登場場所の整理をしていますが、以下にSEO対策で「長岡半太郎」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介で銀杏並木を使いました。日本の物理学会を作っていった人です。ご覧になってみて下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。4/29(木)朝の時点でフォロワーは合計【11785】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。
【以下が投稿原稿です】
長岡半太郎の豊かな人脈
この長岡半太郎も湯川秀樹同様に大村藩の流れ。学生時代は東大で山川 健次郎や田中舘愛橘に学び、助教授として留学していた時期にボルツマンに学びます。それだから実証主義の考え方も、それ以後はある程度踏まえながら議論をしていったのでしょう。そんな事を考えながら、科学史の観点から論文を読んでみたくなりました。別の面から調べてみたら話は進む時があるんですね。
長岡半太郎の研究業績
長岡半太郎の研究業績として大きいのは、なんと言っても原子モデルでしょう。トムソンがブドウパンの中のブドウのような形で中心からの距離や軌跡と無関係に電子の存在を仮定していたのに対し、長岡半太郎は原子の周りを電子が回転する土星のようなモデルを提唱しました。この話は、不確定性関係と合わせて論じてみたいと思います。後に確立された不確定性関係では対象粒子の位置と運動量の関係が論じられます。この二要素が関連して論じられる訳です。その考え方の枠組みでは運動量が確定している電子に対して位置は不確定であって当然です。具体的には個体原子の位置は止まっていると見なせそうですが、動き回る電子の位置の確定が難しいのです。「運動量」の観測精度を高めている電子に対して位置情報はどんどんぼやけてきてしまいます。時代を戻して長岡半太郎の時代に電子を観測することを考えてみて、電子の挙動をとらえる帯電物質を想定してみても帯電体の中を動き回る電子の動きを止める事は出来ません。電子とは何時も動いている物体だからです。それだから、初めの時点での
モデル化の難しさが出てくるのです。
今日の物理学、特に量子力学的な知見では不完全なモデルとも言えますが、長岡半太郎のモデルは当時の原子モデルを大きく変えた点で高く評価出来ると思えます。素晴らしいパラダイムシフトでした。
〆
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2020/09/13_初回投稿
2021/05/10_改訂投稿