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2022年10月02日

ルネ・デカルト(仏: René Descartes)【1596年3月31日フランス生まれ 〜 1650年2月11日】

ルネ・デカルトは、フランスに生まれた哲学者にして、数学者です。
そして。合理主義哲学の祖でもあります。
一般には近世哲学の祖として知られています。


「我思う、ゆえに我あり」の言葉は有名です。思索の主体と対象を考えている命題で、当時主流だったスコラ哲学による考え方と大きく異なります。スコラ哲学時従えば、信仰とは元来、自己を捧げる事で成立する行為で、信仰がが人間では作り上げられない「真理」の獲得へと繋がっていくのです。


スコラ哲学の保守的な考え方にデカルトは疑問を抱き、新しい哲学的な命題を打ち立てたのです。太陽の光が大地に降り注ぐように、人間の理性が自然に活動する中で真理へと近づいていけるであろうという考えがデカルトの信念なのです。


経緯を考えていくと、デカルトはイエズス会の学校に所属して研鑽を進めます。先ずイエズス会のラ・フレーシュ (La Flèche) 学院に入学します。当時、イエズス会の学校はフランスに15校。その中でもフランス王アンリ4世自身関わっていた有名なラ・フレーシュ学院です。そこには優秀な教師、生徒が集められていました。


プロテスタントは「信仰と姿勢は調和しえない」という教義に基づきます。それに対してカソリックを掲げるイエズス会は理性を侵攻に取り入れてスコラ哲学を教育カリキュラムに取り入れていました。更に自然科学の前進となる考えも好意的に取り入れていて、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で初めて木星の衛星をとらえた時には学院ではお祝いの催しが開かれたそうです。


デカルトが教えを受けた学院での教義の中では哲学は不完全なもので、
「その完成には哲学が必要である」とされています。


デカルトは学院で論理学・形而上学・自然学、占星術、秘術(今で言う魔術の系統)を学んでいきます。とりわけ自然科学の中で数学を好んで数学的な論法で議論する事もありました。そうした基礎教養を身に着けた後にデカルトは遍歴の時代を過ごします。


デカルトは22歳のときにオランダで軍隊に参加します。この時期は80年戦争での休戦期間なので実戦は無かったであろうと言われています。


それよりも寧ろ、軍隊の中での最新兵器の開発にデカルトは興味を持ちました。優秀な技術者と交流して知見を広める事が目的だったようです。


その後にデカルトはイザーク・ベークマンという人物に出会い知的な刺激を受けます。ベークマンは医者でありながら自然科学や数学に長けていました。ベークマンからデカルトが知った概念は次のようなものです。@原子の概念、A真空の概念、B運動保存の概念、です。それらは現代の物理学へと繋がっていく概念です。この時期にそうした概念の「基礎」が出来てきたのですね。そしてベーグマンはコペルニクスの考えに共鳴していて指示していました。デカルトはベーグマンと共に思想を発展させていきます。自由落下に対して見識を深め、水圧に対して見識を深め、三次方程式などの数学的な概念も発展させていきます。



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