アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索

メンズエステサロン
【エルセーヌMEN】

メタボリック対策やヒゲ脱毛など、男の魅力を引き出すエステ体験実施中!
<< 2021年01月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
最新コメント

2021年01月31日

ウィラード・ギブズ_【原稿再投稿】

ギブスの原稿このブログに再投稿します。後に改定します。古き良きアメリカで初めて博士号を習得したパイオニアです。

また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。1/31(日)朝の時点でのフォロワー数は@コウジ@kouji_287→333→389_Aバンドリ好き太郎_248→308→337_B浩司_132→172→198_Ckouji kazeno【このアカは1/31から3日間のアクセス制限を受けています。いいねのし過ぎでしょうか。】_123→146→177_・合計で考えると 【46+60+40+23=167の増加@1/30_56+29+26+31=142の増加@1/31】4アカウント合計で790>957_垢単体で大まかに【36フォロワー/1日】ですね。この考えだと18日後の2月中頃には平均680アップですから@の垢が1000を超える予定ですね。手動は大変ですが頑張ります。その時点で宣伝を初める予定です。結果は再報告します。

ヤフーブログ終了の教訓から備えています。(http://wwwのドメインを信頼した作業です)また、この機会に再度、登場人物を整理・網羅したいという意向もあります。纏めTOPでの4分類である「力学」、「電磁気学」、「量子力学」、「統計力学」の視点で人物を考え直してみます。その考えで今回は力学関係の年代別整理、第10弾です。

もともとの原稿の他に新しいバックアップそれを整理、ご案内している纏めのページがある訳です。もともとの改定項を残しておきます。ご参考に。

【以下は前回投稿の原稿】





その名は正しくはジョサイア・ウィラード・ギブズ_Josiah Willard Gibbsです。
米国コネチカット州に生まれイェール大学で博士号をとります。
その博士号はアメリカ大学における最初の工学博士だったそうで、
米国における物理学の先駆者だったのですね。





その後、ギブスは修行時代として、パリ、ベルリン、ハイデルベルクで
一年ずつ滞在します。今の感覚では想像出来ないのですが、
彼の人生で地元を離れたのはこの三年間だけだったそうです。





ギブスの業績として大きいものは物理学への統計の導入でしょう。個々の粒子の個別の性質は別として、体系の集団が持つ性質を統計的にまとめあげていく事でその性質が熱力学的な特性につながっていくのです。その考えをまとめた論文を読んだマクスウェルは大変感動をして、その思いを伝えるために石膏模型を作ったと言われています。そして、その抽象的な模型をギブスへ送ったのですが、模型は今でもイェール大学で大切に保管されているそうです。

数理的手法を物理学に取り入れたギブスですが、その立場(スタンス)を表現している言葉をご紹介します。
A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.
【(私の訳)
数学者は望むがままに物事を言えますが、
物理学者は何とかして、しゃっきりと
物事を伝えなくてはいけないですよ。】
数学者と物理学者は視点を変えていかねばいけないと。

最後に、戸田先生の教科書【岩波書店から出ていた熱・統計力学の本】
でギブスの人柄を伝えるエピソードが載っていたのでご紹介します。
(小さな物語の始まりです)
ギブスは結婚をしないで父の残した家に妹夫婦と共に住んでいました。
その家は彼の研究室から近い場所、道を渡ったところにあって、
ギブスは午前の講義を終えた後に、食事の為に家に戻っていました。
お昼を食べた後にギブスは研究室に帰ってそこで過ごし、
夕方五時頃に散歩をしながら帰宅するという静かな暮らし
を送っていました。何年も。何年も。
そして、
ギブスは妹の家事を手伝い、一緒に料理もしました。
特に、不均一系の研究をしていたギブスは
サラダを混ぜる仕事がとても得意だったそうです。
うまく作業できた時には大層、ご機嫌になれたでしょう。
そんな静かで温かい生活を重ねていました。







【舞台別のご紹介】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初稿投稿
2021/01/18_改定投稿





OJISAN.png


ルイ・コーシー_【原稿改定】

コーシーの原稿このブログに再投稿します。後に改定します。

また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。1/31(日)朝の時点でのフォロワー数は@コウジ@kouji_287→333→389_Aバンドリ好き太郎_248→308→337_B浩司_132→172→198_Ckouji kazeno_123→146→177_・合計で考えると 【46+60+40+23=167の増加@1/30_56+29+26+31=142の増加@1/31】4アカウント合計で790>957_垢単体で大まかに【36フォロワー/1日】ですね。この考えだと18日後の2月中頃には平均680アップですから@の垢が1000を超える予定ですね。手動は大変ですが頑張ります。その時点で宣伝を初める予定です。結果は再報告します。

ヤフーブログ終了の教訓から備えています。(http://wwwのドメインを信頼した作業です)また、この機会に再度、登場人物を整理・網羅したいという意向もあります。纏めTOPでの4分類である「力学」、「電磁気学」、「量子力学」、「統計力学」の視点で人物を考え直してみます。その考えで今回は力学関係の年代別整理、第9弾です。

もともとの原稿の他に新しいバックアップそれを整理、ご案内している纏めのページがある訳です。もともとの改定項を残しておきます。ご参考に。

【以下は前回投稿の原稿】



その名は正確には、オーギュスタン=ルイ・コーシー
(フランス人)Augustin Louis Cauchyです。
コーシーは数学者で、天文学、光学、流体力学に大きく貢献しています。

コーシーの生まれた時代にフランスでは
革命が起きていて
それを避ける為に家族は郊外に居を移します。
彼の生まれた時期でした。





コーシーの一家がパリ郊外に移り住んだ時に
近くにラプラスが住んでいました。
コーシーの父とラプラスが交流を進める中で
ラプラスはコーシーのセンスに気づきます。
素晴らしい出会いだったのです。





やがてコーシーの一家はパリに戻って
サロンでの交流をしたりします。
コーシーはそんな中で土木学校を卒業して
港を作る仕事をしていたようです。





思想的には両親の影響を受け保守的なところがあり、
シャルル10世の国外退去に伴い、
共に流浪の時代を送ります。
そこでコーシーはボルドー公の家庭教師
などをしていました。





研究においては置換方法にコーシーは工夫を凝らし
群論に繋がる研究成果を纏めています。
また解析学の面では、その厳密な性格から
ε・∂(イプシロン・デルタ)論法の原型となる考えを
作り出しました。結果として、
解析学では厳密な定式化を進め、
現代の数学の礎を作ったのです。
級数の置換をスマートに進めていたと思います。
連続・非連続をつないでいったと
言えないでしょうか。





私も複素平面・留数定理…と
学んでいった事を思い出します。
現代で使っている解析学では
コーシーが作り上げたものが多いです。
コーシー・リーマンの方程式・コーシー列・
コーシーの平均値の定理・
コーシーの積分定理等、枚挙にいとまがありません。
その業績は広くたたえられ、
エッフェル塔にその名を残しています。









以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初回投稿
2021/01/17_改定投稿

【舞台別のご紹介】





OJISAN.png


posted by コウジ at 12:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

レオンハルト・オイラー_【1/31_ 原稿再投稿】

オイラーの原稿を纏めまとめをこのブログに再投稿します。後に改定します。

また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。1/31(日)朝の時点でのフォロワー数は@コウジ@kouji_287→333→389_Aバンドリ好き太郎_248→308→337_B浩司_132→172→198_Ckouji kazeno_123→146→177_・合計で考えると 【46+60+40+23=167の増加@1/30_56+29+26+31=142の増加@1/31】4アカウント合計で790>957_垢単体で大まかに【36フォロワー/1日】ですね。この考えだと18日後の2月中頃には平均680アップですから@の垢が1000を超える予定ですね。手動は大変ですが頑張ります。その時点で宣伝を初める予定です。結果は再報告します。

ヤフーブログ終了の教訓から備えています。(http://wwwのドメインを信頼した作業です)また、この機会に再度、登場人物を整理・網羅したいという意向もあります。纏めTOPでの4分類である「力学」、「電磁気学」、「量子力学」、「統計力学」の視点で人物を考え直してみます。その考えで今回は力学関係の年代別整理、第8弾です。

もともとの原稿の他に新しいバックアップそれを整理、ご案内している纏めのページがある訳です。もともとの改定項を残しておきます。ご参考に。

【以下は前回投稿の原稿】

オイラーの原稿を纏めまとめをこのブログに再投稿します。後に改定します。

また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。1/31(日)朝の時点でのフォロワー数は@コウジ@kouji_287→333→389_Aバンドリ好き太郎_248→308→337_B浩司_132→172→198_Ckouji kazeno_123→146→177_・合計で考えると 【46+60+40+23=167の増加@1/30_56+29+26+31=142の増加@1/31】4アカウント合計で790>957_垢単体で大まかに【36フォロワー/1日】ですね。この考えだと18日後の2月中頃には平均680アップですから@の垢が1000を超える予定ですね。手動は大変ですが頑張ります。その時点で宣伝を初める予定です。結果は再報告します。

ヤフーブログ終了の教訓から備えています。(http://wwwのドメインを信頼した作業です)また、この機会に再度、登場人物を整理・網羅したいという意向もあります。纏めTOPでの4分類である「力学」、「電磁気学」、「量子力学」、「統計力学」の視点で人物を考え直してみます。その考えで今回は力学関係の年代別整理、第8弾です。

もともとの原稿の他に新しいバックアップそれを整理、ご案内している纏めのページがある訳です。もともとの改定項を残しておきます。ご参考に。

【以下は前回投稿の原稿】

オイラーの原稿を纏めまとめをこのブログに再投稿します。後に改定します。

また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。1/31(日)朝の時点でのフォロワー数は@コウジ@kouji_287→333→389_Aバンドリ好き太郎_248→308→337_B浩司_132→172→198_Ckouji kazeno_123→146→177_・合計で考えると 【46+60+40+23=167の増加@1/30_56+29+26+31=142の増加@1/31】4アカウント合計で790>957_垢単体で大まかに【36フォロワー/1日】ですね。この考えだと18日後の2月中頃には平均680アップですから@の垢が1000を超える予定ですね。手動は大変ですが頑張ります。その時点で宣伝を初める予定です。結果は再報告します。

ヤフーブログ終了の教訓から備えています。(http://wwwのドメインを信頼した作業です)また、この機会に再度、登場人物を整理・網羅したいという意向もあります。纏めTOPでの4分類である「力学」、「電磁気学」、「量子力学」、「統計力学」の視点で人物を考え直してみます。その考えで今回は力学関係の年代別整理、第8弾です。

もともとの原稿の他に新しいバックアップそれを整理、ご案内している纏めのページがある訳です。もともとの改定項を残しておきます。ご参考に。

【以下は前回投稿の原稿】


L・オイラーのLはレオンハルトのLです。

オイラーはガウスと並ぶ数学の大家
ですが、同時に天文物理学でも業績
を残しています。物理学で使う数学
手法も残しました。オイラーが
定式化した自然対数と三角関数の関係は
何度も何度も繰り返し使いました。

さて、オイラーの人生における転機は
大学時代に師となるベルヌーイが
その才能を見出したタイミングでした。
神学の道を目指していたオイラーの
両親をベルヌーイが説得して
オイラーは数学の道を選びます。

オイラーは招かれて外国で数年
過ごしたりしながら研究を続け
ましたが、視力が低下していき
遂には失明してしまいます。

それでもオイラーは精力的に
論文執筆の活動を続けました。
頭の中で計算式を操り、
口頭で協力者に内容を伝え、
文章に起こしてもらい、
論文を次々と完成させたのです。













以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/26_初稿投稿
2020/12/22_改定投稿





OJISAN.png


タグ:オイラー

電磁気学関係のまとめ【2021/31/31_原稿改定】

Erec.jpg
(Credit Pictaso)

リンクのついた本稿は改定致します。
今回改定でホイヘンスとフィゾーを含めました。
電磁波を扱っていたという視点です・
以下に初回投稿時の原稿を残しますので
ご参考にして下さい。


【以下は初回投稿の原稿です】



このブログも項が進み、以下の内容を改定します。
旧履歴に関しては別項を設けましたのでご参考に。


●電磁気学体系:
ヴォルタ_1745年2月18日 ~ 1827年3月5日_
アンペール_1775年1月20日 ~ 1836年6月10日_
ガウス_1777年4月30日 ~ 1855年2月23日_
ハンス・エルステッド_1777年8月14日 ~ 1851年3月9日
オーム_1789年3月16日 ~ 1854年7月6日_
ファラデー_1791年9月22日 〜 1867年8月25日
クーロン__1804年2月12日 ~ 1865年2月10日_
H・レンツ_1804年2月12日 ~ 1865年2月10日
ウィリアム・トムソン_1824年6月26日 ~ 1907年12月17日
マクスウェル_1831年6月13日 ~ 1879年11月5日
フレミング_1849年11月29日 ~ 1945年4月18日
H・A・ローレンツ_1853年7月18日 ~ 1928年2月4日
J・J・トムソン_1856年12月18日~1940年8月30日
ハインリヒ・R・ヘルツ_1857年2月22日 ~ 1894年1月1日
ミリカン_1868年3月22日 ~ 1953年12月19日
アーネスト・ラザフォード_1871年8月30日 ~ 1937年10月19日
D・J・ボーム_1917年12月20日 ~ 1992年10月27日







また、登場人物を
舞台別で別途纏めていますので
ご参考にして下さい。



以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/07_初稿投稿
2021/01/13_原稿改定





OJISAN.png


【舞台別のご紹介】

posted by コウジ at 00:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月30日

ダニエル・ベルヌーイ_【原稿投稿】

ダニエル・ベルヌーイの原稿を纏めまとめをこのブログに再投稿します。後に改定します。

また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。1/30(土)朝の時点でのフォロワー数は@コウジ@kouji_287>333_Aバンドリ好き太郎_248>308_B浩司_132>172_Ckouji kazeno_123>146_・46+60+40+23=167の増加4アカウント合計で790>957_垢単体で大まかに【40フォロワー/1日】ですね。この考えだと18日後の2月中頃には680アップですから@の垢が1000を超える予定ですね。手動は大変ですが頑張ります。その時点で宣伝を初める予定です。結果は再報告します。

ヤフーブログ終了の教訓から備えています。(http://wwwのドメインを信頼した作業です)また、この機会に再度、登場人物を整理・網羅したいという意向もあります。纏めTOPでの4分類である「力学」、「電磁気学」、「量子力学」、「統計力学」の視点で人物を考え直してみます。その考えで今回は力学関係の年代別整理、第7弾です。

もともとの原稿の他に新しいバックアップそれを整理、ご案内している纏めのページがある訳です。もともとの改定項を残しておきます。ご参考に。

【以下は前回投稿の原稿】



ダニエル・ベルヌーイの名前で
ダニエルって大事です。科学史
に詳しい人ならピンと来るの
ですが、ベルヌーイ一族は沢山、
科学史に出てきます。
3世代で8人が特に有名です。





先ず、今回取り上げたダニエルは
3兄弟で、全て物理学者・数学者
です。また、ダニエルの父の世代
にも何人かの学者が居るようで、
ダニエルの叔父の仕事を父が
引継ぐ場面もあったようです。





また、こんな事もありました。
1734年のパリ・アカデミー大賞で
父のヨハンと息子のダニエルが
同時に賞を受賞した事が父の名誉
を傷つけダニエルはベルヌーイ家
から出入り禁止の扱いを受けます。
父は死ぬまでダニエルを恨んで
いました。有名なダニエルの
流体力学に関する著作でヨハン
による盗用もあったようです。





そんな事もありましたが、ダニエルは
研究を続け、パリ・アカデミー大賞
の受賞も10回になったようです。
何よりニュートン力学と数学を組み
合わせ流体力学を発展させました。
そうした仕事は船舶運航等に大変、
役立ちました。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/30_初回投稿
2021/01/17_改定投稿

【舞台別のご紹介】





OJISAN.png


タグ:ベルヌーィ

コリン・マクローリン_【記事再投稿】

コリン・マクローリンの原稿を纏めまとめを、このブログに再投稿します。後に改定します。

また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。1/30(土)朝の時点でのフォロワー数は@コウジ@kouji_287>333_Aバンドリ好き太郎_248>308_B浩司_132>172_Ckouji kazeno_123>146_・46+60+40+23=167の増加4アカウント合計で790>957_垢単体で大まかに【40フォロワー/1日】ですね。この考えだと18日後の2月中頃には680アップですから@の垢が1000を超える予定ですね。手動は大変ですが頑張ります。その時点で宣伝を初める予定です。結果は再報告します。

ヤフーブログ終了の教訓から備えています。(http://wwwのドメインを信頼した作業です)また、この機会に再度、登場人物を整理・網羅したいという意向もあります。纏めTOPでの4分類である「力学」、「電磁気学」、「量子力学」、「統計力学」の視点で人物を考え直してみます。その考えで今回は力学関係の年代別整理、第6弾です。

もともとの原稿の他に新しいバックアップそれを整理、ご案内している纏めのページがある訳です。もともとの改定項を残しておきます。ご参考に。

【以下は前回投稿の原稿】



マクローリンの名を耳にするのは
数学の中ではないでしょうか。
物理学者というよりも数学者ですが
一昔前の物理学と数学は境目があいまいでした。

マクローリンは特に彼の名にちなんだ展開で有名です。
その内容は「0を中心としたテイラー展開」であって、
とても特別な場合なのですが
その有益性は非常に大きいのです。
その有益性は単純な私達では思い付かなかったでしょう。

込み入った話をすると、マクローリンが定式化した
数学的な定式化は「任意の関数の級数への分解」です。
任意の関数が持つ変化膣を、
1次成分の寄与、2次成分の寄与、3時成分の寄与、、、
と分けて表現していくのです。





マクローリンは英スコットランドに生まれました。
ニュートンと仕事をする中で彼の信頼を得て、
大学への推薦状を書いてもらう程でした。

マクローリン自身もニュートンの考えに惚れ込んでいて、
その紹介を目的として出版活動をしていました。
こうした仕事を通じてスコットランド啓蒙運動
に勤しんだ【いそしんだ】のです。









多くの人は高校時代以降に数学を使わなくなるでしょうが、
実生活の中で数学の世界はとても役に立っています。
特に、今回ご紹介しているマクローリンの考えは
一般関数の級数展開といった考えにつながり、
その考えはひいてはデジタル回路における近似処理
に繋がるのです。スマホの中とかの回路での処理原理です。
一般の人は意識しませんが恩恵を受けています。

理工学系の過程に進む初学者は以上の点を少し意識して下さい。
一見関係ないように思える数学の世界も、その概念を
土台として現代の応用技術が成り立っているのです。
無意味乾燥に思える講義の内容が
貴方の人生で思わぬ成果を生む場合があります。











【舞台別のご紹介】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/06_初稿投稿
2021/01/19_改定投稿





OJISAN.png


ブレーズ・パスカル_【記事再投稿】

ブレーズ・パスカルの原稿を纏めまとめブログに再投稿します。後に改定します。

また、当ブログへのアクセスを増やしたいのでツイッター始めています。4つのアカウントを作りフォロワーを増やしている状況です。目的は当ブログの宣伝。1/30(土)朝の時点でのフォロワー数は@コウジ@kouji_287>333_Aバンドリ好き太郎_248>308_B浩司_132>172_Ckouji kazeno_123>146_・46+60+40+23=167の増加4アカウント合計で790>957_垢単体で大まかに【40フォロワー/1日】ですね。この考えだと18日後の2月中頃には680アップですから@の垢が1000を超える予定ですね。手動は大変ですが頑張ります。その時点で宣伝を初める予定です。結果は再報告します。

ヤフーブログ終了の教訓から備えています。(http://wwwのドメインを信頼した作業です)また、この機会に再度、登場人物を整理・網羅したいという意向もあります。纏めTOPでの4分類である「力学」、「電磁気学」、「量子力学」、「統計力学」の視点で人物を考え直してみます。その考えで今回は力学関係の年代別整理、第5弾です。

もともとの原稿の他に新しいバックアップそれを整理、ご案内している纏めのページがある訳です。もともとの改定項を残しておきます。ご参考に。

【以下は前回投稿の原稿】



パスカルの残した言葉、
「人間は考える葦である」
がまず思い浮かびます。
パスカルは考え続けた人でした。

パスカルの遺稿集であるパンセは有名です。
総合的に物事を考えています。
死後、遺品整理で改めて分かったのは
神をも思考の対象として考え、
様々な思考を繰り返し
確率論、優先順位を考え、
様々な証明方法
を使っていたということです。





数学の上では三角形の内角の和を
考えた時に合計180度である
と子供時代に証明していた
と言われています。

物理学の面では圧力に関する
パスカルの原理が有名で
その後、油圧機器に多用されてます。





またパスカルは実業家として
の側面も持っていて、
今日で言うバスのシステムを
乗り合いタクシーという形で
実現しています。またパスカルは
子供時代から機械式計算機の制作を
しています。徴税吏員である父親
の仕事軽減が目的だったようです。
少し、ほのぼのする逸話ですね。

昔フランスでの500フランにパスカルの顔
が描かれていたようです。そしてパスカル
は39歳で亡くなっています。現在では
圧力の単位としてパスカルは名を残しています。
フランスの誇る偉人ですね。









以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/05_初稿投稿
2021/01/14_改定投稿





OJISAN.png


【舞台別のご紹介】

力学関係のまとめ_【1/30_原稿改定】

Mech2.jpg
(Credit Pictaso)


以下に2020年9月投稿時の原稿を落とします。
リンクのついた本稿を改定しますのでご承知置き下さい。

【以下は改定前原稿】


時代別に関連人物を纏める必要があるとの観点と、
分野別に関連人物を纏める必要性の観点から
ページ・リンクを改定します。ご高覧下さい。

●力学体系の創始者達:

ガリレオ・ガリレイ_1564年2月15日 ~ 1642年1月8日
クリスティアーン・ホイヘンス_1629年4月14日 ~ 1695年7月8日
ロバート・フック_1635年7月28日 ~ 1703年3月3日
アイザック・ニュートン_1642年12月25日 〜 1727年3月20日

●数学・解析力学で整理した人々:

ブレーズ・パスカル_1623年6月19日 ~ 1662年8月19日
コリン・マクローリン_1698年2月 ~ 1746年6月14日【後日追記】
ダニエル・ベルヌーイ_1700年2月8日 ~ 1782年3月17日
L・オイラー_1707年4月15日 ~ 1783年9月18日
ルイ・コーシー_1789年8月21日 ~ 1857年5月23日
ウィラード・ギブズ_1839年2月11日 ~ 1903年4月28日【後日追記】
アンリ・ポアンカレ_1854年4月29日 ~ 1912年7月17日

●天文学として考えた人々:

ティコ・ブラーエ_ 1546年12月14日 ~ 1601年10月24日
ガリレオ・ガリレイ_1564年2月15日 ~ 1642年1月8日
ヨハネス・ケプラー_1571年12月27日 ~ 1630年11月15日
クリスティアーン・ホイヘンス_1629年4月14日 ~ 1695年7月8日
エドウィン・パウエル・ハッブル_1889年11月20日 ~ 1953年9月28日【後日追記】
スティーヴン・W・ホーキング_1942年1月8日 ~ 2018年3月14日

●日本において力学を伝えたであろう人達:

山川 健次郎
_1854年9月9日 ~ 1931年6月26日

長岡半太郎
_1865年8月19日 ~ 1950年12月11日

寺田寅彦
_1878年11月28日 ~ 1935年12月31日

石原敦
1881年1月15日 ~ 1947年1月19日

朝永振一郎
_1906年3月31日 ~ 1979年7月8日

湯川秀樹
_1907年1月23日 ~ 1981年9月8日

南部 陽一郎
_1921年1月18日 ~ 2015年7月5日

江崎玲於奈
1925年3月12日 ~ 【ご存命中】

また、登場人物を活躍場所で別途纏めていますので
ご参考にして下さい。









以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全てに返信できていませんが
メールは全て見ています。
問題個所は適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/6_記





OJISAN.png



【舞台別のご紹介】

posted by コウジ at 06:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月29日

ジャック・C・シャルル_1746年11月12日 - 1823年4月7日



その名を全て書き下すと、ジャック・アレクサンドル・セザール・シャルル:Jacques Alexandre César Charles
フランスに生まれた発明家にして物理学者にして数学者、そして気球乗りです。物理学者としてはボイル・シャルルの法則で有名ですね。また水素を使った気球で初めて飛行した人です。





シャルルは「ボイルの法則」やキャヴェンディッシュやJ・ブラックら当時最新の仕事を見ながら水素の物性に着目しました。比重が空気に比べて、とても軽いので気球に応用出来ると考えたのです。そこでシャルルはプロトタイプの気球を設計しロベール兄弟に製作を依頼しました。パリの工房で気球を作り始めたのです。材料としてはゴムをテレピン油に溶かし、絹のシートにそれを塗った物を使っています。





1783年8月27日にシャルルとロベール兄弟は、今のエッフェル塔がある場所で世界初の水素入り気球の飛行試験を行いました。その時にはおじいさんだったベンジャミン・フランクリンもいたそうです。その年の暮れには別の気球を使って有人気球の初飛行を行っています。この時にはルイ・フィリップ2世が率いた一団が見ていて、着陸時に馬で気球を追いかけ、シャルルと同乗していたロベールが気球から降りる際に気球が再び浮かないよう押さえつけた、というエピソードが残っています。【引用はwikipedia】40万人がシャルルの初飛行を見たと言われています。特にプロジェクト資金集めとして募金を募ったのですが、応じた数百人は特等席で離陸を見れたそうです。その席にはアメリカ合衆国大使のベンジャミン・フランクリンもいました。また、シャルルの尊敬していたジョセフ・モンゴルフィエも居たそうです。






そうした冒険家が残した法則がシャルルの法則です。V1/T1 = V2/T2 として簡単化出来ますが、異種気体の体積と温度の関係を簡単に表していますね。実験、経験から事実が導き出される良い例だと思います。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2021/01/22_初稿投稿





OJISAN.png

2021年01月28日

ピエール・キューリ_1859年5月15日 〜 1906年4月19日





ピエール・キューリって有名なマダム・キューリの旦那様ですが、調べていけばいくほど良い男です。ピエールはフランスのパリ生まれましたが、学校にいきたがらず、お医者だったお父様や家庭教師等に勉強を教えてもらって自宅で勉強していました。特に数学、なかんずく幾何学で光る所を見せるようになり、16歳でパリ大学に入学します。そしてなんと18歳で学士号を得てしまいます。今の日本では普通の学生が入学試験を受ける年齢ですね。びっくりです。家計の事情で博士号習得はあきらめて物理研究室の助手として働きます。





同じくパリ大学鉱物学助手の兄ジャックと協同で研究を進めます。水晶等の結晶に圧力差が生じた時に電位差が発生する現象を定理化して圧電効果またはピエゾ効果と呼ばれる法則を発見し、公表しました。更に、彼等は逆の現象も示します。それは水晶に電界を加えた時に形が変わるという現象を発表しました。現在の工業製品ではこの応用である水晶振動子がデジタル回路で使われています。





ピエールは磁性に関して研究を進めています。その中で自差係数を計測するための精密なねじりばかりを使っていますが、その装置はその後に精密計測で世界中の研究者に広く使われています。ピエール・キュリーは博士論文のテーマとして強磁性、常磁性、反磁性について研究をおこないました。特に常磁性への温度特性を「キュリーの法則」として定式化しています。。その式に出てくる物質固有の定数は「キュリー定数」と呼ばれています。更に強磁性体の磁性損失も明らかにしています。「キュリー点」です。キュリー天秤も作りました。沢山の業績を残していますね。

沢山の成果をあげていましたが、ピエールは薄給に甘んじ出世に興味をもたず教育功労勲章も断っていました。そんなピエールを外国では高く評価していて、1893年には英国のケルヴィン卿が訪問しています。その後ピエールはポーランド人のマリア・スクウォドフスカと出逢い結婚しています。その後は夫婦共同で放射性物質の研究をしていて、ポロニウムとラジウムを発見、放射能という用語の提案を行っています。
そして遂にピエールは学生と共に核エネルギーを発見します。原子核の遷移は熱を生んでいたのです。学生との発見は続き、アルファ線、ベータ線、ガンマ線を見付けています。それぞれの放射線の帯電特性に気付いた訳です。





こうした成果をピエールがあげていく中で、心身のダメージは蓄積していきました。リウマチで毎晩ピエールは激痛に襲われて悲鳴をあげていたそうです。妻マリアとベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞した際には体調不良で授賞式に出られませんでした。

そして運命の日が来ます。1906年4月19日木曜日です。当時パリ大学教授になったばかりのピエールは昼食後2時半頃に
目的地に徒歩で移動していました。パリの狭い道を多くの馬車が混走していました。道を渡り損ねた彼は馬車にひかれてしまい、頭蓋骨にひどいダメージを負って即死してしまうのです。一瞬の悲劇でした。フランスは宝を失います。

彼の死後に妻マリアは2度目のノーベル賞を得ています。また娘のイレーヌ・ジョリオ=キュリーとその夫で研究所の助手だったフレデリック・ジョリオ=キュリーも放射性元素の研究でノーベル賞を受賞しています。もう1人の娘エーヴは、母の伝記を書き残しました。孫の ヘレン ランジュバン ジョリオ はパリ大学の核物理学教授で、同じく孫の ピエール ジョリオ は生化学者です。

そして今ピエールとマリの魂はパリのパンテオンの地下聖堂に眠ってます。他のフランスの産んだ偉人達と共に。フランスの名誉と共に。夫婦で深い安らかな眠りを続けています。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2021/01/21_初稿投稿






OJISAN.png

2021年01月27日

砂川 重信_1925年 ~ 1998年8月7日



砂川重信は東京に生まれ、大阪大学理学部物理学科卒業。大阪大学教授や東北大学教授を務めました。何より砂川重信は数多くの物理学の書物を出しています。特に私の印象に深いのは電磁気学の著書です。超・有名です。





砂川重信は「丸暗記ではなく、納得して理解していけば」物理学は面白い。といった考え方を持っていました。そうしか考えを聞くにつけ自分の子供が勉強している時に、どんな一言をかけてあげようか悩みます。若い人が物事を理解していく時間は大事です。その人の一生を通じて問題に直面した時にどう対応するか、それはどんな勉強してきたかに大きくつながると思います。





砂川重信の業績は場の理論、散乱理論、量子論的多胎問題に及びますが、それぞれの議論の場で基礎に立ち返って物事を考え直す姿勢は物理学ならではだと思えます。それこそが物理の物の考え方なんだと感じるのです。初学者は少しでも多くの物理の枠組みを理解してそこで共通する問題の追及方法を理解していって下さい。そんな考え方はきっと貴方の人生で大きな力になると思います。





砂川重信が行った波束を用いた散乱詩論の定式化は、
まさに彼が残した業績であると言えるでしょう。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2021/01/20_初稿投稿






OJISAN.png

2021年01月26日

アウグスト・ピカール_1884年1月28日 〜 1962年3月24日



アウグスト・ピカールは宇宙と深海に
大いなる関心を持っていた人でした。

アウグスト・ピカールはスイスのフランス系家庭に生まれ
少年時代から科学に興味を示し、チューリッヒ工科大学で物理学を学び宇宙線、オゾンといった研究をしていくのですが
その探究心は冒険に繋がっていくダナミックなものでした。









まず、アウグスト・ピカールは成層圏に挑みます。フランス国立基金から資金援助を得て自らが設計した気球に水素を詰めて上空16,000 mの成層圏に達します。これは気球による世界初の達成でした。





その後、ピカールはバチスカーフと名付けた深海潜水艇で深海に挑みます。バチスカーフは鉄の錘を抱いて沈んでいき浮き上がる時には錘を切り離すという仕組みで探検をします。浮力はガソリンでした。

そして、冒険家ピカールの血は代々受け継がれていきます。
息子であるジャック・ピカールを伴ってバチスカーフに搭乗し、マリアナ海溝のチャレンジャー海淵に達しました。更には孫のベルトラン・ピカールが世界で初めて、気球による無着陸世界一周を達成しています。








以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。
nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2021/01/19_初稿投稿
2021/01/26_改定投稿





OJISAN.png

2021年01月25日

E・W・モーリー_1838年1月29日 ~ 1923年2月24日





その名を書き下すとエドワード・ウィリアムズ・モーリー、
Edward Williams Morley、アメリカニュージャージー生まれ
の物理学者です。ニュージャージと言えば
晩年のオッペンハイマーとかエジソンと同郷ですね。
個人的印象としては米国4台拠点の一つです。他は
カリフォルニア・シカゴ・コネチカット州だと思えます。
其々で議論が繰り広げられてきたはずです。









何より、モーリーはマイケルソン・モーレの実験で有名です。
別項でも記述しましたが、この実験ではエーテルの存在に
起因する「光速度の変化」は見てとれませんでした。
その事が実際には「光速度普遍の原理」に
繋がっていったのが歴史的な事実です。

更に話を掘り下げていくと、等速運動をする慣性系において
ローレンツやアインシュタインが考えていたような
系の間の関係式が導き出せれて、それが更に考える為の
材料となって相対論の理論体系が構築出来ています。
理論の起点と確認点はあくまで実験で確かめられた
自然界の事実なのです。こういった理論と実験の
両輪を考えていくダイナミックさが物理学の醍醐味です。

その他。モーレーは、熱拡散に関する研究を行い、
磁場中の光速に関する研究を行い、実績を残しています。







以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
頂いたメールは全て見ています。
必要箇所は適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2021/01/25_初稿投稿






OJISAN.png


2021年01月24日

ブライアン・ハロルド・メイ_1947年7月19日~ご存命中





有名なロックバンド・クィーンのブライアンですが、その名を英語で書き下すと Brian Harold May、CBEです。勲章を頂いているのでCBEがつきます。CBEって分かり辛いので補足しますと騎士団時代の表現での司令官で、階級としてはナイトに次ぐ立場です。部下に将校と団員がいる位置づけです。所謂、女王陛下を守る騎士団の仲間達ですね。For God and the Empire がモットーです。





ブライアンは学生時代に天文学を天文学を専攻していました。研究を再開して論文を書き博士号をとったので物理学者として取り上げています。





ヘルムホルツの時代から音響解析がより定量的なものとなり、振動数・音の振幅・増減比が記録可能な情報として共有されています。ブライアンは彼なりに物理学を駆使してギターの中での「音を出す仕組み」を解析していって作りこんでオリジナリティーを突き詰めていく作業をしています。無論、学者が同様の試みを今まで何度もしてきたと思いますがブライアンの取り組みは著名なロックバンドの主要メンバーとしての活動でした。楽器メーカーとのコラボレーションも可能ですし、一線級の技術者や職人との会話もブライアンの財産となっていった筈です。無形時代からギターを自作した日々が最上級の経験の中で更に進化していったのです。他の誰にもできないい「音」を確立していったと感じています。

ロック活動で暫く活動を休止していたブライアンは天体に関する研究としてカナリア諸島の天文台で研究を進め、母校インペリアル・カレッジでの審査を通過して博士号を得ました。また別の機会に語りたいと思います。











以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
最近は返信出来ていませんが
全てのメールを読んでいます。
適時返信のうえ改定を致しします。

nowkouji226@gmail.com

2021/01/17_初版投稿
2021/01/24_改定投稿





OJISAN.png


【舞台別のご紹介】

2021年01月23日

H・L・ヘルムホルツ_1821年8月31日 - 1894年9月8日



その名は正確には
ヘルマン・ルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・ヘルムホルツ
:Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz
ドイツの物理学者です。アメリカ建国時代の偉人であるウィリアム・ベンの子孫です。その話は母方の血筋の話で、父は牧師でした。





ヘルムホルツはベルリンのフリードリヒ・ヴィルヘルム医学学校に学び。医学だけで無く化学や高等数学も学んでいます。学位習得後に、軍医としてポツダム連隊に配属。兵舎の中に研究室を作り、実験を行いました。その研究が認められ、1849年にケーニヒスベルク大学生理学教授に就任。1855年ボン大学生理学教授、1858年ハイデルベルク大学生理学教授、1871年ベルリン大学物理学教授を歴任しています。1887年以降はシャルロッテンブルク国立理工学研究所の理事を務めて居ます。またヘルムホルツはハインリヒ・ヘルツの師にあたります。





熱の仕事当量に関する実験から熱力学の第1法則を導き出しました。マイヤー・ジュール・トムソン(ケルビン卿)と別々に「エネルギー保存則」の考えを確立していったと言えます。別のカノニカルな(熱力学的な)側面ではギブズと独立に熱力学の関係を明らかにしました。





その他、ヘルムホルツの業績は多々ありますが、特筆すべきはヘルムホルツの定理です。数学的な話でどうしても分かり辛くなるのですが、ベクトル場【矢印で表します】を考えた時に「発散」と「回転」の概念を使って2つの成分に話を分けて考える考え方です。ヘルムホルツ分解とも呼ばれます。その他の業績としては、ヘルムホルツ等価回路・ヘルムホルツ共鳴器・ヘルムホルツコイルといった実用的なものも含まれます。様々な面で物理学の発展に寄与しました。







以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
最近は返信出来ていませんが
全てのメールを読んでいます。
適時返信のうえ改定を致します。

nowkouji226@gmail.com

2021/01/16_初版投稿
2021/01/23_原稿改定





OJISAN.png


【舞台別のご紹介】

2021年01月22日

フィゾー_仁科 芳雄_セシル パウエル_ラグランジュ_田中舘愛橘_大河内正敏_マイスナー【初回投稿12/8~12/26】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

@A・H・ルイ・フィゾー
A仁科 芳雄
Bセシル パウエル
Cジョゼフ=ルイ・ラグランジュ
D田中舘愛橘
E大河内正敏
FF・W・マイスナー

【@A・H・ルイ・フィゾーの原稿】
(2021/01/21_投稿済み)
【A仁科 芳雄の原稿】
(2021/01/21_投稿済み)
【Bセシル パウエルの原稿】
(2021/01/21_投稿済み)
【Cジョゼフ=ルイ・ラグランジュの原稿】
(2021/01/21_投稿済み)
【D田中舘愛橘の原稿】
(2021/01/21_投稿済み)
【E大河内正敏の原稿】
(2021/01/21_投稿済み)

【FF・W・マイスナーの原稿】



その名は正確には
フリッツ・ヴァルター・マイスナー_
Fritz Walther Meißner (Meissner)。
ドイツ・ベルリン生まれの物理学者です。



(無料レッスンいかがですか?)

ミュンヘン工科大学でプランクの師事を
受けた後に物理工学院で研究を進めます。
マイスナーが関心を持っていたのは
超伝導でした。1920年頃に色々な物資で
転移が起きる事を確認しています。
タンタル(化学記号はTa、転移温度4.47K)
ニオブ(化学記号はNb、転移温度は9.25K)
チタン(化学記号はTi、転移温度は0.4K)
トリウム(化学記号はTh、転移温度は1.38K)
に対して相転移を確認した後に化合物に
着目してNbCにおいて10ケルビンを超える
転移温度を確認しています。





その後、マイスナーはいわゆるマイスナー効果
を発見していてます。この現象は協同研究者の
オクセンフェルトの名前と合わせて
マイスナー―オクセンフェルト効果と呼ばれる
こともあります。また性質の側面から完全反磁性
とも呼ばれます。磁性を使って超電導現象を特徴
づけているとも言えます。



以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/12/19_初回投稿






OJISAN.png


【舞台別のご紹介】

posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月21日

大河内正敏_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

大河内正敏のご紹介

【大河内正敏の原稿】



大河内正敏は旧上総大多喜藩主にして
子爵であった大河内正質の息子として
生まれました。学習院初等科に進み、
大正天皇と共に学びます。

また大河内とは珍しい名字だなと思って
いたら奥様も大河内家から娶っていて、
華麗なる一族を感じさせました。政界で
は子爵議員として貴族院で議員を二期
務めます。若かりし無名の田中角栄を
可愛がっていたといわれます。
理化学研究所の3代目所長に就任したした
時は理研研究員にして、貴族院議員で子爵、
そして東京帝大教授でした。



大河内正敏は東大で物理学を学んでまし
たが時節柄、寺田寅彦と飛行弾丸の研究
をしていたようです。物理学を駆使すれ
ば流体力学や表面の解析が出来ます。



大河内正敏が進めた具体的な別の活用事例
としては、ピストンの開発があります。
ここでもシリンダー内の熱流体解析や、
摂動面の摩擦を解析出来ます。この研究は
後の株式会社、リケンにつながります。
戦後このグループは、GHQより十五大財閥の
一つとして指定を受けます。



こうした業績を残して今、大河内正敏は
埼玉県にある平林寺で永眠しています。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/17_初版投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 19:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

田中舘愛橘_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

田中舘愛橘のご紹介

【田中舘愛橘の原稿】



田中館愛橘、
その名は愛橘と書いてあいきつ、
と読ませます。生まれた年は
旧暦の時代で安政3年9月18日です。
【新暦で1856年10月16日です】
没年は新暦での昭和27年です。
先祖に南部藩の赤穂浪士と呼ばれた
方が居たそうですから、そうした
イメージから語り出したいと思います。
時代の変革期に若き日を過ごしました。



さて、田中館愛橘の父方は兵法師範の
家系であり、愛橘は藩校である作人館に
学びます。作人館での同窓生には原敬
がいて後輩には新渡戸稲造がいました。
存じませんでしたが立派な学校ですね。
東京に出て慶應義塾に通いますが
学費が高額なので東京開成高校に
進みます。

今で言えば東大教養学部のイメージ
でしょうか。そこで愛橘は山川健次郎
から物理学を学びます。政治にも
関心を持っていたようですが、山川から
諭され、我が国の理学での遅れを挽回
せんと愛橘は物理学を志しました。



1879年に東大で外国人教師である
メンデンホールとユーイングが
エジソンの発明したフォノグラフ
を日本に紹介しましたが、田中館愛橘は
早速試作を行いました。その音響や振動
の解析を行っています。1880年には
メンデンホールによる重力観測に参加し、
東京と富士山で観測作業を行いました。
当時の世界1の高精度方位計であると
称えられた電磁方位計を愛橘は制作しました。



ダイソン・私も使ってます♪

田中館愛橘は明治16年12月に福岡に帰っていた
父・稲蔵が割腹自殺したとの知らせを受けて
帰郷します。そしてその年に東京大学助教授
となりました。詳細は追って調べます。この時期
気になる動きです故。





その後、田中館愛橘はイギリスでケルビン卿に師事し
、大きな影響を受け、生涯を通じてケルビンを敬愛し
ました。その後1890年にヘルムホルツのいたベルリン
大学へ転学、電気学などを学びます。この時代の電気
に対する理解は、後ほど項を改めてマクスウェルらと
関連して語ります。愛橘は東京帝大理科大学教授となり
後にに理学博士の学位を受けます。更にデンマークの
コペンハーゲンで開かれた万国測地学協会 第14回総会
で地磁気脈動や磁気嵐の発表をします。

また時代柄もあって、田中館愛橘は陸軍や海軍
に対して貢献します。地磁気測量では指導の
中心的な役割を果たしています。旅順での戦闘
の際には敵情視察用の繋留気球の制作を依頼
されています。それが愛橘と航空研究のきっかけ
となりました。田中館愛橘は中野の陸軍電信隊内
での気球班で気球研究を始め、制作および運用法
を指導しています。試行錯誤の末に気球を完成させ、
旅順戦で戦闘に使用されています。




そして田中館愛橘が60歳になり、教授在職25周年
のパーティで愛橘は辞職する旨を伝えました。
後の東大での定年退職制度に繫がっていきます。
また、田中館愛橘は数多くの人材を育てました。
教え子としては長岡半太郎、中村清二、本多光太郎、
木村栄、田丸卓郎、寺田寅彦などが居ます。それ故、
愛橘は「種まき翁」、「花咲かの翁」と呼ばれた
そうです。95歳7か月の天寿を全うしました。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/16_初版投稿





OJISAN.png

posted by コウジ at 19:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ラグランジュ_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

ジョゼフ=ルイ・ラグランジュのご紹介

【ジョゼフ=ルイ・ラグランジュの原稿】



ラグランジュはフランスに生まれ革命の時代を生きました。
同時代のラボエジェが処刑された事に際しラグランジュは何故自身が生き延びたか自問自答したのではないでしょうか。何故なら彼はマリー・アントワネットの先生を務めていたからです。





学問の世界ではラグランジュは多大な業績を残しています。物理学者というより数学者として力学体系の整理をしてラグランジュ形式と言われる理解を進めています。私も学生時代にラグランユアンと呼ぶ関係を多用しました。解析力学と呼ばれる分野で、ラグランジュ方程式につながります。後の数論につながる議論もしていますし、時代がら天体に関する研究もしています。

ラグランジュの解析的な考えが有効だったのは各種物理量を
一般化して変分と呼ばれる類の数学的な形式につながるからです。後の量子力学はニュートンの作った微積分だけではなく物理量の関係をラグランジュの使ったような関係で表現します。また、ラグランジュはエネルギー保存則から最少作用の原理を導きその考えは力学に留まらずに電磁気学・量子力学でも使われています。こういった定式化でのパラダイムシフトが後の体系に不可欠です。

ラグランジュの未定乗数法や定式化されたラグランジュアン
は誰しもが認める見事なものです。そして、ラグランジュの名は今でもエッフェル塔に刻まれています。彼の残した仕事と栄誉と共に。























以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/02_初稿投稿
2021/01/07_改定投稿





OJISAN.png

posted by コウジ at 02:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

セシル パウエル_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。


セシル パウエルのご紹介


【セシル パウエルの原稿】



単なる偶然の産物かも知れませんが、
今回ご紹介するセシル パウエルと
ハイゼンベルクとゾンマーフェルトは
同じ誕生日でした。また、また、
西川 正治も同じ誕生日でした。





さて今回の紹介はセシル パウエルですが、
原子核乾板に素粒子の軌跡を記録する方法
を改良しました。当時は未知なる粒子が
次々と発見され様々に予想されていた
のですが、観測手段も試行錯誤が成され
ていました。霧箱で飛んでくる粒子の
軌跡を捉えたり、高い山の上で観測して
飛来宇宙線の大気減衰を克服したり
写真技術を活用したりしました。
パウエルの手法は写真のイメージから考える
のでしょうか。更に確認したいところです。



またパウエルは湯川秀樹が予想した
パイ中間子の観測・発見の為に
研究スタッフを派遣しています。生成後の
寿命が短く地表に到達できないパイ中間子
観測の為にボリビアにあるアンデス山脈の
標高5000mの山から上記乾板を使って発見
しています。ダイナミックな観測だった
と言えるでしょう。他、気球を使い
高度を確保したりもしています。
観測の為に様々な工夫をこらして
結果を得ています。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/15_初稿投稿
2021/01/07_改定投稿






OJISAN.png

posted by コウジ at 02:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

仁科 芳雄_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

仁科 芳雄のご紹介

【仁科 芳雄の原稿】



仁科芳雄は稀代の人たらし
だったと言われています。
人に入れあげ、彼の元に人が集まり、
人々を育てあげた凄さがあります。





仁科本人はニールス・ボーアのもと
で育ち、その自由闊達な学風を持ち込み
日本で多くの学者を育てました。
1928年にオスカル・クラインと
コンプトン散乱の有効断面積を
議論しています。また帰国後には
ハイゼンベルクやディラックを
日本に招待して理解を深めています。
また、師であるボーアも日本に
呼び寄せています。



研究内容として仁科はサイクロンの
建設を進め様々な成果をあげてます。
そのサイクロンを大型化する際には
仁科は大変苦労しています。先行する
カリフォルニア大学のローレンスとは
日米関係に伴い関係が悪くなっていき、
終戦共にサイクロンはGHQにより
東京湾に破棄されてしまいます。



戦後には仁科は理研の所長を務め、
科研製薬の前身で社長を務めましたが、
肝臓ガンを患い61歳で亡くなります。
放射線被ばくの影響もあったであろう
と言われています。多くの人材育成に
捧げた人生だったと感じています。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/13_初版投稿
2020/12/3_改定投稿





OJISAN.png

posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

フィゾー_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

なお、本日投稿分で「20世紀生まれ」、「19世紀生まれ」、、、のカテゴリーとして投稿していた分で、第2回の科学者ご紹介を全て改定したことになります。この後の予定としては同カテゴリーで掲載を考えていた別の科学者や漏れていた方を再考・補足投稿した後に「科学史」のカテゴリーでまとめた内容の再考・改定を行います。

A・H・ルイ・フィゾーのご紹介

【A・H・ルイ・フィゾーの原稿】



その名は正確には、アルマン・イッポリート・
ルイ・フィゾー(Armand Hippolyte Louis Fizeau,
1819年9月23日 - 1896年9月18日)
地上で光速度を始めて測定した人で、
フランス人です。





フィゾーの実験として有名な物は1849年に回転歯車を使った公開実験です。明快に原理を示して光速度を数値化しました。

フィゾーの示した数値が重要なのは、後に明らかになっていきますが、光が電気と関係してるからです。後にマクスウェルが電磁気学をまとめる中で、自分の理論での計算結果とフィゾーの示した値がとても近い事実に気付きます。それはきっと、今風に言えば、電磁波の伝播速度が光速度に近い、という事実なのでしょう。

また、フィゾーはドップラー効果も予見してます。この言葉はスマホ入力で一発変換されていますが、フィゾー等が確かにしていった概念なのです。

フィゾーが実験を繰り返す困難は測り知れません。当時は未だレーザー光線も無かったでしょうし、当然デジタルのカウンター等も無いので、計測系のイメージだけでも大変だったでしょう。





私が何より興味深いのはフィゾーの
頭の中にある理論的な考察が
閃きによって実験に昇華するプロセスです。
フィゾーは理論的な原理を優れた実験で
わかり易く示したと思います。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/01_初版投稿
2021/01/07_改定投稿





OJISAN.png

posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

コンプトン_高木 貞治_ヴィーン_ナイキスト_J・J・サクライ_矢野健太郎_西島和彦【初回投稿11/14~11/20】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

@アーサー・コンプトン
A高木 貞治
Bヴィルヘルム・C・W・ヴィーン
Cハリー・ナイキスト
DJ・J・サクライ
E矢野 健太郎
F西島 和彦


【@アーサー・コンプトンの原稿】
(2021/01/19_投稿済み)

【A高木 貞治の原稿】
(2021/01/19_投稿済み)

【Bヴィルヘルム・C・W・ヴィーンの原稿】
(2021/01/20_投稿済み)

【Cハリー・ナイキストの原稿】
(2021/01/20_投稿済み)

【DJ・J・サクライの原稿】
(2021/01/20_投稿済み)

【E矢野 健太郎の原稿】



矢野健太郎は私が使っていた教科書の著者でした。
幾何学関係か解析学関係だったかと。
彫刻家の子として生まれ東京帝大で学びます。

矢野健太郎はは小学生時代にアインシュタインが
来日し刺激を受け、帝大の山内恭彦から
物理学の理解には代数幾何学が必要だ
と教えを受けました。物理現象のモデル化
の観点から有用性を感じたのかと。





その後、矢野はカルタン先生の下で学ぶべく
パリ大学へ留学します。そこで纏めた博士
論文は射影接続空間に関する論文でした。
この頃から統一場理論に関心を持ちます。

戦後にはプリンストン高等研究所で
微分幾何学の研究をしていき、同時期に
在席していたアインシュタインと
交流を持ちます。奥様とアインシュタイン
が写った写真は大事に家宝としたそうです。





矢野健太郎の著者は多岐に渡り、受験参考書の定番、
解法のテクニックは矢野健太郎の著作です。
またアイザックアシモフ、ポアンカレ、
アインシュタインの書物を日本に紹介
する際に監修をしたりしました。また、
矢野健太郎はバイオリンが好きでした。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/12_記





OJISAN.png


【F西島 和彦の原稿】



【原稿此処まで】



以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】
posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月20日

矢野健太郎_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

矢野 健太郎のご紹介

【E矢野 健太郎の前回原稿】



矢野健太郎は私が使っていた教科書の著者でした。
幾何学関係か解析学関係だったかと。
彫刻家の子として生まれ東京帝大で学びます。

矢野健太郎はは小学生時代にアインシュタインが
来日し刺激を受け、帝大の山内恭彦から
物理学の理解には代数幾何学が必要だ
と教えを受けました。物理現象のモデル化
の観点から有用性を感じたのかと。





その後、矢野はカルタン先生の下で学ぶべく
パリ大学へ留学します。そこで纏めた博士
論文は射影接続空間に関する論文でした。
この頃から統一場理論に関心を持ちます。

戦後にはプリンストン高等研究所で
微分幾何学の研究をしていき、同時期に
在席していたアインシュタインと
交流を持ちます。奥様とアインシュタイン
が写った写真は大事に家宝としたそうです。





矢野健太郎の著者は多岐に渡り、受験参考書の定番、
解法のテクニックは矢野健太郎の著作です。
またアイザックアシモフ、ポアンカレ、
アインシュタインの書物を日本に紹介
する際に監修をしたりしました。また、
矢野健太郎はバイオリンが好きでした。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/12_記





OJISAN.png

posted by コウジ at 11:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

J・J・サクライ_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

J・J・サクライのご紹介

【J・J・サクライの前回原稿】



Jサクライの日本語表記は桜井純で日本生まれ。
私が使っていていた教科書でカタカナ表記
でしたので個人的にはカタカナ表記も好きです。

JJサクライは新制高校に在学していた
16歳の時期に留学生選抜試験に合格し、
アメリカに渡りました。学問好きの少年
だったのでしょう。その後、ニューヨーク
にある高校を卒業した後に、ハーバードを
主席で卒業しています。





その後、JJサクライはコーネル大の院
で研究を進め、在学中に弱い相互作用の
考えを提唱しています。彼の研究では
弱い相互作用と強い相互作用が出てくるので
少し言及します。そもそも自然界には
4つの力があると言われていて、
ここでの2つは4つの内の2つなのです。

具体的に弱い力は、働く範囲が陽子直径
より小さいのです。また、素粒子や準粒子が
ボゾンを交換して相互作用する中で
弱い力は強い力や電磁学に比べ
数桁小さな力として作用します。





弱い相互作用は標準模型での
全てのフェルミ粒子とヒッグスボソン
に作用します。特にニュートリノは
重力と弱い相互作用のみを使って
相互作用します。弱い相互作用は
束縛状態をもたらしません。これは
重力が天文学的スケールで月と地球
の間の相互作用に関与していたり、
電磁力が原子レベルで互いに力を
与えあったりする束縛状態とは
異なるのです。また、弱い相互作用
とは違い強い核力は原子核の内部で
非常に強い束縛状態を持ちます。
別言すれば、弱い相互作用は
結合エネルギーに関与しません。





JJサクライはこうしたメカニズムを
深く研究しました。そして49歳で
突然、他界してしまいました。合掌。






以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/11_記





OJISAN.png

posted by コウジ at 11:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ナイキスト_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

ハリー・ナイキストのご紹介

【ハリー・ナイキストの前回原稿】



ナイキストはスウェーデンに生まれました。
1907年に家族がアメリカ合衆国に移り住み
その後、帰化しています。

その時点でナイキストはハイスクール修了
くらいでしょうか。アメリカの名門イェール大学
を卒業した後に1917年からAT&T研究所で研究します。
後にベル研究所で研究します。





ベル研究所でナイキストは熱雑音や
FB増幅器の安定性を研究しますが、
特筆すべきは離散化された信号の
サンプリングに関する物でしょう。

そのナイキストが提唱した周波数は
ナイキスト周波数と呼ばれ
信号処理の世界では基礎的な
理念となっています。実用的には
2の8乗である256から2.56倍の
サンプリング周波数を使い計測する事
でナイキスト周波数を保証しています。





また、彼の考案したナイキスト線図は
極座標を使い対象系の安定性を議論します。
ナイキスト線図も系の安定性を考える為に
現代の信号処理の世界で使われていて
市販のアナライザーに機能として
搭載されています。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/10_記





OJISAN.png

posted by コウジ at 10:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ヴィーン_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

ヴィルヘルム・C・W・ヴィーンのご紹介

【ヴィルヘルム・C・W・ヴィーンの前回原稿】



その名を正確に記すとヴィルヘルム・カール・
ヴェルナー・オットー・フリッツ・フランツ・ヴィーン
:Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien
熱力学における黒体放射の研究で有名です。





ヴィーンは東プロイセンで農夫の子
として生まれ、ベルリン大学でヘルツ
の元で学位を取ります。そこでの
学位論文は光の回析特性でした。

レントゲンの後任としてヴュルツブルク大学
で教鞭をとっています。
またヴィーンはドイツ物理学会で会長
を努めていて、前任はゾンマーフェルト
でした。





さて、ここまでヴィーンの記載を
調べていて断片的な印象を持ちました。
人柄が伝わらないのです。考えてたら
時代背景が大きいと思えてきました。
ヴィーンはドイツで生まれ
ドイツで亡くなっています。
その時代のヨーロッパは大戦を経ていて
特にドイツはユダヤ人を迫害し、
何人ものユダヤ人物理学者が
反ドイツの体制で活動していました。

ヴィーンはソルベーユ会議に出ていて
物理学会に関わっていたでしょうが、
政治絡みの考えは独自のものとなって
いたと考えます。修業を兼ねて他国へ
留学したり協同研究をしたりする
現代とは異なった環境にあったのです。





ヴィーンの法則はプランクの法則の極限
として考える事が出来ます。この法則は
反応を起こす物質の温度と放出される
電磁波の波長を関連付けますが、
対象物質の内部構造迄、踏み込んだ議論
が成された形跡はありません。現象の
不完全な定式化であって独自の理論です。





私の理解不足もありますが、
マッハとボルツマンの考え方の差異
が思い起こされます。ヴィーンもまた
伝統的な枠組みの中で葛藤していたの
でしょうか。いつかまた考えてみたい
と思えてきました。

それにつけても、
ヴィーンの法則は我々に新しい知見を
もたらしていて、物質内部での反応に対し
変化を定量的議論の枠組みに乗せて
次なる議論の礎を作っています。
確かな一歩でした。







以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/9_記





OJISAN.png

posted by コウジ at 10:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ハッブル_ローレンス_アンダーソン_ボイル_ゲルマン_マクローリン_小柴昌俊【初回投稿11/8~11/13】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

@エドウィン・パウエル・ハッブル
Aアーネスト・オーランド・ローレンス
Bフィリップ・W・アンダーソン
Cロバート・ボイル
Dマレー・ゲルマン
Eコリン・マクローリン
F小柴昌俊


【@エドウィン・パウエル・ハッブルの原稿】
(2021/01/13に投稿済)

【Aアーネスト・オーランド・ローレンスの原稿】
(2021/01/19に投稿済)

【Bフィリップ・W・アンダーソンの原稿】
(2021/01/19に投稿済)

【Cロバート・ボイルの原稿】
(2021/01/19に投稿済)

【Dゲルマンの前回原稿】
(2021/01/19に投稿済)

【Eコリン・マクローリンの原稿】
(2021/01/19に投稿済)

【F小柴昌俊の原稿】



物理学の新しい分野を切り開いた先人でした。
2020/11/12の夜に老衰の為、都内の病院でお亡くなりになりました。
享年94歳の大往生です。

小柴昌俊は物質の基本元素を構成する素粒子の1つニュートリノ
を観測にかける事に成功しました。その結果をもとに今では
ニュートリノ天文学という新しい分野を確立しました。
ニュートリーノは星の進化過程で発生します。驚いたのですが、
ニュートリーノを観測にかけたのは、小柴昌俊が東京大学を
定年退官する一月前の観測でした。強運を指摘された小柴氏は
「運はだれにでも等しく降り注ぐが、捕まえる準備をしているのか、
していないのかで差がつく」(のですよ、と)反論しました。





東京大学宇宙線研究所に所属しているの梶田隆章は
小柴昌俊の弟子にあたりますが、
ニュートリーノに質量がある事を示しノーベル賞を受けています。
また、戸塚洋二も小柴昌俊の弟子にあたります。
朝永振一郎から可愛がられた若かり時代を経て
梶田隆章教授、戸塚洋二教授を育てたのです。






小柴昌俊は俊岐阜県飛驒市にある鉱山地下、1000メートルに
3000トンの水を使った、巨大装置、カミオカンデを建設し、
天体からのニュートリノを観測しました。その装置では
ニュートリーノが飛来する方向、観測した時刻、
エネルギー分布を明確に検出します。実際に観測をしました。
カミオカンデの主目的はニュートリーノではありませんでしたが、
ニュートリーノも、という二段作戦で成功を得たのです。
小柴昌俊はそうした結果を使いニュートリーノ物理学を進めたのです。
何より彼は大変な努力家でした。そんな男が
大きな仕事を成し遂げた後、静かな眠りに落ちたのですね。
大きなお悔やみを申し上げます。合掌。






以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/12_初稿投稿
2020/12/28_改定投稿





OJISAN.png



【原稿此処まで】



【舞台別のご紹介】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2021/01/13_改定投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月19日

高木貞治_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

高木 貞治のご紹介

【高木 貞治の原稿】



今回、日本人数学者をご紹介します。
高木貞治と書いて名前を「ていじ」と読みます。

高木貞治は岐阜に生まれ現在の京都大学を卒業した後に
東京大学に進みます。現在の学校制度と異なるようで、
今時の言い方をしたら
京大で学位をとって東大でマスターをとった感じでしょうか。





その後、高木貞治はドイツへ留学してヒルベルトの教えを受けます。
現代の代数幾何学の原型を体系立てていったのでしょう。
そもそも、個人的に高木貞治の名を知ったのは
ムツゴロウさんの著作でした。たしか「ムツゴロウの青春期」。
その中で彼が高校時代に地元の先生に紹介された本が
高木貞治の「解析概論」でした。
バンカラな青春時代を過ごしたムツゴロウは
東大の物理学科に進み、最後はどうぶつ王国を作ります。
話戻って解析概論ですが、岩波文庫から出ていた
その本を私も買って、夢中で読んだ思い出があります。





なお、2011年の時点で日本国内における著作権の
保護期間満了に伴いネットで著作が公開され始めています。
【Wikisourceや青空文庫を見てみて下さい】






以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/8_記





OJISAN.png

posted by コウジ at 19:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

コンプトン_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

アーサー・コンプトンのご紹介

【アーサー・コンプトンの前回原稿】

コンプトンは波動の粒子性を示した
実績とマンハッタン計画で指導的役割を
果たしたことで知られています。





コンプトンは1919年に英国のキャンデビッシュ研究所に留学し、そこでガンマ線の散乱・吸収を研究します。そこで「波動のコンプトン効果」を発見するのです。この考えは今では量子力学の基幹をなしていますが、
大まかには以下の理解をしていれば良いと思います。つまり、「微視的に物事を考え始めた時に粒子性と波動性が同時に具現化する」ということです。

具体的に量子力学では不確定関係という枠組みで物事を考えますので2つの値が同時に確定しなかったりします。例えば位置と運動量を同時に確定しません。また、時間とエネルギーを同時に確定しません。但し、時間×エネルギーや位置×運動量といった値を物理量として確定出来るのです。これは作用と呼ばれる物理量です。

以上は量子力学を理解した人々には納得出来ても一般の人々には中々説明がし辛い部分です。誤解無く伝わっているかいつも不安になります。そんな意識改革をコンプトンが進めていたのですね。ガンマ線に粒子性が見受けられたのです。





また、コンプトンはマンハッタン計画を進めた主要メンバーでもあります。そもそも原子爆弾は原子炉の製造から計画しなければいけません。そこでウランをプルトニウムに変換して、プルトニウムとウランの混合物からプルトニウムを分離するプロセスが必要です。コンプトンはこのプロセスをSEとして設計してプロジェクトが進んでいく現場で働きました。

また、原子爆弾を兵器として使用するには敵国で使用時出来るだけ早くに最大限の攻撃力を発揮しないといけませんが、損場兵器を設計する方法についてもコンプトンは設計をしていきました。なお同計画はオッペンハイマーの設計もあり、フェルミやローレンスとの議論も経ています。全米の知能を集め計画を進めていたのです。

そしてコンプトンの業績はノーベル賞を初めとする蒼々たる栄誉で称えられています。それと同時に、マンハッタン計画の主導者として計画自体の是非を論じる際に何度もその名があがります。もともとは、コンプトンはもともと星の好きな少年でした。そんな所からガンマ線の究明に話が進みましたが、彼の名はガンマ線検出の為のNASAの衛星に残されています。










以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/07_初稿投稿
2020/12/29_改定投稿





OJISAN.png

posted by コウジ at 19:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ゲルマン_【原稿改定】

 まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

マレー・ゲルマンのご紹介

【ゲルマンの前回原稿】



ゲルマンは米ニューヨーク生まれの理論家です。
素粒子論の世界でノーベル賞を受けています。
ゲルマンの名を本来はゲル-マンと書きますが、
【Gell-Mannと書きますが、】
本稿ではゲルマンとします。

ゲルマンはイェール大で学士号を受け、
MITで博士号を受けました。その後、
プリンストン高等研究所、コロンビア大、
シカゴ大、カリフォルニア工科大で
研究を続けます。サンタフェ研究所の
設立者の一人でもあります。





ゲルマンの研究実績としてはクォークの提唱
が大きかったですね。加速器の開発後には
様々な粒子が未整理のまま次々と発見され、
それらの関係と性質は未解決のまま
問題が蓄積されていきます。
それらを整理・理解する手段がクォーク
だと言えるでしょうか。





ゲルマンの理解体系では対象性が使われて
いて、ストレンジネス・カラーといった
概念で素粒子が理解されていきます。
秩序ある奥深い理論だと思います。





さて、ゲルマンの業績として素粒子の
分類に関する側面を取り上げてきましたが、
ゲルマンの研究での真骨頂は粒子の反応
に関しての研究ではないでしょうか。
関連してR・P・ファインマンという
論敵がいました。

あくまで伝えられている内容なのですが、
ゲルマンとファイン・マンの論争は
まるで子供の喧嘩みたいにも思えます。
激怒したファイン・マンが、
貴様の名前綴りからハイフォン消すぞ!
【Gell-Mann改めGellmannとするぞ!の意】
と怒鳴りつけたら、ゲルマンが
お前の名前をハイフォン付きで書いてやる!
【Feynman改めFeyn-Manとしてやる!の意】
と言い返す有り様だったようです。
アメリカ人の感覚なのでしょうか。
西部劇の勢いなのでしょうか。
ただ少し理解出来るかも、と思ったのは
互いの家を侮辱していたのてすよね。
瞬間的に家祖を汚す発想は、頭の切れる
天才同士の喧嘩だったのでしょう。

そんなゲルマンとファイン・マンは
それぞれに素晴らしい業績を残しました。










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】


2020/11/5_初回投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

マクローリン_【原稿改定】

 まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

コリン・マクローリンのご紹介

【コリン・マクローリンの前回原稿】



マクローリンの名を耳にするのは数学の中ではないでしょうか。
特に彼の名にちなんだ展開で有名です。その内容は
0を中心としたテイラー展開であって、
とても特別な場合なのですが
その有益性は非常に大きいのです。
その有益性は単純な私達では思い付かなかったでしょう。





マクローリンは英スコットランドに生まれました。
ニュートンと仕事をする中で彼の信頼を得て、
大学への推薦状を書いてもらう程でした。

マクローリン自身もニュートンの考えに惚れ込んでいて、
その紹介を目的として出版活動をしていました。
こうした仕事を通じてスコットランド啓蒙運動
に勤しんだ【いそしんだ】のです。









多くの人は高校時代以降に数学を使わなくなるでしょうが、
実生活の中で数学の世界はとても役に立っています。
特に、今回ご紹介しているマクローリンの考えは
一般関数の級数展開といった考えにつながり、
その考えはひいてはデジタル回路における近似処理
に繋がるのです。スマホの中とかの回路での処理原理です。
一般の人は意識しませんが恩恵を受けています。

理工学系の過程に進む初学者は以上の点を少し意識して下さい。
一見関係ないように思える数学の世界も、その概念を
土台として現代の応用技術が成り立っているのです。
無意味乾燥に思える講義の内容が
貴方の人生で思わぬ成果を生む場合があります。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】


2020/11/06_初稿投稿
2020/12/28_改定投稿






OJISAN.png


posted by コウジ at 01:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ローレンス_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

アーネスト・オーランド・ローレンスのご紹介

【アーネスト・オーランド・ローレンスの前回原稿】



ローレンスは優れた実験家で
今でも頻繁に応用されている
サイクロトロンを発明した事
で広く知られています。





ローレンスがイェール大学で
博士号をとった時には光電効果に
関する研究をしていたようです。
その後、
恩師だったスワン先生がイェール大学
を去るタイミングでカリフォルニア大
に移ります。ローレンスは実験家
として大変、有望視されていました。

サイクロトロンを使った実験で、
ローレンスがその装置を活用
した応用例が人工放射性元素でした。
ローレンスと彼の率いる
バークレー国立研究所は
自然界に存在する元素だけでなく、
不安定な元素を作り出したのです。

強い磁場を使い帯電しているイオンを
ビーム状に出す事が出来るので
ローレンスの作ったサイクロトロンは
イオンが反応する状態を作れるのです。
例えば特定金属にイオンビームを
当て続ける事が出来る訳です。

こうした装置の開発を通じて
ローレンスは人類に新しい知見を
もたらしたのです。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】


2020/10/31_初回原稿
2020/12/28_改定投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 01:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ボイル_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

ロバート・ボイルのご紹介

【ロバート・ボイルの前回原稿】



その名は正確には
サー・ロバート・ボイル: Sir Robert Boyle_
英国アイルランド生まれの物理学者です。
初代コーク伯爵リチャード・ボイルと
キャサリンの間に7番目の男子として生まれ
現地の家庭に里子に出されます。
その結果、ボイルはアイルランド語を
理解し、通訳レベルまで習得しました。

ボイルはフランス人の家庭教師と
海外旅行をしていて、1641年冬には
イタリアのフィレンツェで過ごし、
ガリレオ・ガリレイの教えを受けます。
ガリレオは1642年に亡くなりますが、
まさに晩年、ガリレオと接したのですね。
今の日本人なら中学生でしょうか。
多感な時期に良い刺激を受けた事でしょう。





1644年に大陸の長旅を終えるとボイルは
多くの時間を科学に使い、後の王立協会
に繋がる集まりであるロンドン理学協会、
別名、不可視の学院とも呼ばれた集まりに
参加するようになります。先代が亡くなって
いましたので、ボイルはアイルランドでの
立場もあったのですが、ロンドンで頻繁に
会合が開かれた事情もあり彼は最終的には
オックスフォードに移り住みます。
実験器具が入手し辛いといった切実な
側面もあったようです。









その後、フックを助手としてボイルは空気
ポンプを制作して圧力の研究を始めます。
やがてはその研究は体積との関係を示す、
ボイルの法則に繋がります。
ただ1660年迄に
体積は圧力に反比例すると明言していて、
書物での記録はあるようですが、
温度や分子量との関連を含め、
現象の定式化には至らなかったようです。
実際の定式化はヘンリー・パワーによって
1661年になされているようです。

最後に、ボイルは錬金術の伝統を受継いで
いましたが、近代的な視点を持ち「元素」を想定して、
混合物と化合物を明確に区別した点で秀でています。
ボイルが明確にしたパラダイムシフト
は非常に大きな業績だと言えるのではないでしょうか。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2020/11/04_初稿投稿
2020/12/28_改定投稿






OJISAN.png

posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

アンダーソン_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

フィリップ・W・アンダーソンのご紹介

【フィリップ・W・アンダーソンの原稿】



物性研究で有名なアンダーソン博士をご紹介します。
所属研究機関としてはハーバード大で学びベル研・
ケンブリッジ大・プリンストン大学で勤務しました。
米国や英国の綺羅星が並んでいますね。
素晴らしい研究人生です。





アンダーソンの研究で思い出すのは
アンダーソン局在です。
無秩序系における電子の基本的な性格で、
物性論の基礎になっています。
その理論では電子が局在した状態は
非局在の状態と明らかに異なり
エネルギー的に区別されます。
更に、長さ・時間のスケールを
変換する理論をスケーリング理論として展開して
理論を発展させたのです。
こういった業績を評価され、アンダーソンは
ノーベル物理学賞を受賞しています。





そしてアンダーソンは 東京大学から名誉博士号
を贈られています。その記念として
物性研で記念植樹されていたようですが、
赤坂・防衛省の近くでしょうか。柏でしょうか。
何時か見に行きたいと思います。

最後に、アンダーソンの
残した有名な言葉を一つご紹介します。

More is different

アンダーソンは多様性の中から
秩序を拾い出しました。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2020/11/03_初稿投稿
2020/12/28_改定投稿






OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ランジュバン_ゼーマン_ポアンカレ_ゲルラッハ_シュテルン_ボーム_ギブス 【初回投稿11/2~11/7の原稿】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

@ポール・ランジュヴァン
Aピーター・ゼーマン
Bアンリ・ポアンカレ
Cヴァルター・ゲルラッハ
Dオットー・シュテルン
ED・J・ボーム
Fウィラード・ギブズ

【@ポール・ランジュヴァンの前回原稿】
(2021/01/18_投稿済み)

【Aピーター・ゼーマンの前回原稿】
(2021/01/18_投稿済み)

【Bアンリ・ポアンカレの前回原稿】
(2021/01/18_投稿済み)

【Cヴァルター・ゲルラッハの前回原稿】
(2021/01/18_投稿済み)

【Dオットー・シュテルンの前回原稿】
(2021/01/18_投稿済み)

【ED・J・ボームの前回原稿】
(2021/01/18_投稿済み)


【Fウィラード・ギブズの前回原稿】



その名は正しくはジョサイア・ウィラード・ギブズ_Josiah Willard Gibbsです。
米国コネチカット州に生まれイェール大学で博士号をとります。
その博士号はアメリカ大学における最初の工学博士だったそうで、
米国における物理学の先駆者だったのですね。





その後、ギブスは修行時代として、パリ、ベルリン、ハイデルベルクで
一年ずつ滞在します。今の感覚では想像出来ないのですが、
彼の人生で地元を離れたのはこの三年間だけだったそうです。





ギブスの業績として大きいものは物理学への統計力学の導入でしょう。
個々の粒子の個別の性質は別として、
体系の集団が持つ性質を統計的にまとめあげていく事で
その性質が熱力学的な特性につながっていくのです。
その考えをまとめた論文を読んだマクスウェルは大変感動をして
思いを伝えるために石膏模型を作ったと言われています。そして、
その抽象的な模型をギブスへ送ったのですが、模型は今でも
イェール大学で大切に保管されているそうです。

数理的手法を物理学に取り入れたギブスですが、
その立場(スタンス)を表現している言葉をご紹介します。
A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.
【(私の訳)
数学者は望むがままに物事を言えますが、
物理学者は何とかして、しゃっきりと
物事を伝えなくてはいけないですよ。】
数学者と物理学者は視点を変えていかねばいけないと思います。

最後に、戸田先生の教科書【岩波書店から出ていた熱・統計力学の本】
でギブスの人柄を伝えるエピソードが載っていたのでご紹介します。
(小さな物語の始まりです)
ギブスは結婚をしないで父の残した家に妹夫婦と共に住んでいました。
その家は彼の研究室から近い場所、道を渡ったところにあって、
ギブスは午前の講義を終えた後に、食事の為に家に戻っていました。
お昼を食べた後にギブスは研究室に帰ってそこで過ごし、
夕方五時頃に散歩をしながら帰宅するという静かな暮らし
を送っていました。何年も。何年も。そして、
ギブスは妹の家事を手伝い、一緒に料理もしました。
特に、不均一系の研究をしていたギブスは
サラダを混ぜる仕事がとても得意だったそうです。
うまく作業できた時には大層、ご機嫌になれたでしょう。
そんな静かで温かい生活を重ねていました。





nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初稿投稿
2020/12/28_改定投稿






OJISAN.png


【原稿此処まで】



以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】
posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月18日

ボーム_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

D・J・ボームのご紹介

【D・J・ボームの前回原稿】



正確にはその名は、
デヴィッド・ジョーゼフ・ボーム_
David Joseph Bohm、
ヘブライ語表記ではדייוויד ג'וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם。
ハンガリー系‎‎ユダヤ人の父と
リトアニア系ユダヤ人の母の間に生まれ、
UCBバークレー校でオッペンハイマー
の教えを受けます。

学生時代に周りの影響で思想的に影響を受け
異なった社会モデルを持つ急進的な主義
の考えをボームは抱きます。後には
その為にFBIにマークされたりします。





第2次世界対戦の時にはボームは
師オッペンハイマーに従い
マンハッタン計画に参加します。
その計画は
陽子と重陽子の衝突研究を進め、
濃縮ウランを作り原爆を製造
する計画で実行に移されました。





戦後、ボームはプリンストン大学で
アインシュタインと共に働いていましたが、
いわゆるマッカーシズムにあい、
プリンストン大学を追われます。
社会主義者としての過去の活動を
当局に問題視されたのです。

アインシュタインはボームに彼の助手
として大学に残る事を勧めますが、
願い叶わず、ボームはブラジルの
サンパウロ大学に移りました。

研究者としてボームは幾多の成果を
残しています。
先ず量子力学の解釈の面で
ボーム解釈。EPRパラドックスの提唱。
そして電磁気学でのAB効果です。
それぞれの分野の考えに
今も残る影響を与えています。





nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初稿投稿
2020/12/27_改定投稿





OJISAN.png


【舞台別のご紹介】
posted by コウジ at 13:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

シュテルン_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

オットー・シュテルンのご紹介

【オットー・シュテルンの前回原稿】



シュテルンはポーランドのプラハ大学でアインシュタインに会い、共にチューリッヒ工科大学にうつります。
気の合う議論相手だったのでしょうか。

戦争に伴い、ナチスにハンブルグ大学の地位を追われた
シュテルンはアインシュタインと共にアメリカに亡命します。この時は
戦後、ナチ政権下で教授を続けたゲルラッハと対照的ですね。

最終的にはUCB(カリフォルニア大学バークレー校)で
名誉教授を務めます。81歳の生涯でした。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初版投稿
2020/12/27_改定投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ゲルラッハ_【原稿改定】

 まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

Cヴァルター・ゲルラッハのご紹介

【ヴァルター・ゲルラッハの前回原稿】



ゲルラッハはシュテルンと共に
行った実験で有名です。
シュテルンは関連人物が出てきたり
しますので、先ずはゲルラッハと
実験内容について語りたいと思います。





その実験はゼーマンとローレンツ
による実験と通じる部分があります。
古典的な考えだけでは説明出来ない
量子力学的な状態の縮退を考慮する
必要があるという結論に繋がります。

具体的にゲルラッハとシュテルン
が行った実験では、磁場での
スピンが分離されています。
加熱された銀粒子がビーム状に
放射されている時にビーム経路
に対して垂直に地場をかけます。

壁に当てたビームの輝点
を見てみた時に古典論では
輝点は一つです。所が、
ゲルラッハとシュテルンの実験
では縮退の解けた2点が出たのです。





量子力学的な考えに従うと、
電子はスピンを持ち、磁場に対して
同じ方向のスピンと
逆の方向のスピンが存在します。
だから、
磁場に対する軌跡が異なるのです。





この実験はゲルラッハが実現したようですが
シュテルンが亡命していた事情、
政治絡みの判断、が相まって
当初はゲルラッハの名は表に出ませんでした。

さて、話を現代に近づけると、
2012年に日本で半導体内部で
同じ原理を使い同じ結果を得てます。
アイディアの種は
色々な所にありますね。

強磁性体や外部磁場を用いずに電子のスピンを揃えることに世界で初めて成功_2012年12月

https://www.ntt.co.jp/journal/1212/files/jn201212058.pdf

以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_記





OJISAN.png

posted by コウジ at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ポアンカレ_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

アンリ・ポアンカレのご紹介

【アンリ・ポアンカレの前回原稿】



その名を書下すと、
ジュール=アンリ・ポアンカレ:
Jules-Henri Poincaré。
多様体における考察である
ポアンカレ予想で、
よく知られています。





ポアンカレは数学、物理学、天文学
で名を残していますか、その
数学的立場には賛否両論があります。
一般の見方をしたら分からない
のでしょうね。





ポアンカレは第一回ソルベーユ会議
にも出席していて、マリ・キューリとの
写真は色々な所で紹介されています。
どんな話をしていたのか興味深いですね。





他、ポアンカレの業績としては
位相幾何学の分野でのトポロジー
はの概念形成などもあります。
ヒルベルト形式主義よりも直感に
重きを置くスタイルは、いかにも
数学者らしい、とも思えますが、
特定の人からみたら
意味不明に思えたりするのでしょう。

また、とある数学的な発見時に、
思考過程を詳細に残し、数学プロセス
での心理学的側面の研究に影響を
残したとも言われています。





また、以下の著作は何時か時間が出来たら読んでみたいと考えている
ポアンカレの著作です。個人的な課題ですね。

・事実の選択・偶然_寺田寅彦 訳_岩波書店
・科学と仮説_湯川秀樹・井上健編_中央公論社
・科学の価値_田辺元 訳_一穂社

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初版投稿
2020/12/27_改定投稿

OJISAN.png

posted by コウジ at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ゼーマン_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

ピーター・ゼーマンのご紹介

【ピーター・ゼーマンの前回原稿】



ゼーマンはローレンツと同じ時代の理論家で
ローレンツと同時にノーベル賞を受賞してます。
当然、アインシュタインとも交流をもちます。





ゼーマンにとって幸運だったのは
ローレンツとカメリー・オンネスに師事した
事です。稀代の理論家と実験家の指導のもと、
ゼーマンは素晴らしい環境で育ちます。





そんなゼーマン等が出した結果が
ゼーマン効果です。具体的には
磁場中に置かれたナトリウム原子の
スペクトルを観察した時に、
それが分裂していたのです。






ローレンツとゼーマンによって
成された説明はナトリウム原子の
内部構造についてのものでした。
細かくは原子内部の電子が電荷
を持ち、磁場中では今で言う
縮退状態からの開放と
スピンの性質から、
放射特性が変化するのです。

更には、その電荷の物理量が
別に理論を進めていたJ.J.トムソン
のそれと近しい値をとった事で
ローレンツとゼーマンの理論は
説得力をもちました。結果、
ノーベル賞が贈られます。





また、ノーベル賞受賞後に
ゼーマンはアムステルダムで
研究所を運営し、そこで電磁光学
の研究を進めています。特に、
移動する媒質の中での光の伝播
に関しても研究していますが、
それは相対論の形成に有益
でローレンツやアインシュタイン
も評価していたと言われています。

ローレンツとゼーマンの素晴らしい
点はナトリウム原子の構造を
解きほぐす手法にあると思います。
実験結果の積み重ね、仮設の設定、
そして全てを使った理論構築の
モデルはその後に多くの学者が
活用可能な手法だったかと。
その後に他の原子も次々と性格が
明らかにされていきます。





nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初版投稿
2020/12/26_改定投稿





OJISAN.png

posted by コウジ at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ランジュバン_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

ポール・ランジュヴァンのご紹介

【ポール・ランジュヴァンの前回原稿】



ランジュバンは双子のパラドックス
で有名ですね。その矛盾の指摘は、
初めアインシュタインが指摘した
2つの慣性系での時間差から始まる
話ですが、ランジュバンが双子の例え
に置き換えて分かりやすくしました。
そんな時代の人です。無論、
ソルベー会議等に参加しています。





研究者としてはキャヴェンディッシュ研究所で
ジョゼフ・ジョン・トムソンのもとで学んだ後
にソルボンヌ大のピエール・キュリーの下て、
学位を得ました得た。磁性の研究をする一方で
水晶振動子を開発して超音波を発生させる
メカを実用化しました。





また、マリ・キューリとの恋仲も
知られていたようです。ゴシップネタで恐縮ですが。
そして、何年か後には二人の孫同士が結婚してます。





また、ランジュヴァンはソナーの発明でも知られて
います。潜水艦の関係者なら多大な恩恵を受けて
いる訳ですね。









nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初版投稿
2020/12/26_改定投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 08:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ラザフォード_マイケルソン_第3代レイリー男爵_チャドウィック_ベルヌーイ_コーシー_N・L・S・カルノー【初回投稿10/26~11/1】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

さて、コロナの在宅勤務で時間が出来ています。
今の所の予定では1月中に第2回の
原稿改定を終えて別項を盛り込む予定です。
「こんな人を取り上げて欲しい」
というリクエストがあれば盛り込みます。

@アーネスト・ラザフォード
Aアルバート・A・マイケルソン
B第3代レイリー男爵_J・W・ストラット
Cジェームズ・チャドウィック
Dダニエル・ベルヌーイ
Eルイ・コーシー
FN・L・S・カルノー


【@アーネスト・ラザフォードの原稿】
(2021/01/17_投稿済み)

【Aアルバート・A・マイケルソンの原稿】
(2021/01/17_投稿済み)

【B第3代レイリー男爵_J・W・ストラットの原稿】
(2021/01/17_投稿済み)

【Cジェームズ・チャドウィックの原稿】
(2021/01/17_投稿済み)

【Dダニエル・ベルヌーイの原稿】
(2021/01/17_投稿済み)

【Eルイ・コーシーの原稿】
(2021/01/17_投稿済み)

【FN・L・S・カルノーの原稿】



その名は正確にはニコラ・レオナール・サディ・カルノー
: Nicolas Léonard Sadi Carnot。
理論的な熱機関カルノーサイクルから考え続けました。





カルノーの関心は蒸気機関にありました。
当時の産業界は蒸気機関を
理論的に説明出来ていなかったのです。

ニュートン力学で出てくる力の他に
その力を加え続けた距離を考えて仕事量の概念を作ります。
重い荷物を「数cm引きずる」のと「数km引きずる」のでは
大きな差があり感覚的に理解出来ます。





例えば、物体を動かす力と動いたときに発生する摩擦熱
の間には関係があり、それらを結びつけるのに
カルノーは仕事量の概念を使いました。
他、比熱、熱容量、といった概念が出来て
様々な現象が繋がっていったのです。

ただ残念な事に、
非常に短い人生を送っていて
36歳の時に病死してしまいます。
カルノーが評価を受けたのは死後でした。
クライペロン・トムソン卿が評価し、
その後にマッハが評価をしています。













以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初版投稿
2020/12/26_改定投稿

【舞台別のご紹介】





OJISAN.png



posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月17日

コーシー【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

ルイ・コーシーのご紹介

【ルイ・コーシーの前回原稿】



その名は正確には、オーギュスタン=ルイ・コーシー
(フランス人)Augustin Louis Cauchyです。
コーシーは数学者で、天文学、光学、流体力学に大きく貢献しています。

コーシーの生まれた時代にフランスでは
革命が起きていて
それを避ける為に家族は郊外に居を移します。
彼の生まれた時期でした。





コーシーの一家がパリ郊外に移り住んだ時に
近くにラプラスが住んでいました。
コーシーの父とラプラスが交流を進める中で
ラプラスはコーシーのセンスに気づきます。
素晴らしい出会いだったのです。





やがてコーシーの一家はパリに戻って
サロンでの交流をしたりします。
コーシーはそんな中で土木学校を卒業して
港を作る仕事をしていたようです。





思想的には両親の影響を受け保守的なところがあり、
シャルル10世の国外退去に伴い、
共に流浪の時代を送ります。
そこでコーシーはボルドー公の家庭教師
などをしていました。





研究においては置換方法にコーシーは工夫を凝らし
群論に繋がる研究成果を纏めています。
また解析学の面では、その厳密な性格から
ε・∂(イプシロン・デルタ)論法の原型となる考えを
作り出しました。結果として、
解析学では厳密な定式化を進め、
現代の数学の礎を作ったのです。
級数の置換をスマートに進めていたと思います。
連続・非連続をつないでいったと
言えないでしょうか。





私も複素平面・留数定理…と
学んでいった事を思い出します。
現代で使っている解析学では
コーシーが作り上げたものが多いです。
コーシー・リーマンの方程式・コーシー列・
コーシーの平均値の定理・
コーシーの積分定理等、枚挙にいとまがありません。
その業績は広くたたえられ、
エッフェル塔にその名を残しています。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初版投稿
2020/12/25_改定投稿





OJISAN.png

posted by コウジ at 18:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ダニエル・ベルヌーイ_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

ダニエル・ベルヌーイ

【ダニエル・ベルヌーイの前回原稿】



ダニエル・ベルヌーイの名前で
ダニエルって大事です。科学史
に詳しい人ならピンと来るの
ですが、ベルヌーイ一族は沢山、
科学史に出てきます。
3世代で8人が特に有名です。





先ず、今回取り上げたダニエルは
3兄弟で、全て物理学者・数学者
です。また、ダニエルの父の世代
にも何人かの学者が居るようで、
ダニエルの叔父の仕事を父が
引継ぐ場面もあったようです。





また、こんな事もありました。
1734年のパリ・アカデミー大賞で
父のヨハンと息子のダニエルが
同時に賞を受賞した事が父の名誉
を傷つけダニエルはベルヌーイ家
から出入り禁止の扱いを受けます。
父は死ぬまでダニエルを恨んで
いました。有名なダニエルの
流体力学に関する著作でヨハン
による盗用もあったようです。





そんな事もありましたが、ダニエルは
研究を続け、パリ・アカデミー大賞
の受賞も10回になったようです。
何よりニュートン力学と数学を組み
合わせ流体力学を発展させました。
そうした仕事は船舶運航等に大変、
役立ちました。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初版投稿
2020/12/26_改定投稿





OJISAN.png

posted by コウジ at 18:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

チャドウィック_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

ジェームズ・チャドウィックのご紹介

【ジェームズ・チャドウィックの前回原稿】



チャドウィックは研究環境で恵まれていました。
マンチェスター大学の時代から
ラザフォードの指導を受け、
海外修業時代にはガイガーの下で
放射線計測の知見を積み上げました。
開発されたばかりのガイガーカウンター
を使い放射線特性での実績をあげます。

第一次大戦終了後はケンブリッジ大学の
キャベンディッシュ研究所で
再びラザフォードの下で研究を続けます。
ドクター修了後も10年以上、
ラザフォードの助手を努めていました。





キャンデビッシュ研究所での
討論や助言は多分に有益だった
であろうと思われます。
チャドウィック以外にも有能な
研究者達が集まっていました。
その中で議論を交わした筈です。
そんな中でチャドウィックは
中性子を発見していきます。その発見で
原子構造をまた一つ明らかにしたのです。

更にチャドウィックは中性子の質量
を明らかにして、それがガン治療
に有益であろうと考えます。





ただ、チャドウィックの時代は
世界大戦の時代と重なります。
マンハッタン計画ではイギリスチームの
リーダーとして計画を進めていました。
トリニティー実験も目の当たりにしたようです。

自身が心血を注いで作り上げた概念が
政治的に利用されていく有り様を
チャドウィックは、どう感じて
いたのでしょうか。不満だった筈です。

その他、パウリ・ハイゼンベルク等との
議論の発展、サイクルトロンの導入、
ノーベル賞の賞金の使い道について
追って、きちんと整理して再投稿したいです。
本稿はそろそろ〆ます。





チャドウィックはキーズ・カレッジ
の学寮長として晩年を過ごしています。
そして、リヴァプール大学には彼の
名を冠した研究所が残っています。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/25_初回投稿
2021/01/17_改定投稿






OJISAN.png

posted by コウジ at 18:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

レイリー卿_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

第3代レイリー男爵_J・W・ストラットのご紹介

【第3代レイリー男爵_J・W・ストラットの原稿】
寺田寅彦 - 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学 (中公新書) - 小山 慶太

その名を改めて書下すと、レイリー男爵_3代目
ジョン・ウィリアム・ストラット_
John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh

分かり易い業績を紹介すると、
晴れた日の空の青さを説明しました。
子供が、「空はなぜ青いの?」って
聞いた時のお話しですよね。専門的に言えば
散乱光の研究からレイリー卿は入射波と
反射側の散乱波を考え、それらの
波長と空気中の分子の性質を考えたのです。
結果、昼間の空は青く、夕方は赤い。
レイリー散乱と呼ばれる考え方です。

またその他のレイリー卿の業績は、
地震の表面波の解析(レイリー波)、
ラムゼーと研究したアルゴン発見、
古典的な熱放射理論である
レイリー・ジーンズの法則等があります。

そんなレイリー卿は量子論や相対論に
厳しい立場をとっていて、
エーテルを考え続けていた様です。
当時の考えでは否定する事は出来ない
物だったとも言えるでしょう。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/28_初稿投稿
2020/12/25_改定投稿





OJISAN.png

posted by コウジ at 12:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

マイケルソン_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

アルバート・A・マイケルソンのご紹介

【アルバート・A・マイケルソンの原稿】



その名を全て書き下すと
Albert Abraham Michelson。
ユダヤ系の血を引くアメリカ人です。





マイケルソンは物理学の中でも特に
光学に対して関心を示し、干渉計を発明しました。。
その後、有名な干渉実験を実現します。
マイケルソンはその後も様々な
研究者と実験をしていきますが、
光の干渉を原理として使っていて
光路が長い程、精度が高くなります。

そこで、マイケルソン達の装置は
大がかりな物になっていきますが、
結果として様々な外乱に晒され、
誤差との戦いが続きました。
装置を据え付ける地盤、
微振動、感光装置、その他に
様々な配慮を払わねは
ならなかったはずです。





こうした実験が行われた背景としては
そもそも、マイケルソンの時代に
エーテルという光の伝播媒質が論じられて
いました。光が波であれば気になる存在です。
ローレンツの理論での変換は
干渉のずれを収縮が打ち消す、
といった結果をもたらします。
エーテルを想定したマイケルソンの
実験結果は様々な議論に繋がり
媒質としてのエーテルは現在、
否定されています。
この有名な実験が広く認められ、
マイケルソンはアメリカ人として
初のノーベル物理学賞を受けます。

近年、マイケルソンの実験手法は
別の成果をもたらしました。
2015年9月、2基のマイケルソン
干渉計を使い、直接的に重力波を
観測にかけたのです。
稀代の実験家の拘りが数十年後に
結実したと言えるでしょう。






以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/25_記





OJISAN.png


posted by コウジ at 11:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ラザフォード_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

さて、ただ今、第2回の原稿改定を進めています。
それが終わった時点で別項を盛り込む予定です。
「こんな人取り上げて欲しい」
というリクエストがあれば盛り込みます。

アーネスト・ラザフォードのご紹介

【アーネスト・ラザフォードの原稿】


その名は正確にはアーネスト・ラザフォード_
Ernest Rutherford, 1st Baron
Rutherford of Nelson, OM, FRS,
初代のネルソン卿_ラザフォード男爵です。

ラザフォードはニュージーランドに生まれ数学でマスタの学位をとった後で奨学金を得てイギリスのケンブリッジ大学に進みます。そこでラザフォードはJJトムソンの指導のもとで気体の電気伝導の研究をします。

研究を進めるうちにラザフォードはウランから2つの放射線、
α線とβ線が出ている事を発見します。ラザフォードは後に透過性の非常に強い放射線が電磁波である事を突き止め、半減期の概念を提唱します。





ラザフォードが考えた半減期の分かり易い
例として、岩石の年代測定があります。
特定の岩石に含まれる物質から出てくる
放射線量を計測すれば、
半減期の概念を使って形成から今迄、
どのくらい時間が経っているか推定
出来るのです。





ラザフォードは更に研究を続けました。
ガラス管にα線を集め、そのスペクトル
分析からα線とはヘリウム原子核である
と突き詰めています。そして、
1911年にはガイガー・マースデンとα線の
散乱実験を行いました。有名なラザフォード
の原子模型が提唱されたのです。
原子には中心に原子核があり
その周りを電子が運動している
現代でも使えるモデルです。

またラザフォードはその人柄から
原子物理学の父と呼ばれています。
キャンデビッシュ研究所では
若い研究所員たちに「ボーイズ!」
と呼びかけていました。また彼は
夏の砂浜海岸でもスーツのジャケット
を脱がないスタイルでした。
そして、
原子番号104の元素は今、彼を偲んで
ラザホージウムと呼ばれています。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/25_記





OJISAN.png

posted by コウジ at 11:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ヨハネス・ケプラー_ティコ・ブラーエ_ポール・エーレンフェスト_ガリレオ・ガリレイ_ジョルダーノ・ブルーノ_ローレンツ_クラウディオス・プトレマイオス【初回投稿10/19~10/25の原稿】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

@ヨハネス・ケプラー
Aティコ・ブラーエ
Bポール・エーレンフェスト
Cガリレオ・ガリレイ
Dジョルダーノ・ブルーノ
Eローレンツ
Fクラウディオス・プトレマイオス

【@ヨハネス・ケプラーの原稿】
(2021/01/16_投稿済み)

【Aティコ・ブラーエの原稿】
(2021/01/16_投稿済み)

【Bポール・エーレンフェストの原稿】
(2021/01/16_投稿済み)

【Cガリレオ・ガリレイの原稿】
(2021/01/16_投稿済み)

【Dジョルダーノ・ブルーノの原稿】
(2021/01/16_投稿済み)

【Eローレンツの原稿】
(2021/01/16_投稿済み)

【Fクラウディオス・プトレマイオスの原稿】



先ず、
プトレマイオスの生没年はユリウス暦によります。
科学が分化していない時代の人物で哲学・天文学
・占星術等、多彩な仕事を残しました。
プトレマイオスは古い時代の人で確証が得られず、
アラビア語の文献では古代エジプト王の血を引く
と伝えられていて、エジプト人であるという考えと
ギリシャ人であるという考えがあるようです。





アルマゲストを初めとするプトレマイオスの著書は
中世に至るまでヨーロッパ世界に
多大な影響を及ぼしました。
特に宇宙論でプトレマイオスは地球が宇宙の
中心にあると考えていました。現代の天体観
と全く異なる宇宙観です。更には
天文学を数学的に整理して体系立てて紐解き、
天動説を確かな物にしています。

プトレマイオスの天文学での業績は
後の人々が考える理論(数学モデル)の
基礎を分かり易く整理して、当時の実用に
耐えうるレベルまで引き上げ紹介した点です。

同時にプトレマイオスの天文学での問題
を考えると天動説の検証をし辛くした点です.
対象が大きく離れた場所にある為、
プトレマイオスがたてた学説の
真偽が確かめられませんでした。

以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/25_記

【舞台別のご紹介】




OJISAN.png




【原稿此処まで】



以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】
posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月16日

ローレンツ_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

ローレンツのご紹介

【ローレンツの原稿】



その名は正確にはHendrik Antoon Lorentz。
です。オランダに物理学で有名なライデン大学
がありますが、ローレンツはそこの出身です。
この大学では他に、
エンリコ・フェルミ、
西周、
ヘイケ・カマリン・オンネス、
アルベルト・アインシュタイン、
クリスティアーン・ホイヘンス 、
フィリップ・シーボルト、
ポール・エーレンフェスト
が学んだり教えたりしていました。
他、オランダで個人的に関心があるのは
デルフト工科大学です。そこは現在、
低温物理学で有名な拠点ですので別途、
機会があれば取りあげたいと思います。





さて話戻ってローレンツですが、
電気・磁気・光の関係を解きほぐしました。
特にアインシュタインが
特殊相対性理論を論じる際に起点の一つに使った、
光速度不変の概念はローレンツが導いた
変換に関する考察があって成立しています。

lorents.jpg
【画像:アインシュタインとローレンツ
   :出典はWikipedeaから】

無論、アインシュタインは、
その業績を高く評価していて、
ローレンツを「人生で出会った最重要な人物」
であったと語っています。





ローレンツの業績は、電磁気学、電子論、
相対性理論と多岐にわたりますが、
特に印象深いのは変換に関する物でしょう。
ローレンツは座標系の変換の中で局所時間
と移動体の長さの収縮を議論していきます。
マイケルソン・モーレの実験を理論から
説明するには光速度普遍の枠組みで
事実を組み立てなければなりません。
これが可能な理論的土台として
ローレンツ変換は秀逸だと感じます。

最後に、そのご臨終の時を語りたいと思います。
ローレンツの葬儀当日は追悼の意を込め、
オランダ中の電話が3分間電話が止められました。
英国王立協会会長だったアーネスト・ラザフォードが
お別れの言葉を述べる中で多くの人が
ローレンツを惜しみました。













以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/24_初版投稿
2020/12/31_改定投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 20:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ジョルダーノ・ブルーノ_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

ジョルダーノ・ブルーノのご紹介

【ジョルダーノ・ブルーノの前回原稿】



ジョルダーノ・ブルーノはイタリア
生まれの哲学者です。以前に紹介した
ガリレオと生きた時代が重なります。
自然観の観点から科学史の中で論じます。





現代の我々の視点からは
当時の不合理さは受け入れ難いです。
最終的にはブルーノは
火炙りに処されてしまいます。
宇宙は有限ではなく無限で、
地球や太陽も星の1つ、
というブルーノの考えは
当時の社会的な価値観に
合いませんでした。





そして何より、ブルーノは
ドミニコ会の修道士でした。
「神の作りたもう世界は限り無い」
という信念をもっていて、
権威に立ち向かいつつも
彼なりに良心的な判断をして
考え方を構築していったのです。

数学的モデルで検証して欲しかった。
実験結果と照らして判断して欲しかった。
科学が得意な人々と議論して欲しかった。
私は勝手に、そう思います。





最後に、ブルーノの名誉回復の話です。
20世紀になってヨハネ・パウロ2世
の時代に過去の見直しが成され、
処刑は不当であると、違憲判決を
勝ち取っています。新しい発想を作り
出したブルーノが再評価されたのです。
今、ブルーノは思想の自由に殉じた
殉職者として評価されています。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com


2020/10/23_初回投稿
2020/12/23_改定投稿





OJISAN.png





posted by コウジ at 18:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ガリレオ・ガリレイ_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

ガリレオ・ガリレイのご紹介

【ガリレオ・ガリレイの原稿】



先ず生誕年の西暦はユリウス暦で
死没年の西暦はグレゴリオ暦です。
ガリレオ・ガリレイはそんな
時代の境い目に生きていました。





ガリレオ・ガリレイの名は
イタリアにおいて近代科学の父、
天文学の父として知られています。
数学的なモデルを確かにして
現象からパラメターを選び
その数値を観測可能な道具を選ぶ
事で実験検証する手法はガリレオ
が確立したものです。





そんなガリレオが生きた時代には
自然科学の考えで暗黒の背景が
ありました。教会が力を持ち、
表現が不適切とされた時には
社会的な制裁を受けました。
ジョルダーノ・ブルーノという
哲学者は火炙りに処されています。

ブルーノの断罪は多岐に渡りますが
その中の一つが天体関連です。
教会の考えでは、
地球が太陽や土星の様に運行
してはならないのです。
今では理不尽とも思えますが。





そんな時代の中でガリレオは艱難辛苦
に晒されます。権力争いに巻き込まれ、
天体に関する考えから異端審問を受け、
社会的立場を悪くします。軟禁状態にあり、
体調も悪くなっていきます。そんな
有り様を知ったデカルトは論文発表を
控えたと伝えられています。

更にはガリレオは失明します。
これは一説には天体観測
のせいだとも言われています。
ただ、その後も息子や弟子達の
助けを借りて出版をしたり
振り子時計を発明したり
しています。そして、最後は
77歳で亡くなっています。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com


2020/10/22_初回投稿
2020/12/23_改定投稿





OJISAN.png





posted by コウジ at 18:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ポール・エーレンフェスト_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

ポール・エーレンフェストのご紹介
【↑今回の改定ではアインシュタイン・ローレンツとの関係を
強調したくて写真を入れています。私の好きな写真です。】

【エーレンフェストの前回原稿】


エーレンフェストは統計学と量子力学を
洗練された形で結びつけたと言えるでしょう。
2つの指標。期待値と波動関数を結びつけました。





オーストリアに生まれウィーンで育った
エーレンフェストは研究生活において
非常に恵まれていたと思います。
まず、ボルツマンの講義を受ける環境をもち、
熱力学の運動論に大変、感銘を受けます。
ミクロの世界と可視下で想像できる質点の世界
を繋げる事が出来たのです。
小旅行でローレンツに出合い互いに刺激を受け、
その後、アインシュタインと交友関係を結びます。
二人は共にユダヤ系でしたので多くの
思想・話題を共有したことでしょう。





冒頭に、エーレンフェストは2つの指標。
期待値と波動関数を関連付けたと記載しましたが
期待値とは簡単に言えば平均値の事です。
例えば、距離で考えてみると
精度を上げるほど実測値には幅が出てきます。
4.155oだったり4.154oだったりします。
そこで数回の測定の平均値をとって
確からしいと思われる数値を決めます。期待値です。
期待値という言葉を使う時には
分散値とか誤差とか併記され統計的な
処理がなされていると思って下さい。
【より細かい話としては離散値だけでなく連続値
 に対して期待値・分散値を考えていきます。】

また、エーレンフェストが考えた他方の概念である
波動関数は、細かい世界を表現するにあたり
観測にかからない物理量を表現する表現方法です。
ミクロの物質には粒子性と波動性が混在するからです。

エーレンフェストの定式化した考えによると
波動性が顕著に表れていると思える現象でも
その運動量や速度が求まり粒子と比較して
議論する事が可能です。2つの手法が繋がるのです。





エーレンフェストは優れた教育者でした。
ライデン大学の教授を務めた彼のもとには
多彩な人材が集まり育っていきました。
彼は弟子達をヨーロッパの研究機関で修行する
事を進め、海外の違った環境で研究をする
事を奨励しました。
ヘンリク・クラマースジェラルド・カイパー
などが学生として所属、
グンナー・ノルドシュトルム、エンリコ・フェルミ、
イーゴリ・タム、オスカル・クライン、
ロバート・オッペンハイマー、ハイゼンベルク、
ポール・ディラックが外国人研究者として
長期間研究をしました。

そして晩年、エーレンフェストは
重度のうつ病に苦しんでいたようです。
アインシュタインが仕事量を減らすように
職場に働きかけたたようです。
最後はダウン症だった末っ子Wassikを打ち殺し
自らも命を絶ちます。
ご冥福をお祈りするしか出来ません。
彼が考え抜いた末の結論だったのです。

そして、エーレンフェストが始めた
ライデン大学での夜間・物理学コロキウムは、
今でも「Colloquium Ehrenfestii」と呼ばれ、
続いているそうです。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/21_初版投稿
2020/12/22_改定投稿





OJISAN.png



posted by コウジ at 17:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ティコ・ブラーエ_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

ティコ・ブラーエのご紹介

【ティコ・ブラーエの前回原稿】



ティコ・ブラーエはデンマークの貴族です。
そして多彩な能力を持っていて
天文学で業績を残し、作家・占星術師・
錬金術師としても活動していたようです。
また、意外なエピソードとして
ティコ・ブラーエの鼻の話があります。
その鼻は若き日の決闘によって鼻梁が
無くなっていて、それ以降、ティコは
金属製の付け鼻をしていたのです。





ティコ・ブラーエの考え方では
地球が中心にあり、太陽は地球の周りを
回転していると考えていました。
確かに相対的な位置関係としては
太陽の動きは説明出来ますが、後の学者達
が整理した色々な星のデータベースと
整合性がとれる考えではありませんでしたでした。





ただ、ティコ・ブラーエの観測データは
正確無比でした。後にデータを引き継いだ
ケプラーがコペルニクス的転回をして
データをもとに、地球が自転しながら
太陽の周りをまわる理論を打ち出します。





ティコ・ブラーエの考えは一部間違い
でしたが、業績としてはとても大きかった
と言えるでしょう。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/22_初版投稿





OJISAN.png


【舞台別のご紹介】
posted by コウジ at 12:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ヨハネス・ケプラー_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

ヨハネス・ケプラー

【ヨハネス・ケプラーの原稿】



ドイツに生まれたケプラーは天文学者にして数学者、
哲学者、占星術師でありました。母は薬草治療をしてました。
天文物理学の仕事として素晴らしい点は、年間の観測情報
から数学を使った考察を進め、天体が楕円軌道を描く
とか公転周期と面積速度の関係を導き出すといった
理論的な結果をケプラーが導き出した所です。




「数学モデル」を物理学に当てはめた初めての物理学者
だったという点も見逃せ無いポイントです。





ケプラーは幼少期に苦労します。
父は家計を支える為に傭兵として戦いに参加します。
ケプラーが5歳から17歳の間、家族と離れ暮らして
いました。そして八十年戦争と呼ばれた戦いで
ネーデルランドで亡くなります。
加えてケプラーは天然痘にかかり視力低下にあい、
一生苦労しました。また天然痘でケプラーは
妻子を失ってしまいます。





そんなケプラーは天文学者として地動説に出合いました。
特にコペルニクスがコペルニクス的転回を打ち出した
所でケプラーはコペルニクスを全面的に支持します。
そういった考え方を読んだケプラーを
今度はガリレオが支持します。
そして最後にケプラーはティコ・ブラーエに出会います。

ティコ・ブラーエが集めた膨大な
データを遺産としてケプラーが受け取り
そして整理して様々な法則を作り出します。
二人の業績から今でも残るケプラーの法則が完成したのです。
惑星の運動は体系立てて幾何学上で表現されています。
ケプラーは星を考える枠組みを作り出したのです。
そして次なる様々な理論体系に繋がっていったのです。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/19_初版投稿
2020/12/20_改定投稿





OJISAN.png










posted by コウジ at 08:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

坂田 昌一_ウィリアム・トムソン_マリ・キュリー_W・C・レントゲン_ニコラ・テスラ_トーマス・A・エジソン_クリスティアーン・ホイヘンス【初回投稿10/12~10/18の原稿】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

@坂田 昌一
Aウィリアム・トムソン
Bマリ・キュリー
Cヴィルヘルム・C・レントゲン
Dニコラ・テスラ
Eトーマス・A・エジソン
Fクリスティアーン・ホイヘンス

【@坂田 昌一の前回原稿】
(2021/01/15改定投稿済み)

【Aウィリアム・トムソンの前回原稿】
(2021/01/15_改定投稿済み)

【Bマリ・キュリーの前回原稿】
(2021/01/15_改定投稿済み)

【Cヴィルヘルム・C・レントゲンの前回原稿】



レントゲンと言えば、その人の名より
その名の装置が思い浮かぶでしょう。
以下ではレントゲンは人の名前として
使っていきます。

レントゲンの時代にはH・ヘルツ等
によって真空放電や陰極線の議論が
なされていました。今風に考えたら
対象は単なる粒子とか波ではなく、
2面性をもった波動関数で記述される
電子であると言えますが。
レントゲンの時代には不明確でした。





まずレントゲンは実験結果を
重視してます。X線が人体を透過した
後の写真を大衆に見せました。
ネーチャやサイエンスといった
有名雑誌に投稿し、議論して
事実を明らかにしていきました。

その方法は先ず磁場に作用する
陰極線の実験を積み重ねます。
陰極、陽極、検出対象として
色々な物資を試し、
鉛は通さずガラスは透過する
といった事実を明確にします。

説明が細かくなり恐縮ですが、
陰極線の陰極・陽極間に検出対象があり、
検出対象から放射されるのがX線です。
検出対象に蛍光物資を使った所が
レントゲンのオリジナリティですね。
そうした仕組みで磁場から力を
受けないX線を発見して、
突き詰めていったのです。

その後の成果で原子が崩壊・融合する過程で
放射線が出てくる知見が集約されてくる訳ですが、
後の素粒子での議論につながる種が、
レントゲンによって沢山まかれていた訳です。





また、レントゲンを偲ばせるエピソード
をいくつかの紹介します。
まず、レントゲンは自らの独自技術に
対して特許を申請しなかったと言われ
ています。科学の成果は万人が享受すべき
だというレントゲン独特の考えです。

また、レントゲンは第一回目の
ノーベル賞を受けていますが、
賞金に手を付けず、
全て大学に寄付しています。

そして愛妻家だったと思います。
レントゲン自身はガンで亡くなりますが
年上だった奥様に先立たれてから
数年後の事でした。今でもよく
紹介されている写真は奥様の手を
X線が透過した姿でした。
皮膚を透過したX線が骨の形を
リアルに映し出し、その薬指には
はっきりと結婚指輪が見えます。









以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/15_初版投稿
2021/01/09_改定投稿





OJISAN.png












【Dニコラ・テスラの前回原稿】



テスラはオーストリア帝国に生まれ
アメリカに渡ります。かのエジソン
のもとで働いていましたが独立して
高電圧の変換をして発表をしたり
回転界磁型の電動システムを実用化
して供電社会の礎を築いたりしました。

エジソン陣営との対立は送電方式の
考え方の対立が大きかったようです。
エジソンが直流による電力事業
を考えていたのに対して
テスラは交流による電力事業
に利点があると考えていました。





幸運な事にテスラはプレゼンテーション
が上手でした。学会での発表に
ジョージ・ウェスティングハウスが
感銘を受け資金供給を受け始めます。

最終的にはナイアガラの滝を使った
発電システムの実現に繋がり、
テスラは成功を収めました。





数々の事業を成功へ導いたテスラですが、
色々な別れがあり晩年は寂しい老後
を送っていた様です。テスラは独身でした。
そしてテスラは今、
磁場の単位と会社の名前に
自身の名を残しています。
数トンの重さがあったと言われる
彼の発明品や設計図はFBIが写しをとったあとに
母語へと返されています。








以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/16_初版投稿
2021/01/09_改定投稿





OJISAN.png












【Eトーマス・A・エジソンの前回原稿】



エジソンはアメリカの発明家です。
彼の逸話を聞くと、閃きの喜びとか
達成時の感動が沸き起こります。
エジソンの発明品は蓄音器、電灯、
活動写真と多岐にわたります。

研究所はニュージャージのメンロパークにありました。
個人的な話になり恐縮ですが、初めて買ったCDが
ボンジョビの「New Jersey」でした。何となく私が
想像してた同州の楽しそうで何かを生み出す雰囲気は
エジソンが研究所を構え、活動する中で
生まれた部分もあるのですね。きっと。





エジソンは幼少時代から苦労を重ねています。
彼が残した有名の言葉を改めて書き下します。
「天才は99%の汗と1%の才能(で出来ている)」
睡眠時間を削り、時に発想に浸り現実を忘れ
次から次へと発明を繰り返しました。
図書館に籠り独学で色々なことを学び
正規の教育を受づに試行錯誤を繰り返します。

例えば、算数で「1+1=2」と教わっても
「二つの粘土を混ぜた時に一つになるのに
何故この場合は1ではなく2なのか??」
という視点を持ち反論しています。
こんな話が語りつかれている自体が
いかにもアメリカ的なのかな?
と思いますが、思考の柔軟性を保ち続ける
為には必要な吟味であるとも言えます。





その後、投票記録の機械、株式相場表示機、
電話、蓄音機、白熱電球と発明を続けます。
蓄音機を世間に広めた時は
「機械の中に人が居るわけがない!」
と驚きの反論を受けたほどです。

晩年は会社経営から身を引き、
霊界との交信が出来るかといった
関心を持ち試行錯誤していました。
多くを残して84歳で亡くなっています。










以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/17_初版投稿
2021/01/09_改定投稿





OJISAN.png












【Fクリスティアーン・ホイヘンスの前回原稿】



ホイヘンスはライデン大学では数学と法律を修めました。
物理学はその知見を活かすフィールドだったとも言えます。

特に、光学での業績が顕著です。
所謂、ホイヘンスの原理は後の物理学者達が
波動を考えていく上でとても有益だった筈です。
波の性質が突き詰められていき、
縦波とか横波とか周波数とか周期とか
最終的には破面に立つさざ波も、光も
同じ定数で表現出来る現象となるのです。

一般の人々にも説明出来る言葉を
出来るだけ沢山、科学者が作り出すことが大事です。
その点、ホイヘンスは初めの難しさを超えたのです。






また、
土星の衛星タイタンの発見したり、
振り子の原理を理解して時計を制作したり、
火薬を使ったエンジンの、制作したり、
オリオン大星雲を発見してスケッチしたり、
その新規性には驚かされます。

またホイヘンスは、いわゆるエーテルの存在を想定して
後の物理学に議論の土壌を残しました。
この点も重要だと思います。

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/18_初版投稿
2020/12/23_改定投稿

【舞台別のご紹介】




OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月15日

マリ・キュリー_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

特に、キューリ婦人の項は長文です。
内容に気を配りたいと考える中で、
ついついスマホ画面での改行が
不適切になったりしてます。

いわゆるCSSとか使いこなさないと
いけないかな、とか考えてます。

マリ・キュリーのご紹介。

【マリ・キュリーの前回原稿】



その名はマリア・スクウォドフスカ=キュリー
Maria Salomea Skłodowska-Curieですが
フランス語でマリ・キューリと呼ばれる
事が多いです。彼女は物理学と化学で
2度ノーベル賞を受けています。





マリ・キューリの父は研究者でしたが
貴族階級の出自故に、帝政ロシアの
支配下の元で教壇に立つことを禁じ
られていました。

マリ・キューリは10歳をなる前に
大変苦労します。父の非合法の講義
が発覚して職・住を失い、母の結核
による他界があり、更には投機での
失敗もあり、親戚等の世話になります。





そんな時期にマリ・キューリにも恋をした時代
があったようです。当時、マリ・キューリ
は家庭教師を生業としていましたが、
カジュミェシュ・ゾラフスキという青年と
恋仲に落ちます。共に避暑旅行に出かけたり
して幸せな時間を過ごしましたが、最終的
には破局を迎えました。この事が
マリ・キューリのパリ行きに繋がった様です。

パリでもマリ・キューリは苦労します。
屋根裏部屋に住んで寒い時には
持っている全ての服を着ながら
勉学に励みます。そんな生活は
大学の学部を卒業する迄、続きました。





そんなマリ・キューリに漸く光明がさします。
知り合いを通じてピエール・キューリ
と出会ったのです。

そのピエール・キューリは国外で
評価を受けていて1893年には英国の
ケルヴィン卿が訪ねてくるほどでした。
ところがピエール・キューリは
勲章を辞退するような性格で
ひたすら研究に励んでいました。

そんな二人が惹かれ合い、認め合い、
マリの帰国後もピエールは恋文を
贈り続け、遂には簡素な結婚式をあげます。
幸せなん結婚生活だったと思います。
祝いの宴もなく、結婚指輪も無い、つつましい形式でしたが
祝い金で買った自転車に乗り、
フランスの片田舎へと新婚旅行に旅立ちます。





料理を頑張り、長女に恵まれながらも学問を続け、
ベクレルの見出した放射線に対して二人は研究していきました。
そこで。光や温度といったパラメターではなく
ウラン含有量の含有量が放射現象には本質的である
との結論を得ます。その後、マリとピエールの夫妻は
元素の精製に心血を注ぎます。
同位体の存在に近づいていったのです。





関心のある精製にキューリー夫妻は全てを注ぎ込みます。結果として、
夫ピエールは度重なる発作に苦しみ、妻マリは神経衰弱から睡眠時遊行症
に陥ります。その中で第二子を流産してしましました。
そうした犠牲を払い、新しい概念の提唱に至ります。すなわち、
特定元素は別の元素へ変化し得る、という事実です。

そして、その過程で放射線を放出して一見エネルギー保存の法則
に相反する変化を起こしますが、それを追って
ラザフォードらが研究成果を次々に発表します。
そして夫ピエールが放射線に医学的効果を期待出来る
と発見をしていくのです。ラジウムの効果でした。

当初は、妻マリーの博士学位習得が放射線研究の目的であったのですが
最終的にはマリー・ピエール・ベクレルに対してノーベル賞が贈られます。
苦労してきた二人にとって、まさに栄誉の極みでした。

所が、その後突然の不幸が訪れました。夫ピエールが46歳の若さにして
交通事故で命を落とすのです。妻マリーは悲痛にくれます。当然でした。
その後、傷が癒えるまでに多くの物が必要でしたが、最終的に
妻マダムは夫ピエールの大学での職位と実験室の後任を引き継ぎます。
研究者として活動を始めたのです。

この内容に関してはいずれ追記したいと思います。
いつか、書き足すに値する部分だと思えます。
ケルビン卿・カメリーオネス・アインシュタインといった
当時の綺羅星の物理学者が彼女と交流を持ちました。





そして、
何より悲しかったのは放射線のもたらした弊害です。
研究の過程で放射線被曝が重なりマリーは
頭痛・耳鳴り・怪我がなかなか治らないといった障害に
悩まされ続けます。そして終には死に至りますが、
当時はまだその関連性が明確ではなかったようです。

波乱に満ちたマリー・キューリの人生は幕を閉じましたが
その後人々は彼女の残した物を高く評価しています。
1995年、夫妻の墓はパリのパンテオンに移されました。
フランス史の偉人の一人として今でも祭られています。
そして、物理の世界の偉人として世界中で語り継がれています。























以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/14_初稿投稿
2021/01/09_改定投稿





OJISAN.png



posted by コウジ at 15:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ウィリアム・トムソン_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

ウィリアム・トムソンのご紹介】


【ウィリアム・トムソンの前回原稿】



その名を正確に記すと、
初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソン
William Thomson,
1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE

トムソンは熱力学や電磁力学で
沢山の研究成果を残してます。
彼は僅か10歳でグラスゴー大学へ入学
しました。トムソンの父がグラスゴー大
で教鞭をとっていた時事はある様ですが、
それを別にしても早熟ぶりに驚かされます。
その後、トムソンはケンブリッジで勉学
を進め、22歳でグラスゴー大学の教授になり、
イギリスの大学で初めての物理学研究室
を立ち上げました。

1845年の論文では、ファラデーの理論を
数学的に整え回路近辺の空間を考えてます。
この発表は後のマクスウェルに示唆を
与えたと言われています。後の電磁場
の考え方に原型を与えたのでしょう。
また、トムソンは数学でのベクトル
を使い始めた人であると言われています。
物理学者としては別にJ・J・トムソンが居ます。



そして、トムソン卿は沢山の物理学者と議論しました。
例えば、無名だったピエール・キューリを見出し、
交流し真価を認めました。また、別項でご紹介して
いますが、日本初期の物理学者である田中館愛橘を育て、
彼がトムソンを敬愛していた事でも広く知られています。















以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/13_初稿投稿
2021/01/09_改定投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

坂田 昌一【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

坂田 昌一のご紹介

【坂田 昌一の前回原稿】



坂田昌一は素粒子を研究した物理学者です。
湯川秀樹、朝永振一郎らと同じ時代を生き、
議論を交わし、物理学会を切り開きました。

また坂田昌一の奥様の信子さんは
SF作家・星新一の従兄弟にあたります。




坂田昌一の理論物理学での業績は
電磁場の量子化に関するものが
あげられます。当時は場を量子化する
時に電子の質量が発散する事が
問題でした。その問題に対して
坂田昌一は中間子を導入して説明します
が、この量子電磁力学での問題は
最終的には朝永振一郎がくりこみ理論
によって完全に解決します。
また坂田昌一は湯川秀樹の中間子に
関する論文で協同執筆者を務めています。

また坂田昌一の業績としては、
陽子・中性子・ラムダ粒子を基本粒子
と考え、その構成に対する坂田モデル
もまた、特筆すべきでしょう。
それぞれ次世代の議論へと繋がった、
素晴らしい成果です。















以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/12_初稿投稿
2021/01/09_改定投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 06:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

パスカル_アイザック・バロー_ヘルツ_ボゴリューボフ_ホーキング_広重 徹_久保 亮五【初回投稿10/5~10/11】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。


@ブレーズ・パスカル
Aアイザック・バロー
Bハインリヒ・R・ヘルツ
Cニコライ・N・ボゴリューボフ
Dスティーヴン・W・ホーキング
E広重 徹
F久保 亮五


【@ブレーズ・パスカルの前回原稿】

(2021/01/14_投稿済)

【Aアイザック・バローの前回原稿】



今回の記事は数学者です。
バローはケンブリッジ大学での
ルーカス教授職に初めて任命されました。

私がバローの名を初めて知ったのは
高校の時の英語の教材で、次の様な
文章だった気がします。
Just under three hundred years ago,
the professor of mathematics
at Canbride did distinctly unusual
thing...

上記英文での教授がバロー先生で
その後に出てくる弟子がニュートン
なのです。バローはニュートンに
ルーカス職を譲ります。彼の方が
職位に相応しいと判断したのです。

異例な判断だったようですが
その後のニュートンの業績を見ると
バローの判断は素晴らしい。因みに、
その後名誉あるルーカス職は
ディラックやホーキンスが
引き継いでいきます。






上記、英語の文書が書かれた時代から
更に時代は進んでますが、
バローの残した業績は物理学のみ
ならず、工学、ひいては産業に
大きな成果を残しています。

また、バローが残した業績で
特筆すべきは微分と積分が
真逆の数学的行為であると幾何学的
に証明した事だと言われています。
今では当たり前なのかも知れません
がバローが整理、体系化した結果
なのでしょう。













以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/06_初稿投稿
2020/12/23_改定投稿





OJISAN.png




【Bハインリヒ・R・ヘルツの前回原稿】



ハインリヒ・R・ヘルツのRは
ルドルフ(Rudolf )のR。





元来、ヘルツは気象学に関心を持っていました。
1878年 ミュンヘン工科大学では指導教官が気象学者の
ベゾルトでしたが、そこではさしたる業績を残していない
ようです。後の師ヘルムホルツのもとで
液体の蒸発に関する論文や新型の温度計に関する
論文をまとめた程度だと言われてす。




所で、19世紀終わり頃迄は電磁波の
伝達物質としてエーテルという物質
が想定されていました。確かに
波を伝える伝達物質、別の言葉を使うと
媒質といった物があり波は伝わります。
水という媒質があり表面で波紋が伝わり、
空気という媒質があって音が伝わる訳です。 
1881年にマイケルソンが実験でエーテル
を否定したタイミングでヘルツは
マクスウェルの方程式を再度考え直します。
電磁波の存在を煎じ詰めて
実用的なアンテナを考案しました。

現代の整理された考え方によると、
電磁波は真空中であっても伝わります。
例えば太陽光は大気圏に届く前に
真空中を伝わってくるのです。
そこにはエーテルは存在しません。
エーテルの仮定は観測にかからないばかりか、
地球の自転運動・公転運動に対して
説明がつかないのです。





別途、ヘルツは電磁波発信の
装置を開発して電磁波の送受信
の実験を繰り返しました。
送受信間にガラスを置くと
電磁波が通じ難くなると確認しました。

そして、実験で人々にガウス・マクスウェル
の理論を現実の世界とより近づけました。
ヘルツは周波数の単位に名を残しています。







以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/07_初稿投稿
2020/12/23_改定投稿





OJISAN.png


【Cニコライ・N・ボゴリューボフの前回原稿】



名前から分かるかとおもいますが、
ボゴリューボフはロシアの物理学者です。



ボゴリューボフ変換と呼ばれる考えを打ち出し
行列形式で表された状態遷移を対角化しています。
それはつまり、定常状態を作りだしています。
つまり、数学的にいう固有値問題に帰着させて
定常的な状態を表現しているのです。



この定常状態を使い、ボゴリューボフは
現実にヘリウムの超流動状態を表しました。
ボーズ粒子の超流動をボゴリューボフ変換で示し
フェルミ粒子の超電導をボゴリューボフ変換で
示す訳です。役にたちますね。















以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/08_初稿投稿
2020/12/23_改定投稿





OJISAN.png


【Dスティーヴン・W・ホーキングの前回原稿】



ホーキング博士は相対論を含めて宇宙の理論を考えました。
特にブラックホール、量子的効果、その生成から消滅に至るまで
を突き詰めていった博士です。

博士の両親は共にオックスフォードに学んだ血筋で
オックスフォードで物理学を学びます。
大学時代はボート部に所属して大学院進学時は
成績も芳しくなかったようです。しかし、
ホーキング博士ケンブリッジに進みます。





何より博士は若くして筋萎縮性側索硬化症(ALS)
を患い、大きな困難に立ち向かいます。
当時は命を落とす病であるといわれ、
意思伝達・行動範囲拡大の為に
独自の技術を使いこなしていきます。

ブラックホールに関する研究を進め進化を考え
中心部に存在するであろう特異点を考え
「特異点と時空の幾何学」の論文をまとめ上げます。
またホーキングは、タイムマシーンの実現の為には
無限のエネルギーが必要であるとの考えを持ち、
タイムマシーンの実現可能性を否定しています。



そして、偉人の人生も終わりを迎える時が来ました。
ホーキングはケンブリッジ大学近くの自宅で
最期を迎えました。そして今、ホーキンスは
ニュートンの墓の近くに埋葬されています。

















以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/09_初稿投稿
2020/12/23_改定投稿





OJISAN.png


【E広重 徹の前回原稿】



広重博士は最初、京大大学院を
ドロップアウトしてます。
世相としても色々あった時代に
研究者としてのスタート時期だったので
大変だったろうかと思います。広重徹は
初め素粒子論を専攻していた様です。




吉岡斉の文章からも感じられますが、
広重徹の考え方でも、社会の中で占める
科学史の大きな役割を感じます。
社会から過度な期待と、
ある意味で無理解な評価を冷静に話して
一般人に理解してもらう事が大事です。
私も科学史の文章を作っている一人と
考えると、見の引き締まる思いがします。



話し戻って、広重徹は30代で博士課程を
終えて(於、名古屋大学)
40代で早くして亡くなります。
もう少し話しが聞きたかったなぁ、
って感じですね。
その後、斯様な議論は無いかと。

また、広重徹の奥様が自分史を
残していたのでリンクします。
広重徹のお人柄が偲ばれるかと。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv9h-ab/kamakura/DrMiki.html




















以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/10_初稿投稿
2020/12/23_改定投稿





OJISAN.png


【F久保 亮五の前回原稿】



久保亮五と同名(漢字違い)の別人が居ますが、
以下記載は統計力学で私が使った教科書の著者です。

久保亮五は学者肌の家系に育ち、
父の仕事で子供時代には台湾へ移住してます。
高校まで台湾で過ごし、帰国後に旧制高校へ入学、
東大へ入学、助手、助教授、教授をつとめました。



久保亮五の仕事で特筆すべきは物性論での成果で
ゴムの弾性に関する研究、線形応答論を使った
フーリエ変換NMRへの応用があげられます。

久保亮五の考えたNMRの概説を以下記載します。
先ずフーリエ変換は単純には時系列の波形を
周波数軸に変換して解析する技術です。
数学的に確立されたフーリエ変換を基礎に
電子回路を考えて離散化された電気信号に対して
マトリクス変換を加えるイメージです。





診察で実際にNMRを使った経験のある人は
その中で測定を受けている時を思い出してください。
頭の中を調べる時等、強磁場を二次元的に与えます。
その時に大きな音がしますが、
そのインパルス的な情報を機械的に処理して
周波数応答に関する情報を得ます。
結果的に吸収スペクトルを測定することで
各スピンの情報を集め、
そこから最終的には
断面の画素像を処理します。
最終的な写真で見える画像は、
これらの処理の結果です。

そして今、久保亮五はこの世に居ませんが、
その仕事を応用したNMRは世界中の病院で
患者達の情報を集めています。
きっと今、この瞬間も。













以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2020/10/11_初稿投稿
2020/12/23_改定投稿

【舞台別のご紹介】




OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月14日

パルカル【原稿改定】

時計台.png


最近の通例でリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

あと、コロナで世相がギスギスしてる気がするので、気分転換を狙って雑記を呟いてみたいと思います。
別の側面として定形文章の羅列では飽きられてしまうのでは無いかという懸念もあるんです。

こんな事は改定を繰り返している本稿では余り残さない様にします。流れていく改定の告知項で呟くパターンが良いかと。

さて、昨日改定したレンツの記事を見返していて、物理学で未開の側面があるような気がしてしまいました。そんな考えってとても大事な気がしました。私が科学者の列伝を掘り起こし雑多な皆様が眺めて、夫々の皆様の頭の中で考えが進んでいく事が大事です。

そんなだから私はウキィペディア
見てるだけで楽しい時があります。
是非、皆さんにもこの楽しさ
を伝えたい。それ出来たら
とっても嬉しいデスね。
頑張りマス。

ブレーズ・パスカル

【ブレーズ・パスカルの前回原稿】



パスカルの残した言葉、
「人間は考える葦である」
がまず思い浮かびます。
パスカルは考え続けた人でした。

パスカルの遺稿集であるパンセは有名です。
総合的に物事を考えています。
死後、遺品整理で改めて分かったのは
神をも試行の対象として考え、思考を繰り返し
確率論、優先順位を考え、様々な証明方法
を使っていたということです。





数学の上では三角形の内角の和が
180であると子供時代に証明していた
と言われています。

物理学の上では圧力に関する
パスカルの原理が有名で
その後、油圧機器に多用されてます。





またパスカルは実業家として
の側面も持っていて、
今日で言うバスのシステムを
乗り合いタクシーという形で
実現しています。またパスカルは
子供時代から機械式計算機の制作を
しています。徴税吏員である父親
の仕事軽減が目的だったようです。
少しほのぼのですね。

昔フランスでの500フランにパスカルの顔
が描かれていたようです。そしてパスカル
は39歳で亡くなっています。現在では
圧力の単位としてパスカルは名を残しています。
フランスの誇る偉人ですね。







以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/05_初稿投稿
2020/12/23_改定投稿





OJISAN.png


【前回原稿ここまで】
posted by コウジ at 07:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

レンツ_ガウス_クーロン_オーム_ヴォルタ_アンペール_エルステッド【初回投稿9/27〜10/8原稿】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

@ハインリヒ・レンツ
Aヨハン・C・F・ガウス
Bシャルル・ド・クーロン
Cゲオルク・ジーモン・オーム
Dアントニオ・ヴォルタ
Eアンペール
Fハンス・エルステッド

【@ハインリヒ・レンツ原稿】

(2021/01/13_投稿済み)

【Aヨハン・C・F・ガウス原稿】

(2021/01/14_投稿済み)

【Bシャルル・ド・クーロン原稿】



クーロンの名前は正確には
シャルル=オーギュスタン・ド・クーロン
(Charles-Augustin de Coulomb)
と記載されます。彼はフランス人です。調べてみると
もともとクーロンは測量の仕事などもしていました。
時代がら色々な分野に功績を残しています。

まず、力学的な側面では摩擦に関する研究があります。
「部品間で摩擦とロープの張力」を考慮して
機械全体での動きを論じています。
工学的な側面と表面物性からアプローチして
細かく見てみたいところではありますが、
当時の視点からは革新的な研究だろうと思えます。





電磁気的な側面では「ねじり天秤」での実験が有名です。
微細な力を検知出来るような仕組みで
導体表面での帯電状態を計測したのです。
生活の視点では、力学は目で見て分かりやすく、
電磁力学は目で見て分かり辛いと言えます。
それだから、今でも静電気でびっくりしたり、
手品の種として電気的性質が使われたりします。
当然、今でも高電圧の配線は子供の手の届かない所
に敷設され、運用されているのです。
結果的に電荷に働く力は距離の事情に反比例すると示し
クーロンの考えは後の電磁気学、
長い目で見れば場の理論につながっていきます。











以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/29_初稿投稿
2020/12/22_改定投稿





OJISAN.png




【Cゲオルク・ジーモン・オーム原稿】



オームの法則で有名です。
オームの法則は定量的に回路を論じるときに不可欠で
非常に明快なので小学生レベルから説明出来ます。
子供に科学を教える時に理解しやすく、
実験的と原理がつながる事例として明快です。

オームは独学で数学、特に幾何学を習得していて
研究生活に入る前に教師として生計を立てている時期がありました。
その後、プロイセン王に幾何学に関する原稿を送り、評価を受け
ケルンのギムナジウムで物理学を教える機会を得ます。
そこでの実験室で設備が充実していたことは
その後のオームにとってとても良かったと思います。

オームの法則は、実の所はイギリスのキャヴェンディッシュ
が先に発見しているようですが、ご存命中に発表しませんでした。
オームはキャヴェンディッシュと意見交換することなく
独自に法則を確立していて論文にまとめました。

また、オーム自身は導体内での電子の挙動に関して
近接作用の結果として論じていたようですが
そんなエピソードからも目に見えないミクロな現象を
組み立てていく為に検証をしていく難しさを感じます。

そんな困難の中、原理を確立して社会に意義を問いかけ
現代に多大な功績を遺したオームの名は抵抗値の単位
として今後も使われていきます。











以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/30_初稿投稿
2020/12/22_改定投稿





OJISAN.png


【Dアントニオ・ヴォルタ原稿】



ボルタの名は正確にはアレッサンドロ・ジュゼッペ・アントニオ・アナスタージオ・
ヴォルタ伯爵:Il Conte Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Volta_という
長い名前ですが日本では単純に「ボルタ」と表現しています。以後この表記で。
ボルタはイタリアに生まれ物理学の研究者となります。





特筆すべきは実験的に静電容量を観測し、
電荷と電位を明確に分けて議論する土壌を作りました。
初学者には混同されがちですが電位と電圧は明確に
異なる概念です。アースして低電位側を地球の地面
と同じ電位状態にした時に両社は一両者は一致しますが
通常は異なります。変動して当然の物理量です。
電荷の蓄積で電位を定量的に表現し、
電位の差を使って電圧(電位差)を明確にしました。
その功績は電位差の単位であるボルトとして残っています。

ボルタはまた、電池の発明でも成果を残しました。
世界初の電気貯蔵装置の開発です。
無論、初期の電池には危険性・貯蔵量・電圧の持続性
といった点で現代の物と見劣りするでしょうが
電気を貯めて持ち運びする発想は素晴らしいものです。
現代でも発展を続ける大事な技術です。





最後に、ボルタはナポレオンが大好きでした。
逆にナポレオンもボルタに敬意を示します。それだから、
ナポレオンの在位中にボルタは伯爵の称号を与えられています。











以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/01_初稿投稿
2020/12/23_改定投稿





OJISAN.png




【Eアンペール原稿】



アンペールの名は右ねじの法則で有名です。
つまり、一般的な右方向(時計方向)に
回していく事で進むねじを使った例えです。
そのねじを手に取ってみた時に
ネジ山のイメージが磁場で
ネジが進んでいく方向が電流の進む方向です。

別のイメージで例えると直注電流が流れる時に
ネジの尖った方が電気の流れる方向で
ネジ山方向が磁場の発生するイメージです。





アンペールの例えはとても直観的で
分かり易いと思えます。学者が陥りがちな
独善的説明ではなく、誰に伝えても「おおぉ。」
と感動出来る事実の伝達方法ですね。
また、アンペールはこの事実を伝えるために
二本の電線を平行に使い、
電気が流れる方向を同じにしたり・反対にしたりして
その時に電線が引き合い・反発する例を示しました。
この事は通電時の地場のイメージから明らかです。
導線の周りに発生する磁場を想像してみるとよいのです。
今でも子供に示せる素晴らしい実験だと思います。













以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/03_初稿投稿
2020/12/23_改定投稿





OJISAN.png



【Fハンス・エルステッド原稿】



その名は
ハンス・クリスティアン・エルステッド
; Hans Christian Ørsted

デンマーク黄金時代と呼ばれる時代があり
その時代のリーダーでした。
思考実験の概念を始めに打ち出した
人と言われています。正に
パラダイムシフトを起こした人です。
コペンハーゲンで活躍していて
其処は後に量子力学が出来ていく上で
重要な議論が交わされる場になります。





また、エルステッドは
童話作家のアンデルセンとは親友です。
また、エルステッドの兄弟はデンマーク
首相を努めました。







物理学者としての業績として大きいのは
電流が作る磁場の定式化です。
後のビオ,サバールの法則に繋がります。
エルステッドが物理学と深く関わる
きっかけとなったのはドイツのリッター
という物理学者との出会いでした。
エルステッド独自のカント哲学に
育まれた思想は後の物理学にはっきりした
方向性を与えたと思います。






エルステッドは多才な人物で、
博士論文ではカント哲学を扱っています。
他に美学と物理学でも学生時代に
賞を受けています。電流と磁場の関係も
カント哲学での思想、自然の単一性
が発想の根底にあったと言われています。

晩年は詩集を出版しています。
気球から始まった文章でした。












以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/04_初稿投稿
2020/12/23_改定投稿

【舞台別のご紹介】




OJISAN.png






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2021/01/13_改定投稿
posted by コウジ at 00:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ガウス_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

ヨハン・C・F・ガウス

【ヨハン・C・F・ガウス原稿】



ガウスは18世紀の数学者にして
物理学者にして天文学者です。

業績として大きいのはガウス分布、
ガウス関数、ガウスの最小自乗法、
ガウスの法則等でしょう。
電荷量が取り囲む曲面から計算される。
といった有名な法則です。
また、
よく使われているCGS単位系の中に
ガウス単位系とも呼ばれる単位系があります。

パトロンが生活を支えたり
していたという時代背景もあり
ガウスは教授となる機会は無かった
ようですが、デデキンドとリーマン
は彼の弟子だったと言われています。







以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/28_初稿投稿
2020/12/22_改定投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月13日

レンツ_【1/13_原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

ハインリヒ・レンツ

【ハインリヒ・レンツ原稿】



レンツはドイツ系ロシア人物理学者で
ロシアで生まれてます。

レンツは若き日にオットー・フォン・コツェブー
が中心となった第3回の世界一周調査のメンバー
として海洋環境の物理的側面を調査しています。
レンツは色々な港に立ち寄り海水成分を調べたり
したのでしょうか。私ならそこで釣りをして
生物学の研究に協力もしたいと思います。



さて、レンツの業績として有名なのは
レンツの法則ですね。その内容は変動磁場
との関連で、誘導起電力が発生しますが
その方向が初めの磁場発生を妨げる
方向に発生する。というものです。
実例としてコイルに磁石を近づけると
コイルに電流が発生して、それ故に
コイルが磁石化して磁石とコイルが
反発します。感覚的に分かり辛いのは
磁石から出る磁力線が空間を
伝わる様子です。現代の理解では
真空中でも伝わる電磁波ですが
レンツがもたらした様な知見があって
初めて分かると思います。それだから
実験を繰り返し、定式化した事は
とても素晴らしいと思います。
このレンツの法則は現代ではブレーキ
に応用されたりしています。

レンツの時代はマクスウェルと近く、
この時代は電磁気学が完成していく
時代だと捉える事が出来るでしょう。
現代人が使いこなす言葉、電磁波・
原子・電子・光電圧・・・
そういった知見のない中で磁力と電力
を関連させてエレクトロニクスへと
繋がっていく理論大系を作っていった
のです。まさにパラダイムシフトの
連続でした。目に見えない法則を使い
今やリニアモーターカーが動き回るのです。





またレンツは、ジュールの法則を独立して
導いていました。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2020/09/27_初稿投稿
2020/12/22_改定投稿






OJISAN.png

posted by コウジ at 20:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ハッブル_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。

エドウィン・パウエル・ハッブル

【エドウィン・パウエル・ハッブルの原稿】



ハッブルは近代を代表する天文学者で、
ハッブルの法則等が有名です。
そんな大天文学者ですが、
高校時代は陸上でイリノイ州の
記録を更新したりしていました。
そんな少年時代は後の人生と全く違いますね。
そして、大学時代はボクシングでならし、
とあるプロモーターから世界チャンピオンとの
一戦を持ちかけられたほどの強さでした。
これまた意外ですね。





ハッブルの業績で大きいのは
赤方偏移の発見でしょう。
1929年にセファイド変光星の観測から
明るさと変光周期の関係を観測していく事で
赤方偏移の考え方を導きました。





ハッブルが考えていた宇宙論では、
無論のこと実験は出来ません。
使える理論も検証の為に理論が
必要となる学問体系でした。
そこでハッブルのもたらした赤方偏移は
宇宙理論に明快な方向性を与え、
次なる考えにつながっていくのです。
赤方偏移の考えから
膨張宇宙論の考えが裏付けられて、ひいては
ビックバーン理論へとつながっていったのです。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2020/11/01_初稿投稿
2021/01/13_改定投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 10:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

オッペンハイマー_エドワード・テラー_山川 健次郎_ジョン・A・フレミング_ランダウ_ピーター・デバイ_L・オイラー【初回投稿9/21〜9/29の原稿】

まずリンク付き原稿を改定します。
その後に改定前の原稿を残します。。

@J・R・オッペンハイマー
Aエドワード・テラー
B山川 健次郎
Cジョン・A・フレミング
Dランダウ
Eピーター・デバイ
FL・オイラー



【@オッペンハイマーの原稿】



オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面もありますが、
UCB(バークレー校)では学生からオッピーと呼ばれていました。
彼の人生は喜怒哀楽に満ちています。

個人的な着眼点としては彼もユダヤ系の血を引いているという点です。
ヒットラーが民族としてのユダヤ人に焦点を当て迫害し、敵視していた
現実は動かしがたい事実です。強制収容所に連行されるような世相の中で
ユダヤ人達は非常な危機感を感じていたはずです。その危機感の中で
20世紀初頭の歴史は、天才たちが育ち・団結して新しい物を生み出し
ていたのではないでしょうか。この考えは幾多の人が繰り広げてきた
のではないかと思えますが、再度私も強調します。
具体的にはアインシュタイン・ボルン・そしてオッペンハイマーです。
(今は此処迄しか思い浮かびませんが後日、追記することになるでしょう)
それ程に
今世紀初頭の物理学の進展は急でした。その進展は物理学に留まらず、
工学、産業、果ては1979年ロシア革命に始まる社会体制の変化
にも繋がっていったと言えるのでは無いでしょうか。





実際、オッパンハイマーは最終的に6つの言葉を操ります。
少年時代には鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示し
ハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学します。
そこから理論物理学のゲッティンゲン大学に進み
ボルンと出会います。オッペンハイマーはボルンの
指導の下で研究を進め、
共同でボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。

その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学やUCBで
教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴いオッペンハイマーは
ロスアラモス国立研究所の初代所長に任命されます。
ここで原爆を開発したのです。この仕事は、
世界のパワーバランスを変え、後の世界を大きく変えました。





晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、
後悔の言葉さえ残しています。戦争時代の原爆開発・使用は
国としてのアメリカの中で必要と判断されていましたが
現代ではそれを使い各国が持つだけで攻撃対象とされたり
外交で脅迫の道具として使われていたりします。
そういったことにつながった発明をオッペンハイマーは
「罪」として捉え水爆の開発には反対していたりもしました。
オッペンハイマーには別の罪もあります。オッペンハイマーは
冷戦時代なので、学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、
最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。
常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)の監視下にあったのです。
1965年、がんの為にニュージャージーの自宅で静かに生涯を終えました。
合掌





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/21_初稿投稿
2020/12/19_改定投稿





OJISAN.png




【Aエドワード・テラーの原稿】



エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、
晩年のオッペンハイマーと対立します。

エドワード・テラーはハンガリーのブタペストで
弁護士の父と4か国語を使う母から生まれました。
ユダヤ系であったエドワード・テラーの父は職を追われ、
ハンガリー・ドイツ・アメリカと移住を重ねました。
ただ、学問の世界では良い出会いに恵まれています。
ハイゼンベルグの下で博士論文を書き、
ボーアとの居たコペンハーゲンで有益な時間を過ごします。





アインシュタインと共にエドワード・テラーは原爆の研究を
アメリカ政府に働きかけ、実際にその計画は進んでいきます。
そんな中、友人のランダウがソ連政府に逮捕された時期に
反共思想を持ちます。オッペンハイマーとの確執の
始まりが続きます。特に兵器としての利用に関しては
エドワード・テラーとオッペンハイマーは対極の立場をとります。

実際、
エドワード・テラーは原爆・水爆と兵器の開発の中心に居ました。
水爆を「My・Baby」と呼んでいたと言われています。
その立場は変わらず、生涯その事を悔いることはなかったと言われています。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/22_初稿投稿
2020/12/19_改定投稿





OJISAN.png





【B山川 健次郎の原稿】



山川 健次郎は日本初の物理学者です。
その家は会津藩の家老家で
戊辰戦争では健次郎は白虎隊に所属、
落ち延びた後に米国留学を果たし、
最終的には東大総長・京大総長を務めます。

実は私の家祖が会津藩・彰義隊でしたので
個人的に親近感を持っていたのです。ご縁を感じました。





山川健次郎は国費留学生として
イェール大学で学位を修めます。
また、東京駅の設計に携わった建築家・辰野金吾とは
奥様を通じて親戚関係となっています。

山川健次郎のお人柄を表すエピソードとして
日露戦争に関するものがあります。
当時、彼は東大で総長を務めていましたが、
愛国心に満ちた健次郎は陸軍に詰め寄り、
一兵卒として従軍させろ、と担当を困らせたそうです。
個人・家族・所属国家と意識が繋がっていたのですね。
その時にはもはや、賊軍だった頃の意識は無いのでしょう。


山川健次郎の時期の物理学会は諸外国との交流を感じさせません。
特にコペンハーゲン学派が次々と新しい知見を
もたらしていた時代に日本の物理学は黎明期にありました。
後の時代に原子核内の相互作用を解き明かしていく
若者達を育てていく時代だったのです。






山川健次郎自身の研究成果は余り伝えられていませんが
それよりも寧ろ、後輩達を育てる為の土壌を育んでいた
と考えるべきでしょう。

ただ、この時代に千里眼を巡る話題が世間を騒がせていましたが
それに対して山川健次郎は批判的で
冷静な立場をとっていたと伝えられています。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/23_初版投稿
2020/12/21_改定投稿





OJISAN.png




【Cジョン・A・フレミングの原稿】



まず、フレミングはケンブリッジで
マクスウェルの師事を受けました。

フレミングは左手の法則で有名です。
簡単に言えば「左手で直行三軸を作った時に
長い指から・電(でん)・磁(じ)・力(りょく)です。
より、細かく説明すると磁場中に電気が流れていると
その導線に対して力が生じます。
電(でん)・磁(じ)・力(りょく)をそれぞれ
q(でん)・B(じ)・F(りょく)で考えて
荷電粒子の速度をvとすると、外積:×を使って
F=q(v×B) です。高校レベルの天下り的な覚え方
ですが、現象として実験事実に即していると考えると
非常に洗練された結果であるとも言えますね。






また、真空管の発明者としても有名です。
今日の電子工学の始まりだとも言われています。
工学の世界で色々な発明を重ねました。







以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/23_初稿投稿
2020/12/21_改定投稿





OJISAN.png




【Dランダウの原稿】



ランダウは有名なユダヤ系ロシア人の科学者で
日本でも教科書を目にしたことがあるのではないでしょうか。





さて、ランダウは石油技術者の父と教育者の母から生まれます。
12歳で微分法を理解し、14歳で国立大学に入学、
物理数学科と化学学科を同時に履修します。
19歳で学士の称号を得るとレニングラード物理工学研究所で
電磁場注中での電子性質である量子電磁気学を研究していきます。
その後。コペンハーゲンにあるボーアの研究所で大きな影響
を受けました。その後、ケンブリッジでディラック・カピッツァ
と共同研究を進め所謂「ランダウ反磁性」の研究をまとめます。
その後にチューリッヒでパウリと共同研究をした後に
ランダウはレニングラードに戻りました。




ランダウの幸せだった時期を中心に記載しましたが
モスクワの研究所で要職を務めていながらスタ
posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月12日

オッペンハイマー_【原稿改定】

まずリンク付き原稿を改定します。

その後に改定前の原稿を残します。。

「ボルン・オッペンハイマー近似」
という言葉で出てくる2人の組み合
わせが、どうも今迄ずっと
しっくりきていませんでした。
今回調べてみて納得です。

時代的、政治的に複雑な環境に晒された
オッペンハイマーですが、色々語る個所
はあるかと思えます。ご高覧下さい。


@J・R・オッペンハイマー

【オッペンハイマーの原稿】



オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面もありますが、
UCB(バークレー校)では学生からオッピーと呼ばれていました。
彼の人生は喜怒哀楽に満ちています。

個人的な着眼点としては彼もユダヤ系の血を引いているという点です。
ヒットラーが民族としてのユダヤ人に焦点を当て迫害し、敵視していた
現実は動かしがたい事実です。強制収容所に連行されるような世相の中で
ユダヤ人達は非常な危機感を感じていたはずです。その危機感の中で
20世紀初頭の歴史は、天才たちが育ち・団結して新しい物を生み出し
ていたのではないでしょうか。この考えは幾多の人が繰り広げてきた
のではないかと思えますが、再度私も強調します。
具体的にはアインシュタイン・ボルン・そしてオッペンハイマーです。
(今は此処迄しか思い浮かびませんが後日、追記することになるでしょう)
それ程に
今世紀初頭の物理学の進展は急でした。その進展は物理学に留まらず、
工学、産業、果ては1917年ロシア革命に始まる社会体制の変化
にも繋がっていったと言えるのでは無いでしょうか。





実際、オッパンハイマーは最終的に6つの言葉を操ります。
少年時代には鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示し
ハーバードを3年で終えてケンブリッジに留学します。
そこから理論物理学のゲッティンゲン大学に進み
ボルンと出会います。オッペンハイマーはボルンの
指導の下で研究を進め、
共同でボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。

その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学やUCBで
教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴いオッペンハイマーは
ロスアラモス国立研究所の初代所長に任命されます。
ここで原爆を開発したのです。この仕事は、
世界のパワーバランスを変え、後の世界を大きく変えました。





晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、
後悔の言葉さえ残しています。戦争時代の原爆開発・使用は
国としてのアメリカの中で必要と判断されていましたが
現代ではそれを使い各国が持つだけで攻撃対象とされたり
外交で脅迫の道具として使われていたりします。
そういったことにつながった発明をオッペンハイマーは
「罪」として捉え水爆の開発には反対していたりもしました。
オッペンハイマーには別の罪もあります。オッペンハイマーは
冷戦時代なので、学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、
最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。
常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)の監視下にあったのです。
1965年、がんの為にニュージャージーの自宅で静かに生涯を終えました。
合掌





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/21_初稿投稿
2020/12/19_改定投稿





OJISAN.png


【原稿此処まで】
posted by コウジ at 19:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

JJトムソン_バーディン_クーパー_シュリーファー_平賀源内_パウリ_ゾンマーフェルト【初回投稿9/14~9/20の原稿】

以下に草稿を残します。各項は、適時改定致します。

@JJトムソン
Aバーディン
Bクーパー
Cシュリーファー
D平賀源内
Eパウリ
Fゾンマーフェルト

【@JJトムソンの原稿】


その名は正確にはジョゼフ・ジョン・トムソン
【Sir Joseph John Thomson】。

イギリスのJ・J・トムソンは同位体の発見者です。
指導者としてはラザフォード、
オッペンハイマー、ボルンの師であり
物理学の発展に大きく貢献しました。





また、電子の実在を形にしていった
一人でもあります。電子を発見したか
については異論があるかも知れませんが
いくつかの洗練された実験で、
トムソンは電子の単位量を決めて
特定原子の同位体をしめしました。



そして今、いくつもの偉業を遂げ
J・J・トムソンの亡骸は
ニュートンの墓のすぐ近くに眠っています。
英国の生んだ偉人として。



以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/09/14_初回投稿
2020/12/19_改訂版投稿






OJISAN.png





サイト運営者の皆さん。見てみて下さい。

【Aバーディンの原稿】


本稿は何度か追記する事になるでしょう。
とても関心のある低温電子物性だからです。

さて、バーディンは二回のノーベル賞を受けています。
一回目はトランジスタの発明、二回目は以下に記載する
BCS理論です。



前述したカメリー・オネスの発見以後、
色々な考えが試みられたでしょうが、
イリノイ大学のバーディンを中心とした
3人がBCS理論を確立します。
バーディン、クーパー、シュリーファ
3人の頭文字を使いBCS理論と呼ばれます。
このコンビの始まりはバーディンが
クーパーを招聘する事から始まります。
そこにバーディン研究室の大学院生、
シュリーファが加わり研究が進みます。




その中身はフォノンを介した電子対が
スピンを打ち消し合って結合する
という理論でした。相転移温度を
その理論で説明し、今日の超伝導理論の
基礎となっています。



そもそも、金属中を移動する電子を単純な
質点のモデルで考えると正の荷電をもった
原子核の間を負の電荷が自由自在に
動き回る事は到底出来ません。何らかの相互作用
が起きて抵抗に繋がります。ところが、
電子の波動関数を考え、波動的側面が顕著に
現れる状態を作っていくのが超伝導現象
と言えます。その条件として大事な尺度
の一つが温度だったのです。










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/15_初稿
2020/12/21_改定





OJISAN.png


【Bクーパーの原稿】


初めに、本稿は関連用語の解説が
中心となリます。今後も含め、
分かり易い内容にしたいので
超伝導現象を明らかにした方が良い
と感じたからです。既に内容を
ご承知の方にはしつこく感じるかと。
そうでしたらごめんなさい。




クーパーはバーディン等と共に
BCS理論を確立しました。
クーパーはユダヤ系です。
賢い人種ですね。

そもそもBCS理論の大事な考え方
であるクーパー対をクーパーは
26歳の時に纏めています。





さて、本題。1911年のカメリー・オネス
の発見により通常の伝導性とは異なる
超伝導状態が存在すると明らかになりました。
定量的には絶対零度近くの
マイナス273℃=ゼロ・ケルビン(k)に近づくと
超伝導現象が起きます。その時は抵抗値ゼロです。
例えばニオブ(Nb)は9.22ケルビンで
超伝導状態になります。超伝導状態への
転移を上手く説明した理論がBCS理論で
あってそこでのCはクーパーの名前に
由来します。




ここで別の側面から超伝導状態を考えます。
温度を下げ相転移温度で超伝導現象が起きると
電流を流した時に抵抗値がゼロになりますが
同時に相転移温度で磁界に対して
変化が生じます。現時点での応用として
リニアモーターカーがあげられます。
細かくは超伝導体の内部で内部磁場が
ゼロになり、外部からの磁界を遮断します。
超伝導状態になった時に磁石が浮かぶ
写真は有名な例えですね。更に磁石は
極性を持ちますから、ラダーと呼ばれる
軌道で極性を切り替えていく事で
リニアモーターカーは進むのです。
この完全反磁性またはマイスナー効果
と呼ばれる現象は超伝導現象での
特徴の一つです。

ここで関連して磁力線について
整理したいと思います。
ご存知の通り磁石はNとSからなり
磁力を持ちます。一般的に模式図で
示される様に磁力線は片方から他方へ
ゆったりした曲線で繋がっていきます。
所が超伝導現象では内部へ磁力線が
侵入出来ない様な現象が起きます。
相転移の前後で形が突然変わります。
更には変化の違いで第一種超伝導体
と第二種超伝導体に物質によって分かれます。

これらの現象を理解する為にクーパー等
が確立したBCS理論が役立つのです。

この考えが発展していき、現代では相転移の温度が
どんどん高くなっています。実用上は常圧化で相転移を
起こすことが大事になっていますので
液体ヘリウムよりも安価な液体窒素で冷やせる
事が望ましいのです。実際、液体窒素の沸点は−196℃
ですので現在は、液体窒素で冷やす事で
相転移を実用出来る素材を中心に研究が行われて居ます。
さらなる進展に期待しましょう。










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/16_初稿
2020/12/21_改定





OJISAN.png


【Cシュリーファーの原稿】


BCS理論を作った3人のなかで
SはシュリーファのSです。




シュリーファはもともとMITで
半導体の研究をしていました。
半導体表面での電子の振る舞いを
研究していて、後に超伝導に移ります。

シュリーファがBCS理論をまとめた後、
世界での研究は常温での超伝導実現
に向けた研究が進んでいます。
高圧環境下で現象を起こしたりして
マイナス百数十ケルビン程度まで
転移温度は近づいてきています。
私が研究していた時代には
青学の秋光先生や東工大の細野先生
が挑んでいました。それぞれご存命
かと思われますので詳細は控えます。
科学史と言うより最前線に近いかと。




話し戻って、シュリーファは
晩年に自動車事故を起こし
人を殺めてしまい、懲役を課されています。
晩年に残念な事です。










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/17_初稿
2020/12/21_改定





OJISAN.png


【D平賀源内の原稿】


少し時代が古いです。
平賀源内は江戸時代、田沼意次が老中
を努めていた時代で多彩な能力を発揮
しています。物理学関係に留まらない。

そもそも、平賀源内は讃岐の国
に生まれます。家祖は信濃源氏の平賀氏。
平賀氏は武田氏に敗れ、一度、改姓して
源内の時代に平賀姓に復姓しています。





平賀源内が手掛けた分野は医学、薬学、
漢学、浄瑠璃プロデュース、鉱山の採掘、
金属精錬、オランダ語、細工物の販売、
油絵、俳句と多岐にわたりました。

その一つが発明で平賀源内は
物理現象の啓蒙に一役買っているのです。
所謂、エレキテルの紹介ですね。
エレキテルは不思議な箱で
内部にガラスによる摩擦起電部、
蓄電池を持っています。
実の所、平賀源内が発明したというより
オランダ製の物を平賀源内が紹介した
訳ですが江戸時代の庶民達には
摩訶不思議な魔法に見えたでしょうね。
また、平賀源内の現象理解は現在の学問体系
とは大きく異なっていたようです。


バイト探しは【プチジョブ】






以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/18_初稿投稿
2020/12/19_改定投稿





OJISAN.png


【Eパウリの原稿】


パウリの排他率律で有名です。
排他律を排他率と書いてしまいがちですが排他律です。
またはパウリの原理と呼ばれています。
1945年にアインシュタインの推薦でノーベル物理学賞を受けています。
ミドルネールのエルンストはパウリが尊敬するマッハに由来します。
父方はユダヤ人で有名な出版社を経営していたようです。

さて、排他律の具体的な内容に関してですが、
ナトリウムの分光実験から話が始まります。
再現性の高い事実として磁場付加時の分光は
電子の自転に由来するという仮説を立て、
後にそれをスピンと呼ばれます。新しい量子的自由度です。
後に行列力学を基盤とした定式化を行い数学的に表現します。





個人的に興味を引くのはミュンヘン大学でパウリが
ゾンマーフェルトの師事を受けている点です。
私が薫陶を受けた先生がゾンマーフェルトを研究していて
マッハの名前もその先生から教えてもらいました。
そして、マッハ・ゾンマーフェルト・パウリとつながったのです。

私の頭の中での奇妙な三角関係はさておき、
パウリは人間的にも面白いところがあります。
博士号を習得した直後、パウリはゾンマーフェルトに
独逸語での百科事典の記事執筆を依頼されます。
内容は相対性理論で二か月ほどをつかって完成させました。
結果はアインシュタインの査読にかなう見事なもので
今日においても読み応えのあるものとなっているそうです。

更に妙な繋がりは心理学者C・G・ユングとの関連です。
パウリは離婚後に精神を病んでいた時期がありました。
今や、夢分析の世界で有名なユングに完璧主義者のパウリ
が出合ったのです。先生と生徒という関係を築き、
生徒としてユングにパウリは科学的な批評を加えます。
互いに有益な関係だったのでしょう。

そして、パウリは最後まで愛したものを愛し続けました。
戦争での苦難の時代の後に帰国して、病床でも完璧主義者として
見舞客と議論を続けました。その中で語り継がれている話ですが、

もし、パウリが神に謁見したら、
神に微細定数 1/137.036...の
理論的根拠を尋ねたとしたら、
神様は物凄い速度で計算式書き連ねるだろう。その後、
きっとパウリは「違う!」と唱え話し続けるであろう。

よもや、神様さえも「あ!」と唱えるのではないか、
と不遜にも想像してしまいました。






以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/19_初稿投稿
2020/12/19_改定投稿





OJISAN.png


【Fゾンマーフェルトの原稿】


ゾンマーフェルトは
パウリとハイゼンベルクの指導をして
育て上げた事で有名です。
個人的な印象では積分の経路に
工夫を凝らす人だという印象です。
そこがまさに電子軌道の自由度を
考える事に繋がっていたかと。





ゾンマーフェルトの考えは
単純な円軌道で電子が運動しないで
楕円の軌跡を描く筈だと言う物です。

こういった話をしていて感じるのは
どうやっても見えない世界に
何とか形を与える事は素晴らしい、
と云うことですね。





実際に形を与える事は文化的発展
に繋がり世界を変えていくのです。
ダイナミックな世界かと。

日々の暮らしでは
感じられない世界です。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/20_初稿投稿
2020/12/19_改定投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月11日

19世紀生まれの偉人達のまとめ_【原稿改定】

以下に草稿を残します。
リンクをつけた本稿は改定致します。


【以下は元原稿】
これまでこのブログで取り上げた人々の中で
19世紀に生まれている方をまとめました。
私が特に興味を持つ変革期を作っていくメンバーが生まれてます。
年齢順に見てみると新たな視点が生まれますよ。ご参考に。


サティエンドラ・ナート・ボース_1894年1月1日 ~ 1974年2月4日

アーサー・コンプトン_1892年9月10日 ~ 1962年3月15日

ルイ・ド・ブロイ_1892年8月15日~1987年3月19日

ジェームズ・チャドウィック
_1891年10月20日 ~ 1974年7月24日

エドウィン・パウエル・ハッブル
_1889年11月20日 ~ 1953年9月28日

ヴァルター・ゲルラッハ
_1889年8月1日 ~ 1979年8月10日

ハリー・ナイキスト
_1889年2月7日 ~ 1976年4月4日

オットー・シュテルン
_1888年2月17日 ~ 1969年8月17日

シュレディンガー
_1887年8月12日 ~ 1961年1月4日

ニールス・ボーア_1885年10月7日 - 1962年11月18日

西川 正治
_1884年12月5日 ~ 1952年1月5日

ピーター・デバイ
_ 1884年3月24日 ~ 1966年11月2日 そして今後の運営方針

マックス・ボルン 1882年12月11日 ~1970年1月5日

石原純(あつし・じゅん)_1881年1月15日 ~ 1947年1月19日

ポール・エーレンフェスト
_1880年1月18日 ~ 1933年9月25日

アルベルト・アインシュタイン_1879年3月14日 〜 1955年4月18日

寺田 寅彦_1878年11月28日 ~ 1935年12月31日

高木 貞治
_1875年4月21日 ~ 1960年2月28日

ポール・ランジュヴァン
_1872年1月23日 ~ 1946年12月19日

アーネスト・ラザフォード
_1871年8月30日 ~ 1937年10月19日

マリ・キュリー
_1867年11月7日 ~ 1934年7月4日

ピーター・ゼーマン
_1865年5月25日 ~ 1943年10月9日

ヴィルヘルム・C・W・ヴィーン
_1864年1月13日 ~ 1928年8月30日

マックス・プランク_Max・K・E・L・Planck_1858年4月23日 ~ 1947年10月4日

ハインリヒ・R・ヘルツ
_1857年2月22日 ~ 1894年1月1日

J・J・トムソン
_1856年12月18日~1940年8月30日

ニコラ・テスラ
_1856年7月10日 ~ 1943年1月7日

山川 健次郎
_1854年9月9日 ~ 1931年6月26日(日本)

アンリ・ポアンカレ
_1854年4月29日 ~ 1912年7月17日

H・A・ローレンツ
_1853年7月18日 ~ 1928年2月4日

アルバート・A・マイケルソン
_1852年12月19日 ~ 1931年5月9日

ジョン・A・フレミング
_1849年11月29日 ~ 1945年4月18日

トーマス・A・エジソン
_1847年2月11日 ~ 1931年10月18日

ヴィルヘルム・C・レントゲン
_1845年3月27日 ~ 1923年2月10日

ルートヴィッヒ・E・ボルツマン_Ludwig Eduard Boltzmann,_1844年2月20日 〜 1906年9月5日

第3代レイリー男爵_J・W・ストラット
_1842年11月12日 ~ 1919年6月30日

エルンスト・マッハ_ 1838年2月18日 ~ 1916年2月19日

J・C・マクスウェル:James Clerk Maxwell_1831年6月13日 ~ 1879年11月5日

ウィリアム・トムソン
_1824年6月26日 ~ 1907年12月17日

長岡半太郎_1865年8月19日 ~ 1950年12月11日

カメリー・オネス_Heike Kamerlingh Onnes_1853年9月21日 ~ 1926年2月21日

ウィラード・ギブズ
_1839年2月11日 ~ 1903年4月28日

A・H・ルイ・フィゾー
_1819年9月23日 〜 1896年9月18日

レオン・フーコー_Foucault_1819年9月18日 ~ 1868年2月11日

ハインリヒ・レンツ
_1804年2月12日 ~ 1865年2月10日








【舞台別のご紹介】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/9/14_初稿投稿
2021/01/11_改定投稿





OJISAN.png




posted by コウジ at 16:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

南部 陽一郎_フック_ミリカン_朝永 振一郎_ボーズ_フェルミ_長岡半太郎【初回投稿_9/10~9/13】

以下に草稿を残します。各項は、適時改定致します。

@南部陽一郎
Aロバート・フック
Bロバート・ミリカン
C朝永 振一郎
Dサティエンドラ・ナート・ボース
Eエンリコ・フェルミ
F長岡半太郎

【@南部陽一郎の原稿】


南部 陽一郎は第二次世界戦時に研究を志しました。
所が、時は第二次大戦中。彼の頭脳は
武器製造に貢献できると判断されて、
陸軍のレーダー研に配属されました。
どんな研究をしていたんでしょうね。
そして、どんな気持ちだったのでしょうね。



戦後、南部 陽一郎は朝永振一郎のグループ
で研究を続けます。そして物質を構成する
原子を考えていき、今に続く素粒子論を
完成させていきます。中間子をひもとき、
素粒子間の総合作用を考え、その形成に
関して実験事実と、つじつまの合う理論を
展開していきます。そうした研究を重ね
南部陽一郎は自発的対称性の破れで
ノーベル賞を受賞しています。
また彼は量子色力学や紐理論でも
成果を上げています。



そういえば、南部洋一郎は私が学生時代に
使っていた教科書の著者でした。
その時点で米国の国籍を得ていた記憶
があり、研究者に対しての日本での待遇に
疑問を抱いたものです。



ダイソン・私も使ってます♪


私は理論物理学の研究室に所属していましたが、
卒業後も研究を続けて研究者として身を立てて
いる仲間は今では数えるほどしかいません。
多くは私のように、民間の会社に所属して
物理学とは全く関係のない業務に従事しています。





少子化という流れもありますが、
名誉職としての教授に対して日本社会の扱いは
低いとも感じていました。それだから
南部 陽一郎がアメリカに帰化した気持ちは
少し理解できます。







以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/10_初版投稿
2020/12/09_改定投稿





OJISAN.png




【Aロバート・フックの原稿】


イギリスに生まれたフックは若い時代にボイルの
下で実験助手を務め、様々な経験を積みます。
そしてまた、ユークリッドの原論や力学、
光の屈折など様々な考え方を
身に着けていきます。



この紹介を書くにあたり調べ直してみた所、
最終的にフックは寂しい人生を送っています。
フックには子孫が居ませんでした。また、
同時代のニュートンに比べ業績は見劣りします。
年配のフックをニュートンは敬っていた
ようですが最後はどうしても論戦になり、
科学的な思考の深さと明快な視点で
反論されてしまったのでしょう。



とはいえ、その業績は特筆に値します。
有名な仕事はバネでの、フックの法則です。
ばねに働く力が長さの一乗に比例する
という法則は非常に明快で今でも
色々な分野に応用されています。



また、惑星間に働く力が距離のマイナス
2乗に働くという法則もフックの発案で
あるという主張もありました。
もはや今となっては真相は不明です。
理論として体系立てることも大事ですが
先ずは気付きを与えるという事も大事
です。その意味でフックは議論をしてた
というだけで素晴らしいと感じます。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/11_初版投稿
2020/12/10_改定投稿





OJISAN.png




【Bロバート・ミリカンの原稿】


ミリカンは非常に優れたアメリカの実験家でした。
光に粒子性と波動性がある事を実証していく段階で
波動性を前面に出した理論を展開していきます。

ただ、実験事実として粒子性を使った実験が
非常につじつまの合う結果を出していたことに
ミリカン自身も自問自答を繰返したと思えます。
結果としてアインシュタインが論じた光電効果を
ミリカンも実験的に裏付けます。また、そうした
実験と光の波長からプランク定数を定めました。





加えて、電気素量を導き出した実験も見事です。
金属板の間の油滴の運動を考え、ミリカンらは
重力の効果に対してクーロン力の兼ね合いを考えて
厳密に計測値が求まる油滴の重量から
電気素量を導きます。



この2つの業績でミリカンは
ノーベル賞を受けました。
また、ミリカンは非常に優れた教育者として
多くの教科書を世に送り、
その中で少し先んじた概念を紹介しています。
更にミリカンはカリフォルニア工科大学の
創設に大きく関わりました。
今でも同大学に彼の名を冠した建物があるそうです。
【そもそも米国の通例で、1号館と言う代わりに
ミリカン・ホールという名をつけたりします】









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/12_初稿投稿
2020/12/11_改定投稿





OJISAN.png




【C朝永振一郎の原稿】


朝永振一郎は私が使っていた教科書
【Diracの「量子力学」】の訳者でした。
そのご先祖様は大村藩((現在の長崎県内
にありました)の流れをくみます。
そんな彼の父は京都大学哲学科教授でした。





また、朝永振一郎は現在の筑波大学の前身
となった大学、東京教育大学で教鞭をとり、
最終的には学長を務めます。
東京に生まれ京都で育ち、世界で議論しました。



朝永振一郎の研究業績で私が最も偉大であると
思えるのは繰り込み理論です。
ファインマン・ダイアグラムと呼ばれる
不可思議な模式図で表現される現象がありますが、
そこでの素粒子の反応過程と数学的矛盾を
見事に説明しています。
ファインマンの経路積分にも数学的な美点を
感じますが朝永振一郎の理論の方が直感に訴える
説得力を持っています。好みといえば好みの
問題ですが。



朝永振一郎の理解で量子電磁気学の整理が進み、
素粒子物理学が大きく進歩したのです。

朝永振一郎はまた晩年、大学入学以前の若者に対し
科学的な啓蒙を進めていたと聞いています。




また、朝永振一郎は湯川秀樹と同期でした。
それぞれの形で当時の物理学で完成形を作り上げたのです。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/12_初稿投稿
2020/12/12_改定投稿





OJISAN.png



【Dサティエンドラ・ナート・ボースの原稿】


ボーズ(BOSE)は珍しいインド人物理学者です。
以下、ボーズの名前に濁音がついていますがご了承下さい。「ズ」の所。
BEC(ボーズアインシュタイン凝縮)・ボゾンといった用語で議論
していた時代の癖がどうしても消えません。そもそも、ここに拘っている人は少ない印象です故。





さて、インドは独自の数学体系を持ち
計算(暗算)方式も独自の形式を持ちます。
そんな学問体系で素粒子の世界に挑んだボーズは
統計力学で今世紀初頭にEinsteinと共に
今でいうBOSE粒子群(BOSON)の振る舞いを定式化するのです。




前段の知識として後世の理解で整理すると
素粒子はスピン角運動量の数でBOSONとFERMIONの
二種類に分かれます。いわゆる凝縮系の世界でも
BOSONは特異な振る舞いを示します。
具体的にBOSONとは光子、音子、ウィークボソン、グルーオン、
π中間子やK中間子、D中間子、B中間子はスピン0、ρ中間子、等で
スピンの奇遇性からボゾンに分類されて、
BOSE−EINSTEIN統計に従います。





ただ残念な事に西洋の学者と異なり、
インド系のボーズは「人となり」が伝わっていません。
何よりボーズの業績である、BOSONで名を残しています。
私がインドに行って調べたいくらいですが
あいにく機会ができません。いつか調べてみたいと思っています。





以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/09/12_初回投稿
2020/12/19_改訂版投稿






OJISAN.png



【Eエンリコ・フェルミエンリコ・フェルミの原稿】


フェルミはイタリアのローマに生まれアメリカで死没しています。
その業績は社会的側面が大きいものもある一方で
純理論を突き詰めた後世の誰しもが使う原理・概念もあります。
まさにパラダイムシフトを起こした立役者です。



そもそも、フェルミは学生時代から抜きん出た優秀さを備えています。
一歩一歩、フェルミは議論を展開してノーベル賞を受け、
その授賞式の際にイタリアからアメリカに亡命しました。
その後。フェルミは有名なマンハッタン計画に参画し、原子力発電所
の創設に携わり、フェルミは社会を大きく変えていきます。
アメリカを中心とする資本主義圏が自由を謳歌した点で
フェルミの業績は計り知れないです。反面でスリーマイル島の事故や
福島での原発事故を思い起こすと、気楽に賞賛ばかりはしていられません。




このブログの中で私が何回か主張しているように識者が
知恵を集結して問いかけなければいけません。かっての
ラッセルーアインシュタイン宣言のように。一方で
我々、大衆も皆さんが分かる範囲の言葉を使い意見を交わさねば。
民衆の英知を集結させるべきです。政治家に頼れない昨今です。





さてフェルミに戻します。フェルミは純理論の中で
スピン角運動量に関して議論を進めました。別のご紹介でボゾン・アインシュタイン
の系を紹介しましたが、フェルミとディラックは別の粒子群に着目します。
後世の理解ではスピン角運動量が半整数(1/2とか3/2とかいった数)
の粒子はフェルミ粒子(フェルミオン)と呼ばれボゾンとは別の振る舞いを示します。
具体的なフェルミオンとしてはクォークや電子、ミュー粒子、
ニュートリノ、陽子、中性子もフェルミ粒子の仲間です。
こうした概念は伝導率の物性を議論するときには欠かせません。




こうして沢山の業績を世に残し、フェルミは天に召されました。
彼は病床で点滴が落ちるのを眺めて、その流速を出していたと言われています。
フェルミこそ、生粋の物理学者でした。謹んでご冥福をお祈り致します。





以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/09/13_初回投稿
2020/112/19_改訂版投稿






OJISAN.png




【F長岡半太郎の原稿】


この長岡半太郎も湯川秀樹同様に大村藩の流れ。
学生時代は山川健次郎やボルツマンに学びます。





長岡半太郎の研究業績として大きいのは、
なんと言っても原子モデルでしょう。
トムソンがブドウパンの中のブドウの形で
電子の存在を仮定していたのに対し、
長岡半太郎は原子の周りを電子が回転
する土星のようなモデルを提唱しました。





今日の物理学、特に量子力学的な知見では
不完全なモデルとも言えますが、
長岡半太郎のモデルは当時の原子モデルを
大きく変えた点で高く評価出来ると思えます。
素晴らしいパラダイムシフトでした。





以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/09/13_初回投稿
2020/12/19_改訂版投稿






OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月10日

纏めサイトのTOPを更新しました【原稿改定】


鎧.png
Cewdit: Nic Shuliahim

外出自粛の中で皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私のサイトでも色々な所を
ちょこちょこ直しています。見た目とかも。

そんな中で著名ブロガー「マナブさん」の
ご推奨の素材集を使ってます。良いすよ。

さて本題。纏めサイトでTOP画面を更新しています。

纏めサイトTOP画面

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返事できていませんが
漏れなく読んでいます。
ご指摘箇所は改定をしてます。

nowkouji226@gmail.com

2021/01/10_初稿投稿

【舞台別のご紹介】




OJISAN.png


posted by コウジ at 11:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

舞台別のご案内【原稿改定】

以下に草稿を残します。元原稿は、適時改定致します。

【以下は元原稿】
古今東西、様々な科学の議論がなされてきましたが
このホームページでもそろそろ議論の場所を意識したい
と考えました。科学技術が世界共通の財産である、
と言いたいですね。いつまでも。

<国別>

アメリカイェール大_UCB_等】
イギリス
【ケンブリッジ大_オックスフォード大_等】
イタリア
【ボローニャ大学、パドヴァ大学、等】
オーストリア_
オランダライデン大_デルフト工科大_等】
ドイツ【プランク研究所_等】
デンマーク【コペンハーゲン大学・ボーア研究所_等】
日本東京大学_京都大学_等】
フランス【ソルボンヌ大学、等】

以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/01_初稿投稿
2020/12/06_改定投稿





OJISAN.png



posted by コウジ at 10:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

マクスウェル_カメリー・オネス_ボルツマン_アインシュタイン_湯川秀樹_プランク_寺田寅彦_【初回投稿9/4から9/14の原稿】

以下に草稿を残します。各項は、適時改定致します。

@J・C・マクスウェル
Aカメリー・オネス
Bルートヴィッヒ・E・ボルツマン
Cアルベルト・アインシュタイン
D湯川秀樹
Eマックス・プランク
F寺田 寅彦

【@マクスウェルの原稿】


マクスウェルは電磁気学を確立しました。
そこでは場の理論の基礎を作りあげ、
電場と磁場の関係をマクスゥエル方程式
で関連付けてまとめ上げ定式化をしたのです。
更には、直行する電場と磁場からなる「電磁波」
の関係を数式として確かにして、その進行相度が
光速度となる事を理論的に導きました。






当時の物理学者は多面的に現象を論じていて
マクスウェルも光学・熱力学で業績を残します。
電磁波が光学的に縦波・横波で議論されています。
現代では高校レベルの知識ですが
当時、説明するのは大変だったと思います。







マクスウェルの業績で個人的にもっとも評価したいのは
場の考えの確立です。静的な意味での場と時系列で変化する
動的な意味での場は大きく違うと思えます。
マクスゥエルは後者の意味の場を
定式化して後の理論家達に道を示したパイオニアでした。








以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/04_初稿投稿
2020/12/02_改定投稿





OJISAN.png


【Aカメリーオネス原稿】


その名はより正確にはヘイケ・カマリン・オンネス
(Heike Kamerlingh Onnes)今日、 日本では
カーメルリング・オンネス、カマリン・オンネスや、
カマリン・オネスなど数パターンでカタカナ表記さ
れていますが、本稿ではカメリー・オネスとします。

「ライデン大学実験物理学教授」この称号が
カメリー・オネスの人生をよく表しています。
彼は生涯オランダのライデン大学で教鞭をとり、
実験によってかってない世界を切り開きました。





カメリー・オネスはドイツのハイデルベルク大学
に留学してキルヒホッフ等の師事を受けたと
言われていますが、特に帰国後にライデン大学で
「ファン・デル・ワールスと出会い、彼との議論を
通じ、低温における物理現象に興味を抱くように
なった」【Wikipedia】
と言われていて、ライデン大学での繋がりが
低温物理学に興味を抱く大きなきっかけ
だったようです。



特に温度を下げていく過程で電子の振る舞いが
どうなるか。それに対しての回答として
カメリー・オネスは超電導現象を示しました。
実験的に再現性のある現象として示す事で
さらなる理論の土台を築いたのです。





格子間を運動する電子が電気的性質、磁気的特性
を温度変化に応じてどう変えていくかに対して
異なる考えがあった時にカメリー・オネスは
事実を実験によって明確に示したのです。
絶対零度では抵抗はゼロになりました。
一つの予想を実験結果で証明したのです。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/05_初回投稿
2020/12/03_改定投稿





OJISAN.png


【Bボルツマン原稿】


オーストリアにあるボルツマンの墓には
S=k LogWと書かれています。
ここでいうSとはエントロピーというパラメターで
事象の乱雑さを表します。
k(またはkBと記載します)というパラメター
を定めてボルツマンが定量化した概念です。

乱雑さは統計力学で温度T、容積V、圧力P等と関連して
ボルツマンの関係式として定式化されました。





ボルツマンの研究業績の中で特に私が関心をもつのは
原子論に関しての関わりです。当時、観測に直接かからない
原子は色々な見方をされていました。そんな原子に対して
ボルツマンは「乱雑さ」または「無秩序」の度合いという
新しい物理量を使い原子の実在に近づいていったのです。





結果として
対立する考えが学会で生じていて
原子モデルを使うボルツマンと、
実証主義で理論を進めるマッハの間で論争が続きます。
そして、残念なことに晩年は精神障害に悩み、
自ら命を絶つという悲しい最期を遂げています。

彼はピアノが好きでした。




花を手向ける場所がありますよね。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/05_初回投稿
2020/12/04_改定投稿








【学術論文を書く時は英語必須です】

OJISAN.png




【Cアインシュタイン原稿】


現時点で最も有名な物理学者ではないでしょうか。アインシュタインは
パラダイムシフトを起こし近年、物理学に大きな変化をもたらしました。

特に、1905年に26歳のアインシュタインは3つの歴史的な論文を発します。
「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」です。
光量子化説は光の性質を突き詰め量子化しているもの、
ブラウン運動は花粉の動きから分子の乱雑な動きを解析、
特殊相対性理論は速度を増し光速度に近づく物体の考察。
こういった考察から空間・時間の概念を変え、
ミクロの物質の考察を進めています。色々な学者と討議を重ね
現実に対しての理解を深めていきます。





ユダヤ系であるので彼は大変苦労しています。
当時のドイツはナチスの時代ですから
ホロコーストが実際にあったのです。
また、アインシュタインはドイツの為に
原爆の製造をすることに貢献出来た筈です。

実際には崩壊していくドイツ帝国を去り
アメリカでマンハッタン計画に加わります。
個人の物理学者として
多少の無力感を感じていたのではないでしょうか。




苦労人のアインシュタインは数々の名言を残していますが、
私が好きな言葉を最後に残します。アインシュタインの意志の強さを感じます。

「think and think for months and years. Ninety-nine times, the conclusion is false.
  The hundredth time I am right.」
私は、数ヶ月も何年も考え続けます。99回まで、その結論は正しくないですが、
 100回目に正しい答えを出すことができるのです。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/06_初稿投稿
2020/11/28_改定投稿





OJISAN.png


【D湯川秀樹】


湯川秀樹は朝永振一郎と同じ時代を生きています。
互いに刺激しあう関係を築き、共に時代のテーマに取り組んでいます。
伝記を読んでいくと彼が情熱を持って取り組んでいた様子が分かります。
色々な所で引用されているのですが「アイデアの秘訣は、執念である。」
と明言しています。一見、不可解な現象を紐解き、単純明快な原理を抽出
する仕事をしてきたのです。そもそも、湯川秀樹の関心は物質の相互作用
であって、その世界は全く目に見えません。彼は情熱で綿密に話を組み立
てます。重力・電磁力以外の微細粒子間の相互作用を引き起こす「強い力」
に着目して議論を進めました。






湯川秀樹の時代には場の考えが発展していて
原子の中での相互作用を湯川秀樹は中間子という概念で
更に広げていったのです。ボゾンの一つとして中間子を仮定して
強い力を説明してみせたのです。



湯川秀樹の業績は京都大学の原子力研究を初めとして
日本の物理学者たちに引き継がれています。
個人的なご縁としては私が幼少時代を過ごした東京板橋にあった理化学研究所
の分室で教鞭をとっていたようです。少し時代がずれますが、私の故郷で彼が
活動していたと思うと不思議な気持ちです。ノーベル賞受賞者の朝永振一郎も
そこに居ました。最近までは、理化学研究所は本駒込にも拠点があり、
今でもホンダ朝霞の近くに拠点があります。何故か、と調べを続けていったら
埼玉県にある平林寺に創始者の一人である大河内氏の墓所があります。そんな、
理化学研の霊的な側面を知って、私は何となく納得してしまいました。



また、湯川秀樹はラッセル=アインシュタイン宣言にも参加しています。
以前のブログでもこの関連の話は盛り込んでいますが
私は研究者が異議を唱えても社会が破滅的な兵器を作る現実を
大変、問題だとに思っています。アインシュタインであれ
湯川秀樹であれアシモフであれ社会が叡智を集結して対応することを夢見ています。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/07_初稿投稿
2020/11/29_改定投稿





OJISAN.png


【Eプランク原稿】


その名は正確には、マックス・カール・エルンスト・
ルートヴィヒ・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck)

【現在の国で言えば】ドイツ生まれのプランクは
前期量子論の主要メンバーの一人です。
学問的方法論の違いとして、エルンスト・マッハの
実証主義に対しプランクは実在論を展開しました。
微視的な物理公式を特徴づける定数:プランク定数
を提唱して微視的な知見において不連続な物理量を
導入しなければいけないと結論付け体系化しています。

プランクの一連の考え方はとても大事な概念で、
量子力学の根幹をなしています。現代の我々が
後付けで考えてみると、取り得る状態が不連続故に
行列力学で時間発展が量子力学体系の中で記述出来、
微視的状態の遷移が定量的に表せるのです。





パラダイムシフトという言い方が出来ますが、
思想体系において大きな変換が起きました。
まず、ここでのハードルをクリア出来た事は
物理学にとって大きな一歩であったと言えます。

そしてプランクは戦争の時代を生きたので
幾多の悲劇を味わいました。人道的見地から、
アインシュタイン等のユダヤ人迫害に対して
ヒットラーに直接意見を述べたりしています。
長男は第一次世界大戦で戦死しています。
二男はヒットラーを暗殺に加担したので
処刑されてしまいました。プランク自身も
国賊の親として批難を受けています。
更には他に二人の娘が居ましたが、
共に孫娘を産んだ後に亡くなっています。



こうして色々とあったプランクの人生ですが、
プランクの残した業績は決して消えていません。
彼の残した研究所は21世紀になっても
最先端の研究を続けているのです。



以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/09/08_初回投稿
2020/12/14_改訂版投稿






OJISAN.png


【F寺田寅彦の原稿】

寺田寅彦は物理学者にして俳人です。
文筆家としては牛頓の名を名乗っていたり。
牛頓と書いてニュートンと読ませてました。

熊本の高校で英語教師として赴任していた
夏目漱石と出会います。後に文学に関わる
のはこの出会い大きかったといわれています。
贅沢な人生ですね。夏目漱石の作品
「吾輩は猫である」の中では寒月君として
登場する人物のモデルとなっていて
作品を通じて御人柄に触れた人も多いのでは
ないでしょうか。






研究の点でも今の枠にとらわれない視点を持ち
実績を残しています。その中でも評価が高い
研究業績はラウエの業績に刺激を受けた研究で
「X線の結晶透過」についての業績です。先進的な
結晶解析に関して考察をを進めています。そして、
1913年に「X線と結晶」をNatureに発表してます。





寺田寅彦の研究人生をふりかえると、
田中館愛橘に教えを受け、
長岡モデルを提唱した長岡半太郎に
教えを受け学生結婚をして、
その妻に早く先立たれ、
東京帝国大理科大学で教鞭をとった後に
ベルリン大学で地球物理学を研究し、
理化学研究所、 東京帝大地震研究所
で研究を続けました。
57歳で亡くなられています。



2020/8/13初稿
2020/11/10改定









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/09_初稿
2020/12/15_改定





OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月09日

江崎玲於奈 _レオン・フーコー_マックス・ボルン_ニールス・ボーア_RPファインマン_アイザック・ニュートン_マイケル・ファラデー【初回投稿8/27~9/3の原稿】

以下に草稿を残します。各項は、適時改定致します。

@江崎玲於奈
Aレオン・フーコー
Bマックス・ボルン
Cニールス・ボーア
DR・P・ファインマン
Eアイザック・ニュートン
Fマイケル・ファラデー

【@江崎玲於奈 の原稿】


江崎玲於奈は先の世界大戦時代の
物理学者です。電子デバイスを発明して
グスタフ国王からノーベル賞を受けました。
量子力学を深く理解し原理を応用しています。

江崎玲於奈は学者という立場で活躍した後、
筑波大学等で教育者として活躍しています。
第2通目の人生をしっかり歩んでいて、
とても尊敬出来ます。







ドメイン検索
a
.com .net .info .mobi










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/23_記





OJISAN.png



【Aレオン・フーコーの原稿】

フーコーはフーコーの振り子で有名です。
地球の自転を実験的に明らかにしました。
1851年のパンテオンの公開実験で
最終的に仮説を実証してみせます。

フーコーはフランスのパリに印刷業
を営んでいた父のもとに生まれます。
幼い頃から科学工作が好きでした。
子供時代は病弱で医学を志していま
したが血液恐怖症だったりした為、
お医者様になるのは断念したそうです。

10代になり、写真技術の改良をしていた
フーコーは物理学者アルマン・フィゾー
と知り合いになり交流を深めます。
フィゾーとは良い関係を持ち続け
協同研究を続けました。

1847年頃からフィゾーとフーコーは
それぞれ独自に研究を進めます。
歯車を使いフィゾーが光速度を求め、
回転している鏡を使いフーコーは
媒質中の光速度の差異を求めました。





私が何より興味深いのはフーコーの
頭の中にある理論的な考察が
閃きによって実験に昇華するプロセスです。
フーコーは理論的な原理を優れた実験で
わかり易く示したと思います。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/23_記





OJISAN.png



【Bマックス・ボルンの原稿】


ボルンはユダヤ系ドイツ人故、
第二次世界大戦時は大変苦労しています。
そんな中で前期量子論において
本質的な確率解釈を提唱しています。

本国で教授職を解雇されたりしていて、
反戦の姿勢、非核の姿勢を貫き
ラッセル=アインシュタイン宣言にも参加しています。
この点ではドイツに残り、原爆開発に参加していた
ハイゼンベルグとは全く別の人生を歩んでいます。
ちなみに、ハイゼンベルグはボルンの門下生です。
オッペンハイマーもまた弟子にあたります。





彼の解釈で有名なやり取りがあります。
反論したアインシュタインがサイコロ遊び
に量子力学の解釈を例えたのです。
【Wikipedea:アインシュタインの有名な言葉
「彼(神)はサイコロを遊びをしない」は1926年
にボルンに当てた手紙の中で述べられたものである。】





確率解釈は人類の思想にとって
大きなパラダイムシフトです。






他、
孫の一人に歌手であるオリヴィア・ニュートン・ジョン
が居ました。私も初稿を書く際に分かったのですが
意外ですね。

関連URL(YouTubeへ:)
https://www.youtube.com/watch?v=E-JGTk_WM1k





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/08/30_初回投稿
2020/11/25_改定投稿





OJISAN.png




【Cニールス・ボーアの原稿】


デンマークに生まれたボーアは前期量子論
において先駆的な理論を提供し続けました。

ボーアは当時、不完全であった原子像を
洗練させて独自の原子模型を提唱します。
先ず1911年にイギリスへ留学し、JJトムソンや
ラザフォードの元で原子核に対する
考察を進めていきます。
そもそも光学顕微鏡レベルで見えない大きさの
世界に対して、考察を止めることなく
量子力学を確立していきます。






ボーアはイギリスから帰国後に幾多の
仲間をコペンハーゲンに集め、いわゆる
コペンハーゲン学派を形成します。
そこでまとまった解釈はコペンハーゲン解釈
と呼ばれるようになり、それまでの物理学
でのパラダイムを変えていきます。
一言でまとめると、コペンハーゲン解釈
は微視的世界での観測に対する考え方です。
とても奥深い話ですから、次の改稿時には
もう少し踏み込む積りです。

その中でボーアは本質的なボーアの量子化条件
を用いて様々な現象を説明してみせます。
長さスケールで10の‐23乗のスケールでの議論では
エネルギーなどの観測値がとびとびの値を示す
のですが、その事象を現実世界での本質的な性質
であると提唱したのです。
原子半径、磁気的性質も現代では、
その形式で考えるが方がわかりやすい訳です。






そしてボーアはデンマーク最高の勲章である
エレファント勲章を受けています。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/08/31_初版投稿
2020/12/04_改定投稿





OJISAN.png



【DRPファインマンの原稿】


学生時代に使っていた教科書の著者でした。
量子電磁気学の業績で朝永振一郎とともに
ノーベル賞を受賞しました。





他、真っ先に思い出すのは経路積分です。
数学的な定式化が驚異的に思えました。
【参考_Wikipedeiaの記載:経路積分

また、素粒子の反応を模式化した
ファインマンダイアグラムは視覚的に、
直感的に秀逸です。本当に天才の技に見えました。

そういえば、アインシュタインとともに
原爆開発の計画であるマンハッタン計画に参画しています。










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/01_初版投稿
2020/11/23_改定投稿





OJISAN.png




【Eアイザック・ニュートンの原稿】


パラダイムシフトを語るうえで外せないのがこのニュートンでしょう。
それまでの常識を覆しました。数学を駆使して物理学を大きく変えています。
今では彼の名を冠した科学関係の雑誌が刊行されている程です。



力が相互作用であって小さなリンゴと大きな地球が作用する際に
全ての物質が相互に作用して、互いに引き合う事象を示しました。法則として体系化しました。
その数学的定式化において洗練された形を残し、
その後の発展に大きな基礎を築いています。






後にマッハが「力学の哲学的批判史」の中で
ニュートンの空間概念を批判しますが、
それもニュートンの整理・確立した空間概念、慣性の法則、などがあって
初めて気づき得る話なのです。



その他、ニュートンの業績は光学、微積分学、と尽きませんが
空間・時間・力を明確に定式化した点が後世の我々にとって大きいと思えます。
人々の物の考え方を大きく変えました。



ダイソン・私も使ってます♪










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/02_初版投稿
2020/11/29_改定投稿





OJISAN.png



【Fマイケル・ファラデーの原稿】



ファラデーは電磁力学の礎を築きました。
近接作用・変動した時の作用などを一つ一つ
実験で明らかにしていきます。優れた実験家でした。



無料レッスンいかがですか?


伝記を読んでいて思うのは、ファラデーはとても
庶民的な感覚を持っていたということです。
人々がどう思っているか、というより感じているかを
他の科学者よりも共感できる点が多いかと思います。
一緒にお酒でも飲めたら色々語れるでしょう。

ファラデーは子供向けにクリスマスレクチャー
をしたり、ろうそくの科学をひも解いてみたり、
一人で考えを極めていく他に
社会全体の意識を高めていこうとしていた
と感じられます。私もこの点は見習いたいです。





ただ、当時は階級社会であり、
食事や馬車の乗り方等でファラデーは
差別的な扱いを受けていていたようです。
色々な発見をして科学で名を成した彼は
晩年、ナイトの称号を何度も 辞退しました。

また、ファラデーはクリミア戦争時に
兵器開発の依頼に対して言葉を残して
いますので結びの言葉と致します。
私はファラデーの感性が好きです。

(兵器を)「作ることは容易だ。しかし
絶対に手を貸さない!」(引用・Wikipedia)



以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/09/03_初回投稿
2020/11/30_改訂版投稿






OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月08日

石原純_エルンスト・マッハ_ポール・ディラック_シュレディンガー_ルイ・ド・ブロイ_ハイゼンベルク_B・D・ジョゼフソン_【初回投稿8/12~8/21の原稿】



お陰様で昨日投稿分で初回改定が終わりました。ご高覧ありがとう御座います。そして、本日から第2四半期の改定を進めていきます。ご承知おき下さい。

以下に草稿を残します。各項は、適時改定致します。

@石原純(あつし・じゅん)
Aエルンスト・マッハ
Bポール・ディラック
Cシュレディンガー
Dルイ・ド・ブロイ
Eハイゼンベルク
FB・D・ジョゼフソン

【@石原敦の原稿】



先ずは日本の物理学史の中から一人、ご紹介します。
同性同名の方が現存されますが、
これは昔の人の記事です。





山川健次郎、長岡半太郎、朝永振一郎、と続く黎明期の中、
異色の人生を歩みました。アインシュタイン来日時には通訳を務め、
西田幾多郎に不確定関係を伝えたパイオニアです。

日本物理学界に多大な貢献を残しつつ、
女性関係で帝大を去ります。
そもそも石原さん、
伊藤左千夫の弟子なので斉藤茂吉に説得されたりしていますが、
一向だにしませんでした。
アララギの発刊に携わったメンバーではありましたが、
この事件でアララギ脱会に至ります。






と、ここまではwikipedia等に載っている情報。

私的な思い出としては、大学の恩師が彼を評価していて、
味のある講義をしてくれた時間です。
日本の科学の為に多大な功績を残しながらも学会と距離を置き、
交通事故による不慮の最後を遂げた人生を詩的に語っていました。

2020/8/12記載
2020/11/11改定



















以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/11_記





OJISAN.png


【Aエルンストマッハの原稿】




前回はアインシュタインの直後の時代の一人、
今回はアインシュタインに影響を与えた一人です。
私の知る限りで、最初の科学史家ではないでしょうか。

エルンスト・マッハはオーストリアに生まれた物理学者です。
その研究範囲は数学・物理学・感覚分析・心理分析に及びます。





マッハの残した業績はまさにパラダイムシフトと呼べます。
それは時間、空間の概念に対しての挑戦でした。
そもそも、ニュートン以来、空間の概念は
絶対空間しかありませんでした。
背景として神の概念に端を発する世界があります。
宇宙も自然も神の作りたもうた産物です。

所がマッハの考え方は徹底的に相対的です。
アインシュタインはそこを考え抜き相対論に至ります。
新しい考えを哲学的思考とでも呼べる方法で打ち出し、
明確なメッセージを伝える力は素晴らしい物でした。
晩年のマッハをアインシュタインが表敬訪問しています。





そして、未だに音速をマッハと呼んでいるのは
後世・我々が出来た僅かな恩返し、
とも言えるのでは無いでしょうか。

2020/8/13初稿
2020/11/10改定


















以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/08/13_初稿
2020/11/15_改定





OJISAN.png





【Bディラック原稿】
とても謙虚で無口な人でした。
ノーベル賞が決まった際には、
有名になる事を恐れて受賞辞退を考えていた様です。
そんな人なのですが、20世紀初頭の天才達がひしめく中で
ファインマンハイゼンベルクシュレディンガー等と
量子力学を確立します。シュレディンガーとは同じタイミング
でノーベル賞を受賞します。

ディラックの性格形成を語る上で家庭環境は
大きな要素だったようです。まず、1924年に
ディラックの兄が自ら命を断っています。
色々考えた末だったのでしょうか。
ディラック自身も、その父と会話し辛い
場面が多々あったようです。そして無口に。
しかし、ディラックは闇に沈まずに数学
を駆使して輝かしい成果を残しています。
特にデルタ関数とブラケット記法は素晴らしい。
多大な足跡を沢山残しました。

ブラケット記法とは日本語で「括弧」の記号を使った表記です。その定式化では
カギカッコ<>の形の 「<」 の部分だけを「ブラベクトル」と呼び
カギカッコ<>の形の 「>」 の部分だけを「ケットベクトル」と呼びます。
非常に分かり易い表現でブラの部分が行列に相当して
ケットの部分がベクトル量に相当するイメージです。
作用した結果のブラ・ケットが固有値を持つ場合に固有状態を持つと表現されます。
ここでのベクトルがヒルベルトベクトル(無限次元に対応)であることが
学生時代の私にとって感動的でした。一瞬にして物理量に対応する状態が
記述された気がしました。他方でデルタ関数は
観測が一瞬にして波束の収縮を引き起こす
様子を表現していると思います。



ディラックはイギリスの伝統を受け継いだ人でもあります。
ケンブリッジではルーカス教授職を務めました。
この名誉は初代・アイザックバローから始まり
二代目アイザック・ニュートンと続き、最近では
宇宙論で名を成したスティーヴン・W・ホーキング博士が受け継いでいます。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/8/17初稿
2020/11/15改定





OJISAN.png


【Cシュレディンガー原稿】


シュレディンガーはオーストリア=ハンガリー帝国
に生まれました。彼はその父に影響を受けたと言われ
まずが、その父はバイエルン王国の生まれで、広い
教養をもった人だったようです。これが後の
シュレディンガーの性格に影響するかと思われます。

シュレディンガーは猫の例えで有名です。
具体的には量子力学的な現象に連動して
猫を毒殺する仮想実験を議論しました。
議論の帰結としてミクロな現象が
確率的な実在として表現出来る事、
そして空間的に広がる確率波を考えます。

確率波の時間発展は
シュレディンガー方程式と呼ばれ
量子力学の基礎方程式となるのです。
私は大学院時代にそれを使い
超伝導現象を紐解きました。
新しい現象理解に繋がっていったのです。

そうした量子力学の表現形式として
ハイゼンベルク形式とシュレディンガー形式
があり2つは完全に等価です。
数学の側面から大まかに表現すると、
ハイゼンベルク形式はヒルベルト空間上の
行列とベクトルを使い、
シュレディンガー形式では同空間での
演算子と波動関数を使います。
共に直感に響く側面を持ち相補して全体を
補い合うのですが、私には粒子の二面性
を感じる時はシュレディンガー形式が
適していると思われました。
その記述をシュレディンガーは纏めたのです。





最後に、もう一度シュレディンガーの人となり
に話を戻したいと思います。シュレディンガーは
ウィーン大学でボルツマンの後任である
ハゼノールの教えを受けていて、ボルツマンと
関わりが出来たのです。彼はボルツマンの
示した道筋を受け継いでいた人でした。彼は
ボルツマンに対して熱い想いを持っていました。
曰く、「ボルツマンの考えた道こそ科学に於ける
私の初恋と言っても良い亅_【万有百科大事典 16
物理・数学の章より引用しました。】
ボルツマンが完全に確立出来なかった原子論を
シュレディンガーは彼らしい描像で表現したのです。

また、シュレディンガーはオーストリアの
紙幣にその肖像を残しています。










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/08/16_初稿投稿
2020/11/17_原稿改定





OJISAN.png


【Dドブロイ原稿】


フランス貴族、公爵の血を引いてます。その血筋は由緒正しいのです。
そもそも、ルイ14世により授爵頂いた名門貴族・ブロイ家の血筋であって、
ルイ・ド・ブロイは直系子孫です。兄の没後は子供が居なかった事情もあり、
正式に侯爵家の当主を務めています。ルイ・ド・ブロイはフランスの首相を
二期務めた第4代当主アルベール・ド・ブロイの孫です。それだから、
生誕時にルイの父は当時公子でした。こんな逸話が沢山あるのですね。
そんなルイ・ド・ブロイは独自に優れた仮説を進め、ド・ブロイ波
の考えにたどり着くのです。





そのルイ・ド・ブロイの考えは初めは中々理解されませんでした。
関連して超有名なエピソードがあります。
ルイ・ドブロイの博士論文の審査過程で教授達が
ド・ブロイの考えを理解出来ずアインシュタインに意見を求めた所、
ド・ブロイの考えは博士論文よりもノーベル賞に値する。と評価され、
更に考えを進めていく事が出来たのです。
その考えはパラダイムシフトでした。
当時の物理学の世界を変えたのです。





実際に数年後にルイ・ド・ブロイはノーベル賞
を受賞します。いつの時代も中々、
新しい考えは理解出来されないものですね。






【学術論文を書く時は英語必須です】





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/08/19_初回投稿
2020/11/25_改定投稿





OJISAN.png


【Eハイゼンベルグ原稿】


ハイゼンベルクは行列形式の導入や、
不確定性関係等の適用で、量子論を
形作った一人です。バイエルン王国に生まれ、
ミュンヘン大学でゾンマーフェルトに学び、
マックス・ボルンの下で助手を務め、
コペンハーゲンのボーアの下で修業します。
そうした中で理論の形式を整えます。

そして加えて、ハイゼンベルクは
シュレディンガーやディラックと同じ時代に生き、
アインシュタインやボーズとも議論していた筈です。
そうした天才達がミクロの原理を一つ一つ
解きほぐしたのです。不確定性関係の発表が
1927年なのですが、同時期には数多くの
革新的な発表が為され理論が飛躍的に
発展した時代でした。





同時に大変な時代背景、第二次世界大戦があり
ハイゼンベルクはアインシュタインが作った
相対論を駆使したりユダヤ人物理学者を養護
していたので、ナチス党員の物理学者から
白いユダヤ人と呼ばれ苦労しています。
プランクからの指摘もあり
戦後の体制を見据えハイゼンベルクはドイツ
に残りましたが、戦時下ですので物理の知識を
ナチスの為に使う事になり色々考えたようです。






個人的にオブザーバブルに対する状態の時間発展を表す
やり方は大好きです。洗練されてます。ハイゼンベルク等の
提唱した行列形式はそこにつながっていきます。又、
いくつかの思考実験で裏打ちされた不確定性関係は
量子力学の現象理解の中では本質的です。





また、ハイゼンベルクはピアノの名手
だったと言われていています。
聞いてみたかったですね。





以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/8/19_初回投稿
2020/11/26_改訂版投稿






OJISAN.png


【Fジョセフソン原稿】


今回、存命中の方を初めて紹介します。
ジョセフソン博士は今もイギリスで
活躍している研究者でジョセフソン接合
等の発案で広く知られています。私が
大学院時代に興味を持った凝縮系の大家です。

ジョセフソン接合等の考えは様々な知見に
繋がっています。





このジョセフソン接合とは
超伝導体の間に常伝導体を挟み、
電子の波動的性質を顕在化させる仕組みです。
そもそも、量子力学的には電子は
波動的性質と粒子的な性質を併せ持ちます。
例えば、
そこにおける波長から設計したのが
SQUIDと呼ばれるデバイスで
高感度の磁気センサーや
量子コンピュータのデバイス候補
として応用されます。





また、彼は科学の枠組みを超えて探求を続けています。
ジョセフソン曰く、
【東洋の神秘主義が科学的理解と関連するかもしれない
という可能性にも興味を持っている。彼は王立協会創立
のモットー nullius in verba(一切の権威を認めない)
を信条としており、「科学者が全体としてある考え方を
否定したとしても、その考え方が不合理だという証拠に
はならない。むしろ、そのような主張の基盤を慎重に
調査し、どれほどの精査に耐えるかを判断すべきだ」
と述べている興味を持っている・出典・Wikipedia】
個人的にはその方向性を支持します。不可解な現実を
不可解な現象をオカルトネタで終わらせる積りはないです。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com


2020/08/21_初回投稿
2020/11/27_改訂投稿





OJISAN.png




posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月07日

フィゾー_田中館愛橘_大河内正敏_中嶋貞雄_マイスナー_大貫義郎【12/08~12/28の記事】

先ずフィゾーの改定が漏れていました。順序が違いますが改定します。他、現在投稿分の原稿に対しての第一回最終の改定となります。ご参考にして下さい。

以下に草稿を残します。各項は、適時改定致します。

@A・H・ルイ・フィゾー
A田中舘愛橘
B大河内正敏
C中嶋 貞雄
DF・W・マイスナー
E大貫 義郎_

【@フィゾー原稿】


その名は正確には、アルマン・イッポリート・
ルイ・フィゾー(Armand Hippolyte Louis Fizeau,
1819年9月23日 - 1896年9月18日)
地上で光速度を始めて測定した人で、
フランス人です。





フィゾーの実験として有名な物は1849年に回転歯車
を使った公開実験です。明快に原理を示して光速度
を数値化しました。

フィゾーの示した数値が重要なのは、後に明らかに
なっていきますが、光が電気と関係してるからです。
後にマクスウェルが電磁気学をまとめる中で、
自分の理論での計算結果とフィゾーの示した値が
とても近い事実に気付きます。それはきっと、
今風に言えば、電磁波の伝播速度が光速度に近い、
という事実なのでしょう。

また、フィゾーはドップラー効果も予見してます。
この言葉はスマホ入力で一発変換されていますが、
フィゾー等が確かにしていった概念なのです。

フィゾーが実験を繰り返す困難は測り知れません。
当時は未だレーザー光線も無かったでしょうし、
当然デジタルのカウンター等も無いので、
計測系のイメージだけでも大変だったでしょう。





私が何より興味深いのはフィゾーの
頭の中にある理論的な考察が
閃きによって実験に昇華するプロセスです。
フィゾーは理論的な原理を優れた実験で
わかり易く示したと思います。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/01_初版投稿





OJISAN.png



【A田中館愛橘の原稿)


田中館愛橘、
その名は愛橘と書いてあいきつ、
と読ませます。生まれた年は
旧暦の時代で安政3年9月18日です。
【新暦で1856年10月16日です】
没年は新暦での昭和27年です。
先祖に南部藩の赤穂浪士と呼ばれた
方が居たそうですから、そうした
イメージから語り出したいと思います。
時代の変革期に若き日を過ごしました。



さて、田中館愛橘の父方は兵法師範の
家系であり、愛橘は藩校である作人館に
学びます。作人館での同窓生には原敬
がいて後輩には新渡戸稲造がいました。
存じませんでしたが立派な学校ですね。
東京に出て慶應義塾に通いますが
学費が高額なので東京開成高校に
進みます。

今で言えば東大教養学部のイメージ
でしょうか。そこで愛橘は山川健次郎
から物理学を学びます。政治にも
関心を持っていたようですが、山川から
諭され、我が国の理学での遅れを挽回
せんと愛橘は物理学を志しました。



1879年に東大で外国人教師である
メンデンホールとユーイングが
エジソンの発明したフォノグラフ
を日本に紹介しましたが、田中館愛橘は
早速試作を行いました。その音響や振動
の解析を行っています。1880年には
メンデンホールによる重力観測に参加し、
東京と富士山で観測作業を行いました。
当時の世界1の高精度方位計であると
称えられた電磁方位計を愛橘は制作しました。



ダイソン・私も使ってます♪

田中館愛橘は明治16年12月に福岡に帰っていた
父・稲蔵が割腹自殺したとの知らせを受けて
帰郷します。そしてその年に東京大学助教授
となりました。詳細は追って調べます。この時期
気になる動きです故。





その後、田中館愛橘はイギリスでケルビン卿に師事し
、大きな影響を受け、生涯を通じてケルビンを敬愛し
ました。その後1890年にヘルムホルツのいたベルリン
大学へ転学、電気学などを学びます。この時代の電気
に対する理解は、後ほど項を改めてマクスウェルらと
関連して語ります。愛橘は東京帝大理科大学教授となり
後にに理学博士の学位を受けます。更にデンマークの
コペンハーゲンで開かれた万国測地学協会 第14回総会
で地磁気脈動や磁気嵐の発表をします。

また時代柄もあって、田中館愛橘は陸軍や海軍
に対して貢献します。地磁気測量では指導の
中心的な役割を果たしています。旅順での戦闘
の際には敵情視察用の繋留気球の制作を依頼
されています。それが愛橘と航空研究のきっかけ
となりました。田中館愛橘は中野の陸軍電信隊内
での気球班で気球研究を始め、制作および運用法
を指導しています。試行錯誤の末に気球を完成させ、
旅順戦で戦闘に使用されています。




そして田中館愛橘が60歳になり、教授在職25周年
のパーティで愛橘は辞職する旨を伝えました。
後の東大での定年退職制度に繫がっていきます。
また、田中館愛橘は数多くの人材を育てました。
教え子としては長岡半太郎、中村清二、本多光太郎、
木村栄、田丸卓郎、寺田寅彦などが居ます。それ故、
愛橘は「種まき翁」、「花咲かの翁」と呼ばれた
そうです。95歳7か月の天寿を全うしました。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/16_初版投稿





OJISAN.png


【B大河内正敏の原稿】



大河内正敏は旧上総大多喜藩主にして
子爵であった大河内正質の息子として
生まれました。学習院初等科に進み、
大正天皇と共に学びます。

また大河内とは珍しい名字だなと思って
いたら奥様も大河内家から娶っていて、
華麗なる一族を感じさせました。政界で
は子爵議員として貴族院で議員を二期
務めます。若かりし無名の田中角栄を
可愛がっていたといわれます。
理化学研究所の3代目所長に就任したした
時は理研研究員にして、貴族院議員で子爵、
そして東京帝大教授でした。



大河内正敏は東大で物理学を学んでまし
たが時節柄、寺田寅彦と飛行弾丸の研究
をしていたようです。物理学を駆使すれ
ば流体力学や表面の解析が出来ます。



大河内正敏が進めた具体的な別の活用事例
としては、ピストンの開発があります。
ここでもシリンダー内の熱流体解析や、
摂動面の摩擦を解析出来ます。この研究は
後の株式会社、リケンにつながります。
戦後このグループは、GHQより十五大財閥の
一つとして指定を受けます。



こうした業績を残して今、大河内正敏は
埼玉県にある平林寺で永眠しています。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/17_初版投稿





OJISAN.png


【C中嶋貞雄の原稿】


映画監督で似た名前の方が居ますが
あちらは貞夫と書きます。
こちらは貞雄と書きます。

中嶋貞雄は私が昔使っていた教科書の著者
でした。超伝導現象の理論化に先鞭
をつけた方です。



中嶋貞雄は低温物理の物性に関わる
研究をしていきました。そんな中で
名古屋で会議の席で、くりこみ理論を
応用した電子物性の議論をします。
それをアメリカのバーディンが着目
し、コピーを中嶋に求めました。
その時点ではカメリー・オネスの
超伝導現象は実験的に示されていま
したが理論的説明はなされてません。
バーディンはそれを作ろうとしてた
のです。

中嶋はきっと研究の方向性に確信を
持った事でしょう。後に名古屋駅で
バーディンにコピーを渡します。
バーディンは帰国後に英訳し、
クーパー対のアイディアを盛り込み
BCS理論を完成させます。日本で無く
アメリカで生まれた事が残念ですが、
そうした議論の場は日本でも芽生えて
いたのです。



私は科学技術は人類が共有する財産
だと思っています。それだから、
コピーを届けた中嶋貞雄の行為は立派
だったと感じています。若い研究者達も
知を共有して育んで欲しいと思います。
そうした行為が、ひいては日本の発展に
繋がっていくかと。



ダイソン・私も使ってます♪










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/19_初版投稿





OJISAN.png


【Dマイスナー原稿】


その名は正確には
フリッツ・ヴァルター・マイスナー_
Fritz Walther Meißner (Meissner)。
ドイツ・ベルリン生まれの物理学者です。



(無料レッスンいかがですか?)

ミュンヘン工科大学でプランクの師事を
受けた後に物理工学院で研究を進めます。
マイスナーが関心を持っていたのは
超伝導でした。1920年頃に色々な物資で
転移が起きる事を確認しています。
タンタル(化学記号はTa、転移温度4.47K)
ニオブ(化学記号はNb、転移温度は9.25K)
チタン(化学記号はTi、転移温度は0.4K)
トリウム(化学記号はTh、転移温度は1.38K)
に対して相転移を確認した後に化合物に
着目してNbCにおいて10ケルビンを超える
転移温度を確認しています。





その後、マイスナーはいわゆるマイスナー効果
を発見していてます。この現象は協同研究者の
オクセンフェルトの名前と合わせて
マイスナー―オクセンフェルト効果と呼ばれる
こともあります。また性質の側面から完全反磁性
とも呼ばれます。磁性を使って超電導現象を特徴
づけているとも言えます。



以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/12/19_初回投稿






OJISAN.png


【E大貫義郎の原稿9】


大貫義郎は坂田昌一に教えを受け、
群論を使った素粒子論の構築を
行いました。そもそも低温物理学
では名古屋で発展してきた部分があります。



本ブログの別項で中嶋貞雄とバーディン
のエピソードをご紹介しましたが、
後にノーベル賞を受賞する二人、
益川敏英と小林誠は大貫義郎が育てました。



ダイソン・私も使ってます♪

大貫義郎は素粒子を構成する素子の
対象性に着目して、数学的手法として
群論を使って整理していきました。
より詳細には、坂田モデルにおける
基本粒子同士の入れ替えに対して
素粒子としての性質が変わらないと
いう考え方を足掛かりに群論を組み
立てたのです。






そうした組み立てを使い大貫義郎は
クォークを明確に分類、整理した
のです。






以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/21_初版投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月06日

ムツゴロウ_小出昭一郎_ハンス・ベーテ_西川正治_仁科芳雄_パウエル_ラグランジュ【11/26~12/23の原稿】

以下に草稿を残します。各項は、適時改定致します。

@ムツゴロウさん
A小出昭一郎
Bハンス・アルプレヒト・ベーテ
C西川 正治
D仁科 芳雄
Eセシル パウエル
Fジョゼフ=ルイ・ラグランジュ

【@ムツゴロウさん原稿】
2020/11/21現在でご存命中の方で恐縮ですが
ムツゴロウさんの一面を紹介したいので投稿します。
私は若い時に面白い人生だと思いました。
ムツゴロウさんという愛称で知られていますが、
中身は九州男児です。大分県でバンカラな少年時代を過ごします。





その様子はムツゴロウさんの著書である
ムツゴロウの青春期で読みました。
高校時代に今の奥様に出合い結ばれる様子が
生き生きと描かれ、同時に東京大学を目指し
猛勉強する様子が描かれていました。確か、
口癖が「君等が知っちょるか知らんか、しらんが」
という先生が居て物理学への魅力を伝えていて、
若き日のムツゴロウさんが奮起する筋だったかと。





後で時間を作りムツゴロウの青春期に続く著作、
結婚紀、冒険記等も読んでみたいと思いますが、
ムツゴロウさんは文筆での人生を選び
当時の学研社で活動を始めます。ここに至るまでに
色々と考えたと思います。

東大では駒場寮に暮し医学・動物学・文学を学びます。
物理学科という呼び名ではなく東大はT塁・U類・・・
と分けるので対象が無機質の剛体であろうがアメーバであろうが
関係ない訳です。そもそも、微視的な視点に立ち見てみたら
其々に性質があり、寿命がある訳です。









話戻ってムツゴロウさんですが、
何時か時間をとって調べて書き足します。
彼の人生は喜びとがっかりに満ちていますので。
そんな中でムツゴロウさん突き進んでいるんです。
もう少し見続けていたい生き様だと感じでいます。

ムツゴロウさんには
6億円あると言われていた借金がありましたが、
それも全て返済して現在も王国に携わっています。
リンク:有限会社ムツ牧場






以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/14_記





OJISAN.png


【A小出昭一郎の原稿】



小出昭一郎は多くの専門書を残した事
で知られています。東京に生まれ
東京帝大で学びました。第5回
ソルベー会議が開かれた年に生まれています。





教育に時間を捧げた人生だったのでしょうか。
研究成果としては余り伝わっていません。
ただ、金属錯塩の光スペクトルを研究していた
ようです。そこで手掛かりとして錯体について
調べを進めてみます。錯体とは広義には、
「配位結合や水素結合によって形成された分子
の総称」(Wikipedia)狭義には、「金属と非金属
の原子が結合した構造を持つ化合物」(Wikipedia)

何だか亀の甲羅が沢山出てきます。もう少し
考えてみると、光の吸光や発光に伴い対象物資
内の状態遷移に関する情報が得られ、
電磁気特性や、触媒の効果が理解出来るかと。





具体的に主な錯体としては
アンミン錯体_テトラアンミン銅錯体_[Cu(NH3)4]^2+
シアノ錯体_ヘキサシアニド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[Fe(CN)6]^3+
ハロゲノ錯体-テトラクロリド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[FeCl4]-
ヒドロキシ錯体 - アルミン酸_[Al(OH)4]-(または_[Al(OH)4(H2O)2]-
などがあるようです。ただ、当時の日本物理学は
本丸にを攻めきれてはいなかったのですね。

プランクの黒体輻射理論発表から数十年がたち、
他国で議論が交わされていた時代に対して、
小出昭一郎の暮らした敗戦国日本は
戦前・戦後の混乱の中で
情報がどこまで取れていたのでしょうか。
小出昭一郎はそんな中でも量子力学の
理解を進め国内に広めていたのです。
そして、何より後進を育てていたのです。










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/20_記





OJISAN.png




【Bハンス・ベーテ原稿】


ベーテはユダヤ系なのでナチス政権下で苦労します。
国を追われイギリスに逃れ、マンチェスター大学で職を得ます。
第二次大戦の間はオッペンハイマーの招きで
UCB(カリフォルニア大バークレー校)の特別会議に参加します。
そこでは核兵器の開発が始められ、ロスアラモス研究所が出来ると
ベーテは理論部門の監督を務めます。
戦後はトルーマン大統領が水素爆弾の開発を断行した流れで
ベーテは引き続き開発において重要な役割を果たします。





その他、ベーテの業績としては大きく二点があげられると思います。
一つは恒星の内部で核融合反応が起きうる指摘をして、
重力と釣り合う内側からの力を考えたことです。加速器で実現される
様々な現象を説明していく内に超高圧下・超高温下で起こり得る
原子核の崩壊状態をベーテは理論立てて説明して新たな知見としました。





また、ベーテのもう一つの業績は量子電磁気学に繋がっていく
ラムシフトを非相対論的に厳密に突き詰めていって極めて正確な
計算をしていったのです。この面でファインマンは弟子にあたります。
ベーテは大変な時代を生きた偉大な理論家でした。
「原子核反応理論への貢献、特に星の内部におけるエネルギー生成に関する発見」
でノーベル賞を受けています。。











以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/23_記





OJISAN.png


【C西川 正治の原稿】


西川 正治は寺田寅彦の指導を受け
物理学を学んでいきます。特に、
彼は竹や麻等の植物由来の構造体
に着目して繊維構造物質に対して
電磁波がどう作用するか考えました。



手法としてはX線回折を駆使して
スピネル群結晶内の電子配置を
決定しています。




そもそも、電子は不可視の存在ですが、
電磁波に対して作用して結果を残すので
その結果を画像で解析すれば結晶内での
微視的な電子配置の情報が得られるのです。
新しい計測手法を手掛かりに西川正治は
解析したのです。



西川正治はそうした業績を残しながら
二人のお子様を育て、其々が学者として
名を残しています。また、同時に
幾人もの弟子を育て日本物理学会に
今も続く、大きな足跡を残しています。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/13_初稿投稿






OJISAN.png


【D仁科芳雄の原稿】


仁科芳雄は稀代の人たらし
だったと言われています。
人に入れあげ、彼の元に人が集まり、
人々を育てあげた凄さがあります。





仁科本人はニールス・ボーアのもと
で育ち、その自由闊達な学風を持ち込み
日本で多くの学者を育てました。
1928年にオスカル・クラインと
コンプトン散乱の有効断面積を
議論しています。また帰国後には
ハイゼンベルクやディラックを
日本に招待して理解を深めています。
また、師であるボーアも日本に
呼び寄せています。



研究内容として仁科はサイクロンの
建設を進め様々な成果をあげてます。
そのサイクロンを大型化する際には
仁科は大変苦労しています。先行する
カリフォルニア大学のローレンスとは
日米関係に伴い関係が悪くなっていき、
終戦共にサイクロンはGHQにより
東京湾に破棄されてしまいます。




戦後には仁科は理研の所長を務め、
科研製薬の前身で社長を務めましたが、
肝臓ガンを患い61歳で亡くなります。
放射線被ばくの影響もあったであろう
と言われています。多くの人材育成に
捧げた人生だったと感じています。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/13_初版投稿





OJISAN.png


【Eパウエルの原稿】


単なる偶然の産物かも知れませんが、
今回ご紹介するセシル パウエルと
ハイゼンベルクとゾンマーフェルトは
同じ誕生日でした。また、また、西川 正治
も同じ誕生日でした。





さて今回の紹介はセシル パウエルですが、
原子核乾板に素粒子の軌跡を記録する方法
を改良しました。当時は未知なる粒子が
次々と発見され様々に予想されていた
のですが、観測手段も試行錯誤が成され
ていました。霧箱で飛んでくる粒子の
軌跡を捉えたり、高い山の上で観測して
飛来宇宙線の大気減衰を克服したり
写真技術を活用したりしました。
パウエルの手法は写真のイメージ
でしょうか。更に確認したいところです。



またパウエルは湯川秀樹が予想した
パイ中間子の観測・発見の為に
研究スタッフを派遣しています。生成後の
寿命が短く地表に到達できないパイ中間子
観測の為にボリビアにあるアンデス山脈の
標高5000mの山から上記乾板を使って発見
しています。ダイナミックな観測だった
と言えるでしょう。他、気球を使い
高度を確保したりもしています。
観測の為に様々な工夫をこらして
結果を得ています。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/15_初稿投稿






OJISAN.png


【Fラグランジュ原稿】

ラグランジュはフランスに生まれ革命の時代を生きました。
同時代のラボエジェが処刑された事に際し
ラグランジュは何故自身が生き延びたか自問自答しました。
特に彼はマリー・アントワネットの先生を務めていたからです。

学問の世界ではラグランジュは多大な業績を残しています。
物理学者というより数学者として力学体系の整理をして
ラグランジュ形式と言われる理解を進めています。
私も学生時代にラグランユアンと呼ぶ関係を多用しました。
解析力学と呼ばれる分野で、ラグランジュ方程式につながります。
後の数論につながる議論もしていますし、
時代がら天体に関する研究もしています。

ラグランジュの解析的な考えが有効だったのは各種物理量を
一般化して変分と呼ばれる類の数学的な形式につながるからです。
後の量子力学はニュートンの作った微積分だけではなく
物理量の関係をラグランジュの使ったような関係で表現します。
また、ラグランジュはエネルギー保存則から最少作用の原理を導き
その考えは力学に留まらずに電磁気学・量子力学でも
使われています。
こういった定式化でのパラダイムシフトが後の体系に不可欠です。

ラグランジュの未定乗数法や定式化されたラグランジュアン
は誰しもが認める見事なものです。
そして、ラグランジュの名は今でもエッフェル塔に刻まれています。
彼の残した仕事と栄誉と共に。































以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/02_初稿投稿
2020/12/23_改定投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月05日

イギリス関係の人々【2021/1/5_原稿改定】

「イギリス関係の人々」に関して
リンクのついた稿
を改定をしました。

差分はレイリー卿とネルソン卿です。
何故か入れ忘れていて申し訳ありません。

【以下は初回原稿】
物理学はヨーロッパ全域で議論されていましたが、
特にイギリスで培われた部分が大きいです。
誰しもが認める偉大な議論の歴史があります。
今回、列挙出来て少し嬉しいです。ご覧下さい。


アイザック・バロー
_1630年10月 ~ 1677年5月4日


アイザック・ニュートン
_Newton_1642年12月25日 ~ 1727年3月20日


コリン・マクローリン
_1698年2月 ~ 1746年6月14日


ウィリアム・トムソン
_1824年6月26日 ~ 1907年12月17日


ニールス・ボーア
_1885年10月7日 ~ 1962年11月18日【イギリスへ留学】


ジェームズ・チャドウィック
_1891年10月20日 ~ 1974年7月24日
【イギリスへ留学】


アーサー・コンプトン
_1892年9月10日 ~ 1962年3月15日


ポール・ディラック
_ 1902年8月8日 ~ 1984年10月20日


ハンス・A・ベーテ
_1906年7月2日 ~ 2005年3月6日【イギリスへ亡命】


B・D・ジョゼフソン
(Brian David Josephson, 1940年1月4日〜 )


スティーヴン・W・ホーキング
_1942年1月8日 ~ 2018年3月14日


以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/06_初稿投稿





OJISAN.png



posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 科学史

コンプトン_高木貞治_ヴィーン_ナイキスト_JJサクライ_矢野 健太郎_西島和彦【11/14~11/20】

以下に草稿を残します。各項は、適時改定致します。

@コンプトン
A高木 貞治
Bヴィルヘルム・C・W・ヴィーン
Cハリー・ナイキスト
DJ・J・サクライ
E矢野 健太郎
F西嶋 和彦

【@コンプトン原稿】
コンプトンは波動の粒子性を示した実績と
マンハッタン計画で指導的役割を
果たしたことで知られています。





コンプトンは1919年にイギリスのキャンデビッシュ研究所
に留学し、そこでガンマ線の散乱・吸収を研究します。
そこで「波動のコンプトン効果」を発見するのです。
この考えは今では量子力学の基幹をはしていますが、
大まかには以下の理解をしていれば良いと思います。
つまり、「微視的に物事を考え始めた時に
粒子性と波動性が同時に具現化する」ということです。

具体的に量子力学では不確定関係という枠組みで
物事を考えますので2つの値が同時に確定しなかったりします。
例えば位置と運動量を同時に確定しません。
また、時間とエネルギーを同時に確定しません。
但し、時間×エネルギーや位置×運動量といった値を
物理量として確定出来るのです。
これは作用と呼ばれる物理量です。

以上は量子力学を理解した人々には納得出来ても
一般の人々には中々説明がし辛い部分です。
誤解無く伝わっているかいつも不安になります。
そんな意識改革をコンプトンが進めていたのですね。
ガンマ線に粒子性が見受けられたのです。





また、コンプトンはマンハッタン計画を進めた
主要メンバーでもあります。そもそも原子爆弾は
原子炉の製造から計画しなければいけません。
そこでウランをプルトニウムに変換して、
プルトニウムとウランの混合物から
プルトニウムを分離するプロセスが必要です。
コンプトンはこのプロセスをSEとして設計して
プロジェクトが進んでいく現場で働きました。

また、原子爆弾を兵器として使用するには
敵国で使用時出来るだけ早くに最大限の攻撃力を
発揮しないといけませんが、損場兵器を設計する方法
についてもコンプトンは設計をしていきました。
なお同計画はオッペンハイマーの設計もあり、フェルミや
ローレンスとの議論も経ています。全米の知能を集め
計画を進めていたのです。

そしてコンプトンの業績はノーベル賞を初めとする
蒼々たる栄誉で称えられています。
それと同時に、マンハッタン計画の主導者として
計画自体の是非を論じる際に何度もその名があがります。
もともとは、コンプトンはもともと星の好きな少年でした。
そんな始まりからガンマ線の究明に話が進みましたが、
彼の名はガンマ線検出の為のNASAの衛星に残されています。










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/7_記





OJISAN.png



【A高木貞治原稿】


今回、日本人数学者をご紹介します。
高木貞治と書いて名前を「ていじ」と読みます。

高木貞治は岐阜に生まれ現在の京都大学を卒業した後に
東京大学に進みます。現在の学校制度と異なるようで、
今時の言い方をしたら
京大で学位をとって東大でマスターをとった感じでしょうか。





その後、高木貞治はドイツへ留学してヒルベルトの教えを受けます。
現代の代数幾何学の原型を体系立てていったのでしょう。
そもそも、個人的に高木貞治の名を知ったのは
ムツゴロウさんの著作でした。たしか「ムツゴロウの青春期」。
その中で彼が高校時代に地元の先生に紹介された本が
高木貞治の「解析概論」でした。
バンカラな青春時代を過ごしたムツゴロウは
東大の物理学科に進み、最後はどうぶつ王国を作ります。
話戻って解析概論ですが、岩波文庫から出ていた
その本を私も買って、夢中で読んだ思い出があります。





なお、2011年の時点で日本国内における著作権の
保護期間満了に伴いネットで著作が公開され始めています。
【Wikisourceや青空文庫を見てみて下さい】






以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/8_記





OJISAN.png


【Bヴィーン原稿】


その名を正確に記すとヴィルヘルム・カール・
ヴェルナー・オットー・フリッツ・フランツ・ヴィーン
:Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien
熱力学における黒体放射の研究で有名です。





ヴィーンは東プロイセンで農夫の子
として生まれ、ベルリン大学でヘルツ
の元で学位を取ります。そこでの
学位論文は光の回析特性でした。

レントゲンの後任としてヴュルツブルク大学
で教鞭をとっています。
またヴィーンはドイツ物理学会で会長
を努めていて、前任はゾンマーフェルト
でした。





さて、ここまでヴィーンの記載を
調べていて断片的な印象を持ちました。
人柄が伝わらないのです。考えてたら
時代背景が大きいと思えてきました。
ヴィーンはドイツで生まれ
ドイツで亡くなっています。
その時代のヨーロッパは大戦を経ていて
特にドイツはユダヤ人を迫害し、
何人ものユダヤ人物理学者が
反ドイツの体制で活動していました。

ヴィーンはソルベーユ会議に出ていて
物理学会に関わっていたでしょうが、
政治絡みの考えは独自のものとなって
いたと考えます。修業を兼ねて他国へ
留学したり協同研究をしたりする
現代とは異なった環境にあったのです。





ヴィーンの法則はプランクの法則の極限
として考える事が出来ます。この法則は
反応を起こす物質の温度と放出される
電磁波の波長を関連付けますが、
対象物質の内部構造迄、踏み込んだ議論
が成された形跡はありません。現象の
不完全な定式化であって独自の理論です。





私の理解不足もありますが、
マッハとボルツマンの考え方の差異
が思い起こされます。ヴィーンもまた
伝統的な枠組みの中で葛藤していたの
でしょうか。いつかまた考えてみたい
と思えてきました。

それにつけても、
ヴィーンの法則は我々に新しい知見を
もたらしていて、物質内部での反応に対し
変化を定量的議論の枠組みに乗せて
次なる議論の礎を作っています。
確かな一歩でした。







以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/9_記





OJISAN.png


【Cナイキスト原稿】


ナイキストはスウェーデンに生まれました。
1907年に家族がアメリカ合衆国に移り住み
その後、帰化しています。

その時点でナイキストはハイスクール修了
くらいでしょうか。アメリカの名門イェール大学
を卒業した後に1917年からAT&T研究所で研究します。
後にベル研究所で研究します。





ベル研究所でナイキストは熱雑音や
FB増幅器の安定性を研究しますが、
特筆すべきは離散化された信号の
サンプリングに関する物でしょう。

そのナイキストが提唱した周波数は
ナイキスト周波数と呼ばれ
信号処理の世界では基礎的な
理念となっています。実用的には
2の8乗である256から2.56倍の
サンプリング周波数を使い計測する事
でナイキスト周波数を保証しています。





また、彼の考案したナイキスト線図は
極座標を使い対象系の安定性を議論します。
ナイキスト線図も系の安定性を考える為に
現代の信号処理の世界で使われていて
市販のアナライザーに機能として
搭載されています。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/10_記





OJISAN.png


【JJサクライ原稿】


Jサクライの日本語表記は桜井純で日本生まれ。
私が使っていていた教科書でカタカナ表記
でしたので個人的にはカタカナ表記も好きです。

JJサクライは新制高校に在学していた
16歳の時期に留学生選抜試験に合格し、
アメリカに渡りました。学問好きの少年
だったのでしょう。その後、ニューヨーク
にある高校を卒業した後に、ハーバードを
主席で卒業しています。





その後、JJサクライはコーネル大の院
で研究を進め、在学中に弱い相互作用の
考えを提唱しています。彼の研究では
弱い相互作用と強い相互作用が出てくるので
少し言及します。そもそも自然界には
4つの力があると言われていて、
ここでの2つは4つの内の2つなのです。

具体的に弱い力は、働く範囲が陽子直径
より小さいのです。また、素粒子や準粒子が
ボゾンを交換して相互作用する中で
弱い力は強い力や電磁学に比べ
数桁小さな力として作用します。





弱い相互作用は標準模型での
全てのフェルミ粒子とヒッグスボソン
に作用します。特にニュートリノは
重力と弱い相互作用のみを使って
相互作用します。弱い相互作用は
束縛状態をもたらしません。これは
重力が天文学的スケールで月と地球
の間の相互作用に関与していたり、
電磁力が原子レベルで互いに力を
与えあったりする束縛状態とは
異なるのです。また、弱い相互作用
とは違い強い核力は原子核の内部で
非常に強い束縛状態を持ちます。
別言すれば、弱い相互作用は
結合エネルギーに関与しません。





JJサクライはこうしたメカニズムを
深く研究しました。そして49歳で
突然、他界してしまいました。合掌。






以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/11_記





OJISAN.png


【E矢野健太郎原稿】


矢野健太郎は私が使っていた教科書の著者でした。
幾何学関係か解析学関係だったかと。
彫刻家の子として生まれ東京帝大で学びます。

矢野健太郎はは小学生時代にアインシュタインが
来日し刺激を受け、帝大の山内恭彦から
物理学の理解には代数幾何学が必要だ
と教えを受けました。物理現象のモデル化
の観点から有用性を感じたのかと。





その後、矢野はカルタン先生の下で学ぶべく
パリ大学へ留学します。そこで纏めた博士
論文は射影接続空間に関する論文でした。
この頃から統一場理論に関心を持ちます。

戦後にはプリンストン高等研究所で
微分幾何学の研究をしていき、同時期に
在席していたアインシュタインと
交流を持ちます。奥様とアインシュタイン
が写った写真は大事に家宝としたそうです。





矢野健太郎の著者は多岐に渡り、受験参考書の定番、
解法のテクニックは矢野健太郎の著作です。
またアイザックアシモフ、ポアンカレ、
アインシュタインの書物を日本に紹介
する際に監修をしたりしました。また、
矢野健太郎はバイオリンが好きでした。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/12_記





OJISAN.png




【F西嶋和彦原稿】



西島和彦は茨城に生まれました。
東大を卒業後に大阪市立大学で教鞭
をとります。その後イリノイ大学で
教鞭をとります。

そんな経歴の中において、
西島和彦の業績として特筆すべきは
ストレンジネスの提唱でしょう。
素粒子の性質を吟味していく中で
当時は電荷量、バリオンといった値が
知られていたようですが、それに加え
てストレンジネスといったパラメター
を西島和彦は考え、素粒子の性質を
語る礎を固めていったのです。





西島和彦は学生時代に中野董夫、
マーレ・ゲルマンとストレンジネスで法則化
しました。強い相互作用や電磁相互作用
では反応の前後でストレンジネスが
保存されるのです。






西島和彦らが考え出したストレンジネスは
直接観測にかかるものでは無く、
反応の前後で、ストレンジクォークと
反ストレンジクォークの
数を使って定義されます。
そして、ストレンジネスを使った
中野西島ゲルマン・モデルは坂田模型や
SU3モデルへ、クォークモデルと繋がり
素粒子の振る舞いを明らかにしていくのです。






以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/12_記





OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月04日

トピック 天文台で文明探査他を

今日の日経新聞からトピック。
英国やオーストラリア、南アフリカを
中心として国際間での協同プロジェクト
が始まります。今月15日スタート。

受信感度にして現在の50倍の天文台
を作ろうとしています。複数の電波
望遠鏡を組み合わせ面積が世界最大
の1万平方キロメートルになります。
ここから付いた名がSKA計画です。

詳細は後日補記しますが、地場測定
で宇宙創生時から進化の手掛かりを
得たり、中性子星からの信号処理で
アインシュタインの一般相対性理論
の検証が見込まれます。

日本の研究者も大きな関心を
寄せています。

爵位について【原稿改定】

「爵位について」に関して
リンクのついた稿
を改定をしました。
差分はニュートンとケルビンとファラデーの投稿です。
ファラデーはナイトを辞退していますが
叙勲に相当すると考えてよいでしょう。





【以下は初回原稿】

フランス人はエッフェル塔に名を残し、
イギリス人は勲章で名誉を称え爵位を授ける。
科学の歴史を整理していて私はそう感じます。

以下に気付く限りの叙勲を連ねますのでご参考に。

https://fanblogs.jp/nowkouji226/archive/99/0?1609115676
二代目コーク伯爵_ロバート・ボイル
Sir Robert Boyle
_1627年1月25日 ~ 1691年12月31日

ヴォルタ伯爵_アレッサンドロ・ジュゼッペ・アントニオ
・アナスタージオ・ヴォルタ
Il Conte Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Volta
_1745年2月18日 ~ 1827年3月5日(ナポレオン時代の叙勲)

初代ケルヴィン男爵_ウィリアム・トムソン
William Thomson, 1st Baron Kelvin OM, GCVO, PC, PRS, PRSE
_1824年6月26日 ~ 1907年12月17日

第3代レイリー男爵_J・W・ストラット
ジョン・ウィリアム・ストラット
_John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh
_1842年11月12日 ~ 1919年6月30日

山川健次郎男爵__1854年9月9日 ~ 1931年6月26日

初代のネルソン卿__ラザフォード男爵_アーネスト・ラザフォード_
Ernest Rutherford, 1st Baron Rutherford of Nelson, OM, FRS,
_1871年8月30日 ~ 1937年10月19日

なお、ホーキング博士も大英勲章を得ていますが
爵位は受けていません。時の移り変わりでしょう。

以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com







posted by コウジ at 06:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ハッブル_ローレンス_アンダーソン_ボイル_ゲルマン_マクローリン_小柴昌俊_* 【11/8~11/13の原稿】

以下に草稿を残します。各項は、適時改定致します。

【Memo_急ぎ原稿改定を進めて、
お恥ずかしい誤記等を改めたいと考えています。
細かくは、
ブログの稼働が9月頃だと考え、四半期の周期で
改定を繰り返していく形で定期的に改稿して、
より正確な内容をお届けしたいと考えています。
だから、、
一月の早い内に第一回改訂を終えたいですね。】

@ハッブル
Aローレンス
Bアンダーソン
Cボイル
Dゲルマン
Eマクローリン
F小柴昌俊

【@ハッブル原稿】
ハッブルは近代を代表する天文学者で、ハッブルの法則
等が有名です。そんな大天文学者ですが、
高校時代は陸上でイリノイ州の記録を更新したりしていました。
そんな少年時代は後の人生と全く違いますね。
そして、大学時代はボクシングでならし、
とあるプロモーターから世界チャンピオンとの
一戦を持ちかけられたほどの強さでした。これまた意外。





ハッブルの業績で大きいのは赤方偏移の発見でしょう。
1929年にセファイド変光星の観測から明るさと変光周期の関係
を観測していく事で赤方偏移を導きました。





ハッブルが考えていた宇宙論では、無論のこと実験は出来ず、
使える理論も検証の為に理論が必要となる学問体系でした。
そこでハッブルのもたらした赤方偏移は理論に明快に方向性を与え、
次なる考えにつながっていくのです。赤方偏移の考えから
膨張宇宙論の考えが裏付けられて、ひいては
ビックバーン理論へとつながっていったのです。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/1_初稿投稿

【Aローレンスの初稿原稿】

ローレンスは優れた実験家で
今でも頻繁に応用されている
サイクロトロンを発明した事
で広く知られています。





ローレンスの博士号習得時には
イェール大学で光電効果に関する
研究をしていたようです。その後、
恩師だったスワン先生がイェール大学
を去るタイミングでカリフォルニア大
に移ります。ローレンスは実験家
として大変、有望視されていました。

サイクロトロンを使った実験で、
ローレンスがその装置を活用
した応用が人工放射性元素でした。
ローレンスと彼の率いるバークレー国立研究所は
自然界に存在する元素だけでなく、
不安定な元素を作り出したのです。

強い磁場を使い帯電しているイオンを
ビーム状に出す事が出来るので
ローレンスの作ったサイクロトロンは
イオンが反応する状態を作れる
のです。例えば特定金属に
イオンビームを当て続ける事が
出来る訳です。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_記





OJISAN.png


【Bアンダーソンの初稿投稿】

物性研究で有名なアンダーソン博士をご紹介します。
所属研究機関としてはハーバード大で学びベル研・
ケンブリッジ大・プリンストン大学で勤務しました。
米国の綺羅星が並んでいますね。素晴らしい研究人生です。





アンダーソンの研究で思い出すのはアンダーソン局在です。
無秩序系における電子の基本的な性格で、物性論の基礎になっています。
その理論では電子が局在した状態は非局在の状態と明らかに異なり
エネルギー的に区別されます。更に、長さ・時間のスケールを
変換する理論をスケーリング理論として展開して
理論を発展させたのです。こういった業績を評価され、
アンダーソンはノーベル物理学賞を受賞しています。





そしてアンダーソンは 東京大学から名誉博士号
を贈られています。物性研で記念植樹されていたようですが、
赤坂・防衛省の近くでしょうか。柏でしょうか。
何時か見に行きたいと思います。

最後に、アンダーソンの残した業績は大きいのですが、
残した言葉を一つご紹介します。
More is different
そして、
アンダーソンは多様性の中から秩序を拾い出しました。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/3_記





OJISAN.png


【Cボイル原稿】
その名は正確には
サー・ロバート・ボイル: Sir Robert Boyle_
英国アイルランド生まれの物理学者です。
初代コーク伯爵リチャード・ボイルと
キャサリンの間に7番目の男子として生まれ
現地の家庭に里子に出されます。
その結果、ボイルはアイルランド語を
理解し、通訳レベルまで習得しました。

ボイルはフランス人の家庭教師と
海外旅行をしていて、1641年冬には
イタリアのフィレンツェで過ごし、
ガリレオ・ガリレイの教えを受けます。
ガリレオは1642年に亡くなりますが、
まさに晩年、ガリレオと接したのですね。
今の日本人なら中学生でしょうか。
多感な時期に良い刺激を受けた事でしょう。





1644年に大陸の長旅を終えるとボイルは
多くの時間を科学に使い、後の王立協会
に繋がる集まりであるロンドン理学協会
、不可視の学院とも呼ばれた集まりに
参加するようになります。先代が亡くなって
いましたので、ボイルはアイルランドでの
立場もあったのですが、ロンドンで頻繁に
会合が開かれた事情もあり彼は最終的には
オックスフォードに移り住みます。
実験器具が入手し辛いといった切実な
側面もあったようです。









その後、フックを助手としてボイルは空気
ポンプを制作して圧力の研究を始めます。
やがてはその研究は体積との関係を示す、
ボイルの法則に繋がります。
ただ1660年迄に
体積は圧力に反比例すると明言していて、
書物での記録はあるようですが、
温度や分子量との関連を含め、
現象の定式化には至らなかったようです。
実際の定式化はヘンリー・パワーによって
1661年になされているようです。

最後に、ボイルは錬金術の伝統を受継いで
いましたが、近代的な視点を持ち「元素」を想定して、
混合物と化合物を明確に区別した点で秀でています。
ボイルが明確にしたパラダイムシフト
は非常に大きな業績だと言えるのではないでしょうか。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/4_記





OJISAN.png


【Dゲルマン原稿】
ゲルマンは米ニューヨーク生まれの理論家です。
素粒子論の世界でノーベル賞を受けています。
ゲルマンの名を本来はゲル-マンと書きますが、
【Gell-Mannと書きますが、】
本稿ではゲルマンとします。

ゲルマンはイェール大で学士号を受け、
MITで博士号を受けました。その後、
プリンストン高等研究所、コロンビア大、
シカゴ大、カリフォルニア工科大で
研究を続けます。サンタフェ研究所の
設立者の一人でもあります。





ゲルマンの研究実績としてはクォークの提唱
が大きかったですね。加速器の開発後には
様々な粒子が未整理のまま次々と発見され、
それらの関係と性質は未解決のまま
問題が蓄積されていきます。
それらを整理・理解する手段がクォーク
だと言えるでしょうか。





ゲルマンの理解体系では対象性が使われて
いて、ストレンジネス・カラーといった
概念で素粒子が理解されていきます。
秩序ある奥深い理論だと思います。





さて、ゲルマンの業績として素粒子の
分類に関する側面を取り上げてきましたが、
ゲルマンの研究での真骨頂は粒子の反応
に関しての研究ではないでしょうか。
関連してR・P・ファインマンという
論敵がいました。

あくまで伝えられている内容なのですが、
ゲルマンとファイン・マンの論争は
まるで子供の喧嘩みたいにも思えます。
激怒したファイン・マンが、
貴様の名前綴りからハイフォン消すぞ!
【Gell-Mann改めGellmannとするぞ!の意】
と怒鳴りつけたら、ゲルマンが
お前の名前をハイフォン付きで書いてやる!
【Feynman改めFeyn-Manとしてやる!の意】
と言い返す有り様だったようです。
アメリカ人の感覚なのでしょうか。
西部劇の勢いなのでしょうか。
ただ少し理解出来るかも、と思ったのは
互いの家を侮辱していたのてすよね。
瞬間的に家祖を汚す発想は、頭の切れる
天才同士の喧嘩だったのでしょう。

そんなゼーマンとファイン・マンは
それぞれに素晴らしい業績を残しました。










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/5_記





OJISAN.png


【Eマクローリン原稿】
マクローリンの名を耳にするのは数学の中ではないでしょうか。
特に彼の名にちなんだ展開で有名です。その内容は
0を中心としたテイラー展開であって、
とても特別な場合なのですが
その有益性は非常に大きいのです。
その有益性は単純な私達では思い付かなかったでしょう。





マクローリンは英スコットランドに生まれました。
ニュートンと仕事をする中で彼の信頼を得て、
大学への推薦状を書いてもらう程でした。

マクローリン自身もニュートンの考えに惚れ込んでいて、
その紹介を目的として出版活動をしていました。
こうした仕事を通じてスコットランド啓蒙運動
に勤しんだ【いそしんだ】のです。









多くの人は高校時代以降に数学を使わなくなるでしょうが、
実生活の中で数学の世界はとても役に立っています。
特に、今回ご紹介しているマクローリンの考えは
一般関数の級数展開といった考えにつながり、
その考えはひいてはデジタル回路における近似処理
に繋がるのです。スマホの中とかの回路での処理原理です。
一般の人は意識しませんが恩恵を受けています。

理工学系の過程に進む初学者は以上の点を少し意識して下さい。
一見関係ないように思える数学の世界も、その概念を
土台として現代の応用技術が成り立っているのです。
無意味乾燥に思える講義の内容が
貴方の人生で思わぬ成果を生む場合があります。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/6_記





OJISAN.png


【F小柴昌俊の原稿】
日本の物理学の新しい分野を切り開いた先人でした。
2020/11/12の夜に老衰の為、都内の病院でお亡くなりになりました。
享年94歳の大往生です。

小柴昌俊は物質の基本元素を構成する素粒子の1つニュートリノ
を観測にかける事に成功しました。その結果をもとに今では
ニュートリノ天文学という新しい分野を確立しました。
ニュートリーノは星の進化過程で発生します。驚いたのですが、
ニュートリーノを観測にかけたのは、小柴昌俊が東京大学を
定年退官する一月前の観測でした。強運を指摘された小柴氏は
「運はだれにでも等しく降り注ぐが、捕まえる準備をしているのか、
していないのかで差がつく」(のですよ、と)反論しました。





東京大学宇宙線研究所に所属しているの梶田隆章は
小柴昌俊の弟子にあたりますが、
ニュートリーノに質量がある事を示しノーベル賞を受けています。
また、戸塚洋二も小柴昌俊の弟子にあたります。
朝永振一郎から可愛がられた若かり時代を経て
梶田隆章教授、戸塚洋二教授を育てたのです。






小柴昌俊は俊岐阜県飛驒市にある鉱山地下、1000メートルに
3000トンの水を使った、巨大装置、カミオカンデを建設し、
天体からのニュートリノを観測しました。その装置では
ニュートリーノが飛来する方向、観測した時刻、
エネルギー分布を明確に検出します。実際に観測をしました。
カミオカンデの主目的はニュートリーノではありませんでしたが、
ニュートリーノも、という二段作戦で成功を得たのです。
小柴昌俊はそうした結果を使いニュートリーノ物理学を進めたのです。
何より彼は大変な努力家でした。そんな男が
大きな仕事を成し遂げた後、静かな眠りに落ちたのですね。
大きなお悔やみを申し上げます。合掌。






以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/12_記





OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月03日

ポアンカレ_ゲルラッハ_シュテルン_ボーム_ギブス【11/04~11/07の記事】

以下に草稿を残します。各項は適時改定致します。

@アンリ・ポアンカレ
Aヴァルター・ゲルラッ
Bオットー・シュテルン
CD・J・ボーム
Dウィラード・ギブズ

【@ポアンカレの記事】
その名を書下すと、
ジュール=アンリ・ポアンカレ:
Jules-Henri Poincaré。
多様体における考察である
ポアンカレ予想で、
よく知られています。





ポアンカレは数学、物理学、天文学
で名を残していますか、その
数学的立場には賛否両論があります。
一般の見方をしたら分からない
のでしょうね。





ポアンカレは第一回ソルベーユ会議
にも出席していて、マリ・キューリとの
写真は色々な所で紹介されています。
どんな話をしていたのか興味深いですね。





他、ポアンカレの業績としては
位相幾何学の分野でのトポロジー
はの概念形成などもあります。
ヒルベルト形式主義よりも直感に
重きを置くスタイルは、いかにも
数学者らしい、とも思えますが、
特定の人からみたら
意味不明に思えたりするのでしょう。

また、とある数学的な発見時に、
思考過程を詳細に残し、数学プロセス
での心理学的側面の研究に影響を
残したとも言われています。





また、以下の著作は何時か時間が出来たら読んでみたいと考えている
ポアンカレの著作です。個人的な課題ですね。

・事実の選択・偶然_寺田寅彦 訳_岩波書店
・科学と仮説_湯川秀樹・井上健編_中央公論社
・科学の価値_田辺元 訳_一穂社

以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_記

OJISAN.png




【Aゲルラッハの記事】
ゲルラッハはシュテルンと共に
行った実験で有名です。
シュテルンは関連人物が出てきたり
しますので、先ずはゲルラッハと
実験内容について語りたいと思います。





その実験はゼーマンとローレンツ
による実験と通じる部分があります。
古典的な考えだけでは説明出来ない
量子力学的な状態の縮退を考慮する
必要があるという結論に繋がります。

具体的にゲルラッハとシュテルン
が行った実験では、磁場での
スピンが分離されています。
加熱された銀粒子がビーム状に
放射されている時にビーム経路
に対して垂直に地場をかけます。

壁に当てたビームの輝点
を見てみた時に古典論では
輝点は一つです。所が、
ゲルラッハとシュテルンの実験
では縮退の解けた2点が出たのです。





量子力学的な考えに従うと、
電子はスピンを持ち、磁場に対して
同じ方向のスピンと
逆の方向のスピンが存在します。
だから、
磁場に対する軌跡が異なるのです。





この実験はゲルラッハが実現したようですが
シュテルンが亡命していた事情、
政治絡みの判断、が相まって
当初はゲルラッハの名は表に出ませんでした。

さて、話を現代に近づけると、
2012年に日本で半導体内部で
同じ原理を使い同じ結果を得てます。
アイディアの種は
色々な所にありますね。

強磁性体や外部磁場を用いずに電子のスピンを揃えることに世界で初めて成功_2012年12月

https://www.ntt.co.jp/journal/1212/files/jn201212058.pdf

以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_記





OJISAN.png




【Bシュテルンの記事】
シュテルンはポーランドのプラハ大学でアインシュタインに会い、共にチューリッヒ工科大学にうつります。
気の合う議論相手だったのでしょうか。

戦争に伴い、ナチスにハンブルグ大学の地位を追われた
シュテルンはアインシュタインと共にアメリカに亡命します。この時は
戦後、ナチ政権下で教授を続けたゲルラッハと対照的ですね。

最終的にはUCB(カリフォルニア大学バークレー校)で
名誉教授を務めます。81歳の生涯でした。

以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_記





OJISAN.png


【Cボームの記事】
正確にはその名は、
デヴィッド・ジョーゼフ・ボーム_
David Joseph Bohm、
ヘブライ語表記ではדייוויד ג'וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם。
ハンガリー系‎‎ユダヤ人の父と
リトアニア系ユダヤ人の母の間に生まれ、
UCBバークレー校でオッペンハイマー
の教えを受けます。

学生時代に周りの影響で思想的に影響を受け
異なった社会モデルを持つ急進的な主義
の考えをボームは抱きます。後には
その為にFBIにマークされたりします。





第2次世界対戦の時にはボームは
師オッペンハイマーに従い
マンハッタン計画に参加します。
その計画は
陽子と重陽子の衝突研究を進め、
濃縮ウランを作り原爆を製造
する計画で実行に移されました。





戦後、ボームはプリンストン大学で
アインシュタインと共に働いていましたが、
いわゆるマッカーシズムにあい、
プリンストン大学を追われます。
社会主義者としての過去の活動を
当局に問題視されたのです。

アインシュタインはボームに彼の助手
として大学に残る事を勧めますが、
願い叶わず、ボームはブラジルの
サンパウロ大学に移りました。

研究者としてボームは幾多の成果を
残しています。
先ず量子力学の解釈の面で
ボーム解釈。EPRパラドックスの提唱。
そして電磁気学でのAB効果です。
それぞれの分野の考えに
今も残る影響を与えています。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_記





OJISAN.png


【Dギブスの記事】
その名は正しくはジョサイア・ウィラード・ギブズ_Josiah Willard Gibbsです。
米国コネチカット州に生まれイェール大学で博士号をとります。
その博士号はアメリカ大学における最初の工学博士だったそうで、
米国における物理学の先駆者だったのですね。





その後、ギブスは修行時代として、パリ、ベルリン、ハイデルベルクで
一年ずつ滞在します。今の感覚では想像出来ないのですが、
彼の人生で地元を離れたのはこの三年間だけだったそうです。





ギブスの業績として大きいものは物理学への統計力学の導入でしょう。
個々の粒子の個別の性質は別として、
体系の集団が持つ性質を統計的にまとめあげていく事で
その性質が熱力学的な特性につながっていくのです。
その考えをまとめた論文を読んだマクスウェルは大変感動をして
思いを伝えるために石膏模型を作ったと言われています。そして、
その抽象的な模型をギブスへ送ったのですが、模型は今でも
イェール大学で大切に保管されているそうです。

数理的手法を物理学に取り入れたギブスですが、
その立場(スタンス)を表現している言葉をご紹介します。
A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.
【(私の訳)
数学者は望むがままに物事を言えますが、
物理学者は何とかして、しゃっきりと
物事を伝えなくてはいけないですよ。】
数学者と物理学者は視点を変えていかねばいけないと思います。

最後に、戸田先生の教科書【岩波書店から出ていた熱・統計力学の本】
でギブスの人柄を伝えるエピソードが載っていたのでご紹介します。
(小さな物語の始まりです)
ギブスは結婚をしないで父の残した家に妹夫婦と共に住んでいました。
その家は彼の研究室から近い場所、道を渡ったところにあって、
ギブスは午前の講義を終えた後に、食事の為に家に戻っていました。
お昼を食べた後にギブスは研究室に帰ってそこで過ごし、
夕方五時頃に散歩をしながら帰宅するという静かな暮らし
を送っていました。何年も。何年も。そして、
ギブスは妹の家事を手伝い、一緒に料理もしました。
特に、不均一系の研究をしていたギブスは
サラダを混ぜる仕事がとても得意だったそうです。
うまく作業できた時には大層、ご機嫌になれたでしょう。
そんな静かで温かい生活を重ねていました。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_記





OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月02日

メインサイトのTOPを再更新しました【改定】


おはようございます。

本日、主サイトでのTOP写真からの
リンクを再更新しました。
コンプトン_に記事へのリンクを入れました。
ド・ブロイ_に記事へのリンクを入れました。
ボルン(ボーン)_
に記事へのリンクを入れました。
他日、時間がとれたら
他の人々にもリンクを入れていきたいです。

https://fanblogs.jp/nowkouji226/archive/146/0

なお、12/30現在で総ての既投稿分記事に対して改定を行いました。
2021/01/01から
第二回目の投稿改定をしています。
特に以下、留意しています。

@関連して紹介していない人物がいないか再考する事
Aサイト閲覧者が興味を広げられるべく外部リンクを使う
Bページ内リンクを効率的に使う

このサイトで想定しているペルソナは
物理学に関心を持つ全ての人々ですが、
特に考えているのは、そんな人々が更に更に興味を深め
結果として物理の世界をより深く考察できる環境を
作っていく事が出来たら良いと考えています。

以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2021/01/02_改定向けに投稿






OJISAN.png


posted by コウジ at 12:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

ベルヌーイ_コーシー_カルノー_ランジュバン_ゼーマン【10/30~11/3の記事)

以下に草稿を残します。各項は適時改定致します。

@ダニエル・ベルヌーイ
Aルイ・コーシー
BN・L・S・カルノー
Cポール・ランジュヴァン
Dピーター・ゼーマン

【@ベルヌーイ原稿_10/30時点の記事】

ダニエル・ベルヌーイの名前で
ダニエルって大事です。科学史
に詳しい人ならピンと来るの
ですが、ベルヌーイ一族は沢山、
科学史に出てきます。
3世代で8人が特に有名です。





先ず、今回取り上げたダニエルは
3兄弟で、全て物理学者・数学者
です。また、ダニエルの父の世代
にも何人かの学者が居るようで、
ダニエルの叔父の仕事を父が
引継ぐ場面もあったようです。





また、こんな事もありました。
1734年のパリ・アカデミー大賞で
父のヨハンと息子のダニエルが
同時に賞を受賞した事が父の名誉
を傷つけダニエルはベルヌーイ家
から出入り禁止の扱いを受けます。
父は死ぬまでダニエルを恨んで
いました。有名なダニエルの
流体力学に関する著作でヨハン
による盗用もあったようです。





そんな事もありましたが、ダニエルは
研究を続け、パリ・アカデミー大賞
の受賞も10回になったようです。
何よりニュートン力学と数学を組み
合わせ流体力学を発展させました。
そうした仕事は船舶運航等に大変、
役立ちました。





【Aコーシー_10/31時点での記事】

その名は正確には、オーギュスタン=ルイ・コーシー
(フランス人)Augustin Louis Cauchyです。
コーシーは数学者で、天文学、光学、流体力学に大きく貢献しています。

コーシーの生まれた時代にフランスでは
革命が起きていて
それを避ける為に家族は郊外に居を移します。
彼の生まれた時期でした。





コーシーの一家がパリ郊外に移り住んだ時に
近くにラプラスが住んでいました。
コーシーの父とラプラスが交流を進める中で
ラプラスはコーシーのセンスに気づきます。
素晴らしい出会いだったのです。





やがてコーシーの一家はパリに戻って
サロンでの交流をしたりします。
コーシーはそんな中で土木学校を卒業して
港を作る仕事をしていたようです。





思想的には両親の影響を受け保守的なところがあり、
シャルル10世の国外退去に伴い、
共に流浪の時代を送ります。
そこでコーシーはボルドー公の家庭教師
などをしていました。





研究においては置換方法にコーシーは工夫を凝らし
群論に繋がる研究成果を纏めています。
また解析学の面では、その厳密な性格から
ε・∂(イプシロン・デルタ)論法の原型となる考えを
作り出しました。結果として、
解析学では厳密な定式化を進め、
現代の数学の礎を作ったのです。
級数の置換をスマートに進めていたと思います。
連続・非連続をつないでいったと
言えないでしょうか。





私も複素平面・留数定理…と
学んでいった事を思い出します。
現代で使っている解析学では
コーシーが作り上げたものが多いです。
コーシー・リーマンの方程式・コーシー列・
コーシーの平均値の定理・
コーシーの積分定理等、枚挙にいとまがありません。
その業績は広くたたえられ、
エッフェル塔にその名を残しています。









【Bカルノー】
その名は正確にはニコラ・レオナール・サディ・カルノー
: Nicolas Léonard Sadi Carnot。
理論的な熱機関カルノーサイクルから考え続けました。





カルノーの関心は蒸気機関にありました。
当時の産業界は蒸気機関を
理論的に説明出来ていなかったのです。

ニュートン力学で出てくる力の他に
その力を加え続けた距離を考えて仕事量の概念を作ります。
重い荷物を「数cm引きずる」のと「数km引きずる」のでは
大きな差があり感覚的に理解出来ます。





例えば、物体を動かす力と動いたときに発生する摩擦熱
の間には関係があり、それらを結びつけるのに
カルノーは仕事量の概念を使いました。
他、比熱、熱容量、といった概念が出来て
様々な現象が繋がっていったのです。

ただ残念な事に、
非常に短い人生を送っていて
36歳の時に病死してしまいます。
カルノーが評価を受けたのは死後でした。
クライペロン・トムソン卿が評価し、
その後にマッハが評価をしています。













以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_記





OJISAN.png


【Cランジュバン_11/02時点での記事】
ランジュバンは双子のパラドックス
で有名ですね。その矛盾の指摘は、
初めアインシュタインが指摘した
2つの慣性系での時間差から始まる
話ですが、ランジュバンが双子の例え
に置き換えて分かりやすくしました。
そんな時代の人です。無論、
ソルベー会議等に参加しています。





研究者としてはキャヴェンディッシュ研究所で
ジョゼフ・ジョン・トムソンのもとで学んだ後
にソルボンヌ大のピエール・キュリーの下て、
学位を得ました得た。磁性の研究をする一方で
水晶振動子を開発して超音波を発生させる
メカを実用化しました。





また、マリ・キューリとの恋仲も
知られていたようです。ゴシップネタで恐縮ですが。
そして、何年か後には二人の孫同士が結婚してます。





また、ランジュヴァンはソナーの発明でも知られて
います。潜水艦の関係者なら多大な恩恵を受けて
いる訳ですね。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_記





OJISAN.png




【Dゼーマン_】
ゼーマンはローレンツと同じ時代の理論家で
ローレンツと同時にノーベル賞を受賞してます。
当然、アインシュタインとも交流をもちます。





ゼーマンにとって幸運だったのは
ローレンツとカメリー・オンネスに師事した
事です。稀代の理論家と実験家の指導のもと、
ゼーマンは素晴らしい環境で育ちます。





そんなゼーマン等が出した結果が
ゼーマン効果です。具体的には
磁場中に置かれたナトリウム原子の
スペクトルを観察した時に、
それが分裂していたのです。






ローレンツとゼーマンによって
成された説明はナトリウム原子の
内部構造についてのものでした。
細かくは原子内部の電子が電荷
を持ち、磁場中では今で言う
縮退状態からの開放と
スピンの性質から、
放射特性が変化するのです。

更には、その電荷の物理量が
別に理論を進めていたJ.J.トムソン
のそれと近しい値をとった事で
ローレンツとゼーマンの理論は
説得力をもちました。結果、
ノーベル賞が贈られます。





また、ノーベル賞受賞後に
ゼーマンはアムステルダムで
研究所を運営し、そこで電磁光学
の研究を進めています。特に、
移動する媒質の中での光の伝播
に関しても研究していますが、
それは相対論の形成に有益
でローレンツやアインシュタイン
も評価していたと言われています。

ローレンツとゼーマンの素晴らしい
点はナトリウム原子の構造を
解きほぐす手法にあると思います。
実験結果の積み重ね、仮設の設定、
そして全てを使った理論構築の
モデルはその後に多くの学者が
活用可能な手法だったかと。
その後に他の原子も次々と性格が
明らかにされていきます。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_記





OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

2021年01月01日

メインサイトのTOPを再更新しました【改定】


まず、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
今年はこのサイトをより使いやすい
サイトへ発展させていきます。
(宣言しておきます。)

主サイトでのTOP写真からの
リンクを再更新しました。
パウリ_に記事へのリンクを入れて
ハイゼンベルグ_に記事へのリンクを入れて
デバイに記事へのリンクを入れています。
他日、時間がとれたら
他の人々にもリンクを入れていきたいです。

https://fanblogs.jp/nowkouji226/archive/146/0

なお、12/30現在で総ての既投稿分記事に対して改定を行いました。
2021/01/01から
第二回目の投稿改定をしています。
特に以下、留意しています。

@関連して紹介していない人物がいないか再考する事
Aサイト閲覧者が興味を広げられるべく外部リンクを使う
Bページ内リンクを効率的に使う

このサイトで想定しているペルソナは
物理学に関心を持つ全ての人々ですが、
特に考えているのは、そんな人々が更に更に興味を深め
結果として物理の世界をより深く考察できる環境を
作っていく事が出来たら良いと考えています。

以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2021/01/01_改定向けに投稿






OJISAN.png


posted by コウジ at 09:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定

プトレマイオス_ラザフォード_マイケルソン_レイリー_チャドウィック【10/25~10/29の原稿】

以下に草稿を残します。各項は適時改定致します。

@クラウディオス・プトレマイオス
Aアーネスト・ラザフォード
Bアルバート・A・マイケルソン
C第3代レイリー男爵_J・W・ストラット
Dジェームズ・チャドウィック

【@プトレオマイオス原稿】
先ず、プトレマイオスの生没年はユリウス暦によります。
科学が分化していない時代の人物で哲学・天文学・占星術
等、多彩な仕事を残しました。古い人で
アラビア語の文献では古代エジプト王の血を引く
と伝えられていて、エジプト人であるという考えと
ギリシャ人であるという考えがあるようです。

アルマゲストを初めとするプトレマイオスの著書は
中世に至るまでヨーロッパ世界に
多大な影響を及ぼしました。
地球が宇宙の中心にあり、
天文学を数学的に整理して体系立てて紐解き、
天動説を確かな物にしています。

プトレマイオスの天文学での業績は
後の人々が考える理論(数学モデル)の基礎を
分かり易く整理して、当時の実用に
耐えうるレベルまで引き上げ紹介した点です。

同時にプトレマイオスの天文学での問題
を考えると天動説の検証をし辛くした点です.

【Aラザフォード】
その名は正確にはアーネスト・ラザフォード_
Ernest Rutherford, 1st Baron
Rutherford of Nelson, OM, FRS,
初代のネルソン卿_ラザフォード男爵です。

ラザフォードはニュージーランドに生まれ数学でマスタの学位をとった後で奨学金を得てイギリスのケンブリッジ大学に進みます。そこでラザフォードはJJトムソンの指導のもとで気体の電気伝導の研究をします。

研究を進めるうちにラザフォードはウランから2つの放射線、
α線とβ線が出ている事を発見します。ラザフォードは後に透過性の非常に強い放射線が電磁波である事を突き止め、半減期の概念を提唱します。





ラザフォードが考えた半減期の分かり易い
例として、岩石の年代測定があります。
特定の岩石に含まれる物質から出てくる
放射線量を計測すれば、
半減期の概念を使って形成から今迄、
どのくらい時間が経っているか推定
出来るのです。





ラザフォードは更に研究を続けました。
ガラス管にα線を集め、そのスペクトル
分析からα線とはヘリウム原子核である
と突き詰めています。そして、
1911年にはガイガー・マースデンとα線の
散乱実験を行いました。有名なラザフォード
の原子模型が提唱されたのです。
原子には中心に原子核があり
その周りを電子が運動している
現代でも使えるモデルです。

またラザフォードはその人柄から
原子物理学の父と呼ばれています。
キャンデビッシュ研究所では
若い研究所員たちにボーイズ。
と呼びかけていました。また彼は
夏の砂浜海岸でもスーツのジャケット
を脱がないスタイルでした。
そして、
原子番号104の元素は今、彼を偲んで
ラザホージウムと呼ばれています。









【Bマイケルソン】
その名を全て書き下すと
Albert Abraham Michelson。
ユダヤ系の血を引くアメリカ人です。





マイケルソンは物理学を学ぶ中で
光学に対して関心を示し、干渉計を発明しました。。
その後、有名な実験を実現します。
マイケルソンはその後も様々な
研究者と実験をしていきますが、
光の干渉を原理として使っていて
光路が長い程、精度が高くなります。

そこで、マイケルソン達の装置は
大がかりな物になっていきますが、
結果として様々な外乱に晒され、
誤差との戦いが続きました。
装置を据え付ける地盤、
微振動、感光装置、その他に
様々な配慮を払わねは
ならなかったはずです。





そもそも、マイケルソンの時代に
エーテルという光の伝播媒質が論じられて
いました。光が波であれば気になる存在です。
ローレンツの理論での変換は
干渉のずれを収縮が打ち消す、
といった結果をもたらします。
エーテルを想定したマイケルソンの
実験結果は様々な議論に繋がり
媒質としてのエーテルは現在、
否定されています。
この有名な実験が広く認められ、
マイケルソンはアメリカ人として
初のノーベル物理学賞を受けます。

近年、マイケルソンの実験手法は
別の成果をもたらしました。
2015年9月、2基のマイケルソン
干渉計を使い、直接的に重力波を
観測にかけたのです。
稀代の実験家の拘りが数十年後に
結実したと言えるでしょう。






【Cレイリー卿】
寺田寅彦 - 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学 (中公新書) - 小山 慶太

その名を改めて書下すと、レイリー男爵_3代目
ジョン・ウィリアム・ストラット_
John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh

分かり易い業績を紹介すると、
晴れた日の空の青さを説明しました。
子供が、空はなぜ青いの?って
聞いた時のお話しですよね。より細かくは
散乱光の研究からレイリー卿は入射波と
反射側の散乱波を考え、それらの
波長と空気中の分子の性質を考えたのです。
結果、昼間は青く、夕方は赤い。
レイリー散乱と呼ばれる考え方です。

またその他のレイリー卿の業績は、
地震の表面波の解析(レイリー波)、
ラムゼーと研究したアルゴン発見、
古典的な熱放射理論である
レイリー・ジーンズの法則等があります。

そんなレイリー卿は量子論や相対論に
厳しい立場をとっていて、
エーテルを考え続けていた様です。
当時の考えでは否定しえない物だった
とも言えるでしょう。





【Dチャドウィック】
チャドウィックは研究環境で恵まれていました。
マンチェスター大学の時代から
ラザフォードの指導を受け、
海外修業時代にはガイガーの下で
放射線計測の知見を積み上げました。
開発されたばかりのガイガーカウンター
を使い放射線特性での実績をあげます。

第一次大戦終了後はケンブリッジ大学の
キャベンディッシュ研究所で
再びラザフォードの下で研究を続けます。
ドクター修了後も10年以上、
ラザフォードの助手を努めていました。





キャンデビッシュ研究所での
討論や助言は多分に有益だった
であろうと思われます。
チャドウィック以外にも有能な
研究者達が集まっていました。
その中で議論を交わした筈です。
そんな中でチャドウィックは
中性子を発見していきます。その発見で
原子構造をまた一つ明らかにしたのです。

更にチャドウィックは中性子の質量
を明らかにして、それがガン治療
に有益であろうと考えます。





ただ、チャドウィックの時代は
世界大戦の時代と重なります。
マンハッタン計画ではイギリスの
リーダーとして計画を進めていました。
トリニティー実験も目の当たりにしたようです。

自身が心血を注いで作り上げた概念が
政治的に利用されていく有り様を
チャドウィックは、どう感じて
いたのでしょうか。不満だった筈です。

その他、パウリ・ハイゼンベルク等との
議論の発展、サイクルトロンの導入、
ノーベル賞の賞金の使い道について
追って、きちんと整理して再投稿したいです。
本稿はそろそろ〆ます。





チャドウィックはキーズ・カレッジ
の学寮長として晩年を過ごしています。
そして、リヴァプール大学には彼の
名を冠した研究所が残っています。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/25_記





OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定