那須家住宅(なすけじゅうたく)は、宮崎県東臼杵郡椎葉村にある歴史的建造物。国の重要文化財。鶴富屋敷とも呼ばれる。
概要
江戸時代後期の文政年間(1818年 - 1829年)の建築と推定される。家屋前面に縁を設け、そこに仏間、客間、寝間、居間を横一列に配した横長の建物で、並列型民家と呼ばれるこの地方の代表的な形式である。桁行は25.09m、梁間は8.64mである。寄棟造の屋根は、もとは茅葺きだったが昭和38年(1963年)に表面を銅板で覆われた。
昭和31年(1956年)6月28日に国の重要文化財に指定された。
施設情報
開館時間:9時 - 17時、年中無休
入館料:大人200円(隣接する椎葉民俗芸能博物館との共通券の場合は430円)
所在地 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良1818
位置 北緯33度27分52.4秒 東経131度9分18.0秒
類型 農家
形式・構造 木造、寄棟造、茅葺(現在は表面銅板葺)
延床面積 桁行25.09m、梁間8.64m
建築年 文政年間(1818年 - 1829年)
文化財 国の重要文化財
2023年05月15日
2023年05月14日
吉祥院(きちじょういん)は、山形県山形市にある天台宗の寺院
吉祥院(きちじょういん)は、山形県山形市にある天台宗の寺院。護国院とも称する。山号は守国山。本尊は千手観音で、最上三十三箇所第3番札所である。
歴史
天平9年(737年)勅願により行基が創建したと伝えられ、かつては円福寺と号していた。また、元は漆山村の観音屋敷にあり、後に現在地に移されたとも伝承される。承和4年(837年)の記録には出羽国守・小野宗成が済苦院を最上郡に建立したとあるが、これを吉祥院と比定する説もある。
延文5年(1360年)に斯波兼頼が本堂を再建した。戦国時代から江戸時代にかけて山形城主であった最上氏の帰依を得て、天文12年(1542年)に最上義守によって寺が再建されたという。慶安元年(1648年)には江戸幕府より朱印地を与えられた。なお江戸時代初期には最上三十三観音巡礼札所の第1番札所とされ、慶長8年(1603年)に最上義光が納めた扁額には「奉納 第一番千手堂」とある。後に第三番札所となった。
文化財
重要文化財(国指定)
木造観世音菩薩立像:立像で像高175.1cm、平安時代初期の作とされる
山形県指定文化財
木造菩薩形立像
木造天部形立像:平安時代末期の作とみられる。
山形市指定文化財
観音堂
客殿
その他
木造神将形立像:平安時代末期の作とみられる。両肩以下は欠損しているが、顔の両端に指が見え、当初は顔を裂いている姿であったとみられることから、千手観音の眷属である二十八部衆のうちの散脂大将にあたると考えられる。
所在地 山形県山形市大字千手堂509
位置 北緯38度18分38.3秒 東経140度20分10.7秒
山号 守国山
院号 吉祥院、護国院
宗派 天台宗
本尊 千手観音
創建年 伝・737年(天平9年)
開基 伝・行基
正式名 守國山吉院
守國山護國院
札所等 最上三十三箇所 第3番札所
文化財 木造観世音菩薩立像
(重要文化財)
歴史
天平9年(737年)勅願により行基が創建したと伝えられ、かつては円福寺と号していた。また、元は漆山村の観音屋敷にあり、後に現在地に移されたとも伝承される。承和4年(837年)の記録には出羽国守・小野宗成が済苦院を最上郡に建立したとあるが、これを吉祥院と比定する説もある。
延文5年(1360年)に斯波兼頼が本堂を再建した。戦国時代から江戸時代にかけて山形城主であった最上氏の帰依を得て、天文12年(1542年)に最上義守によって寺が再建されたという。慶安元年(1648年)には江戸幕府より朱印地を与えられた。なお江戸時代初期には最上三十三観音巡礼札所の第1番札所とされ、慶長8年(1603年)に最上義光が納めた扁額には「奉納 第一番千手堂」とある。後に第三番札所となった。
文化財
重要文化財(国指定)
木造観世音菩薩立像:立像で像高175.1cm、平安時代初期の作とされる
山形県指定文化財
木造菩薩形立像
木造天部形立像:平安時代末期の作とみられる。
山形市指定文化財
観音堂
客殿
その他
木造神将形立像:平安時代末期の作とみられる。両肩以下は欠損しているが、顔の両端に指が見え、当初は顔を裂いている姿であったとみられることから、千手観音の眷属である二十八部衆のうちの散脂大将にあたると考えられる。
所在地 山形県山形市大字千手堂509
位置 北緯38度18分38.3秒 東経140度20分10.7秒
山号 守国山
院号 吉祥院、護国院
宗派 天台宗
本尊 千手観音
創建年 伝・737年(天平9年)
開基 伝・行基
正式名 守國山吉院
守國山護國院
札所等 最上三十三箇所 第3番札所
文化財 木造観世音菩薩立像
(重要文化財)
2023年05月13日
赤間神宮(あかまじんぐう)は、山口県下関市にある神社
赤間神宮(あかまじんぐう)は、山口県下関市にある神社。旧社格は官幣大社。壇ノ浦の戦いにおいて入水した安徳天皇を祀る。
江戸時代までは安徳天皇御影堂といい、仏式により祀られていた。平家一門を祀る塚があることでも有名であり、前身の阿弥陀寺は『耳なし芳一』の舞台であったが、廃仏毀釈により神社となり現在に至る。
歴史
貞観元年(859年)に阿弥陀寺として開闢。
文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は現場付近では発見できなかったが、赤間関(下関)に建久2年(1191年)、勅命により御影堂が建立され、建礼門院ゆかりの尼を奉仕させた。以後、勅願寺として崇敬を受ける。
明治の神仏分離により阿弥陀寺は廃され、神社となって「天皇社」と改称した。また、歴代天皇陵の治定の終了後、安徳天皇陵は多くの伝承地の中からこの安徳天皇社の境内が明治22年(1889年)7月25日、「擬陵」として公式に治定された。天皇社は明治8年(1875年)10月7日、赤間宮に改称し、官幣中社に列格した。
昭和15年(1940年)8月1日、官幣大社に昇格し、赤間神宮に改称した。
第二次世界大戦により社殿を焼失し、昭和40年(1965年)4月に新社殿が竣工した。
昭和38年(1963年)9月には当時の皇太子(明仁親王)が参拝した。
昭和50年(1975年)、全国平家会が設立される。
昭和60年(1985年)、源平八百年を期に石川県の輪島市にある平時忠の子孫「時国家」に分霊が親授された。その際に邸内社が建立され「能登安徳天皇社」の称号が授与された。
年中行事
平家雛流し神事(3月上旬)
先帝祭(5月2日 - 4日) - 安徳天皇の命日に行われる。2日は平家落人の子孫らで組織される全国平家会の参列のもと御陵前での神事を始め、平家一門追悼祭などがある、3日は豪華絢爛な外八文字道中の他、唐戸から壇ノ浦付近の海上での「源平船合戦」などが行われる。(詳細は「先帝祭」参照)
耳なし芳一琵琶供養祭(7月15日)
うに供養祭(10月中旬)
秋季例大祭(10月7日)
しめなわ祭(12月10日)
交通
サンデン交通「赤間神宮前」バス停下車
JR下関駅から9分。
唐戸バス停から2分。
所在地 山口県下関市阿弥陀寺町4-1
位置 北緯33度57分35.0秒 東経130度56分54.5秒
主祭神 安徳天皇
社格等 旧官幣大社
別表神社
創建 貞観2年(859年)
例祭 5月2日 - 4日(先帝祭)
10月7日
江戸時代までは安徳天皇御影堂といい、仏式により祀られていた。平家一門を祀る塚があることでも有名であり、前身の阿弥陀寺は『耳なし芳一』の舞台であったが、廃仏毀釈により神社となり現在に至る。
歴史
貞観元年(859年)に阿弥陀寺として開闢。
文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は現場付近では発見できなかったが、赤間関(下関)に建久2年(1191年)、勅命により御影堂が建立され、建礼門院ゆかりの尼を奉仕させた。以後、勅願寺として崇敬を受ける。
明治の神仏分離により阿弥陀寺は廃され、神社となって「天皇社」と改称した。また、歴代天皇陵の治定の終了後、安徳天皇陵は多くの伝承地の中からこの安徳天皇社の境内が明治22年(1889年)7月25日、「擬陵」として公式に治定された。天皇社は明治8年(1875年)10月7日、赤間宮に改称し、官幣中社に列格した。
昭和15年(1940年)8月1日、官幣大社に昇格し、赤間神宮に改称した。
第二次世界大戦により社殿を焼失し、昭和40年(1965年)4月に新社殿が竣工した。
昭和38年(1963年)9月には当時の皇太子(明仁親王)が参拝した。
昭和50年(1975年)、全国平家会が設立される。
昭和60年(1985年)、源平八百年を期に石川県の輪島市にある平時忠の子孫「時国家」に分霊が親授された。その際に邸内社が建立され「能登安徳天皇社」の称号が授与された。
年中行事
平家雛流し神事(3月上旬)
先帝祭(5月2日 - 4日) - 安徳天皇の命日に行われる。2日は平家落人の子孫らで組織される全国平家会の参列のもと御陵前での神事を始め、平家一門追悼祭などがある、3日は豪華絢爛な外八文字道中の他、唐戸から壇ノ浦付近の海上での「源平船合戦」などが行われる。(詳細は「先帝祭」参照)
耳なし芳一琵琶供養祭(7月15日)
うに供養祭(10月中旬)
秋季例大祭(10月7日)
しめなわ祭(12月10日)
交通
サンデン交通「赤間神宮前」バス停下車
JR下関駅から9分。
唐戸バス停から2分。
所在地 山口県下関市阿弥陀寺町4-1
位置 北緯33度57分35.0秒 東経130度56分54.5秒
主祭神 安徳天皇
社格等 旧官幣大社
別表神社
創建 貞観2年(859年)
例祭 5月2日 - 4日(先帝祭)
10月7日
2023年05月12日
安藤家住宅(あんどうけじゅうたく)は、 山梨県南アルプス市西南湖(にしなんご)にある、国の重要文化財に指定された古民家
安藤家住宅(あんどうけじゅうたく)は、 山梨県南アルプス市西南湖(にしなんご)にある、国の重要文化財に指定された古民家である。
概要
安藤家のある南湖(なんご)地区は甲府盆地西南部に位置し、甲斐国西部から駿河国に至る駿州往還沿いの村落で宿場である荊沢宿が存在している。
安藤家は代々、西南湖村の名主を務めた村役人階層の家柄であり、遠祖は武田家臣・「小尾由行」であるという。宝永年間の築から約300年後の現在まで一度も火災に遭うことなく良好な状態で保存されており、主屋に残っていた棟札から建築年代が正確に判明しているなど、甲斐国の名主の家屋を伝える貴重なものとして、1976年(昭和51年)5月20日に国の重要文化財に指定された。
1982年(昭和57年)から1986年(昭和61年)にかけて、大規模な解体復元修理が行われ、現在は山梨県が所有し南アルプス市によって管理公開されている。
主屋、表門、南蔵、北蔵、文庫蔵の各棟、及び庭園を含む敷地が文化財として保護されている。
建造形式・建築年代
主屋 宝永5年(1708年)
入母屋造、茅葺
桁行:22.7メートル
梁間:9.1メートル
表門 天明2年(1782年)
切妻造、茅葺
桁行:14.7メートル
梁間:3.6メートル
南蔵 元治元年(1864年)
土蔵造、切妻造、桟瓦葺
桁行:9.1メートル
梁間:7.1メートル
北蔵 安永2年(1773年)
土蔵造、切妻造、桟瓦葺
桁行:10.9メートル
梁間:5.5メートル
文庫蔵 弘化2年(1845年)
土蔵造、切妻造、桟瓦葺
桁行:5.6メートル
梁間:3.6メートル
利用情報
所在地:山梨県南アルプス市西南湖4302
利用時間:9:00〜16:30 (入館は16時まで)
閉日:毎週火曜日(火曜日が祝日の場合翌日が休館)、その他の祝日の翌日、12月27日〜1月7日
概要
安藤家のある南湖(なんご)地区は甲府盆地西南部に位置し、甲斐国西部から駿河国に至る駿州往還沿いの村落で宿場である荊沢宿が存在している。
安藤家は代々、西南湖村の名主を務めた村役人階層の家柄であり、遠祖は武田家臣・「小尾由行」であるという。宝永年間の築から約300年後の現在まで一度も火災に遭うことなく良好な状態で保存されており、主屋に残っていた棟札から建築年代が正確に判明しているなど、甲斐国の名主の家屋を伝える貴重なものとして、1976年(昭和51年)5月20日に国の重要文化財に指定された。
1982年(昭和57年)から1986年(昭和61年)にかけて、大規模な解体復元修理が行われ、現在は山梨県が所有し南アルプス市によって管理公開されている。
主屋、表門、南蔵、北蔵、文庫蔵の各棟、及び庭園を含む敷地が文化財として保護されている。
建造形式・建築年代
主屋 宝永5年(1708年)
入母屋造、茅葺
桁行:22.7メートル
梁間:9.1メートル
表門 天明2年(1782年)
切妻造、茅葺
桁行:14.7メートル
梁間:3.6メートル
南蔵 元治元年(1864年)
土蔵造、切妻造、桟瓦葺
桁行:9.1メートル
梁間:7.1メートル
北蔵 安永2年(1773年)
土蔵造、切妻造、桟瓦葺
桁行:10.9メートル
梁間:5.5メートル
文庫蔵 弘化2年(1845年)
土蔵造、切妻造、桟瓦葺
桁行:5.6メートル
梁間:3.6メートル
利用情報
所在地:山梨県南アルプス市西南湖4302
利用時間:9:00〜16:30 (入館は16時まで)
閉日:毎週火曜日(火曜日が祝日の場合翌日が休館)、その他の祝日の翌日、12月27日〜1月7日
2023年05月11日
地蔵院(じぞういん)は、和歌山県伊都郡高野町にある高野山真言宗の寺院
2023年05月10日
旧遷喬尋常小学校校舎(きゅうせんきょうじんじょうしょうがっこうこうしゃ)は、岡山県真庭市(旧真庭郡久世町)にある歴史的建築物
旧遷喬尋常小学校校舎(きゅうせんきょうじんじょうしょうがっこうこうしゃ)は、岡山県真庭市(旧真庭郡久世町)にある歴史的建築物。日本の学校建築の設計基準が確立した明治後期における独特な擬洋風校舎として国の重要文化財に指定されている。江川三郎八の設計。
概要
1907年(明治40年)に完成した二階建ての木造建築で、玄関と職員室、講堂(2階)からなる中央棟の東西両翼に教室棟が伸びる左右対称型。中央棟はマンサード屋根に、玄関左右を前面にせり出した上においた破風2つを組み合わせ、さらに正面中央に高瀬舟をかたどった校章の入った丸い屋根窓(ドーマー窓)がある複雑な構成。(当初は大棟に鉄の飾り(ルーフクレスト)があったが、昭和の戦時中に鉄類として供出したため今はない。)妻壁はヴェネツィア窓風の格子窓で飾られている。
2階の講堂は洋風の二重折上げ格天井で、鏡板は無節の檜柾目板。廊下は分厚い松材、戸の板壁は全面無節の杉材と、建築材は選りすぐったものを使用し、軒下の壁を真壁として化粧筋交いを組み込んだり、床下換気孔をくさび型の煉瓦でアーチ型に積むなど、細部にまで多数の建築意匠が施されている。要した約18,000円の工事費は当時の久世町予算の3倍近い巨額なものであった。
1990年(平成2年)に移転するまで(現真庭市立遷喬小学校の)校舎として利用されていた。現在は文化施設・久世エスパスランドの付属施設として、かつての教室は図書室・展示室、職員室は会議室、講堂は集会室、校庭は屋外展示場に供されている。
エピソード
ALWAYS 三丁目の夕日では、鈴木一平が通う小学校として撮影に使用された。
NHK連続テレビ小説「カーネーション」では、小原糸子が通う岸城尋常小学校のシーンの撮影に使用された。(教室のみ)
2019年6月22日に(関東地方にて)放送されたテレビ東京の番組「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」の収録が当地で行われた。
アーチ型床下換気口
建築概要
所在地:岡山県真庭市鍋屋17番1
構造形式:木造、建築面積601.2m2、二階建、スレート及び桟瓦葺
建築年代:1907年(明治40年)
重要文化財指定年月日:1999年(平成11年)5月13日
用途 久世エスパスランド(真庭市立久世図書館)
旧用途 久世町立遷喬小学校校舎
構造形式 木造、二階建、スレート及び桟瓦葺
建築面積 601.2 m2
階数 2
駐車台数 普通車50台
バス3台
竣工 1907年
所在地 〒719-3214
岡山県真庭市鍋屋17番1
座標 北緯35度4分40.0秒 東経133度45分7.1秒
文化財 国の重要文化財
指定・登録等日 1999年5月13日
概要
1907年(明治40年)に完成した二階建ての木造建築で、玄関と職員室、講堂(2階)からなる中央棟の東西両翼に教室棟が伸びる左右対称型。中央棟はマンサード屋根に、玄関左右を前面にせり出した上においた破風2つを組み合わせ、さらに正面中央に高瀬舟をかたどった校章の入った丸い屋根窓(ドーマー窓)がある複雑な構成。(当初は大棟に鉄の飾り(ルーフクレスト)があったが、昭和の戦時中に鉄類として供出したため今はない。)妻壁はヴェネツィア窓風の格子窓で飾られている。
2階の講堂は洋風の二重折上げ格天井で、鏡板は無節の檜柾目板。廊下は分厚い松材、戸の板壁は全面無節の杉材と、建築材は選りすぐったものを使用し、軒下の壁を真壁として化粧筋交いを組み込んだり、床下換気孔をくさび型の煉瓦でアーチ型に積むなど、細部にまで多数の建築意匠が施されている。要した約18,000円の工事費は当時の久世町予算の3倍近い巨額なものであった。
1990年(平成2年)に移転するまで(現真庭市立遷喬小学校の)校舎として利用されていた。現在は文化施設・久世エスパスランドの付属施設として、かつての教室は図書室・展示室、職員室は会議室、講堂は集会室、校庭は屋外展示場に供されている。
エピソード
ALWAYS 三丁目の夕日では、鈴木一平が通う小学校として撮影に使用された。
NHK連続テレビ小説「カーネーション」では、小原糸子が通う岸城尋常小学校のシーンの撮影に使用された。(教室のみ)
2019年6月22日に(関東地方にて)放送されたテレビ東京の番組「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」の収録が当地で行われた。
アーチ型床下換気口
建築概要
所在地:岡山県真庭市鍋屋17番1
構造形式:木造、建築面積601.2m2、二階建、スレート及び桟瓦葺
建築年代:1907年(明治40年)
重要文化財指定年月日:1999年(平成11年)5月13日
用途 久世エスパスランド(真庭市立久世図書館)
旧用途 久世町立遷喬小学校校舎
構造形式 木造、二階建、スレート及び桟瓦葺
建築面積 601.2 m2
階数 2
駐車台数 普通車50台
バス3台
竣工 1907年
所在地 〒719-3214
岡山県真庭市鍋屋17番1
座標 北緯35度4分40.0秒 東経133度45分7.1秒
文化財 国の重要文化財
指定・登録等日 1999年5月13日
2023年05月09日
桜井神社(さくらいじんじゃ、櫻井神社)は、大阪府堺市南区片蔵にある神社
桜井神社(さくらいじんじゃ、櫻井神社)は、大阪府堺市南区片蔵にある神社。式内社で、旧社格は府社。別称は「上神谷八幡宮」(にわだにはちまんぐう)とも。拝殿は堺市内唯一の国宝に指定されている。
拝殿(国宝)
祭神
現在の祭神は次の3柱。
中殿:応神天皇 - 第15代天皇。
東殿:仲哀天皇 - 第14代天皇。
西殿:神功皇后 - 仲哀天皇皇后。
歴史
伝承によると、この地方に住居していた桜井朝臣の一族がその祖先である武内宿禰を奉斎したのが創祀という。また推古天皇5年(597年)には八幡宮を合祀したという。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では和泉国大鳥郡に「桜井神社」と記載され、式内社に列している。また、後世に当社に合祀された山井神社・国神社(法道寺の東にあった。現在も小さな社がある)もそれぞれ式内社に列している。
平安時代には神仏習合が進み、亀遊山神宮寺が境内に建てられた。建武4年(1337年)、上神城主の上神常儀が社殿を造営している。
天正5年(1577年)、織田信長による紀州征伐の戦火を受けて拝殿以外を焼失し、社領も没収される。
天正16年(1588年)に加藤清正によって阿弥陀堂が再建されたのをかわきりに、元禄年間(1688年 - 1704年)までに復興が行われた。
慶応4年(1868年)神仏分離に際し、仏像や経典などは片蔵の金福寺に移され、阿弥陀堂は別所の法華寺へ移築された。また、後に鐘楼は神輿庫に改造されている。
1872年(明治5年)に近代社格制度において郷社に列せられた。また、1908年(明治41年)から1910年(明治43年)にかけて国神社ほか9社を合祀している。
1942年(昭和17年)には府社に昇格した。
神門
祭事
10月第1日曜日の秋祭に「上神谷のこおどり」が奉納される。
文化財
国宝
拝殿(建造物) - 1917年(大正6年)4月5日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定。1953年(昭和28年)11月14日に文化財保護法に基づき国宝に指定。
選択無形民俗文化財(国選択)
上神谷のこおどり - 元は国神社へ奉納する踊り。1972年(昭和47年)8月5日選択。堺こおどり保存会。
大阪府指定文化財
有形文化財
木造神像(彫刻) - 元は国神社に祀られていた神像。1982年(昭和57年)3月31日指定。
男神像
菩薩形像
明王形像
石造燈籠(工芸品) - 元は国神社にあった燈籠。応永19年(1412年)作。1970年(昭和45年)2月20日指定。
無形民俗文化財
上神谷のこおどり
本殿・中門
現地情報
所在地
大阪府堺市南区片蔵645
交通アクセス
泉北高速鉄道 泉ヶ丘駅から南海バス乗車(23系統・「畑」方面)桜井神社前で下車すぐ、または(24系統・「鉢ケ峯」方面)片蔵で下車、徒歩約5分。
拝殿(国宝)
祭神
現在の祭神は次の3柱。
中殿:応神天皇 - 第15代天皇。
東殿:仲哀天皇 - 第14代天皇。
西殿:神功皇后 - 仲哀天皇皇后。
歴史
伝承によると、この地方に住居していた桜井朝臣の一族がその祖先である武内宿禰を奉斎したのが創祀という。また推古天皇5年(597年)には八幡宮を合祀したという。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では和泉国大鳥郡に「桜井神社」と記載され、式内社に列している。また、後世に当社に合祀された山井神社・国神社(法道寺の東にあった。現在も小さな社がある)もそれぞれ式内社に列している。
平安時代には神仏習合が進み、亀遊山神宮寺が境内に建てられた。建武4年(1337年)、上神城主の上神常儀が社殿を造営している。
天正5年(1577年)、織田信長による紀州征伐の戦火を受けて拝殿以外を焼失し、社領も没収される。
天正16年(1588年)に加藤清正によって阿弥陀堂が再建されたのをかわきりに、元禄年間(1688年 - 1704年)までに復興が行われた。
慶応4年(1868年)神仏分離に際し、仏像や経典などは片蔵の金福寺に移され、阿弥陀堂は別所の法華寺へ移築された。また、後に鐘楼は神輿庫に改造されている。
1872年(明治5年)に近代社格制度において郷社に列せられた。また、1908年(明治41年)から1910年(明治43年)にかけて国神社ほか9社を合祀している。
1942年(昭和17年)には府社に昇格した。
神門
祭事
10月第1日曜日の秋祭に「上神谷のこおどり」が奉納される。
文化財
国宝
拝殿(建造物) - 1917年(大正6年)4月5日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定。1953年(昭和28年)11月14日に文化財保護法に基づき国宝に指定。
選択無形民俗文化財(国選択)
上神谷のこおどり - 元は国神社へ奉納する踊り。1972年(昭和47年)8月5日選択。堺こおどり保存会。
大阪府指定文化財
有形文化財
木造神像(彫刻) - 元は国神社に祀られていた神像。1982年(昭和57年)3月31日指定。
男神像
菩薩形像
明王形像
石造燈籠(工芸品) - 元は国神社にあった燈籠。応永19年(1412年)作。1970年(昭和45年)2月20日指定。
無形民俗文化財
上神谷のこおどり
本殿・中門
現地情報
所在地
大阪府堺市南区片蔵645
交通アクセス
泉北高速鉄道 泉ヶ丘駅から南海バス乗車(23系統・「畑」方面)桜井神社前で下車すぐ、または(24系統・「鉢ケ峯」方面)片蔵で下車、徒歩約5分。
2023年05月08日
岩戸寺(いわとうじ、いわとじ)は、大分県国東市国東町岩戸寺の国東半島の北東部にある天台宗の寺院
岩戸寺(いわとうじ、いわとじ)は、大分県国東市国東町岩戸寺の国東半島の北東部にある天台宗の寺院。山号は石立山(いしだてさん)。1979年(昭和54年)5月15日に大分県の史跡に指定されている。
概要
養老2年(718年)に仁聞菩薩によって開かれたと伝えられる古刹で、六郷満山の末山本寺であった。
寺の入口に立つ一対の仁王像のうち、右側の阿形像には文明10年(1478年)の銘があり、在銘の丸彫り仁王像としては日本最古のものである。
また、寺の裏手にある高さ約3.3mの国東塔は、国の重要文化財に指定されている。弘安6年(1283年)の銘があり、国東半島にある国東塔の中で最古と言われている。2011年2月に修理の為一旦解体した所、3本の鉄製のノミの刃を発見した。鑑定の結果、これらは塔ができた13世紀頃のものであると推定されている。
本尊は、平安後期作のカヤの一木造りの薬師如来像である。
国東六郷満山霊場第二十六番。
文化財
重要文化財(国指定)
宝塔 - 鎌倉時代後期(1283年)の作品。弘安六年大歳癸未九月日の刻銘がある。昭和8年(1933年)01月23日指定。
所在地 大分県国東市国東町岩戸寺1232番地
位置 北緯33度37分9.2秒 東経131度37分7.8秒
山号 石立山
宗旨 天台宗
本尊 薬師如来
正式名 石立山岩戸寺
別称 奥の寺(奥ん寺)
札所等 九州四十九院薬師霊場第十番札所
国東六郷満山霊場第二十六番
概要
養老2年(718年)に仁聞菩薩によって開かれたと伝えられる古刹で、六郷満山の末山本寺であった。
寺の入口に立つ一対の仁王像のうち、右側の阿形像には文明10年(1478年)の銘があり、在銘の丸彫り仁王像としては日本最古のものである。
また、寺の裏手にある高さ約3.3mの国東塔は、国の重要文化財に指定されている。弘安6年(1283年)の銘があり、国東半島にある国東塔の中で最古と言われている。2011年2月に修理の為一旦解体した所、3本の鉄製のノミの刃を発見した。鑑定の結果、これらは塔ができた13世紀頃のものであると推定されている。
本尊は、平安後期作のカヤの一木造りの薬師如来像である。
国東六郷満山霊場第二十六番。
文化財
重要文化財(国指定)
宝塔 - 鎌倉時代後期(1283年)の作品。弘安六年大歳癸未九月日の刻銘がある。昭和8年(1933年)01月23日指定。
所在地 大分県国東市国東町岩戸寺1232番地
位置 北緯33度37分9.2秒 東経131度37分7.8秒
山号 石立山
宗旨 天台宗
本尊 薬師如来
正式名 石立山岩戸寺
別称 奥の寺(奥ん寺)
札所等 九州四十九院薬師霊場第十番札所
国東六郷満山霊場第二十六番
2023年05月07日
岩屋寺(いわやじ)は、愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥(ななとり)にある真言宗豊山派の寺院
岩屋寺(いわやじ)は、愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥(ななとり)にある真言宗豊山派の寺院。山号は海岸山(かいがんざん)。本尊は不動明王。四国八十八箇所霊場第四十五番札所。
本尊真言:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
ご詠歌:大聖(だいしょう)のいのる力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある
納経印:当寺本尊、奥之院白山妙理大菩薩
概要
本堂は標高585m付近にあり本堂の位置で比較すると八十八箇所中4番目の高さで、交通機関を最大限利用する者でも30分近く参道を歩いて登らないとたどり着けない車遍路には最大の難所である。参道途中にはおびただしい数の石仏が重なるように置かれていて、境内は山に向かって右が金剛界峰左が胎蔵峰と呼ばれる天を突く礫岩峰に挟まれ堂宇は巨岩の中腹に埋め込まれるようで、神仙境を思わせる山岳霊場である。なお、本堂が大師堂より小さいのは山全体が本尊とされているからである。
毎年、旧暦3月21日は当寺の縁日で、県道からの橋より中は車進入禁止で県道反対側の駐車場になり村人総出で世話をし、護摩祈祷・御影供法要・餅まきが催行される。その際に大師像御開帳や穴禅定お水供養がある。
歴史
寺伝によれば、弘仁6年(815年)霊地を探して山に入った空海(弘法大師)は、山中で神通力を備えた法華仙人という女性と出会う。仙人は空海に帰依して山を献上した。空海は不動明王の木像と石像を刻み、木像は堂宇を建立して本尊として安置、石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし、岩山全体を本尊としたという。山号の「海岸山」は空海の作とされる「山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を波にたとえむ」の歌による。山中の霧を海にたとえた歌である。
鎌倉時代中期に時宗の祖一遍がこの寺に参篭したことは一遍聖絵に描かれている。そして、いつからか第44番大寶寺の奥の院とされていたが、明治7年に初代住職が着任した。だが、明治31年(1898年)に仁王門と虚空蔵堂(祠)を残し堂宇と史料宝物のほとんどを焼失した。その後、大正9年に大師堂、昭和2年に本堂、同9年に山門、同27年に鐘楼、同38年に宿坊、同53年に迫割不動堂と白山権現堂と順次再建されていった。
交通案内
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 予讃線 - 松山駅
バス
ジェイアール四国バス 久万高原線 「松山駅」 - 「久万中学校前」下車
伊予鉄南予バス [久万営業所] -「岩屋寺」下車 (0.6km)
道路
県道12号線 岩屋寺 (0.6km)
途中の不動明王像
大きな赤不動
所在地 愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468
位置 北緯33度39分31.2秒 東経132度58分50.6秒
山号 海岸山
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
創建年 (伝)弘仁6年(815年)
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 海岸山 岩屋寺
札所等 四国八十八箇所45番
本尊真言:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
ご詠歌:大聖(だいしょう)のいのる力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある
納経印:当寺本尊、奥之院白山妙理大菩薩
概要
本堂は標高585m付近にあり本堂の位置で比較すると八十八箇所中4番目の高さで、交通機関を最大限利用する者でも30分近く参道を歩いて登らないとたどり着けない車遍路には最大の難所である。参道途中にはおびただしい数の石仏が重なるように置かれていて、境内は山に向かって右が金剛界峰左が胎蔵峰と呼ばれる天を突く礫岩峰に挟まれ堂宇は巨岩の中腹に埋め込まれるようで、神仙境を思わせる山岳霊場である。なお、本堂が大師堂より小さいのは山全体が本尊とされているからである。
毎年、旧暦3月21日は当寺の縁日で、県道からの橋より中は車進入禁止で県道反対側の駐車場になり村人総出で世話をし、護摩祈祷・御影供法要・餅まきが催行される。その際に大師像御開帳や穴禅定お水供養がある。
歴史
寺伝によれば、弘仁6年(815年)霊地を探して山に入った空海(弘法大師)は、山中で神通力を備えた法華仙人という女性と出会う。仙人は空海に帰依して山を献上した。空海は不動明王の木像と石像を刻み、木像は堂宇を建立して本尊として安置、石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし、岩山全体を本尊としたという。山号の「海岸山」は空海の作とされる「山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を波にたとえむ」の歌による。山中の霧を海にたとえた歌である。
鎌倉時代中期に時宗の祖一遍がこの寺に参篭したことは一遍聖絵に描かれている。そして、いつからか第44番大寶寺の奥の院とされていたが、明治7年に初代住職が着任した。だが、明治31年(1898年)に仁王門と虚空蔵堂(祠)を残し堂宇と史料宝物のほとんどを焼失した。その後、大正9年に大師堂、昭和2年に本堂、同9年に山門、同27年に鐘楼、同38年に宿坊、同53年に迫割不動堂と白山権現堂と順次再建されていった。
交通案内
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 予讃線 - 松山駅
バス
ジェイアール四国バス 久万高原線 「松山駅」 - 「久万中学校前」下車
伊予鉄南予バス [久万営業所] -「岩屋寺」下車 (0.6km)
道路
県道12号線 岩屋寺 (0.6km)
途中の不動明王像
大きな赤不動
所在地 愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468
位置 北緯33度39分31.2秒 東経132度58分50.6秒
山号 海岸山
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
創建年 (伝)弘仁6年(815年)
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 海岸山 岩屋寺
札所等 四国八十八箇所45番
2023年05月06日
斉年寺(さいねんじ)は、愛知県常滑市大野町にある曹洞宗の寺院
斉年寺(さいねんじ)は、愛知県常滑市大野町にある曹洞宗の寺院。山号は萬松山[1]。本尊は華厳釈迦牟尼仏。十一面観音を安置している。四国直伝弘法八十八ヶ所霊場(直伝弘法さん)第72番札所、尾張三十三箇所第9番札所となっている。佐治氏の菩提寺である。
歴史
享禄4年(1531年)、大野城の2代目城主である佐治為貞が、父の佐治宗貞の菩提寺として城内に建立。宗貞の法名である斉年寿山から取って斉年寺とし、開基を宗貞としている。
天正15年(1587年)には大野城が焼け落ちたため、天正16年(1588年)には家臣の粟津九良兵衛が、主君を偲んで現在の場所に諸堂を建立した。
文久3年(1863年)冬には火災で焼失し、仮の本堂や仮の庫裏を建てた。1945年(昭和20年)1月13日の三河地震では仮の本堂が倒壊し、1965年(昭和40年)には現在の鉄コン筋クリートの本堂が建てられた。
山門
総門
所在地 愛知県常滑市大野町9-139
位置 北緯34度55分56.34秒 東経136度49分33.04秒
山号 萬松山
宗旨 曹洞宗
本尊 華厳釈迦牟尼仏
創建年 享禄4年(1531年)
開基 佐治宗貞
正式名 萬松山 斉年寺
札所等 四国直伝弘法八十八ヶ所霊場72番
尾張三十三観音9番
文化財 紙本墨画淡彩慧可断臂図(雪舟筆、国宝)
歴史
享禄4年(1531年)、大野城の2代目城主である佐治為貞が、父の佐治宗貞の菩提寺として城内に建立。宗貞の法名である斉年寿山から取って斉年寺とし、開基を宗貞としている。
天正15年(1587年)には大野城が焼け落ちたため、天正16年(1588年)には家臣の粟津九良兵衛が、主君を偲んで現在の場所に諸堂を建立した。
文久3年(1863年)冬には火災で焼失し、仮の本堂や仮の庫裏を建てた。1945年(昭和20年)1月13日の三河地震では仮の本堂が倒壊し、1965年(昭和40年)には現在の鉄コン筋クリートの本堂が建てられた。
山門
総門
所在地 愛知県常滑市大野町9-139
位置 北緯34度55分56.34秒 東経136度49分33.04秒
山号 萬松山
宗旨 曹洞宗
本尊 華厳釈迦牟尼仏
創建年 享禄4年(1531年)
開基 佐治宗貞
正式名 萬松山 斉年寺
札所等 四国直伝弘法八十八ヶ所霊場72番
尾張三十三観音9番
文化財 紙本墨画淡彩慧可断臂図(雪舟筆、国宝)