する旨を伝えました。後の東大での定年退職制度に繫がっていきます。また、田中館愛橘は数多くの人材を育てました。教え子としては長岡半太郎、中村清二、本多光太郎、木村栄、田丸卓郎、寺田寅彦などが居ます。それ故、愛橘は「種まき翁」、「花咲かの翁」と呼ばれたそうです。95歳7か月の天寿を全うしました。





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全てのメールを読んでいます。
適時返信のうえ改定を致しします。


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カメリー・オネス【1853 ~ 2021/7/31‐原稿改定】

「カメリーオネス」の原稿を投稿します。。原稿文字数は936文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1853年9月21生まれ ~ 1926年2月21日没】



その名はより正確にはヘイケ・カマリン・オンネス


(Heike Kamerlingh Onnes)今日、 日本では


カーメルリング・オンネス、カマリン・オンネスや、


カマリン・オネスなど数パターンでカタカナ表記さ


れていますが、本稿ではカメリー・オネスとします。


 

ライデン大学実験物理学教授」この称号が


カメリー・オネスの人生をよく表しています。


彼は生涯オランダのライデン大学で教鞭をとり、


実験によって新しい世界を切り開きました。


また、ライデン大学には同じ年に生まれた理論家の


ローレンツ_が居ます。理論・実験で


ライデン大学は時代を切り開いたのです。


そして、ボルツマンの弟子のエーレンフェスト


アインシュタインがライデン大学に集います。





カメリー・オネスはドイツのハイデルベルク大学
に留学してキルヒホッフ等の師事を受けたと
言われていますが、特に帰国後にライデン大学
「ファン・デル・ワールスと出会い、彼との
議論を通じ、低温における物理現象に
興味を抱くようになった」【Wikipedia】
と言われていて、ライデン大学での繋がりが
低温物理学に興味を抱く大きなきっかけ
だったようです。


特に温度を下げていく過程で電子の振る舞いが
どうなるか。それに対しての回答として
カメリー・オネスは超電導現象を示しました。
実験的に再現性のある現象として示す事で
さらなる理論の土台を築いたのです。


格子間を運動する電子が電気的性質、磁気的特性を
温度変化に応じてどう変えていくか考えが異なりました。
異なる考えがあった時にカメリー・オネスは
事実を実験によって明確に示したのです。
絶対零度では抵抗はゼロになりました。
一つの予想を実験結果で証明したのです。






以上、間違い・ご意見は
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時問題点に対して適時、
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カメリー・オネス【1853 ~ 2021/7/31‐原稿改定】

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【1853年9月21生まれ ~ 1926年2月21日没】



その名はより正確にはヘイケ・カマリン・オンネス


(Heike Kamerlingh Onnes)今日、 日本では


カーメルリング・オンネス、カマリン・オンネスや、


カマリン・オネスなど数パターンでカタカナ表記さ


れていますが、本稿ではカメリー・オネスとします。


 

ライデン大学実験物理学教授」この称号が


カメリー・オネスの人生をよく表しています。


彼は生涯オランダのライデン大学で教鞭をとり、


実験によって新しい世界を切り開きました。


また、ライデン大学には同じ年に生まれた理論家の


ローレンツ_が居ます。理論・実験で


ライデン大学は時代を切り開いたのです。


そして、ボルツマンの弟子のエーレンフェスト


アインシュタインがライデン大学に集います。





カメリー・オネスはドイツのハイデルベルク大学
に留学してキルヒホッフ等の師事を受けたと
言われていますが、特に帰国後にライデン大学
「ファン・デル・ワールスと出会い、彼との
議論を通じ、低温における物理現象に
興味を抱くようになった」【Wikipedia】
と言われていて、ライデン大学での繋がりが
低温物理学に興味を抱く大きなきっかけ
だったようです。


特に温度を下げていく過程で電子の振る舞いが
どうなるか。それに対しての回答として
カメリー・オネスは超電導現象を示しました。
実験的に再現性のある現象として示す事で
さらなる理論の土台を築いたのです。


格子間を運動する電子が電気的性質、磁気的特性を
温度変化に応じてどう変えていくか考えが異なりました。
異なる考えがあった時にカメリー・オネスは
事実を実験によって明確に示したのです。
絶対零度では抵抗はゼロになりました。
一つの予想を実験結果で証明したのです。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時問題点に対して適時、
返信・改定をします。


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シャルル・ド・クーロン  【2021/07/31-原稿改定】

「クーロン」の原稿を投稿します。画像はフランスの街並みを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1736年6月14日生まれ ~ 1806年8月23没】



クーロンの名前は正確には


シャルル=オーギュスタン・ド・クーロン


(Charles-Augustin de Coulomb)


と記載されます。フランス人です。調べてみると


もともとクーロンは測量の仕事などもしていました。


時代柄、色々な分野で功績を残しています。


 

まず、力学的な側面では摩擦に関する研究があります。


とても意外な側面だと思えました。電磁気学で著名なクーロンが


表面状態の考察をしているのです。


電磁気の担い手はとても微細な存在、電子であるのに反して


摩擦現象はそれら微細粒子が物凄い数集まって


相互作用の複雑な運動した結果として論じられる現象なのです。


後述する「ねじり天秤」のデリケートさとは結びつきませんでした。


クーロンは特定の機械が動く時点を考察しています。


「部品間での摩擦とロープの張力」を考慮して


機械全体での動きを論じています。


詳細を追いかけたらきっと


現代の我々から見ても興味深い筈です。


工学的な側面と表面物性からアプローチして


細かく考察すると面白い筈です。そして何より、


当時の視点からは革新的な研究だろうと思えます。


 

電磁気的な側面では「ねじり天秤」での実験が有名です。


微細な力を検知出来るような仕組みで導体表面


での帯電状態を計測したのです。生活の視点では、


力学は目で見て分かりやすく、電磁力学は目で見て


分かり辛いと言えます。それだから、今でも


静電気でびっくりしたり、手品の種として


電気的性質が使われたりします。


当然、今でも高電圧の配線は子供の手の


届かない所に敷設され、運用されているのです。


クーロンは結果的に電荷に働く力は距離の自乗


に反比例すると示しました。こうした電磁気学における


業績が広く認められ、クーロンの名前は電荷の単位


として今も使われています。クーロンの考えは


後の電磁気学、長い目で見れば


場の理論につながっているのです。






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全て読んでいます。
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コリン・マクローリン【2021/07/31-原稿改定】

「マクローリン」の原稿を投稿します。画像はケンブリッジを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1698年2月 ~ 1746年6月14日】



マクローリンの名を耳にするのは
数学の講義ではないでしょうか。
物理学者というよりも数学者ですが
一昔前の物理学と数学は境目があいまいでした。
その名を全て記すとコリン・マクローリン
(Colin Maclaurin)です。


Wikipedeaで「マクローリン」という言葉だけで検索したら
ロボットアニメが出てきたりしますが、
「マクローリン展開」で検索すると一発です。そう、
マクローリンは特に彼の名にちなんだ展開で有名です。
その内容は「0を中心としたテイラー展開」であって、
とても特別な場合なのですが
その有益性は非常に大きいのです。
その有益性は単純な私達では思い付かなかったでしょう。


込み入った話をすると、マクローリンが定式化した
数学的な定式化は「任意の関数の級数への分解」です。
任意の関数が持つ変化率を、
1次成分の寄与、2次成分の寄与、3時成分の寄与、、、
と分けて表現していくのです。





マクローリンは英スコットランドに生まれました。
ニュートン_と仕事をする中で彼の信頼を得て、
大学への推薦状を書いてもらう程でした。


マクローリン自身もニュートン_の考えに惚れ込んでいて、
ニュートンの紹介を目的として出版活動をしていました。
こうした仕事を通じてスコットランド啓蒙運動
に勤しんだ【いそしんだ】のです。


多くの人は高校時代以降に数学を使わなくなるでしょうが、
実生活の中で数学の世界はとても役に立っています。
特に、今回ご紹介しているマクローリンの考えは
一般関数の級数展開といった考えにつながり、
その考えは最終的にデジタル回路における近似処理
に繋がるのです。スマホの中とかの回路での処理原理です。
一般の人は意識しませんが恩恵を受けています。


理工学系の過程に進む初学者は出来るだけ


数学と産業のつながりを意識して下さい。


一見関係ないように思える数学の世界も、その概念を


土台として現代の応用技術が成り立っているのです。


無意味無乾燥に思える講義の内容が


貴方の人生で思わぬ成果を生む場合があります。






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A・A・マイケルソン
【1852年〜2021/07/31‐原稿改定】

「マイケルソン」の原稿を投稿します。原稿文字数は789文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】



その名を全て書き下すとAlbert Abraham Michelson。


ユダヤ系の血を引くアメリカ人です。


マイケルソンは物理学の中でも特に光学に対して


関心を示し、干渉計を発明しました。。その後、


有名な干渉実験を実現します。マイケルソンはその後も


様々な研究者と実験をしていきますが、光の干渉を原理


として使っていて光路が長い程、精度が高くなります。


そこで、マイケルソン達の装置は大がかりな物に


なっていきますが、結果として様々な外乱に晒され、


誤差との戦いが続きました。装置を据え付ける地盤、


微振動、感光装置、その他に様々な


配慮を払わねはならなかったのです。





こうした実験が行われた背景としてはそもそも、


マイケルソンの時代にエーテルという光の伝播媒質


が論じられていました。光が波であれば当然、


考えていく物です。ローレンツの理論での変換は


干渉のずれを収縮が打ち消す、


といった結果をもたらします。エーテルを想定した


マイケルソンの実験結果は様々な議論に繋がり


媒質としてのエーテルは現在、否定されています。


この有名な実験が広く認められ、マイケルソンは


アメリカ人として初のノーベル物理学賞を受けます。


近年、マイケルソンの実験手法は
別の成果をもたらしました。
2015年9月、2基のマイケルソン
干渉計を使い、直接的に重力波を
観測にかけたのです。
稀代の実験家の拘りが数十年後に
結実したと言えるでしょう。






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2020/10/27_初回投稿
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ヴィルヘルム・C・レントゲン
;rontgen-【2021/7/31‐原稿改定‐1845年 ~ 】

「レントゲン」の原稿を投稿します。原稿文字数は1247文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1845年3月27日生まれ ~ 1923年2月10日没】



レントゲンと言えば、その人の名より


その名の装置が思い浮かぶでしょう。


以下ではレントゲンは人の名前として


使っていきます。


 

レントゲンの時代にはハインリヒ・R・ヘルツ


によって真空放電や陰極線の議論が


なされていました。今風に考えたら


対象は単なる粒子とか波ではなく、


2面性をもった波動関数で記述される


電子であると言えますが。


レントゲンの時代には不明確でした。


数キロボルトの電圧を加えた真空管において


蛍光現象が見受けられるのが陰極線です。


一般の電流の知識からは+方向からー方向


(プラス方向からマイナス方向)へ電流が流れますが


陰極線は―方向から+方向に現象が


確認出来るのです。+−間に遮蔽物


を置くと遮蔽物から+方向で現象が見られません。


つまり電子はマイナス方向から出ていたのです。


そして、レントゲンは遮蔽物の画像を研究します。


まずレントゲンは実験結果を重視してます。


X線が人体を透過した後の写真を


大衆に見せました。ネーチャやサイエンスといった


有名雑誌に投稿し、議論して


事実を明らかにしていきました。


その方法は先ず磁場に作用する


陰極線の実験を積み重ねます。


陰極、陽極、検出対象として


色々な物資を試し、


鉛は通さずガラスは透過する


といった事実を明確にします。


説明が細かくなり恐縮ですが、


陰極線の陰極・陽極間に検出対象があり、


検出対象から放射されるのがX線です。


検出対象に蛍光物資を使った所が


レントゲンのオリジナリティですね。


そうした仕組みで磁場から力を受けない


X線を発見して、突き詰めていったのです。


 

その後の成果で原子が崩壊・融合する過程で


放射線が出てくる知見が集約されてくる訳ですが、


後の素粒子での議論につながる種が、


レントゲンによって沢山まかれていた訳です。


また、レントゲンを偲ばせるエピソード
をいくつかの紹介します。
まず、レントゲンは自らの独自技術に
対して特許を申請しなかったと言われ
ています。科学の成果は万人が享受すべき
だというレントゲン独特の考えです。


また、レントゲンは第一回目の
ノーベル賞を受けていますが、
賞金に手を付けず、
全て大学に寄付しています。


そして愛妻家だったと思われます。
レントゲン自身はガンで亡くなりますが
年上だった奥様に先立たれてから
数年後の事でした。今でもよく
紹介されている写真は奥様の手を
X線が透過した姿でした。
皮膚を透過したX線が骨の形を
リアルに映し出し、その薬指には
はっきりと結婚指輪が見えます。







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レオン・フーコー 【2021/07/31-原稿改定】

「フーコー」の原稿を投稿します。原稿文字数は1034文字です。また、アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として文末に記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1819年9月18日生まれ ~ 1868年2月11日没】


 


フーコーは「フーコーの振り子」という装置で有名です。


色々な国の科学博物館で見る事が出来ます。


中国でも韓国でもアメリカでも見る事が出来ます。


日本でも国立科学博物館を初めとして、数十か所で見る


事が出来ます。振り子の運動は地球の時点とは独自に


繰り返される慣性に縛られた運動であるので


地球の運動が進むにつれて、東西南北とずれるのです。


そのずれは24時間後に元の位置に戻ります。


地球の自転方向と逆に少しずつずれていって


24時間後に元の位置に戻るのです。


対象とする振り子を北極か南極に設置すると


一番分かり易いです。赤道上では分かりにくいです。


そういった誰にでもわかる優れた実験を駆使して


地球の自転を実験的に明らかにしました。


1851年のパンテオンでの公開実験で


最終的に仮説を実証してみせます。


 

フーコーはフランスのパリに印刷業を営んでいた父


のもとに生まれます。幼い頃から科学工作が好きでした。


子供時代は病弱で医学を志していましたが血液恐怖症


だったりした為、お医者様になるのは断念したそうです。


10代になり、写真技術の改良をしていたフーコーは


物理学者アルマン・フィゾーと知り合いになり交流を深めます。


フィゾーとは良い関係を持ち続け


初めの時期は協同研究をしていました。


 

1847年頃からフィゾーとフーコーはそれぞれ独自に


研究を進めます。歯車を使いフィゾーが光速度を求め、


回転している鏡を使いフーコーは


媒質中の光速度の差異を求めました。


私が何より興味深いのはフーコーやフィゾーの


頭の中にある理論的な考察が


閃きによって実験に昇華するプロセスです。


大抵の考えは実験で確認するまで分からないことが


沢山出てきます。特定の理論はあくまでモデルの


一つなので、より厳密に考えていったら、


その時に知られてるモデルが適用できない場合もありうる


のです。必要に応じて適用モデルの修正が必要です。


フーコーは理論的な原理を優れた実験で


わかり易く示したと言えます。秀逸でした。



 




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2020/08/29_初版投稿
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山川健次郎【1854年生まれ‐2021/7/31原稿改定】

「山川健次郎」の原稿を投稿します。原稿文字数は1131文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1854年9月9日生まれ ~ 1931年6月26日没】




山川健次郎の人生

山川 健次郎は日本初の物理学者です。その家は会津藩の家老家で戊辰戦争では健次郎は白虎隊に所属していました。自刀していった仲間もいた中で、山川健次郎は落ち延びました。その後に米国へ国費留学を果たし、イェール大学で物理学を修めます。日本に戻り、最終的には東大総長・京大総長を務めます。



山川健次郎と辰野金吾

私の家祖が会津藩・彰義隊でしたので個人的に彼になんとなく親近感を持っていました。山川健次郎は国費留学生として イェール大学で学位を修めます。また、東京駅の設計に携わった建築家・辰野金吾とは奥様を通じて親戚関係となっています。



山川健次郎のお人柄と研究成果

山川健次郎のお人柄を表すエピソードとして日露戦争に関するものがあります。当時、彼は東大で総長を務めていましたが、愛国心に満ちた健次郎は陸軍に詰め寄り、一兵卒として従軍させろ、と担当を困らせたそうです。個人・家族・所属国家と意識が繋がっていたのですね。その時にはもはや、賊軍だった頃の意識は無いのでしょう。


山川健次郎の時期の物理学会は諸外国との交流を感じさせません。特にコペンハーゲン学派が中心となって次々と新しい知見をもたらしていた時代に日本の物理学は黎明期にありました。後の時代に原子核内の相互作用を解き明かしていく若者達を育てていく時代だったのです。山川健次郎と同年代のカメリー・オネスローレンツは師に恵まれ論敵に恵まれて、マッハボルツマンの構築した知見の中で考えを進めていたのです。大きく異なる環境から日本の物理学はスタートしています。


山川健次郎自身の研究成果は伝えられていません。研究内容をまとめた論文も広く知られていません。あるのでしょうか。それよりも寧ろ、後輩達を育てながら次の時代への為の土壌を育んでいたと考えるべきでしょう。また、この時代に千里眼を巡る話題が世間を騒がせていましたがそれに対して山川健次郎は批判的で冷静な立場をとっていたと伝えられています。今も昔も千里眼という不可思議な現象は「議論して解明できる内容ではない」と考える方が良いようです。





〆最後に〆

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トーマス・A・エジソン
_1847年2月11日 ~ 1931年10月18日

「エジソン」の原稿を投稿します。原稿文字数は949文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1847年2月11日生れ ~ 1931年10月18日没】



エジソンはアメリカの発明家です。彼の逸話を聞くと、


閃きの喜びとか達成時の感動が沸き起こります。


エジソンの発明品は蓄音器、電灯、活動写真と


多岐にわたります。研究所はニュージャージの


メンロパークにありました。個人的な話になり恐縮ですが、


初めて私が買ったCDがボンジョビの「New Jersey」でした。


何となく私が想像してた同州の楽しそうで何かを生み出す


活気のある雰囲気はエジソンが研究所を構え、


活動する中で生まれた部分もあるのですね。きっと。


そんなエジソンは幼少時代から苦労を重ねています。


彼が残した有名の言葉を改めて書き下します。


「天才は99%の汗と1%の才能(で出来ている)」


睡眠時間を削り、時に発想に浸り現実を忘れ


次から次へと発明を繰り返しました。図書館に籠り


独学で色々なことを学び正規の教育を受けずに


試行錯誤を繰り返します。例えば、算数で「1+1=2」


と教わっても「二つの粘土を混ぜた時に一つになるのに


何故この場合は1ではなく2なのか??」という視点


を持ち反論しています。こんな話が語りつかれている


自体がいかにもアメリカ的なのかな?と思いますが、


思考の柔軟性を保ち続ける為には


必要な吟味であるとも言えます。


 

その後、投票記録の機械、株式相場表示機、電話、蓄音機、白熱電球と発明を続けます。蓄音機を世間に広めた時は「機械の中に人が居るわけがない!」と驚きの反論を受けたほどです。晩年は会社経営から身を引き、霊界との交信が出来るかといった関心を持ち試行錯誤していました。多くを残して84歳で亡くなっています。まさに語り継がれ続けている偉人です。




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2020/10/17_初版投稿
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アーサー・コンプトン
【1892年生まれ-2021/7/31原稿改定】】

「コンプトン」の原稿を投稿します。原稿文字数は1347文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。定点記録を残すと、7/23と7/25でf/f数は、
コウジ改 SyvE.804/3599と826/3625.
バンドリ sv2F.810/2666と824/2682.
浩司   BLLp.578/2339と585/2340.
kouji kouji.1971/3298と1992/3309.
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【1892年9月10日 ~ 1962年3月15日】



アメリカのコンプトンは波動の粒子性を示した実績と


マンハッタン計画で指導的役割を果たしたこと


で知られています。コンプトンは1919年に英国の


キャンデビッシュ研究所に留学し、そこでガンマ線の


散乱・吸収を研究します。そこで「波動のコンプトン効果」


を発見するのです。この考えは今では量子力学の


基幹をなしていますが、大まかには以下の理解を


していれば良いと思います。つまり、


「微視的に物事を考え始めた時に粒子性と波動性が


同時に具現化する」ということです。


その考えで話を進めると自由電子により散乱された


X線量子がより長い波長となるという事実に対して


「波長が長くなる状態」つまり


「光線のエネルギーが落ちる状態」で粒


子性に着目して弾性散乱の視点で考えていくのです。


具体的に量子力学では不確定関係という枠組みで物事を考えますので2つの値が同時に確定しなかったりします。例えば位置と運動量を同時に確定しません。また、時間とエネルギーを同時に確定しません。但し、時間×エネルギーや位置×運動量といった値を物理量として確定出来るのです。これは作用と呼ばれる次元の物理量です。時間という物理量やエネルギーという物理量と関連していますが異なります。


以上は量子力学を理解した人々には納得出来ても一般の人々には中々説明がし辛い部分です。誤解無く伝わっているかいつも不安になります。そんな意識改革をコンプトンが進めていたのですね。波動として考えていたガンマ線やX線に粒子性を見出したのです。


また、コンプトンはマンハッタン計画を進めた


主要メンバーでもあります。そもそも原子爆弾は


原子炉の製造から計画しなければいけません。


そこでウランをプルトニウムに変換して、プルトニウムと


ウランの混合物からプルトニウムを分離するプロセス


が必要です。コンプトンはこのプロセスをSEとして


設計してプロジェクトが進んでいく現場で働きました。


また、原子爆弾を兵器として使用するには


敵国で使用時、出来るだけ早くに最大限の攻撃力を


発揮しなといけませんが、損傷兵器を設計する方法


についてもコンプトンは設計をしていきました。


なお同計画はオッペンハイマーの設計もあり、


フェルミローレンスとの議論も経ています。


全米の知能を集め計画を進めていたのです。


 

そしてコンプトンの業績はノーベル賞を初めとする蒼


々たる栄誉で称えられています。それと同時に、


マンハッタン計画の主導者として計画自体の是非を


論じる際に何度もその名があがります。もともとは、


コンプトンはもともと星の好きな少年でした。


そんな所からガンマ線の究明に話が進みましたが、


彼の名はガンマ線検出の為のNASAの衛星に残されています。






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コリン・マクローリン【2021/07/31-原稿改定】

「マクローリン」の原稿を投稿します。画像はケンブリッジを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1698年2月 ~ 1746年6月14日】



マクローリンの名を耳にするのは
数学の講義ではないでしょうか。
物理学者というよりも数学者ですが
一昔前の物理学と数学は境目があいまいでした。
その名を全て記すとコリン・マクローリン
(Colin Maclaurin)です。


Wikipedeaで「マクローリン」という言葉だけで検索したら
ロボットアニメが出てきたりしますが、
「マクローリン展開」で検索すると一発です。そう、
マクローリンは特に彼の名にちなんだ展開で有名です。
その内容は「0を中心としたテイラー展開」であって、
とても特別な場合なのですが
その有益性は非常に大きいのです。
その有益性は単純な私達では思い付かなかったでしょう。


込み入った話をすると、マクローリンが定式化した
数学的な定式化は「任意の関数の級数への分解」です。
任意の関数が持つ変化率を、
1次成分の寄与、2次成分の寄与、3時成分の寄与、、、
と分けて表現していくのです。





マクローリンは英スコットランドに生まれました。
ニュートン_と仕事をする中で彼の信頼を得て、
大学への推薦状を書いてもらう程でした。


マクローリン自身もニュートン_の考えに惚れ込んでいて、
ニュートンの紹介を目的として出版活動をしていました。
こうした仕事を通じてスコットランド啓蒙運動
に勤しんだ【いそしんだ】のです。


多くの人は高校時代以降に数学を使わなくなるでしょうが、
実生活の中で数学の世界はとても役に立っています。
特に、今回ご紹介しているマクローリンの考えは
一般関数の級数展開といった考えにつながり、
その考えは最終的にデジタル回路における近似処理
に繋がるのです。スマホの中とかの回路での処理原理です。
一般の人は意識しませんが恩恵を受けています。


理工学系の過程に進む初学者は出来るだけ


数学と産業のつながりを意識して下さい。


一見関係ないように思える数学の世界も、その概念を


土台として現代の応用技術が成り立っているのです。


無意味無乾燥に思える講義の内容が


貴方の人生で思わぬ成果を生む場合があります。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/11/06_初稿投稿
2021/07/11_改定投稿




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L・オイラー 【2021/07/31-原稿改定】

「オイラー」の原稿を投稿します。画像はスイスの街並みを使いました。ガウスと並ぶ数学界の巨人です。ご覧下さい。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1707年4月15日生まれ ~ 1783年9月18日没】



L・オイラーのLはレオンハルトのLです。


スイスのオイラーは当時の18世紀の数学界の中心となり、後の世に数学が厳密になっていく一方で洗練されたモデルを使いこなす為の基礎を固めました。その活動範囲は多岐にわたります。他の人が見つけたと思っていた業績が、実はオイラーの仕事の焼き直しだったりした事が多々ありました。後に出てくるガウスと合わせて数学界の二大巨人であると言われているのです。加えて、


オイラーは右目を失明していたので


「単眼の巨人(サイクロプス)」


と数学会で呼ばれていたそうです。


まさに怪人ですね。同時に


天文物理学でも業績を残しています。


物理学で使う数学手法も残しました。オイラーが


定式化した自然対数と三角関数の関係は


私自身も何度も何度も、繰り返し使いました。


 

さて、オイラーの人生における転機は


大学時代に師となるベルヌーイが


その才能を見出したタイミングでした。


神学の道を目指していたオイラーの


両親をベルヌーイが説得して


オイラーは数学の道を選びます。


 

オイラーは招かれて外国で数年


過ごしたりしながら研究を続け


ましたが、視力が低下していき


遂には失明してしまいます。


それでもオイラーは精力的に


論文執筆の活動を続けました。


頭の中で計算式を操り、


口頭で協力者に内容を伝え、


文章に起こしてもらい、


論文を次々と完成させたのです。


そんな困難の中、


オイラーは晩年の研究を続けていました。


人生をかけた研究だったと思います。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。


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2020/09/26_初稿投稿
2021/07/17_改定投稿


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ブレーズ・パスカル 【2021/07/31-原稿改定】

「パスカル」の原稿を投稿します。画像はフランスの街並みを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1623年6月19日生まれ ~ 1662年8月19日没】





フランスに生まれたブレーズ・パスカルは


物理学者にして数学者にして哲学者です。


17世紀頃までの自然科学に関わる学者達は


細分化が出来ていない傾向があり、


時代を感じさせる部分ではあります。


そして何よりパスカルといえば、その残した言葉、


「人間は考える葦である」がまず思い浮かびます。


思考法を確立していった人であって、


その点では古代ギリシャの哲学者に近い印象です。


中世に至るまでの人間の歴史には「科学的な側面」を


あまり感じません。経験の蓄積、文化の蓄積から生じた


機能美があるのですが、素材も含めて経験からの


アプローチが大きかったのではないでしょうか。


無論、思想の停滞は今迄に沢山の場で


論じられてきた話題だと思えます。話戻って、


パスカルは考え続けた人でした。


パスカルの遺稿集であるパンセは有名です。


総合的に物事を考えています。


死後、遺品整理で改めて分かったのは


「神」をも思考の対象として考えて、


様々な思考を繰り返し


確率論、優先順位を考え、様々な証明方法


を使っていたということです。


実際に分かり易い例として、


数学の上では三角形の内角の和を考えた時に


合計180度であると子供時代に証明していたようです。


補助線を一本引くだけなのですが、それを思い付いたときは


どれだけ嬉しかったことでしょう。


きっと感動があったはずです。


物理学の面では圧力に関する


パスカルの原理が有名で


その後、今に至るまで油圧機器に多用されてます。


またパスカルは実業家としての側面も持っていて、


今日で言うバスのシステムを乗り合いタクシー


という形で実現しています。またパスカルは


子供時代から機械式計算機の制作をしています。


徴税吏員である


父親の仕事軽減が目的だったようです。


少し、ほのぼのする逸話ですね。また、


昔フランスでの500フランにパスカルの顔


が描かれていたようです。そしてパスカル


は39歳で亡くなっています。


何よりも圧力の概念を面積との関係で確立していき、


後の定量的議論の土台として確立した


功績は大きいのではないでしょうか。


現在では圧力の単位としてパスカルは名を残してます。


フランスの誇る偉人ですね。








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2020/10/05_初稿投稿
2021/07/17_改定投稿

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クリスティアーン・ホイヘンス【2021/07/31-原稿改定】

「ホイヘンス」の原稿を投稿します。画像はオランダの街並みを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1629年4月14日生まれ ~ 1695年7月8日没】



ホイヘンスはオランダの名家に生まれ、ライデン大学では


数学と法律を修めました。物理学はその知見を活かす


フィールドだったとも言えます。特に


数学で優秀さを発揮していたと言われています。


光学でのモデルは幾何学的なイメージを


しっかり作ると分かり易く,話が整理しやすいのです。


物理学関係の業績としては特に、光学での業績が


顕著です。所謂、ホイヘンスの原理は後の物理学者達


が波動を考えていく上でとても有益だった筈です。


波の性質が突き詰められていき、縦波とか横波とか周波数とか周期とか最終的には波面や、さざ波も、光も同じ定数で表現出来る現象となるのです。この理解が重ね合わせの原理の土台として役立ち、振動解析や音階解析へと話が進んでいくのです。また今世紀初頭にエーレンフェストアインシュタインがホイヘンスの母校であるライデン大学で議論していた事を鑑みると、人々の繋がりに小さな感動さえ覚えます。加えてライデン大学ではローレンツカメリー・オネスも研究を進めていくのです。


科学での一番最初の障壁は一般化を含めた理解だ


と感じます。一般の人々にも説明出来る


「言葉」を出来るだけ沢山、科学者が


作り出すことが大事です。その点、


ホイヘンスは初めの難しさを超えたのです。


 

また、土星の衛星タイタンの発見したり、振り子の原理を理解して時計を制作したり、オリオン大星雲を発見してスケッチしたり、その進取の精神には驚かされます。特に1675年に世界で初めて火薬を使った往復型の内燃機関を形にしているそうです。ニュートンのプリンキピア刊行が1687年ですので、「瞬時に伝番していく撃力」に関する考察を、ホイヘンスが独自に形にしていると想定されます。特筆すべき一面かと思えます。


またホイヘンスは、いわゆるエーテルの存在を想定して


後の物理学に議論の土壌を残しました。


この功績も非常に重要だと思います。



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2020/10/18_初版投稿
2021/07/16_改定投稿


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矢野 健太郎   【2021/07/31-原稿投稿】

「矢野健太郎」の原稿を投稿します。画像はフランスの街並みを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1912年3月1日生まれ ~ 1993年12月25日没】



矢野健太郎は私が使っていた教科書の著者でした。


幾何学関係か解析学関係だったかと。


彫刻家の子として生まれ東京帝大で学びます。


 

矢野健太郎はは小学生時代にアインシュタインが来日し


刺激を受けました。また、帝大の山内恭彦から


物理学の理解には代数幾何学が必要だと教えを受けました。


物理現象のモデル化の有用性を感じたのかと思えます。


その後、矢野はカルタン先生の下で学ぶべくパリ大学


留学します。そこで纏めた博士論文は射影接続空間に


関する論文でした。この頃から統一場理論に関心を持ちます。


 

戦後にはプリンストン高等研究所で微分幾何学の


研究をしていき、同時期に在席していたアインシュタイン


交流を持ちます。奥様と一緒にアインシュタイン


写った写真は大事にしていて、家宝としたそうです。


 

矢野健太郎の著者は多岐に渡り、受験参考書の定番、


解法のテクニックは矢野健太郎の著作です。


またアイザックアシモフポアンカレアインシュタインの書


物を日本に紹介する際に監修をしたりしました。


私や皆さんが知った情報も


矢野健太郎の仕事かも知れませんね。そんな、


矢野健太郎はバイオリンが好きな静かな人でした。


安らかな印象を持ち続けたいと思います。






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ガリレオ・ガリレイ  【2021/07/31-原稿改定】

「ガリレオ」の原稿を投稿します。画像はイタリアの街並みを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1564年2月15日生まれ ~ 1642年1月8日没】



先ずガリレオの生誕年での西暦はユリウス暦で


死没年の西暦はグレゴリオ暦です。


ガリレオ・ガリレイはそんな


2つの暦を使う時代に生きていました。


ガリレオ・ガリレイの名はイタリアにおいて近代科学の父、天文学の父として知られています。数学的なモデルを確かにして現象からパラメターを選びその数値を観測可能な道具を選ぶ事で実験検証する手法はガリレオが確立したものです。


そんなガリレオが生きた時代には自然科学の考えに対して


暗黒の時代背景がありました。教会が力を持ち、


表現が不適切とされた時には社会的な制裁を受けました。


ジョルダーノ・ブルーノという哲学者は火炙りに処されています。


ブルーノの断罪は多岐に渡ります。


その中の一つが天体関連です。


当時の教会の考えでは、地球が太陽や土星の様に


運行してはならないのです。今では理不尽とも思えますが。


そんな時代の中でガリレオは艱難辛苦に晒されます。


権力争いに巻き込まれ、天体に関する考えから


異端審問を受け、社会的立場を悪くします。


軟禁状態にあり、体調も悪くなっていきます。


そんな有り様を知ったデカルトは論文発表を控えた


と伝えられています。更にはガリレオは失明します。


これは一説には過度の天体観測のせいだとも


言われています。ただ、その後も息子や弟子達の


助けを借りて出版をしたり振り子時計を発明したりしています。


振り子の等時性をもとにして,周期を起点に考えていき、


時を刻む仕組みを設計していたのです。


まさにプロトタイプの精密機械ですよね。


そして、最後は77歳で亡くなっています。






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A・H・ルイ・フィゾー 【2021/07/31-原稿改定】

「フィゾー」の原稿を投稿します。画像はフランスの街並みを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1819年9月23日生まれ 〜 1896年9月18日没】


 


その名は正確には、アルマン・イッポリート・ルイ・フィゾー


(Armand Hippolyte Louis Fizeau,1819年9月23日 - 1896年9月18日)


地上で光速度を始めて測定した人で、フランス人です。


 

フィゾーの実験として有名な物は1849年に回転歯車を使った


公開実験です。明快に原理を示して光速度を数値化しました。


フィゾーの示した数値が重要なのは、後に明らかになって


いきますが光が電気と関係してるからです。


マクスウェル_が電磁気学をまとめる中で、


自分の理論での計算結果とフィゾーの示した値が


とても近い事実に気付きます。それはきっと、


現代風に言えば、電磁波の伝播速度が光速度に近い、


という事実なのでしょう。


媒質が真空であれば一致する筈です。


 

また、フィゾーはドップラー効果も予見してます。こ


の「ドップラー効果」という言葉はスマホ入力で一発変換


されています。そんな当たり前の言葉なのですが、


もともとはフィゾー達が確かにしていった概念なのです。


 

今の我々は簡単に考える作業も、時代が変われば


大変な困難に直面したはずです。特に


新規の概念を手探りで考えていく中での実験は


大変だったであろうと思えます。


フィゾーが実験を繰り返す困難は測り知れません。


当時は未だ


「指向性の強い(光が拡散せず、広がらない)」レーザー


光線も無かったでしょうし、当然デジタルのカウンター


なども無いので、


計測系のイメージだけでも大変だったでしょう。


私が何より興味深いのはフィゾーの


頭の中にある理論的な考察が


閃きによって実験に昇華するプロセスです。


フィゾーは理論的な原理を優れた実験で


わかり易く示したと思います。






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ダニエル・ベルヌーイ【2021/07/31-原稿改定】

「ベルヌーイ」の原稿を投稿します。画像はフランスの街並みを使いました。今迄フランスで活躍していた印象が大きかったのですが、生まれはスイスです。改めてご覧下さい。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1700年2月8日生まれ ~ 1782年3月17日没】



ダニエル・ベルヌーイの名前で


ダニエルって大事です。科学史


に詳しい人ならピンと来るの


ですが、ベルヌーイ一族は沢山、


科学史に出てきます。


3世代で8人が著名人です。



先ず、今回取り上げたダニエルは


3兄弟で、全て物理学者・数学者です。


また、ダニエルの父の世代にも何人かの


学者が居るようで、ダニエルの叔父の仕事を父が


引継ぐ場面もあったようです。


 

また、こんな事もありました。


1734年のパリ・アカデミー大賞で


父のヨハンと息子のダニエルが


同時に賞を受賞した事が父の名誉


を傷つけダニエルはベルヌーイ家


から出入り禁止の扱いを受けます。


父は死ぬまでダニエルを恨んで


いました。有名なダニエルの


流体力学に関する著作でヨハンによる


盗用もあったようです。家名が重い故に、


ヨハンは名誉で目がくらみ、良識を忘れています


 

そんな事もありましたが、ダニエルは研究を続け、


パリ・アカデミー大賞の受賞も10回になったようです。


何よりニュートン力学と数学を考え


合わせ「流体力学」を発展させました。


非粘性流体に対する「ベルヌーイの法則」は有益で、


変形する物体にニュートン力学の適用範囲を広めています。


そうした仕事は船舶の運航等に大変、役立ちました。






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コペルニクス


【2021/07/31-原稿改定】

「コペルニクス」の原稿を投稿します。画像はドイツの建物を使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1473年2月19日生まれ ~ 1543年5月24日没】



コペルニクスは王領プロイセンの一部であった現在のポーランドで生まれました。特に第2次大戦までのナショナリズムの時代には、その地に生まれた人々はドイツ人であると言われたりしていましたが、今日ではドイツ系ポーランド人と呼ばれることが多いです。コペルニクスは職業として天文学に専念出来る仕事に従事していませんでした。日々の仕事としては宗教の布教に伴う様々な仕事をしていたようです。コペルニクスは若い時代にイタリアに2度留学に出ておりボローニャ大学とパトバ大学で、それぞれ法律と医学を学んでいます。


そういった仕事の一つとして、聖堂参事会の財産管理


をしていましたが、その仕事の中で


「悪貨は良貨を駆逐する」


という概念を初めて用いています。


良質のお金は各人の手元に残り、


流通する貨幣は質の悪いものになっていくのです。


流通紙幣の品質に関連した議論です。


そういった社会的な活動もしていたという事実は


特筆すべきです。ドイツ騎士団がポーランド王領


プロイセン内ヴァルミアに侵攻する中で


コペルニクスの生活は変わっていきます。


その宗教的な側面をコメントしておくと、教会側からは


何時も批判にさらされていた訳ではないようです。


コペルニクス自身が教皇に『天球の回転について』


と名付けた著書を献呈していたりする事実も有り、


一定の良好な関係がみうけられます。


その半面でガリレオの時代には同書が閲覧出来ない


措置が取られていたり、著名なルターが批判をしています。


幾多の時代の世界観を大きく変える議論だったのです。


別途、地動説を唱えるプトレマイオスの論陣も、また


当時の科学的な知見に立脚して議論を進めていますが、


その中ではまだ確立されていなかった「慣性」という概念が


大きな役割を果たしたのであろうという議論があります。


 

さて、1539年にヴィッテンベルク大学の教授であった


ゲオルク・レティクスがコペルニクスを尋ねましたが、


そこで彼はコペルニクスから地動説の思想を


説明してもらい得心し、その考えを継承・発展したい


と思うようになりました。コペルニクスとレティクスの


師弟関係が始まっていくのです。


こんな話を私が調べていき興味を持った点は


コペルニクスが研究領域を確立していく道筋です。


当時は天文学という学問分野は明確にありませんでしたが、


コペルニクスは医学を修める中で、医学の学問体系に


含まれていた天体と人体という関連に着目して、


基礎分野となる天体の知識が当時不足していた事実


に気付くのです。今の我々にとって、一見すると


天体の運動は月くらいしか人間に関係があると思えません。


そこを極めていく事情も釈然としない部分があります。


また、当時の天文の知識は不十分だった筈です。


いわゆる「天動説」に立脚した理解体系では


「つじつまの合わない」事態に突き当たったはずです。


 

そんな彼らの自然との対話の中で、


レティクスはコペルニクスの理論を急速に吸収し、


理論体系の流布へ向け出版をするように


コペルニクスに進言します。。そうした話を受け


コペルニクスは自らの理論を纏めていこうと考えました。


1539年にはレティクスが自身の天文学の師、


ヨハネス・シェーナーに長い手紙を送りました。


その手紙の中においてコペルニクスの理論の抜粋


を盛り込んでいます。その写しをレティクスは


グダニスクの出版業者に持ち込み、翌年には


「最初の報告」として出版しました。そこでコペルニクスは


レティクスと共に執筆を進めました。その2年後には


「天球の回転について」の草稿が完成し印刷されたのです。


所がレティクスのライプツィヒ大学の数学教授への


就任に伴い、レティクスが後任指名した神学者


アンドレアス・オジアンダーが校正を続けます。


しかしそうした中、コペルニクスは脳卒中で倒れ、


半身不随となり、完成した製本原稿を読むことは


できませんでした。最終的に仕上がった印刷物は、


コペルニクスが亡くなった当日に


彼のもとに届いていたという逸話が残っています。


享年70歳の生涯でした。






以上、間違い・ご意見は
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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ 【2021/07/31原稿改定】

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【1736年1月25日生まれ ~ 1813年4月10日没】



ラグランジュはイタリアのトリノで生まれ


プロイセン王国・フランスで活躍しました。


そんな彼の生きた人生は革命の起きていた時代でした。


同時代のラボエジェが処刑された事に際し


ラグランジュは何故自身が生き延びたか


自問自答したのではないでしょうか。


何故なら彼はマリー・アントワネットの


先生を務めていたからです。


 

学問の世界ではラグランジュは多大な業績を残しています。


物理学者というより数学者としての仕事に思えてしまいます。


力学体系の整理をしてラグランジュ形式と言われる


理解を進めています。私も学生時代に


ラグランユアンと呼ぶ関係を多用しました。


解析力学と呼ばれる分野で、


ラグランジュ方程式につながります。


後の数論につながる議論もしていますし、


天体に関する研究等もしています。


 

ラグランジュの解析的な考えが有効だったのは


各種物理量を一般化して変分と呼ばれる類の


数学的な形式につながるからです。


後の量子力学はニュートンの作った微積分


だけではなく物理量の関係を


ラグランジュの使ったような関係で表現します。


また、ラグランジュはエネルギー保存則から


最少作用の原理を導きその考えは力学に留まらずに


電磁気学・量子力学でも使われています。


こういった定式化でのパラダイムシフトが


後の体系に不可欠です。


 

ラグランジュの未定乗数法や


定式化されたラグランジュアン


は誰しもが認める見事なものです。


そして、ラグランジュの名は


今でもエッフェル塔に刻まれています。


彼の残した仕事と栄誉と共に。






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ロバート・フック 【2021/07/31-原稿改定】

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【1635年7月28日生れ ~ 1703年3月3日没】



イギリスに生まれたフックは若い時代にボイルの下で


実験助手を務め、様々な経験を積みます。


そしてまた、ユークリッドの原論や力学、光の屈折など


様々な考え方を身に着けていきます。


フックの情報を調べてみると性格的側面の事情で、


人間関係の問題を抱えていったように思われます。


そもそもフックの父は英国国教会の聖職者でした。


2人の兄も聖職者として人生を歩んでいるようです。。


そんな家庭で育ったロバート・フックは


科学・数学といった理論の世界で


神に通じる美学を構築していったのではないでしょうか。


宗教的側面は精神的な土台として考慮すべきだと思えます。


そこから生まれる高潔な理想と現実世界での不条理が


彼の抱えていた問題だったと思えます。


数学で「問題の壁を乗り越えた時の感動」や


「誰の手も借りずに新しい発見をした時」の感謝の気持ちは


完全に人に伝えられない部分だと思えます。


そこで感動の共有が出来なかったとしたら、


フックはきっと孤独を感じたのです。





この紹介を書くにあたり調べ直してみた所、最終的にフックは寂しい人生を送っています。フックには子孫が居ませんでした。また、同時代のニュートンに比べ業績は見劣りします。年配のフックをニュートンは敬っていたようですが最後はどうしても論戦になり、科学的な思考の深さと明快な視点で反論されてしまったのでしょう。


とはいえ、その業績は特筆に値します。


有名な仕事はバネでの、フックの法則です。


ばねに働く力が長さの一乗に比例するという法則は


非常に明快で今でも色々な分野に応用されています。





また、惑星間に働く力が距離のマイナス2乗に働く


という法則もフックの発案であるという主張もありました。


もはや今となっては真相は不明です。


理論として体系立てることも大事ですが


先ずは気付きを与えるという事も大事です。


その意味でフックは議論をしてたというだけで


素晴らしいと感じます。






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アウグスト・ピカール  【2021/07/31-原稿改定】

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【11884年1月28日生まれ 〜 1962年3月24日没】



アウグスト・ピカールは宇宙と深海に


大いなる関心を持っていた人でした。


 

アウグスト・ピカールはスイスのフランス系家庭に生まれ


少年時代から科学に興味を示し、


チューリッヒ工科大学で物理学を学び宇宙線、


オゾンといった研究をしていくのですが


その探究心は冒険に繋がっていくダナミックなものでした。


まず、アウグスト・ピカールは成層圏に挑みます。


フランス国立基金から資金援助を得て、


自らが設計した気球に水素を詰めて上空16,000 mの


成層圏に達します。これは気球による世界初の達成でした。


空の果てに人類が初めてたどり着いたのです。


その先は遥かなる宇宙なのです。


 

その後、ピカールはバチスカーフと名付けた


深海潜水艇で深海に挑みます。


上空の果ての次は深海の果てを目指します。


バチスカーフは鉄の錘を抱いて沈んでいき


浮き上がる時には錘を切り離す


という仕組みで探検をします。浮力はガソリンでした。


 

そして、冒険家ピカールの血は代々受け継がれていきます。


息子であるジャック・ピカールを伴ってバチスカーフに搭乗し、


マリアナ海溝のチャレンジャー海淵到達を達成しています。


更には孫のベルトラン・ピカールが世界で初めて、


気球による無着陸世界一周を達成しています。


おじいさんの冒険を思い起こしながら飛んでいたのでしょう。


思いは空のかなたへ。素敵な一族ですね。






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小出昭一郎 【2021/07/31-原稿改定】

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【1927年3月25日生まれ ~ 2008年8月30日没】



小出昭一郎は多くの専門書を残した事
で知られています。東京に生まれ
東京帝大で学びました。第5回
ソルベー会議が開かれた年に生まれています。


教育に時間を捧げた人生だったのでしょうか。研究成果としては余り伝わっていません。ただ、金属錯塩の光スペクトルを研究していたようです。そこで手掛かりとして錯体について調べを進めてみます。錯体とは広義には、「配位結合や水素結合によって形成された分子の総称」(Wikipedia)狭義には、「金属と非金属の原子が結合した構造を持つ化合物」(Wikipedia)です。


何だか亀の甲羅みたいな記号が沢山出てきます。
そこからもう少し考えてみると、
光の吸光や発光に伴い対象物資
内の状態遷移に関する情報が得られるのです。
そしてそこから、電磁気特性や、
触媒の効果が理解出来るかと。


具体的に主な錯体としては
アンミン錯体_テトラアンミン銅錯体_[Cu(NH3)4]^2+
シアノ錯体_ヘキサシアニド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[Fe(CN)6]^3+
ハロゲノ錯体-テトラクロリド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[FeCl4]-
ヒドロキシ錯体 - アルミン酸_[Al(OH)4]-(または_[Al(OH)4(H2O)2]-
などがあるようです。ただ、当時の日本物理学は
本丸を攻めきれてはいなかったのですね。


プランクの黒体輻射理論発表から数十年がたち、
他国で議論が交わされていた時代に対して、
小出昭一郎の暮らした敗戦国日本は
戦前・戦後の混乱の中で
情報がどこまで取れていたのでしょうか。
小出昭一郎はそんな中でも量子力学の
理解を進め国内に広めていたのです。
そして、何より後進を育てていたのです。






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ジョルダーノ・ブルーノ 【2021/07/31-原稿改定】

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【1548年生まれ ~ 1600年2月17日没】



ジョルダーノ・ブルーノはイタリア生まれの哲学者にして


ドミニコ会の修道士です。有名な


ガリレオ・ガリレイと生きた時代が重なります。


自然観の観点から科学史の中で論じます。


 

コペルニクスの時代から時が過ぎ、


教会の世界観は変化しています。


当時のヨーロッパの人々の世界観について


教会が支配的立場をとるのです。その中で、


現代の我々の視点からは当時人々の不合理さは


受け入れ難いです。最終的にはブルーノは


火炙りに処されてしまいます。宇宙は有限ではなく無限で、


地球や太陽も星の1つ、というブルーノの考えは


当時の社会的な価値観に合いませんでした。


当時としては不愉快な考えだとも思われたのです。


そして火あぶり。酷い話です。


 

何よりも、ブルーノは


ドミニコ会の修道士でした。


「神の作りたもう世界は限り無い」


という信念をもっていて、


権威に立ち向かいつつも


彼なりに良心的な判断をして


考え方を構築していったのです。


 

数学的モデルで検証して欲しかった。


実験結果と照らして判断して欲しかった。


科学が得意な人々と議論して欲しかった。


私は勝手に、そう思います。


 

最後に、ブルーノの名誉回復の話です。


20世紀になってヨハネ・パウロ2世の時代に


過去の見直しが成され、処刑は不当であるとして、


違憲判決を勝ち取っています。新しい発想を


作り出したブルーノが再評価されたのです。


今、ブルーノは思想の自由に殉じた


殉職者として評価されています。






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N・L・S・カルノー  【2021/07/31-原稿改定】

「カルノー」の原稿を投稿します。画像はフランスの街並みを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1796年6月1日生まれ ~ 1832年8月24日没】



その名は正確にはニコラ・レオナール・サディ・カルノー


: Nicolas Léonard Sadi Carnot。


彼は理論的な熱機関カルノーサイクルを提唱して


熱が関与する物理学を考え続けました。


 

カルノーの関心は蒸気機関にありました。


当時の産業界は蒸気機関を


理論的に説明出来ていなかったのです。


経験的な知見として「水を熱した時に発生する蒸気が


液体状態から気体状態に移る中で


膨張して圧力を発生させます」。


その時に発生した圧力で摺動機関を動かして


力を得る議論の中で、カルノーの時代には定量的な


議論を踏まえて論じられる理論環境が無かったのです。


 

カルノーはニュートン力学で出てくる力の他に、その力を


加え続けた距離を考えて「仕事量」の概念を作ります。


重い荷物を「数cm引きずる」現象と「数km引きずる」現象


とでは大きな差がありますので、


「仕事量」の概念は感覚的に理解出来ます。


 

例えば、物体を動かす力と動いたときに発生する摩擦熱


の間には関係があり、それらを結びつけるのにカルノーは


仕事量の概念を使いました。他、比熱、熱容量、


といった概念が出来て様々な現象が繋がっていったのです。


 

ただ残念な事にカルノーは、


非常に短い人生を送っていて


36歳の時に病死してしまいます。


カルノーが評価を受けたのは死後でした。


クライペロンとトムソン卿が評価し、


その後にマッハが評価をしています。


カルノーが作り上げた「仕事」に関する


概念が後の時代に、ようやく評価されたのです。




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南部 陽一郎 【2021/07/31-原稿改定】

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【1921年1月18日生まれ ~ 2015年7月5日没】




南部 陽一郎は第二次世界戦時に研究を志しました。所が、時は戦時中。彼の頭脳は武器製造に貢献できると判断されて、陸軍のレーダー研に配属されました。戦時下ではどんな研究をしていたんでしょうね。そして、どんな気持ちだったのでしょうね。戦争の前後で東京帝国大学で研究を進めます。


戦後、南部 陽一郎は朝永 振一郎のグループで研究を続けます。そして物質を構成する
原子を考えていき、今に続く素粒子論を完成させていきます。中間子をひもとき、素粒子間の総合作用を考え、その形成に関して実験事実と、つじつまの合う理論を展開していきます。そうした研究を重ね南部陽一郎は「自発的対称性の破れ」でノーベル賞を受賞しています。南部陽一郎の話の組み立てとしては、強磁性体の自発磁化状態(外部からの磁場無しで内部磁気モーメントを揃えている状態)が温度上昇に伴い磁化を失う状態を考え、ラグラジアンを巧みに使い素粒子に適用しているのです。また彼は量子色力学や紐理論でも成果を上げています。


そういえば、南部洋一郎は私が学生時代に使っていた教科書の著者でした。その時点で米国の国籍を得ていた記憶
があり、研究者に対しての日本での待遇に疑問を抱いたものです。私は理論物理学の研究室に所属して居ましたが、卒業後も研究を続けて研究者として身を立てている仲間は今では数えるほどしかいません。多くは私のように、民間の会社に所属して物理学とは全く関係のない業務に従事しています。


少子化という流れもありますが名誉職としての教授に対して日本社会の扱いは低いとも感じていました。狭き門である事に加えて扱いが低いのです。それだから
南部 陽一郎がアメリカに帰化した気持ちは少しは理解出来る気がするのです。



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ベンジャミン・フランクリン【2021/07/31-原稿改定】

「ベンジャミン・フランクリン」の原稿を投稿します。画像はシカゴの街並みを使いました。注目をしていたのは国を超えた物理学での交流です。ガリレオにボイルが教えを受け、ニュートンにミュッセンブルークが教えを受けた時間は有益だったであろうと感じているのです。ご覧下さい。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1706年1月17日生れ ~ 1790年4月17日没】



その名はベンジャミンフランクリン:Benjamin Franklin,_グレゴリオ暦1706年1月17日の生まれですが、ユリウス暦では1705年1月6日にあたります。そんな両方の暦を使って説明する時代に生まれた人でした。フランクリンは政治家として、外交官として、著述家として、物理学者として、また気象学者として活躍します。後述する13徳を実践する謙虚な人であって努力家です。それに加えて実務家です。フランクリンの残した「フランクリン自伝」はアメリカのロング・ベストセラーの一つとなっていて今でも100ドル札には肖像人物としてベンジャミンフランクリンが使われています。(2021年3月現在)広くアメリカ人に愛され続けています。




フランクリンの業績として有名な物は凧を使った雷の実験です。フランクリンはライデン瓶の実験がされていると聞き電気に興味を持ちました。1752年に雷鳴り響く嵐の日に凧をあげました。その時、地上側の凧糸の先にワイヤーで接続したライデン瓶を連動させることでその時の上空の帯電状態を示す作業をしました。非常に直接的な実験ですがその電圧が数億ボルト(流れる電流が数十万アンペア超)とも言われる現象に対してベンジャミンフランクリンが、どの程度の理解をもって納得しながら実験の設定を行ったかについては、大きな問題を感じます。実際に21世紀になってから、アイドルのコンサートでの落雷事故があった事は記憶に新しいでしょう。フランクリンの時代に検証実験を試みて多数の死者が出た事実もある事から「絶対に真似をしてはいけない」実験であると言えます。その実験を行ったフランクリンの勇気は手放しで賞賛出来ない部分がありますが、それを踏まえて考えてみても、人々に尊敬される偉人であることは確かです。

フランクリンの偉業は他にも続き、避雷針、燃焼効率の


高いストーブ、遠近両用眼鏡を次々と発明しました。


そして、フランクリンはその発明に対して


特許はとらないで社会に還元しました。


アメリカ独立宣言の起草にも加わっていたと言われます。


自らの自律心でコツコツと独学で事を成し遂げてきた


フランクリンは13徳と呼ばれる戒律を実践していたと言われます。


最後にご紹介させて下さい。


【13徳(Wikipedeaより引用、週に一つずつ各徳目に身を捧げました)】


◆節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。


◆沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。
駄弁を弄するなかれ。


◆規律 物はすべて所を定めて置くべし。
仕事はすべて時を定めてなすべし。


◆決断 なすべきをなさんと決心すべし。
決心したることは必ず実行すべし。


◆節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。
すなわち、浪費するなかれ。


◆勤勉 時間を空費するなかれ。
つねに何か益あることに従うべし。
無用の行いはすべて断つべし。


◆誠実 詐りを用いて人を害するなかれ。
心事は無邪気に公正に保つべし。
口に出だすこともまた然るべし。


◆正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを
与えずして人に損害を及ぼすべからず。


◆中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、
憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。


◆清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。


◆平静 小事、日常茶飯事、
または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。


◆純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、
これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、又は自他の平安
ないし信用を傷つけてはいけない。


◆謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし。






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スイス関係の物理学者【2021/07/31-原稿改定】

「スイス関連」の原稿を投稿します。画像はスイスの街並みを使いました。変更内容はベルヌーイの追加です。今迄フランス人として考えていました。生まれはスイスでした。改めてご覧下さい。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

スイス連邦、伝説の英雄ウィリアム・テルの国、心理学者ユングの国、そして、アルプスの少女ハイジの国です。その人口は近年のデータで860万人程度(世界第99位)と言われています。小さな国だと思えますが永世中立国として政治的独自性を保ち、多数の金融機関、国際機関が置かれていたりします。本稿では、そのスイス関連の物理学者をご紹介します。全て網羅されていると思えませんが、集めてみると、個性的な人材ですね。スイスの美しい街並み、豊かな大自然、優しい人々が育んだ、自然科学分野の人材です。ご覧下さい。



ダニエル・ベルヌーイ_1700年2月8日 ~ 1782年3月17日


L・オイラー_1707年4月15日 ~ 1783年9月18日


アウグスト・ピカール_1884年1月28日 〜 1962年3月24日


W・E・パウリ_1900年4月25日 ~ 1958年12月15日


以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信できていませんが、
適時、返信・改定をします。


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2021/03/09_初回投稿
2021/06/28_改定投稿


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P・V・ミュッセンブルーク【2021/07/31-原稿改定】

「ミュッセンブルーク」の原稿を投稿します。画像はオランダの街並みを使いました。注目をしていたのは国を超えた物理学での交流です。ガリレオにボイルが教えを受け、ニュートンにミュッセンブルークが教えを受けた時間は有益だったであろうと感じているのです。ご覧下さい。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1692年3月14日生まれ ~ 1761年9月19日没】






その名はピーテル・ファン・ミュッセンブルーク

;Pieter van Musschenbroek。

ライデン瓶の発明で知られているオランダの物理学者です。

ポンプや顕微鏡、望遠鏡を作る職人の子供として生まれます。

何より、最初の蓄電器であるライデン瓶を作ったことで

知られています。ラテン語学校でギリシア語・ラテン語・フランス語・英語、ドイツ語などを学んだ後にライデン大学で医学博士となります。当時の学識の付け方は今と大きく異なっていたようですね。そして、当時の大物である物理学者ニュートンの講義を受けています。

その後、ミュッセンブルークは数学、哲学、医学、占星術の教授を歴任します。占星術は当時の教養の中で合理的な学問体系であると考えられていて、少し前の時代には王家に使えていたノストラダムスが天文学と占星術を修めていたという史実もあります。そして、ミュッセンブルークが1726年に刊行した「Elementa Physica」では広くニュートンの理論をヨーロッパに広めています。

その後、

静電気の力を中心にミュッセンブルークは関心を深め、

ガラス瓶の中に充満した水の中で帯電した棒が

反発しあう現象を形にします。非常に効果的な装置で

水の中で実験を行うことで重力の効果を

浮力で打ち消して微細な反発力をとらえられます。

また、支点を介した二つの棒が重力と直角方向に

開いていくので開いた角度がθの時に重力の分力が

Sinθで考えられるのです。

浮力が重力を打ち消す効果と分力でSinθだけ考えればよい

事情が相まって電気による微細な反発力が目に見える

効果として現れます。開き角度が狭い時点では

殆ど重力の効果がない形で

帯電に起因する力が可視化出来るのです。

 

それまで帯電棒をこすり続けたりしなければ

示せなかった「静電容量に起因する力」が

ミュッセンブルークによって示されました。

後の電磁気学の発展に繋がっていきます。

確かな一歩が残されたと言えるでしょう。





以上、間違い・ご意見は
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2021/07/01_初回投稿
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マリ・キュリー   【2021/07/31-原稿改定】

「マリ・キューリ」の原稿を投稿します。画像はソルベー会議の集合写真を使いました。本稿では行間の使い方を再考しています。詩的な「恋をする」「人生の美しい場面を感じる」という時間と「議論を突き詰める」「知見を拡大する」といった時間を別々のリズムで読み進んで頂きたいからです。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1867年11月7日生れ ~ 1934年7月4日没】


 


その名はマリア・スクウォドフスカ=キュリー:Maria Salomea Skłodowska-Curieですがフランス語でマリ・キューリと呼ばれる事が多いです。彼女は物理学と化学で2度ノーベル賞を受けています。マリ・キューリの父は研究者でしたが貴族階級の出身だった為に、帝政ロシアの支配下の元で教壇に立つことを禁じられていました。マリ・キューリは10歳をなる前に大変苦労します。父の非合法の講義が発覚して職・住を失い、母の結核による他界があり、更には投機での失敗もあり、マリーは親戚等の世話になります。





そんな時期にマリ・キューリにも恋をした時代があったようです。


当時、マリ・キューリは家庭教師を生業としていましたが、


カジュミェシュ・ゾラフスキという青年と恋仲に落ちます。


共に避暑旅行に出かけたりして幸せな時間を過ごしましたが、


最終的には破局を迎えました。この事がマリ・キューリの


パリ行きに繋がった様です。


 

パリでもマリ・キューリは苦労します。


屋根裏部屋に住んで寒い時には


持っている全ての服を着ながら勉学に励みます。


そんなパリ生活は大学の学部を卒業する迄、続きました。


 

そんなマリ・キューリに


光明がさします。


知り合いを通じてピエール・キューリと出会ったのです。


 

そのピエール・キューリは国外で


評価を受けていて1893年には英国の


ケルヴィン卿が訪ねてくる程でした。


ところが、ピエール・キューリは


勲章を辞退してしまうような性格で


ひたすら研究に励んでいました。


 

そんな二人が惹かれ合い、認め合い、


マリの帰国後もピエールは恋文を


贈り続け、遂にはマリの心が動き、


2人は簡素な結婚式をあげます。


幸せな結婚だったと思います。


祝いの宴もなく、結婚指輪も無い、


つつましい形式でしたが


祝い金で買った自転車に乗り、


フランスの片田舎へと新婚旅行に旅立ちます。


ピエールが自転車をこぎ、


その後ろにマリが乗り、長閑な道を


語りながら進んでいった事でしょう。


料理を頑張り、長女に恵まれながら学問を続け、


ベクレルの見出した放射線に対して二人は研究していきました。


そこで。光や温度といったパラメターではなくウラン含有量の「量」が放射現象には本質的であるとの結論を得ます。その後、マリとピエールの夫妻は元素の精製に心血を注ぎます。純度をあげる事で同位体の存在に近づいていったのです。関心のある精製にキューリー夫妻は全てを注ぎ込みます。結果として、夫ピエールは度重なる発作に苦しみ、妻マリは神経衰弱から睡眠時遊行症に陥ります。そんな中で


第2子を流産してしましました。


そうした犠牲を払い、新しい概念の提唱に至ります。


即ち、


「特定元素は別の元素へ変化する」


という事実です。


そして、その過程で放射線を放出して一見エネルギー保存の法則に相反する変化を起こしますが、それを追ってラザフォードらが研究成果を次々に発表します。原子核の崩壊過程では素粒子の結合に関わる様々なエネルギーが関与します。現在では簡素にダイヤグラムで理解する手法が確立されていますが、当時は手探りの状況理解でした。そして夫ピエールが放射線に医学的効果を期待出来ると発見をしていくのです。ラジウムの効果でした。微量のラジウムならば古くから「ラジウム温泉」の効果は広く知られていました(ただし、明確に「ラジウム」という言葉は使われていませんでした)。また、現在では分かっているのですが過度のラジウムは身体に悪影響を与えます。放射線の影響を直接・装置で患者に対して考慮し始めたのです。ピエールの発見は大きな人類の知見へと繋がっていきます。


当初は、妻マリーの博士学位習得が放射線研究の目的であったのですが最終的にはマリー・ピエール・ベクレルの3人に対してノーベル賞が贈られます。苦労してきた二人にとって、まさに栄誉の極みでした。


所が、その後突然の不幸が訪れました。夫ピエールが46歳の若さにして交通事故で命を落とすのです。妻マリーは悲痛にくれます。当然でした。その後、傷が癒えるまでに多くの言葉と時間が必要でしたが、最終的に妻マダムは夫ピエールの大学での職位と実験室の後任を引き継ぎます。研究者として活動を始めたのです。


マリー・キューリ―はケルヴィン卿と対峙します。夫を認めてくれていた恩人でもあるのですがケルビン卿はラジウムを元素ではなく化合物であると考えていたのです。マリーは実験事実で論破してケルビン卿の誤りを正しました。そしてカメリーオネスと低温状態のラジウム放射線を研究していこうと話を進めます。第一回ソルベー会議で論文を発表していた若き日のアインシュタインを評価して、チューリッヒ大学教職への推薦状を書いています。そうした当時の綺羅星の物理学者が彼女と交流を持ちました。反面、ゴシップ騒動に追われていた部分も有、マリーはマスコミを嫌います。二度目のノーベル賞を受ける際にはスウェーデン側からも授与を見合せる打診がありましたがマリーは毅然と対応して、ゴシップネタとされた関係を
「成果をあげた関係」であると語りました。
旦那様の教え子、ランジュバンとの成果でした。


そして、、、語らなければなりません。何より悲しかったのは放射線のもたらした弊害です。研究の過程で放射線被曝が重なりマリーは頭痛・耳鳴り・怪我がなかなか治らないといった障害に悩まされ続けます。そして終には死に至りますが、当時はまだその関連性が明確ではなかったようです。


波乱に満ちたマリー・キューリの人生は幕を閉じましたがその後人々は彼女の残した物を高く評価しています。1995年、夫妻の墓はパリのパンテオンに移されました。フランス史の偉人の一人として今でも祭られています。そして、物理の世界の偉人として世界中で語り継がれています。






以上、間違い・ご意見は
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最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


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2020/10/14_初稿投稿
2021/07/11_改定投稿


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2021年07月30日

E・ウィグナー
_【1902年生まれ-2021/7/30原稿改定】

「ウィグナー」の原稿を投稿します。原稿文字数は1178文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。定点記録を残すと、7/23と7/25でf/f数は、
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浩司   BLLp.578/2339と585/2340.
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作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


 【1902年11月17日 ~ 1995年1月1日】

 


その名を書き下すとユージン・ポール・ウィグナー


(Eugene Paul Wigner)。


ハンガリー生まれのユダヤ人です。


ポール・ディラックの義理のお兄さんで、


BCS理論の作成者の一人バーディーンの指導教官です。


物凄い人脈を持っている人ですね。また、


「原子核と素粒子の理論における対称性の発見」に対して


1963年ノーベル物理学賞を受賞しています。


対称性に着目した素粒子の整理は有効で


その分類方法が無ければ進まなかった話が沢山あります。


 

ユージン・ウィグナーは現在のベルリン工科大学を卒業後


そこで勤務していましたがナチスドイツのユダヤ人迫害


に対して研究継続の困難を感じ、アメリカに亡命をします。


米国に亡命後はウィスコンシン大学で物理学の教授を務め、


その後にプリンストン大学で数学の教授を務めました。


そんなウィグナーはレオ・シラード


エドワード・テラーらと、ナチスドイツが


原子爆弾を開発した時の危険性をアメリカ政府に対して


訴えていきました。実際にベルリンを追われた


過去を持つウィグナーは現実に当時の状況を分析


していたのだろうと思います。つまり、


当時のドイツに残っていた科学の水準を理解していて、


ナチスが有していた兵器を理解していたから、


ナチスによる原爆開発の危険を強く感じて


いたのだと思えます。ただ、実際の歴史を知っている


今の我々にとって見たら取り越し苦労です。


ノルマンディー上陸作戦以降の連合軍の


通常兵器での反攻を思えば、優秀とはいえ、


一国のドイツがヨーロッパ大陸を長期間占領し続ける


事は出来なかったでしょう。


現在で考えると強大化する中国に対して欧米諸国


がどういった対応をするか


気になる所でありますよね。いずれにせよ、


英米が原爆を所有するきっかけを


ウィグナー達は作ったのです。


 

ウィグナーはアメリカの原爆開発のきっかけ


となったアインシュタイン名による大統領宛書簡


の起草対してシラードやテラーと連名で加わり


ました。加えて、原爆を開発するマンハッタン計画


にはメンバーとして加わりました。


晩年にウィグナーは哲学的な傾向を深め、講演録


「自然科学における数学の理不尽な有効性」を残しています。


著名なこの著作は多分野に影響を与えています。また、


ウィグナーの妹は食事の席にディラックを招いた縁で、


彼の奥さんになっています。とても意外な取り合わせですね。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をしていきます。


nowkouji226@gmail.com


2021/04/06_初版投稿
2021/07/30_改定投稿


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エンリコ・フェルミ
【1901年生まれ-2021/7/30原稿改定】


「フェルミ」の原稿を投稿します。原稿文字数は3307文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。定点記録を残すと、7/23と7/25でf/f数は、
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作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


 

【1901年9月29日生まれ ~ 1954年11月28日没】



フェルミはイタリアのローマに生まれアメリカで没してます。


アメリカではフェルミの名前を冠した研究所が今でも


シカゴ大学内にあって、そこで議論が交わされています。


その業績は社会的側面が大きいものもある一方で


純理論を突き詰めた後世の多くの物理学者が使う


原理・概念もあります。まさにパラダイムシフトを起こした


立役者です。ミクロの世界を切り開きました。


 

そもそも、フェルミは学生時代から抜きん出た優秀さ


を備えています。一歩一歩、フェルミは議論を展開して


ノーベル賞を受け、その授賞式の際にイタリアから


アメリカに亡命しました。時節柄、奥様がユダヤ人


だつた為迫害されていたのです。アメリカ移住後に


フェルミは有名なマンハッタン計画に参画し、


原子力発電所の創設に携わり社会を大きく変えていきます。


そもそも、計画への参加はオットー・ハーンが


ドイツで核分裂実験に成功した事情が大きいです。


フェルミを初めとした物理学者達が時代に


危惧感を抱いたのです。アメリカを中心とする


資本主義圏が自由を謳歌した点でフェルミの業績は


計り知れないです。反面でスリーマイル島の事故や


福島での原発事故を思い起こすと、


気楽に賞賛ばかりはしていられません。


このブログの中で私が何回か主張しているように


識者が知恵を集結して問いかけなければいけません。


かってのラッセルーアインシュタイン宣言を


思い起こしたいです。一方で我々、大衆も


皆で分かる範囲の言葉を使い意見を交わさねばなりません


可能な範囲で意見を交わして民衆の英知を集結させるべきです。個人個人が平和に対して語る時に少しでもしっかりした考えをもって話さないといけないのです。色々な人と語る時に話が繋がっていく様な議論の土壌を、少しずつ育んでいかないといけないのです。会話をする個人それぞれが、より平和と現実に対してしっかりした考えを持ってほしいです。そんな人が話しやすい雰囲気を出していけるような人になって下さい。自分が話を広げるだけではなくて、相手の意見や気分を理解する力も大きいです。
考えを作るうえで政治家には頼れない昨今です。
各人、しっかりした考えを育んで下さい。


さてフェルミに話を戻します。
フェルミは純理論の中で
スピン角運動量に関して議論を進めました。
別のご紹介でボゾン・アインシュタイン
の系を紹介しましたが、フェルミと
ディラック
は別の粒子群に着目します。

後世の理解ではスピン角運動量が
半整数(1/2とか3/2とかいった数)
の粒子はフェルミ粒子(フェルミオン)
と呼ばれボゾンとは別の振る舞いを示します。
具体的なフェルミオンとしてはク
ォークや電子、ミュー粒子、ニュートリノ、
陽子、中性子もフェルミ粒子の仲間です。

こうした概念は電気伝導率の物性を
議論するときには欠かせません。


フェルミの排他律に従う電子の集団を統計的に扱い、
フェルミ統計を確立したのです。例えばこの理論で
金属他の熱伝導が非常によく説明されます。。


こうして沢山の業績を世に残し、


フェルミは天に召されました。


彼は病床で点滴が落ちるのを眺めて、


その流速を出していたと言われています。


フェルミこそ、生粋の物理学者でした。


謹んでご冥福をお祈り致します。






以上、間違いやご意見があれば
以下アドレスまでお願いします。
問題点に会しては適時、
改定・訂正を致します。


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2020/09/13_初回投稿
2021/07/30_改定投稿


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エドウィン・パウエル・ハッブル
【1889年生まれ-2021/7/30原稿改定】

「ハッブル」の原稿を投稿します。原稿文字数は628文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で時代別のリライトを行っています。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1889年11月20日 ~ 1953年9月28日】



ハッブルは近代の天文学者で、


膨張宇宙論を特徴づける


ハッブルの法則等が有名です。


そんな大天文学者ですが、


高校時代は陸上でイリノイ州の


記録を更新したりしていました。


そんな少年時代は後の人生と


全く違いますね。そして、


大学時代はボクシングでならし、


とあるプロモーターから


世界チャンピオンとの一戦を


持ちかけられた程の強さでした。


これまた意外ですね。


ハッブルの業績で大きいのは
赤方偏移の発見でしょう。
1929年にセファイド変光星の観測


から明るさと変光周期の関係を


観測していく事で


赤方偏移の考え方を導きました。


ハッブルが考える宇宙論では、
無論、直接の実験は出来ません。
使える理論も検証の為に理論が
必要となる学問体系でした。
反面ハッブル提唱の赤方偏移は
宇宙理論に明快な方向性を与え、
次の考えに繋がっていくのです。
赤方偏移の考えから
膨張宇宙論の考えが裏付けられ、ひいてはビックバーン理論へとつながっていったのです。


また、我々が暮らす銀河と別の銀河を見つけた業績も特筆するべきです。



 




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2020/11/08_初稿投稿
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N・L・S・カルノー 【2021/07/30-原稿改定】

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【1796年6月1日生まれ ~ 1832年8月24日没】



その名は正確にはニコラ・レオナール・サディ・カルノー


: Nicolas Léonard Sadi Carnot。


彼は理論的な熱機関であるカルノーサイクル


を提唱して熱が関与する物理学を考え続けました。


その父は革命時のフランス軍の中で尊敬を集めていて


軍制改革を主導したと言われています。そして、


カルノーは正義感の強い感受性豊かな青年に育ちます。


 

そんなカルノーの関心は蒸気機関にありました。


当時の産業界では蒸気機関を


理論的に説明出来ていなかったのです。


蒸気が急激に膨張することは分かりますが


蒸気を構成する個別の粒子の挙動、とりわけ


集団的運動のもたらす「温度上昇(低下)」や


「圧力」、「体積」といった量との関係が


明確ではありませんでした。


 

経験的な知見として「水を熱した時に発生する蒸気が


液体状態から気体状態に移る中で


膨張して圧力を発生させます」。


その時に発生した圧力で摺動機関を動かして


力を得る議論の中で、カルノーの時代には定量的な


議論を踏まえて論じられる理論環境が無かったのです。


 

カルノーはニュートン力学で出てくる力の他に、その力を


加え続けた距離を考えて「仕事量」の概念を作ります。


重い荷物を「数cm引きずる」現象と「数km引きずる」現象


とでは大きな差がありますので、


「仕事量」の概念は感覚的に理解出来ます。


 

例えば、物体を動かす力と動いたときに発生する摩擦熱


の間には関係があり、それらを結びつけるのにカルノーは


仕事量の概念を使いました。他、比熱、熱容量、


といった概念が出来て様々な現象が繋がっていったのです。


 

ただ残念な事にカルノーは、


非常に短い人生を送っていて


36歳の時に病死してしまいます。


カルノーが評価を受けたのは死後でした。


クライペロンとトムソン卿が評価し、


その後にマッハが評価をしています。


カルノーが作り上げた「仕事」に関する


概念が後の時代に、ようやく評価されたのです。






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ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ 【2021/07/30-原稿改定】

「ラグランジュ」の原稿を投稿します。画像はフランスの街並みを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1736年1月25日生まれ ~ 1813年4月10日没】



ラグランジュはイタリアのトリノで生まれ


プロイセン王国・フランスで活躍しました。


そんな彼の生きた人生は革命の起きていた時代でした。


同時代のラボエジェが処刑された事に際し


ラグランジュは何故自身が生き延びたか


自問自答したのではないでしょうか。


何故なら彼はマリー・アントワネットの


先生を務めていたからです。


 

学問の世界ではラグランジュは多大な業績を残しています。


物理学者というより数学者としての仕事に思えてしまいます。


力学体系の整理をしてラグランジュ形式と言われる


理解を進めています。私も学生時代に


ラグランユアンと呼ぶ関係を多用しました。


解析力学と呼ばれる分野で、


ラグランジュ方程式につながります。


後の数論につながる議論もしていますし、


天体に関する研究等もしています。


 

ラグランジュの解析的な考えが有効だったのは


各種物理量を一般化して変分と呼ばれる類の


数学的な形式につながるからです。


後の量子力学はニュートンの作った微積分


だけではなく物理量の関係を


ラグランジュの使ったような関係で表現します。


また、ラグランジュはエネルギー保存則から


最少作用の原理を導きその考えは力学に留まらずに


電磁気学・量子力学でも使われています。


こういった定式化でのパラダイムシフトが


後の体系に不可欠です。


 

ラグランジュの未定乗数法や


定式化されたラグランジュアン


は誰しもが認める見事なものです。


そして、ラグランジュの名は


今でもエッフェル塔に刻まれています。


彼の残した仕事と栄誉と共に。






以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
最近は返信出来ていませんが
全てのメールを読んでいます。
適時返信のうえ改定を致しします。


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2020/10/02_初稿投稿
2021/07/14_改定投稿


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2021年07月29日

ハイゼンベルク
【1901【1901年生まれ2021/7/29原稿改定】

「ハイゼンベルグ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1310文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。定点記録を残すと、7/23と7/25でf/f数は、
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作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】



 



ハイゼンベルクは行列形式


の導入や、不確定性関係等


の適用で、量子論を形作った


一人です。バイエルン王国


に生まれミュンヘン大学


ゾンマーフェルトに学び


マックス・ボルンの下で


助手を務め、コペンハーゲン


ニールス・ボーアの下で


修業します。そうした中で


理論の形式を整えます。


そして加えて、ハイゼンベルクはシュレディンガーポール・ディラックと同じ時代に生き、積極的に行動すればアインシュタインボースとも議論が出来ました。。そうした天才達がミクロの原理を一つ一つ解きほぐしたのです。まだ見えない原子レベルの大きさの事象を推察する手法が色々と試みられて、その結果を説明する理論が発展したのです。不確定性関係の発表が1927年なのですが、同時期には数多くの革新的な発表がされて量子力学の対象の理論と応用技術が飛躍的に発展した時代でした。


同時に大変な時代背景、第二次世界大戦があり
ハイゼンベルクはアインシュタインが作った
相対論を駆使したりユダヤ人物理学者を養護
していたので、ナチス党員の物理学者から
「白いユダヤ人」と呼ばれ苦労しています。
プランクからの指摘もあり
戦後の体制を見据えてハイゼンベルクはドイツ
に残りました。しかし戦時下ですので物理の知識を
ナチスの為に使う事になり、色々考えたようです。
実際にハイゼンベルクのシンクロトロンが火災を起こし
世界でニュースとなったと聞き、アインシュタインは大変驚きます。
実際にその事件が彼に原爆開発を決意させたとも言われています。そして、大戦が深まる中でナチス側も原子力爆弾の実用化を模索していた中で当時のドイツ内でのハイゼンベルグの立場は極めて苦しくなります。実際にハイゼンベルグが積極的な態度をとったとしたら恐ろしい事です。歴史には「たら・れば」はよく語られていて、、仮にナチスが原爆を持っていたら、
連合国との原爆の応酬で
とても恐ろしい状況になっていた筈です。


ハイゼンベルグの理論の側面を考えると、個人的に、オブザーバブルに対する状態の時間発展を表すやり方は大好きです。洗練されてます。ハイゼンベルク等の提唱した行列形式はそこにつながっていきます。又、いくつかの思考実験で裏打ちされた不確定性関係は量子力学の現象理解の中では本質的です。


またハイゼンベルクはピアノの名手
だったと言われていています。
聞いてみたかったですね。


 





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。


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2020/08/19_初回投稿
2020/07/29_改訂投稿


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W・E・パウリ
【1900年4月25日生まれ-2021/7/29-原稿改定】

「パウリ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1863文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。定点記録を残すと、7/23と7/25でf/f数は、
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作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】【1900年4月25日生まれ ~ 1958年12月15日没】


【1900年4月25日生まれ ~ 1958年12月15日没】



その名はWolfgang Ernst Pauli。オーストリア生まれの


スイスの物理学者。パウリの排他率律で有名です。


排他律を排他率と書いてしまいがちですが


排他律です。その「パウリの排他律」は


「パウリの原理」とも呼ばれています。


1945年にアインシュタインの推薦で


ノーベル物理学賞を受けています。


ミドルネールのエルンストはパウリの名付け親で、
パウリが尊敬するマッハに由来します。
父方はユダヤ系で有名な出版社を
経営していたようです。


さて、


排他律の具体的な内容に関してですが、


ナトリウムの分光実験から話が始まります。


再現性の高い事実として磁場付加時の分光は


電子の自転に由来するという仮説をパウリは立て、


後にそれをスピンと名付けます。


新しい量子的自由度です。


後に行列力学を基盤とした定式化


を行い数学的に表現します。


個人的に興味を引くのはミュンヘン大学でパウリがゾンマーフェルト_の師事を受けている点です。私が講義を受けた先生がゾンマーフェルト_を研究していて、マッハの名前も、その先生から教えてもらいました。そして、マッハ・ゾンマーフェルト・パウリとつながったのです。そしてもう一つ個人的な話を続けます。今使っているドメインへの投稿です。何故か半歳程、投稿漏れに気づかずにいたのですが、ある日「パウリ」について気になって上記ゾンマーフェルトとの関係を思い出したのです。そして急ぎ作業を続けていて驚いたのは、その日がパウリの誕生日だったのです。パウリが生まれてから220年が終わった瞬間でした。後述するユング達が極めた深層心理の世界では意識下と無意識下の間に「潜在意識」を想定しますが、そんなことも少し考えてしまいました。よもや潜在意識下で決めた投稿日だったのでしょうか。とか考えてしまいました。


私の頭の中での奇妙な三角関係はさておき、


パウリは人間的にも面白い人だと思えます。


独自に培った知性で各界の著名人を魅了しているのです。


例えば、博士号を習得した直後、パウリは


ゾンマーフェルトに独逸語での百科事典の記事執筆


を依頼されます。内容は相対性理論に関する記事


でしたが、2か月ほどをつかって完成させました。


その結果はアインシュタイン本人の査読にかなう


見事なもので、今日においても読み応えのある


ものとなっているそうです。アインシュタインは


パウリのミドルネームに気付いていたのでしょうか。


マッハとの関係を知っていたのでしょうか。


機会があれば調べてみたいと思います。


マッハ・アインシュタイン・パウリの三角関係です。


更に妙な繋がりは心理学者C・G・ユングとの関連です。パウリは離婚後に精神を病んでいた時期がありました。今や、夢分析の世界で有名なユングに完璧主義者のパウリが出合ったのです。先生と生徒という関係を築き、生徒としてユングにパウリは科学的な批評を加えます。互いに有益な関係だったのでしょう。因みにユング関連での兄弟弟子フロイトもユダヤ系です。アインシュタインもユダヤ系です。この切り口で考えていっても特有の思考的な共有点が見いだせると思います。思考の方法を考えるうえで、少し興味深い対象です。


そして、


パウリは最後まで愛した物理学を愛し続けました。


戦争での苦難の時代の後に帰国して、


病床でも完璧主義者として見舞客と議論を続けました。


その中で語り継がれている話があります。


微細定数と呼ばれる無次元量があって、


それはプランク定数に関わる相互作用を


特徴付ける量です。パウリはその値に最後まで、


こだわり抜きました。


もし、パウリが神に謁見したら、
神に微細定数 1/137.036...の
理論的根拠を尋ねたとしたら、
神様は物凄い速度で計算式を
書き連ねるだろう。その後、
きっとパウリは「違う!」
と唱えて、話し続けるであろう。


よもや、神様さえも「あ!」
と唱えるのではないか、
と不遜にも想像してしまいました。


 





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オットー・シュテルン
【1888年生まれ-2021/7/29原稿改定 】

「シュテルン」の原稿を投稿します。原稿文字数は778文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/23(金)朝の時点でフォロワーは合計【11902】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1888年2月17日生まれ ~ 1969年8月17日没】



シュテルンはドイツ生まれの物理学者でナチスに追われ


アメリカへ移ります。シュテルンは先ず、ポーランドの


プラハ大学でアインシュタインに会い、


共にチューリッヒ工科大学に移ります。


気の合う議論相手だったのでしょうか。


調べを進めていくと共にユダヤ系である事情


が大きい気がしてきました。何より、


ホロコーストが実際に行われていた時代ですからね。


同じ恐怖と憤りを感じて反体制の話もしていたことでしょう。


シュテルンはドイツ本国で当時の感心事であった原子線の研究をします。連続して特定の粒子を放出する事で粒子の性質を明らかにしていくのです。結果としてヴァルター・ゲルラッハと共に歴史的な実験を成し遂げました。この実験で注目されるのは「個別粒子の磁気的性質」です。加熱して蒸発させた銀の粒子をビーム状に放出した時にその粒子線に対して磁界をかけるのです。すると、粒子は二つに分かれて
一点だった輝点(粒子の当たった場所)が
二点の輝点となります。この事実は
粒子にスピンがある事で説明が出来るのです。


戦争に伴い、ナチスにハンブルグ大学の
地位を追われた
シュテルンはアインシュタインと共に
1933年アメリカに亡命します。
戦後ナチス政権下で教授を続けた
ゲルラッハと対照的ですね。


最終的にはUCB
(カリフォルニア大学バークレー校)で
名誉教授を務めます。81歳の生涯でした。




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問題点には返信・改定をします。


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2020/10/31_初版投稿
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A・H・ルイ・フィゾー 【2021/7/29-原稿改定】

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【1819年9月23日生まれ 〜 1896年9月18日没】


 


その名は正確には、アルマン・イッポリート・ルイ・フィゾー


(Armand Hippolyte Louis Fizeau,1819年9月23日 - 1896年9月18日)


地上で光速度を始めて測定した人で、フランス人です。


 

フィゾーの実験として有名な物は1849年に回転歯車を使った


公開実験です。明快に原理を示して光速度を数値化しました。


フィゾーの示した数値が重要なのは、後に明らかになって


いきますが光が電気と関係してるからです。


マクスウェル_が電磁気学をまとめる中で、


自分の理論での計算結果とフィゾーの示した値が


とても近い事実に気付きます。それはきっと、


現代風に言えば、電磁波の伝播速度が光速度に近い、


という事実なのでしょう。


媒質が真空であれば一致する筈です。


 

また、フィゾーはドップラー効果も予見してます。こ


の「ドップラー効果」という言葉はスマホ入力で一発変換


されています。そんな当たり前の言葉なのですが、


もともとはフィゾー達が確かにしていった概念なのです。


 

今の我々は簡単に考える作業も、時代が変われば


大変な困難に直面したはずです。特に


新規の概念を手探りで考えていく中での実験は


大変だったであろうと思えます。


フィゾーが実験を繰り返す困難は測り知れません。


当時は未だ


「指向性の強い(光が拡散せず、広がらない)」レーザー


光線も無かったでしょうし、当然デジタルのカウンター


なども無いので、


計測系のイメージだけでも大変だったでしょう。


私が何より興味深いのはフィゾーの


頭の中にある理論的な考察が


閃きによって実験に昇華するプロセスです。


フィゾーは理論的な原理を優れた実験で


わかり易く示したと思います。






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2021/07/29_改定投稿


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小出昭一郎 【2021/07/29-原稿改定】

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【1927年3月25日生まれ ~ 2008年8月30日没】



小出昭一郎は多くの専門書を残した事
で知られています。東京に生まれ
東京帝大で学びました。第5回
ソルベー会議が開かれた年に生まれています。


教育に時間を捧げた人生だったのでしょうか。研究成果としては余り伝わっていません。ただ、金属錯塩の光スペクトルを研究していたようです。そこで手掛かりとして錯体について調べを進めてみます。錯体とは広義には、「配位結合や水素結合によって形成された分子の総称」(Wikipedia)狭義には、「金属と非金属の原子が結合した構造を持つ化合物」(Wikipedia)です。


何だか亀の甲羅みたいな記号が沢山出てきます。
そこからもう少し考えてみると、
光の吸光や発光に伴い対象物資
内の状態遷移に関する情報が得られるのです。
そしてそこから、電磁気特性や、
触媒の効果が理解出来るかと。


具体的に主な錯体としては
アンミン錯体_テトラアンミン銅錯体_[Cu(NH3)4]^2+
シアノ錯体_ヘキサシアニド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[Fe(CN)6]^3+
ハロゲノ錯体-テトラクロリド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[FeCl4]-
ヒドロキシ錯体 - アルミン酸_[Al(OH)4]-(または_[Al(OH)4(H2O)2]-
などがあるようです。ただ、当時の日本物理学は
本丸を攻めきれてはいなかったのですね。


プランクの黒体輻射理論発表から数十年がたち、
他国で議論が交わされていた時代に対して、
小出昭一郎の暮らした敗戦国日本は
戦前・戦後の混乱の中で
情報がどこまで取れていたのでしょうか。
小出昭一郎はそんな中でも量子力学の
理解を進め国内に広めていたのです。
そして、何より後進を育てていたのです。






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2021年07月28日

E・O・ローレンス
_【1901年生まれ-2021/7/28原稿改定】

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【1901年8月8日 ~ 1958年8月27日】



その名はErnest Orlando Lawrence。


ローレンスは優れた実験家で今でも頻繁に


応用されているサイクロトロンを発明した事


で広く知られています。


 

ノルウェー系の両親に生まれ少年時代はMerle Tuve


共に簡易無線装置を作成したりしていました。


その後、


サウスダコタ大学時代は医学を志望してましたが、


化学の学士号、物理学の修士号を習得


します。Tuveと共にスワン先生の下で学びます


ローレンスがイェール大学で博士号をとった時


には光電効果に関する研究をしていたようです。


その後、恩師だったスワン先生がイェール大学


を去るタイミングでカリフォルニア大


に移ります。ローレンスは実験家として大変、


有望視されていました。


サイクロトロンを使った実験で、
ローレンスがその装置を活用
した応用例が人工放射性元素でした。
ローレンスと彼の率いる
バークレー国立研究所は
自然界に存在する元素だけでなく、
不安定な元素を作り出したのです。


強い磁場を使い帯電しているイオンを


ビーム状に出す事が出来るので


ローレンスの作ったサイクロトロンは


イオンが反応する状態を作れるのです。


日本、イギリスが同様な措置を計画していきます。


サイクロトロンを使えば特定金属にイオンビームを


当て続ける事が出来たりする訳です。


こうした装置の開発を通じて
ローレンスは人類に新しい知見を
もたらしたのです。






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ルイ・ド・ブロイ
【1892年生れ-2021/07/28原稿改定】

「ド・ブロイ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1117文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/23(金)朝の時点でフォロワーは合計【11902】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】 

【1892年8月15日生れ~1987年3月19日没】



ルイ・ド・ブロイはフランス貴族、公爵の血を引いてます。


その血筋は由緒正しいのです。そもそも、


フランス国王ルイ14世により授爵頂いていた


名門貴族・ブロイ家の血筋であって、ルイ・ド・ブロイは


直系子孫です。兄の没後は兄に子供が居なかった


事情もあって、正式に侯爵家の当主を務めています。


ルイ・ド・ブロイはフランスの首相を二期務めた第4代の


当主であるアルベール・ド・ブロイの孫です。それだから、


ルイの生誕時に、その父は当時公子でした。


こんな逸話が沢山あるのですね。


そんなルイ・ド・ブロイは独自に優れた仮説を進め、


ド・ブロイ波(物質波)の考えにたどり着くのです。


そのルイ・ド・ブロイの考えは初め、


中々理解されませんでした。


関連して超有名なエピソードがあります。


ルイ・ドブロイの博士論文の審査過程で教授達が


ド・ブロイの考えを理解出来ず、


有名なアインシュタインに意見を求めたたのです。


すると、「ド・ブロイの考えは博士論文よりも


ノーベル賞に値する」とアインシュタインから評価され、


絶賛され、更に物質波の考えを進めていく事が出来たのです。


その考えはパラダイムシフトでした。粒子の二面性の考えは


現在の量子力学の根幹をなしていて、とても大事な考えです。


ドブロイを含めた学者達が議論を重ね、


当時の物理学の常識を変えていったのです。


 

波が粒子性を持つのと同時に、粒子である


と考えられていた電子も、実際には波動性を持つだろう


という考えがドブロイ波の本質です。


現代の量子力学の理解ではこの二面性は当たり前ですが、


波動性を持つ故に特定元素の周りを周期的に運動する


電子は特定波長の整数倍のみ許された軌道を描きます。


逆に考えれば特定波長の整数倍の運動しか、


その電子には許されないのです。


特定原子核の周りを回る電子は


特徴的な波長の整数倍を定常状態として周期運動を続け、


定常状態間の遷移が起きる際に放射線が生じる事実は、


ドブロイを初めとする考えがあってこそ


成立する概念なのです。それこそが電子の存在なのです。


 

実際に数年後にルイ・ド・ブロイはノーベル賞


を受賞します。いつの時代も中々、


新しい考えは理解出来されないものですね。







以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。


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ニールス・ボーア
【1885年生まれ‐2021/7/28原稿改定】

「ボーア」の原稿を投稿します。原稿文字数は1510文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/23(金)朝の時点でフォロワーは合計【11902】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1885年10月7日生まれ ~ 1962年11月18日没】



TOP画で使っている写真では中列右端に立っています。


北海に面したユトランド半島および、その近辺の多くの島々


からなる立憲君主制国家である、デンマーク王国に


ボーアは生まれました。


若い時代にはアマチュアサッカー選手リーグの


ABコペンハーゲンでゴールキーパーを務めていた


という一面もあります。ボーアはそんな人でもあるんです。


そしてボーアは前期量子論において先駆的な理論


を提供し続けました。ボーアは当時、不完全であった


原子像を洗練させて独自の原子模型を提唱します。


先ず1911年にイギリスへ留学し、J・J・トムソン


ラザフォード_の元で原子核に対する基礎知識を吸収して


先進的な考察を進めていきます。そもそも光学顕微鏡で


見えないほど小さいレベルにまで議論が進んでいくのですが、


その世界に対して、考察を止めることなく幾多の議論を重ね、


量子力学を確立していきます。例えば今でも原子の大きさを


議論する時に「ボーア半径」という言葉を使います。


この言葉はこの時代に確立された概念です。


その後、ボーアはイギリスから帰国後に幾多の仲間を


コペンハーゲンに集め、コペンハーゲン学派と呼ばれた


仲間を形成します。そこでまとまった解釈は


コペンハーゲン解釈と呼ばれるようになり、


それまでの物理学でのスタイルを変えていきます。


コペンハーゲン解釈は微視的世界での


「観測に対する考え方」です。光学顕微鏡で


微細な世界を覗いても分解能の問題でどうしても


画像がぼやけてしまう「限界」にいきつきます。


アルファー線やベータ―線といった粒子線を純度の高い物質に当てて光路から内部構造を予想しようとする試みも色々な形で繰り広げられました。日本では寺田寅彦の時代にそうした解析が行われています。そうした蓄積を辻褄(つじつま)の合う理論で結びつける体系が必要とされていたのです。目で見て取れる現象は顕微鏡の分解能の範囲で終わってしまいます。実際にはそれ以下の大きさで繰り広げられる現象が存在していて、観測しようとして光を当てると(光子を作用させると)、「観測する事情」で「状態をかき乱してしまう」のです。位置と運動量の微視的分解能の限界をA・アインシュタインと論じた話などが残っています。また段々に分かってくるのですが、後にパウリが示すスピンの自由度も電子は持っていて、軌道半径だけをイメージして議論すれば話が終わる訳ではないのです。


その中でボーアは本質的な「ボーアの量子化条件」を用いて様々な現象を説明してみせます。長さスケールで10の‐23乗メートルのスケールでの議論では「位置等の観測値」が「とびとびの値」を示すのですが、その事象を現実世界での本質的な性質であると提唱したのです。原子半径、磁気的性質も現代では、その形式で考えるが方がわかりやすい訳です。師であるラザフォードの原子モデルに改良を加えてボーアモデルを作りあげます。


そして晩年、


ボーアはデンマーク最高の勲章である


エレファント勲章を受けています。


その際には東洋密教で使う陰陽のマーク


を模してボーア家の紋章をデザインした、


と言われています。また、


英国の王立協会では外国人会員の栄誉を受けていました。






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南部 陽一郎 【2021/07/28-原稿改定】

「南部陽一郎」の原稿を投稿します。画像は銀杏並木を使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1921年1月18日生まれ ~ 2015年7月5日没】




南部 陽一郎は第二次世界戦時に研究を志しました。所が、時は戦時中。彼の頭脳は武器製造に貢献できると判断されて、陸軍のレーダー研に配属されました。戦時下ではどんな研究をしていたんでしょうね。そして、どんな気持ちだったのでしょうね。戦争の前後で東京帝国大学で研究を進めます。


戦後、南部 陽一郎は朝永 振一郎のグループで研究を続けます。そして物質を構成する
原子を考えていき、今に続く素粒子論を完成させていきます。中間子をひもとき、素粒子間の総合作用を考え、その形成に関して実験事実と、つじつまの合う理論を展開していきます。そうした研究を重ね南部陽一郎は「自発的対称性の破れ」でノーベル賞を受賞しています。南部陽一郎の話の組み立てとしては、強磁性体の自発磁化状態(外部からの磁場無しで内部磁気モーメントを揃えている状態)が温度上昇に伴い磁化を失う状態を考え、ラグラジアンを巧みに使い素粒子に適用しているのです。また彼は量子色力学や紐理論でも成果を上げています。


そういえば、南部洋一郎は私が学生時代に使っていた教科書の著者でした。その時点で米国の国籍を得ていた記憶
があり、研究者に対しての日本での待遇に疑問を抱いたものです。私は理論物理学の研究室に所属して居ましたが、卒業後も研究を続けて研究者として身を立てている仲間は今では数えるほどしかいません。多くは私のように、民間の会社に所属して物理学とは全く関係のない業務に従事しています。


少子化という流れもありますが名誉職としての教授に対して日本社会の扱いは低いとも感じていました。狭き門である事に加えて扱いが低いのです。それだから
南部 陽一郎がアメリカに帰化した気持ちは少しは理解出来る気がするのです。



以上、間違い・ご意見は
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G・S・オーム 【2021/07/28-原稿改定】

「オーム」の原稿を投稿します。画像はドイツの街並みを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1789年3月16日生れ ~ 1854年7月6日没】



その名はGeorg Simon Ohm。オームの法則で有名です。


オームの法則は定量的に回路を論じるときに不可欠で


非常に明快なので小学生レベルから説明出来ます。


子供に科学を教える時に理解しやすく、


実験的と原理がつながる事例として明快です。


電圧値は電柱値と抵抗値の積なのです。E=RI。


 

オームは独学で数学、特に幾何学を習得していて


研究生活に入る前に教師として生計を立てている


時期がありました。その後、プロイセン王に幾何学に関する


原稿を送り、評価を受け、ケルンのギムナジウムで


物理学を教える機会を得ます。


そこでの実験室で設備が充実していたことは


その後のオームにとってとても良かったと思います。


 

オームの法則は、実の所はイギリスのキャヴェンディッシュ


が先に発見しているようですが存命中に発表しませんでした。


オームはキャヴェンディッシュと意見交換することなく


独自に法則を確立していて論文にまとめました。


 

また、オーム自身は導体内での電子の挙動に関して


近接作用の結果として論じていたようですが


そんなエピソードからも目に見えないミクロな現象を


組み立てていく為に検証をしていく難しさを感じます。


 

そんな困難の中、原理を確立して社会に意義を問いかけ


現代に多大な功績を遺したオームの名は抵抗値の単位


として今後も使われていきます。






以上、間違い・ご意見は
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最近、返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
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2021年07月27日

S・ナート・ボース
【1894年生まれ-2021/7/27原稿改定】

「ボース」の原稿を投稿します。原稿文字数は1564文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。定点記録を残すと、7/23と7/25でf/f数は、
コウジ改 SyvE.804/3599と826/3625.
バンドリ sv2F.810/2666と824/2682.
浩司   BLLp.578/2339と585/2340.
kouji kouji.1971/3298と1992/3309.
作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1894年1月1日生まれ ~ 1974年2月4日没】

ボーズ(BOSE)は珍しいインド人物理学者です。

フルネームで名前を書き下すと、

 サティエンドラ・ナート・ボース

:Satyendra Nath Bose となります。

以下、ボーズの名前に濁音がついていますがご了承下さい。

名前の最後の「ズ」の所です。

BEC(ボーズアインシュタイン凝縮)

・ボゾンといった用語で議論していた時代の

癖がどうしても消えません。

そもそも実際の綴りはBOSEでしすし、
正式にはボースと発音するようで、
Wikipediaの記載もボースです。しかし、そもそも、
ここに拘っている人は少ない印象です故、
特に訂正しません。

さて、インドは独自の数学体系を持ち
計算(暗算)方式も独自の形式を持ちます。
そんな学問体系で素粒子の世界に
挑んだボーズは
統計力学で今世紀初頭にEinsteinと共に
今でいうBOSE粒子群(BOSON)の
振る舞いを定式化するのです。
1924年にアインシュタインへ論文を送った時点が始まりです。

その論題は「プランクの放射法則と光量子仮説」

でした。アインシュタインはその仕事を

高く評価して後にそれを発展させますが、

学会で討議する以上の交流は未だ私には

調べきれていません。インド独自の学問体系の中で

ボーズ粒子は育っていったと考えています。

後に英国の王立協会からフェローに任命

されていますので最後のリンクにイギリスは含めました。

前段の知識として後世の理解で整理すると
素粒子はスピン角運動量の数でBOSONとFERMIONの
二種類に分かれます。いわゆる凝縮系の世界でも
BOSONは特異な振る舞いを示します。
具体的にBOSONとは光子、音子、ウィークボソン、
グルーオン、π中間子やK中間子、D中間子、
B中間子、ρ中間子、等で
スピンの奇遇性からボゾンに分類されて、
BOSE−EINSTEIN統計に従います。

ただ残念な事に西洋の学者と異なり、

インド系のボーズは「人となり」が

伝わっていません。

何よりボーズの業績である、

BOSONで名を残しています。

私がインドに行って調べたいくらいですが
あいにく機会ができません。
いつか調べてみたいと思っています。
その時は関係者と話す時に「ボース」と心がけながら話そうと思います。人の名前は間違えると違和感を与えますからね。いや、ひょっとしたら関係者も「ボーズ」を多用するかもしれません。その確認も小さな楽しみです。








以上、間違いやご意見があれば
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問題点には適時、
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ヴァルター・ゲルラッハ
【1889年生まれ‐202/7/27原稿改定】

「ゲルラッハ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1021文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/23(金)朝の時点でフォロワーは合計【11902】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1889年8月1日生まれ ~ 1979年8月10日没】

ゲルラッハはシュテルンと共に行った

実験で有名です。

シュテルンのご紹介は関連人物を中心としており、

実験内容が伝えられていませんでした。

ゲルラッハと実験内容について語りたいと思います。

その実験はゼーマンとローレンツ

による実験と通じる部分があります。

古典的な考えだけでは説明出来ない

量子力学的な状態の縮退を考慮する

必要があるという結論に繋がります。

ゼーマン効果ではナトリム原子からの電磁波、ゲルラッハの実験では加熱して蒸発した銀粒子が対象です。其々の実験対象において磁場をかけた時に縮退が解けていく様子が観察されます。古典的な予測では輝点に幅が出ると予想されます。二つの輝点に分かれる現象は古典的に説明が出来ません。

具体的にゲルラッハとシュテルン

が行った実験では、磁場で銀粒子の中の

電子スピンが分離されています。

加熱された銀粒子がビーム状に

放射されている時にビーム経路

に対して垂直に磁場をかけます。

壁に当てたビームの輝点

を見てみた時に古典論では

輝点は一つです。所が、

ゲルラッハとシュテルンの実験

では「縮退の解けた」2点が

はっきりと見てとれたのです。

量子力学的な考えに従うと、

電子はスピンを持ち、磁場に対して

同じ方向のスピンと

逆の方向のスピンが存在します。

だから、

磁場に対する軌跡が異なるのです。

この実験はゲルラッハが実現したようですが

シュテルンがドイツから亡命していた事情と、

政治絡みの判断、が相まって

当初はゲルラッハの名は表に出ませんでした。

さて、話を現代に近づけると、

2012年に日本で半導体内部で

同じ原理を使い同じ結果を得てます。

アイディアの種は色々な所にありますね。

強磁性体や外部磁場を用いずに電子のスピンを

揃えることに世界で初めて成功_2012年12月

https://www.ntt.co.jp/journal/1212/files/jn201212058.pdf








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F・W・マイスナー
【1882年生まれ-2021/7/27原稿改定】

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【1882年12月16日生まれ ~ 1974年11月16日没】

その名は正確には

フリッツ・ヴァルター・マイスナー_

Fritz Walther Meißner (Meissner)。

  ドイツ・ベルリン生まれの物理学者です。

ミュンヘン工科大学でプランクの師事を
受けた後に物理工学院で研究を進めます。
マイスナーが関心を持っていたのは
超伝導でした。1920年頃に色々な物資で
転移が起きる事を確認しています。
タンタル(化学記号はTa、転移温度4.47K)
ニオブ(化学記号はNb、転移温度は9.25K)
チタン(化学記号はTi、転移温度は0.4K)
トリウム(化学記号はTh、転移温度は1.38K)
に対して相転移を確認した後に化合物に
着目してNbCにおいて10ケルビンを超える
転移温度を確認しています。

その後、マイスナーはいわゆるマイスナー効果
を発見していてます。この現象は協同研究者の
オクセンフェルトの名前と合わせて
マイスナー―オクセンフェルト効果と呼ばれる
こともあります。また性質の側面から完全反磁性
とも呼ばれます。磁性を使って超電導現象を特徴
づけているとも言えます。大きな成果でした。







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H・レンツ  【2021/07/27-原稿改定】

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【1804年2月12日生まれ ~ 1865年2月10日没】

ハインリヒ・レンツはドイツ系ロシア人物理学者で

ロシアで生まれてます。若き日にオットー・フォン・コツェブー

が中心となった第3回の世界一周調査隊のメンバー

として海洋環境の物理的側面を調査しています。

レンツは色々な国の港に立ち寄り海水成分を調べたり

したのでしょう。私ならそこで釣りをして生物学の

研究をしている仲間に協力したいと思います。

先ずは水深を調べて、色々な生餌を使います。




さて、レンツの業績として有名なのは

レンツの法則ですね。その内容は変動磁場

との関連で、誘導起電力が発生しますが

その方向が初めの磁場発生を妨げる

方向に発生する。というものです。

実例としてコイルに磁石を近づけると

コイルに電流が発生して、それ故に

コイルが磁石化して磁石とコイルが

反発します。感覚的に分かり辛いのは

磁石から出る磁力線が空間を

伝わる様子です。現代の理解では

真空中でも伝わる電磁波ですが

レンツがもたらした様な知見があって

初めて分かると思います。それだから

実験を繰り返し、定式化した事は

とても素晴らしいと思います。

このレンツの法則は現代では電磁

ブレーキに応用されたりしています。




レンツの時代はマクスウェルと近く、

この時代は電磁気学が完成していく

時代だと捉える事が出来るでしょう。

現代人が使いこなす言葉、電磁波・

原子・電子・光電圧・・・

そういった知見のない中で磁力と電力

を関連させてエレクトロニクスへと

繋がっていく理論大系を作っていった

のです。まさにパラダイムシフトの

連続でした。目に見えない法則を使い

今やリニアモーターカーが動き回るのです。





またレンツは、ジュールの法則を独立して

導いていました。この業績も特筆すべきです。

電気と熱の世界をつなげたのです。








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ダニエル・ベルヌーイ 【2021/07/27-原稿改定】

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【1700年2月8日生まれ ~ 1782年3月17日没】



ダニエル・ベルヌーイの名前で


ダニエルって大事です。科学史


に詳しい人ならピンと来るの


ですが、ベルヌーイ一族は沢山、


科学史に出てきます。


3世代で8人が著名人です。



先ず、今回取り上げたダニエルは


3兄弟で、全て物理学者・数学者


です。また、ダニエルの父の世代


にも何人かの学者が居るようで、


ダニエルの叔父の仕事を父が


引継ぐ場面もあったようです。


 

また、こんな事もありました。


1734年のパリ・アカデミー大賞で


父のヨハンと息子のダニエルが


同時に賞を受賞した事が父の名誉


を傷つけダニエルはベルヌーイ家


から出入り禁止の扱いを受けます。


父は死ぬまでダニエルを恨んで


いました。有名なダニエルの


流体力学に関する著作でヨハン


による盗用もあったようです。


 

そんな事もありましたが、ダニエルは研究を続け、


パリ・アカデミー大賞の受賞も10回になったようです。


何よりニュートン力学と数学を考え


合わせ流体力学を発展させました。


そうした仕事は船舶の運航等に大変、役立ちました。






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2021年07月26日

J・チャドウィック
【1891年生まれ-2021/7/26原稿改定】

「チャドウィック」の原稿を投稿します。原稿文字数は916文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/23(金)朝の時点でフォロワーは合計【11902】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1891年10月20日 ~ 1974年7月24日】



ジェームズ・チャドウィックは研究環境で恵まれていました。


マンチェスター大学の時代からラザフォードの指導を受け、


海外修業時代にはガイガーの下で放射線計測の知見を


積み上げました。開発されたばかりのガイガーカウンター


を使い放射線特性での実績をあげます。第一次大戦終了後は


ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で再び


ラザフォードの下で研究を続けます。ドクター修了後も


10年以上、ラザフォードの助手を務めていました。


キャンデビッシュ研究所での討論や助言は多分に


有益だったであろうと思われます。チャドウィック以外


にも有能な研究者達が集まっていました。その中で


議論を交わした筈です。そんな中でチャドウィックは


中性子を発見していきます。その発見で原子構造を


また一つ明らかにしたのです。更にチャドウィックは


中性子の質量を明らかにして、それがガン治療に


有益であろうと考えます。



ただ残念な事に、チャドウィックの時代は


世界大戦の時代と重なります。マンハッタン計画では


イギリスチームのリーダーとして計画を進めていました。


トリニティー実験も目の当たりにしたようです。


自身が心血を注いで作り上げた概念が政治的に


利用されていく有り様をチャドウィックは、


どう感じていたのでしょうか。不満だった筈です。


その他、パウリハイゼンベルク 等との議論の発展、


サイクルトロンの導入、ノーベル賞の賞金の


使い道について追って、きちんと整理して再投稿したいです。


本稿はひとまず筆を納めます。


チャドウィックはキーズ・カレッジの学寮長


として晩年を過ごしています。そして、リヴァプール大学


には彼の名を冠した研究所が残っています。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


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マックス・ボルン
【1882年生まれ‐2021/7/26原稿改定】

「マックス・ボルン」の原稿を投稿します。原稿文字数は1331文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/23(金)朝の時点でフォロワーは合計【11902】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

マックスボルンと確率解釈

M・ボルンはユダヤ系ドイツ人なので、

第二次世界大戦時は大変苦労しています。

そんな中で前期量子論において本質的な

現象理解である「確率解釈」を提唱しています。

簡単に確率解釈を表現してみると、

観測にかかる現象は一意的に求まるものだけではなく

一定の確率で観測される事象も含まれるという解釈です

別言すると観測値が一定の確率との掛け合わせ

である場合が許されるのです。



ボルンの人間関係

ボルンはドイツ本国で教授職を解雇されたり

していて、反戦の姿勢、非核の姿勢を貫き

ラッセル=アインシュタイン宣言にも参加しています。

この点ではドイツに残り、原爆開発に参加していた

ハイゼンベルクとは全く別の人生を歩んでいます。

ちなみに、

ハイゼンベルクはボルンの門下生です。

オッペンハイマーもまた弟子にあたります。

オッペンハイマーとは「ボルン・オッペンハイマー近似」

と呼ばれる業績を残し、共に研究していた時代があります。

共にユダヤ系でしたのでボルンはイギリス、

オッペンハイマーはアメリカに追われます。

ユダヤ人排斥運動の中でボルンは教授職を奪われたのです。

戦時下でのどうしようもない事情でした。

彼の解釈で有名なやり取りがあります。

ボルンの考え方である確率解釈に対して

反論したアインシュタインが量子力学の解釈を

サイコロ遊びに例えたのです。

【Wikipedeaより引用:アインシュタインの有名な言葉
「彼(神)はサイコロを遊びをしない」は1926年
にボルンに当てた手紙の中で述べられたものである。】

この手紙が交わされた翌年の1927年に

ハイゼンベルグが不確定性関係を定め、

このサイトTOPで写真を使っている

第五回ソルベー会議が開かれます。【於10月】

其処で本質に対して真剣な議論が交わされるのです。

人類の理解が大きく変化していった時代でした。

確率解釈は人類の思想にとって大きなパラダイムシフトです。

ボルンの考え方は、それまでの発想を大きく変えました。

最後にトリビア話

ボルンの孫の一人に歌手であるオリヴィア・ニュートン・ジョンが居ました。私も初稿を書く際に分かったのですが意外ですね。勝手に想像するとボルンは如何にもドイツ人らしい人だったのでしょうね。アインシュタインとのやり取りは、そんな彼を偲ばせます。イギリスに亡命後にドイツへ帰国しており、プランクと同じゲッティンゲン市立墓地に眠っているそうです。母国の土に帰りたい想いもあったのでしょう。そしてきっと、お孫さんのオリビア・ニュートンジョンも墓参りに来るのでしょう。

関連URL(YouTubeへ:)
https://www.youtube.com/watch?v=E-JGTk_WM1k








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西川 正治
【1884年生まれ-2021/7/26原稿改定】

「西川正治」の原稿を投稿します。原稿文字数は822文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/23(金)朝の時点でフォロワーは合計【11902】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1884年12月5日生まれ ~ 1952年1月5日没】



西川 正治は寺田寅彦の指導を受け


物理学を学んでいきます。特に、


彼は竹や麻等の植物由来の構造体


に着目して繊維構造物質に対して


電磁波がどう作用するか考えました。


手法としてはX線回折を駆使して


スピネル群結晶内の電子配置を


決定しています。


そもそも、電子は不可視の存在ですが、電磁波に対して作用して結果を残すのでその結果を画像で解析すれば結晶内での微視的な電子配置の情報が得られるのです。初学者は単純なモデルから学ぶので電子が個々の性質を見せると思いがちです。実際はそんな事は無くて電子単体で「観測にかかる」事象はなかなか見当たりません。たとえば相互作用を考えていって「輝点」の議論をしている時でも、話の中には色々な要素があって、どこまでが観測事実か、はたまた勝手な想像であるか、判断に迷うことがあります。万人に説得力を持つ議論を進めるのはとても大変な作業です。加えて、当時の時点での知識で原子からの寄与と、電子からの寄与を明確にしていくには多くの知見が必要だったと思われます。X線情報の精度を考えるだけで大変で、一つ一つ推論を裏付けていった筈です。


そうした「新しい計測手法」を手掛かりに


西川正治は解析していったのです。


西川正治はそうした業績を残しながら


二人のお子様を育て、其々が学者として


名を残しています。また、同時に


幾人もの弟子を育て日本物理学会に


今も続く、大きな足跡を残しています。






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2020/12/13_初稿投稿
2021/07/26_改定投稿


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朝永 振一郎 【2021/07/26-原稿投稿】

「朝永振一郎」の原稿を投稿します。画像は時計塔を使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1906年3月31日生まれ ~ 1979年7月8日没】


【↑_Credit:Wikipedia】



朝永振一郎は私が使っていた教科書
【Diracの「量子力学」】の訳者でした。そのご先祖様は大村藩(現在の長崎県内にありました)の流れをくみます。そして、そんな朝永振一郎の父は京都大学哲学科教授でした。


また、朝永振一郎は現在の筑波大学の前身となった大学、東京教育大学で教鞭をとり、最終的には学長を務めます。東京に生まれ京都で育ち、世界で議論しました。


朝永振一郎の研究業績で私が最も偉大であると思えるのは繰り込み理論です。ファインマン・ダイアグラムと呼ばれる不可思議な模式図でも表現される反応がありますが、そこでの素粒子の反応過程と数学的矛盾を見事に説明しています。
ファインマンの経路積分にも数学的な美点を感じますが朝永振一郎の理論の方が直感に訴える説得力を持っています。好みといえば好みの問題ですが。


朝永振一郎の理解で量子電磁気学の整理が進み、素粒子物理学が大きく進歩したのです。


朝永振一郎はまた晩年、大学入学以前の若者に対し科学的な啓蒙を進めていたと聞いています。


最後に、朝永振一郎は湯川秀樹と京都大学で同期でした。それぞれの形で当時の物理学で完成形を作り上げたのです。






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2021年07月25日

ムツゴロウさん_【本名:畑 正憲・2021/07/25-原稿改定】

「ムツゴロウさん」の原稿を投稿します。画像は銀杏並木を使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1935年4月17日生まれ -ご存命中】




2021/07/06現在でご存命中の方であって、恐縮ですが、ムツゴロウさんの一面を紹介したいので投稿します。私は少年時代に面白い人生だと思いました。ムツゴロウさんという愛称で知られていますが、中身は九州男児です。大分県でバンカラな青春時代を過ごします。


私はその様子をムツゴロウさんの著書である「ムツゴロウの青春期」で読みました。高校時代に今の奥様に出合い結ばれる様子が生き生きと描かれ、同時に東京大学を目指し猛勉強する様子が描かれていました。確か「君等が知っちょるか知らんか(私は)知らんが」という口癖の先生が居て、物理学への魅力を伝えていて、若き日のムツゴロウさん達が集まって聞いていて、友達同士で話して共鳴して奮起する筋だったかと思います。そして猛勉強。


後で時間を作りムツゴロウの青春期に続く著作の結婚紀、冒険記等も読んでみたいと思いますが、ムツゴロウさんは文筆での人生を選び当時の学研社で活動を始めます。そこに至るまでに色々と考えたと思います。
東大では駒場寮に暮し医学・動物学・等を学びます。そもそも物理学科という呼び方ではなく東大はT類・U類・・・と分けるので(私が知ってた時代。)対象が無機質の剛体であろうがアメーバであろうが研究対象といえば研究対象な訳です。最高学府の頂点として東大は様々な学科を少数精鋭で網羅しています。そもそも微視的な視点に立ち見てみたら其々に性質があり、寿命があるのです。「意志を持ってるかもしれないアメーバ」だったり
「半減期を持っている原子核」を研究している訳です。
そんな見方も出来ますよね。
話戻ってムツゴロウさんですが、何時か時間をとって調べて書き足します。彼の人生は喜びと失望に満ちていますので。そんな中でムツゴロウさん突き進んでいます。もう少し見続けていたい生き様だと感じます。


ムツゴロウさんには
6億円あると言われていた借金がありましたが、
それも全て返済して現在も動物に関わっています。
リンク:有限会社ムツ牧場





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大河内正敏 【2021/7/25-原稿改定】

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【1878年12月6日生まれ ~ 1952年8月29日没】




大河内家の御曹司


大河内正敏は旧上総大多喜藩主にして子爵であった大河内正質の息子として生まれました。正敏は学習院初等科に進み、大正天皇と共に学びます。また大河内とは珍しい名字だなと思っていたら奥様も大河内家から娶っていたりして、なんだか皇族みたいな感じがしました。平民とは違う華麗なる一族って感じです。きっと鹿鳴館で踊っていたりしたのでしょう。政界では子爵議員として貴族院で議員を2期務めます。そんな中で若かりし無名の田中角栄を可愛がっていたといわれます。そんな人なので理化学研究所の3代目所長に就任したした時は理研研究員にして、貴族院議員で子爵、そして東京帝大教授でした。そんな偉人を今回はご紹介します。



大河内正敏の業績


大河内正敏は東大で物理学を学んでましたが時節柄、寺田寅彦と飛行弾丸の研究をしていたようです。物理学を駆使すれば流体力学や表面の解析が出来ます。大河内正敏が進めた具体的な別の活用事例としては、ピストンの開発があります。ここでもシリンダー内の熱流体解析や、摂動面の摩擦を解析出来ます。この研究は後の株式会社、リケンにつながります。戦後このグループは、GHQより十五大財閥の一つとして指定を受けます。



そして、眠りに


こうした業績を残して今、大河内正敏は埼玉県にある平林寺で永眠しています。その近くには理化学研究所の分室があり、今でも研究者たちが世界に冠たる研究を続けています。






〆最後に〆


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2021年07月24日

ロバート・ボイル 【2021/07/24-原稿改定】

「ボイル」の原稿を投稿します。画像はオックスフォードを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1627年1月25日生まれ ~ 1691年12月31日没】



その名は正確には


サー・ロバート・ボイル: Sir Robert Boyle_


英国アイルランド生まれの物理学者です。


初代コーク伯爵リチャード・ボイルと


キャサリンの間に7番目の男子として生まれ


アイルランド現地の家庭に里子に出されます。


その結果、ボイルはアイルランド語を


理解し、通訳レベルまで習得しました。


 

ボイルはフランス人の家庭教師と


海外旅行をしていて、1641年冬には


イタリアのフィレンツェで過ごし、


ガリレオ・ガリレイの教えを受けます。


ガリレオは1642年に亡くなりますが、


まさに晩年のガリレオと接したのですね。


今の日本人ならボイルは中学生の年齢でしょうか。


多感な時期に良い刺激を受けた事でしょう。


 

1644年に大陸の長旅を終えるとボイルは


多くの時間を科学に使い、後の王立協会


に繋がる集まりである「ロンドン理学協会」、


別名、「不可視の学院」とも呼ばれた集まりに


参加するようになります。


ボイル家の先代が亡くなって


いましたので、ボイルはアイルランドでの


立場もあったのですが、ロンドンで頻繁に


会合が開かれた事情もあり彼は最終的には


オックスフォードに移り住みます。


 

実験器具が入手し辛いといった切実な


側面もあったようです。


その後、フックを助手としてボイルは空気


ポンプを制作して圧力の研究を始めます。


やがてはその研究は体積との関係を示す、


ボイルの法則に繋がります。


ただ1660年迄にボイルは


「体積は圧力に反比例する」と明言していて、


書物での記録はあるようですが、


温度や分子量との関連を含め、


現象の定式化には至らなかったようです。


実際の定式化はヘンリー・パワーによって


1661年になされているようです。


このボイルの考案した「ボイルの法則」が一つの基礎となり


統計力学の土台が構築されていきます。更にこの後、


J・C・シャルルが考案した「シャルルの法則」が


温度との関係を与えますので高校レベルの知識として


「ボイル・シャルルの法則」が確立される訳です。


低圧力・高温度の条件下で、異なる気体間で法則が成


り立つことは自明ではないのですが


経験的法則として成り立ち、


後に様々な方式で発展していきます。


 

最後に、ボイルは錬金術の伝統を受継いで


いましたが、近代的な視点を持ち「元素」を想定して、


混合物と化合物を明確に区別した点で秀でています。


ボイルが明確にしたパラダイムシフト


は非常に大きな業績だと言えるのではないでしょうか。






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2021年07月23日

中嶋 貞雄 【2021/07/23-原稿改定】

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【1923年6月4日生まれ ~ 2008年12月14日没】



映画監督で似た名前の方が居ますが
あちらは貞夫と書きます。
こちらは貞雄と書きます。
中嶋貞雄は私が昔使っていた量子力学での
教科書の著者でした。
東京大学を卒業後に名古屋大で教授を務め、
東大物性研の所長を務めています。
超伝導現象の理論化に先鞭
をつけた方です。


超電導の議論の歴史の中で有名な
エピソードがありますのでご紹介します。
中嶋貞雄は低温物理の物性に関わる
研究をしていきました。そんな中で
名古屋で会議が開かれ、くりこみ理論を
応用した低温電子物性の議論をします。
その話にアメリカのバーディーンが着目し、
講演内容のコピーを中嶋に求めました。
その時点ではカメリー・オネス
超伝導現象は実験的に示されていま
したが理論的な説明はなされてません。
バーディーンはそれを作ろうとしていたのです。


中嶋はきっと研究の方向性に確信を
持った事でしょう。後に名古屋駅で
バーディンにコピーを渡します。
バーディンは帰国後に英訳し、
共同研究者であるクーパー・シュリーファーと共に
考察を進め、クーパー対のアイディアを盛り込み、
BCS理論を完成させます。日本で無く
アメリカで生まれた事が残念ですが、
そうした議論の端緒は日本でも芽生えて
いたのです。


私は科学技術は人類が共有する財産
だと思っています。それだから、
コピーを届けた中嶋貞雄の行為は立派
だったと感じています。若い研究者達も
知を共有して育んで欲しいと思います。
そうした行為が、ひいては日本の発展に
繋がっていくと信じています。
そして、世界人類の発展に
繋がっていくと信じています。


最後は信念とか、
宗教っぽい話になりましたが
感動・情熱から繋がる話
ではないでしょうか。






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2021年07月22日

エドワード・テラー  【2021/7/22‐原稿改定】

「ランダウ」の原稿を投稿します。画像はデンマークの建物を使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考えると関連書籍の記載は有益な筈です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。また、読者満足度を考えてサイトの写真を洋食器から英会話に変更しています。実際の所、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/13(日)朝の時点でフォロワーは合計【11206】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1908年1月15日生まれ ~ 2003年9月9日没】



エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、晩年のオッペンハイマーと対立します。


エドワード・テラーはハンガリーのブタペストで弁護士の父と4か国語を使う母から生まれました。ユダヤ系であったエドワード・テラーの父は職を追われ、ハンガリー・ドイツ・アメリカと移住を重ねました。ただ、学問の世界では良い出会いに恵まれています。ハイゼンベルクの下で博士論文を書き、ボーアの居たコペンハーゲンで有益な時間を過ごします。そうした中で原子核物理学・分子物物理で多くの業績を残しました。ヤーン・テラー効果やBETの吸着等温式は彼の業績です。


アインシュタインと共にエドワード・テラーは原爆の研究をアメリカ政府に働きかけ、実際にその計画は進んでいきます。政治的にはドイツ時代に資本主義の崩壊を目の当たりにしたテラーは共産主義に関心を抱いていた様子もありましたが、友人のランダウがソ連政府に逮捕された時期に反共思想を強めます。反共思想と新兵器の開発にかける熱意が結びついていくのです。そしてまた、その時期以降にエドワード・テラーとオッペンハイマーとの確執の始まりが続きます。特に兵器としての原爆の利用に関しては
エドワード・テラーとオッペンハイマーは対極の立場をとります。
エドワード・テラーは原爆開発の推進派で、
オッペンハイマーは否定派でした。


実際に、
エドワード・テラーは原爆・水爆と兵器の開発の中心に居ました。水爆を「My・Baby」と呼んでいたと言われています。その立場は変わらず、生涯その事を悔いることはなかったと言われています。
エドワード・テラーはそんな研究人生を歩みました。






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2021年07月21日

大貫 義郎_1928年 ~ ご存命中【2021/07/21-原稿改定】

「大貫 義郎」の原稿を投稿します。画像は名大を使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


↑Credit:Wikipedia↑


【1928年生まれ ~ ご存命中没】




大貫義郎は名古屋大で坂田昌一に教えを受け、
群論を使った素粒子論の構築を
行いました。そもそも低温物理学
では名古屋で発展してきた部分が大きいです。


本ブログの別項で中嶋貞雄バーディン
のエピソードをご紹介しましたが、
後にノーベル賞を受賞する二人、
益川敏英と小林誠は大貫義郎が育てました。


大貫義郎は素粒子を構成する素子の
対象性に着目して、数学的手法として
群論を使って整理していきました。
より詳細には、坂田モデルにおける
基本粒子同士の入れ替えに対して
素粒子としての性質が変わらないと
いう考え方を足掛かりに群論を組み
立てたのです。


そうした考え方を駆使して議論を組み立てて、
大貫義郎はクォークを明確に分類し、
整理していったのです。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点には適時、
返信・改定をします。


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2020/12/21_初版投稿
2021/07/06改定投稿


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2021年07月20日

ジャック・C・シャルル 【2021/07/31-原稿改定】

「シャルル」の原稿を投稿します。画像はフランスの街並みを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1746年11月12日生まれ ~ 1823年4月7日没】


 


その名を全て書き下すと、


ジャック・アレクサンドル・セザール・シャルル


:Jacques Alexandre César Charles


カールという名前をフランス風に読むとシャルルとなるそうです。


また、セザールってミドル・ネームもフランス風だったのですね。


物理学で出てくるシャルルはフランスに生まれた


発明家にして物理学者にして数学者、そして気球乗りです。


物理学者としてはボイル・シャルルの法則で有名ですね。


それと同時に水素を使った気球で初めて飛行した人なのです。




シャルルは


@「ボイルの法則」や、


Aキャヴェンディッシュの仕事の研究や


BJ・ブラックら当時最新の仕事を研究していき、


「水素の物性」に着目し続けました。比重が空気に比べて、とても軽いのでシャルルなりの発想で考え、気球に応用出来ると考えたのです。そこでシャルルはプロトタイプの気球を設計しロベール兄弟に製作を依頼しました。パリの工房で気球を作り始めたのです。材料としてはゴムをテレピン油に溶かし、絹のシートにそれを塗った物を使っています。


1783年8月27日にシャルルとロベール兄弟は、今のエッフェル塔がある場所で世界初の水素入り気球の飛行試験を行いました。その時には御爺さんだったベンジャミン・フランクリンもアメリカから見に来ていたそうです。そして、ベンジャミンフランクリンはその年の暮れには別の気球を使って有人気球の初飛行を行っています。この時には「王家からルイ・フィリップ2世が率いた一団が見ていて、着陸時に馬で気球を追いかけ、シャルルと同乗していたロベールが気球から降りる際に気球が再び浮かないよう押さえつけた」、というエピソードが残っています。【引用はwikipedia】
まさに国中の人が注目していたイベントだったのですね。


40万人がシャルルの初飛行を見たと言われています。特にプロジェクト資金集めとして募金を募ったのですが、応じた数百人は特等席で離陸を見れたそうです。その席にはアメリカ合衆国大使としてのベンジャミン・フランクリンもいました。この時代から挑戦を通じて国際交流が実現していたのですね。また、シャルルの尊敬していたジョセフ・モンゴルフィエも居たそうです。


そうした冒険家が残した法則がシャルルの法則です。V1/T1 = V2/T2 として簡単化出来ますが、異種気体の体積と温度の関係を簡単に表していますね。実験、経験から事実が導き出される良い例だと思います。





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2021/01/22_初稿投稿
2021/07/19_原稿改定


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仁科 芳雄  【2021/07/20-原稿改定】

「仁科さん」の原稿を投稿します。画像は銀杏並木を使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1890年12月6日生まれ ~ 1951年1月10日没】



仁科芳雄は稀代の「人たらし」だったと言われています。仁科さんは人に惚れ込む性格でした。仁科さんが人に入れあげる性格なので、良い所を見つけて、それを伸ばす。そんな仁科さんの元に人が集まる。そんな風にして人々を育てあげていった凄さが仁科さんにはあるんです。


仁科さん本人はオランダ・コペンハーゲンのニールス・ボーアのもとで育ち、その自由闊達なコペンハーゲンの学風を日本に持ち込み、多くの学者を育てました。1928年にオスカル・クラインとコンプトン散乱の有効断面積を議論しています。また帰国後にはハイゼンベルクディラックを日本に招待して日本の中での物理学への理解を深め啓蒙活動を続けています。更には、師であるボーアを日本に呼び寄せています。


研究内容として仁科さんはサイクロンの建設を進めて、様々な成果をあげてます。そのサイクロンを大型化する際には
仁科さんは大変苦労しています。先行するカリフォルニア大学のローレンスとは日米関係に伴い関係が悪くなっていったのですが、終戦共にサイクロンはGHQにより東京湾に破棄されてしまいます。


戦後には仁科さんは理化学研究所の所長を務め、科研製薬の前身で社長を務めましたが、肝臓ガンを患い61歳で亡なってしまいます。放射線被ばくの影響もあったであろうと言われていて、残念です。多くの人材育成に捧げた人生だったと感じています。






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次のアドレスまでお願いします。
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2020/12/13_初版投稿
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2021年07月19日

ハイゼンベルク  【2021/07/19‐原稿改定】

「ハイゼンベルグ」の原稿を投稿します。画像はソルベー会議の集合写真を使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考えると関連書籍の記載は有益な筈です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。また、読者満足度を考えてサイトの写真を洋食器から英会話に変更しています。実際の所、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/13(日)朝の時点でフォロワーは合計【11206】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1901年12月5日生まれ ~ 1976年2月1日没】






ハイゼンベルクは行列形式の導入や、不確定性関係等の適用で、量子論を形作った一人です。バイエルン王国に生まれミュンヘン大学でゾンマーフェルトに学びマックス・ボルンの下で助手を務め、コペンハーゲンのニールス・ボーアの下で修業します。そうした中で理論の形式を整えます。


そして加えて、ハイゼンベルクはシュレディンガーポール・ディラックと同じ時代に生き、積極的に行動すればアインシュタインボースとも議論が出来ました。。そうした天才達がミクロの原理を一つ一つ解きほぐしたのです。まだ見えない原子レベルの大きさの事象を推察する手法が色々と試みられて、その結果を説明する理論が発展したのです。不確定性関係の発表が1927年なのですが、同時期には数多くの革新的な発表がされて量子力学の対象の理論と応用技術が飛躍的に発展した時代でした。


同時に大変な時代背景、第二次世界大戦があり
ハイゼンベルクはアインシュタインが作った
相対論を駆使したりユダヤ人物理学者を養護
していたので、ナチス党員の物理学者から
「白いユダヤ人」と呼ばれ苦労しています。
プランクからの指摘もあり
戦後の体制を見据えてハイゼンベルクはドイツ
に残りました。しかし戦時下ですので物理の知識を
ナチスの為に使う事になり、色々考えたようです。
実際にハイゼンベルクのシンクロトロンが火災を起こし
世界でニュースとなったと聞き、アインシュタインは大変驚きます。
実際にその事件が彼に原爆開発を決意させたとも言われています。そして、大戦が深まる中でナチス側も原子力爆弾の実用化を模索していた中で当時のドイツ内でのハイゼンベルグの立場は極めて苦しくなります。実際にハイゼンベルグが積極的な態度をとったとしたら恐ろしい事です。歴史には「たら・れば」はよく語られていて、、仮にナチスが原爆を持っていたら、
連合国との原爆の応酬で
とても恐ろしい状況になっていた筈です。


ハイゼンベルグの理論の側面を考えると、個人的に、オブザーバブルに対する状態の時間発展を表すやり方は大好きです。洗練されてます。ハイゼンベルク等の提唱した行列形式はそこにつながっていきます。又、いくつかの思考実験で裏打ちされた不確定性関係は量子力学の現象理解の中では本質的です。


またハイゼンベルクはピアノの名手
だったと言われていています。
聞いてみたかったですね。


 





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2021年07月18日

シャルル・ド・クーロン【2021/07/18-原稿改定】

「クーロン」の原稿を投稿します。画像はフランスの街並みを使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1736年6月14日生まれ ~ 1806年8月23没】



クーロンの名前は正確には


シャルル=オーギュスタン・ド・クーロン


(Charles-Augustin de Coulomb)


と記載されます。フランス人です。調べてみると


もともとクーロンは測量の仕事などもしていました。


時代柄、色々な分野で功績を残しています。


 

まず、力学的な側面では摩擦に関する研究があります。


とても意外な側面だと思えました。電磁気学で著名なクーロンが


表面状態の考察をしているのです。


電磁気の担い手はとても微細な存在、電子であるのに反して


摩擦現象はそれら微細粒子が物凄い数集まって


相互作用の複雑な運動した結果として論じられる現象なのです。


後述する「ねじり天秤」のデリケートさとは結びつきませんでした。


クーロンは特定の機械が動く時点を考察しています。


「部品間での摩擦とロープの張力」を考慮して


機械全体での動きを論じています。


詳細を追いかけたらきっと


現代の我々から見ても興味深い筈です。


工学的な側面と表面物性からアプローチして


細かく考察すると面白い筈です。そして何より、


当時の視点からは革新的な研究だろうと思えます。


 

電磁気的な側面では「ねじり天秤」での実験が有名です。


微細な力を検知出来るような仕組みで導体表面


での帯電状態を計測したのです。生活の視点では、


力学は目で見て分かりやすく、電磁力学は目で見て


分かり辛いと言えます。それだから、今でも


静電気でびっくりしたり、手品の種として


電気的性質が使われたりします。


当然、今でも高電圧の配線は子供の手の


届かない所に敷設され、運用されているのです。


クーロンは結果的に電荷に働く力は距離の自乗


に反比例すると示しました。こうした電磁気学における


業績が広く認められ、クーロンの名前は電荷の単位


として今も使われています。クーロンの考えは


後の電磁気学、長い目で見れば


場の理論につながっているのです。






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2020/09/29_初稿投稿
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2021年07月17日

ブレーズ・パスカル 【2021/07/17-原稿改定】

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【1623年6月19日生まれ ~ 1662年8月19日没】





フランスに生まれたブレーズ・パスカルは


物理学者にして数学者にして哲学者です。


17世紀頃までの自然科学に関わる学者達は


細分化が出来ていない傾向があり、


時代を感じさせる部分ではあります。


そして何よりパスカルといえば、その残した言葉、


「人間は考える葦である」がまず思い浮かびます。


思考法を確立していった人であって、


その点では古代ギリシャの哲学者に近いイメージがあります。


中世に至るまでの人間の歴史には「科学的な側面」を


あまり感じません。経験の蓄積、文化の蓄積から生じた


機能美があるのですが、素材も含めて経験からの


アプローチが大きかったのではないでしょうか。


無論、思想の停滞は今迄に沢山の場で


論じられてきた話題だと思えます。話戻って、


パスカルは考え続けた人でした。


パスカルの遺稿集であるパンセは有名です。


総合的に物事を考えています。


死後、遺品整理で改めて分かったのは


「神」をも思考の対象として考えて、


様々な思考を繰り返し


確率論、優先順位を考え、様々な証明方法


を使っていたということです。実際に分かり易い例として、


数学の上では三角形の内角の和を考えた時に


合計180度であると子供時代に証明していたようです。


補助線を一本引くだけなのですが、それを思い付いたときは


どれだけ嬉しかったことでしょう。


きっと感動があったはずです。


物理学の面では圧力に関する


パスカルの原理が有名で


その後、今に至るまで油圧機器に多用されてます。


またパスカルは実業家としての側面も持っていて、


今日で言うバスのシステムを乗り合いタクシー


という形で実現しています。またパスカルは


子供時代から機械式計算機の制作をしています。


徴税吏員である


父親の仕事軽減が目的だったようです。


少し、ほのぼのする逸話ですね。また、


昔フランスでの500フランにパスカルの顔


が描かれていたようです。そしてパスカル


は39歳で亡くなっています。


何よりも圧力の概念を面積との関係で確立していき、


後の定量的議論の土台として確立した


功績は大きいのではないでしょうか。


現在では圧力の単位としてパスカルは名を残してます。


フランスの誇る偉人ですね。








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2020/10/05_初稿投稿
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2021年07月16日

矢野 健太郎 【2021/07/16-原稿改定】

「矢野健太郎」の原稿を投稿します。画像は銀杏並木を使いました。また、また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守ます。アマゾン関連の作業は嫁に任せていましたがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です故、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/4(日)朝の時点でフォロワーは合計【11530】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1912年3月1日生まれ ~ 1993年12月25日没】



矢野健太郎は私が使っていた教科書の著者でした。幾何学関係か解析学関係だったかと。彫刻家の子として生まれ東京帝大で学びます。


矢野健太郎はは小学生時代にアインシュタインが来日し刺激を受けました。また、帝大の山内恭彦から物理学の理解には代数幾何学が必要だと教えを受けました。物理現象のモデル化の観点から有用性を感じたのかと思えます。


その後、矢野はカルタン先生の下で学ぶべくパリ大学へ留学します。そこで纏めた博士論文は射影接続空間に関する論文でした。この頃から統一場理論に関心を持ちます。


戦後にはプリンストン高等研究所で微分幾何学の研究をしていき、同時期に在席していたアインシュタインと交流を持ちます。奥様と一緒にアインシュタインが写った写真は大事にしていて、家宝としたそうです。


矢野健太郎の著者は多岐に渡り、受験参考書の定番、解法のテクニックは矢野健太郎の著作です。またアイザックアシモフポアンカレアインシュタインの書物を日本に紹介する際に監修をしたりしました。私や皆さんが知った情報も矢野健太郎の仕事かも知れませんね。そんな、矢野健太郎はバイオリンが好きな静かな人でした。安らかな印象を持ち続けたいと思います。






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2021年07月15日

高木 貞治   【201/07/15-原稿改定】

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【1875年4月21日生まれ ~ 1960年2月28日没】


↑Credit:Wikipedia↑



今回、日本人数学者をご紹介します。そのお名前は高木貞治と書いて名前を「ていじ」と読ませます。


高木貞治は岐阜に生まれ現在の京都大学を卒業した後に東京大学に進みます。現在の学校制度と異なる印象も受けます。今時の表現をすると京大で学位をとって東大でマスターをとった感じでしょうか。


その後、高木貞治はドイツへ留学してヒルベルトの教えを受けます。現代の代数幾何学の原型を体系立てていったのでしょう。当時の日本で使われていた数学は所謂「和算」の発展形だったと思われます。数学的には実数が扱われていますが、少数が一般に使われていた形跡は見受けられません。もっとも、一円・七銭といった感覚はあるので1/3が0.33333・・・・・と考え続けていける筈です。小数点の概念はあったと考えても切断の概念や作図を使った証明等には発展していなかったでしょう。また、空間を考えていく際にヒルベルト空間という概念があり、量子力学で多用されます。


そもそも、個人的に高木貞治の名を知ったのはムツゴロウさんの著作でした。たしか「ムツゴロウの青春期」。その中で彼が高校時代に地元九州の先生に紹介された本が高木貞治の「解析概論」でした。解析概論が明快であると言われ、高校の教科書とは別に数学のエッセンスを学んでいきます。その後、バンカラな青春時代を過ごしたムツゴロウさんは東大の物理学科に進み、最後はどうぶつ王国を作ります。話戻って解析概論ですが、岩波文庫から出ていたその本を私も買って、面白くで読んだ思い出があります。


尚、2011年の時点で日本国内における著作権の
保護期間満了に伴いネットで著作が公開され始めています。
【Wikisourceや青空文庫を見てみて下さい】



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2021年07月14日

ジェームズ・ワット   【2021/07/14−原稿投稿】

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【1736年1月19日生まれ ~ 1819年8月25日没】








ワットは蒸気機関の改良を通じて産業革命に大きな成果を残したイギリスの偉人です。グラスゴー大学でジョゼフ・ブラックらの協力を得て工房を作り作業を続けます。蒸気機関を対象に研鑽を続け、具体的な改良には蒸気機関における凝縮器の設計において、排熱効率を見直すことによってロスを減らして出力効率を大きく高めたのです。当初の設計でシリンダー部での熱の出入りが非効率である事情に着目していて、そこを改良した訳です。ポールトンという資金面での協力者も得て、ワットは事業化に成功して成功を修めます。

ワットが最終的に成功を収めた話を初めにしましたが、実際の所は製品化までに大きな道のりがありました。当時の加治屋さん達は今と比べて精度の低い生産過程を当たり前としていたので、ミリ単位(場合によってはさらに高精度)の加工を現在の誤差範囲でこなしていく事は出来なかったのです。蒸気機関の性質上、ピストンとシリンダー間の寸法誤差は大きく性能を損ねます。丸い形で摺動方向に延びていくピストンとシリンダーの精度を上げていく事は大変な作業だった筈です。最終的には大砲製造に向けて開発された精密、中ぐり技術を使い製造していきます。また一方で、ワットはこれらの製造に関わる技術に対しての特許習得にも配慮しなければなりませんでした。

そういった創意工夫を重ねる中でワットは関連会社の仕事として「鉱山の揚水機械」の仕事を受けます。それは大変大きなもので、直径127センチメートルのシリンダーをもった7メートル以上の大きさの機械でした。あまりに大きいので専用の建屋を建てて運営していたそうです。その後、機械に色々な改良を加えていきます。益々効率的な機械になっていったのです。現代の自動車のエンジンで当たり前に使われているフライホイールもワットの発明です。回転ムラを無くして機械を円滑に動作させることで動きの効率を上げて振動を抑え、耐久性を向上させるのです。

何より、ワットはそうした仕事の中でエネルギーの定式化を進め力(Newton)の概念から仕事量(Watt)の概念を発展させました。多くの人々から尊敬を受けました。考え抜いた討論をして自分の見識を広げていった人でした。近年、イギリスのお札に肖像画が用いられています。





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2021年07月13日

レフ・D・ランダウ   【2021/07/13‐原稿改定】

「ランダウ」の原稿を投稿します。画像はデンマークの建物を使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考えると関連書籍の記載は有益な筈です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。また、読者満足度を考えてサイトの写真を洋食器から英会話に変更しています。実際の所、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/13(日)朝の時点でフォロワーは合計【11206】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1908年1月22日生まれ ~ 1968年4月1日没】



その名を書き下しておくとレフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウです。ランダウは有名なユダヤ系ロシア人の科学者で日本でも教科書を目にしたことがあるのではないでしょうか。1962年に「絶対零度近傍でのヘリウムの理論的研究」でノーベル物理学賞を受けています。


さて、ランダウは石油技術者の父と教育者の母から生まれます。12歳で微分法を理解し、14歳で国立大学に入学、物理数学科と化学学科を同時に履修します。19歳で学士の称号を得るとレニングラード物理工学研究所で電磁場の中での電子性質である量子電磁気学を研究していきます。そしてコペンハーゲンにあるボーアの研究所で大きな影響を受けました。その後、ケンブリッジでディラック・カピッツァと共同研究を進め所謂「ランダウ反磁性」の研究をまとめます。その後にチューリッヒでパウリと共同研究をした後にランダウはレニングラードに戻りました。


ランダウの幸せだった時期を中心に記載しましたがモスクワの研究所で要職を務めていながらスターリン批判をしたことで、刑務所に服役したりしていますそ、交通事故にあったりもしています。水素爆弾の製造にも不本意ながら加担しています。そして60歳でこの世を去ります。


ただ、ランダウの業績は不変です。準粒子・フェルミ流体やギンツブルグ&ランダウ理論は低温凝縮系の世界を大きく進ませました。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に関しては適時、
返信・改定をします。


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2020/09/24_初稿投稿
2021/07/02_改定投稿


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2021年07月12日

ティコ・ブラーエ    【2021/7/12−原稿改定】

「ティコ・ブラーエ」の原稿を投稿します。画像はデンマークの建物を使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考えると関連書籍の記載は有益な筈です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。また、読者満足度を考えてサイトの写真を洋食器から英会話に変更しています。実際の所、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/13(日)朝の時点でフォロワーは合計【11206】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1546年12月14日生まれ ~ 1601年10月24日没】



ティコ・ブラーエはデンマークの貴族です。
多彩な能力を持っていて天文学で業績を残した他に、
作家・占星術師・錬金術師としても活動していました。
また、意外なエピソードとして
「ティコ・ブラーエの鼻」の話があります。
その鼻は若き日の決闘によって鼻梁が無くなっていて、
それ以降、ティコは金属製の付け鼻をしていたのです。


ティコ・ブラーエの考え方では
地球が中心にあり、太陽は地球の周りを
回転していると考えていました。
確かに相対的な位置関係としては
太陽の動きは説明出来ますが、後の学者達
が整理した色々な星のデータベースと
整合性がとれる考えではありませんでしたでした。


ただ何より、ティコ・ブラーエの観測データは
正確無比でした。後にデータを引き継いだ
ケプラーがコペルニクス的転回をして
データをもとに、地球が自転しながら
太陽の周りをまわる理論を打ち出します。


全体的に見て、ティコ・ブラーエの考えは間違いでしたが、星の観測の業績としてはとても大きかったと言えるでしょう。また、色々な人の業績がつながっていく視点で見た時に、ティコ・ブラーエの残したデータが後に使われていた事実はとても重要だといえます。間違った点があったことは事実ですが、彼はそれでも追及を続けていて、彼の残したデータをもとに後の人々が議論をして、宇宙の理解へと進んでいったのです。現代の考えに近づきロケットが飛び知見が重なり、これからも進化するのです。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


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2020/12/22_初版投稿
2021/07/02_改定投稿


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2021年07月11日

A・アインシュタイン  【2021/07/11-原稿改定】

「アインシュタイン」の原稿を投稿します。画像はソルベー会議の集合写真を使いました。今回は特にメタ説明を大きく変えてドイツへのリンクを入れました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考えると関連書籍の記載は有益な筈です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。また、読者満足度を考えてサイトの写真を洋食器から英会話に変更しています。実際の所、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/27(日)昼の時点でフォロワーは合計【11361】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1879年3月14日生まれ 〜 1955年4月18日没】




現時点で最も有名な物理学者ではないでしょうか。アインシュタイン(Albert Einstein)はパラダイムシフトを起こし20世紀初頭、物理学に大きな変化をもたらしました。特に、1905年に26歳のアインシュタインは3つの歴史的な論文を発します。「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」です。光量子化説は光の性質を突き詰め量子化している論文、ブラウン運動は花粉の動きから分子の乱雑な動きを解析した論文、特殊相対性理論は速度を増し光速度に近づく物体の考察。こういった考察から空間・時間の概念を変えていき、ミクロの物質の考察を進めています。色々な学者と討議を重ねて、現実に対しての理解を深めていきます。具体的にマリ・キューリと親交を深めていて、チューリッヒ大学教職に推薦をしてもらっています。


アインシュタインは少年時代から物理学者として「考える」土壌を育んでいました。そういった話をする際によく語られるのは、居眠りから目覚めた後に考え続けたと言われている思考実験です。それはすなわち、「光の速さで光を追いかけたらどうなるか」という思考実験です。子供が大人から「光は速い」という事実と「光を使って物が見える」という2つの事実を学んだとしたら、その後に子供ならではの素朴な考えで、「それならば・・・・」と考え続けていったのです。考えること自体は誰でも出来る事ではありますが、そこから先、解決出来ない疑問を覚えていて、大事だと思い、解決した結果が人類共通の知の財産となったのです。そこには必ず苦労と乗り越えた時の喜びがあります。
時代的な話としてもアインシュタインはユダヤ系であるので彼は大変苦労しています。当時のドイツはナチスの時代ですからホロコーストが実際にあったのです。また、アインシュタインはドイツの為に原爆の製造をすることに貢献出来た筈です。実際には崩壊していくドイツ帝国を去り、アメリカでマンハッタン計画に参加します。個人の物理学者として多少の無力感を感じていたのではないでしょうか。またいつかアルバート・アインシュタインの子供、ハンス・アインシュタイン について記述することが出来ればと思っています。


苦労人のアインシュタインは数々の名言を残していますが、
私が好きな言葉を最後に残します。アインシュタインの意志の強さを感じます。


「think and think for months and years. Ninety-nine times, the conclusion is false.
The hundredth time I am right.」
私は、数ヶ月も何年も考え続けます。
99回まで、その結論は正しくないですが、
100回目に正しい答えを出すことができるのです。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来ていませんが
問題点には必ず返信・改定をします。


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2020/09/06_初稿投稿
2021/07/02_改定投稿


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2021年07月10日

ヨハン・C・F・ガウス 【2021/07/10-原稿改定】

「ガウス」の原稿を投稿します。画像はドイツの建築物を使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考えると関連書籍の記載は有益な筈です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。また、読者満足度を考えてサイトの写真を洋食器から英会話に変更しています。実際の所、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/27(日)昼の時点でフォロワーは合計【11361】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1777年4月30日生まれ ~ 1855年2月23日没】



ドイツのガウスは18世紀の数学者にして、物理学者にして、天文学者です。ガウスの業績として大きいのはガウス分布、ガウス関数、ガウスの最小自乗法、ガウスの法則等でしょう。


数学で出てくるガウス分布はガウスの考察した関数で表されていて、現代でも統計データの処理で多用されます。実際にサンプル数が多くなるとこの分布での表現が適していて「データの中心値」を真ん中にしてグラフが綺麗な左右対称の山型となります。山の頂上と裾野の「形」がガウス分布特有の形になります。


電磁気学の世界で出てくる「ガウスの法則と」は電荷量が取り囲む曲面から計算される。といった有名な法則です。より細かくは電束を面積分した総和が電荷密度の体積積分の総和と等しいと考えられ、その体積の内側にある電気の源を電荷と定義出来るのです。実際に電気の担い手が電荷だと考えると、地上の電位を基準として特定の等電位の導体を考えてみて、それよれり電荷密度が低い状態を正に帯電した環境、基準より電子密度が濃い状態を負に帯電した環境と考える事が出来るのです。こういった考え方を進め、ガウスは電気が流れていく状態を記述しました。


また、よく使われているCGS単位系の中にガウス単位系とも呼ばれる単位系があります。


パトロンが生活を支えたりしていたという時代背景もありガウスは教授となる機会は無かったようですが、デデキンドとリーマンは彼の弟子だったと言われています。






以上、間違い・ご意見は
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問題点には適時、
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2020/09/28_初稿投稿
2021/06/28_改定投稿



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2021年07月09日

ロジャー・ペンローズ  【2021/07/09-原稿投稿】

「ロジャー・ペンローズ」の原稿を投稿します。画像はケンブリッジを使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考えると関連書籍の記載は有益な筈です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。また、読者満足度を考えてサイトの写真を洋食器から英会話に変更しています。実際の所、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/13(日)朝の時点でフォロワーは合計【11206】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1931年8月8日生まれ ~ (ご存命中)】



その名はロジュー・ぺンローズ;Sir Roger Penrose OM FRS。英国の物理学者ですが、まだご存命の方なので簡単に取り上げたいと思います。有名人のブライアンとは少し系統が違う気がするのです。
(芸能系ではない純理論の学者さんです。
ムツゴロウさんとも雰囲気が違いますね)ロジャー・ペンローズは神科医にして遺伝学者の父を持ち、父方母方共に沢山の学者、芸術がいる家庭に生まれました。ロジャー自身もケンブリッジに進みます。ホーキングと共にブラックホールにおける特異点を示し、後に2020年のノーベル賞を受賞します。授賞理由はブラックホールと相対論の関係に対しての評価でした。また、その他の研究業績で気になってしまうのは認識に関する仮説に関してです。脳内での活動については個人的に昔から気になっている部分ではあるのですが、ロジャー・ベンローズの話の展開に、ほんの少しの違和感を覚えるのです。その主張はロジャーの著書:皇帝の新しい心_で示されているのそうですが脳内の情報処理には量子力学が関わる。即ちユニタリー発展(U)と波束の収束(R)が含まれている仮定のもとに、片方のRに対する議論が欠けているという立場で話を進めているのです。その系統の話をきちんと読み通してはじめて分かる話なのか、考え落としを含んでいる危うい話なのか、失礼ながら気になってしまうのです。本稿の中で私が使っている「違和感」が本物の違和感なのか取り越し苦労の違和感なのか確かめたいと思います。その意味で非常に興味深いです。






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2021年07月08日

エドワード・テラー【2021/7/8‐原稿改定】

「E・テラー」の原稿を投稿します。画像はシカゴの街並みを使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考えると関連書籍の記載は有益な筈です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。また、読者満足度を考えてサイトの写真を洋食器から英会話に変更しています。実際の所、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/13(日)朝の時点でフォロワーは合計【11206】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1908年1月15日生まれ ~ 2003年9月9日没】



エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、晩年のオッペンハイマーと対立します。


エドワード・テラーはハンガリーのブタペストで弁護士の父と4か国語を使う母から生まれました。ユダヤ系であったエドワード・テラーの父は職を追われ、ハンガリー・ドイツ・アメリカと移住を重ねました。ただ、学問の世界では良い出会いに恵まれています。ハイゼンベルクの下で博士論文を書き、ボーアの居たコペンハーゲンで有益な時間を過ごします。そうした中で原子核物理学・分子物物理で多くの業績を残しました。ヤーン・テラー効果やBETの吸着等温式は彼の業績です。


アインシュタインと共にエドワード・テラーは原爆の研究をアメリカ政府に働きかけ、実際にその計画は進んでいきます。政治的にはドイツ時代に資本主義の崩壊を目の当たりにしたテラーは共産主義に関心を抱いていた様子もありましたが、友人のランダウがソ連政府に逮捕された時期に反共思想を強めます。その時期以降にエドワード・テラーとオッペンハイマーとの確執の始まりが続きます。特に兵器としての原爆の利用に関してはエドワード・テラーとオッペンハイマーは対極の立場をとります。テラーは原爆開発の推進派で、
オッペンハイマーは否定派でした。


実際、
エドワード・テラーは原爆・水爆と兵器の開発の中心に居ました。水爆を「My・Baby」と呼んでいたと言われています。その立場は変わらず、生涯その事を悔いることはなかったと言われています。
テラーはそんな研究人生を歩みました。






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時間がかかるかもしれませんが
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2020/09/22_初稿投稿
2021/07/01 _改定投稿


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2021年07月07日

ジェームズ・ワット_1736年1月19日 ~ 1819年8月



ワットは蒸気機関の改良を通じて産業革命に大きな成果を残したイギリスの偉人です。グラスゴー大学でジョゼフ・ブラックらの協力を得て工房を作り作業を続けます。蒸気機関を対象に研鑽を続け、具体的な改良には蒸気機関における凝縮器の設計において、排熱効率を見直すことによってロスを減らして出力効率を大きく高めたのです。当初の設計でシリンダー部での熱の出入りが非効率である事情に着目していて、そこを改良した訳です。ポールトンという資金面での協力者も得て、ワットは事業化に成功して成功を修めます。

ワットが最終的に成功を収めた話を初めにしましたが、実際の所は製品化までに大きな道のりがありました。当時の加治屋さん達は今と比べて精度の低い生産過程を当たり前としていたので、ミリ単位(場合によってはさらに高精度)の加工を現在の誤差範囲でこなしていく事は出来なかったのです。蒸気機関の性質上、ピストンとシリンダー間の寸法誤差は大きく性能を損ねます。丸い形で摺動方向に延びていくピストンとシリンダーの精度を上げていく事は大変な作業だった筈です。最終的には大砲製造に向けて開発された精密、中ぐり技術を使い製造していきます。また一方で、ワットはこれらの製造に関わる技術に対しての特許習得にも配慮しなければなりませんでした。

そういった創意工夫を重ねる中でワットは関連会社の仕事として「鉱山の揚水機械」の仕事を受けます。それは大変大きなもので、直径127センチメートルのシリンダーをもった7メートル以上の大きさの機械でした。あまりに大きいので専用の建屋を建てて運営していたそうです。その後、機械に色々な改良を加えていきます。益々効率的な機械になっていったのです。現代の自動車のエンジンで当たり前に使われているフライホイールもワットの発明です。回転ムラを無くして機械を円滑に動作させることで動きの効率を上げて振動を抑え、耐久性を向上させるのです。


何より、ワットはそうした仕事の中でエネルギーの定式化を進め力(Newton)の概念から仕事量(Watt)の概念を発展させました。多くの人々から尊敬を受けました。考え抜いた討論をして自分の見識を広げていった人でした。近年、イギリスのお札に肖像画が用いられています。





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2021年07月06日

ヘルムホルツ 1821年8月31日 - 1894年9月8日


ヘルムホルツの名を全て書き下すと、Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz。神経科医にして物理学者です。学位を修めた際には無脊椎動物の神経繊維と神経細胞に関して研究していました。その後、軍医さんとしてポツダム連隊に配属されます。その後にベルリン大学で教えるというキャリアを重ねています。そんな中で沢山の弟子を育てています。その中のヘルツはヘルムホルツのもとで電気力学ついて考察を進め、電磁波の存在を示します。このような次第で活動は多岐にわたるのです。そもそも神経活動の伝搬物質は微細電流で、神経活動の研究には電圧測定は不可欠です。

ヘルムホルツの研究で別の側面をご紹介すると、熱と仕事の関係があげられます。ジュール等による熱の仕事当量に対してのデータから、今で言う熱力学第1法則を導出しています。学会で論文・力の保存についてを発表しています。マイヤー、ジュール、ケルビン卿も別途、研究を進めていたエネルギー保存則に関する成果です。

また、ヘルムホルツは化学反応の方向性についても仕事をしています。2つの物資を考えると、熱は必ず接触面で温かい物質から冷たい物質に伝わります。不可逆的な現象です。その不可逆性を考えてヘルムホルツは熱力学に関する知見を化学にあてはめ、自由エネルギー、温度、エントロピーを使って全エネルギーを定義して議論しました。化学反応が起こるには方向性があるのです。別途研究していたギブスの成果でもありますのでギブズ-ヘルムホルツの式として呼ばれています。

また。ヤングの光の三原色に加えて残像の効果を考え、色盲さんの説明が出来る様になりました。音については、人の感じる音色が周波数と数、ゲインから決まると説明しました。更には、母音に含まれる振動数が基本で、声道の形によって更に個性が出てきて共鳴音の効果が異なるのだと指摘しました。


また、田中館愛橘がベルリン大学へ留学していた時に電磁気を教えていたことでも知られています。





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2021年07月05日

デカルト_1596年3月31日 ~ 1650年2月11日



デカルトは近代哲学・数学での「初めて」を沢山作りました。
デカルトといえばよく知られた数学の仕事としては(デカルト座標」があげられるでしょう。平面上で方眼紙をイメージしながら長さに対応した数量を考えていって平面上の座標を定めるのです。例えばX,Yの二変数で考えた時に@XもYも共に1の場合とAXもYも共に2の場合を考えたらそれぞれの距離は√2と2√2ですから後者Aの方が遠いのです。「二倍遠い」といった論理的な話を誰しも分かる共通の土俵で話す事が出来るのです。ここから話が始まって、平面上で三角形の形をを考えたり、その面積を考えたり出来るのです。そんな土台をデカルトは作っていったのです。

また、アルファベットで定数や変数を表す時にA,B,C,,,,,を使って定数の代わりにする一方でZ,Y,X,,,,を使う時は変数の代わりとして一般的に使いますがこの代用法もデカルトが使いだしたと言われています。中学生に説明したら,何となく分かってくれるでしょうか。定数と変数を分かり易く分けて考える方法だと思えますので特筆すべき便利さですね。その変数でXの二倍は2Xで、XのX倍はX^2(Xの自乗)と書きますがこれまたデカルトの発案です。論理学から代数学へつなげていったのですね。これまた素晴らしい。

そんなデカルトですが哲学者としては「我考える、故に我あり」の言葉が有名です。思考の原点を自分自身で考えて「自我」を言葉で表現していった人です。人類が何千年も生活してきて、地域ごとに色々な生活様式で
生き続けてきた中で、より普遍的な「思考方法」と「思考過程」を定式化して議論の土台に乗せたと言えます。イタリア人とインド人が精神論の違いを語るとしたら、デカルトが考え出したような哲学的な言葉は、きっと役に立つに違いありません。そんなデカルトも自身が信じるキリスト教を基盤に、その「神」を考えていったと言われています。「良識」、「人権」といった民主主義の基盤となる概念も「人」と「神」の関係を考えていく事から形作られたと言えて、「神」の偉大さを議論する事で、その子として恥じない「人」のあるべき姿を考えていったと言えるでしょう。色んな困難があったと言われています。実際にガリレオの事情を知り、デカルトは論文提出を控えたと言われています。





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2021年07月04日

竹内均_1920年7月2日 ~ 2004年4月20日



私の中での竹内均のイメージは特徴的な眼鏡かけたコメンテーターです。実際、文筆活動もあんな感じでしているそうで、沢山本を出していますが作業はテープレコーダへの録音一辺倒です。文章に起こす秘書さんが居て一緒に作業します。独特の書き方ですね。それでもお人柄から悪い印象は持ちません。人から好かれる性格ですね。

竹内均は自分に厳しくて子供に優しい人だったと言われています。独特の喋り口調が印象的で通り易い声で聴きやすいリズムで人に語りかけていました。子供向けの伝記を沢山、監修してい居て「キューリー夫人伝」とか「エジソン伝」とかの表紙に小さく竹内均の名前が入っていたりしました。そんな啓蒙活動を考え続けて初代NEWTON編集長として日本でも一般向け教育書を作っていきます。物理学の理解には個人の勉強も必要ですが、学問の性質上、万物を人がどう考えるか(モデル化していき理解するか)という論点が欠かせません。個人が理解するという考え方と同時に日本人が、そして人類が理解していくというプロセスが欠かせません。大衆にも理解出来る物理モデルが作れた時に理論は出来上がるのです。ギブスの文章を書くときに協調しましたが「数学者と物理学者の視点は異なる」のです。数学は論理として完結しているモデルであれば現実と対応が付かないでも問題がないです。そんなものです。物理学は絶えず現実と対応する理論を作らないと意味がありません。竹内均はそういった民衆との対話をとても大事にしていました。

竹内均の業績を考えていくと寺田寅彦の系譜です。具体的には直接の講義・指導を受けていない孫弟子にあたります。地球物理学に関心を持って、特にプレートテクトニクス理論をを広く広めています。実際に地面が少しずつ動いていく様子を伝える際に物理学者として地球の内部構造や境界面での様子を伝えたのです。深い知見を持って伝えたのです。そして何より、竹内均独特の「優しい言葉」で伝えたのです。





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2021年07月03日

C・A・・ドップラー_1803年11月29日 - 1853年3月17日



その名を書き下すとクリスティアン・アンドレアス・ドップラー;Christian Andreas Doppler。ドップラーはオーストリアの物理学者にして数学者にして天文学者です。移動体の発する音を考えた時に観測者と音源との間の相対的な関係を詳しく調べました。いわゆる「ドップラー効果」の形で定式化して後世に残しています。
絶対音感を持った音楽家が移動体からの音を聞いて音程が変わる事実を示しています。
当日としては極めて説得力のある説明方法だったのでしょう。

ドップラーの素晴らしい所は問題のとらえ方で、相対的な位置関係の変化から一見,違うものと思える
「音速;C」と「移動体の速度;V」の間の関係から「動かない物体の発する周波数;F1」から
「移動する物体の発する周波数;F2」へと変化する割合「F2/F1」を数式で分かり易く示したことです。今日では高校生レベルで説明・理解出来る関係を作り上げて説明しています。


ドップラーは現在のチェコ工科大で教職を務めた後にウィーン大学物理学研究所で研究機関の長を務めます。そんななかで遺伝学のメンデルの研究を指導していたりします。





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2020/10/16_初版投稿
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2021年07月02日

ロジャー・ペンローズ_1931年8月8日 ~ (ご存命中)



その名はロジュー・ベンローズ;Sir Roger Penrose OM FRS。英国の物理学者ですが、まだご存命の方なので簡単に取り上げたいと思います。有名人のブライアンとは少し系統が違う気がするのです。
(芸能系ではない純理論の学者さんです。/ムツゴロウさんとも雰囲気が違いますね)

ロジャー・ペンローズは神科医にして遺伝学者の父を持ち、父方母方共に沢山の学者、芸術がいる家庭に生まれました。ロジャー自身もケンブリッジに進みます。ホーキングと共にブラックホールにおける特異点を示し、後にノーベル賞を受賞します。授賞理由はブラックホールと相対論の関係に対しての評価でした。

また、その他の研究業績で気になってしまうのは認識に関する仮説に関してです。脳内での活動については個人的に昔から気になっている部分ではあるのですが、ロジャー・ベンローズの話の展開に、ほんの少しの違和感を覚えるのです。その主張はロジャーの著書:皇帝の新しい心_で示されているのそうですが脳内の情報処理には量子力学が関わる。即ちユニタリー発展(U)と波束の収束(R)が含まれている仮定のもとに、片方のRに対する議論が欠けているという立場で話を進めているのです。その系統の話をきちんと読み通してはじめて分かる話なのか、考落としを含んでいる危うい話なのか、失礼ながら気になってしまうのです。本稿の中で私が使っている「違和感」が本物の違和感なのか取り越し苦労の違和感なのか確かめたいと思います。その意味で非常に興味深いです。






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