また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしていましたが方針転換します。4アカ計で考えて4/9(金)朝の時点でフォロワ数ーは【11558】です。今日以降はこの数を目安にして、作業としてフォロワー数を増やしません。今日の数字を材料として以後は紹介の内容を吟味していきます。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に現状の一万垢が無関心ならツイッターには意義を感じないからです。バーナーの情報を含めてhttp.www://nowkouji226.comへの投稿原稿を残します
【以下が投稿原稿です】
仁科芳雄は稀代の「人たらし」だったと言われています。仁科は人に惚れ込む性質でした。人に入れあげて、彼の元に人が集まり、人々を育てあげていった凄さが仁科にはあるんです。
仁科本人はニールス・ボーアのもとで育ち、その自由闊達なコペンハーゲンの学風を持ち込み日本で多くの学者を育てました。1928年にオスカル・クラインとコンプトン散乱の有効断面積を議論しています。また帰国後にはハイゼンベルクやディラックを日本に招待して理解を深めています。更には、師であるボーアを日本に呼び寄せています。
研究内容として仁科はサイクロンの建設を進め様々な成果をあげてます。そのサイクロンを大型化する際には
仁科は大変苦労しています。先行するカリフォルニア大学のローレンスとは日米関係に伴い関係が悪くなっていったのですが、終戦共にサイクロンはGHQにより東京湾に破棄されてしまいます。
戦後には仁科は理研の所長を務め、科研製薬の前身で社長を務めましたが、肝臓ガンを患い61歳で亡なります。放射線被ばくの影響もあったであろうと言われています。多くの人材育成に捧げた人生だったと感じています。
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nowkouji226@gmail.com
2020/12/13_初版投稿
2021/04/22_改定投稿
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