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2020年11月07日

ウィラード・ギブズ_1839年2月11日 ~ 1903年4月28日





その名は正しくはジョサイア・ウィラード・ギブズ_Josiah Willard Gibbsです。
米国コネチカット州に生まれイェール大学で博士号をとります。
その博士号はアメリカ大学における最初の工学博士だったそうで、
米国における物理学の先駆者だったのですね。





その後、ギブスは修行時代として、パリ、ベルリン、ハイデルベルクで
一年ずつ滞在します。今の感覚では想像出来ないのですが、
彼の人生で地元を離れたのはこの三年間だけだったそうです。





ギブスの業績として大きいものは物理学への統計の導入でしょう。個々の粒子の個別の性質は別として、体系の集団が持つ性質を統計的にまとめあげていく事でその性質が熱力学的な特性につながっていくのです。その考えをまとめた論文を読んだマクスウェルは大変感動をして、その思いを伝えるために石膏模型を作ったと言われています。そして、その抽象的な模型をギブスへ送ったのですが、模型は今でもイェール大学で大切に保管されているそうです。

数理的手法を物理学に取り入れたギブスですが、その立場(スタンス)を表現している言葉をご紹介します。
A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.
【(私の訳)
数学者は望むがままに物事を言えますが、
物理学者は何とかして、しゃっきりと
物事を伝えなくてはいけないですよ。】
数学者と物理学者は視点を変えていかねばいけないと。

最後に、戸田先生の教科書【岩波書店から出ていた熱・統計力学の本】
でギブスの人柄を伝えるエピソードが載っていたのでご紹介します。
(小さな物語の始まりです)
ギブスは結婚をしないで父の残した家に妹夫婦と共に住んでいました。
その家は彼の研究室から近い場所、道を渡ったところにあって、
ギブスは午前の講義を終えた後に、食事の為に家に戻っていました。
お昼を食べた後にギブスは研究室に帰ってそこで過ごし、
夕方五時頃に散歩をしながら帰宅するという静かな暮らし
を送っていました。何年も。何年も。
そして、
ギブスは妹の家事を手伝い、一緒に料理もしました。
特に、不均一系の研究をしていたギブスは
サラダを混ぜる仕事がとても得意だったそうです。
うまく作業できた時には大層、ご機嫌になれたでしょう。
そんな静かで温かい生活を重ねていました。







【舞台別のご紹介】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初稿投稿
2021/01/18_改定投稿





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2020年11月05日

オットー・シュテルン_1888年2月17日 ~ 1969年8月17日



シュテルンはドイツ生まれの物理学者でナチスに追われアメリカへ移ります。
シュテルンは先ず、ポーランドのプラハ大学でアインシュタインに会い、共にチューリッヒ工科大学に移ります。
気の合う議論相手だったのでしょうか。

シュテルンはドイツ本国で当時の感心事であった原子線の研究をします。
連続して特定の粒子を放出する事で粒子の性質を明らかにしていくのです。
結果としてゲルラッハと共に歴史的な実験を成し遂げました。

戦争に伴い、ナチスにハンブルグ大学の地位を追われた
シュテルンはアインシュタインと共に1933年アメリカに亡命します。この時は
戦後、ナチ政権下で教授を続けたゲルラッハと対照的ですね。

最終的にはUCB(カリフォルニア大学バークレー校)で
名誉教授を務めます。81歳の生涯でした。

以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初版投稿
2021/01/18_改定投稿





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ヴァルター・ゲルラッハ_1889年8月1日 ~ 1979年8月10日



ゲルラッハはシュテルンと共に
行った実験で有名です。
シュテルンは関連人が主体で
実験内容が伝え難かったりするので
先ずはゲルラッハと
実験内容について語りたいと思います。





その実験はゼーマンとローレンツ
による実験と通じる部分があります。
古典的な考えだけでは説明出来ない
量子力学的な状態の縮退を考慮する
必要があるという結論に繋がります。

具体的にゲルラッハとシュテルン
が行った実験では、磁場での
スピンが分離されています。
加熱された銀粒子がビーム状に
放射されている時にビーム経路
に対して垂直に地場をかけます。

壁に当てたビームの輝点
を見てみた時に古典論では
輝点は一つです。所が、
ゲルラッハとシュテルンの実験
では「縮退の解けた」2点が
はっきりと見てとれたのです。





量子力学的な考えに従うと、
電子はスピンを持ち、磁場に対して
同じ方向のスピンと
逆の方向のスピンが存在します。
だから、
磁場に対する軌跡が異なるのです。





この実験はゲルラッハが実現したようですが
シュテルンが亡命していた事情と、
政治絡みの判断、が相まって
当初はゲルラッハの名は表に出ませんでした。

さて、話を現代に近づけると、
2012年に日本で半導体内部で
同じ原理を使い同じ結果を得てます。
アイディアの種は
色々な所にありますね。

強磁性体や外部磁場を用いずに電子のスピンを揃えることに世界で初めて成功_2012年12月

https://www.ntt.co.jp/journal/1212/files/jn201212058.pdf



【舞台別のご紹介】

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2020年11月04日

アンリ・ポアンカレ_1854年4月29日 ~ 1912年7月17日



その名を書下すと、
ジュール=アンリ・ポアンカレ:
Jules-Henri Poincaré。
多様体における考察である
ポアンカレ予想で、
よく知られています。





ポアンカレは数学、物理学、天文学
で名を残していますか、その
数学的立場には賛否両論があります。
一般の見方をしたら分からない程度の
賛否両論のでしょうね。





ポアンカレは第一回ソルベーユ会議
にも出席していて、マリ・キューリとの
写真は色々な所で紹介されています。
どんな話をしていたのか興味深いですね。





他、ポアンカレの業績としては
位相幾何学の分野でのトポロジー
はの概念形成などもあります。
ヒルベルト形式主義よりも直感に
重きを置くスタイルは、いかにも
数学者らしい、とも思えますが、
特定の人からみたら
意味不明に思えたりするのでしょう。

また、とある数学的な発見時に、
思考過程を詳細に残し、思考プロセス
での心理学的側面の研究に影響を
残したとも言われています。





また、以下の著作は何時か時間が出来たら読んでみたいと考えているポアンカレの著作です。個人的な課題ですね。

・事実の選択・偶然_寺田寅彦 訳_岩波書店
・科学と仮説_湯川秀樹・井上健編_中央公論
・科学の価値_田辺元 訳_一穂社


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2020年11月03日

ピーター・ゼーマン_1865年5月25日 ~ 1943年10月9日



ゼーマンはローレンツと同じ時代の理論家で
ローレンツと同時にノーベル賞を受賞してます。
当然、アインシュタインとも交流をもちます。





ゼーマンにとって幸運だったのは
ローレンツとカメリー・オンネスに師事した
事です。稀代の理論家と実験家の指導のもと、
ゼーマンは素晴らしい環境で育ちます。





そんなゼーマン等が出した結果が
ゼーマン効果です。具体的には
磁場中に置かれたナトリウム原子の
スペクトルを観察した時に、
それが分裂していたのです。






ローレンツとゼーマンによって
成された説明はナトリウム原子の
内部構造についてのものでした。
細かくは原子内部の電子が電荷
を持ち、磁場中では今で言う
縮退状態からの開放と
スピンの性質から、
放射特性が変化するのです。

更には、その電荷の物理量が
別に理論を進めていたJ.J.トムソン
のそれと近しい値をとった事で
ローレンツとゼーマンの理論は
説得力をもちました。結果、
ノーベル賞が贈られます。





また、ノーベル賞受賞後に
ゼーマンはアムステルダムで
研究所を運営し、そこで電磁光学
の研究を進めています。特に、
移動する媒質の中での光の伝播
に関しても研究していますが、
それは相対論の形成に有益
でローレンツやアインシュタイン
も評価していたと言われています。

ローレンツとゼーマンの素晴らしい
点はナトリウム原子の構造を
解明した手法にあったと思います。
実験結果の積み重ね、仮設の設定、
そして全てを使った理論構築の
モデルはその後に多くの学者が
活用可能な手法だったかと。
その後に他の原子も次々と性格が
明らかにされていきます。





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最近は全て返信出来てませんが
適時、返信・改定をします。

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2020年11月02日

ポール・ランジュヴァン_1872年1月23日 ~ 1946年12月19日



ランジュバンは双子のパラドックス
で有名ですね。その矛盾の指摘は、
初めアインシュタインが指摘した
2つの慣性系での時間差から始まる
話ですが、ランジュバンが双子の例え
に置き換えて分かりやすくしました。
そんな時代の人です。無論、
ソルベー会議等に参加しています。





研究者としてはキャヴェンディッシュ研究所でジョゼフ・ジョン・トムソンのもとで学んだ後にソルボンヌ大のピエール・キュリーの下て、学位を得ました。磁性の研究をする一方で水晶振動子を開発して超音波を発生させるメカを実用化しました。





また、マリ・キューリとの恋仲も知られていたようです。ゴシップネタで恐縮ですが。そして、何年か後には二人の孫同士が結婚してます。





また、ランジュヴァンはソナーの発明でも知られています。潜水艦の関係者なら多大な恩恵を受けている訳ですね。











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2020年10月29日

ジェームズ・チャドウィック_1891年10月20日 ~ 1974年7月24日



チャドウィックは研究環境で恵まれていました。
マンチェスター大学の時代から
ラザフォードの指導を受け、
海外修業時代にはガイガーの下で
放射線計測の知見を積み上げました。
開発されたばかりのガイガーカウンター
を使い放射線特性での実績をあげます。

第一次大戦終了後はケンブリッジ大学の
キャベンディッシュ研究所で
再びラザフォードの下で研究を続けます。
ドクター修了後も10年以上、
ラザフォードの助手を努めていました。





キャンデビッシュ研究所での
討論や助言は多分に有益だった
であろうと思われます。
チャドウィック以外にも有能な
研究者達が集まっていました。
その中で議論を交わした筈です。
そんな中でチャドウィックは
中性子を発見していきます。その発見で
原子構造をまた一つ明らかにしたのです。

更にチャドウィックは中性子の質量
を明らかにして、それがガン治療
に有益であろうと考えます。





ただ、チャドウィックの時代は
世界大戦の時代と重なります。
マンハッタン計画ではイギリスチームの
リーダーとして計画を進めていました。
トリニティー実験も目の当たりにしたようです。

自身が心血を注いで作り上げた概念が
政治的に利用されていく有り様を
チャドウィックは、どう感じて
いたのでしょうか。不満だった筈です。

その他、パウリ・ハイゼンベルク等との
議論の発展、サイクルトロンの導入、
ノーベル賞の賞金の使い道について
追って、きちんと整理して再投稿したいです。
本稿はそろそろ〆ます。





チャドウィックはキーズ・カレッジ
の学寮長として晩年を過ごしています。
そして、リヴァプール大学には彼の
名を冠した研究所が残っています。





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2020/10/29_初回投稿
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2020年10月28日

第3代レイリー男爵_J・W・ストラット_1842年11月12日 ~ 1919年6月30日

寺田寅彦 - 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学 (中公新書) - 小山 慶太

その名を改めて書下すと、レイリー男爵_3代目
ジョン・ウィリアム・ストラット_
John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh

分かり易い業績を紹介すると、
晴れた日の空の青さを説明しました。
子供が、「空はなぜ青いの?」って
聞いた時のお話しですよね。専門的に言えば
散乱光の研究からレイリー卿は入射波と
反射側の散乱波を考え、それらの
波長と空気中の分子の性質を考えたのです。
結果、昼間の空は青く、夕方は赤い。
レイリー散乱と呼ばれる考え方です。
別途、取り上げるつもりのもう一人の博士
であるクィーンのブライアンの研究も
関連していると思われますので、
是非、後日補足したいと思います。

またその他のレイリー卿の業績は、
地震の表面波の解析(レイリー波)、
ラムゼーと研究したアルゴン発見、
古典的な熱放射理論である
レイリー・ジーンズの法則等があります。

そんなレイリー卿は量子論や相対論に
厳しい立場をとっていて、
エーテルを考え続けていた様です。
当時の考えでは否定する事は出来ない
物だったとも言えるでしょう。







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2020年10月27日

アルバート・A・マイケルソン_1852年12月19日 ~ 1931年5月9日





その名を全て書き下すと
Albert Abraham Michelson。
ユダヤ系の血を引くアメリカ人です。





マイケルソンは物理学の中でも特に
光学に対して関心を示し、
干渉計を発明しました。。
その後、有名な干渉実験を実現します。
マイケルソンはその後も様々な
研究者と実験をしていきますが、
光の干渉を原理として使っていて
光路が長い程、精度が高くなります。

そこで、マイケルソン達の装置は
大がかりな物になっていきますが、
結果として様々な外乱に晒され、
誤差との戦いが続きました。
装置を据え付ける地盤、
微振動、感光装置、その他に
様々な配慮を払わねは
ならなかったはずです。





こうした実験が行われた背景としては
そもそも、マイケルソンの時代に
エーテルという光の伝播媒質
が論じられていました。
光が波であれば気になる存在です。
ローレンツの理論での変換は
干渉のずれを収縮が打ち消す、
といった結果をもたらします。
エーテルを想定したマイケルソンの
実験結果は様々な議論に繋がり
媒質としてのエーテルは現在、
否定されています。
この有名な実験が広く認められ、
マイケルソンはアメリカ人として
初のノーベル物理学賞を受けます。

近年、マイケルソンの実験手法は
別の成果をもたらしました。
2015年9月、2基のマイケルソン
干渉計を使い、直接的に重力波を
観測にかけたのです。
稀代の実験家の拘りが数十年後に
結実したと言えるでしょう。








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2020年10月26日

アーネスト・ラザフォード_1871年8月30日 ~ 1937年10月19日



その名は正確にはアーネスト・ラザフォード_
Ernest Rutherford, 1st Baron
Rutherford of Nelson, OM, FRS,
初代のネルソン卿_ラザフォード男爵です。

ラザフォードはニュージーランドに生まれ数学でマスタの学位をとった後で奨学金を得てイギリスのケンブリッジ大学に進みます。そこでラザフォードはJJトムソンの指導のもとで気体の電気伝導の研究をします。

研究を進めるうちにラザフォードはウランから2つの放射線、
α線とβ線が出ている事を発見します。ラザフォードは後に透過性の非常に強い放射線が電磁波である事を突き止め、半減期の概念を提唱します。





ラザフォードが考えた半減期の分かり易い
例として、岩石の年代測定があります。
特定の岩石に含まれる物質から出てくる
放射線量を計測すれば、
半減期の概念を使って形成から今迄、
どのくらい時間が経っているか推定
出来るのです。





ラザフォードは更に研究を続けました。
ガラス管にα線を集め、そのスペクトル
分析からα線とはヘリウム原子核である
と突き詰めています。そして、
1911年にはガイガー・マースデンとα線の
散乱実験を行いました。有名なラザフォード
の原子模型が提唱されたのです。
原子には中心に原子核があり
その周りを電子が運動している
現代でも使えるモデルです。

またラザフォードはその人柄から
原子物理学の父と呼ばれています。
キャンデビッシュ研究所では
若い研究所員たちに「ボーイズ!」
と呼びかけていました。また彼は
夏の砂浜でもスーツのジャケット
を脱がないスタイルでした。
そして、
原子番号104の元素は今、彼を偲んで
ラザホージウムと呼ばれています。









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