大河内家の御曹司
大河内正敏は旧上総大多喜藩主にして子爵であった
大河内正質の息子として生まれました。
正敏は学習院初等科に進み、大正天皇と共に学びます。
また大河内とは珍しい名字だなと思っていたら
奥様も大河内家から娶っていたりして、なんだか
皇族みたいな感じがしました。平民とは違う華麗なる一族
って感じです。きっと鹿鳴館で踊っていたりしたのでしょう。
政界では子爵議員として貴族院で議員を2期務めます。そんな中で若かりし無名の田中角栄を可愛がっていたといわれます。そんな人なので理化学研究所の3代目所長に就任したした時は理研研究員にして、貴族院議員で子爵、そして東京帝大教授でした。そんな偉人を今回はご紹介します。
大河内正敏の業績
大河内正敏は東大で物理学を学んでましたが時節柄、
寺田寅彦と飛行弾丸の研究をしていたようです。
物理学を駆使すれば流体力学や表面の解析が出来ます。
大河内正敏が進めた具体的な別の活用事例としては、
ピストンの開発があります。ここでもシリンダー内の
熱流体解析や、摂動面の摩擦を解析出来ます。
この研究は後の株式会社、リケンにつながります。
戦後このグループは、GHQより十五大財閥の
一つとして指定を受けます。
そして、眠りに
こうした業績を残して今、大河内正敏は埼玉県にある
平林寺で永眠しています。
その近くには理化学研究所の分室があり、
今でも研究者たちが世界に冠たる研究を続けています。
〆
〆最後に〆
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2020/12/17_初版投稿
2021/07/24_改訂投稿
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