「D・J・ボーム」の原稿を投稿します。原稿文字数は934文字です。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。最後に、ブログ宣伝でツイッター使います。7/30(金)朝の時点でフォロワーは合計【12092】でした。
作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1917年12月20日 ~ 1992年10月27日】
正確にはその名は、
デヴィッド・ジョーゼフ・ボーム_
David Joseph Bohm、ヘブライ語表記
ではדייוויד ג'וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם。
偶然でしょうがボームはロシア革命の
年に生まれてます。そんな時代背景も
ボームの人生に影響を残しているのでは
ないでしょうか。ハンガリー系ユダヤ人の父と
リトアニア系ユダヤ人の母の間に
ペンシルベニア州で生まれ、
UCB(カリフォルニア州立大学バークレー校)
でオッペンハイマーの教えを受けます。
そんな時期に学生時代に当時の知人の影響で思想的
に影響を受け、異なった社会モデルを持つ
急進的な主義の思想をボームは抱きます。
後にはその為にFBIにマークされたりします。
第2次世界対戦の時にはボームは師である
オッペンハイマーに従いマンハッタン計画
に参加します。その計画は陽子と重陽子の
衝突研究を進め、濃縮ウランを作り原爆を
製造する計画で実行に移されました。
戦後、ボームはプリンストン大学で
アインシュタインと共に働いていましたが、
いわゆるマッカーシズムにあい、
プリンストン大学を追われます。
社会主義者としての過去の活動を当局に
問題視されたのです。アインシュタインは
ボームに彼の助手として大学に残る事を勧めました。
ところが、その願いは叶わずにボームは
ブラジルのサンパウロ大学に移りました。
研究者としてボームは幾多の成果を残しています。先ず量子力学の解釈の面でボーム解釈。EPRパラドックスの提唱。第二は電磁気学でのAB効果です。それぞれ問題の本質をとらえようと考え続けていたように思えます。こうした業績で、その分野の考えに今でも残る影響を与えています。
〆
間違い・ご意見は
以下のアドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/10/31_初稿投稿
2021/08/06_改定投稿
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