以下にSEO対策で「チャドウィック」の原稿を投稿します。使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でケンブリッジの画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。マンハッタン計画に大きく関わった人なので後程、深堀したいと思います。今はまだ全体像として歴史的事実に対する意見がまとまっていません。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。【以下原稿です】
ジェームズ・チャドウィックは研究環境で恵まれていました。マンチェスター大学の時代からラザフォードの指導を受け、海外修業時代にはガイガーの下で放射線計測の知見を積み上げました。開発されたばかりのガイガーカウンターを使い放射線特性での実績をあげます。第一次大戦終了後はケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で再びラザフォードの下で研究を続けます。ドクター修了後も10年以上、ラザフォードの助手を努めていました。
キャンデビッシュ研究所での討論や助言は多分に有益だったであろうと思われます。チャドウィック以外にも有能な研究者達が集まっていました。その中で議論を交わした筈です。そんな中でチャドウィックは中性子を発見していきます。その発見で原子構造をまた一つ明らかにしたのです。更にチャドウィックは中性子の質量を明らかにして、それがガン治療に有益であろうと考えます。
ただ残念な事に、チャドウィックの時代は世界大戦の時代と重なります。マンハッタン計画ではイギリスチームのリーダーとして計画を進めていました。トリニティー実験も目の当たりにしたようです。自身が心血を注いで作り上げた概念が政治的に利用されていく有り様をチャドウィックは、どう感じていたのでしょうか。不満だった筈です。その他、パウリ・ハイゼンベルク等との議論の発展、サイクルトロンの導入、ノーベル賞の賞金の使い道について追って、きちんと整理して再投稿したいです。本稿はひとまず筆を納めます。
チャドウィックはキーズ・カレッジの学寮長として晩年を過ごしています。そして、リヴァプール大学には彼の名を冠した研究所が残っています。
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/10/29_初回投稿
2021/05/30_改定投稿
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